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GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年11月04日(Mon)▲ページの先頭へ
モネの睡蓮の絵画の「光」とビデオ・カメラの「光」の質的違い:印象派 クロード・モネ 絵画
モネの睡蓮の絵画の「光」とビデオ・カメラの「光」の質的違い:印象派 クロード・モネ 絵画

以下、モネの睡蓮の絵のロケーションである有名なジベルニーの庭であるが、ビデオ・カメラの「眼」とモネの「眼」の違いが瞭然である。
 前者はいわば、物質的感覚の眼、電磁波の眼であり、後者は、「氣」の眼である。
 光の画家とは言え、ビデオ・カメラの撮る「光」とモネの捉える「光」は異質なのである。
 これは、喩えれば、純物質と生命物質体との違いである。
 便宜的に簡単に言えば、二つの「光」があるのである。物質的光と氣的光である。
 前者は物質的身体の捉える「光」であり、後者は氣的身体の捉える「光」である。
 先にモネの睡蓮の絵に関する私説で、それは、無双太極(陰陽未分化)を表現しているのではないかと提起した。あるいは、それから生まれる「光」を表現しているのではないかと述べた。あるいは、無双太極と外光との接点を表現しているのではないかとも述べた。(『モネの睡蓮の絵画力学について:陰陽未分化の太極(太元霊)の表現ではないか:水と光の未分化融合』http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11659956335.html
 思うに、モネの睡蓮の絵画の「光」とは、無双太極(陰陽未分化)の玄光(造語:根源的光)と氣=陰陽の「光」の融合したものが、陽光を反照しているのではないだろうか。
 ここで説明すると、氣が放つ「光」があると思う。それは、物質的「光」、電磁波の可視光とは異なる。
 モネが見ているのは、前者の氣の「光」(氣光とでも呼ぼう)であるし、また、それは、根源の無双太極の陰陽未分化の玄光を帯びていると感じるのである。
 玄光と氣光の融合している「光」、それは、太水と氣の光の融合であり、「水火」である。正に、お水取りの「水火」(火水:かみ)と一致するように思えるのである。
 そう、玄光という言い方は不適切である。玄水である。それが氣光を帯びるのである。
 つまり、玄水ー氣光がモネの睡蓮の絵のベースであり、それに日光が接しているのである。
 つまり、内なる玄水=氣の「光」と外なる氣の「光」が融合しているのが、モネの睡蓮の絵の「光」の映像の意味ではないだろうか。
 後でもう少し整理したい。 
 

印象派 クロード・モネ 絵画 第一集


印象派 クロード・モネ 絵画 第二集


Claude Monet - The Impressionist Painter


Normandie : le jardin de Claude Monet à Giverny VO ST


Giverny - Monet House and Garden: Clos Normande Water Garden - Le Nynphee


Impressionist Painting 1850-1900



画像付きは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11659956335.html

モネの睡蓮の絵画力学について:陰陽未分化の太極(太元霊)の表現ではないか:水と光の未分化融合

テーマ:art & design

最近急にモネを絵を見たくなった。
 しっとりとした映像に見入りたいと思うのである。
ずいぶん昔(30年ほど前か?)、モネの絵の美しさに恍惚となったものである。そう、あまり言う人はいないようだが、神秘的なのである。
 陰の心から画面と一体になるのである。
 しかし、その後、モネに興味を失った。なにかピントがずれているように感じたのである。
 そして、今、太極PS理論ができて、根源の太極・太元霊すなわち、太水にたどり着いたのである。水的なものが根源なのである。
 しかし、その水は日を産むのである。(参照:お水取り)
 とまれ、太水は陰と陽の未分化様態である。
 どうも、モネの睡蓮の絵はそれを表現しているように思えるのである。
 今はざっと指摘するに留める。

追記:光の画家ということだが、それは一面である。神秘の画家である。太極の陰陽未分化の太水と光の接点を描いているように思えるのである。
 そう、太水の神秘である。モネは中国的というか、東洋的である。

追記2:これは精緻に検討すべきことであるが、一言言うと、太水と陰陽の陰が、いわば、連携するのである。
 この点の力学はどうなっているのか明確にすべきである。
 今、直観で言うと、太極点の太水があるが、それが氣=陰陽極性へと変換する。
 つまり、陰陽未分化から氣=陰陽分極化である。
 前者と後者は不連続なのか、連続なのか。
 今は連続的なように思える。
太水の変化で、陰陽極性ができるのは、連続変化のように思えるのである。
 そうならば、不連続的差異論とは何であったのかということになる。それは、太極と自己同一性との不連続性を説いたものであるからである。
 どうも妙な具合になってきた。
 2つの直観が相矛盾するという感じなのである。
 整理すると、先ず、肚=太元=太極は、氣=陰陽とは不連続である。これが一つの直観である。
 しかし、太極から直観すると、それは、陰と連動するようなのである。すると連続的である。
 思えば、この直観像で、前期PS理論は混迷したと言えよう。
 途中であるが、時間がないので、ここで留める。これは、慎重に丁寧に精密に検討すべき問題である。

 以下、クロード・モネ - Wikipedia から。

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)



Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)

1.
モネ の画像検索結果

2.
モネ展| TBSテレビ
www.tbs.co.jp/monet-ten/ - キャッシュ - 類似ページ
日本の二大モネコレクション、夢の共演 !! 2013年7月13日(土)〜11月24日(日)【ポーラ
美術館】、2013年12月7日(土)〜2014年3月9日(日)【国立西洋美術館】にて開催。
3.
クロード・モネ-主要作品の解説と画像・壁紙-
www.salvastyle.com/menu_impressionism/monet.html - キャッシュ - 類似ページ
印象派最大の巨匠のひとりクロード・モネ最初期を代表する作品のひとつ『並木道(サン
=シメオン農場への道)』。本作はモネが23歳の時に、友人フレデリック・バジールや師
ウジェーヌ・ブーダンらと共に、セーヌ河口の港町オンフルールから西(トルーヴィル)へ ...
‎印象 -日の出 - ‎散歩、日傘をさす女性 - ‎積みわら、夕陽(積みわら、日没) - ‎睡蓮
4.
クロード・モネ monet (印象派) 作品紹介、美術館リンク
www.ne.jp/asahi/art/dorian/M/Monet/Monet.htm - キャッシュ - 類似ページ
クロード・モネ. ポスターはこちら. Claude Monet (1840−1926). フランス 印象派.
ブーダンの影響で、戸外での絵画制作を始める パリではルノワールやシスレーらと友人
になる。クールベやマネの影響を受け、「自然の光」をいかに描写するか、ということに
熱心 ...
5.
すごい「モネ展」。 - Pen Online
www.pen-online.jp/.../monet-in-pola-museum-and-national-museum-of-modern-art/ - キャッシュ
2013年9月2日 ... 印象派を代表する画家、クロード・モネ(1840〜1926年)。その優れたコレクションを誇る
、箱根のポーラ美術館と東京の国立西洋美術館とが、共同で素敵な展覧会を企画しま
した。題して『モネ、風景をみ...



2012年01月05日(Thu)▲ページの先頭へ
D. H. ロレンスの父権主義的志向性力学:同一性=父権的志向が差異=母権的志向を支配する反動化:後期、晩年は逆転して、純粋差異共振化=新母権主義へと到達する
D. H. ロレンスの父権主義的志向性力学:同一性=父権的志向が差異=母権的志向を支配する反動化:後期、晩年は逆転して、純粋差異共振化=新母権主義へと到達する

テーマ:literature

これは先に述べこと(D. H. ロレンス哲学の絶対的矛盾について:凸iと凹iの衝突と揺らぎ http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11126422047.html)
から、明らかであると考えられる。即ち、凸iが父権主義的志向性で、凹iが母権的志向性であると考えられ、ロレンス文学・哲学中期までは、後者が主導的、前者は補完的であり、中期以降のリーダーシップ小説期において、天秤が逆転して、前者が主導的なり、後者がそれに対して、均衡を目指すようになったと考えられる。
 PS理論から言えば、中期までは凹i⇒凸iが主導的で、中期以降のリーダーシップ小説期では凸i⇒凹iが主導的になったと考えられる。前者は差異共振志向であり、後者は同一性志向である。
 先に、ロレンスは即非の論理、乃至は、不連続化を知らなかったため、西欧の歴史的危機等に直面して、凸iと凹iを一致させようとしたと言ったが、それは、凸i*凹i=凸(+1)と数式化できよう。
 では、さらに考察を深めると、どうして、両者を一致させる、あるいは、一体化する力学が生じたのか解明する必要がある。
 それは、主に20世紀初期ないし前期における女性の存在の社会的台頭がきっかけとなり、ロレンスの内面、精神に、母権的原理への恐怖を起こさせ、そのために、ロレンスの凸iの父権的原理は、凹iの母権的原理を支配する方向にとりわけ傾斜したということで説明できるだろう。
 勿論、女性の台頭だけではなく、第一次世界大戦による文明破壊やロレンス個人における国家権力からの攻撃、あるいは、結婚生活における妻フリーダとの関係もそこに重なって、父権主義化への反動的エネルギーになったと考えるべきである。
 簡単にまとめると、ロレンスの内面において、凸i=父権主義と凹i=母権主義が元々衝突していたのであり、初期、中期において、後者が主で、前者が従であったが、中期以降のリーダーシップ小説期では、これが上記の理由で逆転したということになる。
 付け加えると、後期、いわば、ポスト・リーダーシップ小説期において、ロレンスの内面の力学は再び凹iへ と傾斜して、新母権的力学が誕生したと考えられる。代表的作品が中編小説の『逃げた雄鶏(死んだ男)』、紀行文『エトルリアの地』と評論『黙示録論』であ る。とりわけ、『逃げた雄鶏』に著しい。そこでは、女神イシスに仕える女性司祭、イシスの巫女が登場して、その母権主義と「死んだ男」=復活したイエスと のコスモスの超越的意識とが結合して、第三象限の世界を構築していると考えられるのである。
  ところで、リーダーシップ小説期のリーダー探求、ないし、新しい共同体(コミュニティ)の探求は、同時代のファシズムと関係があるように思える。ここで簡 単に示唆すれば、ファシズムは反動的同一性=父権主義志向と言えるのではないだろうか。もっとも、ロレンスの指導者探求をファシズムと一致させるのは強引 であるが、傾向においては類似性、共通性があると思われる。
 もっとも、忘れてはいけないのは、ロレンスの場合、父権主義的志向がある場合でも、それと対立する母権主義的志向に裏打ちされていることである。ファシズムにはこれはなかったと考えられる。

D. H. ロレンス哲学の絶対的矛盾について:凸iと凹iの衝突と揺らぎ
テーマ:manichaeism: 哲学

D. H. ロレンスは実に稀有な文学者である。作家と哲学者が並存しているのである。(三島由紀夫もその面があるが。) 明らかに、彼の哲学は絶対的矛盾を呈している。例を挙げれば、融合・一(いつ)の志向性と個・多の志向性があるからである。
 そして、この極性哲学がロレンス哲学である。
 しかしながら、中期以降、この極性哲学が破綻して、二項対立に傾斜するのである。言い換えると、極端に父権主義化するのである。
 これをどう見るか。ロレンスの精神は凸iと凹iの衝突、激突の戦場である。しかし、ロレンスは鈴木大拙の即非の理論を知らなかったために、常時、激しく揺れ動いていたのである。不思議の国のアリスのように、大きくなったり、小さくなったりしたのである。
 中期以降、ロレンスは精神の危機に陥った。極性バランスが崩れて、凹iでありつつ、凸iであろうとしたのである。差異でありつつ、同一性であろうとしたのである。即非の論理を知っていたなら、同一性であろうとはしなかったであろう。
 言い換えると、ロレンスは母権的でありつつ、父権主義化したのである。人間認識図で言えば、第三象限でありつつ、同時に、第二象限であろうとしたのである。
 そのため、ロレンスの作品は過度に混沌化したのである。それはリーダーシップ小説と呼ばれるものに、現れている。
 ロレンスの精神は凹iが天才的であり、第三象限に根ざしていた。しかし、凸iと凹iが不連続化していなかったため、あるいは、即非の論理を知らなかったために、時代の暗黒化等に触発されて、精神の混沌、混乱を起こしたのである。
 以上で、ざっとであるが、長年の謎の解明ができた。



2011年10月27日(Thu)▲ページの先頭へ
三島由紀夫の『禁色』の表層と深層:仮相的表現と哲学的認識
「彼[檜俊輔:ひのきしゅんすけ]の作品に欠けている凡(あら)ゆる要素が日記の各頁に躍動していたが、それらをそのまま作品に移すことは、生の真実を憎む俊輔の態度に背くことであった。天稟(てんぴん)のどんな部分も、自(おのずか)ら流露する部分は贋ものだという確信を抱いていた。それにもかかわらずその作品が客観性を欠いていた原因は、彼が拠ったこのような創作態度の、頑なに失した主観的固執にあったのである。生の真実を憎むあまりに、それとあまりに対蹠(たいせき)的に照応した、いわば生身の裸体から鋳型をとられた彫像のごときものが彼の作品だった。」 

『禁色』(新潮文庫)、p. 18

 以上は、三島由紀夫の『禁色』の最初の箇所から引用したものである。これはよく知られた三島の創作方法を述べものである。これは表層である。私が述べたいのはこの作品で深層で語っているのは哲学的精神、哲学的知性であるということである。明らかに三島は近代、戦後近代の痴態を批判しているのである。この戦後近代批判を行なっているのは表面の語り手ではなく、三島の深層にある哲学的知性である。これはいわば表層では隠れているのである。表面の仮相ではなく、深層に測深しないとこの哲学的知性は認識できないと言えよう。

とまれ、今は三島が本作品で鋭敏な近代批判、近代的自我批判を行なっていること、それは彼の深層の哲学的知性に拠るということを述べるに留めたい。

また、この作品の言語表現はまた映像的であり、魂の視覚をもって外界を捉えている。そう、詩人の眼がここにはあるのである。

今、予見を言うと、三島の哲学は超越的哲学である。彼は超越的世界から語っているのである。三島文学はこの視点から解明される必要がある。単に仏教的視点からだけではない。そう、明らかにパラドクシカルな、イロニーの表現は、鋭敏な陰陽的視野から来ていると考えられる。

思うに、日本文学ないしは世界文学が貧弱になったのは、三島文学・哲学を的確に認識する文学者、作家の不在が原因である。大江健三郎は当然、理解できなかったし、村上春樹は問題外である。

そう、これまで、三島文学・哲学が理解されたことがあったのかと管見で思う。PS理論によってこそ、解明されると考えられる。


2011年09月26日(Mon)▲ページの先頭へ
D. H. ロレンスの初期哲学とPS理論は陰陽極性論が共通:『王冠』、『トマス・ハーディ研究』他
評論『トマス・ハーディ研究』において、ロレンスは独自の哲学を展開している(正確に言うと、『王冠』と類似の理論を展開している。『王冠』より早いか、ほぼ同時である)。とりわけ、キリスト教の三位一体論を活用した極性論は東洋の陰陽論に似るが、世界文学(西洋文学)から例をあげて、具体的に論じている。
 簡単に言うと、

「父」(旧約)=「法」=身体(肉体)=闇

VS

「子」(新約)=「愛」=精神=光

という根源的な絶対的対立・矛盾があり、それを調和させるものは「聖霊」である。これは、『王冠』と同じであるが、『王冠』よりは具体的に論じられている。
  これをPS理論的に解読すれば、「父」は凹(-1)と凸(+1)ではないだろうか。そして、「子」は凹i(-i)と凸i(+i)のように思える。言い換えると、実軸と虚軸の対立である。そして、「聖霊」はmedia pointということになるだろう。
また、興味深いのはFleshである。これは、身体、肉体、感覚となるが、物質的身体というよりは、根源的身体のように思える。つまり、dark matterに基づく身体のように思えるのである。
 今はここで留める。

追記:リーダーシップ探求期(所謂、リーダーシップ小説期)において、初期の哲学がおそらく破綻したのである。つまり、極性の均衡が否定されて、つまり、「子」を否定して、「父」のみを肯定するようになるのである。内在していた二項対立が支配的になり、極性を否定することになった。もっとも、正確に言うと、極性は残っているのであるが、二項対立が強化され、優越的なのである。

追記2:『トマス・ハーディ研究』(ケンブリッジ版)のp. 95に、「法」は女性原理であると述べている。だから、「父」とすると、混乱を招く恐れがある。
 とまれ、ロレンスは独創的な初期哲学から中期において、逸脱するようになると考えられる。つまり、父権主義化したのである。それは、ロレンスの心の弱さの証明ではないだろうか。「父」=「法」のもつ女性原理(私なら母権原理)を中期ロレンスは恐れた節がある。それを抑圧しようとしたのである。反動である。ここで、ロレンスの前エディプス的病理がはたらいているのかもしれない。しかし、それを呼び戻した起因があるはずである。
 今の作業仮説では、第一世界大戦やその他の窮境によって、ロレンスは欧州社会・文化に絶望して、破壊的に、否定的になったのである。欧州へのそれまでの希望が消失したのである。具体的に言えば、世界大戦は機械文明がもたらしたものであり、その機械文明はロレンスに拠れば、キリスト教的なものであり、絶望をもたらした世界大戦を生んだ欧州文化、即ち、キリスト教文化は否定されなくてはならいとロレンスはドラスティックに極論したのではないだろうか。
 この否定は弁証法的であり、反動的であり、初期哲学の極性論とは不連続なものである。ロレンスの精神の危機と言えよう。自己否定となったのである。

Study of Thomas Hardy - Modernism Lab Essays
http://modernism.research.yale.edu/wiki/index.php/Study_of_Thomas_Hardy

Amazon.com: Study of Thomas Hardy and Other Essays (The ...
http://www.amazon.com/Study-Thomas-Essays-Cambridge-Lawrence/dp/0521272483


2010年08月16日(Mon)▲ページの先頭へ
芸術作品の成功の基盤:PS理論的トランス・モダン美学:トランス・モダン進化の降臨的襲来
芸術作品、例えば、文学作品が成功していると判断できる基盤とは何だろうか。それは、結局、追体験できることにあるのではないだろうか。そして、追体験ないし体験の基軸にあるのは、Media Pointである。理論的には、そうであるが、追体験、体験における具体性とは何なのか。
 それは、感覚、知覚に基づく経験的表現ではないだろうか。単に、観念、概念、知性による叙述ならば、それは、思想や哲学にはなっても、芸術作品には、当然ならない。
 では、感覚的な体験的な表現の何が芸術の本質なのか。これは、やはり、Media Pointの意義を考えざるをえない。芸術とは、感覚・追体験的にMedia Pointの様態を表現していると思われる。
 ただ単に、感覚的追体験的な表現だけでは、すぐれた芸術にはならない。平板な凡庸な作品になる。そこに、Media Point的様態がなくてはならないのである。Media Point的感覚体験的表現があることに拠り、作品がいわば、生きる、息吹をもつのである。生空間が生まれるのである。それにいわば共感し、感動感銘を覚えるのである。
 そう、Media Point的な感覚体験的表現は、読者、鑑賞者、視聴者をMedia Pointを感覚追体験的に解放すると考えられるのである。つまり、日常において、一般者は、物質的感覚知覚の世界に生きていて、いわば、Media Pointを閉じているのであるが、日常生活を離れて、上質の芸術作品に接することで、閉じられていた一般者のMedia Pointが解放されて、いわば、再生するのである。これは、作品のもつ凸i#凹iの差異共立エネルギーが放出されるからだと考えられる。
 日常生活は、差異共振的同一性(物質)的な力動が支配するが、芸術作品の享受においては、潜在的な差異共立エネルギーが放出されるのであり、それが、美ないし崇高的感銘・感動を生むと考えられる。言い換えると、即非的な追体験が味わうのである。
 単に三次元的な感覚体験では、浮薄なものしか得られないが、Media Point的感覚体験的表現では、深い、高い境地を得られるのである。そう、今では、それが、高次元的表現であると明確に説くことができるのである。あるいは、心精的表現である。シュタイナー的に言えば、感覚―超感覚的表現ということになる。
 また、以上のことは、芸術的普遍性を意味すると考えられるのであり、PS理論的美学、トランス・モダン・イーセティックが形成されたことになるのである。
 そう、Media Point的感覚体験的表現とは、高次元的表現であり、それは、超越光的表現である。ここから、芸術において、ポリフォニー(対位法)がなぜ核心的か簡単に理解できるのである。これは、音楽、美術だけでなく、文学においてもそうである。代表的作家は、音楽ならばバッハ、美術ならばルネ・マグリット、文学ならばD. H. ロレンスである。これは、芸術・美学の相対性理論と言えよう。ただし、差異共立が前提である。
 さて、最後に簡単に、トランス・モダン・アート(多様な芸術を含める)の創造について触れよう。
 結局、近代という時代において、すぐれた作家は近代合理主義に対抗して、Media Point的表現を志向したと言える。(他の領域においても、Media Pointの探究が為されたと言える。)つまり、トランス・モダン的志向性をもっていたのである。とりわけ、20世紀初期、前期の作家に見ることができる。しかしながら、文学史等では、それらをモダニズムという様式概念に括っている。これは、明らかに誤謬、錯誤、倒錯である。「
 それらは、トランス・モダニズムと呼ぶのが適切なのである。それは、後のポスト・モダニズムをはるかに超えた芸術表現であると言える。結局、モダニズムとは何かということになる。それは、端的に言えば、トランス・モダンの表現衝動がモダンの表現と激突して生まれた芸術表現様式であると考えられる。だから、表面的に見ると、モダン的表層があり、それが、斬新なために、モダニズムと呼ばれたのではないだろうか。
 よくモダニズムの断片性やモンタージュ性(パスティーシュ性)について言われるが、それは、根源にMedia Pointの絶対的差異性ないし絶対的他者性があるからであり、意識を不連続化する傾向の表出として、それらを見ることができよう。あるいは、神話的志向であるが、それも当然、Media Pointの高次元性がそれを志向したと考えられる。この点から、また、シュルレアリスムやダダイズムを考えるべきである。
 日本では、三島由紀夫や大江健三郎もその視点から見るべきである。そして、宮沢賢治はこの視点からのみ、明確に理解されるのである。そして、折口信夫の奇蹟的な『死者の書』もこの視点から理解可能である。つまり、近代・現代的文学とは、トランス・モダン的志向を胚種としてもつ文学であると言える。
 今日、モダン/ポスト・モダン的な物質主義が支配的なために、モダニズムのトランス・モダン性がまったく理解されていないのである。近代合理主義、唯物論が悪魔的に支配しているのである。
 とまれ、今や、リーマン・ショックによって、近代主義が終焉したと言えるのであり、誤解されてきたトランス・モダン芸術が評価される時代となったのであり、また、新たなトランス・モダン・アートが創造される時代となったということができるのである。
 そう、たとえば、レディー・ガガは、Media Point的表現によって、トランス・モダン・シンガーアーティストと言えよう。
 


2010年07月09日(Fri)▲ページの先頭へ
D. H. ロレンスの動物-人物相関象徴主義:即非的双極志向性芸術論
ロレンスの短編・中編小説作品に鮮烈に存在する動物と登場人物(人物)とを相関させる表現方法を理論化する必要がある。
 とりあえず、動物ー人物相関象徴主義と呼ぶことにする。この表現方法はPS理論的に解明するとどうなるのだろうか。
 これは、今閃いたが、MP1(虚軸のゼロ点)の差異共立一如体の表現方法ではないのか思う。即ち、人物凸iと動物凹iが存するとする。
 動物を例えば、狐としよう。そして、人物を、ブラウン氏としよう。
 即ち、MP1において、凸i(ブラウン氏)*凹i(狐)が存する(これまで、共立を#としたが、MP1と限定すれば、*で足りる)。
 重要なのは、凸iは凹iへと志向し、且つ、凹iは凸iへと志向することである。しかしながら、ここでは、MP2におけるように共振作用はなく、あくまで、共立一如様態があるのである。
 具体的に言えば、ブラウン氏は狐へと志向し、狐はブラウン氏へと志向するということである。しかしながら、ブラウン氏はブラウン氏で、狐ではなく、また、逆も同様である。だから、ここにも即非様態があると言えるだろう(先に、MP1とMP2の関係が即非であると述べた)。
 とまれ、この即非的志向性が、ロレンスの動物ー人物相関象徴主義(象徴美学)の解明になるのではないだろうか。つまり、即非的双極志向性美学があるということになるだろう。
 どうも天才的芸術家はこの美学を体得しているようである。一種のポリフォニーと言える。
 とまれ、ざっとであるが、ロレンスの美学の核心の一つがこれで明確になったであろう。

追記:対位法とも呼べよう。即ち、動物ー人物対位法的象徴主義である。

追記2:ドゥルーズ&ガタリが『哲学とは何か』で述べていた生成変化(子ども、女性、動物、マイノリティへの生成変化)、変様態(いわば、即非的情感)・被知覚態(他者に知覚されうこと)は、正しくは、MP1の様態力学で説明できるだろう。
 彼らの問題は、当然、超越性の否定と内在性(実数性)の肯定にある。結局、MP1とMP2との連続的混淆様態にあるのが彼らの理論である。それが、「離接」という概念に表れていよう。つまり、「接」に連続性があるのである。
 即非的様態とは、連続性はないのである。連続性ではなく、一如性があるのである。
 例証すると、生成変化という概念であるが、例えば、動物になるという生成変化を考えよう。ある人物Xが鯨に生成変化するとしよう。しかしながら、このとい、人物Xは鯨と連続態になっているのである。
 しかしながら、上述したロレンスの芸術的方法論は、あくまで、即非様態なのである。つまり、ブラウン氏は狐へと志向するが、究極的に狐になるのではない。あくまで、ブラウン氏と狐は不連続であり、差異共立一如態なのである。言い換えると、生成変化の場合、ブラウン氏は狐へと連続化するということである。このような連続性は、当然、不連続性や超越性を否定していることから発するのである。

外国文学(イギリス文学他)
D・H・ロレンス短篇全集〈第1巻〉 (-)
D.H. ロレンス (著), 西村 孝次 (翻訳), 鉄村 春生 (翻訳), 上村 哲彦 (翻訳), 戸田 仁 (翻訳)


2010年05月22日(Sat)▲ページの先頭へ
視覚と言語:個・差異的視覚と言語・同一性的視覚:敗戦後の同一性傾斜の言語が視覚空間を破壊した
先に、+iと-iは言語的思考をすると述べたが、補足ないしは補正がいるが、その問題は以下の検討で解明されるだろう。
 さて、視覚と言語の関係について考えたいが、これは、他ならぬ、差異と同一性の関係の問題である。
 これまで、差異即非共振現象が根本にあり、それから、言語習得が為されて、言語同一性が形成される述べた。これは当然、自己同一性(自我)と密接に関係する。
 結局、本来、視覚は差異共振現象の感覚である。しかるに、+iの傾斜があると差異共振的視覚知覚を、同一性的形態・形式(構造:カントの超越論的形式)の枠で制限すると考えられるのである。この差異共振エネルギーの同一性的抑圧・排除は疎外・阻害である。
 精神はここで、矛盾を起こしているのである。差異的視覚と同一性的形態の矛盾である。しかしながら、同一性に傾斜しているので、差異の抑圧は一般には注意されないのである(フッサールの自然的態度、仏教の無明)。
 しかし、本来の正当な芸術家、アーティストは、この被抑圧の差異的視覚(Media Point Vision)を肯定的根拠として、創造活動を行なうのである。だから、差異的視覚と同一性的形態との二重ヴィジョンがそこに生じるのである。それは、 Kaisetsu氏が取り上げるルネ・マグリットの絵画空間に典型的に表現されていると考えられるのである。この二重ヴィジョンは、差異的空間と同一性空間との境界をもつ視覚空間と考えられるのである。
 さて、本題に戻ると、+i傾斜は同一性形態を生み、また、言語形成と結びつき、言語同一性を生み、結局、同一性自己(自我)を形成するのである。
 本来の差異、即ち、自己差異である+iと他者差異である-iは、同一性+1に還元されるのである。これは、
(+i)*(-i)=+1と表記できよう。自己同一性方程式である。
 日本は敗戦後、連合国(米国)と売国奴との占領政策によって、公教育的に敗戦以前の東洋・日本的伝統文化を排除して、近代合理主義をいわば金科玉条として受容したのである。
 近代合理主義とは取りも直さず、自己同一性主義(近代的自我の同一性主義)であるから、敗戦後以降の日本において、差異的視覚を抑圧して同一性的視覚が支配的になったと考えるのは自然である。
 これは、当然、思考においても同じである。差異的思考を抑圧して同一性的思考(果たして、思考と言えるか問題であるが、暫定的、便宜的に思考と呼ぶ)が支配的になるのである。
 日本の場合、父権的同一性が強いので、自己同一性主義は父権的同一性主義になったと考えられる。(西洋の場合、ルネサンスやプロテスタンティズムに基づく、個の原理が基底としてあるが、日本の場合は、本来、東洋・日本的伝統文化の個の原理があったが、それが、否定されて、残存している父権主義と自己同一性主義が結合したと考えられる。)
 結局、差異的視覚/差異的思考が同一性的視覚/同一性的思考によって抑圧・排除されたのであるが、ここで、言語の問題を入れると、差異的言語が同一性的言語に抑圧・排除されたということになる。
 つまり、敗戦後以降、日本社会において、同一性的視覚/思考/言語空間が支配してきたのである。これは、当然、政治・経済においてもそうである。
 とまれ、ここで、対象を芸術・アートに限定すると、敗戦後の日本を支配する同一性的視覚のために、芸術・アートは本来の差異的視覚を奪われて、正当性を喪失してきたと一般には考えられる。結局、擬似的芸術・アートが、似非権威となり、本来の、正統な芸術・アートを奪い、殲滅してきたのである。これは、当然、音楽や文学にも当てはまるのである。つまり、商業的には、同一性的美学を宣伝して、大衆を麻痺させて、ガラクタを与えてきたのである。ここには、似非評論家が強く洗脳活動を行ったのであり、害悪となっているのである。(例えば、村上春樹の作品である。言語観念を同一性観念として使用していて、差異的具体性を喪失した、非現実的な文学である。)
 ここで、言葉の問題があるのである。似非評論家は、差異的視覚/思考/言語を喪失したまま、同一性・抽象的言語の虚構を作り出してきたと考えられるのである。
 民衆、国民との接点を喪失した悪しき、閉鎖空間の構築を手助けしてきたのである。
 以上のことを換言すると、身体性の喪失と言うことが言えよう。視覚的表現にしろ、言語的表現にしろ、音楽的表現にしろ、身体性を敗戦後の日本は喪失してきたのである。
 より正確に言えば、視覚より、言語の方が同一性的である。つまり、言語的同一性主義によって、視覚本来の差異性、差異即非共振性を抑圧、排除してきたと考えられるのである。
 これが、正しい見解である。つまり、敗戦後の日本は近代合理主義=自己同一性をマインド・コントロール的に受容して、言語的同一性主義を形成して、視覚空間を同一性形態・フレームに抑圧、固定して、それを破壊してきたと言えよう。それは、開発という自然破壊、また、東京の醜悪な高層ビル等に如実に見て取ることができる。


参照:『光の帝国』は、白い雲の浮かぶ青空が「光」であり、シルエットのようになる木々や屋敷は「影」であり、真ん中の街灯が、両者の中心である Media Pointと考えられる。思うに、青空を差異とすると、シルエットが同一性となるし、逆に、青空を同一性とすると、シルエットが差異となるだろう。ネガとポジの陰陽性がある。そして、この極性をMedia Pointの街灯が産み出していると言えよう。
 とまれ、ここには、差異共振視覚空間が明快に表現されていると言えよう。

追記:参照の同一性であるが、正確に言うと、⇒の先端である。そして、差異は⇒の起点である。だから、Vector Modeである。だから、「光」は先端となり、「影」は起点となり、また、逆に、「影」が起点となり、「光」が先端となると考えられるのである。つまり、ここには、同一性はなく、ただ、差異の起点と先端の極性があるということになるのである。


Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation


マグリット『光の帝国』

http://artguide.269g.net/category/242053-10.html
おまさんたアートでも見に行かんかね


1954年に描かれたマグリットの代表作,「光の帝国」。

この作品に,マグリットはこんな言葉を残しています。

 「 白昼の空の下に夜の風景が広がる。
   最初は判らないが,もう一度よく見て初めて,実写的に描かれた
  この舞台装置の超現実性が意識される。
   「光の帝国」の中に,私は相違するイメージを再現した。つまり,
  夜の風景と,白昼の空だ。風景は夜を想起させ,空は昼を想起させる。
  昼と夜のこの共存が,私達を驚かせ魅惑する力を持つのだと思われる。

   この力を,私は詩と呼ぶのだ。」

http://blog.livedoor.jp/kibora_hiro/archives/cat_50034005.html
ひろ空間


2009年11月09日(Mon)▲ページの先頭へ
これが差異共振の真打ちである:複雑系差異共振的作品:トランス・モダン音楽
YouTubeは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10383713030.html

クラシック音楽(classical music)とは、結局、対位法を形成したときに生まれたのではないだろうか。その完成がバッハである。
 しかしながら、その差異共振性をその後の作曲家が真に理解したか疑わしい。ドイツ・オーストリア音楽は、思うに、根源的に東洋的な差異共振性がある。
 この作曲方法は、今日でも当然、用いられうるし、また、活用すべきである。
 結局、Media Pointないしは精神的フィルターを介して、差異共振が多様複雑化(複雑系)できるのである。
 一つの差異共振対話連鎖、例えば、

A*B⇒A1*B1⇒A2*B2⇒・・・

が存する。それを仮に、Cとする。Cに対して、Dの他者を共振させることができる。即ち、

C*D⇒C1*D1⇒C2*D2⇒・・・

である。同様に、C*DをEとして、E*Fの差異共振対話が形成できる。
 そうすると、多次元的な差異共振対話的作品が生まれる。言い換えると、複雑系的作品である。
 もっとも、バッハのフーガの技法は、そのような作品である。トランス・モダン音楽である。

追記:思うに、ポイントは、差異共振=即非化の「ツボ」である。シュルレアリスムが唱えたロートレアモンの「ミシンと蝙蝠傘の手術台の上での不意の出会いのように美しい」というのでは皮相である。一時的である。差異共振=即非は普遍的でなくてはならない。
 つまり、端的に言えば、正反対になる要素が必要なのである。Aの正反対のBが、Aと差異共振するのである。言い換えると、極性的な反対の要素が必要なのである。
 例えば、Aはカップ麺である。Bは本である。A≠Bである。しかしながら、A=Bにはならない。つまり、カップ麺と本は差異共振しないのである。
 思うに、認識的要素が必要なのである。Aは「わたし」である。Bは川である。A≠Bである。しかし、「わたし」は川である、ということは成立するのである。
 結局、認識のもつ存在への志向性がポイントだと考えられる。だから、認識的差異共振であり、存在的差異共振は不可能である。それは、幻想である。シュルレアリスムの失敗はここにあると言えよう。


2009年11月07日(Sat)▲ページの先頭へ
シューマン『ピアノ・コンチェルト』の分析:シューマン音楽の霊性
YouTubeは以下で見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10382781687.html

以下、最初のYouTubeの7分52秒以降(二番目のものは、7分18秒以降)を聴いていただきたい。そこに、私が感じるシューマン音楽の優れた霊性があるのである。
 非常に興の乗った箇所である。繰りかえしもある。とまれ、そこでは、音形は、波のように繰りかえす流麗なフレーズと鋭いリズムが交差するものである。
 ポイントはメロディーの様態とリズムの付け方である。盛り上がる強い調子とほぼ同時に引くような止める調子が共存しているのである。
 簡単に言えば、個の強い意志の主張があるが、同時に、個は引くのである。これは、+iの意志と-iへの志向性と言えるように思える。
 つまり、強い+iと他者-iへの志向性、これによって、この箇所において、シューマンは、差異共振性を形成していると考えられる。そのために、ここでは、超越的調和が発現していると考えられる。これが、私のいうシューマン音楽の霊性である。
 そうすると、音形Y1と音形Y2があるが、これは、Y1=i、Y2=-iである。
 そして、これを対話連鎖させるのである。すると、

Y1*Y2⇒Y3*Y4⇒Y5*Y6⇒Y7*Y8⇒・・・

となる。もっとも、これは、(+i)*(-i)⇒の差異共振の対話連鎖である。だから、

(+i1)*(-i1)⇒(+i2)*(-i2)⇒(+i3)*(-i3)⇒(+i4)*(-i4)⇒・・・

となるのである。
 これが、シューマンの奇跡的な名曲ピアノ・コンチェルトのもつ霊性の方程式ではないだろうか。

Argerich - Schumann's Piano Concerto in A minor Op. 54 Pt 4-4


Argerich & Tilson-Thomas/SFSO - Schumann concerto, movt. III


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Argerich & Tilson-Thomas/SFSO - Schumann concerto (movt. I)


2009年10月12日(Mon)▲ページの先頭へ
対話原理式と対話一般式:多次元差異共立と「残像」の和(差):漱石の文学論の変換:F+f⇒A*B
Kaisetsu氏の以下の発展的論考は実に意義深い(尚、赤色や赤色の箇所の下線の強調はRenshi)。
 「和(差)が異次元の差異共立を表す記号である」という指摘は、重要である。そうすると、多次元差異共立が発生しているということになる。
 また、『時間的視点からは、「残像」の和(差)が対話の本質であろう』という点であるが、「残像」ということで、漱石の文学論のF+f説を想起した。Fとは「焦点的印象または観念」であり、fとは「これに付着する情緒」である。
 ここで、F+fをA*Bと書き換えてみよう。主体Aが他者Bと差異共振対話すると、他者Bが人間であれ、動物・植物であれ、あるいは、無生物であれ、あるいは、観念・概念であれ、そこには、エネルギーが生じる。このエネルギーに、fを入れることができるだろう。
 そうすると、漱石の文学論は、F+f⇒A*Bと変換される。そして、結局、PS理論的文学論とは、正に、対話原理式、対話一般式で表されると言えよう。
 
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新しい文学論のスタート⇒対話と差異共振 by Renshi氏

Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

Sun, October 11, 2009 16:46:21
対話と差異共振:A*B⇒A1*B1⇒A2*B2⇒・・・


AとBの対話は、A+b、B+aで終わるものではない。A*B⇒A1*B1⇒A2*B2⇒・・・
となるのである。*は共振ないしは即非共振である。そして、
AK*BK
が差異共振の成果である。これは、AK=BKであり、また、AK≠BKという即非共振である。
 少し説明すると、共振によって、AはBと一(いつ)となり、Bを理解するのであり、Bを取り込むのである。しかしながら、同時に、AはAであるのである。だから、即非一性という成果があるとも言える。



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(海舌の解説)

対話は差異価値衝突であり、積である。
Renshi氏の「A*B」という数的表現は正しい。

 参照: 2007.10.13 Saturday
貨幣交換は象徴交換である。貨幣交換は「衝突」である。

 対話は、価値衝突と書いたが、価値交換とも言えるのであり、まさに、Renshi氏の次の認識は正しいのである。

⇒共振によって、AはBと一(いつ)となり、Bを理解するのであり、Bを取り込むのである。しかしながら、同時に、AはAであるのである。だから、即非一性という成果があるとも言える。

 和(差)とは、異次元の差異共立を表す記号である。差異が、互いに没価値的に接触しない状況を表す記号が(和、差)である。和、差の区別は別に説明する。

 ボールAとボールBが、互いに衝突すると、ボールAのエネルギーはボールBに移り、ボールBのエネルギーはボールAに移る。その瞬間、両者は反発して互いに反対方向に離れる。

 ボールAとボールBの衝突前と衝突後のエネルギー状態、つまり、価値状態は異なる。

 つまり、Renshi氏の記号を使うと、

A1
B1

 と表現できる。

 何等かの事情で、A1とB1が、再度、衝突すると、その現象は、

A1*B1と数的に表記できる。

 この「A*B」と「A1*B1」は、異次元の価値である。「A*B」と「A1*B1」は質的に同一ではない。偶然、エネルギー・レベルが数量的に同値であっても、存在する時刻が異なる。時刻は絶対的な異次元ファクターである。

 時刻を表す記号として、「1」「2」・・・を見ても良いだろう。

 Renshi氏の表現を用いると、

 A*B⇒A1*B1⇒A2*B2⇒・・・(Renshi氏の対話原理式 Original expression for dialog)

 は、連続衝突後のエネルギー状態、つまり、価値衝突(交換)後の状態を逐一に表現していると考えられる。

 この価値の連続衝突(交換)の「一つ一つの状態」、時間的視点からは、「残像」の和(差)が、対話の本質であろう。

 つまり、

 二者間対話は、

婆=1,2,3・・・n (Ak*Bk)(海舌(明日野)の対話一般式 General expression for dialog)

 と表現できるだろう。
http://blog.kaisetsu.org
/?eid=810088
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

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「文学論」

「英文学形式論」は講義の第二部たる「文学論」の序章でもあった。前者は文学の形式について論じ、後者は内容について論じている。「文学論」はまた、今や中止せざるを得なくなった、漱石の「十年計画」の記念碑たるものだったが、漱石はのちにこれを『奇形児の残骸』(「私の個人主義」)と呼んでいる。この講義録を読むと、漱石の特質がよくわかる。つまり、客観性を重んじる分析的態度、持論の解説に必要な材料の完璧なまでの処理、あらゆる時代の権威者たちからの適切なる数多くの引用とそれに対する遠慮のない反論、文学的・非文学的見地からの鋭い観察に基づく、独創性あふれる洞察、西洋と東洋の文学の興味深い比較などがそれだが、中でもとくに注目されるのは、英文学に限らず、すべての文学そのものを支配する基本原理を突き止めようとする熱意だ。英文学は漱石にとって、文学の一つの側面にすぎなかった。今あげたような漱石の持つ特質が、「文学論」を、日本の文学者によって書かれた論文中最も重要な意味を持つものにしている。
 いかなる文学であれ、その内容はF+fという基本的な公式に帰する。Fは『焦点的印象または観念』を表し、fは『これに付着する情緒』を意味する。つまり、すべての文学の内容は観念的要素たるFと情緒的要素たるfの結合の結果である。Fは継続する意識の焦点、すなわち頂点を示し、したがって、個人の意識の中に瞬間的に現れる印象・観念だけでなく、その人の人生のある一時期、さらには、社会の進化の過程のある一時期に現れる印象観念をも含む。つまり、Fは心理学的基礎から出発し、社会的要因にまで発展する。このような論理の展開に沿って、漱石の講義は五つの大きな部分に分けられている。つまり、文学的内容の分類、文学的内容の数量的変化、文学的内容の特質、文学的内容の相互関係、集合的Fの五編だ。
 第一編で漱石は文学的内容を分類し、それによって文学の領域を明らかにしようとした。その領域は一般的に文学の領域と考えられている範囲、つまり、文学を純粋に知的な喜びと考える人間、その反対に道徳的観点から文学そのものの存在を否定する人間、どちらの種類の人間が考えている文学の範囲をも越える、非常に広範なものだ。人間が経験するすべての印象および観念は、三つに大別することができる。『(一)Fありてfなき場合すなわち知的要素を存し情的要素を欠くもの、たとえば吾人が有する三角形の観念のごとく、それに伴ふ情緒さらにあることなきもの。(二)Fに伴なうてfを生ずる場合、たとえば、花、星等の観念におけるがごときもの。(三)fのみ存在して、それに相応すべきFを認めえざる場合、・・・すなわちなんらの理由なくして感ずる恐怖など、みなこれに属すべきものなり。・・・以上三種のうち、文学的内容たりうべきは(二)にして、すなわち(F+f)の形式を具ふるものとす。』文学に表現される人間の基本的感覚要素は、触覚、温度、味覚、嗅覚、聴覚、視覚の六つだ。漱石はリボットの分類に従って、文学の内容となりうる心理的・感情的要素を二つに分けている。一つは恐怖、怒り、同情、自己観念、性的感情、愛情などの比較的単純な感情、もう一つは嫉妬、忠誠心、超自然的感覚、一般化された真実などの複雑な感情だ。そのあとに入念な例証が続くが、これは漱石が、感情こそが文学の試金石であると考えているためだ。言い替えるなら、文学は感情に始まり感情に終わる。人間のいかなる経験でも、それがfを引き起こすものでありさえすれば、文学になりうる。漱石はそう論じた後、文学の内容となりうるものすべて、つまりF+fという基本公式にあてはまるもののすべてが四つに分類されると言っている。つまり、『(一)感覚F、(二)人事F、(三)超自然F、(四)知識F』の四つだ。(一)はおもに自然界に関するもの、(二)は善悪喜怒哀楽を写した人間のドラマ、(三)は超自然あるいは宗教的な世界、(四)は人間のかかえる問題についての哲学的・精神的観念に関するものだ。この四つのFのうち文学の内容として最も効果的でないものは(四)の知識Fだ。なぜなら、文学においては、内容がより具体的であればあるほど、読者の感情を揺さぶることは少ないからだ。
http://soseki.intlcafe.info
/kenkyuu/index12.html
『漱石研究』


2009年10月02日(Fri)▲ページの先頭へ
村上春樹の小説は「薬物」である:ポスト・モダンの反動小説
結局、人間は、Media Pointからのエネルギーを得たいのである。日常の資本主義社会では、それが得られないのである。その代償として、村上春樹の小説が願望されるのである。
 これは、あくまでも代償であり、本当の満足にはならない。彼は、ポスト・モダンの日本そのものであり、現実に媚びているのである。
 一見口当たりのいい文体が曲者である。よく会話文を見てほしい。日本語本来の意味合いが破壊されているのである。
 思うに、彼の作品は、思わせぶりの文学であり、何か小泉似非構造改革に似ているのである。
 現実改変を行うと見せておいて、実際は旧態依然なのである。
 今や、「魂」を渇望を癒すには、差異である自然に還る必要がある。それも、個・絶対的差異としてである。

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なぜ「村上春樹」本はいつもバカ売れするのか
プレジデント10月 2日(金) 10時 0分配信 / 経済 - 経済総合
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なぜ「村上春樹」本はいつもバカ売れするのかなぜ「村上春樹」本はいつもバカ売れするのか
村上春樹の「ブランド・エクイティ」構造
■発売前から増刷! 春樹ブランドの驚異

 今年の出版界の最大の話題作といえば、村上春樹の5年ぶりの長編である『1Q84』だ。初版は一巻20万部、二巻18万部だったが、予約が相次いだため、発売前に増刷が決定。その後も増刷を重ね、発売後12日間で計100万部を達成した。これはミリオンセラーの最短記録だという。
 どうして異例ともいえる売れ行きを見せたのか。
「『1Q84』の文学的価値が評価されたから」という理由では、発売前から予約が殺到したことの説明がつかない。作品が世に出る前から注目を集めたのは、「村上春樹」というブランドがなせるわざだと考えるべきだろう。

 ブランドは、いまや製品やサービスの売れ行きを大きく左右する要素の一つになっている。ただ、かつてはそう捉えられていなかった。ブランドは製品やサービスを他と識別するためものであり、伝統的なマーケティングにおいては、せいぜいプロダクトの下位変数という扱いしかされていなかった。
 ブランドの意味づけを大きく変えた立役者が、デービッド・A・アーカーだ。従来は識別手段にすぎなかったブランドを、アーカーはエクイティ(資産)と位置づけ、戦略的にマネジメントする必要があると説いたのだ。
 ブランド・エクイティという概念の登場で、企業のブランド戦略は180度変わった。まずブランド・マネジメントのスパンが長期化した。アーカー以前の 1980年代の米国は、MBAマネジメントの全盛期。ブランド・マネジャーは短期間に成果を出すことを求められ、ブランドの育成より、ブランドを消耗して利益を捻出することに終始せざるをえなかった。しかし、ブランド・エクイティの概念の登場で、長期的なスパンでブランドを育てる発想が生まれた。

 所詮はコストの一つであり、少なければ少ないほどいいと捉えられていたSP(販売促進)費・広告費などのコミュニケーション・コストも見直しが進んだ。ブランドが資産であるなら、長期的なブランド構築に寄与する広告費は資産を増やすための投資となる。POPやバックマージンといった目先の売り上げを伸ばすためのSP費は、アーカーの登場により広告費に置き換わっていった。
 では、ブランドの資産とは、具体的にどのようなものを指すのか。アーカーは、ブランド・エクイティを構成する要素として、「ブランド認知」「知覚品質」「ブランド・ロイヤルティ」「ブランド連想」の四つをあげている。「村上春樹」を例に説明していこう。

 一つ目のブランド認知とは、文字通りブランドの認知度である。市場において多くの顧客に知られているほど、ブランドの資産価値は高くなる。村上春樹はベストセラーを連発する国民的作家であり、海外でもその名を知られている。
 二つ目の知覚品質は、機器などで測定される客観品質ではなく、顧客に受け止められる主観的な品質を指す。文学はもともと主観的なものだが、村上春樹の作品が本当に理解されているかどうかは別にして、読者が「よい作家だ」と思えばブランドとしての価値は高まる。
 アーカーが三つ目の要素としてあげたのが、ブランド・ロイヤルティだ。ロイヤルティの水準が高いブランドには強い支持者が存在し、競合ブランドには簡単にスイッチはしない。“ハルキスト”と呼ばれる熱狂的な読者を持つ村上春樹は、この点でもブランドの資産価値が高いといえる。
 もう一つ、ブランドの資産価値を測るうえで欠かせない要素が、ブランド連想だ。あるブランドが提示されるとき、私たちは製品カテゴリーやベネフィット、属性やキャラクターなど、さまざまな事柄を思い浮かべる。例えば村上春樹なら、「純文学」「ノーベル賞候補」「ジャズ」「スコット・フィッツジェラルド」といった具合だ。
 アーカーのよきライバルであるケビン・レーン・ケラーは、これらの事柄をノードと呼び、ノード同士が結びつく連想ネットワーク型記憶モデルでブランド連想を説明した。強く、好ましく、ユニークなノードと結びついたブランドほど、資産価値も高い。
 これらの四つを積み上げたものがブランド・エクイティである。四つの要素がそれぞれ高水準にある「村上春樹」の新作が発売前から注目を集めた理由も、これで合点がいくはずだ。

■ブランド「希釈化」には注意が必要

 四つの価値を高めることで強いブランドを構築できるが、資産というからには負債も存在することに注意したい。例えばブランド連想では、必ずしもポジティブなノードと結びつくとは限らない。企業が個人情報流出事故を起こせば、コーポレート・ブランドが「個人情報流出」というネガティブなノードと結びつき、ブランド・エクイティを低下させる可能性もある。
 少々古い事例だが、乳製品のトップブランドだった「雪印」は度重なる不祥事でブランドの資産価値が著しく低下。分社・再編後の市乳事業は新ブランド「メグミルク」の立ち上げを余儀なくされた。負債の大きさによっては、積み上げてきた資産も一気に消し飛んでしまうのだ。

 アーカーのブランド論の中でもう一つ、注目しておきたい考え方が「ブランド拡張」だ。ブランド拡張とは、ある製品で成功をおさめたブランドを、別の製品カテゴリーや業種に用いることである。かつてホンダは二輪、四輪で米国に進出して成功をおさめた後、芝刈り機やマリンエンジン、除雪機などを「ホンダ」ブランドで展開した。
 このように新製品の市場導入時に資産価値の高いブランド・ネームを利用すると有利なスタートを切ることができ、プロモーション費用も節約できる。ブランド拡張が役員会でもっとも支持されやすいといわれる所以も、ここにある。
 ただ、ブランド拡張にもデメリットはある。新製品が失敗すれば本体まで傷つくリスクがあるし、成功したブランドに安易に頼ることで、新しいブランドを立ち上げるチャンスを自ら放棄しているという見方もできる。
 希釈化も要注意だ。ブランドを広げると、焦点がぼやけて特性が失われ、ブランドの寿命を縮める恐れがある。その点では、大塚製薬の「オロナミンC」に拍手を送りたい。90年代、サイズで差別化されたビタミン飲料が他社から発売されてヒットしたとき、同社はオリジナルにこだわってブランド拡張をしなかった。「オロナミンC」がロングセラー商品となったのも、ブランドのイメージを守り続けてきたからである。

 スタートダッシュを決めて、短期的に利益をあげるのか。それとも長期的にブランドを育成してロングセラーを狙うのか。それは企業の戦略によって違う。いずれにしても、企業はブランド拡張のメリット・デメリットを見極めたうえで、ブランド戦略を練る必要があるだろう。



●デービッド・A・アーカー
『ブランド・エクイティ戦略』(1991年)
【David A.Aaker】:ブランド論の大家。ブランドを資産としてとらえる「ブランド・エクイティ」の研究を展開し、ブランド論の火付け役となった。アンゾフの全社戦略を発展させた功績も大きい。


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早稲田大学商学学術院長兼商学部長
恩蔵直人=文

村上 敬=構成
http://zasshi.news.yahoo.co.jp
/article?a=20091002-000000
01-president-bus_all


2009年09月25日(Fri)▲ページの先頭へ
谷崎潤一郎:日本語文学の問題:そう、仏作って、魂入れずか?
私の中で、谷崎潤一郎の評価が難しくなっている。どうも、上澄み液を掬ったような文学に今は思えないことはない。
 私にとって、日本文学とは、明治以前である。芭蕉や鴨長明や吉田兼好や平家物語、万葉集等々である。
 端的に、古文の文体は完璧である。とまれ、谷崎の文体は確かに見事であるが、何かが欠落している。そう、絶対的差異が欠落しているのである。
 確かに、一種、スタンダードな散文の文体を確立したとは言えるが、・・・。
 そう、仏作って、魂入れずか?

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ノーベル賞:58年文学賞候補に谷崎、西脇両氏ノミネート
谷崎潤一郎
谷崎潤一郎
西脇順三郎
西脇順三郎

 作家の谷崎潤一郎(1886〜1965)と詩人で英文学者の西脇順三郎(1894〜1982)の2人が1958年のノーベル文学賞候補だったことがわかった。スウェーデン・アカデミーが23日、毎日新聞の取材に明らかにした。

 谷崎は東京生まれ。純日本的な美の世界や性の秩序崩壊などを主題に独自の耽美(たんび)的世界を構築。大正、昭和を代表する作家の一人だ。代表作に「春琴抄」「陰翳礼讃」「細雪」などがある。

 西脇は新潟県生まれ。「旅人かへらず」「第三の神話」などの自作詩集のほか、詩論やT・S・エリオットの「荒地」など英米文学の翻訳でも知られる。

 谷崎、西脇は、47、48年に日本人初のノーベル文学賞候補となった賀川豊彦に次ぐ日本人候補だったことになる。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090925k0000m040070000c.html


参考:
方丈記
鴨長明



行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。』また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみならず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數を知らず。この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。
http://www.aozora.gr.jp/cards
/000196/files/975_15935.html


2009年08月09日(Sun)▲ページの先頭へ
予備考察:カントの直観と物自体について:純粋理性の二元論:同一性と差異
今は予見だけを一言述べる。カント哲学は知られているように、二元論である。経験に即した純粋理性と超経験的な純粋理性の二元論である。それは、同一性と差異の二元論と言えると思う。
 カント哲学の制約は、前者・同一性にあると思う。カントは経験を同一性に限定しているのである。そして、それを基準にするために、物自体は不可知となるのである。そう、物自体とは差異ないしは超越性と考えられるのであるから、カントは、同一性の制約の下に、差異と同一性の関係(二律背反、アンチノミー)の明確にしようとして、批判哲学を立てたと考えられる。
 そう見ると、ポスト・モダンとは、既にカント哲学において、生起していたことになる。構造主義も同様である。カント的構造主義/ポスト・モダンを正規に打破したのは、やはり、フッサールであり、乗り越えたのは、鈴木大拙であろう。あるいは、ウスペンスキーである。
 思うに、ドゥルーズ&ガタリの「離接」という概念は、「接」ということで、連続性を保っていると考えられる。差異同士は「接」しないからである。即非とは、「即」(一体・一如)且つ「非」(不同)ということで、連続性はないのである。
 


2009年03月21日(Sat)▲ページの先頭へ
日本美術とは差異共振現象表現ではないのか:トランス・モダン日本差異共振表現創造へ向けて
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10228039532.html

日本美術とは差異共振現象表現ではないのか:トランス・モダン日本差異共振表現創造へ向けて

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教・民俗・芸術他

先に、次の追記を書いた。『蕪村の画を見て、文人画、俳画であるにせよ、自然の差異共振現象の知覚を画にしているのではないだろうか。それは蕪村に限らず、日本美術は、基本的には、自然差異共振現象知覚を造形しているのではないのか。それで、日本美術の差異共振時空間が説明できるのではないだろうか。PS理論から言えば、Media Point を表現しているのである。』

「合掌土偶:夕日・夕焼けを驚嘆感嘆し拝んでいる?:神道・仏教と量子力学」
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10227454263.html

日本美術の伝統は圧倒的にすばらしい。しかし、今日、日本の美術は、行き詰まっている(美術だけはなく、日本自体が行き詰まり、大閉塞状態であり、没落・衰退に向かっているようだ)。
 ここにある蕪村の画でもいいが、直感では、差異共振現象表現である。主体(蕪村)と自然環境との差異共振現象を描いていると思えるのである。それが、日本人の視覚身体(視覚精神身体)と共鳴感動すると思うのである。
 しかし、近代化によって、とりわけ、戦後占領属国政策(と官僚支配)によって、近代合理主義による洗脳が行われ、日本文化の原点・根源・源泉である差異共振現象知覚を喪失させられたと考えられるのである。明治以降の脱亜入欧主義によって、日本人は、本性の感覚精神身体を喪失してしまったのである。
 これを今日、取り戻さなくてはならない。プレ・モダン日本にある差異共振性を今日、トランス・モダン差異共振性として表現創造する必要があるのである。
 思うに、D. H. ロレンスが、『エトルリアの場所』でエトルリア絵画に見られる「つながり」を述べていたが、この「つながり」とは、差異共振現象知覚と考えるべきである。ロレンスは、トランス・モダンの先駆者の一人であり、新東洋文化へと突き抜けたのである。

参照1:

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

与謝蕪村筆「紙本墨画淡彩夜色楼台図(しほんぼくがたんさいやしょくろうだいず)」(文化庁提供):画像をクリックすると少し拡大する。


http://www.yomiuri.co.jp/national
/culture/news/20090319
-OYT1T00892.htm


参照2:
与謝蕪村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
与謝 蕪村(よさ ぶそん、よさの ぶそん、享保 元年(1716年 ) - 天明 3年12月25日 (1784年 1月17日 ))は、江戸時代 中期の日本 の俳人 、画家 。本姓 は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号 で、名は信章通称 寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明 の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭 (二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数の名前を持っている。
http://ja.wikipedia.org
/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9
D%E8%95%AA%E6%9D%91


2009年03月17日(Tue)▲ページの先頭へ
文学のモダニズムとは何か:また、美術のモダニズム(モダン・アート)とは何か。
今、一言言えば、それは、西欧近代社会の崩壊に伴い、他者・差異-iのエネルギーが活性化し、それに応じた文芸や美術ではないのかということである。
 西欧近代の他者・差異の出現である。それは、-iであり、差異共振性である。つまり、西洋内の東洋の活性化なのである。文芸モダニズム(パウンド、ジョイス、エリオット)は、-iに対応すべく、イメージ主義(イマジズム)を唱えたり、神話の図式を使用した。しかし、それは、-iへの機械的な対応、スキーマ的な対応であったと考えられる。
 正面から対応した(衝突・激突して超大噴火した)のが、D. H. ロレンスである。かれは、西洋を突破して、新東洋に到達したのである。トランス・モダンである。
 モダン・アートについても、同様のことが言えると思うが、問題は、文芸モダニズムよりも、美術の方が、早く差異・他者の問題に突き動かされた点である。また、さらに、哲学においては、美術よりも先行している。例えば、キルケゴール、ニーチェである。また、物理学もそうである。
 おそらく、結局、総体的に見て、純粋に、差異・他者の問題に遭遇していたと考えられる。文学の場合、第1次世界大戦による解体が強い意味があるが、それ以前に差異・他者は問題になっていたと考えられる。世界大戦はいわば引き金である。


2009年03月08日(Sun)▲ページの先頭へ
画家ハンマースホイと差異共振時空間
たまたまテレビを見ていたら、以下の番組をやっていた。ハンマースホイ、私は初めて聞く名前のデンマークの画家である。
 しかし、絵画の画面にひきつけられる。映画監督小栗康平氏の哲学的な解説が的確であった。静謐な時空間、そして、静謐な物たち、思うに、特異性を表現していると思った。あるいは、差異共振性における同一性像である。Media Pointの表現とも言えよう。セザンヌにも似ていると言えよう。物自体である。
 研究員が禅寺や茶室におけるように心が洗われるというようなことを言っていたが、それも的確である。禅に近いのである。瞑想時空間である。同一性志向性が発生する以前の自然現象時空間である。そう、差異共振時空間である。


2009年3月8日よる放送(アンコール放送)
誰もいない部屋こそ美しい
北欧の画家・ハンマースホイ
出演

小栗康平さん(映画監督)
佐藤直樹さん(国立西洋美術館主任研究員)

http://www.nhk.or.jp
/nichibi/weekly/2009
/0308_02/index.html

ヴィルヘルム・ハンマースホイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「Interior With Young Man Reading」1898年の作品
陽光、あるいは陽光に舞う塵 (1900)
背を向けた若い女性のいる室内 (1903-04)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi,1864年 5月15日 –1916年 2月13日 )は、デンマーク 出身の画家 。空間を意識し、空気を感じさせる細密なタッチで描いた室内画が特に印象的。その多くには背を向けた人物(その多くは彼の愛妻イーダ)が描かれている。
生涯 [編集 ]

ハンマースホイはコペンハーゲン の裕福な家庭に生まれる。8歳の時から絵画を学び始め、コペンハーゲン美術アカデミーで学ぶ。

21歳の時、妹のアナを描いた『若い女性の肖像、画家の妹アンナ・ハンマースホイ』を美術アカデミーに出品するが落選したことで物議を醸し話題となる。

1891年に画家のピーダ・イルステズ の妹イーダと結婚。1898年から1909年までストランゲーゼ30番地のアパートで暮らし、その部屋の室内風景を多く描いた。

1901年 にデンマーク美術アカデミーの総会会員に就任し、翌年には同評議員になる。1911年 、ローマで開かれた国際美術展で第一等を獲得。1910年代に入ってヨーロッパ各国で個展が開かれるようになり、評価が進んだ。

1916年 にコペンハーゲンで喉頭癌 で死去。

作品の特徴 [編集 ]

ハンマースホイの絵画の大部分は風景画でアパートの室内を描いたものが多く、しかも人物や家具など生活感をうかがわせるものがほとんどない。さらに、描かれた人物も顔のタッチがほとんどぼかされているうえ、描かれたとしても後ろ向きか視線を合わせない。このように、ハンマースホイの絵はタイトル以外、モチーフの手がかりをほとんど排除している。また、白と黒を基調としたモノトーンに近い色使いと、フェルメール の影響を受けた静謐なタッチが特徴。

エピソード [編集 ]

* 国際的人気を誇るコメディグループ、モンティ・パイソン のメンバーであるマイケル・ペイリン はハンマースホイ作品の大ファンで、BBC で『Michael Palin and the Enigma of Hammershoi』というドキュメンタリー番組を制作し、ハンマースホイの魅力を放送。ペイリン自身もハンマースホイの作品を所蔵しているらしい。

* イエンス・ロウガセン (2006-2007ANDAM AWARDを受賞)は、ハンマースホイのネオクラシカルな要素にインスパイアされたコレクションを発表した。

代表作 [編集 ]

* 若い女性の肖像、画家の妹アンナ・ハンマースホイ(1885)(ヒアシュプロング美術館 )
* ふたりの人物像(画家とその妻) (1898) (アロス・オーフス美術館 )
* 室内(1893)(イェーテボリ美術館 )
* 陽光に舞う塵埃(1900)(オードラップゴー美術館 )
* 室内、ストランゲーゼ(1901)(ハノーファー、ニーダーゼクセン州博物館 )
* 背を向けた若い女性のいる室内(1903-04)(ラナス美術館 )
* 休息(1905)(オルセー美術館 )
* 陽光習作 (1906) (デーヴィス・コレクション、コペンハーゲン)
* クレスチャンスボー宮殿 の眺め (1907) (コペンハーゲン国立美術館 )
* ピアノを弾くイーダのいる室内 (1910) (国立西洋美術館 )

関連項目 [編集 ]

* 2008年6月24日(火)〜9月7日(日)イギリスのRoyal Academy of Arts において、回顧展が開催される。
* 2008年9月30日(火)〜12月7日(日)東京・上野の国立西洋美術館 において、アジア初の回顧展が開催される。

同時代のデンマークの作家 [編集 ]

* ピーダ・イルステズ(Peter Ilsted, 1861年-1933年)
* カール・ホルスーウ(Carl Vilhelm Holsoe, 1863年-1935年)

外部リンク [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ヴィルヘルム・ハンマースホイ に関連するカテゴリがあります。

* ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情 - 展覧会公式サイト
* Art of Hammershøi Online Resource
* Palin on Hammershøi
* ハンマースホイの墓(コペンハーゲンの"Vestre Kirkegard"(西の墓地)) - Find A Grave

執筆の途中です この「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」は美術家 ・芸術家 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 などして下さる協力者を求めています (P:美術 )。
カテゴリ : デンマークの画家 | 1864年生 | 1916年没


2009年02月25日(Wed)▲ページの先頭へ
鏡面と鏡像と視覚:差異共振像と同一性像と視覚主導:脱同一性鏡像化と差異共振視覚の復活
画像は以下のブログを見られたい。
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10214379246.html

以前、同一性自己(自我)形成における視覚の主導性・中心性について述べたことがあるが、今の時点で確認したい。
 鏡面は差異共振像の反映する差異共振的同一性面(差異的同一性面:以下、共振同一面または共鳴同一面)であり、そこに同一性志向性の不連続的転移に拠る同一性放射光が注がれ、同一性鏡像が生まれるのである。
 ポイントは、本来、差異共振像である鏡面に、差異共振性を否定する同一性像が反照されるということである。この差異共振鏡面に同一性像が反照されるという事象に、人間の謎・秘密の黄金の鍵があると言える。《先にも触れたが、神器の一つである鏡とは、この共振鏡面のことであると考えられる。そして、そこに差異共振像・超越光を見るのが正しいのであるが、同一性自己(自我)の人間には、そこに同一性像しか見い出せないのである。》
 問題は視覚の作用である。同一性志向性の視覚が、共振鏡面に同一性像を反映するのである。即ち、差異共振像に同一性像を投影して、前者に後者を重ねて、連続化して、いわば、覆ってしまうのである。同一性像の覆いである。そして、同一性像は差異共振像を抑圧・排除してしまい、主体は同一性自己(同一性主義)に転ずるのである。鏡面に映した同一性像によって、差異共振像を排除してしまい、鏡像自己を形成して、同一性自己を完成するのである。
 丁寧に言えば、鏡像が模範になるのである。そして、それを同一性志向性が模して、一体化するのである。つまり、本来、同一性志向性と鏡像とはダブル(分身)でありながら、それが、鏡像自己の形成によって一体化するという誤りを犯しているのである。言い換えると、自己と鏡像とは本来、別々であるが、鏡像へと同一性投影することで、鏡像自己が形成されるのである。この鏡像自己が、マーヤーの根源であると言える。(思うに、不思議なのは、ヒンドゥー教やインド哲学や仏教はどうして、現象がマーヤーであると解明できたのか。やはり、天才が創造した宗教・哲学である。)
 ついでの、先に述べたことを繰り返すが、自己と鏡像を分離させるのが、自己認識の原点・出発点である。仏教やフッサール現象学の核心の一つである。
 これで本件の問題が解明されたが、視覚に問題を絞ると、鏡像的現象界(鏡像現象界:略して、鏡象界)を相対化する方法として、脱同一性的美術があるだろう(モダン・アートはそのような志向性をもっていた)。
 鏡像的現象界のコピーではなく、差異共振像を現象界に見いだす美術である。これは、例えば、山岳を描いた場合、「私は山岳であり、且つ、山岳ではない」という即非表現となる。問題はこのとき描かれた山岳の意味である。それは、当然、鏡像的模写ではなく、共鳴的な表現がそこにはあるが、それは、端的に何か。それは、同一性=物質的ではない山岳、精神的な山岳が表現されていることになる。正確に言えば、同一性=物質としての山岳であり、且つ、差異共振性=精神としての山岳、即ち、即非的山岳が描かれていることになる。
 以前、Kaisetsu氏がミメーシスの捉え直しを唱えていたが、この即非表現がミメーシスに当たるだろう。即非ミメーシスと呼んでもいいだろう。あるいは、Media Point ミメーシスである。
 ここで、リアリズム(写実主義)の問題が生じるが、結局、一見、リアリズムであっても、少なくとも、同一性=物質的リアリズムと差異共振的リアリズムの二つがあることになる。両方を、通常、リアリズムで括っているが、それは間違いである。即非リアリズムがあるからである。
 日本美術で言うと、水墨画や琳派の絵画は、即非リアリズムと言うべきであり、単なる写実主義ではないと言えよう。この美学の問題がたいへん興味深いがここで留めよう。
 最後に付け加えると、視覚主導で形成された鏡像自己であるが、その解体・脱同一性主義化と視覚とはどう関係するのだろうか。同一性視覚とは、本来の身体が欠落しているのである。つまり、物質身体はあるが、精神身体が欠落しているのである。言い換えると、表層身体(西洋的身体)はあるが、深層身体(東洋的身体)が欠落しているのである。だから、視覚も精神身体、深層身体を取り戻す必要があるのである。換言すると、差異共振視覚、即非視覚、Media Point Visionを取り戻す必要があるのである。これこそ、真実を見る眼、心眼、魂眼である。当然、すぐれた画家はこれをもっていた。ゴヤのリアリズムは、この差異共振視覚が風刺的リアリズムへと向かったと言えよう。それに対して、ウィリアム・ブレイクの場合は、差異共振視覚が、虚軸ヴィジョンへと向かったのである。ピカソの『ゲルニカ』は、差異共振視覚が、独裁者批判へと向かっているのである。
 では、端的に、差異共振視覚を取り戻す方法とは何か。視覚が主導した同一性像であるから、視覚によって脱同一性像化するのは、重要である。理論的には、再帰として、差異共振視覚が生起すると考えられる。この視覚を肯定する必要があるのである。
 では、どこに、差異共振視覚が発生するのだろうか。私の乏しい経験から考えてみよう。それは、簡単に言えば、自然に、山川草木の自然に接したときに、差異共振視覚が発生するように思う。そう、自然現象とは、本来、差異共振現象であるからである。だから、自然は本来、マーヤーではなくて、Media Point 的現象なのである。マーヤーは人間の同一性鏡像に源泉があり、その投影から形成されるのである。
 私自身にとっての差異共振視覚の決定的経験は何だろうか。思うに、青空である。紺碧の大空である。思えば、子どもの頃、田舎の小屋のトタン屋根に寝そべり、青空を見つめて、青空に溶け入る美的な経験をしたが、それが、私にとっての、最高の差異共振視覚経験であろう。

水墨画
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松林図屏風(長谷川等伯 、国宝 )

水墨画(すいぼくが)とは、「墨 」一色で表現される絵画 で、墨線だけでなく、墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す。墨絵(すみえ)とも言う。

中国 で唐 代後半に山水画の技法として成立し、宋代には、文人官僚の余技としての、四君子(松竹梅菊)の水墨画が行われた。また、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事人物画が水墨で制作された。明代には花卉、果物、野菜、魚などを描く水墨雑画も描かれた。

日本 には鎌倉時代 に禅 とともに伝わった。日本に伝わった絵画は、『達磨図 』・『瓢鮎図 』などのように禅の思想を表すものであったが、徐々に変化を遂げ、風景を描く山水画 も書かれるようになった。
日本の水墨画
如拙筆 瓢鮎図 京都・退蔵院蔵
雪舟筆 秋冬山水図のうち冬景

墨一色で表現した絵画は、日本では正倉院 宝物の「墨画仏像」のような奈良時代の作例があり、古代から制作されていた。しかし、美術史で「水墨画」という場合には、単に墨一色で描かれた絵画ということではなく、墨色の濃淡、にじみ、かすれ、などを表現の要素とした中国風の描法によるものを指し、日本の作品については、おおむね鎌倉時代以降のものを指すのが通常である。着彩画であっても、水墨画風の描法になり、墨が主、色が従のものは「水墨画」に含むことが多い。

平安時代初期、密教の伝来とともに、仏像、仏具、曼荼羅等の複雑な形態を正しく伝承するために、墨一色で線描された「密教図像」が多数制作された。絵巻物の中にも『枕草紙絵巻』のように彩色を用いず、墨の線のみで描かれたものがある。しかし、これらのような肥痩や濃淡のない均質な墨線で描かれた作品は「白描」(はくびょう)ないし「白画」といい、「水墨画」の範疇には含めないのが普通である。

[編集 ] 初期水墨画

中国における水墨画表現は唐 時代末から、五代 〜宋 時代初め(9世紀末〜10世紀)にかけて発達した。中国の水墨画が写実表現の追求から自発的に始まったものであるのに対し、日本の水墨画は中国画の受容から始まったものである。日本における水墨画の受容と制作がいつ頃始まったかは必ずしも明確ではない。すでに12世紀末頃の詫磨派の仏画に水墨画風の筆法が見られるが、本格的な水墨画作品が現れるのは13世紀末頃で、中国での水墨画発祥からは4世紀近くを経ていた。13世紀末から14世紀頃までの日本の水墨画を美術史では「初期水墨画」と呼んでいる。水墨画がこの頃盛んになった要因としては、日本と中国の間で禅僧の往来が盛んになり、宋・元 の新様式の絵画が日本にもたらされたことが挙げられる。13世紀になり、無学祖元 、蘭渓道隆 らの中国禅僧が相次いで来日した。彼らは絵画を含め宋・元の文物や文化を日本へもたらした。鎌倉にある円覚寺 の仏日庵の所蔵品目録である「仏日庵公物目録」(ぶつにちあんくもつもくろく)は、元応2年(1320年)に作成された目録を貞治2年(1363年)頃に改訂したものであるが、これを見ると、当時の円覚寺には多数の中国画が所蔵されていたことがわかる。

日本の初期水墨画は、絵仏師 や禅僧が中心となって制作が始められた。師資相承(師匠から弟子へ仏法を伝える)を重視する禅宗では、師匠の法を嗣いだことを証明するために弟子に与える頂相 (ちんぞう、禅僧の肖像)や禅宗の始祖・達磨 をはじめとする祖師像などの絵画作品の需要があった。この時期に制作された水墨画の画題としては、上述の頂相、祖師像のほか、道釈画(道教および仏教関連の人物画)、四君子 (蘭、竹、菊、梅を指す)などが主なものである。なお、水墨画と禅宗の教義とには直接の関係はなく、水墨画は禅宗様の建築様式などと同様、外来の新しい文化として受容されたものと思われる。鎌倉時代の絵巻物 に表現された画中画を見ると、当時、禅宗以外の寺院の障子絵などにも水墨画が用いられていたことがわかる。

14世紀の代表的な水墨画家としては、可翁 、黙庵 、鉄舟徳済 などが挙げられる。可翁については作品に「可翁」の印が残るのみで伝記は不明だが、元に渡航した禅僧の可翁宗然と同人とする説が有力である。黙庵は元に渡り、同地で没した禅僧である。鉄舟徳済は夢窓疎石 の弟子の禅僧で、やはり元に渡航している。

代表作

* 達磨図(山梨・向嶽寺 蔵、国宝) - 達磨の衣などに彩色があるが、水墨画の筆法で描かれている。絵の上部に蘭渓道隆の賛があることから、蘭渓の没した1278年が制作年代の下限である。
* 蘭渓道隆像(神奈川・建長寺蔵、国宝) - 着彩画であるが、中国画と同様の筆法で描かれている。この時代の頂相の代表作である。絵の上部に文永8年(1271年)の蘭渓自身の賛がある。
* 可翁筆 寒山図(個人蔵、国宝) - 減筆体の人物画。寒山は唐時代、天台山に住んでいたという伝説的な隠者で、水墨画の好画題とされる。

[編集 ] 室町水墨画

室町時代は日本水墨画の全盛期と言ってよいであろう。足利家が禅宗を庇護したこともあり、禅文化や五山文学 が栄え、足利家の寺である京都の相国寺 からは如拙 、周文 、雪舟 をはじめとする画僧を輩出した。また、東福寺 の画僧・明兆 (みんちょう)は、濃彩の仏画から水墨画まで幅広い作品を制作した。8代将軍足利義政 は政治を省みなかったが、文化の振興には力を入れ、唐物と呼ばれる中国舶載の書画、茶道具などを熱心に収集・鑑賞した。当時の日本で珍重されたのは、中国・南宋時代の画家の作品で、夏珪、馬遠、牧谿 (もっけい)、梁楷、玉澗(ぎょくかん)らが特に珍重された。牧谿、梁楷、玉澗などは中国本国よりも日本で評価の高い画家である。なお、室町時代の日本画壇が水墨画一色であったと考えるのは誤りで、この時代には伝統的な大和絵 の屏風も盛んに描かれていたことが、20世紀後半以降の研究で明らかになっている。

14世紀までの日本水墨画が頂相、祖師図、道釈画などの人物画や花鳥画を中心としていたのに対し、15世紀には日本でも本格的な山水画が描かれるようになる。日本の水墨山水画のうち、もっとも初期の作とされるものは、「思堪」という印章のある『平沙落雁図』(個人蔵)である。この作品には中国出身の禅僧・一山一寧 の賛があり、彼の没年である1317年が制作年代の下限となる。画面下部に「思堪」の朱印があり、これが画家名と思われるが、その伝記等は不明である。この『平沙落雁図』にはまだ水墨画の画法をこなしきれていない稚拙な部分があり、遠近感の表現なども十分ではない。それから約1世紀を経た応永年間(15世紀初頭)に、「詩画軸」と称される一連の作品が制作される。

「詩画軸」とは、「詩・書・画一体」の境地を表わしたもので、縦に長い掛軸の画面の下部に水墨画を描き、上部の余白に、画題に関連した漢詩を書いたものである。この種の詩画軸で年代のわかる最古のものとされるのが藤田美術館 蔵の『柴門新月図』(さいもんしんげつず)で、応永12年(1405年)の作である。この図は杜甫 の詩を題材にしたもので、絵の上部には序文に続いて18名の禅僧が詩文を書いており、絵よりも書の占めるスペースが倍以上大きい。15世紀前半に制作された詩画軸の代表作としては他に『渓陰小築図』、『竹斎読書図』、『水色巒光図』(すいしょくらんこうず)などがあり、絵の筆者は『渓陰小築図』が明兆(みんちょう)、『竹斎読書図』、『水色巒光図』が周文との伝えもあるが、確証はない。この時期の詩画軸は、「書斎図」と呼ばれる、山水に囲まれた静かな書斎で過ごす、文人の理想の境地を題材にしたものが多い。

この時代にはようやく画人の名前と個性が明確になってくる。相国寺の画僧・如拙は、『瓢鮎図』(ひょうねんず、京都・退蔵院蔵)をはじめ、若干の作品が知られる。やはり相国寺の画僧であった周文は、幕府の御用絵師としての事績が文献からは知られ、詩画軸、山水屏風などに「伝周文筆」とされる作品が多数残るが、確証のある作例は1点もない。

15世紀の後半には、水墨画家としてのみならず、著名な画家の一人である雪舟(1420 - 1502/1506)が登場する。雪舟は備中国 (岡山県)の出身で、地方武士の血を引くと言われる。上京して相国寺の僧となるが、後に大内氏 を頼って山口に移住。応仁の乱(1467−1477年)の始まりと前後して中国・明に渡航、足掛け3年滞在して帰国した。帰国後は山口、大分など、もっぱら地方を遍歴して制作し、80歳代まで作品を残している。雪舟は明応4年(1495年)、76歳の時、弟子の宗淵に与えた作品『山水図』(通称「破墨山水図」)の自賛に、「自分は絵を学ぶために明に渡航したが、そこには求める師はいなかった」と記し、先輩に当たる如拙や周文の画業をたたえている。この自賛は、日本の画家が自らの画業について語ったものとしては最古のものであり、日本人画家としての自負がうかがえる。雪舟は中国絵画の影響を消化しつつ『天橋立図』のような日本の実景を題材にした独自の水墨画を制作した。また、多くの弟子を育成し、彼らの中には秋月(薩摩出身)、宗淵(鎌倉円覚寺の画僧)など、それぞれの出身地に帰って活躍した者もいた。こうした面でも、雪舟が日本絵画に与えた影響は大きかった。

室町時代には、地方にも多くの画人が現われ、その多くは武家の出身であった。その代表的な存在が、常陸国太田(茨城県常陸太田市)の武家出身の画家・雪村 であった。雪村は後に出家して画僧となり、関東地方と会津地方で80歳代まで制作を続けたが、その作品には武家の出身らしい気迫のこもったものが多い。

この時代には他にも多くの水墨画家がいた。著名な者としては、曾我蛇足、松谿、岳翁蔵丘らがいるが、これらの人物の伝記はあまり明らかでない。足利将軍家に仕えた「同朋衆」(唐物の目利きなど、芸術顧問的な仕事をしていた)の阿弥派一族(能阿弥 、芸阿弥 、相阿弥 )も水墨の作品を残している。

[編集 ] 参考文献

* 「特別展 水墨画」図録、東京国立博物館
* 週刊朝日百科『世界の美術』115号「室町時代の水墨画」、116号「雪舟・雪村と戦国画壇」、朝日新聞社、1980年

[編集 ] 関連項目

* 明兆
* 如拙
* 周文
* 雪舟
* 狩野正信 :狩野派 の祖
* 狩野元信
* 長谷川等伯
* 破墨山水
* 襖
* 東山文化
* おもな中国水墨画一覧

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カテゴリ : 水墨画 | 絵画技術 | 絵画のジャンル | 禅 | 日本美術史 | 室町時代の文化

琳派
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俵屋宗達 風神雷神図

琳派(りんぱ)とは、俵屋宗達 、尾形光琳 ら江戸時代 に活躍し、同傾向の表現手法を用いる美術家 ・工芸家 らを指す名称である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E7%90%B3%E6%B4%BE

Rimpa school
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Spring Landscape, unknown Rimpa school painter, 18th century, six-screen ink and gold on paper.

Rimpa (琳派, Rimpa or Rinpa? ), is one of the major historical schools of Japanese painting . It was created in 17th century Kyoto by Hon'ami Kōetsu (1558-1637) and Tawaraya Sōtatsu (d. c.1643). Roughly fifty years later, the style was consolidated by brothers Ogata Kōrin and Ogata Kenzan .

The term “Rimpa” itself is an amalgamation of the last syllable from “Kōrin” with the word for (school (派, ha or pa? ), coined in the Meiji period . Previously, the style was referred to variously as the Kōetsu school (光悦派Kōetsu-ha? ), or Kōetsu-Kōrin school (光悦光琳派, Kōetsu-Kōrin-ha? ), or the Sōtatsu-Kōrin school (宗達光琳派, Sōtatsu-Kōrin-ha? ).

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File:PicassoGuernica.jpg

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2009年02月19日(Thu)▲ページの先頭へ
エル・グレコの絵画にある不安:初期近代における精神の位階の喪失
画像は以下のリンクにアクセスされたい。
http://ameblo.jp/renshi
/entry-10211223686.html


エル・グレコの絵画は、確かに躍動的で、未来派のようである。しかし、そこには黒い不安のようなものが感じられる。これは、正に、初期近代の不安だと思う。Media Pointからの同一性の発動を表現しているのではないのか。そこでは、ハイデガーの存在=無を経過するのである。その不安があるのではないだろうか。
 以下の『受胎告知』であるが、本来、超越的なものが、同一性と同次元に描かれているのである。超越性=精神と同一性=物質は、本来、位階があるが、それをエル・グレコの絵画では喪失しているのである。言い換えると、Media Pointという真の創造の源泉を喪失しているということになる。
 約半世紀後のベラスケスの『女官たち(ラス・メニーナス)』になると、鏡像へと転換しているのである。これは、正に、同一性主義化=近代的自我化と考えられよう。



http://es.wikipedia.org/wiki
/El_Greco

エル・グレコ
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『ある老人の肖像』(1595–1600年頃)エル・グレコの自画像とされる。

エル・グレコ(El Greco、1541年 - 1614年 4月7日 )は、現ギリシャ 領のクレタ島 出身の画家 。本名はドメニコス・テオトコプーロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος、ラテン文字 転写:Doménikos Theotokópoulos)で、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語 で「ギリシャ人 」を意味する通称である。
概要

当時ヴェネツィア共和国 の支配下にあったクレタ島で初めイコン を学び、のちにイタリア のヴェネツィア 、ローマ に渡ってティツィアーノ に師事し、ヴェネツィア派 絵画を学んだ。1577年 、36歳でスペイン のトレド に渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。

エル・グレコの絵画はマニエリスム 、バロック 様式に分類される。全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なポーズを取る人体などが特徴的で、彼の死後は長らく高く評価されなかったが19世紀 に再評価を受け、パブロ・ピカソ やジャクソン・ポロック など20世紀 の芸術家にも影響を与えたという。

1922年 当時フランスに滞在していた児島虎次郎 は、とあるパリの画廊でエル・グレコの受胎告知 という作品が売りに出されていたのを眼にした。この作品の素晴しさを見抜いた児島ではあったが手持ちがなかった為自身の出資者である大原孫三郎 に送金を依頼、大原も送られてきた写真を見て了承し児島は受胎告知 を購入すると日本へ持ち帰った。結果的にこの二人の判断は的中し、現在では受胎告知 が日本にあることは奇跡とまで言われている[1] 。

マドリッド にあるプラド美術館 には、彼の作品が多数展示されている。

[編集 ] 代表作

『オルガス伯の埋葬 』
1586 - 1588 トレド ・サント・トメ教会


『トレド風景』
メトロポリタン美術館


『受胎告知 』
1590-1603年頃 大原美術館 所蔵


『ピウス5世 の肖像』 1600-1910年 個人所蔵

『羊飼いの礼拝』
プラド美術館 蔵

[編集 ] 関連項目

* エル・グレコ (ヴァンゲリス) - ヴァンゲリス のアルバム。

[編集 ] 関連書籍

* 「グレコートレド の秘密」モーリス・バレス  吉川一義 訳(筑摩書房 )

[編集 ] 脚注

1. ^ http://www.ohara.or.jp
/200707
/jp/1_web/1/exh/003.html

[編集 ] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、エル・グレコ に関連するマルチメディアがあります。

* エル・グレコの家 スペイン政府観光局オフィシャルサイト (日本語)




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E3%83%BB
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カテゴリ : スペインの画家 | ギリシャの人物 | 16世紀の美術家 | ルネサンス | 1541年生 | 1614年没 | トレド

参照:

ファイル:Velazquez-Meninas.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki
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%E3%82%A4
%E3%83%AB:Velazquez-
Meninas.jpg


ディエゴ・ベラスケス
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曖昧さ回避 この項目ではスペイン の画家 について記述しています。スペインのコンキスタドール についてはディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル をご覧ください。
自画像

ディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599年 6月6日 - 1660年 8月6日 )はバロック 期のスペイン の画家 。

生涯

マネ が「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代 であった17世紀 を代表する巨匠である。

スペイン南部の都市セビリア に生まれ、11歳頃に当地の有力な画家で義父でもあるフランシスコ・パチェーコに弟子入りした。17世紀のスペイン画壇では、厨房画(ボデゴン)と呼ばれる室内情景や静物を描いた絵画が多く制作されたが、宮廷画家になる前のベラスケスもこの厨房画のジャンルに属する作品を描いていた。『卵を料理する老婆と少年』(1618年 )などがその代表作である。1623年 、国王フェリペ4世 付きの宮廷画家となり、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描いた。

美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていた。

ベラスケスの作品では、画面に近づいて見ると、素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える。このような、近代の印象派 にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネらの近代の画家がベラスケスを高く評価したゆえんである。

[編集 ] 代表作

[編集 ] 『ブレダの開城』
ブレダの開城 1634-1635 プラド美術館

王の離宮の「諸王国の間」という大ホールを飾るために描かれた戦勝画。1625年 、ネーデルラント 南部の要塞ブレダ におけるスペイン軍の戦勝を記念して制作されたもので、敗れたブレダ守備隊の指揮官ユスティヌス・ファン・ナッサウ(オラニエ公ウィレム1世 の庶子)が、勝者であるスペイン側の総司令官アンブロジオ・スピノラ に城門の鍵を渡そうとする場面が描かれている。

この種の戦勝画では敗軍の将は地面に膝をつき、勝者はそれを馬上から見下ろすという構図が普通であったが、この『ブレダの開城』では、敗軍の将ユスティヌス と勝者スピノラは同じ地面に対等の位置で立っている。温和な表情のスピノラは、まるで長年の友人に対するように敗者ユスティヌスの肩に手を置いている(ちなみに両者は1601年にニューポールトで対戦したこともある)。スピノラの傍らに大きく描かれた馬は、彼が敗者に敬意を表するためにわざわざ馬から下りたことを示している。このような、勝者側の寛大さを二重三重に強調した表現は、敗者に名誉ある撤退を許したスペインの騎士道 精神の勝利を表したものといわれている。

[編集 ] 『教皇インノケンティウス10世』
教皇インノケンティウス10世 1650 ローマ 、ドーリア・パンフィーリ画廊蔵


1649年 、ベラスケスは2度目のイタリア旅行に出かけ、ローマに2年ほど滞在している。この間に描かれた教皇インノケンティウス10世 の肖像は、カトリック の最高位にある聖職者の肖像というよりは、神経質で狡猾そうな一人の老人の肖像のように見える。国王、教皇から道化師まで、どのようなモデルをも冷徹に見つめ、人物の内面まで表現する筆力はベラスケスの特長である。

後にフランシス・ベーコン がこの肖像画をモチーフにした一連の作品を制作したことでも知られている。


[編集 ] 『鏡のヴィーナス 』
鏡の前のヴィーナス(1648-51)ナショナルギャラリー  1650年頃 ロンドン、ナショナルギャラリー 蔵


上記『教皇インノケンティウス10世』と同じ頃に描かれたもので、カトリックの伝統の強い当時のスペインでは珍しい裸婦像である。1914年、婦人参政権論者の女性によって、背中から尻に渡る7箇所がナイフで傷つけられた。現在もかすかに修復の痕が見える。

[編集 ] 『ラス・メニーナス』(女官たち)
女官たち(ラス・メニーナス) 1656 プラド美術館

フェリペ4世 の王女マルガリータ を中心に侍女、当時の宮廷に仕えていた矮人(わいじん)などが描かれ、画面向かって左には巨大なキャンバスの前でまさに制作中のベラスケス自身の姿が誇らしげに描かれている。中心の王女マルガリータを含め、画中の人物は鑑賞者の方へ視線を向けており、何かに気付いて一瞬、動作を止めたようなポーズで描かれている。その「何か」は画面奥の壁に描き表された鏡に暗示されている。この小さな鏡にぼんやりと映るのは国王フェリペ 4世夫妻の姿であり、この絵の鑑賞者の位置に立って画中の人物たちを眺めているのは実は国王その人である。この絵は、国王の夏の執務所の私室に掛けられていたという。画中のベラスケスの黒い衣服の胸には赤い十字の紋章が描かれている。これは、サンティアゴ騎士団 の紋章で、ベラスケスが国王の特段のはからいで同騎士団 への加入を果たし、貴族に列した1659年(死の前年)に描き加えられたものである。

[編集 ] 関連項目
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ディエゴ・ベラスケス に関連するカテゴリがあります。

* バロック美術
* アラトリステ (スペインの時代小説・作中に登場)



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E3%83%A9%E3%82%B9%
E3%82%B1%E
3%82%B9 " より作成


2009年02月14日(Sat)▲ページの先頭へ
像とは何か:Media Pointの振動的内的イメージと「イデア」・エイドス
いったい、像とはどこから生まれるのか。これまで、同一性が形象であると考えてきて、MPは無像ではないかと思ってきた。
 しかしながら、ヴィジョンや夢があるから、内的像があるのである。また、ユング心理学の元型とは、内的イメージ、あるいは、ヴィジョンと考えられる。それは、どこから発生するのか。
 これは、プラトン哲学に関係する。すなわち、イデアであり、エイドスである。
 これは、Media Pointで説明できよう。Media Pointが、その諸振動によって、内的イメージやヴィジョンを形成するのではないだろうか。そして、それが、同一性イメージの原型である。つまり、「イデア」、エイドスである。
 そう、このいわば、構造的イメージ(原型)が内在していて、それを、外界に投影するように外界知覚をしているのではないだろうか。
 わかりやすく言えば、自己の内的イメージに即して、外界を視覚しているのであり、外的対象は同一性化されるのである。
 だから、外的対象の差異・他者性は、それを否定しないと出てこないのである。これが、フッサールのエポケー等に通じるし、インド哲学や仏教、そして、道元の身心脱落に通じよう。
 では、問題は、原型と言語の関係である。これは、かなり接近していよう。
 問題は、虚軸的原型と実軸的原型である。私は前者をヴィジョン、後者をイメージと呼んだことがある。今はこれ以上検討しないが、夢の映像とは、後者を借りて、前者の形成によるものではないだろうか。 


2009年01月25日(Sun)▲ページの先頭へ
アンドラーシュ・シフのバッハの名演奏の超廉価版:ポスト・カラヤンとトランス・モダン音楽
新宿のタワーレコードで、アンドラーシュ・シフの演奏でバッハの曲が12枚組で3590円(!)であった。なんと、CD一枚約300円である。
 演奏は見事であり(追記:これまで聴いたバッハ音楽のピアノ演奏の最高のものである。)、録音状態も申し分ない。これはいったいどういうことなのか。自然な演奏で、カリスマとなっているグレン・グールドよりはるかにいい演奏だと思う(追記:グレン・グールドの演奏は天才というよりは、鬼才的である。確かに音楽宇宙へと没入しているが、その透明な乾き切った音は、ジネンを失っていると思う。音の知に傾斜しているのである。音の叙情性が乏しいのである。言い換えると、曲という差異に対して、グールドは、差異共鳴する視点をとるのではなく、差異を自己の同一性の視点から加工して、人工美の世界に自己没入しているのである。だから、きわめて、鏡像的である。自己陶酔的なのである。確かに、近代知識人には、適合しよう。)。
 これはどういうことなのか。クラシック音楽も崩壊状態なのだろう。そう、カラヤン・バブルも崩壊したと言えよう。それで、いい演奏も巻き込まれているのだろう。気の毒であるが。
 最近、新書で、カラヤンがクラシック音楽を破壊したというようなタイトルのもの(追記:『カラヤンがクラシックを殺した』が正しい。)が出ているが、以前の私なら大賛成であった。
 しかし、カラヤンとは、いわば、形式主義の権化であり、その点で、構造主義的なのである。内容自体はひどいものであるが、クラシック音楽を形式に還元したというその行為は、切断として評価できるのである。
 だから、ポスト・カラヤンが必然なのである。

追記1:音楽評論家がこれまで実に無責任であったかは、この演奏を聴いてわかる(追記:クラシック音楽利権でインチキ評論をしてきたということだろう。)。これは珠玉のバッハ演奏である。それが、CD一枚、300円に満たないというのは、「狂気の沙汰」である。
 とまれ、今や、本物の時代が来たのである。このシフの演奏は長く聴けるものであると判断できる。

追記2:カラヤンの構造主義は、ベルリン・フィルのそれと関係しているだろう。両者で、クラシック音楽を切断したのである。ただただ、形式美を両者は目指したのであり、音楽の内容(差異、質)を破壊したのである。

カラヤンがクラシックを殺した 光文社新書
カラヤンがクラシックを殺した(光文社) 宮下 誠著
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アンドラーシュ・シフ
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アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff, Schiff András, 1953年 12月21日 - )はハンガリー 出身のピアニスト 。磨かれたタッチと、知性的でありながら愉悦感あふれる表現で、バッハ 、モーツァルト 、シューベルト などドイツ のバロック音楽 及び古典派音楽 を中心とするレパートリーで傑出したピアニストの一人。優れた室内楽 奏者としても知られる。
略歴

* ブダペスト 生まれ。5歳からピアノを始め、フランツ・リスト音楽院 でパール・カドシャ、ジェルジ・クルターク 、フェレンツ・ラードシュらに学ぶ。さらに、ロンドン でジョージ・マルコムに師事。
* 1974年、第5回チャイコフスキー国際コンクール のピアノ部門で第4位入賞。
* 1975年、リーズ国際コンクール で第3位入賞。
* 1977年、初来日。
* 1988年、ザルツブルク音楽祭 でロベルト・シューマン を集中的に取り上げる。
* 1989年から1998年にわたって室内楽フェスティバル「ムジークターゲ・モントゼー」の芸術監督。
* 1991年、バルトーク賞受賞。
* 1996年、ハンガリー最高の栄誉であるコシュート(Kossuth)賞受賞。
* 1997年、コペンハーゲンでレオニー・ゾンニング音楽賞受賞。

[編集 ] 主な活動

1970年代に各コンクールでの活躍が始まると、ほぼ同年代のゾルターン・コチシュ 、デジュー・ラーンキ と並んでハンガリーの「若手三羽ガラス」として売り出された。当時の社会主義国家ハンガリーはコンクール出場を若手ピアニストに強制しており、「このコンクール歴は必ずしも自分の本意ではありません」と当時を回想している。

最年少のシフは、当初は3人のうちでも目立たない存在だったが、1980年代にイギリスのデッカ・レーベルと契約後、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集の録音で俄に注目を集め、続いて一連のバッハ作品の録音によって、「グールド 以来のバッハ解釈者」との名声を得、確固たるものとした。その後、1990年前後にはシューベルトのピアノソナタの演奏・録音、バルトーク のピアノ協奏曲全曲、1999年から2005年にかけて、ザルツブルク・モーツァルテウム創立記念モーツァルト週間に、シフ自身が編成したオーケストラとモーツァルト のピアノ協奏曲を全曲演奏するなど、スタンダードナンバー演奏で高い評価を受けた。

近年はハインツ・ホリガー と共演でシャンドール・ヴェレシュ 作品を紹介したり、ミクローシュ・ペレーニ との共演など、祖国ハンガリーにちなむ活動も盛んである。

教育活動にも力を注ぎつつあり、現在はドイツのデトモルト 音楽大学教授、ミュンヘン音楽大学 の客員教授という要職ポストに就いている。 またザルツブルク ・モーツァルテウム 音大をはじめ、各地でマスタークラスを開き、好評を得ている。

[編集 ] 録音

* 器楽作品は、DECCA(LONDON)レーベルにバッハ、モーツァルト、シューベルトなどの一連の録音がある。
* 協奏曲では、Deccaレーベルに同郷のシャーンドル・ヴェーグ 指揮ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ と残したモーツァルトのピアノ協奏曲全集が代表的。Teldecレーベル移籍後は、バルトークのピアノ協奏曲(イヴァン・フィッシャー 指揮ブダペスト祝祭管弦楽団 )、ベートーヴェンのピアノ協奏曲録音(ベルナルト・ハイティンク 指揮シュターツカペレ・ドレスデン )がある。
* 室内楽では、塩川悠子 (シフ夫人)とのバルトークのヴァイオリン・ソナタ第1番、ヤナーチェク のヴァイオリン・ソナタ(DECCA)、また、チェロ のペレーニを加えた三重奏でシューベルトの2曲のピアノ三重奏曲(Teldec)、幻想曲 ハ長調(ECM)を録音している。
* 2008年にベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を完成させ大きな反響を呼んだ。

[編集 ] 外部リンク

* 招聘会社によるプロフィール

カテゴリ : ハンガリーのクラシック音楽のピアニスト | イギリスのクラシック音楽のピアニスト | 1953年生


2009年01月15日(Thu)▲ページの先頭へ
時間とは何か:時間と身体的快適さ
昨日、仕事の帰り、いつも乗る急行ではなく、「各駅」で新宿まで行った。乗客は少ないし、予期せぬ快適さがあった。
 この快適さは、乗客が少ないことよりは、「各駅」電車の動きにあると感じた。身体のリズムに合うと言えよう。
 そう、思えば、正月、帰省したとき、バス停まで徒歩で行ったが、かかると思っていた時間の半分で着いた。
 どうも、「わたしたち」は時間を勘違いしているのではないかと思った。特急は有料であり、指定席で快適だと思っている。しかし、「各駅」に感じた快適さは、身体に実に好ましいものであった。
 思うに、時間と速度の関係がここにあると思う。また、身体との関係があると思う。つまり、時間、速度、身体である。思うに、身体的快適さ=時間/速度ではないだろうか。もっとも、もっと微妙な規定が必要であるが、大雑把ではいいだろう。
 否、振動や揺れを考慮すべきである。すると、

身体的快適さ=時間/(速度・振動・揺れ)

となるのではないだろうか。ここから、「各駅」の快適さが実証されよう。(注意すべきは、この「公式」は、おおまかなものすぎない。)

追記:やはり、乗客数や距離も入れないといけない。

身体的快適さ=時間/(速度・距離・振動・揺れ・乗客数)

とまれ、乗客数、距離、振動・揺れも一定とすると、最初に提示した、

身体的快適さ=時間/速度

となる。例えば、A駅からB駅まで電車で移動するとしよう。そのとき、「各駅」では、1時間かかり、特急では30分かかるとしよう。速度はそれぞれ、時速50キロ、と時速100キロとしよう。(つまり、距離は50kmである。)

身体的快適さ(「各駅」)=60分/50キロ=1.2快

身体的快適さ(特急)=30分/100キロ=0.3快

【単位は快[時間(分)/時速(キロ)]とする。】

となり、「各駅」の方が、4倍快となる。とまれ、これは、概算に過ぎないが。


2008年11月23日(Sun)▲ページの先頭へ
タワーレコード(新宿)で購入したCD
昨日(11/22)、久しぶりに、タワーレコード(新宿)で以下のCDを買った。
 モーツァルトの『レクイエム』は試聴して、これまで聴いた中で、最高のものと直感した。
 ザンデルリンクの指揮のブルックナーは、店内で流れていたものであり、そのゆったりとした、ていねいな、説得するような演奏に感銘を覚えたのである。端的に、美しい演奏である。なんと、690円であった。
 私は、ブルックナーの交響曲で、第7番がいちばん好きであるが、これまで、ブロムシュテットの演奏がいちばん、流麗でいいと思っていたが、この演奏がこれまでのベストとなった。
 3番目のCDは以下記した通りである。とにかく、すごい演奏である。
 

タイトル:
Mozart: Requiem / Arvid Jansons, Lithuania RTV Symphony Orchestra, Ruzanna Lisitsian, Karina Lisitsian, RUben Lisitsian, Pavel Lisitsian, Lithuanian State Choir
アーティスト:
Wolfgang Amadeus Mozart (1756 - 1791)
オンライン価格 \1,390(税込)
オンライン価格 \1,775(税込)
今なら \385(税込)OFF

ポイント数:4
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輸入盤 CD
発売日: 2008/10/10
組枚数: 1
規格品番: CDVE04335
レーベル: Venezia
ジャンル: CLASSICAL > COMPOSER


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【曲目】
モーツァルト: レクイエム 二短調 KV.626
【演奏】
ルザンナ・リシチアン(ソプラノ)、カリナ・リシチアン(メゾ・ソプラノ)
ルーベン・リシチアン(テノール)、パーヴェル・リシチアン(バス)
リトアニア合唱団
アルヴィド・ヤンソンス(指揮)、リトアニアRTV交響楽団
【録音】
1976年5月5日 モスクワ・ラジオ・コンサートホール

http://www.towerrecords.co.jp
/sitemap/CSfCardMain.jsp
?GOODS_NO=1867510&
GOODS_SORT_CD=102

@@@@@@@@@@@@@@@

以下は、690円の超廉価版であった。
ブルックナー:交響曲第7番(ハース版)(シュトゥットガルト放送響/ザンデルリンク)

BRUCKNER: Symphony No. 7 in E major, WAB 107

http://ml.naxos.jp
/album/CD93.027

@@@@@@@@@@@

以下は、試聴して、その音と演奏のすばらしさで買ってしまった。どうやら、これから、クラシック音楽は、ルイージ/ドレスデン・シュターツカペレの時代となりそうである。


タイトル:
Bruckner: Symphony No.9 / Fabio Luisi, Staatskapelle Dresden [SACD Hybrid]
アーティスト:
Anton Bruckner (1824 - 1896)
Hybrid CD

オンライン価格 \2,590(税込)
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発売日: 2008/10/27
組枚数: 1
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レーベル: Sony Classical
ジャンル: CLASSICAL > COMPOSER


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シュターツカペレ・ドレスデン

(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)



Staatskapelle Dresden


設立年 1548年


音楽総監督 ファビオ・ルイジ
(2007年〜)
Fabio Luisi


ファビオ・
ルイジ

ファビオ・ルイジは1959年イタリアのジェノヴァ生まれの指揮者。パリでアルド・チッコリーニに師事。オペラの世界との出会いをきっかけに指揮法への興味を深め、1984年から87年の間にグラーツ歌劇場で研鑚を積み、指揮者の地位を固める。1997年から2002年までスイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者、99年よりライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督を、2004年からウィーン交響楽団、2005年よりドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者を務めている。ドイツ・オーストリアの音楽には定評がある。
http://tuhan-shop.net/the
%20orchestra/w-oke/
s-o-doitu-syutatukapere
-doresuden.html




2008年11月11日(Tue)▲ページの先頭へ
オバマ次期大統領とメルヴィルの『白鯨』
オバマ次期大統領の愛読書が、メルヴィルの『白鯨』であるということだが、私は、先に、ブッシュをエイハブ船長、オバマ氏を白鯨に喩えたのである。ピークォッド号が、アメリカである。そして、船長が狂信者のエイハブから、いわば、白鯨に換わったと見たのである。

Barack Obama: The 50 facts you might not know
Fifty things you might not know about Barack Obama

• His favourite book is Moby-Dick by Herman Melville

強調renshi。
http://www.telegraph.co.uk/
news/newstopics/uselection
2008/barackobama/3401168/
Barack-Obama-The-50-f
acts-you-might-not-know.html


2008年09月15日(Mon)▲ページの先頭へ
モーツァルトとバッハ:小林愛実の演奏スタイルはミューズ的な天流出、天飛流である
モーツァルト弾きは、概して、バッハ演奏が単調になるが、この少女(小林愛実)は、見事に、硬質な響きをもって、バッハの名曲を歌っている。驚異的にすばらしい。
 一言、演奏スタイルについて言っておこう。いわば、ミューズ(詩神たち)から、直截に純粋に流れているのである。流れるというのでは、足りない。奔流というのとも違う。ただただ、純粋に、流出、表出されるのであり、矢のようにすばやく流出するのである。飛ぶような流出である。造語して、飛流、矢流である。そう、天流、天流出、天飛流である。そう、宝瓶宮(ほうへいきゅう:水瓶座)から流出する霊感の天水流とも言えようか。ギリシア神話で言えば、ペガスス(天馬)のようである。天翔るスタイルである。

p.s.  言い換えると、Media Pointを体現しているのである。Media Pointがミューズである。また、mediaの単数のmediumの語源は霊媒である。天の調べの媒介となっているのである。Media Point Styleである。これが、トランス・モダンの演奏スタイルであろう。

Aimi Kobayashi plays Bach
Aimi Plays Bach's French Suite n°5 in a "private recital" in Moscow
http://jp.youtube.com/watch?v
=w1lNZCo6yIM&feature=related


2008年09月11日(Thu)▲ページの先頭へ
時代精神の変化?:モダニズム的形式主義の終焉とトランス・モダンの新しい歌
YouTubeを載せたブログを以下を見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10137812486.html

**********************

いったい何の風の吹き回しか、モーツァルトを、それも、ピアノ協奏曲を取り憑かれたように聴いている。
 私はつい最近までは、モーツァル音楽に何の感銘を受けない状態であったのであるが、この突然の「豹変」は何なのか。なにか、時代精神の変化があるのではないだろうか。もう少し言えば、宇宙精神の変化である。
 私は、これまで、内田光子の演奏をあまり評価してこなかったが、今は感銘を受ける。(とは言え、以下のラトル指揮ベルリン・フィルとの演奏は、問題があるが、それでも、聴ける演奏ではある。)
 思うに、モーツァルトの音楽に対する興味が失せていたのは、演奏の質に拠るのかもしれない。思うに、演奏の質の変化が、ここ数十年においてあったのではないだろうか。形式主義が終って、新しい歌が始まったのではないだろうか。私は、マルゲリッチやポリーニの演奏は形式主義で古いものだと思う。悪しきモダニズムだと思う。
 しかし、内田光子の演奏は、新しい歌がある。そう、形式ではなく、歌が復活したのである。しかし、それは、反動ではなく、モダニズム的形式を経由した後の、新しい歌である。つまり、トランス・モダン的歌ということになるだろう。
 とまれ、内田光子とベルリン・フィルはミスマッチである。危険である。アバドが、ベルリン・フィルの指揮者となり、アバドの指揮者生命がほとんど潰されてしまったのである。ベルリン・フィルは、クラシック界の伏魔殿である。それは、同一性主義的なものを強くもっているのである。
 ところで、思うに、私はまったくカラヤンの演奏は、晩年を除いて、化粧演奏なので、批判しているが、思うに、ベルリン・フィルのもつ形式主義性=モダニズムに影響されてしまった面もあるのではないだろうか。
 そう、カラヤンが悪いというより、ベルリン・フィルが元凶ではないだろうか。

p.s. 以下にあるレクイエムの演奏はすばらしい。カール・ベーム以来の優れた演奏ではないだろうか。魂の演奏である。すばらしい。感性と知性が調和した見事な演奏である。納得の出来る演奏に出会えたという思いである。

p.p.s. モダニズムは、二面性をもっている。形式主義性とトランス・モダン性である。前者が、今日まで、悪しき影響をもたらしてきたと思う。後者の側面を喪失してきたのである。


2008年09月06日(Sat)▲ページの先頭へ
マーヤーと夢:現実と夢:現実とは何か:夢象としての現実
マーヤーと夢:現実と夢:現実とは何か:夢象としての現実

この問題は、哲学の中心にあると言えよう。いったい現実とは何か。私はよく夢を見るので、夢の世界で、いわば、生きているのであり、その時は、夢が現実である。夢から覚めると、現実に戻ることになる。
 ヒンドゥー神話・哲学では、ヴィシュヌの夢が、この世である。マーヤー(仮現)である。この齟齬をどう考えたらいいだろうか。この問題は、物質とは何かということと関係する。
 わかりやすい例を出せば、現実とされる色彩であるが、それは、現実ではなく、主観的構造によって、形成されるものである。そう、カント哲学から言えば、超越論的形式が、現象形式を構成しているのである。これは、ほとんど構造主義的発想である。
 ゲーテの色彩論は、補色関係を明らかに、いわば、色彩相対性理論を作ったと言えよう。これは、PS理論では、(+i)*(-i)⇒光と言えるのではないだろうか。例えば、+iが赤色であり、-iが緑色である。赤色と緑色が共振して、太陽光となっているのである。
 つまり、赤色は緑色と対になっているということである。だから、色彩は現実ではないのである。
 では、現実とは何か、となる。現実とは、本来、極性的同一性であるが、それを同一性主義として捉えたものであろう。つまり、仮象である現象を固定化したものが現実であろう。だからこそ、マーヤー(仮現)と言えるのだろう。
 だから、その意味では、現実とは共同幻想である。確かに、バナナはバナナであるが、それは、バナナではないものと一体である。非バナナである。バナナ*非バナナ⇒バナナ仮象である。
 あえて言えば、仮象=現象は、造語して、夢象(むしょう)である。だから、同一性主義的金融資本主義は、この夢象を現実として考えている、いわば、虚構的経済と言えよう。
 差異価値、差異共鳴価値こそ、源泉であるのに、結果の夢象を現実と考えているのである。錯誤である。共同幻想資本主義である。

*******************

現象を哲学する:夢と現象:夢としての現象


現象とはまことに不思議である。テレビを見れば、画像があり、それに見入る。そこには、アナウンサーがニュースを伝えている。
 これは現象であり、現実である。確固としたものとして、それを捉えている。虚像ではなく、実像として見ている。
 それは確かに同一性像ではあるが、それを確固としたものと見ると、それは、もうマーヤーである。そこにあると捉えているのは、「わたし」の主観的構造である。これは、カントの功績である。
 私は何が言いたいのかと言うと、眼前のリアルな、現実の映像のことである。
 先に述べたことと共通するが、夢の映像とどう違うのか。確かに、現実の映像は物質があり、夢の映像には、物質がない。しかし、物質とは何か、である。
 この問題は、他者問題である。思うに、主観的他者と客観的他者があるだろう。主観的他者の場合、それは、イデアである。それに対して、客観的他者とは、イデアではなく、同一性となった他者である。おそらく、このイデアと同一性との違いではないだろうか。
 言い換えると、夢の映像とはイデア的であり、現実の映像は同一性(物質)的であるということではないだろうか。
 考察を展開させると、この同一性の他者の認知であるが、そのままでは、同一性の他者であり、差異はない。しかし、他者は本来、差異である。この点をどうみるのか。
 差異としての他者とは、結局、イデアとしての他者である。ここにおいて、現実の映像は、仮象となるのではないだろうか。私は眼前の対象、たとえば、子どもを見る。しかし、それは、同一性としては、単に子どもに過ぎない。しかし、差異=イデアとして見るならば、眼前の子どもは、仮象的になると言えよう。言い換えると、子どもという対象は、イデアのシンボル(象徴)となるのである。
 もっとも、この点は、PS理論から、即非性として、既に理論化されている。
 とまれ、そうすると、現象も、夢と同質のものになるということである。ヒンドゥー神話のヴィシュヌの夢は、真実なのである。


2008年07月10日(Thu)▲ページの先頭へ
ウト・ウギのバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ
ウト・ウギのバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ
テーマ:クラシックCD
今日は、久しぶりに、クラシックのCDの購入に散財した。新宿のタワー・レコードで、以下のウト・ウギのヴァイオリンによるバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータを買った。これが、正解であった。
 三十年前頃、ウト・ウギのヴァイオリン、エド・デ・ワールド指揮によるモーツァルトのハフナー・セレナードに強い感銘を受けた。その記憶があり、この CDを購入したのである。バッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータは、私見では、意外にいい演奏がないのである。ミルシテインの演奏がいいとされるが確かにいいが、私には、今一つであった。しかし、この演奏は、しっくりする。
 以下にあるように、ウト・ウギはイタリア人である。イタリア人の庶民のもつ情感が表現されているのである。勿論、知性もある。私はこの演奏をこの曲の演奏のベスト・ワンとしたい。
 思うに、音楽評論家は、近代主義教育を受けているので、このような自然の情感を評価できないのではないだろうか。だいたい、カラヤンの演奏を評価する評論家とは、似非評論家である。彼らが、クラシック音楽をだめにした根因の一つである。
 とまれ、二枚組で、1750円という破格の価格で買ったのである。超お薦めである。新宿タワーレコードへ急げ!

p.s. ここで、私見を言うと、日本人は、民族の血において、南方性と北方性の両方をもっている(つまり、Media Point的ということである)。だから、イタリア人のもつ南方的情感に強く共感するのである。しかし、同時に、北方の血があるので、知性に強く惹かれるのである。正に、即非的日本人である。鈴木大拙の即非の論理とは、このような日本人の極性を反映していると思われる。
 日本をだめにしているのは、端的に、日本の男性である。日本の封建主義である。これが、最悪である。これを滅ぼすのが私のライフワークである。

p.p.s. 今日買ったその他のCDも正解である。今日は勘が冴えている。ブランデンブルク協奏曲の演奏では、以下が、私見ではベストである。また、リリングのロ短調ミサも実直な演奏で、最高の演奏の一つに入るのではないだろうか。
 そして、ハインリッヒ・シフの無伴奏チェロは歯切れが良く、これも、最上位の一つである。
 今日は、いったい何なのか。

バッハ:ブランデンブルク協奏曲集
~ ルツェルン弦楽合奏団 (アーティスト, 演奏), バッハ (作曲), バウムガルトナー(ルドルフ) (指揮), スーク(ヨゼフ) (演奏), レジュール(マックス) (演奏), その他

バッハ:ミサ曲 ロ短調
~ バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト (アーティスト, 演奏), バッハ (作曲), リリング(ヘルムート) (指揮)


Bach: Sonatas & Partitas [Import] [from US]
~ Johann Sebastian Bach (作曲), Uto Ughi (Violin)
http://www.amazon.co.jp/Bach-Sonatas-
Partitas/dp/B00000E6O3/ref=sr_1_1?ie
=UTF8&s=music&qid=1215616895&sr=8-1

Bach: Cello Suites [Import] [from US]
~ Heinrich Schiff (Cello), Johann Sebastian Bach (作曲)
http://www.amazon.co.jp/
Bach-Cello-Suites/dp/B0007RO57A
/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=
music&qid=1215625020&sr=8-1
 

ウート・ウーギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ウート・ウーギ(Uto Ughi、1944年 1月21日 - )は、イタリア のヴァイオリン奏者 。

4歳でミラノ・スカラ座管弦楽団 のアリオダンテ・コッジ に手解きを受け、7歳で初リサイタルを開く。その後、ジョルジュ・エネスコ に師事。キジアーナ音楽院 に入学し、コルラド・ロマーノ に師事。世界各地で演奏活動を行う。1980年に初来日。聖チェチーリア音楽院 教授、パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクール の審査員などを務める。使用楽器は、1744年製グァルネリ・デル・ジェス 「Cariplo」、1701年製ストラディヴァリウス 「Kreutzer」。


Uto Ughi
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Uto Ughi, pseudonimo di Diodato Ughi (Busto Arsizio , 21 gennaio 1944 ), è un violinista italiano .

Nato da genitori di Pirano d'Istria , ha iniziato da piccolo («5 o 6 anni» dice lui stesso) lo studio della musica e l'apprendimento delle tecniche violinistiche, debuttando a soli sette anni al Teatro Lirico di Milano .

Ha studiato con i maestri George Enescu a Parigi e Corrado Romano a Ginevra e all'Accademia Chigiana di Siena e in seguito ha proseguito gli studi con Riccardo Brengola , incontrando nel ricco ambiente culturale senese Andrés Segovia e Pablo Casals .

Oltre alla prolifica attività musicale, sia in sala di incisione, sia in numerose tournée, Uto Ughi è un protagonista anche nell'animazione culturale: ha fondato e anima diversi festival, manifestazioni e rassegne musicali: "Omaggio a Venezia", finalizzato alla raccolta di fondi per il restauro dei monumenti della città, "Omaggio a Roma" (1999-2002), per la diffusione del patrionio musicale. Dal 2003 gli ideali di tali eventi sono stati ripresi nel festival "Uto Ughi per Roma", del quale Uto Ughi è fondatore e direttore artistico. Da ricordare anche l'istituzione con Bruno Tosi del premio "Una vita per la Musica".

La Presidenza del Consiglio dei Ministri ha nominato Uto Ughi Presidente di una commissione incaricata di valutare una possibile campagna finalizzata a diffondere la musica classica presso i giovani.

Il 4 settembre 1997 gli venne conferita l'onoreficenza di Cavaliere della Gran Croce dal Presidente della Repubblica, per i suoi significativi meriti in campo artistico, mentre nell'aprile del 2002 ricevette la Laurea honoris causa in Scienze delle Comunicazioni. Fra le altre onoreficenze ricevute da Uto Ughi, vi sono il titolo di Accademico di Santa Cecilia (1978 ), di Commendatore della Repubblica (18 febbraio 1981 , conferitogli dal presidente Pertini) di Gran Ufficiale (2 giugno 1985 ). Tra i premi più significativi vinti da Uto Ughi vi sono il premio "Una vita per la musica - Leonard Berstein" (23 giugno 1997 ), il premio "Galileo 2000" (5 luglio 2003 ) ed il premio internazionale "Ostia Mare" di Roma (8 agosto 2003 ).

Tra i violini in possesso di Ughi, due strumenti sono oltremodo preziosi: uno Stradivari "Van-Houten-Kreutzer" del 1701 , chiamato così perchè appartenuto al violinista omonimo al quale Beethoven aveva dedicato una sonata , ed un "Guarneri del Gesù " del 1744 , appartenuto al sommo violinista Grumiaux.
Presenza in TV [modifica ]

Dal 7 giugno 2008 , Uto Ughi conduce su Rai Uno il programma Uto Ughi racconta la musica. Si tratta di una serie di dieci brevi episodi della durata fra i 15 ed i 20 minuti, trasmessi a mezzanotte, in cui il violinista introduce gli ascoltatori ad un aspetto della musica classica, ad un compositore, ad un brano celebre, eccetera; il programma, registrato in location sempre diverse, si compone di tre parti: una breve spiegazione iniziale seguita dell'esecuzione di uno o più brani e conclusa da un'informale discussione fra il maestro ed un gruppo di giovani.

Puntate [modifica ]

1. 07/06 /2008 , Basilica di Santa Sabina all'Aventino a Roma - La musica figurativa: Antonio Vivaldi , Le quattro stagioni (Estate: III Presto, Inverno: II Largo, Autunno: III Allegro)
2. 09/06 /2008, Auditorium Conciliazione a Roma - Carmen fantasy: Pablo de Sarasate , Fantasia dall'opera Carmen (trascrizione per violino & orchestra dalla Carmen di Georges Bizet )
3. 10/06 /2008, Sale Apollinee del Gran Teatro La Fenice a Venezia - Il primo movimento de "La morte e la fanciulla": Franz Schubert , La morte e la fanciulla (I Allegro)
4. 11/06 /2008, Sale Apollinee del Gran Teatro La Fenice a Venezia - Il secondo movimento de "La morte e la fanciulla": Franz Schubert, La morte e la fanciulla (II Andante con moto)
5. 13/06 /2008, Basilica di Santa Sabina all'Aventino a Roma - Mendelssohn e Massenet: Felix Mendelssohn , Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.40 (III Rondò); Jules Massenet , Thaïs (Meditazione)
6. 14/06 /2008, Auditorium Conciliazione a Roma - Paganini e Saint-Saëns: Niccolò Paganini , Concerto per violino in si minore no. 2 op. 7 "La campanella" (III Rondo à la clochette); Camille Saint-Saëns , Introduzione e rondò capriccioso
7. 16/06 /2008, Tempio Kichijyouin a Manazuru - Una Ciaccona di Bach: Johann Sebastian Bach , Partita in re minore per violino solo BWV 1004 (V Ciaccona)
8. 17/06 /2008, Tokyo Metropolitan Art Space a Tokyo - L'eleganza di Brahms 1: Johannes Brahms , Concerto per violino e orchestra in Re maggiore, op. 77 (I Allegro ma non troppo)
9. 19/06 /2008, Tokyo Metropolitan Art Space a Tokyo - L'eleganza di Brahms 2: Johannes Brahms, Concerto per violino e orchestra in Re maggiore, op. 77 (II Adagio, III Allegro giocoso, ma non troppo vivace)
10. 20/06 /2008, Tempio Kichijyouin a Manazuru / Tokyo Metropolitan Art Space a Tokyo - Bach e Paganini: Johann Sebastian Bach, Partita per violino n. 3 BWV 1006 (III Gavotta en rondò); Johann Sebastian Bach, Concerto per due violini in re minore BWV 1043 (I Vivace) / Niccolò Paganini, Fantasia dai Capricci

Bibliografia [modifica ]

Scritti di Uto Ughi:

* Alberto Cantù , Respighi compositore , Eda, Torino, 1985 (Introduzione di Uto Ughi).

Collegamenti esterni [modifica ]

* Uto Ughi Fans Club
* Intervista a Uto Ughi - Roma, settembre 2005
* Puntate di Uto Ughi racconta la musica

* Musica Portale Musica
* Musica classica Portale Musica classica

Estratto da "http://it.wikipedia.org/wiki/Uto_Ughi "
Categorie : Biografie | Violinisti italiani | Violinisti classici | Personalità legate a Busto Arsizio


2008年06月30日(Mon)▲ページの先頭へ
折口信夫の『死者の書』:登場人物と粗筋
折口信夫の『死者の書』:登場人物と粗筋

テーマ:折口信夫『死者の書』

以下、元の掲載では、水色でみにくくなっていたので、ここで、文字色を変えて、また、少し補足して再掲する。

折口信夫の『死者の書』:登場人物と粗筋
テーマ:折口信夫『死者の書』 『死者の書』の主要登場人物と構成

登場人物

1. 死者(大津皇子、滋賀津彦)
2. 藤原南家(なんけ)の郎女(いらつめ:死者には、耳面刀自と思われている。  
    中将姫(ちゅうじょうひめ)と普通呼ばれる。)
3. 耳面刀自(みみものとじ):淡海公(たんかいこう)の妹君、祖父の叔母君
4. 郎女の祖父は、武智麻呂(たけちのまろ)
5. 郎女の父は、豊成
6. 郎女の父の弟は、仲麻呂=大師藤原恵美中卿
7. 兵部太輔大伴家持(おおとものやかもち)
8. 当麻真人(たいままひと)の氏の語部(かたりべ)
9. 乳母:身狭乳母(むさのちおも);郎女の世話をする。

話の筋

1) 死者の目覚め

2) 九人の杖人による郎女の魂ごひの行:死者の応答

3) 万法蔵院の小庵室に留め置かれる郎女:当麻真人の「氏の語部」

4) 当麻の語部の姥(おうな)の神懸かりによる歌。大津皇子の処刑(日のみ子に弓を引いたため)と執心。郎女の彼岸中日のヴィジョン。天若日子の神話:天の神々に弓を引いた罪ある神:「天若みこ」の話。

5) 死者の想起。滋賀津彦(しがのつひこ)。

6) 郎女の失踪。家から二上山へと行く。称讃浄土経の写経。千部手写。春分、秋分の彼岸における俤の人の幻視。

7) 千部手写が完成した夜、郎女が神隠しにあった。郎女は、二上山の女人禁制の境内に入って、山肌を見ていた。寺の者たちがおおぜい、集まり、郎女に問うものがいた。

8) 石城(しき)と言われる石垣のある家が残っていた。古い氏素性の、神代以来の家職の神聖を誇った者どもは、家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失っているのに気がついていなかった。大伴家持は、旧習を守っている。話は、東大寺の四天王像の開眼のこととなり、その像が誰それに似ているといううわさ話がたっている。大師藤原恵美中卿もうわさになる。そして、その姪の横はき家の郎女が神隠しにあった話がもちあがる。

9) 大伴家持の散策:横はきかきつの家まで来る。

10) 妻問い式とそういうもののないしきたり。南家の郎女にも、妻を求める男がとりまいた。郎女は、父藤原豊成が書き綴った『仏本伝来記』が手に入り、手写した。郎女は、御仏に感謝した。

11) 称讃浄土仏摂受経の千部手写の願を発起した頃の郎女。女性をも救うことを説いた法華経のことが気になっている。

12) 寺の浄域を穢した郎女は、自ら、咎をあがなうと述べ、乳母を感動させた。

13) 寺の深夜、郎女は廬にいる。帷帳(とばり)を掴んだ片手の白く光る指が見えたとき、郎女は思わず、「なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。」と言葉をもらした。それから、白玉をとりあげる夢を見る。水底の白玉、珊瑚の木となった夢をみる。天井の光の輪の隈から、俤(おもかげ)の人の姿が見えた。

14) 大師藤原恵美中卿(仲麻呂)と兵部大輔大伴家持の歓談:郎女のことが話題となる。

15) 郎女は、不思議な音がする恐ろしい夜更けを待つようになった。候は、躑躅(つつじ)の咲く頃であった。ある夜、天井の光のところに、大きな花が見えた。「郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。」(p.125)その花の蕋(しべ)から、黄金の髪が動く。その髪の中から、顔、肩、胸、肌が現れる。
 
16) ヤマツツジの時候。初夏となる。寺にいる郎女が魂がもどってくることだけを望みにして、人々は山村に留まっていた。人々は、蓮の茎を取って、蓮糸を紡いだ。そして、蓮糸のまるがせが、廬堂に高く積まれていった。郎女は、秋分の日が近づいてきているのを身の内に感じた。

17) 彼岸中日、秋分の夕方。郎女は、いつの間にか、廬の外へ出ていた。乳母たちは、驚き、郎女を探しに出かける。郎女は、万法蔵院に来ていた。そして、二上山の男嶽(おたけ)と女嶽(めたけ)の間を見ていた。そこへ、俤の人のヴィジョンが現れた。

18) 郎女は、奈良の御館から取り寄せた高機で、蓮糸織りをすることになった。郎女は、織物を織って、俤の人の素肌のお身を、掩ってあげたいと思う。しかし、うまくいかない。当麻語部姥(たいまのかたりべおうな)の声で、織り方を教わる。

19) 5反目の織物を織る。それから、郎女自身で、裁ち始める。

20) 当麻語部はもう一人語りの物語の時代ではないことを知る。さて、郎女は、奈良の家の絵の具を思い出して、取りに遣らせる。そして、その絵の具でもって、作った織物の衣に、先の夕に見た幻を描き始めた。そこには、豪華絢爛な伽藍があり、また「照り充ちた色身」の尊者が現れた。「姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼荼羅の相(すがた)を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うちまもる画面には、見るみる、数千地涌(すせんぢゆ)の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が同時に見た、白日夢のたぐひかも知れぬ。」

http://ameblo.jp/renshi/
entry-10002171474.html


2008年05月26日(Mon)▲ページの先頭へ
言説批判論としての新歴史主義とトランス・モダン理論:PS理論はトランス・モダン言説批判論でもある
以下の冒頭の「ディケンズと新歴史主義批評」における、新歴史主義理論の理念は興味深い。文学テクストとそれ以外のテクストのジャンル分けをせずに、同時代のイデオロギー言説とみなし、それが、権力空間を包摂しているということである。
 きわめて明快な説明である。私はそれはマルクス主義における史的唯物論的歴史主義ではないかと思っていたが、勘違いだったようである。イデオロギー批判では、両者共通するが、新歴史主義とは、唯物論ではなく、いわば、言説論を中心とした言説批判論ということになるだろう。
 そうすると、先に言及したが、プラトニック・シナジー理論における差異/同一性哲学をそこに正に適用することができると考えられる。言説は、同一性主義というイデオロギーに染めらる傾向が強いので(とりわけ、政治経済的言説はそうである)、PS理論のトランス・モダン的パースペクティブの適用によって、言説批判論としての新歴史主義はより明晰なものになると考えられる。
 思うに、Kaisetsu氏やtoxandori氏がブログで論考していることは、言説批判である。思うに、新歴史主義とは、ポスト・モダンの一種の進展であろう。なぜなら、ポスト・モダンには、本来、言説批判が含まれていたからである。
 そう考えると、新歴史主義において、トランス・モダンの視点がきわめて重要であると考えられる。ポスト・モダンの視点を継承しているならば、それは、真のイデオロギー批判になりえないと考えられるからである。差異と同一性と同一性主義を明晰にしない限り、言説批判は、十分なものにはならないと考えられるのである。
 思うに、私が新歴史主義批評に対して違和感を感じるのは、このポスト・モダンを引きずっていることに原因があるのではないだろうか。とまれ、言説批判論ということで、それは、トランス文学研究である。結局、今日、人文科学の向かっている方向は、トランス・モダンであり、文理統一知へと向かっていると言えよう。思うに、そこでは、トランス・モダン哲学、ないしは、トランス・モダン数理哲学が中心的役割をもつだろう。

p.s. 文学批評ないしは文学理論であるが、直感では、PS理論で説明できると思われるのである。PS理論の数理で説明できると思われるのである。

****************


「ディケンズと新歴史主義批評」 より抜粋(HTML版 )

新歴史主義とは、

@文学以外のテクストを文学テクストと区別せず,どちらも時代の言説の一部をなすものとして分析する.

Aこうして言説が生み出す権力空間は,あらゆるものを包みこむ全体的なものであり,そこから逃れるものはないと考える.

http://katase.tamacc.chuo-u.ac.jp
/~snakamura/hihyo01.htm


はじめに
 文学理論入門の第一二回は、「文学研究の社会化と歴史化」ですが、次回休講のため、第十三回「カルチュラル・スタディーズと文化研究」についても簡単に説明いたします。
したがって、ここで扱うのは、新歴史主義、文学場、カルチュラル・スタディーズです。
一、新歴史主義

http://www.kokugo.aichi-edu.ac.jp/
nishitaya/lec/2000/intro3c12.htm

Metaphor Murders
メタファーはなぜ殺される
巽 孝之
第3回
第3章
ポストモダンの倫理と新歴史主義の精神
ミッチェル・ブリトウィーザー『マザーとフランクリン』を読む

http://www.inscript.co.jp/
tatumi/t3%20Breitwiser.htm

 黒人文学 気鋭の研究者 Ashraf RushdyのRemembering Generations (2001)を読んでいる。前著も素晴らしい力作だったが、今作も素晴らしい。「新奴隷 体験記」の研究者 としてはおそらく第一線に立つ人だろう。アメリカでの評価は詳しくは知らないが、Gates、Baker、Gilroyらの後続を走る代表的論客 になるはずである。今作では、「亡霊」として回帰する奴隷 制に焦点を合わせ、歴史・社会・文化的側面から同時代の時代状況と新奴隷 体験記の関係を綿密に読んでいる。私が最も尊敬する批評家である。
http://d.hatena.ne.jp/pilate/20051027


5 I

新歴史主義、ポストコロニアル批評、フェミニズム
http://jp.encarta.msn.com/
encyclopedia_761566673_4____18/
content.html#s18


文学言語と身体:トランス・モダン文学理論:新歴史主義的研究を乗り越えて
文学を身体化する必要があるのではないのか。また、言語の数理とは何か。言語は+1なのだろうか。+1は共一性=同一性であるが、ここにおいて、原認識は完結しているのではないのか。そこに言語があるのか。直感では、言語は要らないのである。では、何故、言語が必要となるのか。これまでは、+iに傾斜していることが原因であると考えてきた。つまり、図式化すると、(+i)*(-i)の原共振においては、確かに、+iが傾斜しているが、傾斜のまま共振するのではないだろうか。そして、出生後、-iにおいて、苦・悲が生じ、ルサンチマンが起こり、同一性が独立する。即ち、(+i)*-(-i)⇒-1となるのでないだろうか。この-1が言語となる。しかし、物質が-1ではないだろうか。思うに、正しく言えば、-1は物質主義における物質ではないだろうか。そして、+1はイデアから生じる物質現象を意味するのではないだろうか。物質形式は、正しくは、+1であるが、今日、唯物科学が中心なので、物質形式は-1と倒錯しているのである。比喩的に言えば、本体+1の裏返しと言えるのではないだろうか。
 とまれ、そうすると、言語と物質とは等価となる。では、文学言語とは何か。それは、+1であろう。そうならば、それは、物質=言語ではない。思うに、文学言語とは、+1の原言語ではないだろうか。上では、+1は、原意識が完結していて、言語は不要であると言ったが、それは訂正されなくてはならない。以前では、+1は詩言語と言った。それは、叙情言語であろう。あるいは、韻文である。それが、自己疎外して、散文言語-1になるということだろう。
 では、文学言語の身体化について考えよう。私がこのようなことを言うのは、今日は、文学言語は、一般の現実から浮いているように感じられ、なんとか、現実化する必要があると感じているからである。それが、身体化の意味するものである。例えば、映画は身体化だと思える。では、身体化とは一体何か。これまで、Media Point が精神・即・身体であると言った。しかし、文学言語の身体化とは、そのような意味の身体化を意味していない。
 文学言語の数理は、+1である。これを身体化するとはどういうことなのか。有り体に言えば、物質化・現象化することである。おそらく、現象化が適切であるように思える。+1は現象ではあっても、心的現象である。精神現象である。だから、物質現象になっていないのである。身体化とは、この物質現象化を意味するように思える。これは一体何を意味しているのだろうか。思うに、一つには、文学言語を現実言語に変換することを意味するように思える。物質現象化するとは、現実現象化することである。言い換えると、物質的現実を与えることである。言い換えると、文学言語を、現実言語化することである。
 では、これは何であろうか。脱文学言語化ではないだろうか。脱文学としての「文学」を考えているのではないだろうか。トランス文学である。あるいは、「脱構築」である。
 どうも私は、混乱している。文学言語は、+1ではないのである。+1を装うのである。だから、文学言語の身体化とは、物質現象化ではなくて、共一性=同一性と差異共振性の取り戻しではないだろうか。
 最近、文学研究は、いわゆる新歴史主義中心になっている。しかしながら、これは、唯物論的だと思う。歴史を反映するイデオロギーとしての文学という考えである。確かに、歴史を確認することは必要であるが、それは本質ではないだろう。第一義的なことは、文学言語の差異論的批評である。文学言語のトランス・モダン化である。以前、文学理論が流行していて、それは、単純であった。しかしながら、今日の、いわば、ポスト文学理論的な新歴史主義的研究は、唯物論ないしは史的唯物論への回帰であるように思える。

p.s. 後で整理したい。

付録:

《芸術鑑賞とは何か:感覚をMedia Point化することによって、感覚に超越エネルギーを与えることではないか》

結局、感覚を介して、対象にMedia Resonance(メディア共鳴)することが鑑賞であろう。これによって、超越エネルギーが発現して、感銘等を生むのである。これは、単に美術や音楽や文学だけでなく、料理や香も芸術対象となるだろうし、当然、自然も芸術対象となるだろう。
 だから、芸術は、トランス芸術となる。トランス・アートである。そして、これは、生活一般や社会・政治・経済にも適用されよう。それらの差異共振化である。生活・社会・政治・経済等のトランス・アート=差異共鳴化である。Total Media Resonanciationである。


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カレンダ
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