英語・外国語学習

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年10月28日(Mon)▲ページの先頭へ
耳のある者は聴くがいい:外国語の憶え方を発見する!:反芻咀嚼リズム記憶法:氣憶術伝授
耳のある者は聴くがいい:外国語の憶え方を発見する!:反芻咀嚼リズム記憶法:氣憶術伝授

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

今日も1時間半ほど、森氣欲歩動を行う。ボランティアの小道掃除もいつものように行う。季節的に気持ちがよい気温である。
 森の小道に脇に作ってある、丸太を置いた小さな休憩場所があり、そこで、語学書を取り出して、学習を続けた。
 同じテキストをもう四度くらいになると思うが、使用している。なかなか語学学習の時間が取れないが、できるだけ暇を見て、行うことにしている。
 先ず、前置きとして、昨日の食事について述べよう。これが、語学新学習法に繋がるのであるから。
 パワースポットと思われるスーパーで半額で買った胡桃パンであるが、一袋三つ入っている。
 先に食べ過ぎかと思ったが、一食で三つとも食べてしまった。
 昨日、森の中で、咀嚼して、一口最低50回噛んで食べた。そうしたら、二つで済み、一つ残ったのである(今、それを食べたところだが)。
 小食にもなり、吸収にもいい。
 ところで、本題だが、なかなか憶えられずに、なんとかいい憶えられる方法はないかと考えた。
 そこで、ふと、咀嚼・反芻食事を思い出し、五十回音読すれば、定着するのではないかと思って、実際やってみたのである。
 左手で、指を折って、音読数を数えたのである。五十回、少し退屈かもしれないが、すぐである。
 その結果は、記憶にかなり残ることが判明した。
これだと思った! エウレカ!である。
 五十回咀嚼するのをヒントに五十回同じ語句を音読するのである。
 そうすると、リズムのようなものも出来てくるのである。
 そう、音楽、リズム、ビートが関係してくるのである。
 理論的に考えると、陰陽氣は陰と陽で共振する、いわば、波である。そう、氣波と呼んでおこう。
 つまり、氣波は、陰と陽の共振によるリズムをもっている。そこへ、音読の律動が刻まれると思う。つまり、氣波に音読の言葉を刻むのである。すると、言葉は氣波に刻印されて、結局、記憶されると思うのである。そう、記憶は氣憶であると思う。氣は心、精神、魂、霊である。
 氣波という心に、言葉を刻むことで、氣波心は記憶をすると思われる。
 そう、敷延すると、氣は多面的な作用をもっていると思う。知性、理性、感性、徳性、霊性等を陶冶、涵養するには、氣のもつ記憶性にはたらきかける必要があると思う。
 氣は先に述べたように、精神と肉体をつなぐ霊的メディアである。それは、精神と生命体の中核であると考えられる。
 とまれ、是非、試(験)されたい。咀嚼、反芻という方法は、存在の本質的な作用をもっていると思う。
 日本人が劣化・退化したのは、咀嚼・反芻術を忘れたからではないか。
 私が中学生の頃は英語学習は反復練習をNHKの続基礎英語で行っていたものである。私は英語をそのようにして学んだ。
 私は反復という言葉は好きではなく、繰り返しという言葉を好む。しかし、今度発見して、咀嚼・反芻記憶術は、単なる繰り返しではない。
 繰り返しでは、抽象的である。咀嚼・反芻術は、最低50回の咀嚼・反芻を要求しているのであり、具体・実践的である。
 日本人は語学に関しては、日本語によるハンディがあるので、語学学習には、日本人にあった創意工夫が必要なのである。
 考えれば、念仏も咀嚼・反芻術を活用していると思う。
 また、読書百遍その義自ずから現るともいう。
 すべては同じ原理だと思う。つまり、氣の原理である。
 陰陽のもつ氣波界に、咀嚼・反芻することで、智を刻むのである。これは、『かく』ということでもあると思う。視覚的であれ、聴覚的であれ、『かく』という行為だと思う。あるいは、美術的に言えば、彫刻の原理である。あるいは、版画の原理である。
 思えば、ポスト・モダンでデリダの脱構築主義が流行ったが、彼は、エクリチュール(書記)がパロル(話語)より先行するという、意表をつく提言をしたが、以上の視点から言えば、それは、『かく』という原理から見れば、評価できるのである。ただし、それを文字に限定するのは誤りである。文字は当然であるが、話語も聴覚的に『かく』に通じると考えられるのであるから。
 そう、氣のキャンバスに、繰り返し『かく』ということである。


氣は偉大である。



尊氣、愛氣、養氣、培氣、育氣
が必要である。


2008年12月23日(Tue)▲ページの先頭へ
量的教育から質的教育へのパラダイム・シフト:子供の差異を育成する教育へ向けて
私は、鳩式教育論を唱える。それは、子供の学びたいという欲求に即した教育論である。あまりにも当然であるが、それが忘れられているだろう。
 ゆとり教育の大失策(知的ホロコースト)の根因は、教育を量的に捉えていることにあったと一言で言えよう。教育の質(差異、特異性)を捉えないといけないのである。それは、子供という差異に注目することである。子供の差異にこそ、教育の原点があるのである。その子供の差異のもつ知的欲求に即する教育、多様教育が必要なのである。
 英語教育、外国語教育は、その中の一つに過ぎないが、言語教育という重要な教育の一つに位置すると言えよう。
 私見では、差異とは本来、多様な志向をもっているのであり、その中に外国語への志向が入るのであり、それを刺激する必要があるのである。ただし、個々により、進度が異なるので、それに適応する必要がある。
 外国語が得意な子供には、それにふさわしい教育をするのが好ましい。思うに、人間には、自己学習(独学)の能力があるのだから、この自己学習能力を本来、基礎的に培うことが大事である。
 とまれ、同一性主義的教育から差異的教育への転換こそが、望まれるのである。文部科学省等や教育の「専門家」は、量的発想に囚われているのであり、教育改革は常に改悪となると考えられる。

参考:

日本の英語教育 ─これからどうなる? -- 私の英語授業改革提案 --

新里眞男(富山大学)

 これからの英語教育はどうなるのか。気になることはいろいろある。しかし、私はやはり、英語教師の英語力が気になる。『戦略構想』では、英検が準1級、 TOEFLが550点以上、TOEICが730点以上が望ましいとされた。しかし、教員の過半数はこの数値を下回っていよう。毎年行われている1ヶ月ほどの集中研修で英語力が付くことは期待できない。この現状を変えることでしか、将来の展望は開かれない、と考える。

http://tb.sanseido.co.jp/english
/column/relay_bc/20050223.html


◇英語教育の問題点
・ 日本の英語教育 これからどうなる? - 三省堂


2008年11月22日(Sat)▲ページの先頭へ
音声的意味形成と記:音楽的音声形成の必要:Media Pointの音声的構築
以下の宣伝は、あくまで参考であるが、私の感じでは、音声は、右脳に関係するのであり、それと同時に、意味は左脳に形成されるのではないだろうか、ということである。
 日本人が英語学習が苦手なのは、音声的意味形成が未熟だからではないだろうか。これは、記(エクリチュール)の一つである。
 私の直感では、音声は音楽に関係し、身体魂(Media Point)的なのである。だから、英語学習ひいては外国語学習が苦手というのは、日本人に音楽的素養が欠落していることにあるのではないだろうか。
 音楽のリズムやメロディーやハーモニーは、言語音声形成に深く関与しているのである。

@@@@@@@@@@@@@@@@

『スピードラーニング』は、右脳を使うことにより、従来の方法では考えられない成果をあげることができます。まず英語を学ぶという堅苦しさを取り除き、従来の勉強の仕方ではなく、子どもがいろいろなことを覚えるときのように、好奇心で覚えていただくことを基本にしています。
人間の脳は、情報を映像化することで記憶を確かなものにする傾向があります。子どもが飽きることなく同じ絵本を見るように、何度も何度も気持ち良く繰り返す作業が大切で、繰り返し聞いて自然にイメージできるようになることが効果をもたらします。初めは繰り返すことに抵抗を感じるかもしれませんが、自分の生活の中でリズムを作ってしまえば、抵抗感もなくなることでしょう。
http://www.espritline.co.jp
/ad_af_net205/sle28-2
/theory.html


2007年01月17日(Wed)▲ページの先頭へ
英文法をこわす―感覚による再構築 (大西 泰斗 著) について
英文法をこわす―感覚による再構築 大西 泰斗 (単行本 - 2003/1)

本書を半分強読んだが、先にも触れたように、この本は、従来の学校英文法を批判し、「感覚」の英文法を提示するのに成功しているが、どうも、文体が生硬であり、また、不躾であり、気障であり、もったいをつけていて、マイナス要因になっている。
 そう、確かに、優秀な分析力をもっているが、叙述がはったり的なのである。(これは、先に著書を読んだ副島隆彦氏と似ている。卓見と独断の混淆であった。)例えば、

「およそネイティブにとって、aboutという前置詞にミステリーめいたものは何もない。・・・」p. 138

とある。「およそネイティブにとって」とは、どういうことなのか。著者はネイティブなのか。これは、明らかに論理的誤謬である。虚構になっているのである。これが、はったりの部分なのである。正しくは、「・・・であろう。」と推測する形にしないといけないだろう。あるいは、単に「英語の正当な使用において」であろう。どうもこの著書に危惧・危険を感じる。おそらく、今、売れっ子であるが、慢心して、才能が伸びなくなるだろう。つまり、謙虚さを失い、天狗になって終ると思うのである。少し、かつての浅田彰を想起する。
 つけ加えると、著者が「感覚」と呼ぶものは、正しくは感覚ではなく、精神現象、心的現象、意識、志向性、知覚・認識、等である。「感覚」とは、通俗的な言い方であり、理論的ではない。正しく言うなら、心的現象学的英文法、あるいは、意味原型論的英文法、つまり、イデア論・理念型的英文法である。


2007年01月14日(Sun)▲ページの先頭へ
英文法をこわす―感覚による再構築
積ん読だったが、少し読んでみたが、カスタマー・レビューにあるように、文章がいかにも堅苦しい。しかし、「感覚」で英語を捉えるという試みは、成功していると思う。〜ingは、躍動感・生き生き感を表現するというのは、的確である。以下の例文が提示されているが、明瞭である。

I like playing with my kids.
I like to play with my kids.

確かに、前者は、具体性が喚起され、後者は、一般性が意味されている。
 思うに、この「感覚」的「英文法」は、プラトニック・シナジー理論で説明できそうである。この〜ingの場合は、心的主体性だけでなく、身体的他者性を帯びて、両者の間態のエネルゲイアを作用させていて、to 不定詞の場合は、身体的他者性を否定して、心的主体性の連続的同一性の一般的観念を提示しているのではないだろうか。
 また、この本は、多用されている写真やイラストが内容の説明をわかりやすくしている。
 残念なのは、上述したように、説明の日本語が、生き生きとしていないことである。研究論文のような味気ない文体である。せっかくの斬新なアイデアのインパクトが殺がれてしまうきらいがある。

p.s. また、志向性という視点で、本書の「感覚」論を説明できるように思う。著書のいう「感覚」ないし「イメージ」とは、心的感覚、ヴィジョン、意識、直観、想像力等と言い換えることができると思う。


英文法をこわす―感覚による再構築 (単行本)
大西 泰斗 (著)


2006年12月26日(Tue)▲ページの先頭へ
英語の前置詞は、動詞の働きをしているのではないのか
歌を聴いていたら、Let me into your heart.というフレーズがあった。このintoは、enterの意味である。他の用法として、Grape turns into wine.の場合、turnsが変化するで、intoが成るである。両方の場合、前置詞が動詞の働きをしているのである。
 また、他の前置詞の場合を見ると、An airplane is flying over the mountain. のoverは、明らかに、越えるという意味である。山を、飛び越えている、ということである。
 また、結果のtoの場合、He tore the paper to pieces. 彼は、紙をずたずたに引き裂いた、であるが、toは、intoと同じで、成った、という意味である。
 ということで、前置詞は、動詞を兼ねていると言えるだろう。思うに、志向性としての品詞と考えるといいのかもしれない。
 また、副詞の場合は、動詞よりは、方向性の意味となる。They went down to the river.であるが、downは、当然、下の方向へ、という意味である。もっとも、downを前置詞にすれば、動詞となるだろう。They went down the slope.は、彼らは、スロープを下った、であるが、downは、下る、という意味があるだろう。
 英語では、原則として、動詞を一つの文において、二つの動詞を使用しないが、しかし、以上から見るなら、動詞が二つあってもいいことになるだろう。最近は、go and helpをgo helpと言うことが多い。これも、理論的には、問題がないことになるだろう。
 とまれ、結局、志向性、方向性の問題であろう。思うに、原則として、動詞を一つにするのは、一つの志向性・方向性に対して、さらに、方向づけるという、方法を英語が取っているということではないだろうか。そうでないと、実に、不明瞭になるだろう。主になる志向性・方向性が動詞であり、副、従、修飾になる志向性・方向性が前置詞や副詞なのだろう。おそらく、それらは、副動詞とでも呼んでいいのではないだろうか。そうすれば、歌詞のlet me into your heart は、よく理解できるだろう。つまり、動詞・目的語・副動詞・副目的語(これも造語)である。
 敷延すると、例えば、I want to become a pilot.は、通常は、文型では、S+Vか、S+V+Oだろう。しかし、これは、主語・動詞・副動詞・副補語となるのではないだろうか。そうすると、実に明快になるだろう。
 また、さらに言えば、助動詞であるが、これも、副動詞にすれば、わかりやすいのではないだろうか。She can swim.は、主語・副動詞・動詞である。また、He doesn't like swimming. は、主語・副動詞・動詞・目的語となるだろう。そう、疑問文や否定文のdo, doesは、中途半端な存在であったが、これも、副動詞にすれば、明快だろう。
 そうならば、動詞の前に置く、副動詞(前・副動詞)と動詞の後に置く副動詞(後・副動詞)があることになるだろう。前置詞や副詞は後・副動詞、助動詞やdo, doesは、前副動詞になる。
 後で、さらに検討したい。


   




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カレンダ
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