同一性(=物質)被捕囚の日本人と差異という現実のもつ未来:内なる目の自然超噴火






2008年06月07日(Sat)
同一性(=物質)被捕囚の日本人と差異という現実のもつ未来:内なる目の自然超噴火
同一性(=物質)被捕囚の日本人と差異という現実のもつ未来:内なる目の自然超噴火

テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画

私の直感では、日本国民は自分が何をしようが政治は変わらないと諦めの境地にあるのではないだろうか。
 これは、歴史を知らない人間の考えである。日本史であれ、世界史であれ、すぐ触れれば、変革の歴史であることがわかるだろう。ただし、唯物史ではありえない。
 日本人は、戦後、近代合理主義=近代的自我⇒唯物論に染まっているので、精神の力に不信の念をいだき、また、それを冷笑的に、侮蔑的に見ているだろう。ここが問題である。物質主義に染まった日本人は目先のことばかりに囚われていて、子孫のことを考えていない。私見では、自嘲的な諦観がある。
 しかし、その心的態度は、自分の心を見ていない態度である。同一性=物質の現実しか見ていない態度である。差異という「現実」を見る必要があるのである。
 日本人の目を内向きにすれば、大変革となろう。今日、疎外されて、目が外に向いているのである。内なる目とは、差異の目であり、未来の目であるが、なによりも、個=差異=特異性の目であり、自然大爆発の目である。 


参照:

司馬遼太郎の革命第一世代論から丸山真男の悔恨共同体論へ
鶴見俊輔の言う「指導者の入れ替え」が必要である。しかし、私はそのことの困難を思って溜息が出、そして鬱懐に沈む。鶴見俊輔の言う「指導者の入れ替え」とは、別の言葉で言えば「革命」に他ならない。今がこの国の大きな歴史的転換期で、このままではやって行けなくて、頭の天辺から足の爪先まで丸ごと社会体制を入れ替えて刷新(維新)しなくてはいけないというのは、恐らく誰もの共通した認識であり、しかも皮膚感覚で感じる切迫した実感だろう。
http://critic5.exblog.jp/8730438/
世に倦む日日


   




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カレンダ
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