第五の福音書・聖霊主義・純粋差異共振主義:PS理論とトランス・モダン進化






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2009年01月18日(Sun)
第五の福音書・聖霊主義・純粋差異共振主義:PS理論とトランス・モダン進化
私は現代を「聖霊」の時代と呼んでいるが、それの意味するところは既述した(http://ameblo.jp/renshi
/entry-10194034665.htm )が、より直観的な説明ができると思った。
 「子」の時代とは、差異共振主義と同一性主義の分裂の時代であると言った。占星術的文明史から言えば、双魚宮の時代である。
 問題は、差異共振主義と同一性主義とが水と油で溶け合わないという事態である。近代資本主義は本来、前者が基礎であるにもかかわらず、後者が支配的で、勤労者・民衆、自然、社会等を破壊してきたのである。自然合理性を同一性主義的資本家/国家等は理不尽に無視してきたのである。その結果、今日の新世界恐慌に帰結したのである。
 本質は差異共振性でありながら、同一性主義はその不合理性(端的には、狂気)によって、資本主義の母体を破壊してきたのである。これが、水と油の相克の事態である。二元論、二項対立である。
 しかるに、今日、同一性主義の解体によって、近代資本主義が解体して、これまで否定・排除されてきた差異共振性が浮き上がってきたのである。それは、純粋差異共振主義として、発現するのである。
 それは、差異と同一性のバランスを目指すのである。そう、近代主義における、精神と物質との対立がここで解決して、終焉するのである。精神と物質との調和が為されるのである。これが、「聖霊」の時代が直観的に意味することである。これは、精神と身体との調和と言ってもいい。両極・対極の調和である。これまで、近代文化は、精神に傾斜するか(観念論)、物質に傾斜するか(唯物論)で、二元分裂してきたのである。
 この点を少し説明すれば、それを超克する試みは多く為されたが、結局、未完成であった。ポスト・モダン哲学は、キルケゴール/ニーチェ哲学、現象学、構造主義を引き継いで、差異の哲学の構築を目指したが、理論的な不整備により、中途半端で挫折してしまった。
 不連続的差異論を継いだプラトニック・シナジー理論(以下、PS理論)は、ポスト・モダン哲学の不備を乗り越えて、差異哲学を完成したと考えられる。
 PS理論はイデア(精神)を主、物質を従とする、差異を包摂した新イデア論である。これが、上述の精神と物質(身体)の調和を可能にしたと言えるのである。そう、観念論と唯物論の超克であり、両者の超越的包摂である。即ち、PS理論が、「聖霊」の時代の主導理論となると考えられるのである。
 整理すると、「聖霊」の時代とは、純粋差異共振主義の時代であり、経済的には、近代資本主義を超克して、トランス・モダン資本主義を形成するものであり、より直観的には、近代文化の二元論的分裂を超克して、精神と物質ないしは精神と身体の調和をもたらす時代であり、PS理論はそれを主導するものであるということである。

追記:こういう言い方は誤解を生むが、誤解を恐れずに言えば、精神を資本家、物質を労働者とすれば、トランス・モダン資本主義とは、資本家と労働者の調和の時代である。水瓶座の時代である。

参照:
ヨアキム主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヨアキム主義(ヨアキムしゅぎ)は12世紀 のカトリック 教会に興った予言的・終末論 的な歴史思想である。シトー会 の修道院長フィオーレのヨアキム (ジョアキーノとも)が唱えた。

フィオーレのヨアキムは三位一体的構造を世界史 に当てはめ、全歴史 は三つの時代からなるとした。第一の時代は「父の時代」で、地上においては祭司と預言者 の時代であり、旧約 の時代にあたる。第二の時代は「子の時代」であり、教会の時代で、キリスト以後現在まで続いているとした。これは過渡的な時代であって、第三の時代である「聖霊の時代」によってやがて克服される。第三の時代において、世界は完成し、地上においては修道士の時代が出来する。ヨアキムの考えでは、第三の時代において現在ある教会秩序や国家などの支配関係に基づく地上的秩序は廃され、兄弟的連帯において修道士が支配する時代が来るとされる。

ヨアキムの思想は問題視され、ローマ教皇庁 からたびたび警告されたが、ヨアキムは撤回せず、ついに異端 と宣言されるに至った。ヨアキム主義は13世紀の西方異端思想に大きく影響を与えた。

ミルチア・エリアーデ は『世界宗教史』において、レッシング の『啓蒙の世紀』やシェリング、ヘーゲルなどの絶対者の三段階からなる展開などの近世ドイツ思想における精神史観にヨアキム主義の影響を指摘している。

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フィオーレのヨアキム

 フィオーレのヨアキムは、1135年南イタリアのカンブリアで公証人の息子として生まれた。幼い頃から、幻視の才能があったというが、これは後世の創作の可能性が強い。ヴィイルヘルム2世のもとで官僚として働いた後、エルサレムへ巡礼し、この時に神より啓示を受けたと言う。後にシトー修道会に入会(この時は既に中年に達していた)。さらに、その学識の深さなどが認められ、修道院長に選ばれる。
 しかし、1180年から体験した一連の幻視から独自の歴史神学を構築するようになり、シトー会を脱会。生まれ故郷のカラブリアの人里離れたフィオーレの山中に、彼自身の厳しい修道会を設立した。
 そこで約20年間ほどの年月をかけ、著述活動を行った。
 主な著書は「旧約と新約の調和の書」、「十弦の琴」、「ヨハネ黙示録注釈」などである。
 1202年に没。「有徳の誉れ」を受けながら没したものの、著作の一部は異端として断罪された。

 さて、ヨアキムの思想とは、どのようなものだったのだろうか?
 まず重要なのは、聖書の「黙示録」に代表される象徴や寓意を、過去から現在にいたる具体的な出来事と結びつける傾向が非常に強かったことだ。
 もう一つは、これがさらに重要なのだが、後続の「千年王国思想」に大きな影響を与えたということである。
 ヨアキムは、「楽園」が、この地上に到来すると考えた、天国ではなく。それに加えて、この「楽園」が地上に出現した時、既成の権力構造、教会組織は消滅すると考えた。
 そう、これは一種の「革命思想」の根幹を造ったのである。

 ヨアキムは、人類の歴史を、「三位一体」にあてはめ、以下の3つの「段階」に分けた。

・第一段階
 三位一体の「父」の時代であり、旧約聖書の時代である。 これは「正義」の治世と呼ばれる。戒律の強調、それに立法者として、および人間への絶対的権威としての神の役割が強調される時代である。同時に、血なまぐさい旧約聖書の記述が語る通りの恐怖と隷属の時代でもある。文字通りの「神の下僕」の時代である。

・第二段階
 「子」の時代である。新約聖書の時代であり、キリストから、ヨアキムら自分達が生きている時代が、ここに相当すると考えた。これは、「法」の治世と呼ばれ、神の恩恵の時代であり、福音によって指針がもたらされ、信仰と教養の時代である。神との仲介者として、教会が重要な役割を果たす時代である。

・第三段階
 「聖霊」の時代である。来るべき未来の世界だ。「自由」の治世である。全ての人間に、神より直接、霊知がもたらされ、全人類の全てが修道士のような生活を送る。既成の権力、教会といった体制が消滅し、愛と歓喜と自由の世界になるだろう。

 ヨアキムは、このれらの「段階」を、さらに7つの「時代」に分けている。第一段階は、ユダヤ人7つの迫害によって、分けている。
 一方、第二段階は、キリスト教の7つの迫害によって分割する。この7つの迫害は、7人のアンチ・キリストによって、行われた。ヨアキムは、これらの7人を「黙示録」に出てくる獣の7つの頭に当たると解釈している。それは、すなわち、ヘロデ、ネロ、コンスタンティウス、マホメッド、ハインリヒ4世、サラディンであり、第二段階の終わりに「最大のアンチ・キリスト」が出現するという。

 ヨアキムは、この第二段階が、1200年をちょっと過ぎた辺りで終わると考えた(第一段階がアブラハムからキリストまで42世代続いたわけであるから、第二段階も同じく42世代続くと考えた)。
 この時代に「最大のアンチ・キリスト」が出現する。それは、教会の高位聖職者の中から現れ、ローマ教皇となるかもしれない(!)。そして、この最大のアンチ・キリストが打倒された後、第三段階の地上の楽園の時代が始まるのである。
 しかし、「最大のアンチ・キリスト」は、「最後の」アンチ・キリストではない。最後のアンチ・キリストは、いわゆる黙示録に出てくるマゴクの大君ゴグであり、獣の尾にあたる。
 これが、大破壊でもって悪魔の最後の抵抗を試みた後、滅ぼされる。

 このヨアキムの思想は、考え方によっては、教会にとっては大変な危険思想である。
 理想の国である「楽園」は、地上に出現する。そして、その時、教会を始めとした既成の体制は、ことごとく消滅する。さらに打倒されるべき人類の敵アンチ・キリストは、教会の中から現れる!!
 文字通りの「革命」思想である。
 事実、これは「千年王国」運動の理論的根拠に盛んに利用されることになる。
 「千年王国」運動には、様々な種類があるが、どれも「既存の教会は堕落しており、真のメシア(救世主)を迎えて、これを改革、あるいは打倒しなければならない」という点で、ほぼ一致している。
 ゆえに、このヨアキムの思想が、盛んに「千年王国」思想を唱える者達に、影響を与え、引用されたのも当然の結果ともいえる。これは、フランシスコ会の「小さき兄弟」派や、ペキン修道運動、自由心霊派などにも、つながってゆくのである。

 しかし、ここで強調しなければならないのは、ヨアキムは断じて、反教会の思想は持っていなかったことである。
 反教会を掲げる運動家達は、あきらかにヨアキムの思想を歪めていた。
 そもそも、ヨアキムは1200年の第二段階の終わりに、破壊的な大変動は起こらないと主張した。「最大のアンチ・キリスト」は、静かに現れ、虚偽と欺瞞を通して秘密裏に活動し、先に述べた尾に該当する「最後のアンチ・キリスト」の襲撃を通して、やっと公然と技を行う、という。
 さらに、ヨアキムは、第二段階の危機的状況の打開に大きな役割を果たす「真の聖なる教皇」の存在を強調していることも忘れてはならない。彼は神の加護のもと、最終の敵に対抗するための重要な説教を行うという。

 ヨアキムは、こうした「黙示録」の解釈を通じて、象徴、すなわちシンボリズムの解釈においても、大きな影響を残している。彼は、こうした象徴の解釈のため、広い視野でもって研究を実施した。「シビュラの予言書」をはじめ、占星術的な知識にまで及んだ。これらの成果をまとめた著書として「図像の書」などが、有名である。
 彼のこうした仕事は、天使の階級論や「聖四文字の名」にまで及んでいる。

 ともあれ、後世の彼の評価は、複雑だ。あの聖フランチェスコも、ヨアキムからは少なからぬ影響を受け、ロジャー・ベーコンを含めた、いわゆるフランチェスコ会学派の神学者達もヨアキムを盛んに引用する。だいぶ時代が下がったダンテの「神曲」でも、ヨアキムは天国の住人として描かれている。
 同時に教会にとって、やっかい者とされることの多かった「千年王国」運動の理論武装にも盛んに使われたわけで、教会にとっては、ある意味難しい存在でもあった。


「フィオーレのヨアキム」 バーナード・マッキン 平凡社
http://www5e.biglobe.ne.jp
/~occultyo/yoakim.htm

Joachim of Fiore
From Wikipedia, the free encyclopedia
Joachim of Flora, in a 15th century woodcut

Joachim of Fiore, also known as Joachim of Flora and in Italian Gioacchino da Fiore (c. 1135 – March 30 , 1202 ), was the founder of the monastic order of San Giovanni in Fiore (now Jure Vetere ). He was a mystic , a theologian and an esoterist . His followers are called Joachimites .
Biography

Born in the small village of Celico near Cosenza , in Calabria , at the time part of the Kingdom of Sicily , Joachim was the son of Mauro the notary, who was well placed, and Gemma, his wife. He was educated at Cosenza, where he became first a clerk in the courts, and then a notary himself, and worked in 1166-1167 for Etienne du Perche, archbishop of Palermo and chancellor of Marguerite, regent for the young William II of Sicily .

About 1159 he went on pilgrimage to the Holy Land , an episode about which very little is known, save that he underwent a spiritual crisis and conversion in Jerusalem that turned him from the worldly life. When he returned, he lived as a hermit for several years, wandering and preaching before joining the ascetic Cistercian abbey of Sambucina near Luzzi, Calabria, as a lay brother, where he devoted his time to lay preaching. Under pressure from the ecclesiastical authorities, he joined the monks of the Abbey of Corazzo , and was ordained priest, apparently in 1168. He applied himself entirely to Biblical study, with a special view to uncovering the arcane meaning concealed in the Scriptures, above all in Revelation . To his dismay, he was acclaimed abbot by the monks of Corazzo (c. 1177). He then attempted to join the monastery to the Cistercian Order , but was refused because of the community's poverty. In the winter of 1178, he appealed in person to William II, who granted the monks some lands.

In 1182 Joachim appealed to Pope Lucius III , who relieved him of the temporal care of his abbey, and warmly approved of his work, bidding him continue it in whatever monastery he thought best. He spent the following year and a half at the Cistercian Abbey of Casamari, engaged upon his three great books, his dictations keeping three scribes busy night and day; there the young monk, Lucas (afterwards Archbishop of Cosenza ), who acted as his secretary, was amazed to see so famous and eloquent a man wearing such rags, and the wonderful devotion with which he preached and said Mass.

In 1184 he was in Rome, interpreting an obscure prophecy found among the papers of Cardinal Matthew of Angers, and was encouraged by Pope Lucius III . Succeeding popes confirmed the papal approbation, though his manuscripts had not begun to circulate. Joachim retired first to the hermitage of Pietralata, writing all the while, and then founded the Abbey of Fiore (or Flora) in the mountains of Calabria; Flora became the center of a new and stricter branch of the Cistercian Order, approved by Celestine III in 1198.

In 1200 Joachim publicly submitted all his writings to the examination of Innocent III , but died before any judgment was passed. The holiness of his life was widely known: Dante affirmed that miracles were said to have been wrought at his tomb, and, though never officially beatified, he is still venerated as a beatus on May 29 .

He theorized the dawn of a new age, based on his interpretation of verses in the Book of Revelation , in which the hierarchy of the church would be unnecessary and infidels would unite with Christians. The most spiritual Franciscan monks acclaimed him as a prophet.

His popularity was enormous in the period, and some sources hold that Richard the Lionheart wished to meet him to discuss the Book of Revelation before leaving for the Third Crusade .

His famous Trinitarian "IEUE" interlaced circles diagram was influenced by the different 3-circles Tetragrammaton-Trinity diagram of Petrus Alphonsi , and in turn led to the use of the Borromean rings as a symbol of the Christian Trinity (and possibly also influenced the development of the Shield of the Trinity diagram).[1]

[edit ] Books

* "Liber Concordiae Novi ac Veteris Testamenti ("Harmony of the Old and New Testaments"): his most important work.
* Expositio in Apocalipsim ("Exposition of the Book of Revelation")
* Psalterium Decem Cordarum ("Psaltery of Ten Strings")
* Treatise on the four Gospels
* The late thirteenth-century set of pseudo-prophecies, united with a later series under the title Vaticinia de Summis Pontificibus was attached to his name without any basis in truth.[1]

[edit ] Theory of the three ages

The mystical basis of his teaching is his doctrine of the "Eternal Gospel," founded on an interpretation of the text in Revelation xiv, 6.

His theories can be considered millenarist ; he believed that history, by analogy with the Trinity , was divided into three fundamental epochs:

* The Age of the Father, corresponding to the Old Testament , characterized by obedience of mankind to the Rules of God;
* The Age of the Son, between the advent of Christ and 1260, represented by the New Testament , when Man became the son of God;
* The Age of the Holy Spirit, impending (in 1260), when mankind was to come in direct contact with God, reaching the total freedom preached by the Christian message. The Kingdom of the Holy Spirit, a new dispensation of universal love, would proceed from the Gospel of Christ, but transcend the letter of it. In this new Age the ecclesiastical organization would be replaced and the Order of the Just would rule the Church. This Order of the Just was later identified with the Franciscan order by his follower Gerardo of Borgo San Donnino .

According to Joachim, only in this third Age will it be possible to really understand the words of God in its deepest meanings, and not merely literally. He concluded that this age would begin in 1260 based on the Book of Revelation (verses 11:3 and 12:6, which mention "one thousand two hundred and sixty days").[2] In this year, instead of the parousia (second Advent of Christ), a new Epoch of peace and concord would begin, thus making the hierarchy of the Church unnecessary.

Joachim distinguished between the "reign of justice" or of "law", in an imperfect society, and the "reign of freedom" in a perfect society[3] .

[edit ] Condemnation

Main article: Joachimites .

Thomas Aquinas confuted his theories in his Summa Theologica , but in The Divine Comedy , Dante Alighieri placed him in paradise. Among the more spiritually-inclined of the Franciscans , a "Joachist" group arose, many of whom saw Antichrist already in the world in the person of Frederick II, Holy Roman Emperor (who died, however, in 1250). The 'Doctor Mirabilis', Roger Bacon , was one of their number.

As the appointed year approached, spurious works began to circulate under Joachim's name: De Oneribus Prophetarum, an Expositio Sybillae et Merlini ("Exposition of the Sibyl and Merlin ") and commentaries on the prophecies of Jeremiah and Isaiah. The Fourth Council of the Lateran in 1215 condemned some of his ideas about the nature of the Trinity, without taking any action, Finally Pope Alexander IV condemned his writings and those of his follower Gerardo of Borgo San Donnino and set up a commission that in 1263 in Synod of Arles eventually declared his theories heretical .

His theories inspired also subsequent heresies like Dulcinians and Brethren of the Free Spirit .

[edit ] Further reading

* Henri de Lubac , La Postérité spirituelle de Joachim de Flore, Lethielleux, 1979 and 1981 (French)

[edit ] See also

* Ernesto Buonaiuti (one of the first researchers in Joachinism)
* Herbert Grundman (famous German researcher in Joachinism)
* List of Christian mystics
* Vaticinia de Summis Pontificibus

[edit ] Notes

1. ^ Frank Schleich, Ascende calve: the later series of the medieval pope prophecies"
2. ^ Liber Concordie novi ac veteris Testamenti.
3. ^ Eric Hobsbawm , Primitive rebels, introduction, Norton Library 1965, p.11

[edit ] External links

* Joachim of Fiore's circles diagram and Trinitarian symbolism
* Neo-Joachimism (German)
* Catholic Encyclopedia: "Joachim of Flora"
* International Center for Joachimist Studies

"http://en.wikipedia.org
/wiki/Joachim_of_Fiore "


   




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