文学・哲学・美術・音楽・映画・舞台・アニメ・漫画

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2007年08月08日(Wed)▲ページの先頭へ
ニーチェのアポロとディオニュソスの二重性の問題:視覚世界と聴覚世界:イデア界と現象界
ニーチェのいわば処女作である『悲劇の誕生』の有名なアポロとディオニュソスの二重性、視覚世界(美術)と聴覚世界(音楽)の二重性について、新たに考察したい。
 現象世界というとき、そこには、視覚的世界であることが強く意味されているだろう。仏教では色の世界である。そして、古代の知恵は、たとえば、プラトンは仮象の世界であり、仏教は空の世界であると説いてきた。
 先に、私は三島由紀夫の文学の二元性、即ち、イデア性と同一性の対立について指摘したが、アポロとディオニュソスの二重性の問題は、これらに関係しているだろう。
 そう、ディオニュソスの問題とは、イデア界の問題であるが、PS理論から精緻に言えば、Media Point(以下、MP)の問題である。言い換えると、エネルゲイアの問題である。ディオニュソスは神であるから、神のエネルゲイアと言えるのである。
 では、アポロという視覚世界、美術の神は何なのだろうか。ギリシア悲劇(ディオニュソス神に奉献された)は、アポロ神の神託が重要な意味をもっている。『オイディプス王』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%
AA%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82
%A3%E3%83%97%E3%82%B9
では、周知のように、スフィンクスの謎を解いたオイディプスが、結局、父を殺害し、母と結婚して、子をもうけていたことが判明し、自分こそ、テーベの秩序を乱していた原因だったのである。
 人間のヒュブリス(傲り)を戒める悲劇であると解釈されているが、ここでは、盲目の予言者ティレシアスの知恵が悲劇的真実を知っているのである。
 盲目ということがキーポイントであろう。晴眼者が無知であり、盲目者が知者なのである。
 ここで、神としてのアポロをおいておき、現象同一性としてのアポロを考えれば、当然、同一性という知ではなく、ディオニュソス的知が、不可視の知が肯定されていることがわかるだろう。
 しかしながら、ギリシア悲劇の複雑さは、実は、ティレシアスの知は、アポロ神の神託である点である。ということは、アポロはディオニュソスとつながっているのである。
 この皮肉・アイロニーは何を意味しているのか。これこそ、真正なイデア論、プラトニズムではないのか。ギリシア人の底知れない深さがあると言えよう。目に見える世界、現象界、仮象は、実は、目に見えない世界、不可視界、イデア界とつながっているという叡知が古代ギリシア人にはあったと考えられる。(ある意味で三島由紀夫の古典主義、アポロ主義に似ているが、三島の場合は、そのような切望であったと言わなくてはならないが。)
 そう、ここで、私自身の経験を想起するが、真夏の海岸での碧空を背景とする太陽を見て、なにか暗さ、闇を感じたが、それは、補色的反応と言えば、その面があるが、光の充溢の奥には、闇があると感じたのである。これこそ、イデア界に通じるのではないだろうか。つまり、闇とは不可視の世界であるということである。
 古代ギリシア人は、光を見つめて、不可視であるイデア界を直覚したのではないだろうか。これが、アポロ神の意味ではないだろうか。アポロ=ディオニュソスである。現象=イデアである。色即是空、空即是色。
 オイディプスは、アポロ=現象の意味を真に把握していなかったのである。現象はイデア界を背景にもっているのである。未だに凌駕されないギリシア悲劇の意味は、このアポロ=ディオニュソス、現象界=イデア界、視覚世界=聴覚世界にあるのではないだろうか。
 見るとは聴くのである。見るとは触れるのである。以上の問題は、近代主義に正に当てはまるだろう。近代主義は、真正の視覚、眼差しを喪失していているのである。(卑近に言えば、小泉前首相のパフォーマンスと真理が区別ができないのである。)現象を物質と見ているのである。現象は物識である。物質意識としての《量子》である。
 思うに、『モダン・アート』とは、本来、トランス・モダン・アートであったが、モダニズムの反動のために、美術史は混乱して、錯誤しているのである。これは、文学にもあてはまる。モダニズム期(最近、モダニズムに対する疑念が起こっていて、間大戦期という用語が使われる。)は、実は、トランス・モダンとモダン的反動との混淆期であったのである。英米文学では、T. S. エリオット、ジェイムズ・ジョイス、エズラ・パウンドの反動的モダンとD.H.ロレンス、ヴァージニア・ウルフのトランス・モダン(W. B. イェイツは、両面があるが、基本はトランス・モダンであろう)が混淆されてモダニズムで括られていたのである。(日本では、宮沢賢治のトランス・モダンと萩原朔太郎のモダンがモダニズムで混淆されているのではないだろうか。)
 後でもう少し検討したい。


2007年08月07日(Tue)▲ページの先頭へ
ハイデガーの『存在と時間1』
本書を読み続けているが、ハイデガーの叙述がくどく、冗長で、内容は意外に乏しいと感じている。
 現存在とは、PS理論から見ると、Media Pointから同一性ヘと展開したときの自己/自我の様態ではないかと思う。気遣いが実存様態であるというが、気遣いとは、Media Pointから発しているだろう。
 結局、現存在とは、Media Pointの差異がなんらか開かれてはいるが、同一性化されている様態と混淆していると考えられる。だから、現存在とは、両義的なのである。一方では、Media Point的であるし、他方では、同一性的なのである。
 また、現存在と他者の関係を共存在と言うが、それは、自己と他者とを区別しない様態であるから、連続性であると言える。PS理論では、他者との共振性を説き、他者との区別をもっている。どうも、共存在のような考えが、民族共同体を肯定することになり、ナチスに一時染まることになった原因ではないだろうか。
 読んでいると、いかにも文章を長くしたと思える繰り返しに気づく。また、文体が、勿体ぶっていて、粘着性がある。この内容なら、少なくとも1/3には縮められるだろう。訳者の渡邊二郎氏の解説には、『存在と時間』の実に明快な簡潔なレジュメがある。

p.s. ハイデガーのいう実存であるが、それは、Media Pointないし特異性をともなった同一性の様態ということではないのか。だから、簡単に差異ないし差異的様態で済みそうである。


三島由紀夫の文学
今日、久しぶりに、駅前の町の本屋に立ち寄り、簡単に立ち読みをした。どういうわけか、三島由紀夫の『鏡子の家』をとって、ぱらぱらとページをめくり、拾い読みした。富士山の樹海のところでの、不思議な経験がなにか不気味で印象深かった。そう、三島由紀夫には、神秘性があることを久しぶりに想起した。
 彼は、思想的文学者であった。あるいは、哲学的文学者と言うべきかもしれない。そう、私の文学の好みは、哲学的な文学である。そして、この系譜は、日本文学では、長く断ち切れている。
 今度、この小説を読んでみるつもりであるが、樹海の緑の経験では、『豊饒の海』にあった「無」が出現している。これは、単にニヒリズムというのは間違っていると思う。なにか深い神秘性をもったニヒリズムなのである。あるいは、宗教的ニヒリズムなのである。ニーチェをさらに宗教化したようなところがあると思う。そう、90年前後、私は、三島とD. H. ロレンスが似ていると、直感的に思ったことがある。しかし、二人は共通性があるが、方向は正反対であると思う。
 今は、予見だけを言うが、肉体を破壊して得る『生』を三島は求めていたが、それは、深いと思う。根源的な差異、超越的な差異、虚界、イデア界を三島は求めていたと思う。肉体は、同一性の仮象(マーヤ)を魂にまとわせるので、イデアに達することが不可能なのである。
 この視点から、三島の「無」とは、イデアのことであると考えられる。思うに、三島の力学は、イデアへの志向性と同一性への志向性との激烈な衝突にあった。死と生である。そして、前者が勝利したのである。後で補足したい。

p.s. 三島はロマン主義を憎んでいた。また、太宰治を嫌っていた。しかし、三島は、十分ロマン主義的であるし、大宰的なものを秘匿していたと思う。ここに三島の問題があると思う。古典主義、アポロ的なものに執着したが、逆に、ロマン主義、ディオニュソス的なものを呼び込んでしまったのではないだろうか。そう、自分の資質にあるロマン主義、ディオニュソス性に取り憑かれてしまったと思う。


2007年08月04日(Sat)▲ページの先頭へ
言語学における構造主義の構築者ソシュールの言語学に関する紹介とデリダによるソシュール言語学の同一
bloghiro-dive氏による、言語学における構造主義の構築者ソシュールの言語学に関する紹介とデリダによるソシュール言語学の同一性主義批判の解説です。なかなか興味深いものです。シニフィアンが同一性になるというのはわかりやすいと思います。
 ところで、『発語という「シニフィエ」と意味される対象としての「シニフィアン」というオリジナルと代理の関係』の箇所は、シニフィエとシニフィアンが逆ではないでしょうか。

p.s. デリダ哲学については、初期デリダと後期デリダに分けて、初期デリダの差延については、ドゥルーズの連続的差異と等質であると述べた。以下の bloghiro-dive氏の説明から見ると、確かに、デリダの同一性や現前性への批判は明快である。そして、デリダは、差延・脱構築理論を説くわけだが、それは、言わば、永遠差異論であり、同一性主義を解体する。しかし、それは、現象における同一性を解体するので、ある種の非現実性を帯びるのではないだろうか。同一性主義の解体だけでなく、同一性も解体していると考えられるのである。
 だから、私は、デリダの「差異」とは、ドゥルーズと同じ連続的差異であると考えたのである。つまり、反同一性としての差異であり、それは、同一性ヘの反動性を含むのである。差異と同一性との調和をもつ理論でなくてはならないが、デリダ哲学はいわば、差異中心主義であり、同一性を否定しているのであえる。これは、同一性主義への反動であり、同一性主義から切断されてはいないと思えるのである。
 後で再考したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・

今回はポストモダンの哲学者、とりわけデリダに直接的に影響を与えている「言語学」の象徴的存在フェルディナンド・ド・ソシュールについて記述します。ソシュールの思索の中身に入る前に、準備的な知識として紹介しておくと、ソシュールはスイスで19世紀から20世紀初期にかけて「言語学」を成立させることに奔走した言語学者です。
http://ameblo.jp/bloghiro-dive
/entry-10042012688.html
差異と反復それでも差異と反復


2007年08月03日(Fri)▲ページの先頭へ
ヘルダリンの詩の思想の画期性とPS理論:差異共振的高次元世界
アメリカの詩人ホイットマンの代表的詩『ぼく自身の歌』を読んだが、ホイットマンのコスモロジーは、やはり、メディア・ポイントから発して、差異共振による共感のコスモスを形成していると思った。言い換えると、高次元からやや超然として共感の詩を詠んでいる。
 さて、私が言いたいのは、ヘルダリンの詩の思想である。タイトルは忘れたが、イエスとギリシアの神々が融和する内容の詩であった。そう、この万有が融合する精神は、その前には、イタリア・ルネサンスのピコ・デラ・ミランドラに見られたが、ヘルダリンにおいては、高貴な詩として結晶している。
 ヘルダリンの思想は、PS理論の先駆だと考えられる。差異共振する超越界=高次元界=普遍界を捉えて、万有を結合させているのである。ハイデガーがヘルダリンに魅かれたのは、ハイデガーの存在が、それに類似していたからだろう。そうすると、ハイデガーの存在は、フッサールの超越性を超えて、超越界へと達していたことになる。この点については、もう少し検討してから論じたい。
 私は、以前、ヘルダリンの詩に魅かれたが、その、いわば、霊性の高さが理解できなかったが、今や、PS理論の視点から、ヘルダリンの詩の霊性と霊的高次元界を理解できるのである。

フリードリヒ・ヘルダーリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
文学
画像:Lit.jpg
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社 ・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人 ・小説家
その他作家
ヘルダーリン
ヘルダーリン

ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・ヘルダーリン (Johann Christian Friedrich Hölderlin, 1770年 3月20日 - 1843年 6月6日 )は、ドイツ の詩人 、思想家 である。

[編集 ] 生涯

ネッカー河 畔の町ラウフェンに生まれる。3歳の時に父を亡くし1779年 にはニュルティンゲン のラテン語学校に入学し1784年 にデンケンドルフの下級僧院学校に入れられた。1786年 にマウルブロン の上級僧院学校に進み、クロプシュトック 、シラー 、またオシアン の詩を読み、多くの詩を自らもつくる。ことに、シラー に関しては、彼の美学論文からも多大な影響を受ける。1787年 南ドイツのテュービンゲン神学校で、ヘーゲル 、シェリング と共に学ぶが、牧師にはならなかった。1794年 頃にはイェーナに行きシラー 、ゲーテ 、ヘルダー を個人的に知るようになり、「断片ヒュペリーオン」がシラーの出している演劇評論に掲載された。家庭教師を経て、ホンブルク方伯の図書館司書を務める。のち統合失調症 を発病し、その生涯の終わりを塔に幽閉されて過ごした。

[編集 ] 関連項目

* シラー
* ヘーゲル
* シェリング
* ホンブルク
* ソポクレス (アンティゴネー )草稿
* 統合失調症
* ハイデガー

[編集 ] 外部リンク

ヘルダーリン協会のヴェブサイト(ドイツ語)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%
95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%
89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%
BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%
80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%
B3 " より作成

カテゴリ : ドイツの詩人 | 1770年生 | 1843年没

Hikaru's Home Page -Hoelderlin-

Hoelderlin



ヘルダリンの詩(ドイツ語)

http://gutenberg.spiegel.de/?id=1
9&autor=H%F6lderlin,%20%20
Friedrich&autor_vorname=%2
0Friedrich&autor_nachname=
H%F6lderlin



2007年07月31日(Tue)▲ページの先頭へ
ハイデガーの葬儀のとき、朗読されたヘルダーリンの詩句
ハイデガーの『存在と時間1』の中公クラシックスの訳はとても分かりやすく、名文の日本語になっていると思う。原佑、渡邊二郎訳となっている。後者が旧版を改訳したことになっている。
 とまれ、解説に載せられている、ハイデガーの葬儀のとき、息子によって朗読されたヘルダーリンの詩句がすばらしい。ぜんぶのっていないのが残念だが、第五の詩句がすばらしい。以下、引用する。

『第五の詩句は、「われわれは、開かれた場[das Offene]を見つめ」、「たとえどんなに遠くとも、一つの固有なもの[ein Eigene]を求めよう」と訴え、「一つのものだけが確固としている」と述べ、「万人に共通な一つの尺度がつねに存立しており、しかしそれぞれの者にはまた固有のものが授けられており、誰もがそれぞれ、おのれの進みうるところへと進み、帰り来たりうるところへ帰り来るのだ」と歌っている。』p. 16〜p. 17 

「開かれた場」とは、プラトニック・シナジー理論では、メディア・ポイントである。そして、「一つの固有なもの」、「万人に共通な尺度」とは、イデア=超越的差異であろう。ヘルダーリンは、ポスト・モダンというか、プラトニック・シナジー理論を証する詩人である。
 そう言えば、今年の冬見た、一連の不思議な夢で、初老の男(老賢者)が、ヘルダーリンの研究するために、山に行くと言っていたのである。これで、ヘルダーリンとつながったのである。ヘルダーリンはイデア界を直感していたのである。古代ギリシアへの深い愛着は本質的なものであったのである。


2007年07月29日(Sun)▲ページの先頭へ
ハイデガーの存在論とプラトニック・シナジー理論
ハイデガーの存在論は、興味深い。デリダ哲学よりも、興味深い。何故なら、デリダは超越性を否定しているのに対して、ハイデガーは肯定しているからである。
 思うに、これまでの考えとは異なるが、確かに、ハイデガーは、フッサールの超越性の思想を受け継いだが、それを存在者、現存在に結びつけて考えているのであり、この点がフッサールの異なっているのである。超越性=存在とするなら、それを存在者、現存在と連続化しているのが、ハイデガーである。そうすると、超越性は超越性ではなくなるだろう。ここにハイデガーの矛盾があるのではないだろうか。だから、先にも述べたが、ポスト・モダン哲学の先駆である。
 結局、ハイデガーは、超越性(存在)と同一性(存在者)との関係に基づき、同一性の様態から超越性に接近しようとしたと思われるのである。しかしながら、同一性からは、超越性の理解が不可能であると思われるのである。主著『存在と時間』は未完で終ったのは、この殊に関係しているのではないだろうか。
 やはり、ハイデガーは、超越性と同一性を連続化していると思うのである。プラトニック・シナジー理論は、両者を不連続のものとして、分離するのである。
 フッサールは超越性を同一性と重ねたが、中心は超越性にあった。しかし、ハイデガーは両者を連続化させて、同一性から超越性を捉えようとしたのである。
 後で、整理したい。


2007年05月31日(Thu)▲ページの先頭へ
政局詩:日本の指導層並び奴隷層に捧げる
お金とは何ぞ哉
お金は、正に、同一性欲望のメディアである。
お金があると、物質的にうれしい。
でも、本当か、そうではないだろう。
お金があっても、それだけでは、ご飯にはならない。
お金の物質的メディアとしての価値が嬉しさを生むのだろう。
おいしい食べ物を買うことができるし、広い家に住むことができるし、
快楽を満足できる。
快楽とは何ぞ哉。
快楽とは、同一性欲望の快感である。
差異の歓喜ではない。
歓喜と快楽は異なるだろう。
そう、だから、政治家や官僚ややくざは、快楽を求めている。
同一性の奴隷である。
同一性の奴隷の奴隷が国民である。ダブル奴隷である。
問題は、歓喜を生活に取り戻すことである。
快楽は、酔いどれだ。
歓喜は、高潔だ。
安倍首相殿、あなたは、快楽人間なのですね。
集団的自衛権の行使という快楽
愛国心という快楽
戦後レジームからの脱却という快楽
等々
そこには、歓喜はなく、快楽があるのです。
酔い痴れた、酔いどれの快楽の日本
ここには、歓喜の高潔さはない。
いったい何を考えているのか、指導者やその奴隷たちは。
快楽は、同一性欲望であり、物質身体に関係する。
物質身体は滅びる。
しかし、歓喜は、差異であり、それは、滅びない。
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all
Ye know on earth, and all ye need to know.
「美は真であり、真は美である」―これは
  地上にて汝らの知る一切であり、知るべきすべてである。
http://www.kitashirakawa.jp/taro/eigo40.html
A thing of beauty is a joy for ever: (美しいものは、永遠の歓喜である。)
Its loveliness increases; it will never
Pass into nothingness; but still will keep
A bower quiet for us, and a sleep
Full of sweet dreams, and health, and quiet breathing.
http://www.readprint.com/work-889/John-Keats
とイギリス・ロマン派詩人ジョン・キーツが言った。
この国の指導者は、はかない快楽lustを求め、また、この国の奴隷は、快楽を快楽する。快楽二重奴隷である。
安倍首相の求めているのは、醜悪な国である。
醜悪な国造りである。
恐ろしいペテン師である。
どうか、美という言葉を汚さないでほしい。日本語を汚さないでほしい。
安倍首相においては、すべてが転倒しているのだ。
倒錯である。
私は小泉前首相を忌み嫌ったが、
安倍首相に対しては、大嫌悪感を抱く。
あなたはいったい、日本をどうするおつもりか。
日本を反吐の出る国に変えたいようだ。
また、日本の指導層ならびに奴隷層、滅びの快楽に酔い痴れる馬鹿どもよ、
高潔なる歓喜・真理に目覚めるがいい。
差異は、路傍の花である。路傍の草である。
そこに、美があるのである。
小さな差異の世界、そこに真があり、美があるのである。
快楽は、獣的である。
そう、近代とは、獣人化である。
トランス・モダンの差異の歓喜・真善美に生きよ。


2007年05月30日(Wed)▲ページの先頭へ
批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (新書)
批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (新書)
広野 由美子 (著)

文学批評理論の、いわば、コンビニである(昔なら、萬屋です)。
簡単にまとまっていて、文体も読みやすい。
また、『フランケンシュタイン』という作品を対象にしているので、具体性がある。
 ところで、このように、いわば、百花繚乱のように批評理論があり、また、整理されるのを見ると、文学研究における理論の時代は終焉したと言わざるを得ないようである。私自身、批評理論や思想に深く関与してきたので、この意味を考える必要がある。
 人間の認識の問題である。文学作品において表現されていることを、理解しようとするのは、人間の認識の本性である。しかしながら、この表現されていることがらは、批評理論的には、たとえば、家父長制であると確認するはいいとしても、それで批評することになるのだろうか。
 思うに、批評理論は、多様な視点をもたらしたという点では評価できるだろう。文学作品のもつ多様性・多義性を明らかにしたのである。
 しかしながら、それらの多様な視点は、様々な引き出しのようなもので、インデックスである。それは、私という特異性にとっては、単に一般的な事柄である。
 思うに、私にとっての文学作品とは、特異なものである。私にとっての特異性が、批評の対象となるのである。だから、私は、批評理論を超えるトランス批評理論として特異性批評を唱えたい。確かに、ポストコローニアル批評、脱構築批評、フェミニズム批評、等々、興味深いが、私は、特異性批評を主張する。
 例えば、取りあげられている『フランケンシュタイン』であるが、私ならば、どうして、女性である作者メアリー・シェリーがこの恐ろしい作品を書くことができたのかが驚きであり、これが私にとっての特異性なのである。
 そこから考えると、フェミニズム批評が、役に立つのである。とまれ、この驚きは今でもある。また、美と醜の併存の問題も私にとっての特異性である。ここには、人生の苦い真実があると思うのである。理想と現実である。そう、作者メアリー・シェリーの偉大さは、この分裂を安易に解決せずに、亀裂のまま残しておく勇気があったことではないだろうか。


2007年05月20日(Sun)▲ページの先頭へ
Affordanceアフォーダンス
私はアフォーダンスに関する本は読んだことはないが、説明をPS理論から見ると、アフォーダンスとは、主体と客体(他者)における差異共振性を客体側から見たものがアフォーダンスではないかと思われる。

 説明では、主観・主体側の関与を否定して、客体側のもつ諸情報だけを説いているようだが、それでは、近代的二元論的である。そうではなくて、主体と客体との間の差異共振シナジー様態における客体側に想定できる視点を指しているように思えるのである。

 思うに、ゲシュタルト理論が、同一性のパターンに限定されているのに対して、アフォーダンスは、脱同一性ないし脱構造性を志向していて、差異情報を取りだしているように思える。おそらく、対象のメディア・ポイントを感知・察知して、その潜在性を認識するのである。

 しかしながら、問題は、ここでも、連続性と不連続性の問題である。アフォーダンスでは、これを明確に区別していないように思える。例えば、椅子のテクスチャーの情報とは、それは、連続的情報になるだろう。つまり、椅子という同一性に限定された情報というこうことである。不連続な差異情報は、椅子という同一性を超えて、差異共振化するのである。トランス・アフォーダンスである。




affordance

「与える、提供する」という意味 の英語 、アフォード (afford)から、米心理学者 のジェームス・ギブソン が1950年代後半に作った造語 。日本 では佐々木正人 東大 情報学環 教授 が紹介。

物体の持つ属性 (形、色、材質、etc. )が、物体自身をどう取り扱ったら良いかについてのメッセージ をユーザに対して発している、とする考え。

「環境が生き物に提供するもの」を指し、例えば水は、人間にとって「のどの渇きをいやす」や「溶かす」などのアフォーダンス である。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/
%A5%A2%A5%D5%A5%A9%A
1%BC%A5%C0%A5%F3%A5%B9


紙はわれわれに何かを与えているのである。イメージをもたらしているだけではない。われわれに動作を促しているのだ。その何かを与えているということを「アフォード」(afford)という。「〜ができる」「〜を与える」という意味だ。紙はわれわれにさまざまなアフォードをしているわけである。われわれが何をしなくとも紙はいろいろなアフォードの可能性をもっている。
 そのようなアフォードの可能性がいろいろあることを、この紙には「アフォーダンス」(affordance)があるということにする。そういう用語で、対象がもつアフォードの可能性をよぼうと決めたのはジェームス・ギブソンである。
・・・
それよりも、パイロットが感知する「地面」のサーフェス感覚(面性)やテクスチャー感覚(きめ)のようなものが、運動知覚を支えているのではないかと思うようになった。また、そのようなサーフェスやテクスチャーが光の当たりぐあいや勾配の持ちかたによって、運動知覚者のコントロール感覚を制御していることを知った。



http://www.isis.ne.jp/mnn/
senya/senya1079.html



アフォーダンス理論⇒情報は環境そのものの中に実在する。知覚者が意味付けをしているのではなく、環境からピックアップしている。

http://www5b.biglobe.ne.jp/
~nitti/kaken/3/affodance.html




2007年05月19日(Sat)▲ページの先頭へ
ファッションとは何哉:3:感覚・身体と非感覚・身体とのゆらぎ
ファッションとは何哉:3:感覚・身体と非感覚・身体とのゆらぎ

ファッション・ショーは不思議な空間である。季節のアレゴリーのようなモデルが出てきては、たちまちは、振り返り、返っていく。先にも述べたが、イデア論的である。イデア界から現われて、魅惑する現象を生み、すぐさま、イデア界ヘと消えていく。
 今日、感じたのは、官能性があると同時に、非官能性であるということ、お人形のようでありながら、同時に、なにか、個別性を隠し持っていること、あるいは、まったく、知的には空虚のように見えながら、デザイナーの知的計算があるということ、等々、即非がここでは、表現されているのである。
 プラトニック・シナジー理論PS理論から言うと、メディア・ポイントMedia Pointの表現ということになるだろう。そう、また、仏教性も感じるのである。空である。色即是空である。ファッション・ショーは、深淵な哲学・宗教をもっているのである。

Japonesian Transcendental Creation


2007年05月13日(Sun)▲ページの先頭へ
蛙鳴く
久しぶりに、田舎へ来て、網戸の窓から、蛙のころころ鳴く声が、珍しいので、俳句を書こう。

五月なり

田舎の夜は

蛙鳴く


ころころと

耳に乾いた

玉の声


さまざまな

響きの混じる

夜の窓


生きるとは

衰えることなり

支出増え


タクシーの

腰低き運

転手かな


ひさしぶり

海への散策

日曜日


風光の

川沿い木立

庵かな


愚かかな

痴愚陶酔

因果なり


耶蘇教は

死者復活の

救い説く


悪魔とは

男性意識

のことなり


アメリカは

一枚岩の

国でなし


旅をせず

思いは山川

かけめぐる


イラク戦

死者の正義

永遠なり


生者とは

死者予備軍

ひとときの


死者の霊

それらは何を

語るのか


親達は

子どもの未来

犠牲とし


若からば

国旅立ちて

武者修行


ハムレット

死にて夢見る

死は眠り


たのしみは

光と風に

染まるとき


2007年05月08日(Tue)▲ページの先頭へ
志向性の終点と現象的メディア・ポイント:他者存在に対する連続的混濁意識としての現存在
以下、bloghiro-dive氏のハイデガー哲学の梗概である。私は、ハイデガーについては、詳しくないので参考になる。
 そう、私が考えていたハイデガー哲学のイメージとほとんど同じである。ただ、私がハイデガー哲学に疑問を感じるのは、現存在や存在の概念がそれほど斬新なものなのかということである。不安や死に臨む態度(?)等は、既に、宗教や文学で語られてきたものではないだろうか。
 私は、ハイデガーの存在とは、PS理論のメディア・ポイントMEDIA POINT、それも、現象的MEPOであると思っている。そして、これは、連続的同一性的自我においは、明確に意識されていないので、不安や恐怖を引き起こすと思われるのである。
 つまり、現象的MEPOは、超越的MEPOと即非的共振しているので、超越性、宗教性、形而上学性へと通じるのである。これが不明確なので、自我は不安を感じると思うのである。死に臨む態度とは、正に、超越性等への関係に通じるのである。
 先にも述べたが、ハイデガーは、フッサールの志向性(超越的志向性)の終点の構造とその主観的様態において哲学していると思えるのである。確かに、この構造的主観様態は、存在様態を取るだろう。でも、この新しさが私にはわからないのである。
 そう、確かに、フッサールは、ノエシス/ノエマの彼岸の他者・差異を明確にしなかった。志向性の終点では、他者があるはずである。その他者の存在をハイデガーは捉えようとしたが、その他者の存在に対する主観的様態を現存在として叙述したのではないだろうか。つまり、現存在とは、個・差異・自己が他者の存在に対する主観様態なのである、ということではないのか。
 そうすると、問題は、ほとんど、ポスト・モダン様態である。他者の存在が差異であり、個・差異・自己という主体であるが、それが連続的同一性自我である。つまり、主体をハイデガーは、個・差異・自己と捉えていずに、連続的同一性自我として捉えていたと思う。
 だから、やはり、まったく、ドゥルーズと同じ様態にあったのである。即ち、差異と同一性との連続的様態である。つまり、現象軸におけるメディア・ポイントMEPOの連続的矛盾様態なのである。
 結局、志向性の終点の他者存在をどうするかが、ハイデガーの問題であったと言えよう。しかしながら、これは、カントの物自体の問題と共通だと思われるのである。カントは、超越的形式で連続性を切断して、その形式に限定した。そして、超越的形式の彼岸に物自体が生起したのである。これは、ほとんど、フッサール現象学と似ている発想であろう。
 ただ、フッサールは、超越的形式の彼岸に志向性を求めた点がカントを超えていた点であろう。
 結局、私には、ハイデガーは、連続性の混濁した認識で哲学したように思えるのである。端的に、言えば、物自体を存在に言い換えているだけのように思えるのである。単なるレトリックではないのか。私には、ハイデガーは、20世紀のソフィストに思えるのである。
 もっとも、評価しうるならば、フッサールがあいまいにした、志向性の終点に存する他者を把握しようとした点ではないだろうか。

_______________

言語についての差異と反復第十七章・総論第十三節
さて、「存在と時間」を鳥瞰した。ここで、ハイデガーの残した功罪を語らねばならない。まず、昨日示唆しておいたが、ハイデガーは「存在と時間」以後、現存在の考察を積極的にすることはない。この大著以後、ハイデガーは「存在と非存在」についてのみ思索を継続する。これは、「存在と時間」の帰結としては当然のことで、当初からハイデガーは「存在と時間」で、現存在の様態を規定する「存在そのもの」を明白にすることが終点だとしていたからだ。しかし、「存在と時間」では現存在の様態の考察及び、現存在を実存させる時間性(死へ向かうあり方)」を開示するに終わった。これでは「存在そのもの」が定位されたといえず、そのためハイデガーは終世、「存在そのもの」というものへの思索を続けることになる。ここで、昨日私は「存在と時間」は、実は存在を語るために、死を語ろうとする試みに相違ないといったことを思い返してもらいたい。この原理論の序論から述べているが、存在者を証明するということは、当該存在者のみで充当するような論理の構成は矛盾をはらみ、不可能である。それゆえ、ハイデガーが現存在を実存たらしめる「存在そのもの」を語ろうとした当初の目的は、存在と真逆の「非存在」を語るほかない。そのためには、非存在を定義する必要があるが、「無いものを語る」行為とは論理矛盾以外なにものでもない。それゆえ、ハイデガーの「存在と時間」は、新しい主体=現存在として人間を定位し、実存という視座を古典的主観論と取り替えたことは、間違いなく有意義であるが、存在論としては未完の域を脱していない。否、「存在そのものを定義するために非存在を定義しなければならない」という、さらに困難な問題を残したといえる。このようなコンテクストを念頭に考えると、「存在と時間」とは「生と死」や「存在と非存在」、「現存在と非存在」というタイトルに置き換えて読むこともできよう。このように、残された問題のひとつは、「存在そのもの」が定義されなかったこと。そして、もうひとつは「現存在と存在」の関係において、存在そのもの側が現存在の実存(あり方)を規定するのか、現存在の実存が存在を規定するのかという問題である。簡単にいうと、現存在が実存するがゆえに存在を語ることが可能なのか、存在そのものという概念が先行してあるがゆえに現存在の実存を語ることが可能なのかということである。俗言的にいえば、「鶏が先か卵が先か」というようなこと。これについて、ハイデガーがどのように考えていたかは見解の分かれる部分だが、「存在と時間」の立場でいえば、現存在の実存が先行するという捉え方が普通であろう。しかし、後世、「存在と非存在」を思索するハイデガーは、この問題を「性起=Ereiknis」という用語で呼び、同時的、双方向的と捉えようとする。そのため、この部分は曖昧であり、どちらとも読める。専門的には、「性起=Ereiknis」という概念を使用した時点を分岐点と考え、「存在と時間」のときは現存在の実存が存在を規定できる(語ることができる)と考えていて、「性起=Ereiknis」をもって、逆に存在そのものが現存在の実存より先行、規定するのだという思索の転回(ケーレ)をいう場合もある。しかし、存在が先であろうが、後であろうが、存在を語ろうとすると非存在を語ることが必要となるのであるから、この思索は遭難者のごとく現存在の実存から離れ、詩的な世界観を漂うことになる。そのため、後期ハイデガーの思索は詩的かつ、非常に読み解くことが困難で、その読みに現在でも意見が分かれている。長々と問題点を語ったが、整理すると、ハイデガーの残した問題は、「存在そのもの=非存在」を定義できなかったこと。また、現存在と存在そのもののどちらがアプリオリな概念なのかを定位できなかったこと。これは、現存在が存在=非存在を語ることができるのか、無理なのかと言い換えて考えていい。そして、最後にこれが大きな後の哲学の課題となるのだが、ハイデガー以前の実存性のない(人間味のない)認識論的主体から、人間を新たに現存在と定位したことで実存という地平=視座(考え方)を開いたが、これは実はデカルトやカントの嵌った罠と同じものであった。その罠の意味とは「万人妥当」という概念のことである。後世、レヴィナスはハイデガーの哲学には「他者がいない」と批判したが、まさしく現存在=人間一般とすることで、個としての実存が捨象されてしまう。逆説的だが、ハイデガーは「今」、「ここにいる」、「誰でもない私」を現存在という概念で表現したのだが、結果的には「個=ケース=誰でもない私」という他者性を消去してしまった。実存がそれぞれの個のものであるにもかかわらずである。それゆえ、ハイデガーの後に続く哲学者たちは、この「他者性」を哲学から取り戻すことを中心的課題としてポスト=モダンと呼ばれる思索を展開させてゆく。また、他方ではハイデガーの「現存在と存在そのもの」という思考方法を引き延ばして、世界の現象を構造的に表層と深層で把握しようという構造主義というムーブメントも起こる。このように、ハイデガーの「存在と時間」に端を発し、現代哲学、学問全般があり方を問われることになった。次週は、ハイデガーの後に残った課題をどのように現代哲学、社会科学が乗り越えようとするのかを考察したい。
★回顧★
いささか乱暴にハイデガーの「存在と時間」とそれ以後の思索を鳥瞰したにすぎないが、内容的には全覧できたのではないかと思う。ハイデガーは、哲学史を遡行し「解体」することを目標に「存在と時間」を書き、そして実際にニーチェやアリストテレス、フォアゾソクラティーカ(ソクラテス以前の哲学者)でその「解体」を実演してみせる。ハイデガーは、ソクラテス、プラトンに始まる西洋形而上学の歴史とは「存在忘却」の歴史だとして哲学史を再構築するのである。そして、本質存在(〜である)ではない、事実存在(ある)という存在そのものを問い続ける。が、本文でも指摘したとおり、自己を語るのに他者が必要なように、存在そのものを語るには非存在を語る必要があり、「性起=Ereiknis」論などをもちだすこととなる。いわば混乱状態といっていい。また一方で、パルメニデスのいうように「あらぬものについては語れぬ」ということがハイデガーを悩ます。同時に、現存在そのものに存在がそもそも開示されるのかどうかというものも問題となる。開示されるとなると、現存在が存在を規定できる立場になり、存在そのものよりも先行してしまうからである。そのため、「存在と時間」以後は、現存在というものを語ろうとしない。また、ハイデガーの構築した「存在論」としての哲学史は、レヴィナスなどは暴力だという。このコンテクストは簡単に受けとめるわけにはいかない。確かにハイデガーは、それまで支配的だった哲学史観を一変させてみせ、「存在論」という地平を開いたが、それは他方で別の解釈を疎外しかねないことにもなる。また、人間を現存在一般で呼ぶことにより、個の存在を消滅させてしまったことは事実である。それゆえ、後世デリダはハイデガーの後を追い、哲学史の再再構築を右往左往しながら進めることになる。「存在と時間」は、確かにハイデガーの目論見を破って失敗には終わったが、哲学を一変させたことは事実であり、ハイデガーの「存在論」によって後世の実存主義やポストモダンに大きな影響を与えたことは否定できない。ただし、一方で忘れてならないのは、ハイデガーは「存在そのもの」を語り得たとはいえないということである。これは逆説的に、存在を語る行為そのものがいかに困難なものかということを反証しているだろう。
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/
entry-10033019627.html
差異と反復それでも差異と反復


メモ:高橋哲哉著『デリダ 脱構築(現代思想の冒険者たち 28)』講談社
先に書いたが、後期デリダは、初期デリダを乗り越えている。「すべての差異はまったく差異だ。」
 PS理論から見ると、脱構築の対象となった形而上学とは、実は、連続的同一性の論理・理性のことである。だから、決定不可能性というのは、正に、特異性としての差異である。そして、それを、後期デリダは把握しているのである。この点で、デリダは、完全に、ドゥルーズを超えているのであるし、初期デリダを越えているのである。
 そして、特異性としての差異とは、正に、メディア・ポイントMEDIA POINTである。ここにおいて、真の倫理・道徳が始まるのである。実践的理性という超越的理性が発動するのである。そして、これは、差異共振性なのである。
 思うに、後期デリダは、決定不可能である特異性としての差異を捉えていたが、それが、超越的差異、超越的共振差異であることまでには、達しなかったと思う。そう、不連続的差異までは、達していたし、それが、他者への倫理的志向をもつことまでも達してはいたが、超越差異共振性、超越共振差異性までには、達しなかったと思う。


2007年05月06日(Sun)▲ページの先頭へ
ハイデガーの存在論とPS理論:ハイデガーの存在と志向性とメディア・ポイント
ハイデガーの存在論とPS理論:ハイデガーの存在とは、メディア・ポイントMedia Point、とりわけ、実数軸(現象軸)的メディア・ポイントであると思われる

フッサールの志向性は、超越的な志向性であるが、それが、本来、他者・差異への志向性であることまで、フッサールは把握できずに、相互主観性・間主観性に留まったと考えられる。言い換えると、ノエシスを、同一性に留めてしまっていると思えるのである。だから、ノエマは、同一性の観念である。そして、ノエシス/ノエマの外部に差異・他者が存するのであるが、それを、フッサールは、相互主観性において把捉しようとしたのである。
 私見では、相互主観性とは、差異共振性に近づいているのであるが、フッサールは同一性から差異へと飛躍できなかったので、相互主観性に留まったと考えられる。おそらく、なんらかの差異共振性をフッサールの相互主観性には、潜在していたとは思えるのである。
 これを、PS理論から見るとどう解明できるだろうか。自己認識方程式i*(-i)⇒+1の視点から見ると、フッサールの志向性は、⇒である。そして、⇒ の終点ないし先端を相互主観性としたのである。このとき、この終点・先端は、連続=現象的メディア・ポイントである。ここは、否定・連続的同一性へと志向するのである。この先端の志向性を否定・連続的同一性志向性、簡略化して、連一的志向性と呼ぼう。本来の⇒の志向性とは、差異的同一性(差一性)の志向性であると言えよう。つまり、志向性は、本来、差一性志向性であり、連続・現象的メディア・ポイントにおいて、連一性志向性に転化するのである。
 しかしながら、実際は、複雑である。連続・現象的メディア・ポイントにおいて、志向性は、差異共振性と連一性へと自己分裂するのである。簡単に言えば、差異と同一性に分裂するのである。西洋史を見ると、ルネサンスとは、連続的ながらも、差異共振性に基づく同一性の展開であったと考えられるのである。ネオ・プラトニズムとは、差異共振性と同一性との連続的結合に基づくであろう。
 そして、初期近代は、デカルトに見られるように、差異という個に基づいた同一性哲学が生まれたのである。コギト・エルゴ・スムとは、差異は同一性であるということである。つまり、差異的同一性を説いていると考えられるのである。しかしながら、デカルトは、心・精神において、差異的同一性を説いたが、身体・物質を分離させたままで、統一することはできなかったのである。そして、スピノザやライプニッツの登場となる。デカルトの差異的同一性であるが、それが、近代的合理主義の理性、言い換えると、連続的同一性理性へと還元されたことに問題があったと言えよう。つまり、デカルトは、差異にある連続的同一性しか見なかったと言えよう。そして、差異を進展させたのが、スピノザであり、ライプニッツであったと言えよう。
 とまれ、デカルトは、初期近代の差異を連続的同一性化させたと言えよう。差異から同一性である。まとめると、初期近代における志向性による差異と同一性の分裂において、デカルトは、差異から同一性へと方向付けたと言えよう。
 そして、同一性は、周知のように、近代的合理主義、近代的自我を生んだのである。そして、同一性が進展するが、差異は取り残されたままであったのである。ここで、反近代主義や非合理主義が生まれることになったのである。しかしながら、根源は共通である。志向性の終点のメディア・ポイントの二重性である。だからこそ、イギリス・ロマン主義は、啓蒙思想とは、切り離せないという事態が生起したのである。
 さて、近代において、結局、志向性は、メディア・ポイントにおいて、差異と同一性に分裂し、それが、近代の多様な分裂・混乱を生んだと言えるのである。そして、カントが差異と同一性を切断して、同一性を批判・規定する。そして、ヘーゲルが、同一性から統一論を立てたのである。そして、その後は、西洋哲学史の教科書にあるような展開をしたのである。シェリング、キルケゴール、ニーチェ、初期マルクス等の反抗は、差異の奪回・復帰であったのである。それも、特異性や超越性に基づくものであり、不十分とは言え、超越的差異に達していたと考えられるのである。(これまで、マルクスの精神性については述べてこなかったが、マルクス【初期であれ、中・後期であれ】の共産主義には、差異共振的精神が存していると考えられるのである。単に、唯物論ではないのである。)
 とまれ、彼らは、同一性近代に対して、鋭敏な、あるいは、鋭敏過ぎる批判を提起したのである。なぜなら、近代の超越の視点を与えたからである。
 さて、その後、フッサール現象学が出現して、意識の根本様態を定義したのであり、また、その後、ハイデガーの存在論/実存論が出現した。ハイデガーの存在論/実存論とは、結局、志向性の先端における差異と同一性の分裂性をもつ、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異と同一性の混交・混合・混濁様態において、差異が連続的同一性にもたらす主観的様態を説くものであると思われるのである。即ち、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異と同一性との混合様態における、差異が同一性にもたらす主観的様態の哲学である。これが、存在論的様態と呼ばれうるものであろう。つまり、ハイデガーの存在とは、実は、差異、しかも、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異であったのである。換言すると、連続的差異であったのである。この点で、ベルクソン/ドゥルーズの差異=微分哲学と共通なのである。違いは、ハイデガーが、差異の同一性への主観的様態を説いたのに対して、ベルクソン/ドゥルーズは、連続的差異の構造性を説いた点にあるだろう。言い換えると、両者、志向性の先端=連続・現象的メディア・ポイントを説いているのであるが、ハイデガーは、その主観的様態を説き、ベルクソン/ドゥルーズは、客観的形式を説いたと考えられるのである。換言すると、両者、フッサールの志向性の先端の形式と内容を問題にしていたと言えよう。だから、実存主義と構造主義の関係であるが、共通の連続・現象的メディア・ポイントの内容と形式との関係にあると言えよう。
 とまれ、以上で、本稿の問題は終えたこととしよう。ここで、広義のポスト・モダンの問題について言及すると、結局、19世紀の脱近代の巨人とフッサール現象学との関係の整合性にあったと言えよう。
 一方は、超越的差異(共振性)であり、他方は、超越的志向性である。ポスト・モダンは、差異の理論によって、近代的同一性を乗り越えようとしたのであるが、結局、ドゥルーズ&ガタリはフッサールの超越的志向性を理解できずに、構造主義に留まったのである。そして、デリダの脱構築理論であるが、それは、現前批判、ロゴス中心主義批判、二項対立批判を行い、志向性の先端である連続・現象的メディア・ポイントの様態をもつ理論を批判して、現代的な脱構造性を示唆しえたのである。言い換えると、フッサールの志向性⇒の始点を示唆しえたのである。それは、いわば、直観であったろう。直観として、デリダには、超越的差異を感得したのであろう。しかし、ロゴス中心主義を批判するデリダは、差異と同一性の共立する矛盾態を論理・ロゴス化することは、当然、禁じられていて、袋小路に陥ったのである。デリダは、プラトンのパルマコンやコーラを提起して、なんとか、差異と同一性の共立矛盾態を捉えようとするが、論理・ロゴス化をタブーにしたので、反合理主義に留まったのである。デリダが日本哲学や神秘主義者のウスペンスキーの思想に接していれば、差異と同一性の共立矛盾態が、即非の論理、絶対矛盾的自己同一性、偶然性の論理、又は、「第三の論理」として、結論が出ていたことを発見したであろう。
 では、どうして、デリダは、それらに触れなかったのであろうか。それは、デリダ自身の西洋ロゴス中心主義の限界ではないだろうか。東洋・日本哲学、ロシア神秘思想に接すれば、結論が出ていたことを発見したはずである。ここに、デリダの西洋自民族中心主義があると言えよう。あるいは、西洋哲学のアカデミズムの限界があると言えよう。あるいは、フランスの中華思想が原因であろう。(後で、脱構築理論について、PS理論から整理する予定である。)
 結局、デリダは、連続・現象的メディア・ポイントを超えて、志向性の始点・起点を示唆したのであり、また、そこに留まったのである。
 後は、不連続的差異論、そして、それを質的に進展させたプラトニック・シナジー理論の創造の説明になるのである。以上の論点から見ると、前者は、志向性の始点・起点を脱構築理論以上に明確化したことにあるだろう。即ち、不連続的差異という志向性の始点・起点を提起したのである。そして、PS理論であるが、これは、不連続的差異論を、超越的差異共振イデアを数学的に提起することで、はるかに凌駕したのである。


2007年05月04日(Fri)▲ページの先頭へ
哲学のもたらす豊かさ
普通の人は、哲学を、抽象観念的で、現実離れした、難しいことをゴチャゴチャ言っているように捉えているだろう。「そんなもん」は、生活には役に立たないとたかをくくって考えているだろう。
 それが、凡人の浅薄というものである。今は、詳述しないが、簡単に言えば、哲学を無視しているから、現代日本人は、幸福にならないのである。哲学は、考えるための大地である。哲学が無ければ、思考は流行に流されるだけである。もっとも、日本の哲学は、流行的である。私が言うのは、アカデミズムの哲学ではなくて、自己哲学である。個哲学である。哲学とは、道元的に言えば、自己を習うことなのである。だから、本来、アカデミズムの哲学は、意味がないのである。
 自己、個こそが、哲学の対象なのである。結局、自己哲学によって、普遍的思考を学ぶのである。これが重要なのである。この普遍的思考によって、何が、自己の創造的生活のために必要なのかがわかるからである。つまり、自己の豊かさのための知恵が生じているのである。ここにおいて、正当な判断力が生じると言えよう。哲学がなければ、愚かな人生を歩み、国を滅ぼすのである。


2007年04月27日(Fri)▲ページの先頭へ
大西赤人とは何ぞや:文学の死と叡知の死
以下で、大西赤人氏は何を言いたいのだろうか。長崎市長選で勝利した田上氏は、利権関係が強い人間である。このような人を選ぶのが健全な判断力なのか。

★引用開始
《とはいえ、この長崎市長選は、最近には極めて珍しく日本(人)の健全な判断力が発揮された一幕だったと思うほどで、日々報じられるニュースに接していると、最近流行りの「モラル・ハザード」なる一語がついつい頭に浮かんでしまう。
http://www.asahi-net.or.jp/
~HH5Y-SZK/onishi/colum339.htm 》
★引用終了


高校野球の「モラルの衰退」論は何なのだろうか。

このような人間が作家だとするなら、やはり、日本文学は地に落ちたのである。


作家が思考力・洞察力を失ったときは、その国民は危険な状態にあると言えよう。それは、叡知・知恵の死を意味するのであるから。

死せる魂である。

Japan Bridge has fallen down,
Fallen down, fallen down,
Japan Bridge has fallen down,
My blue Land.



ところで、飛躍するが、最近、W. H. オーデンの短詩を読んで、内容のくだらなさ、空疎さ、凡庸さにあきれた。ほとんど、白痴である。
http://en.wikipedia.org/wiki/W._H._Auden


参考:
以下の詩を読んだのではないが、以下参考にあげておきたい。

p.s. この詩も白痴的である。きわめて、稚拙である。シュールレアリスム風を模倣しているが、幼稚な内容である。オーデンとは、オードン大鈍である。

As I Walked Out One Evening
by W. H. Auden

As I walked out one evening,

Walking down Bristol Street,

The crowds upon the pavement

Were fields of harvest wheat.



And down by the brimming river

I heard a lover sing

Under an arch of the railway:

'Love has no ending.



'I'll love you, dear, I'll love you

Till China and Africa meet,

And the river jumps over the mountain

And the salmon sing in the street,



'I'll love you till the ocean

Is folded and hung up to dry

And the seven stars go squawking

Like geese about the sky.



'The years shall run like rabbits,

For in my arms I hold

The Flower of the Ages,

And the first love of the world.'



But all the clocks in the city

Began to whirr and chime:

'O let not Time deceive you,

You cannot conquer Time.



'In the burrows of the Nightmare

Where Justice naked is,

Time watches from the shadow

And coughs when you would kiss.



'In headaches and in worry

Vaguely life leaks away,

And Time will have his fancy

To-morrow or to-day.



'Into many a green valley

Drifts the appalling snow;

Time breaks the threaded dances

And the diver's brilliant bow.



'O plunge your hands in water,

Plunge them in up to the wrist;

Stare, stare in the basin

And wonder what you've missed.



'The glacier knocks in the cupboard,

The desert sighs in the bed,

And the crack in the tea-cup opens

A lane to the land of the dead.



'Where the beggars raffle the banknotes

And the Giant is enchanting to Jack,

And the Lily-white Boy is a Roarer,

And Jill goes down on her back.



'O look, look in the mirror,

O look in your distress:

Life remains a blessing

Although you cannot bless.



'O stand, stand at the window

As the tears scald and start;

You shall love your crooked neighbour

With your crooked heart.'



It was late, late in the evening,

The lovers they were gone;

The clocks had ceased their chiming,

And the deep river ran on.


From Another Time by W. H. Auden, published by Random House. Copyright © 1940 W. H. Auden, renewed by The Estate of W. H. Auden. Used by permission of Curtis Brown, Ltd.


http://www.poets.org/
viewmedia.php/prmMID/15551

The Academy of American Poets


2007年04月23日(Mon)▲ページの先頭へ
ドゥルーズとデリダ:差異と差延;脱構築主義と不連続性:現前批判と超越性の暗示
ここでは、簡単に述べたい。

ドゥルーズについて述べたので、デリダについて述べたい。

以下の赤色文字の部分に注意されたい。

結局、デリダの脱構築主義の基礎・原点は、存在の現前批判に存するのである。

現前という用語はわかりにくい。これを、PS理論から見ると、超越界ないし超越性の現象化ないし観念である。

端的に言えば、超越性の連続的観念ないし概念である。

例えば、神と言ったとき、神という言葉・観念は、それを想念する主体と連続化されているということである。

これは、また、イデアでも同じである。イデアを想念する主体において、イデアとの連続化が主体観念において生起しているのである。

ということで(今は、概略を言うに過ぎない)、デリダの脱構築主義とは、連続論の批判であり、不連続論であると言えよう。

だから、その点で、不連続的差異論に近いものであるし、PS理論にも関係するものをもっているだろう。

そう、簡単に言えば、デリダは、哲学に不連続性の切断を脱構築理論でもたらした言えるのではないだろうか。

即ち、おそらく、不連続な差異をもたらしたと言っていいように思える。

しかしである。デリダの理論の問題点は、脱構築という不連続化によって生起するものは、ロゴス中心主義を解体するから、それを言語=ロゴスでは記述できないとしたことである。

私は、ここにはデリダの勘違いがあると考えている。

端的に、脱構築=不連続化によって、連続的な現前が解体されて、超越性が解放される。

そして、超越性は超越的論理(超越的ロゴス)をもつのである。即非論理、即非ロゴスである。

デリダはロゴスはすべて現前=連続的なものとして捉えてしまい、袋小路に陥ったと考えられる。

とまれ、ドゥルーズとデリダとを比較すると、前者は連続性に留まり、後者は不連続性を志向したと言えるだろう。

デリダの勘違いの一つは、フッサールの超越性が不連続性とつながることを無視したことである。フッサールを現前論で批判しただけであるように思える。

フッサールの超越論とデリダの脱構築=不連続論が結合すれば、PS理論に近づいたはずである。

しかしながら、デリダは、単に脱構築=不連続性のみを説いて、超越性、超越的論理、即非論理を暗示したに留まったと考えられる。


Jacques Derrida
From Wikipedia, the free encyclopedia


Work

[edit ] Introduction

Derrida began speaking and writing publicly at a time when the French intellectual scene was experiencing an increasing rift between what could broadly speaking be called "phenomenological" and "structural" approaches to understanding individual and collective life. For those with a more phenomenological bent, the goal was to understand experience by comprehending and describing its genesis, the process of its emergence from an origin or event. For the structuralists, this was precisely the false problem, and the "depth" of experience could in fact only be an effect of structures which are not themselves experiential. It is in this context that in 1959 Derrida asks the question: must not structure have a genesis, and must not the origin, the point of genesis, be already structured, in order to be the genesis of something?[1]

In other words, every structural or "synchronic" phenomenon has a history, and the structure cannot be understood without understanding its genesis.[2] At the same time, in order that there be movement, or potential, the origin cannot be some pure unity or simplicity, but must already be articulated―complex―such that from it a "diachronic" process can emerge. This originary complexity must not be understood as an original positing, but more like a default of origin, which Derrida refers to as iterability, inscription, or textuality.[3] It is this thought of originary complexity, rather than original purity, which destabilises the thought of both genesis and structure, that sets Derrida's work in motion, and from which derive all of its terms, including deconstruction.[4]

Derrida's method consisted in demonstrating all the forms and varieties of this originary complexity, and their multiple consequences in many fields. His way of achieving this was by conducting an exceedingly thorough, careful, sensitive, and yet transformational reading of philosophical and literary texts, with an ear to what in those texts runs counter to their apparent systematicity (structural unity) or intended sense (authorial genesis). By demonstrating the aporias and ellipses of thought, Derrida hoped to show the infinitely subtle ways that this originary complexity, which by definition cannot ever be completely known, works its structuring and destructuring effects.[5]

[edit ] Early works

Derrida's earliest work was a critique of the limits of phenomenology . His earliest academic manuscript for a degree was a work on Edmund Husserl , submitted in 1954, and published much later as The Problem of Genesis in Husserl's Phenomenology. In 1962 he published Edmund Husserl's Origin of Geometry: An Introduction, which contained his own translation of Husserl's essay.

Derrida first received major attention outside France with his lecture, "Structure, Sign, and Play in the Discourse of the Human Sciences," delivered at Johns Hopkins University in 1966 (and subsequently included in Writing and Difference). The conference at which this paper was delivered was concerned with structuralism , then at the peak of its influence in France, but only beginning to gain attention in the United States . Derrida differed from other participants by his lack of explicit commitment to structuralism, having already been critical of the movement. He praised the accomplishments of structuralism but also maintained reservations about its internal limitations, thus leading to the notion that his thought was a form of post-structuralism . Near the beginning of the essay, Derrida argued:

(...) the entire history of the concept of structure, before the rupture of which we are speaking, must be thought of as a series of substitutions of centre for centre, as a linked chain of determinations of the centre. Successively, and in a regulated fashion, the centre receives different forms or names. The history of metaphysics, like the history of the West, is the history of these metaphors and metonymies. Its matrix (...) is the determination of Being as presence in all senses of this word. It could be shown that all the names related to fundamentals, to principles, or to the centre have always designated an invariable presence – eidos, archē, telos, energeia, ousia (essence, existence, substance, subject) alētheia, transcendentality, consciousness, God, man, and so forth.

– "Structure, Sign and Play" in Writing and Difference, p. 353

The effect of Derrida's paper was such that by the time the conference proceedings were published in 1970, the title of the collection had become The Structuralist Controversy. The conference was also where he met Paul de Man , who would be a close friend and source of great controversy, as well as where he first met the French psychoanalyst Jacques Lacan , with whose work Derrida enjoyed a mixed relationship.


2007年04月22日(Sun)▲ページの先頭へ
ドゥルーズ&ガタリの「ポスト構造主義」と構造主義について:実数軸のメディア・ポイントの動的構造性
先に、本件について触れたが、ここで、簡単に説明しておきたい。

彼らの思想は、構造主義の静態性を超えることを目指していた。即ち、構造のさらに深層の動態性を提示して、構造主義の乗り越えを提起したのである。例えば、化学で言えば、「モル」に対して、「分子状」という深層を提起したのである。あるいは、「量子状」という深層である。

問題は、この構造のさらに奥にある、これらの動態的深層である。

それは、構造を形成すると考えられた根源的層である。

この根源的層については、以前に説明したが、ここでもう一度述べよう。

構造は、PS理論から見ると、実数軸のメディア・ポイントmepoにあると言える。ここでは、虚数軸のメディア・ポイントmepoは、いわば、知られていない。

とまれ、エネルギーは、超越界から現象界へと伝わるのであり、メディア・ポイントmepoが正に、メディアとして機能している。

だから、エネルギー(エネルゲイア)は、メディア・ポイントに顕現していると言える。

ここで、ドゥルーズ&ガタリ(以下、DG)の思想を考えると、構造主義を超えようと意図されたその深層理論は、明らかに、メディア・ポイントのエネルギー態から発している。

メディア・ポイントは実数軸においては、構造でありつつ、同時に、エネルギー態なのである。

ここで整理すると、実数軸のメディア・ポイント(以下、実メディア点)の様相を明快にすると、それは、連続性における構造と構造を発生させるエネルギー態(動態)の両面をもっていることがわかる。

だから、まとめると、実メディア点は、構造エネルギー態であるということになるだろう。ソシュールの構造主義とは、言語における二項対立の構造の静態性を説くものであるが、その二項対立構造を発生させる動態性については、説明していない。

例えば、pとbとの音声対立があるとしよう。それは、互いに排除する。bigとpigである。

しかし、ソシュールは、pとbの対立構造・差異構造が発生する深層については述べない。

当然ながら、対立・差異構造を発生させる動態根源があるのであり、それを、DGは動的な構造として説いたのである。だから、彼らの思想は、動的構造主義と呼ぶのが適切であり、ポスト構造主義という用語は、誤りである。

そして、この動的構造が、実メディア点に過ぎないのである。

ここは、連続的構造であるから、差異は、連続的差異=微分にしかならないのである。

結局、DGは何を見出したのか。それは、数学では、数百年も前に発見されていた微分の思想を、時代遅れに哲学に取り入れたのであり、発見は何もない、陳腐・凡庸な思想というしかない。

ただし、ドゥルーズの場合、キルケゴールやニーチェの特異性singularityの思想を差異の思想に取り入れたことは、評価できるだろう。

しかし、そのドゥルーズの特異性は、実メディア点に留まったのであり、真の特異性を理解できなかったのである。

ということで、本稿をまとめると、構造主義とDGの動的構造主義とは、実メディア点が基盤であり、実メディア点における原因が動的構造主義であり、結果が構造主義であり、両者は、実メディア点の因果関係にあるということである。

ここで想起するのは、カント批判哲学である。

純粋理性批判とは、正に、メディア・ポイントの即非性を、従来の論理学から理論化しようとしたものであろう。

アンチノミーがそこでは出現するのである。カントは、大乗仏教の矛盾的論理(即非論理)を知らなかったから、従来の論理学から飛翔できなかったのである。

換言すると、現象的理性・知性の規定(先験論)に囚われていたので、メディア・ポイントないし超越界のもつ超越的論理を理論構築できずに、実践理性に留まったと言えよう。

ここでフッサールについて言及すると、フッサールは、カントの限界を超えて、超越的意識を捉えたが、しかしながら、それが、他者を志向して、即非の論理をもつ事態までは進めなかったと言えよう。

i*?に留まったのがフッサールであると言えよう。そして、間主観性・相互主観性であるが、それは、思うに、i*i⇒-1ではないだろうか。

超越的自己が、連続的自我に陥っているのではないか。

思うに、他者の欠落が、ハイデガーの現存在における志向性(企投)等の考えを生み出す隙を作ったと言えるのかもしれない。

そして、他者問題は、ナチズムを経て、レヴィナスの他者倫理哲学において扱われることになったと言えよう。

最後に、他者倫理であるが、これは、今問題の「従軍慰安婦」という国家的暴力的売春に直結しているのである。

結局、日本人が、他者を認めるか否かである。

言い換えると、日本人が、自己認識を確立できるかの問題でもある。

この問題は、「民主主義」の問題と関係して、きわめて重要である。

この問題は別稿で検討したい。


2007年04月20日(Fri)▲ページの先頭へ
フッサール現象学と他者
先に、「差異と反復それでも差異と反復 」氏のフッサール哲学に関する考察を引用した。
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/entry-10030267761.html

私の考えでは、フッサール現象学と他者との関係はどうなのか、少し述べたい。

私は、自分の直観から、志向性は、他者への志向性と考えている。

ノエシスが志向性と言えるだろう。そして、そこで、形成される観念がノエマである。しかし、ノエマは、他者の観念であり、他者そのものではない。

だから、ノエシス、ノエマの他に、他者を指し示す語が必要なのである。

それが、確かに、間主観性・相互主観性であろう。

そして、「差異と反復それでも差異と反復 」氏の指摘は、ある意味で妥当であろう。つまり、現象界的主観性の並立ということである。

端的に言えば、フッサールは、即非という観念には達しなかった。他者への志向性が、即非論理をもたらすことを知らなかったと言えよう。

思うに、フッサールは躊躇したのではないだろうか。ノエシスという志向性が、差異・他者を志向することを、避けたのではないだろうか。なにか、同一性に閉じていると思えるのである。

だから、間主観性・相互主観性は、差異共振性ではなくて、「差異と反復それでも差異と反復 」氏が指摘するように、同一性の共立に思えるのではないだろうか。

今日は、おおまかだが、ここで留めたい。


2007年04月16日(Mon)▲ページの先頭へ
新訳 ハムレット (角川文庫):超越界と現象界:ミメーシスとプラトン主義
新訳 ハムレット (角川文庫):超越界と現象界
テーマ:文学・哲学
久しぶりに、『ハムレット』を読んだ。本屋でちらと見て、直観で、いい翻訳に思えたので、買ったのであったが、正解であった。

実に、ヴィヴィッドな、歯切れのいい、訳である。

とまれ、この新訳の『ハムレット』を読んで、スピード、速度のエネルギーを強く感じた。

とにかく、スピードである。エネルギッシュなスピードである。疾風怒濤である。

これについては、後で考察しよう。

また、明確に感じられたのは、ハムレットの意識のもつ、「永遠の相」、あるいは、形而上学、超越性の次元である。

確かに、これまで、なにか神秘的な次元の示唆を感じたが、なにか、作品世界における、単なる枝葉の部分だと思ったが、今、その次元が明確に作品世界を構成していることが感じられた。

さる故人から、シェイクスピアとダンテの比較を、ずいぶん昔に示唆されたことがあるが、そのときは、まったくピンと来なかった。両者異質なものと考えていたからであった。

しかし、今や、はっきりと、シェイクスピアの作品世界を構成する層として、宗教的次元、超越的次元、形而上学的次元があることが了解された。

やはり、ルネサンスの作品である。そして、また、プロテスタンティズムの倫理がエネルギーになっているのを感じるのである。

後で、さらに考察を行いたい。

p.s. やはり、文学作品の翻訳は、訳者の日本語能力がものを言う。河合祥一郎氏は、福田恆存氏、小田島雄志氏というこれまでのシェイクスピアの名訳者を超えたと言えよう。

シェイクスピアは、もう現代には合わず、古くさくなってしまったと思っていたが、このような名訳によって、シェイクスピアは、蘇ったと言えよう。

ところで、作品世界であるが、『夏の夜の夢』は、妖精の次元と人間界との二重構造であり、前者が後者を支配している構造になっているが、この超自然的次元と、『ハムレット』における宗教・超越的次元とパラレルであると考えられるだろう。

p.p.s. ハムレットの有名な「リアリズム」論(芝居は時代の鏡である)であるが、この超越的次元と「リアリズム」(ミメーシス)の関係を見なくてはならない。いわゆる、写実主義ではない。超越的次元を基盤として、現象界を、シェイクスピアは観察しているのである。内省的観察なのである。そう、シェイクスピアは、プラトニストだと思う。イデア論的発想が見られるのである。ルネサンスの新プラトン主義の影響を当然考えられるが、それよりは、シェイクスピアの特異な視点として、イデア論的意識があると思われるのである。プラトニストとしてのシェイクスピアである。この視点によって、おそらく、シェイクスピアの作品が解明されるのではないだろうか。ケルト文化とプラトン主義、ここにイギリスの秘密があるのではないだろうか。イギリス経験論は、ロックやヒュームだけではなく、超越性が入っていると思うのである。超越的経験論ないし超越的現象学である。イギリス文学の美術性は、どうも、ここに関係するのではないだろうか。


新訳 ハムレット (文庫)
ウィリアム シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 河合 祥一郎 (翻訳)




2007年04月15日(Sun)▲ページの先頭へ
夢:魚群、星の馬、等
夢を見るのも、余裕が必要なようだ。

先週は、ずっと忙しく、昨夜は、よく眠ったが、印象的な夢を見たので、記しておきたい。

三月の、不思議な夢のシリーズは、四月になってから、見なくなった。

今朝の夢は、部分しか憶えていないが、なにか学会に出ていた。そこでは、大江健三郎が居た。また、昔の大学のときの仲間もいた。

そこには、海に関係して、水族館のような透明な水槽があり、夜になると、大きな魚が群を成して、こちらの見るように、浮かんでいるのであった。

とまれ、学会では、考古学上の発見があり、ナイフが見つかった。大江健三郎は、それは、自分の考察を証明するものであることを述べた。

セロファンで包装された本があり、それを剥がそうとして、大江が証明したい、なにかバタイユの本のような人類学上の本であった。タイトルは、星の馬云々というものか、星と馬云々であった。

目覚めてから、大江と神話のことを想起したり、また、「合理主義」思考が支配し、「非合理主義」つまり、超合理主義的なことが見捨てられている現在のことを思った。

とまれ、今朝の夢は、とにかく、大きなフナのような黒い魚群が印象的であった。

また、ナイフの発見と星の馬のモチーフが印象的である。

これまでの夢の文脈から言うと、神剣・聖剣と、あるいは、天河神社に関係するだろう。星の馬ないし星と馬は、天馬、ペガススを意味しよう。

これは、大地母神や女神に関係するものである。

そう、大江健三郎が出てきたのが、不思議である。また、大学のときの仲間が登場した。

それは、文学に関係していると言えよう。

大江健三郎が感銘深く、ナイフの発見によって、自説が証明されたこと述べていたのが印象的である。

連想することがあるが、ここで留めておきたい。


2007年04月10日(Tue)▲ページの先頭へ
ファッションとは何哉:2
今日は、ただ簡単に触れるだけだが、季節を先取りすることに、一つの大きな意味があるだろう。これは、前触れである。未来の訪れである。折口信夫で言えば、マレビトである。

私は、ファッション・ショーは、中世のパジェントを感じる。日本では、祭の山車である。

モデル達は、斬新な衣装をつけた季節のアレゴリーであろう。女神とも言える。つまり、自然・季節の女神である。

そう、時間のアレゴリーであろう。

ここには、少し永遠回帰的な観念があるのではないだろうか。

未来を現在に変換させるのである。

そう、ニーチェ的である。

ニーチェは、もし真理が女性のようなものであったら、これまでの哲学は、それを捉え損ねてきたというようなことを、述べていた。

ファッションの真理とは何だろうか。

西洋には、運命は前髪しかないというような格言があった。

おそらく、ファッションは運命に関係する。

それは、すばやく、来た時に捉えなくてはならないのだ。

ファッション・モデルが振り返ったときでは、遅いのだ。

ニーチェは生成の無垢と言ったが、正にそれを感じる。

時間と現象

そして、永遠、未来。

いかにも思わせぶりなモデル達

そう、正に、仮象である。

イデア論を想起する。

ファッションとは、イデア論を示唆しているのではないだろうか。

芭蕉で言えば、不易と流行である。

では、ファッションのイデアとは何か。

なにか、空を想起する。

ファッション・デザイナーのアイデアがイデアではないのか。

アイデア=イデア=不易はファッション=仮象=流行を創造し続けるのだ。


2007年04月08日(Sun)▲ページの先頭へ
感情とは何か:文学の衰退について
文学作品を読む時とは、想像的ヴィジョンに浸りたいときだろう。

エネルギーが、想像的ヴィジョンへと転化されるのである。

このヴィジョンは、夢のヴィジョンに似ていると思う。

問題は、想像的ヴィジョンは、感情価が高く、知的論理的認識が二義的なことである。

即ち、現代のように、知的論理的判断力が必要なときには、文学的想像力が、逆に二義的になるだろう。

しかしながら、洞察力は、想像的ヴィジョンが必要である。

即ち、知とヴィジョンの相互形成的あり方が必要なのである。

両者を形成には、哲学が向いていると言えよう。

現代では、文学は、教養的なものであろう。

それは、若い時に必要なものであろう。

私は何が言いたいのだろうか。

想像的ヴィジョン、内的ヴィジョンを形成することが、教養の一部である。

これは、知的感情の涵養である。知的感情とは共感性である。倫理である。

しかし、文学だけでは、不十分である。哲学によって感情を超越して知的認識を形成する必要があるのである。

結局、知的感情が涵養されれば、文学は必要はなくなるだろう。

想像的ヴィジョンの能力が生まれれば、文学は必要ではなくなるだろう。

知的感情から知的認識へと進展するのである。ただし、これは、包摂的進展である。


2007年04月07日(Sat)▲ページの先頭へ
ヘーゲル、ハイデガー、構造主義/ポスト構造主義:現象MePoの連続的志向性
以前から感じていたが、構造主義は、ヘーゲル弁証法に由来するのではないかとうことをここで、簡単に検討したい。

PS理論のメディア・ポイントMePo(以下、mepo)の視点から考えたい。

結局、現象mepoが基点となる。ここでは、差異は、連続的志向性をもち、同一性化へと向かう。

この連続化が、差異の裏返しにするようにして、同一性を形成するのである。

ドゥルーズが襞のことを言っていたが、確かに、この連続化は、差異を襞にするように折り込むと言えるだろう。しかし、これは、あくまで、現象mepoに事象に関してである。

現象mepoにおける連続的志向性であるが、これは、本来は、超越エネルギーのよると言えよう。ここが造化の不思議なところで、超越エネルギーは、連続化されて、現象・連続的エネルギーになると言えよう。

しかし、否定された差異は、超越エネルギーを保存していると言えよう。

とまれ、この現象mepoであるが、まとめると、連続的志向性=顕在化と否定された差異の潜在性の非対称的二重性がある。

そして、前者が構造性と言っていいだろう。ここから、同一性が発現するのであるから。そして、構造性は、差異を否定するので、ここで、同一性と差異との二項対立を形成するのである。これが、構造主義でお馴染の二元論である。

連続性が+なら、差異は-である。あるいは、符号が逆になるだろう。

ここで、構造主義の構造をまとめると、現象mepoにおける連続性と差異との対立構造であると言えるだろう。

ここで、ヘーゲル弁証法を考えると、正反合であるが、正は、連続性であり、反が差異であり、合が現象mepoであろう。

結局、現象mepo⇒連続性(正)⇒差異(反)⇒現象mepo(合)である。

だから、構造主義とは、ヘーゲル弁証法の対立構造を取りだしたものと言えるだろうし、構造主義の対立を弁証法的対立と呼ばれるのも適切であると言えよう。

ただ、両者の相違は、ヘーゲル弁証法は、ジンテーゼへの志向性を強くもっていることである。

この相違を説明すると、ヘーゲル弁証法において、反(アンチテーゼ)が、連続化された超越性をもっていることによる全体的志向をもっているからではないだろうか。ある意味で、宇宙的志向と言ってもいいだろう。

ただし、裏返しにである。

とまれ、連続化された現象mepoにおける対立と全体的統一性、これが、ヘーゲル弁証法の核心であろう。

だから、形式的には、ヘーゲル弁証法は、構造主義と同じである。

両者、同形であるが、ただ、ヘーゲル弁証法は、対立と統一の両面が明確であるのに対して、構造主義は、対立の方にウェイトがあると言えるだろう。

では、ヘーゲル弁証法とポスト構造主義(ドゥルーズ哲学)の関係であるが、先に、ドゥルーズ哲学は構造主義であると言ったが、それから言うならば、やはり、それもヘーゲル哲学と同形になることになる。

しかし、同形ではあるが、強調点が異なると考えられる。即ち、ドゥルーズの場合は差異を共通するのである。連続化された現象mepoにおける差異の強調である。これは、連続的同一性(テーゼ)を否定するのである。この点で、ヘーゲル弁証法とは異なる。

すると、連続的現象mepoにおける、1.ヘーゲル弁証法⇒2.構造主義⇒3.ポスト構造主義(ドゥルーズ哲学)の発生が見えてくる。

即ち、1において、連続的現象mepoのポテンシャル・エネルギーが強いので、それへと回帰する。2においては、連続的志向性が強く、差異と対立する構造形式をもつ。3においては、連続的同一性への反動否定性が強く、連続的差異の思想となっている。

ここで、ハイデガー哲学を考えると、それは、この三つの中では、構造主義に近いだろう。即ち、存在が連続的現象mepoであり、存在者が連続的同一性である。

さて、最後にデカルト、ライプニッツ、カント、ニーチェ、フッサールに簡単に触れたい。

デカルトのコギトは、連続的志向性を否定した上で成立する思考である。おそらく、現象mepoにコギトがあるのではないだろうか。それは、超越mepoとも通じるだろう。とまれ、コギトは、明確には、超越mepoにはないが、少なくとも、現象mepoに存すると思う。超越性と現象性との境界である。

ライプニッツのモナドであるが、それは、コギトをより超越mepoに近づけたものだろう。正確に言えば、現象mepoを否定した超越mepoと言えるかもしれない。(後で検討。)

カント哲学であるが、それは、超越論的形式を導入して、同一性の構造を発見したものである。これは、対立の構造ではないが、構造である。そして、mepoを物自体や実践的理性にしたのである。純粋理性とは、現象mepoのことであろう。

ニーチェであるが、彼は、連続的志向性を全否定した。それは、超越mepoと言えるかもしれない。それは、ほとんど、純粋差異の思想である。ただし、⇒+1までは達していない。i*(-i)⇒の思想である。(ライプニッツのモナドに近いように思われるかもしれない。しかし、ニーチェには、ポスト構造主義的な反反動性が少し入っていたと思う。)

フッサール現象学は、現象mepoを志向性ということで発見したものだろう。間主観性とは、差異的同一性と言えるのではないだろうか。おそらく、超越mepoを捉えていたが、明確に、即非性とは把握していなかったと思う。

さて、つけ加えると、シェリングは、明晰に即非性を捉えてはいなかったものの、実質的には、即非性を捉えていた。それは、超越/現象mepoの思想である。そして、同一性への展開。最後に、差異的同一性を把捉していたと思う。

ウスペンスキーは、即非の思想を「ターシャム・オルガヌム」として、ほぼ捉えていた。

以上のようにざっと見ると、西洋近代・現代哲学は、メディア・ポイントの根源的事象(特異性)と連続的様態(同一性)とを探求していたと言えよう。

しかしながら、両者が根本的に異質なもの、不連続なものであることを、西洋哲学は認識できなかったと言えよう。不連続的差異論を包摂したプラトニック・シナジー理論がこれを解明したのである。

後、検討問題として、数学と哲学の関係がある。これは、論理学の問題とも言えよう。数学、論理学、哲学との関係は何か。

数学とは、超越/現象の知の論理を構成化するものではないだろうか。数学、論理学、哲学は、超越/現象におけるイデア・知的事象の論理を表わすものではないのか。

p.s. メルロ=ポンティの現象学について触れたいが、これは、私の想像である。身体論の問題である。主客共振性があるので、これは、メディア・ポイントの共振性である。Kaisetsu氏のメディア共鳴である。しかしながら、それが純粋化されていない。即ち、連続化が混淆されていると思うのである。おそらく、表記すれば、i*(-i)⇒+1とi*-(-i)⇒-1との混淆である。なぜ、混淆なのかと言えば、それは、後者を切断して、身体を不連続化して、意識化していないからだと思う。身体意識に留まっているからだと思われる。


2007年04月04日(Wed)▲ページの先頭へ
シェリング著『哲学的経験論の叙述』は、即非論の先駆である。
『フィヒテ シェリング』(世界の名著:中央公論社)所収の『哲学的経験論の叙述』(1836年)を拾い読みしているが、これは、先の『ブルーノ』を進展させたものと考えられる。

先に、シェリングの『ブルーノ』は即非論の先駆ではないかと言ったが、その言葉は、この著により適合する。

思うに、これは、現象学の先駆でもあると思う。

哲学史等では、シェリング哲学を神秘主義や非合理主義等と関係させるが、ここに見られるのは、知的論理的な認識の展開である。

後で、考察をしたい。

参考:

自然哲学の庵
2001.8.22 開設: 2005.2.6 更新
サイトマップ
開設にあたり
シェリング、フリードリッヒ・ヴィルヘルム 
Friedrich Willhelm Schelling(1775-1854)

 ドイツの哲学者。ドイツ各地の大学で諸

学を勉強し、最後はベルリン大学哲学教

授に任ぜられた。フィヒテ哲学から出発し、

自然を理性の無意識的でしかも意識へ高

まりゆく形態、すなわち生成する知性とした。

 自然の目標を生命におき、自然の根源を宇宙霊であるとし、自然

と精神との最高の統一形態を芸術に見出し、ロマン派哲学の基礎

となった美的観念論を打ち樹てた。自然と精神とを絶対者の二つの

現象形式とし、絶対者にあっては、主観と客観とが無差別的に同一

で、諸現象はその展相であるとする同一哲学を主張した。

 ベーメの影響で、合理主義で解決できないものを、自由意志の深

い理解から説明しようとした。 晩年には、非合理主義を力説し、すべ

ての合理主義哲学を有限者の哲学にすぎずとし、根源的偶然を取り

扱う積極哲学を主張した。

(西洋科学史、シュテーリヒ 菅井準一・長野敬・佐藤満彦 訳:
現代教養文庫より)
自然哲学の庵
http://www.geocities.co.jp
/NatureLand/4270/natphi/index.htm
自然哲学の庵




『シェリング著作集』
http://www.toeisha.co.jp/tugi/sche.html

シェリング このエントリーを含むブックマーク

人文のモデルとして、哲学は優れたモデルを使ってこなかった。善のイデアや現実態からドイツ観念論の弁証法 や今日扱うフリードリヒ・シェリング のポテンツなどもきめが粗い。人文の解読モデルは光に基づいて、生の元型的構造と表層意識と深層意識の極性(悪と善との極性)を正確に設定することによって、それが我々の身体を媒介として自然に表象化された像として現前させることで標準化される。それは光の類比による生の衝動モデルである。このモデルを使うと、入り組んだ人間性の内部の構造がどんどん解けていく。元々あるものの視点から切り出していくからである。カントの根本悪の分析やシェリング の悪の現実性の分析、及びこれに伴う形而上学 的存在洞察は光の類比を使っていないため極めて未分化なものに留まっている。ヘーゲル の概念の自己運動もまた同様に弁証法 的な自己発展は、究極者(光)の最後から二番目の切り込み(光のスペクトル)がないためきめが粗いのである。範型のモデルは一者から二つ目の切れ込みが明瞭に入っている。自然の亀裂に従って切れ込みを入れてある。このようなモデルを使うべきなのである。

神の内なる自然

永遠なる一者が自己自身を生もうとする憧憬  我意egoistic will

未だ統一を知らぬ憧憬の方を「暗い原理」「闇の原理」「我意」とし、統一を求める悟性の方を「光の原理」「普遍意志」とする。闇へと分裂しようとする力と光へと統合しようとする力が対立している。それを結びつける靱帯が魂である。そして「魂が両原理の生きた同一性であるときそれは精神である。」

http://d.hatena.ne.jp/mk6/20060226
光の範型 Paradigm of Light

● シェリング
        ・シェリングの著作の翻訳
          『自然哲学論考』の「序文への付記」(1803年) v. 4.7
        ・ シェリングの著作の邦訳 リスト v.1.0
        ・シェリングの全集と、書簡集について v.1.8
http://taki.cool.ne.jp/index/cm.htm
ドイツ観念論のページへ    ようこそ!   


シェリングの『ブルーノ』の思想の問題点
先にコメントで触れたが、有限と無限、個別性と普遍性、実在性と観念性の捉え方に問題があるようだ。

シェリングは、一般形式観念・概念と(超越的)普遍性を混同している傾向がある。シェリングが絶対的なものと呼ぶのはイデアであるが、それは、(超越的)普遍性である。

シェリングにおいて、一般形式観念・概念は無限なのであるが、そうすると、絶対的なもの=イデアも無限であるから、区別がつかなくなろう。

ここで、本書を読んだときの直観で述べよう。

個別的事物に即した内在的な無限がある。しかし、この無限とは個別的なものの概念ないし観念である(概念と観念を今は区別しない)。つまり、シェリングは、個別性の一般的形式観念をここで説いていて、それを無限にしている。

しかしながら、この個物の概念とは、実は複雑である。思うに、シェリングは、ここで、二つのことを意味していると思うのである。具体的に言おう。例えば、眼前にコーヒーカップがあるとしよう。この個物の概念は、液体のコーヒーを入れて飲むための容器である。しかし、同時に、このコーヒーの特異性をシェリングは意味していると思われるのである。

つまり、個物の概念において、一般的概念と特異性とを同時にシェリングは意味している。つまり、混同しているのである。私の直観では、シェリングは、個物の特異性と、イデア的な普遍とを結びつけているのである。

これならば、正しいのである。個別性と普遍性は、こうすれば、統一するのである。PS理論では、個物における特異性ないしメディア・ポイントを介して(超越的)普遍性と結びつくのである。

シェリングの統一態は、この意味ならば、納得できるものである。特異性=普遍性となるからである。だから、シェリングにおける対立性の統一態とは、特異性ないしメディア・ポイント(メディア共鳴)を介してと理解することができよう。

そして、問題は、統一態である。PS理論は、即非ないし差異共振性を説いている。これは、確かに、一(いつ)ではあるが、独特の一である。対立が包摂された一なのである。この点が、シェリングの統一態論にはないと思うのである。それで、同一性哲学と呼ばれるのだと思う。

この同一性であるが、シェリングの哲学を特異性=普遍性の思想と見るなら、個別性=特異性=普遍性=同一性という図式が考えられよう。

この意味でなら、同一性哲学と呼ばれてもいいが、単に同一性哲学と呼ぶと、「差異」が消えてしまっている。特異性=差異という思想がシェリング哲学にはあるのである。

だから、個的特異性的同一性の哲学である。あるいは、特異性的同一性ないし個的同一性哲学である。

先にも述べたが、用語が粗略で概念が混同・錯綜しているのである。


2007年04月03日(Tue)▲ページの先頭へ
シェリングの『ブルーノ』は、即非論の先駆の一つではないのか。
シェリングの『ブルーノ』(1802年)を読んでいるが、これは、実に天才的である。思うに、シェリングは実質的に、即非的一性を説いていると思われるのである。少し引用したい。

以下では、直観と思考、個と概念・観念との統一を述べているが、これは、PS理論では、個における差異共振性が普遍であるということを意味すると考えられる。私の言葉では、個における特異性が普遍性である。Kaisetsu氏の用語・概念では、メディア共鳴によって、個と普遍とが統一するということになるのではないだろうか。

もう少し読んで、検討を続けたい。

p.s. 以下のwikipediaの解説では、1801年から「無差別同一性」を原理をしたと述べられているが、それは誤りではないだろうか。確かに、無差別に見えるような表現もしている箇所は否定できないが、しかし、言わんとしているのは、個と普遍との統一性を述べようとしているのである。これは一見ヘーゲルに似ているが、ヘーゲルは、普遍を一般的言語観念にしているのである。シェリングの普遍とはイデア、超越性である。「同一哲学」と呼ぶのは、明らかに誤解を呼ぶので、誤りだと思う。思うに、即非という観念をシェリングが知らなかったので、何とかそれを西洋哲学の観念で表現しようとしているように見えるのである。

以下の英語のwikipediaのシェリングの「自然哲学」の解説には、自然と精神との、いわば、太極的一性が表現されているように思えるのだが。


★引用開始
《つまりまえにのべた統一態を、統一態と対立するものとが一つであり、それ自身に等しいものとそれ自身に等しくないもんとが一つであるようなものとして、規定しているのだ。》 p. 274

《君[ルチアン]があの直観作用と思考作用との統一態そのものでもって考えているものだけをさらに検討したいからだ。なぜかというと、やはりぼく[ブルーノ]にとって君は、ぼくらが対立するものと統一態との統一態、有限なものと無限なものとの統一態と呼んだものとまったく同じものを、それによって表現しているように思われるからだ。》
p. 279

《ブルーノ: それじゃ君は、もろもろの直観されたものは必然的に差別に従属し、概念のほうは無差別なものとして規定したわけだ。
ルチアン: そのとおりだ。
ブルーノ: そのうえ君は直観を特殊なものという特質のもとに考え、概念のほうは普遍的なものという特質のもとに考えたのだ。
ルチアン: 明らかにそれらはそういうものなのだ。
ブルーノ: つまり君は直観作用と思考作用とのあの統一態でもって、何とすばらしい高尚ですばらしい理念を言い表わしたことだろう。というわけは、普遍的なものによって特殊的なものも、概念によってもろもろの対象も置かれており規定されていて、その結果、これら双方がともにそれ自身のなかで分かたれないままであるようなものの自然本性ほど、みごとですばらしいものはほかには考えられないからだ。》
p. 280

《・・・思考作用と直観作用との間にそのような統一態を置こうじゃないか。つまりそうなると、一方において表現されているものは必然的に他方においも表現されており、これら双方のものは、単にある第三者においてだけ一つのものであるのではなく、それ自体において、すなわち分離以前において一つのものである。つまり双方は同時にというよりもむしろまったく等しい仕方で、あの自然本性のすばらしさから産み出されるすべてのものの特質をなしているのだ。その自然本性というものは、それ自体としてこれら双方のであるものでもなく、また同時に双方であるのでもなく、双方の統一態なのだ。・・・ぼくらが直観作用と思考作用との統一態と呼ぶもののなかには、有限なものと無限なものとの統一態も含まれているということを。また逆に、ぼくらはこういうふうにもろもろの多様な表現のもとで、一にしてまさしく同じ原理を最高の原理にしたのだということを。》 p. 280〜p. 281
★引用終了


世界の名著〈43〉フィヒテ・シェリング 中央公論社
フリードリヒ・シェリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
Disambiguation
"シェリング" は この項目 "フリードリヒ・シェリング" へ転送 されています。"シェリング" のその他の用法についてはシェリング (曖昧さ回避) をご覧ください。
シェリングの肖像
シェリングの肖像

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・(フォン・)シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling, 1775年 1月27日 、レオンベルク 、ドイツ- 1854年 8月20日 、バート・ラガーツ 、スイス )はドイツ の哲学者 である。ドイツ観念論 の代表的な思想家のひとり。

生涯

シェリングの父はルター派 の神学者・東洋学者・教育者であり、シュヴァーベン 敬虔主義 の支持者だった。シェリングは家庭の知的また宗教的雰囲気に強く影響されて育ち、早熟な天才ぶりをみせる。ベーベンハウゼン のドイツ語学校およびニュルティンゲン のラテン語学校で学んだシェリングは、10代前半でギリシア語・ラテン語・ヘブライ語に通じ、1790年、テュービンゲン神学校(テュービンゲン大学 の付属機関)に特例により15歳で入学を許された(規定では20歳から入学)。同神学校には2年前、彼より5歳年上のヘーゲル 、ヘルダーリン が入学しており、シェリングは寮で二人と同室になり、友情を結んだ。保守的な神学校のなかで、彼らは、フランス革命 に熱狂し、カント に代表される新しい時代の哲学に関心を示し、進歩と自由を渇望し、そして牧師にはならず、思想あるいは文学の道へ進んでいく。そしてこの時期のシェリングが特に傾倒したのは、フィヒテ であり、またスピノザ であった。

卒業後、家庭教師をしながら哲学著述を続けていたシェリングは、1796年から1798年、ライプツィヒ 大学で自然学の講義を聴講する機会をもった。このことに刺激され、1797年から自然哲学の著述を始める。これがきっかけとなり、1798年イェーナ 大学の助教授に就任する。『世界霊について』(1798年)がゲーテ に認められたことが招聘のきっかけとなった。当時、イェーナの正教授はフィヒテであったが、1799年フィヒテがイェーナ大学を辞職し、シェリングは哲学の正教授となった。

アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・シュレーゲル の妻であるカロリーネ との恋愛事件およびイェーナでの保守派との対立により、1803年、シュレーゲルと協議離婚したカロリーネを伴い、シェリングはイェーナを退去した。ヴュルツブルク で結婚したシェリングは、1803年から同大学に在籍し、1806年ミュンヘン に移住する。同地でシェリングはバイエルン科学アカデミー総裁に就任した。1809年には妻カロリーネが療養先のマウルブロン で死去。このとき、シェリングはミュンヘンで『自由論』を執筆中だった。4年後にゲーテの紹介でパウリーネ・ゴッターと再婚する。

1820年から1826年、エアランゲン 大学哲学教授。1827年、ミュンヘン大学創立に伴い、哲学教授に就任、以後1841年までミュンヘン大学教授。この時期、シェリングはバイエルン王太子マクシミリアン の家庭教師を務め、国政にも参画した。のちにその功績をもって貴族に叙された。1841年、ベルリン大学 哲学教授。1845年に同教授職を辞任した。

ベルリン大学より引退した後、シェリングは以後公開の講義を行わなくなった。1854年、療養に出かけたスイス のバート・ラガーツ でかえって病を悪化させ、家族に見守られて生涯を終えた。

[編集 ] 思想

[編集 ] 時期区分

シェリング思想の時期区分には諸説あるが、『人間的自由の本質』(1809年、以下『自由論』と略す)以降を中期または後期思想とみなし、それまでの時期を前期思想と呼ぶのが一般的である。前期思想は、さらに自然哲学期(1897年から1800年頃まで)と同一哲学期(1800年頃から1809年まで)に細分されることが多い。中期思想という区分を立てる場合には、『自由論』『世界諸世代』(1813年)の時期を中期、『神話の哲学』『啓示の哲学』を後期とする。また論者によっては『自由論』を独立した時期とみなすものもある。

後年、1830年代のシェリング自身は自分の前期哲学を消極哲学、後期哲学を積極哲学と呼び、ヘーゲルら他の哲学者は消極哲学にのみ携わっているとみなしている。彼によれば消極哲学は "das Was" あるものがなんであるか にのみかかわっており、"das Dass" あるとはどのような事態であるかについて答えていない。そして彼の後期の営みこそ、後者の問いに答える哲学であるとしている。

シェリングは、終始一貫した特長をもった思想家だったのか、それとも「プロテウス ・シェリング」(クーノー・フィッシャー )、一貫した核をもたず変転する思想家だったのかは、哲学史上シェリングが注目されるようになって、絶えず問題とされてきた。19世紀後半から20世紀前半における、新カント主義ならびに新ヘーゲル主義の哲学史観においてはその変転が強調されることが多かった。一方、1956年以降のシェリング研究は、むしろ彼の思想の核に一定の関心と問題意識があり、その動径に彼の思想の全展開を考える傾向を示している。

後者の主張によれば、シェリングの思想は古代的なものへの関心と理性的なものへの志向、そして両者の緊張と差異が高次の同一性に支えられているという確信によって特徴付けられている。

[編集 ] 前期(-1809年)

[編集 ] 最初期

前期シェリングに大きな影響を及ぼした思想家として、プラトン 、カント 、フィヒテ 、スピノザ 、ライプニッツ が挙げられる。カントの影響については議論があり、フィヒテを介した影響をより重視する論者と、カントからの直接の影響をより重視する論者がに分かれる。

ルター派正統神学の牙城であったチュービンゲン神学校で、シェリングは、友人ヘルダーリンやヘーゲルとともに、むしろ政治および思想上の進歩的動向に共感し、神学からは遠ざかり哲学へと転向する。神学校の監視の下で、当時進行中だったフランス革命に、またカントやフィヒテといった新しい哲学の動向に彼らは刺激され、時にはその言動について学校側から指導を受けることすらあった。神学校在学中のシェリングの著作、マギステル論文『悪の起源について』(1792年)、『神話について』(1793年)にも彼の非正統派的志向が表れている。

神学校卒業後、シェリングは立て続けに著作を刊行し、注目を集める。この時期シェリングはフィヒテ の知識学 を知り、フィヒテの紹介者として文壇に登場した。1794年以降、雑誌に『哲学の諸形式』(1794年)『自我について』(1795年)『哲学的書簡』などの論文を発表するシェリングは、フィヒテからも公衆からも、フィヒテの忠実な紹介者、支持者と思われていた。

[編集 ] 自然哲学期

しかしすでにこのころから、シェリングはスピノザ やライプニッツ にも関心を示し、フィヒテとは独自の路線を歩みだしつつあった。「ぼくはスピノザ主義者になった」と宣言するヘーゲル宛書簡はよく知られている。また早くから親しんでいた古代哲学、とりわけプラトン の自然観も、シェリングの思想の展開に大きく寄与したことが、『ティマイオス草稿』(1794年)などから伺える(一方フィヒテは、生涯を通じて、哲学の対象としての自然に関心をもたなかった)。1796年から1798年、シェリングはライプツィヒ に滞在し、同大学の講義を聴講し、当時はまだ「自然学」「自然哲学」などと呼ばれていた当時の自然科学に接した。生物学や化学、物理学について当時最新の知見を得た経験に刺激されたシェリングは、1797年以降、『イデーン』をはじめとして自然の形而上学的根拠付けについての著作を精力的に発表する。ここでシェリングの自然哲学の中心概念となるのが有機体 である。当時急速に増しつつあった生化学上の知見は、デカルト以来の機械論的自然観に対抗する有機体的自然の観念に注目を集めていた。シェリングは有機体を自然の最高の形態とみなし、それをモデルとして、力学等を含めた自然の全現象を動的な過程として把握する図式を提起しようとした。ここでシェリングの有機体理解に大きく寄与したと思われるのはライプニッツで、『イデーン』(1797年)には『単子論』への言及が多くなされている。

また神学校卒業後、離れ離れになった仲間とシェリングは、相互に思想的影響を及ぼしあっていた。彼らは文通を交わし、お互いの仕事の進展や新しい着想を伝え合った。そのような思想的交流のひとつの産物として知られるのが、1795年から1796年のある時点にヘーゲル の手で筆記された執筆者不明の草稿、通称『ドイツ観念論の最古の体系計画 』である。著者問題についてはここでは論じないが、この草稿に出てくる概念のうち「新しい神話」はシェリングの大著『超越論的観念論の体系』(1800年)でも登場し、また同一哲学期にはシェリング芸術哲学の基本的概念のひとつとなる。

[編集 ] 同一哲学期

1801年、研究者によっては1800年に、シェリング哲学の新たな時期がはじまる。無差別同一性を原理とし、絶対者の自己展開の叙述の学として遂行される哲学、いわゆる「同一哲学」である。

ところで研究者によっては同一哲学の端緒に分類される『超越論的観念論の体系』は、フィヒテとシェリングの間に、重大な亀裂を生じせしめるに至った。もともとフィヒテはシェリングの自然哲学への関心を好意的には受け止めていなかったのであるが、いまやシェリングは自然哲学と超越論的哲学を併置する。そのようなシェリングに対し、自然を他我とみなし従って哲学の対象とは原理的にみなさないフィヒテは、シェリングにあてた書簡等でシェリングの哲学理解に危惧を表明した。自著『私の哲学体系の叙述』(1801年)にフィヒテが加えた批判を契機に、シェリングのほうでも次第にフィヒテと自己との哲学的差異を自覚し、両者は完全に決裂する。フィヒテの転居を期にはじまったふたりの文通は1801年をもって止み、シェリングは対話篇『ブルーノ 』(1802年)等の公刊著作で暗にフィヒテを批判した。1806年にはシェリングは名指しでフィヒテを批判するようになる。

同一哲学期にも、シェリングは自然哲学に関する著作を続けたが、それに加えて、芸術についての哲学的思索が集中的になされた。すでに『超越論的観念論の体系』で、芸術は超越論的哲学の系列の終極に位置づけられ、「哲学の真のまた永遠の証書であり機関」と呼ばれている。『ブルーノ』『学問論第14講』(1802/3年夏講義)『芸術の哲学 』(1802/3年冬講義)では、この立場が、同一哲学の理論的前提の上で改めて展開されてくる。観念的なものの系列において、主観的な学、客観的な行為に対し、芸術は観念的なものの絶対的なポテンツとして、「芸術の宇宙において全を展示する」。このような芸術は、実在的な自然に対しては観念的な自然の像として優越性を保ちつつ併置され、また絶対的な哲学に対しては対像としてその完成の姿に予示を与える、いわば人間の最高の精神的所産かつ生産活動として理解される。そのような最高度の芸術は、ただ自然の十分な把握からのみ可能であるとシェリングは考え、古代人がもっていたそして近代人にとっては失われている神話に換わるものとして(シェリングはここで神話の理想的な姿をギリシア神話のうちに見出す)、まだ生み出されていない「新しい神話」を要請する。ここでの新しい神話の内実には諸説があるが、山口和子 は、教訓詩としての自然哲学にその可能性をみており、またシェリングが自身そのような自然哲学を完成させる意欲をもっていたとしている(山口和子『未完の神話』晃陽書房)

[編集 ] 同一期への移行:有限性の導出根拠をめぐって

カロリーネと結婚した1804年は、シェリングにとって私生活だけではなく、哲学上の転機の年ともなった。エッシェンマイヤー に「差別/有限性はどのようにして無差別から導出されるのか」と批判されたシェリングは、その問いに答える必要を感じ、『哲学と宗教』(1804年)を著した。そこでは彼の古い関心、「悪の起源の問題」が再び取り上げられており、有限性の生起は本来同一であるものの頽落(Abfall)によるとされた(なお、この著作自体の構想は1802年にはすでにあり、本来は『ブルーノ』の第2部として構想されていた。しかしシェリングとしてはなるべく早くこの問題を論じることを必要と感じ、著作を対話編としてではなく散文の論文で発表した)。しかしなぜ頽落が起こるのか、そのことはここでは十全には論じられていない(本著作のこの欠点はH・ツェルトナー らによって指摘されている)。この問題は、1809年の『自由論』で再び大きく取り上げられることになる。

1800年、シェリングは、友人ヘーゲルが私講師としてイェーナ大学で教えるよう推挙した。1800年はまた、ヘーゲルの著書『フィヒテ哲学とシェリング哲学の差異』が刊行された年でもあった。シェリングは『ブルーノ』のなかで、ヘーゲルの就職論文『天体運動論』を全面的に借用している。また二人は 1802年から共同で雑誌『哲学批判雑誌』を刊行した。この雑誌は主に自然哲学を扱い、1803年、シェリングがイェーナから転居したことを切っ掛けに廃刊になった。シェリングとヘーゲルの協力関係は、このころをもって終わったと考えられている。

バイエルン王立アカデミーの総裁として、シェリングは、1807年、講演『造形芸術の自然への関係』を行った。この講演で、シェリングは同一哲学に立脚し、当時盛んだったヴィンケルマン の新古典主義的美術観に一定の価値を認めながら、しかし自然であれ古代芸術であり外的な「死んだ形態」ではなく、そこに形態として現れてくる精神そのもの、「生きた自然」を把握し、表現するべきであると説いた。これは同地では非常に好評を博したが、しかしこの講演の内容を入手したヘーゲルはA・W・シュレーゲル宛て書簡で皮肉を交えた痛烈な批判を行った。少年時代からの二人の友情はいまや終わりに近づいていた。

同じ1807年に刊行されたヘーゲルの『精神現象学 』でシェリングの同一哲学が批判された。シェリングにおいて絶対者は直観によって把握されるが、ヘーゲルはその無媒介性を批判し、むしろ概念による哲学を主張した。研究者によってはここで批判されているのは、シェリングではなくその追随者であるシェリング主義者であるとする(ヘーゲルも同様の釈明をシェリングあて書簡で行っている)が、「ピストルからずどんと飛び出す直観」「すべての牛を黒く塗りつぶす闇夜」などの表現がシェリングとその直観概念に結びつけられており、シェリングはこれを非常に心外に感じた。これをもってテュービンゲン以来の両者の友情は終焉し、以後ヘーゲルはシェリングにとってもっとも重要な論敵のひとりとなった。


中・後期(1809年-)

1809年に出版された『人間的自由の本質 』は、シェリングの思想の大きな転換点とみなされている。

シェリングはこの著作で人間的自由の根拠を問い、悪への積極的な可能性を人間のうちにみる。シェリングによれば、人間は悪を行う自由をもっている、それが人間的自由の本質であり、もって人間をすべての存在者の頂点においている。これはキリスト教また西洋思想における「悪をしない自由」としての自由把握とは正反対にある。そのような自由が人間に可能である根拠として、シェリングは神の存在様態について考える(神はここで人間の存在根拠に他ならない)。神のうちには、神の部分であって神そのものではない「神のうちの自然」があり、神自身と対立している。自らを隠し閉ざそうとする神のうちの自然は、自らを現そうとする神自身にとっての「根底」(Grund)であって、生まれ出ようとする憧憬と隠れようとする力との二つの方向性が神のうちに相争う。神は、自身のうちなるこの対立を自ら克服し、愛をもってこれを覆う。かくして神とその被造物は顕れ出る。そして被造物の頂点である人間のなかに、この目もくらむ対立は自由の可能性として再び現れてくるのである。

ここでシェリングは、彼がそれまで積極的に肯定してこなかった神の人格性を強く主張している。また、いまやシェリングにとって、必然性と自由の対立は、同一期においてそうであったように、たんに絶対者において、したがって本質においては無差別である観念的対立とはいわれていない。実在するもののうちにたしかに対立はあって、その対立を可能にする場とそのありよう、さらにはそのような対立を超えるものの可能性が、いまや問題とされてくるのである。

『自由論』は、シェリングがエーティンガー およびカトリック神学者フランツ・フォン・バーダー を介して知ったヤーコプ・ベーメ の思想に大きく影響されているといわれる。『自由論』の術語「神のうちの自然」「根底」「無底(底なし)」はベーメの用語法に由来する。シェリングは神秘思想には比較的好意的で、すでに同一哲学期から新プラトン主義との近親性も指摘されている(『ブルーノ』など)。また1812年の未発表の対話篇『クラーラ』では、スウェーデンボルグ の思想を好意的に紹介している。しかしシェリングはあくまでも神秘主義を全肯定しているのではなく、悟性的・論弁的理性主義が把握できない前理性的ないし非合理なものを神秘思想家が保持していることを評価し、しかし同時に、そのような表現自体は哲学の立場からみて限界があると考えていた。

シェリングは『世界諸世代』(未完)をはじめとする未刊行草稿の著述に努めるとともに、いくつかの講義を行っている。シュトゥットガルト私講義、エアランゲン講義などは、この時期のシェリングの体系を知る上で重要な意義をもつ。この時期、シェリングは『自由論』の思想を発展させ、神そのものの生成と自己展開の歴史としての世界叙述という壮大な構想に取り組んでいた。『世界諸世代』は世界の歴史をその原理である神の歴史として「神になる前の神」である「プリウス」(Prius)から説き起こす試みであり、過去・現在・未来の三部構成からなる予定であったが、実際に書かれたのは過去篇だけであった。過去篇の草稿は複数あることが現在知られている。いわば挫折したこの構想は、しかし後期哲学の『神話の哲学』『啓示の哲学』へとつながっていく。 


[編集 ] 外部リンク

* 日本シェリング協会

カテゴリ : ドイツの哲学者 | 1775年生 | 1854年没


2007年03月31日(Sat)▲ページの先頭へ
ブリタニカ草稿 (文庫)
フッサール現象学について、フッサール自身による明快な説明である。また、訳者、谷 徹氏の解説は、フッサール現象学とハイデガーの存在論について、簡単ながら、相違を明快に説いている。 

既述したことに関連するが、ハイデガーは、メディア・ポイントの底点の連続的構造において、存在/存在者を説いていると思う。つまり、「存在」とは、メディア・ポイントの底点が連続的同一性=存在者(現存在)へと展開する連続的志向性のことであろう。フッサールは、この連続的志向性、即ち、自然的態度をエポケー(判断停止)した上で確認される超越論的主観性(超越的主観性ないし超越的主体性と呼んだ方がいいのではないだろうか)を説いているのである。

結局、ハイデガーは師の哲学を全く理解していないのである。というか、できなかったのであろう。ハイデガーは愚才である。

思うに、ハイデガーの思想とは、構造主義である。構造哲学である。それは、実数軸の連続空間の思想である。あるいは、現象内在思想と言ってもいいだろう。現象内在的構造としての「存在」論だと思う。


ブリタニカ草稿 (文庫)
エドムント フッサール (著), 谷 徹 (翻訳)


2007年03月25日(Sun)▲ページの先頭へ
ドゥルーズのいう表面について:±ゼロと詭弁・妄想
『意味の論理学』(上巻)の「第2セリー 表面効果のパラドックス
」で、深層が批判され、表面が肯定される。

例によって、不明確に抽象的な言い方をしている。
《・・・効果は、事物や事物の状態ではなく、出来事である。 
    ・・・
効果は、実名詞や形容詞ではなく、動詞である。・・・効果は、生ける現在形ではなく、不定形である。すなわち、限界のないアイオーン、過去と未来へ無限に分割され、常に現在を逃れる生成である。》p.22

《エミール・ブレイエが、ストア派の思考を見事に再構成して述べるように、「メスが肉を切るとき、前者の物体は、後者の物体の上で、新しい特性を生産するのではなく、新しい属性を、切り分けられることという属性を生産するのである。この属性はいかなるリアルな形質も指示しない。・・・反対に、属性は、動詞によって表現される。言うなら、属性は、存在者ではなく、存在[すること]の様式である。  
     ・・・
一方に、深くリアルな存在者、力があり、他方に、存在者の表面で上演され、果てしなく多くの非物体的存在を構成する事物の面がある。」》p.23

《ストア派は、物体の厚みに対して、草原の霧(・・・)のように、表面でだけ上演される非物体的な出来事を対立させるが、そのとき、ストア派は何を言いたいのだろうか。物体の中に、物体の深層の中にあるものは、混在である。
    ・・・
しかし、われわれが、「拡大すること」「減少すること」「赤化すること」「緑化すること」「切ること」「切られること」などで言いたいことは、まったく別の種類のことである。もはや事物の状態や物体の底での混在ではなく、混在に由来する表面での非物体的な出来事である。》p.p. 23〜24

 
思うに、「効果」と言っているのは、実数軸上のゼロである。ここは、±ゼロである。

ブレイエの言う「切り分けられること」であるが、それは、ある同一性(メス)と他の同一性(肉)との接触的事象を意味するだろう。しかし、これは、同一性同士の現象力学(物質力学)であり、ドゥルーズが考えるように非物体的ではなく、正に、物体的である。これは、詭弁である。

「切り分けられること」という現象事象を、そのように呼ぶ観念は、確かに非物体的である。

ここでは、現象事象と命名とを混同していると思う。

そして、現象事象を不定形とするのも詭弁である。言語観念は、不定形であるが。

ドゥルーズの詭弁ないし妄想の「論理」は、「切り分けられること」(表面事象)という現象事象は本来、言語観念事象である。だから、観念的非物体的出来事は表面的であるということである。

これでは、全くの転倒、倒錯である。

現象事象は言語観念事象であるというのが、誤謬である。もし正しく言いたいならば、超越的事象があり、それが、現象事象=表面事象を生むのである。結局、批判するプラトニズムを一歩も出ていないのである。

もっとも、上述したように、「切り分けられること」は、超越的事象ではありえず、同一性同士の接触事象である。

ドゥルーズの理論は目茶苦茶、妄想的である。

後もう少し読んで終わりにする。

p.s. 上述の「効果」は±ゼロであり、それを出来事と結びつけた。しかし、出来事=「切り分けられること」は「表面」であるとドゥルーズは言っているが、本来、「切り分けられること」は、同一性的接触事象である。

「効果」・・・「出来事」・・・「不定形」・・・「切り分けられること」・・・「表面」

という系列がドゥルーズの「論理」である。
そして、「効果」は本来、±ゼロであると考えられる。

結局、「効果」という概念が錯誤である。「効果」は現象性であるから、それを理念的な出来事とするのは、まったく妄想である。つまり、恣意・妄想的に、現象を理念に変えているのである。そして、だから、理念は表面的であると述べているのである。

ここでは、現象は現象であると述べているのに過ぎないのである。そして、ドゥルーズの発想の基礎は±ゼロであるから、合わせれば、構造主義に過ぎないのである。

ドゥルーズの似非哲学は、構造主義的妄想である。

ドゥルーズはおそらく、精神病であったろう。


1 2 3 4    全114件




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2017年9月
         
20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:573
昨日:2,085
累計:4,786,778