愚樵氏の即非社会論:Kaisetsu氏の即非的自在社会論:トランス・モダン日本郷国共同体






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2009年05月28日(Thu)
愚樵氏の即非社会論:Kaisetsu氏の即非的自在社会論:トランス・モダン日本郷国共同体
愚樵氏による即非社会論ないしは即非共同体論である。Kaisetsu氏がそれに関連して重要な考察を行っている。とまれ、即非という鈴木大拙氏の大天才的な概念が今日(トランス・モダン時代)、浮き彫りになってきたのは、きわめて意義深い。
 因みに、私は70年代後半か80年代前半に、鈴木大拙氏の仏教論を読み、その簡潔ながら、深く明晰な文化論に納得した。即ち、西洋文化は二元論であり、東洋文化は「一元論」、即ち、即非論であるということである。これほど、西洋文化と東洋文化の差異を明快に説いた論は空前絶後であろう。
 とまれ、その後の私の西洋文化批判の原点になった。また、名著『禅と日本文化』を遅ればせながら読んで、自国文化の無知を強く恥じ悔やんだものであった。
 これから余裕がないときが多いので、十分論考することができないが、愚樵氏やKaisetsu氏の即非社会論は、よく読んでいないが、直観でわかるのである。というか、以前、愚樵氏の自由と自在の相違に関する論考を読んでいるので、直観できるのである。
 日本人の精神には、いわば、即非魂があるのである。おそらく、これを、本来の「和」の精神と呼んでいいと思われるのである。そして、これは、「神話」=神伝的には、日本・東洋大女神文化の精神である。ここから、トランス・モダン共同体が創出されると考えられるのである。

補記:補足すると、日本の「近代化」は、近代合理主義・近代的自我・唯物論の下に為されて、とりわけ、戦後において、即非魂が抑圧されてきたと考えられる。
 また、日本の「近代化」とは、絶対主義的体制を強くもったために、即非魂が、独立・自立せずに、集団主義に同化されていると考えられる。
 結局、日本社会の大掃除のためには、不連続的差異論で述べた、精神の同一性からの絶対的切断が大前提である。絶対的差異化である。

##############

【即非】の社会へ
2009-05-26
【即非】という言葉をご存知でしょうか?

続きを読む »

http://gushou.blog51.fc2
.com/blog-entry-246.html


愚樵空論


参照:

愚樵氏の御意見を参考に名称補正→即非的自在社会
2009.05.27 Wednesday
愚樵氏の次のコラムを拝見して、

 コモンズ リバタリア二ズム(リベラル・コミュニズム)の日本語訳(アジア的な発想から)は、「即非的自在主義」という名称なのだろうと考えた。
http://blog.kaisetsu.org
?cid=28821&page=1

即非的自在運動としての不買運動
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu


参考:
鈴木大拙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎〔ていたろう〕、英字:D.T.Suzuki、1870年 11月11日 (明治 3年10月18日 ) - 1966年 7月12日 ) は、禅 についての著作を英語 で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者 (文学博士 )である。大拙は居士号 。石川県 金沢市 本多町に、旧金沢藩 藩医 の四男として生まれる。1959年日本学士院会員 、文化勲章 。

100冊ある著書のうち、23冊が英語で書かれている。梅原猛 曰く、「近代 日本最大の仏教者」。同郷の西田幾多郎 、山本良吉 、藤岡作太郎 とは石川県立専門学校(後の第四高等学校 )以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。

来歴 [編集 ]
鈴木大拙、ベアトリスの墓
金沢市 野田山墓地

第四高等中学校 を退学後英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出た。東京専門学校(現早稲田大学 )を経て、東京帝国大学 選科に学び、在学中に鎌倉 円覚寺 の今北洪川 、釈宗演 に参禅 した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していたベアトリス・レイン と出会う。釈宗演より大拙の居士 号を受ける(「大巧は拙なるに似たり」)。

1897年に釈宗演の選を受け、米国 に渡り、東洋学者ポール・ケーラス の経営する出版社オープン・コート社で東洋学 関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論 』(1900年)や『大乗仏教概論 』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、禅 文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。

1909年に帰国し、円覚寺の正伝庵に住む。1911年にベアトリスと結婚。1921年に大谷大学 教授に就任して、京都に転居した。同年、同大学内に東方仏教徒協会 を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト 』(Eastern Buddhist )を創刊した(現在も同協会より刊行中)。

晩年は鎌倉に戻り、自らが1941年に創設した東慶寺 の松ヶ岡文庫 で研究生活を行った。1949年には、ハワイ大学 で開催された第2回東西哲学者会議 に参加し、中国の胡適 と禅研究法に関して討論を行い、また、日本学士院 会員となり、文化勲章 を受章した。1950年より1958年の間は、アメリカに住み、ハワイ大学 、エール大学 、ハーバード大学 、プリンストン大学 などで仏教思想に関する講義を行なった。鈴木はカール・グスタフ・ユング とも親交があり、ユングの主催したエラノス会議 に出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボリ などヨーロッパの神秘思想の日本への紹介も行った。

鈴木が没した時、ニュースを読み上げる宿直明けのアナウンサーが原稿に禅と書いてあるのを蝉 と読み違えて「蝉の研究で有名な鈴木大拙氏が亡くなりました。著書には英文による『蝉と日本文化』…」と読み上げ、進退伺いを出したが慰留された[1] (なお余談だが、彼は自著の著者紹介で「”褌 ”の研究家」と誤植されたこともある)。墓所は金沢市 野田山墓地 の鈴木家墓所と鎌倉東慶寺 境内にあり、すぐ近くに岩波書店 初代店主、岩波茂雄 の墓と西田幾多郎 の墓があり、毎年命日である7月12日 には大拙忌法要が行われる。

没後鈴木学術財団 が設立される。

年表 [編集 ]

* 1887年 石川県専門学校 初等中学科卒業
* 1889年 第四高等中学校 (現金沢大学 )中退(予科卒業)
* 1889年 飯田町小学校教師(英語担当)
* 1890年 美川小学校訓導 (1891年まで)
* 1891年 東京専門学校(現早稲田大学 )退学
* 1892年 帝国大学 (現東京大学 )文科大学哲学選科入学
* 1895年 同修了
* 1909年 学習院 講師(英語担当)
* 1909年 東京帝国大学 (現東京大学 )文科大学講師(1916年まで)
* 1910年 学習院 教授(1921年まで)
* 1921年 大谷大学 教授(1960年まで)
* 1930年 英語論文で文学博士号取得
* 1934年 大谷大学教学研究所東亜教学部部長
* 1950年代 コロンビア大学 客員教授

著書 [編集 ]

* 『鈴木大拙禅選集』全11巻別巻1 (春秋社 ) 
* 『鈴木大拙全集 増補新版』全40巻 (岩波書店 、1999年−2003年)
o 『禅思想史研究』 全4冊
o 『禅と日本文化』 (岩波新書 、正・続)
o 『日本的霊性』
o 『無心ということ』
o 『一禅者の思索』
o 『禅と精神分析』
o 『佛教の大意』
* 坂本弘 日本語訳『禅学への道』(アートデイズ 、2003年) ISBN 4861190126
* 重松宗育 監修・日本語訳『大拙 禅を語る』(アートデイズ ・CDブック、2006年) ISBN 4861190665

CD [編集 ]

* 『CD版 鈴木大拙講演選集<全6巻> 禅者のことば』(アートデイズ )
* 『禅と科学』、『最も東洋的なるもの』、『禅との出会い―私の自叙伝』

鈴木大拙講演、新潮カセット&CD (新潮社 )、新版2007年

参考文献 [編集 ]

* 志村武 『鈴木大拙随聞記』 日本放送出版協会 、1967年。
* 秋月龍a『鈴木大拙の言葉と思想』 講談社現代新書 、1967年。
o 『世界の禅者 鈴木大拙の生涯』 同時代ライブラリー:岩波書店、1992年。
o 『鈴木大拙』 講談社学術文庫 、2004年。
* 上田閑照 、岡村美穂子 編 『鈴木大拙とは誰か』 岩波現代文庫 、2002年
o 増補新版が、灯影撰書で出された 灯影舎、2008年
o また『相貌と風貌 鈴木大拙写真集』 禅文化研究所 を刊行、2005年。
* 松ケ岡文庫編 『鈴木大拙 没後40年 KAWADE道の手帖』河出書房新社 、2006年
* 『禅 鈴木大拙−没後40年−』 北国新聞社 編集局編、時鐘舎新書 2006年
* 森清 『大拙と幾多郎』 朝日選書:朝日新聞出版 、1991年
o 『西田幾多郎 宛鈴木大拙書簡 億劫相別れて須臾も離れず』岩波書店 2004年
* 大熊玄 「鈴木大拙の言葉」朝文社 2007年

脚注 [編集 ]

1. ^ 柴田南雄 『わが音楽 わが人生』p.279(岩波書店 、1995年 )

外部リンク [編集 ]

* 金沢市立ふるさと偉人館
* 松岡山東慶寺
* The Eastern Buddhist Society
* 近代デジタルライブラリー - 鈴木の書物のいくつかはここに公開されている。
* 鈴木大拙、京都大学文学部、日本哲学史研究室

カテゴリ : 仏教学者 | 日本学士院会員 | 文化勲章受章者 | 禅 | 居士 | 1870年生 | 1966年没 | 石川県出身の人物 | アメリカの仏教


参考2:以下、鈴木大拙の「哲学」に関する鋭敏な洞察力をもった文章なので、傍証として、全文転載させていただく。

鈴木大拙師の思想に学ぶ

−東洋と西洋の違い−



世界的な仏教学者で禅の研究者とし名高い鈴木大拙(1870−1966) という人物がいる。その人の1963年の講演テープを聴いた。師は27才でアメリカに渡り、東洋思想の翻訳と講義を通じて、禅の思想を始めとする東洋の考え方を欧米各国に広めた大人物である。その話し出しが実に面白い。私は耳が聞こえないので、何を紹介されたか、分からないがとにかく話しましょう、と言って講演を始められた。

石川県の医者の家に生まれた師だが、昔と今とでは、全くと言っていいほど、価値観が違う世界だったと述懐する。大体現金というものを見たことがなかった、と言うのだ。何でも暮れになり、これこれと言って、「付けの払いが来て」その詳細などは、余りよく分からない。今で考えれば、いい加減のように見えるが、それで社会がまわっていた、と言われた。要するに昔の日本社会は、帳簿に付け、年末にまとめて払うような悠長な社会だったのだ。この社会がどうして変わったのかは分からないが、いつの間にか、一瞬ごとに現金が飛び交う今日のような殺伐とした社会になった。

師は、西洋と東洋の考え方の違いを、言葉の違いを持って説明する。例えば、英語では、木がある。というのを「There is a tree」というが、「そこに一本の木がある」、つまりゼアという言葉によって、そこと木とを分割し、対象物を二元的に表現する。しかし日本語では、「木がある」で十分に意味が通じる。

芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」も英訳すると非常に厳密に、そのカエルが単数なのか、複数なのかを厳密に説明しなければならない。しかし17文字という限られた俳句という韻文のなかでは、そんなことを言っていたら、ルール違反どころか味もそっけもなくなってしまう。このように言葉ひとつをとっても、西洋では、つねに何かと何かを厳密に対置させて表現することが慣習となってしまっているのである。

自然という言葉がある。西洋ではギリシャ語で「Physis」、ラテン語では「Natutra」と言いどちらも、「生まれる」という動詞からから派生した名詞であって、自然と人間、神をも包括するような大きな言葉だった。そしてそれは同時に「自らの内的な力によって生まれそのようになる」、というような意味を持つ深淵な言葉であった。だからよくよく考えて見れば、今日の東洋思想にある自然観念と近い考え方をしていたことになる。

ところが西洋では、中世になり、キリスト教の神の概念が隆盛になり、自然そのものも神の創造物とされるに至った。そしていつの間にか、自然は、万物の創造主たる神の下に従属する立場に追いやられてしまったことになった。それ以来、西洋では、自然は人間同様、神に従属する立場となり、人間がそれを征服し、造り替えてしまっても構わないような対象と化してしまったのである。

東洋では、そもそも神と自然と人間は、対立するような概念ではなく、本来一体なものだ。仏教哲学では「自然」を「じねん」と読み、「おのずから、なるべきものになる」というような意味と考えられている。また老子や荘子の説く道教では、老子二十五章に「道は自然に法る」とあるように、「自然」は「道」とほぼ同義の言葉となり、森羅万象の営みを言い表す言葉となった。しかもさらに、それは単なる「道」あるいは「自然」ではなく、存在としての人間がその一体になるべきものとして、「道」や「自然」というものとなっていったのである。

さて話は佳境に入る。何であのような野蛮な戦争に突入したのか。第二次大戦の原因について、師は深く思いを馳せ、このように言われた。
「あれはきっと、ドイツ式の政治思想を受け入れたせいでしょうな」と。

これは非常に注目すべき言葉であると思う。何故ならば、明治憲法の下敷きは、ドイツのワイマール憲法であり、ドイツ流の富国強兵の政治思想の末路として、ドイツと日本は、いみじくも第二次大戦で、盟友関係を結び、両国国民に多大な犠牲と深い傷をもたらしたのである。とすれば我々日本人は、この戦争のもたらした原因の徹底的な反省を踏まえて出発しなければならなかったはずだ。しかし私には、どうしても日本人があの戦争の原因としての自らの思想を考え尽くして出発したとは思えないのである。

言うならば戦後は、ドイツ流の政治思想からアメリカ流(アングロサクソン流)の考え方に、すっと変わっただけだ。だからまたこの付けは必ず訪れるのである。鈴木大拙師は、西洋流の思考だけでは世界は立ち行かなくなる時が必ず来る。だから西洋の人間に向けて、東洋の思想というものを伝えて行かなければならない、と指摘する。私もまさにその通りであると思う。師は、東洋思想の深淵な教えを読み解くうちに、西洋思想の限界を感じたのである。そこに東洋思想が調和しなければ、世界は滅びてしまうであろう?と。

確かに21世紀になった現代の世界を見れば、生産力と合理主義に貫かれた西洋的な文明は、危機に瀕しているとしか言えない。だからこそ、自然ひとつをとっても、「自然を人間のために征服し、造り替えていく」、などという風には考えずに、おのずからそこにある自然に従い、調和し、人間と一体となって生きようとする、東洋的な思考法が大切なのである。

禅の思想を通じ、西洋人に東洋のあり方を説いた師は、1966年、96才の天寿を全うし天に召された。我々日本人は、日本の国としての限界が叫ばれる昨今、この鈴木大拙師の言葉を再度噛みしめてみるべきだろう。そこには、間違いなく、この閉塞的状況を打破する重要なヒントが眠っている。佐藤

この文を書いた後、こんな歌が浮かんだ。

自然(じねん)なる言葉そのまま自(おの)ずから束稲山に初陽昇り来

http://www.st.rim.or.jp
/~success/daisetu_ye.html

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