英語・外国語学習
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2007年01月17日(Wed)▲ページの先頭へ
英文法をこわす―感覚による再構築 (大西 泰斗 著) について
英文法をこわす―感覚による再構築 大西 泰斗 (単行本 - 2003/1)
本書を半分強読んだが、先にも触れたように、この本は、従来の学校英文法を批判し、「感覚」の英文法を提示するのに成功しているが、どうも、文体が生硬であり、また、不躾であり、気障であり、もったいをつけていて、マイナス要因になっている。 そう、確かに、優秀な分析力をもっているが、叙述がはったり的なのである。(これは、先に著書を読んだ副島隆彦氏と似ている。卓見と独断の混淆であった。)例えば、 「およそネイティブにとって、aboutという前置詞にミステリーめいたものは何もない。・・・」p. 138 とある。「およそネイティブにとって」とは、どういうことなのか。著者はネイティブなのか。これは、明らかに論理的誤謬である。虚構になっているのである。これが、はったりの部分なのである。正しくは、「・・・であろう。」と推測する形にしないといけないだろう。あるいは、単に「英語の正当な使用において」であろう。どうもこの著書に危惧・危険を感じる。おそらく、今、売れっ子であるが、慢心して、才能が伸びなくなるだろう。つまり、謙虚さを失い、天狗になって終ると思うのである。少し、かつての浅田彰を想起する。 つけ加えると、著者が「感覚」と呼ぶものは、正しくは感覚ではなく、精神現象、心的現象、意識、志向性、知覚・認識、等である。「感覚」とは、通俗的な言い方であり、理論的ではない。正しく言うなら、心的現象学的英文法、あるいは、意味原型論的英文法、つまり、イデア論・理念型的英文法である。
2007年01月14日(Sun)▲ページの先頭へ
英文法をこわす―感覚による再構築
積ん読だったが、少し読んでみたが、カスタマー・レビューにあるように、文章がいかにも堅苦しい。しかし、「感覚」で英語を捉えるという試みは、成功していると思う。〜ingは、躍動感・生き生き感を表現するというのは、的確である。以下の例文が提示されているが、明瞭である。
I like playing with my kids. I like to play with my kids. 確かに、前者は、具体性が喚起され、後者は、一般性が意味されている。 思うに、この「感覚」的「英文法」は、プラトニック・シナジー理論で説明できそうである。この〜ingの場合は、心的主体性だけでなく、身体的他者性を帯びて、両者の間態のエネルゲイアを作用させていて、to 不定詞の場合は、身体的他者性を否定して、心的主体性の連続的同一性の一般的観念を提示しているのではないだろうか。 また、この本は、多用されている写真やイラストが内容の説明をわかりやすくしている。 残念なのは、上述したように、説明の日本語が、生き生きとしていないことである。研究論文のような味気ない文体である。せっかくの斬新なアイデアのインパクトが殺がれてしまうきらいがある。 p.s. また、志向性という視点で、本書の「感覚」論を説明できるように思う。著書のいう「感覚」ないし「イメージ」とは、心的感覚、ヴィジョン、意識、直観、想像力等と言い換えることができると思う。 英文法をこわす―感覚による再構築 (単行本) 大西 泰斗 (著)
2006年12月26日(Tue)▲ページの先頭へ
英語の前置詞は、動詞の働きをしているのではないのか
歌を聴いていたら、Let me into your heart.というフレーズがあった。このintoは、enterの意味である。他の用法として、Grape turns into wine.の場合、turnsが変化するで、intoが成るである。両方の場合、前置詞が動詞の働きをしているのである。
また、他の前置詞の場合を見ると、An airplane is flying over the mountain. のoverは、明らかに、越えるという意味である。山を、飛び越えている、ということである。 また、結果のtoの場合、He tore the paper to pieces. 彼は、紙をずたずたに引き裂いた、であるが、toは、intoと同じで、成った、という意味である。 ということで、前置詞は、動詞を兼ねていると言えるだろう。思うに、志向性としての品詞と考えるといいのかもしれない。 また、副詞の場合は、動詞よりは、方向性の意味となる。They went down to the river.であるが、downは、当然、下の方向へ、という意味である。もっとも、downを前置詞にすれば、動詞となるだろう。They went down the slope.は、彼らは、スロープを下った、であるが、downは、下る、という意味があるだろう。 英語では、原則として、動詞を一つの文において、二つの動詞を使用しないが、しかし、以上から見るなら、動詞が二つあってもいいことになるだろう。最近は、go and helpをgo helpと言うことが多い。これも、理論的には、問題がないことになるだろう。 とまれ、結局、志向性、方向性の問題であろう。思うに、原則として、動詞を一つにするのは、一つの志向性・方向性に対して、さらに、方向づけるという、方法を英語が取っているということではないだろうか。そうでないと、実に、不明瞭になるだろう。主になる志向性・方向性が動詞であり、副、従、修飾になる志向性・方向性が前置詞や副詞なのだろう。おそらく、それらは、副動詞とでも呼んでいいのではないだろうか。そうすれば、歌詞のlet me into your heart は、よく理解できるだろう。つまり、動詞・目的語・副動詞・副目的語(これも造語)である。 敷延すると、例えば、I want to become a pilot.は、通常は、文型では、S+Vか、S+V+Oだろう。しかし、これは、主語・動詞・副動詞・副補語となるのではないだろうか。そうすると、実に明快になるだろう。 また、さらに言えば、助動詞であるが、これも、副動詞にすれば、わかりやすいのではないだろうか。She can swim.は、主語・副動詞・動詞である。また、He doesn't like swimming. は、主語・副動詞・動詞・目的語となるだろう。そう、疑問文や否定文のdo, doesは、中途半端な存在であったが、これも、副動詞にすれば、明快だろう。 そうならば、動詞の前に置く、副動詞(前・副動詞)と動詞の後に置く副動詞(後・副動詞)があることになるだろう。前置詞や副詞は後・副動詞、助動詞やdo, doesは、前副動詞になる。 後で、さらに検討したい。 |
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