ニュー・エコノミーへ向けて:投資と贈与:スケッチ1






2008年02月27日(Wed)
ニュー・エコノミーへ向けて:投資と贈与:スケッチ1
ニュー・エコノミーへ向けて:投資と贈与:スケッチ1

テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築

経済の素人として、新しい経済のための構想を夢想したい。総合的視点から考察したい。
 今考えているのは、極性力学である。プラス・エネルギーがあれば、マイナス・エネルギーがあると考えられる。そこで思うに、投資は前者であり、贈与は後者である。結局、両者の共振的状態が社会の発展をもたらすのではないだろうか。
 投資は生産であり、贈与は消費と言っていいだろう。今日の問題は、生産に対して、消費が釣り合っていないことに存するのではないだろうか。消費と言っても、遊興的消費ではなく、積極的消費、能動的消費である。例えば、子供を育てる教育は、これに当たる。また、医療・福祉・環境保持もこれではないだろうか。
 問題は、生産・投資による利益が消費・贈与へと向けられていない点にあるのではないのか。また、生産・投資がそれ自体の発展へと十分に向けられていない点にあるのではないのか。
 問題は、行政府という中間存在・管理存在の機能である。税金を権力で取り、それらを管理すること、社会機構を維持しようとするのであるが、税金という資本の消費が、所謂、利権型公共投資となり、社会消費・社会贈与へと向かっていない点にあるのではないのか。
 私は企業が投資/贈与型ニュー・エコノミーになればいいと今思っている。それは、政府自体は、当然縮小するのである。企業自体が行政府的役割をもつようになるのであり、政府は法的役割中心に収縮するのである。もっとも、社会体にとっての中枢機能である教育・医療・福祉・農業等々の維持に関して、法的且つ経済的に政府が責任をもつべきではないだろうか。
 とまれ、簡単に整理すると、ニュー・エコノミーとは、投資/贈与の太極型経済であるというこである。それは、自由共同体資本主義である。それは、トランス・モダン資本主義である。
 国家主義的制約を資本主義と市民がのりこえて、自由共同体の創造へと転換するのである。以上は思いつき、素描に過ぎない。また、新たに検討したい。

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超越エネルギーの諸作用について:紋様とは何か:同一性形態と差異形態

テーマ:プラトニック・シナジー理論

超越エネルギーの諸作用について:紋様とは何か:同一性形態と差異形態

(注:以下、アゲハチョウの雌雄の差異を羽の紋様に見たが、実際は、雌雄の羽の違いは少ない。鳥の場合、毛の模様の違いが雌雄で大きいのである。だから、以下の試論は、その点勘違いがあるので、ここで予めお断りしたい。例をアゲハチョウではなく、鳥に限定すれば問題はないのである。また、後、フェロモン等に関する嗅覚について述べていないのも、不十分な点があるだろう。おそらく、匂いの感覚にも、超越エネルギーがあるのではないだろうか。)

ファッション哲学から派生して、蝶の羽の紋様や鳥の毛の模様等とは何だろうか、それらは、同一性=物質化以外の超越エネルギーによる作用ではないだろうかと思ったのである。
 蝶の羽の紋様等については、生物学等の知見があるだろうが、単純に考えて、いったいそれらは何の役に立っているのだろうか。擬態ということが言われるが、では、蝶の羽の紋様は何の擬態なのだろうか。
 ここで仮説は、それらは、超越エネルギーによる現象的形象であるということである。端的に言えば、同一性=物質化以外の超越エネルギーの形象化であり、それは、一種の差異化であるということである。
 先に自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1における左辺の極性転換について言及したが、即ち、(+i)*(-i)と(-i)*(+i)の双極の様相もあるということであるが、例えば、前者を原オス、後者を原メスとすれば、両者は同一性=物質化としては、蝶であるが、例えば、アゲハチョウの場合は、前者と後者の質的差異が羽の紋様に顕現すると言えないだろうか。つまり、Media Point からの超越エネルギーの発動は、一方では同一性=物質化へと作用し、他方では差異=紋様化へと作用するのではないだろうか。
 Media Point におけるイデア振動が同一性的発現と差異的発現を引き起こしているのではないだろうか。そして、後者は、なんらか超越エネルギーを反照・映出・照応しているのではないのか。つまり、蝶における同一性=物質化した現象自体は、超越エネルギーの「変態」であり、そこには、超越エネルギーは物質エネルギーになっていると考えられる。E=mc^2である。しかしながら、蝶の羽の紋様形態・形象は、確かに、それも超越エネルギーの一種の物質化ではあるが、同時に、差異的顕現ではないだろうか、ということである。換言すると、即非的現象ではないのか、ということである。蝶の羽の紋様は、同一性=物質化・即非・差異化ではないのか、ということである。そして、その差異的顕現には、超越エネルギー自体が映出されているのではないのか、ということである。端的に言えば、蝶の羽の紋様は、超越エネルギーを放出・発出しているということである。
 そして、たとえば、オスの羽にある紋様、鳥ならば、オスの毛の模様から発する超越エネルギーに魅かれて、メスは性的に引き寄せられるのではないだろうか。(これは、単に、視覚的形象だけでなく、聴覚的形象にも当てはまるだろう。たとえば、鳥の囀りであるが、この「歌声」には、単に物質的音波だけでなく、超越的エネルギーが振動・波動として顕現しているのではないだろうか。囀りの超越的音楽、イデア音楽、コスモス・自然音楽である。円空の「木にだにも御形を移すありがたや、法の御音は谷のひびきか」という和歌があるが、せせらぎにも、仏法の超越的音楽があると言えよう。これらについては、別稿で検討したい。)
 この性的ということは、意味深長である。ここには、超越性が含まれているのである。つまり、聖性があるのである。宗教史的に言えば、多神教のもっている性と聖性との融合がここに見られるということである。(また、イギリスの作家、ウィリアム・ブレイクやD.H.ロレンスが性の聖性を唱えたのも自然の復興として考えることができるだろう。)
 以上、蝶の羽の紋様や鳥の毛の模様は、超越的エネルギーの差異的顕現であることを試論として述べたが、帰納的に敷延すれば、自然の形象すべてそのように言えないだろうか。たとえば、螺旋や渦巻き(陰陽のシンボル、三つ巴、勾玉、ヘルメスの二重螺旋等)であるが、それは、強く鋭く、超越エネルギーを喚起するのではないだろうか。文化史的には、永遠の形象と考えられているが、それは、端的に、超越エネルギーの差異的顕現の形象と考えることができるだろう。

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