鏡面と鏡像と視覚:差異共振像と同一性像と視覚主導:脱同一性鏡像化と差異共振視覚の復活






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2009年02月25日(Wed)
鏡面と鏡像と視覚:差異共振像と同一性像と視覚主導:脱同一性鏡像化と差異共振視覚の復活
画像は以下のブログを見られたい。
http://ameblo.jp/renshi
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以前、同一性自己(自我)形成における視覚の主導性・中心性について述べたことがあるが、今の時点で確認したい。
 鏡面は差異共振像の反映する差異共振的同一性面(差異的同一性面:以下、共振同一面または共鳴同一面)であり、そこに同一性志向性の不連続的転移に拠る同一性放射光が注がれ、同一性鏡像が生まれるのである。
 ポイントは、本来、差異共振像である鏡面に、差異共振性を否定する同一性像が反照されるということである。この差異共振鏡面に同一性像が反照されるという事象に、人間の謎・秘密の黄金の鍵があると言える。《先にも触れたが、神器の一つである鏡とは、この共振鏡面のことであると考えられる。そして、そこに差異共振像・超越光を見るのが正しいのであるが、同一性自己(自我)の人間には、そこに同一性像しか見い出せないのである。》
 問題は視覚の作用である。同一性志向性の視覚が、共振鏡面に同一性像を反映するのである。即ち、差異共振像に同一性像を投影して、前者に後者を重ねて、連続化して、いわば、覆ってしまうのである。同一性像の覆いである。そして、同一性像は差異共振像を抑圧・排除してしまい、主体は同一性自己(同一性主義)に転ずるのである。鏡面に映した同一性像によって、差異共振像を排除してしまい、鏡像自己を形成して、同一性自己を完成するのである。
 丁寧に言えば、鏡像が模範になるのである。そして、それを同一性志向性が模して、一体化するのである。つまり、本来、同一性志向性と鏡像とはダブル(分身)でありながら、それが、鏡像自己の形成によって一体化するという誤りを犯しているのである。言い換えると、自己と鏡像とは本来、別々であるが、鏡像へと同一性投影することで、鏡像自己が形成されるのである。この鏡像自己が、マーヤーの根源であると言える。(思うに、不思議なのは、ヒンドゥー教やインド哲学や仏教はどうして、現象がマーヤーであると解明できたのか。やはり、天才が創造した宗教・哲学である。)
 ついでの、先に述べたことを繰り返すが、自己と鏡像を分離させるのが、自己認識の原点・出発点である。仏教やフッサール現象学の核心の一つである。
 これで本件の問題が解明されたが、視覚に問題を絞ると、鏡像的現象界(鏡像現象界:略して、鏡象界)を相対化する方法として、脱同一性的美術があるだろう(モダン・アートはそのような志向性をもっていた)。
 鏡像的現象界のコピーではなく、差異共振像を現象界に見いだす美術である。これは、例えば、山岳を描いた場合、「私は山岳であり、且つ、山岳ではない」という即非表現となる。問題はこのとき描かれた山岳の意味である。それは、当然、鏡像的模写ではなく、共鳴的な表現がそこにはあるが、それは、端的に何か。それは、同一性=物質的ではない山岳、精神的な山岳が表現されていることになる。正確に言えば、同一性=物質としての山岳であり、且つ、差異共振性=精神としての山岳、即ち、即非的山岳が描かれていることになる。
 以前、Kaisetsu氏がミメーシスの捉え直しを唱えていたが、この即非表現がミメーシスに当たるだろう。即非ミメーシスと呼んでもいいだろう。あるいは、Media Point ミメーシスである。
 ここで、リアリズム(写実主義)の問題が生じるが、結局、一見、リアリズムであっても、少なくとも、同一性=物質的リアリズムと差異共振的リアリズムの二つがあることになる。両方を、通常、リアリズムで括っているが、それは間違いである。即非リアリズムがあるからである。
 日本美術で言うと、水墨画や琳派の絵画は、即非リアリズムと言うべきであり、単なる写実主義ではないと言えよう。この美学の問題がたいへん興味深いがここで留めよう。
 最後に付け加えると、視覚主導で形成された鏡像自己であるが、その解体・脱同一性主義化と視覚とはどう関係するのだろうか。同一性視覚とは、本来の身体が欠落しているのである。つまり、物質身体はあるが、精神身体が欠落しているのである。言い換えると、表層身体(西洋的身体)はあるが、深層身体(東洋的身体)が欠落しているのである。だから、視覚も精神身体、深層身体を取り戻す必要があるのである。換言すると、差異共振視覚、即非視覚、Media Point Visionを取り戻す必要があるのである。これこそ、真実を見る眼、心眼、魂眼である。当然、すぐれた画家はこれをもっていた。ゴヤのリアリズムは、この差異共振視覚が風刺的リアリズムへと向かったと言えよう。それに対して、ウィリアム・ブレイクの場合は、差異共振視覚が、虚軸ヴィジョンへと向かったのである。ピカソの『ゲルニカ』は、差異共振視覚が、独裁者批判へと向かっているのである。
 では、端的に、差異共振視覚を取り戻す方法とは何か。視覚が主導した同一性像であるから、視覚によって脱同一性像化するのは、重要である。理論的には、再帰として、差異共振視覚が生起すると考えられる。この視覚を肯定する必要があるのである。
 では、どこに、差異共振視覚が発生するのだろうか。私の乏しい経験から考えてみよう。それは、簡単に言えば、自然に、山川草木の自然に接したときに、差異共振視覚が発生するように思う。そう、自然現象とは、本来、差異共振現象であるからである。だから、自然は本来、マーヤーではなくて、Media Point 的現象なのである。マーヤーは人間の同一性鏡像に源泉があり、その投影から形成されるのである。
 私自身にとっての差異共振視覚の決定的経験は何だろうか。思うに、青空である。紺碧の大空である。思えば、子どもの頃、田舎の小屋のトタン屋根に寝そべり、青空を見つめて、青空に溶け入る美的な経験をしたが、それが、私にとっての、最高の差異共振視覚経験であろう。

水墨画
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松林図屏風(長谷川等伯 、国宝 )

水墨画(すいぼくが)とは、「墨 」一色で表現される絵画 で、墨線だけでなく、墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す。墨絵(すみえ)とも言う。

中国 で唐 代後半に山水画の技法として成立し、宋代には、文人官僚の余技としての、四君子(松竹梅菊)の水墨画が行われた。また、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事人物画が水墨で制作された。明代には花卉、果物、野菜、魚などを描く水墨雑画も描かれた。

日本 には鎌倉時代 に禅 とともに伝わった。日本に伝わった絵画は、『達磨図 』・『瓢鮎図 』などのように禅の思想を表すものであったが、徐々に変化を遂げ、風景を描く山水画 も書かれるようになった。
日本の水墨画
如拙筆 瓢鮎図 京都・退蔵院蔵
雪舟筆 秋冬山水図のうち冬景

墨一色で表現した絵画は、日本では正倉院 宝物の「墨画仏像」のような奈良時代の作例があり、古代から制作されていた。しかし、美術史で「水墨画」という場合には、単に墨一色で描かれた絵画ということではなく、墨色の濃淡、にじみ、かすれ、などを表現の要素とした中国風の描法によるものを指し、日本の作品については、おおむね鎌倉時代以降のものを指すのが通常である。着彩画であっても、水墨画風の描法になり、墨が主、色が従のものは「水墨画」に含むことが多い。

平安時代初期、密教の伝来とともに、仏像、仏具、曼荼羅等の複雑な形態を正しく伝承するために、墨一色で線描された「密教図像」が多数制作された。絵巻物の中にも『枕草紙絵巻』のように彩色を用いず、墨の線のみで描かれたものがある。しかし、これらのような肥痩や濃淡のない均質な墨線で描かれた作品は「白描」(はくびょう)ないし「白画」といい、「水墨画」の範疇には含めないのが普通である。

[編集 ] 初期水墨画

中国における水墨画表現は唐 時代末から、五代 〜宋 時代初め(9世紀末〜10世紀)にかけて発達した。中国の水墨画が写実表現の追求から自発的に始まったものであるのに対し、日本の水墨画は中国画の受容から始まったものである。日本における水墨画の受容と制作がいつ頃始まったかは必ずしも明確ではない。すでに12世紀末頃の詫磨派の仏画に水墨画風の筆法が見られるが、本格的な水墨画作品が現れるのは13世紀末頃で、中国での水墨画発祥からは4世紀近くを経ていた。13世紀末から14世紀頃までの日本の水墨画を美術史では「初期水墨画」と呼んでいる。水墨画がこの頃盛んになった要因としては、日本と中国の間で禅僧の往来が盛んになり、宋・元 の新様式の絵画が日本にもたらされたことが挙げられる。13世紀になり、無学祖元 、蘭渓道隆 らの中国禅僧が相次いで来日した。彼らは絵画を含め宋・元の文物や文化を日本へもたらした。鎌倉にある円覚寺 の仏日庵の所蔵品目録である「仏日庵公物目録」(ぶつにちあんくもつもくろく)は、元応2年(1320年)に作成された目録を貞治2年(1363年)頃に改訂したものであるが、これを見ると、当時の円覚寺には多数の中国画が所蔵されていたことがわかる。

日本の初期水墨画は、絵仏師 や禅僧が中心となって制作が始められた。師資相承(師匠から弟子へ仏法を伝える)を重視する禅宗では、師匠の法を嗣いだことを証明するために弟子に与える頂相 (ちんぞう、禅僧の肖像)や禅宗の始祖・達磨 をはじめとする祖師像などの絵画作品の需要があった。この時期に制作された水墨画の画題としては、上述の頂相、祖師像のほか、道釈画(道教および仏教関連の人物画)、四君子 (蘭、竹、菊、梅を指す)などが主なものである。なお、水墨画と禅宗の教義とには直接の関係はなく、水墨画は禅宗様の建築様式などと同様、外来の新しい文化として受容されたものと思われる。鎌倉時代の絵巻物 に表現された画中画を見ると、当時、禅宗以外の寺院の障子絵などにも水墨画が用いられていたことがわかる。

14世紀の代表的な水墨画家としては、可翁 、黙庵 、鉄舟徳済 などが挙げられる。可翁については作品に「可翁」の印が残るのみで伝記は不明だが、元に渡航した禅僧の可翁宗然と同人とする説が有力である。黙庵は元に渡り、同地で没した禅僧である。鉄舟徳済は夢窓疎石 の弟子の禅僧で、やはり元に渡航している。

代表作

* 達磨図(山梨・向嶽寺 蔵、国宝) - 達磨の衣などに彩色があるが、水墨画の筆法で描かれている。絵の上部に蘭渓道隆の賛があることから、蘭渓の没した1278年が制作年代の下限である。
* 蘭渓道隆像(神奈川・建長寺蔵、国宝) - 着彩画であるが、中国画と同様の筆法で描かれている。この時代の頂相の代表作である。絵の上部に文永8年(1271年)の蘭渓自身の賛がある。
* 可翁筆 寒山図(個人蔵、国宝) - 減筆体の人物画。寒山は唐時代、天台山に住んでいたという伝説的な隠者で、水墨画の好画題とされる。

[編集 ] 室町水墨画

室町時代は日本水墨画の全盛期と言ってよいであろう。足利家が禅宗を庇護したこともあり、禅文化や五山文学 が栄え、足利家の寺である京都の相国寺 からは如拙 、周文 、雪舟 をはじめとする画僧を輩出した。また、東福寺 の画僧・明兆 (みんちょう)は、濃彩の仏画から水墨画まで幅広い作品を制作した。8代将軍足利義政 は政治を省みなかったが、文化の振興には力を入れ、唐物と呼ばれる中国舶載の書画、茶道具などを熱心に収集・鑑賞した。当時の日本で珍重されたのは、中国・南宋時代の画家の作品で、夏珪、馬遠、牧谿 (もっけい)、梁楷、玉澗(ぎょくかん)らが特に珍重された。牧谿、梁楷、玉澗などは中国本国よりも日本で評価の高い画家である。なお、室町時代の日本画壇が水墨画一色であったと考えるのは誤りで、この時代には伝統的な大和絵 の屏風も盛んに描かれていたことが、20世紀後半以降の研究で明らかになっている。

14世紀までの日本水墨画が頂相、祖師図、道釈画などの人物画や花鳥画を中心としていたのに対し、15世紀には日本でも本格的な山水画が描かれるようになる。日本の水墨山水画のうち、もっとも初期の作とされるものは、「思堪」という印章のある『平沙落雁図』(個人蔵)である。この作品には中国出身の禅僧・一山一寧 の賛があり、彼の没年である1317年が制作年代の下限となる。画面下部に「思堪」の朱印があり、これが画家名と思われるが、その伝記等は不明である。この『平沙落雁図』にはまだ水墨画の画法をこなしきれていない稚拙な部分があり、遠近感の表現なども十分ではない。それから約1世紀を経た応永年間(15世紀初頭)に、「詩画軸」と称される一連の作品が制作される。

「詩画軸」とは、「詩・書・画一体」の境地を表わしたもので、縦に長い掛軸の画面の下部に水墨画を描き、上部の余白に、画題に関連した漢詩を書いたものである。この種の詩画軸で年代のわかる最古のものとされるのが藤田美術館 蔵の『柴門新月図』(さいもんしんげつず)で、応永12年(1405年)の作である。この図は杜甫 の詩を題材にしたもので、絵の上部には序文に続いて18名の禅僧が詩文を書いており、絵よりも書の占めるスペースが倍以上大きい。15世紀前半に制作された詩画軸の代表作としては他に『渓陰小築図』、『竹斎読書図』、『水色巒光図』(すいしょくらんこうず)などがあり、絵の筆者は『渓陰小築図』が明兆(みんちょう)、『竹斎読書図』、『水色巒光図』が周文との伝えもあるが、確証はない。この時期の詩画軸は、「書斎図」と呼ばれる、山水に囲まれた静かな書斎で過ごす、文人の理想の境地を題材にしたものが多い。

この時代にはようやく画人の名前と個性が明確になってくる。相国寺の画僧・如拙は、『瓢鮎図』(ひょうねんず、京都・退蔵院蔵)をはじめ、若干の作品が知られる。やはり相国寺の画僧であった周文は、幕府の御用絵師としての事績が文献からは知られ、詩画軸、山水屏風などに「伝周文筆」とされる作品が多数残るが、確証のある作例は1点もない。

15世紀の後半には、水墨画家としてのみならず、著名な画家の一人である雪舟(1420 - 1502/1506)が登場する。雪舟は備中国 (岡山県)の出身で、地方武士の血を引くと言われる。上京して相国寺の僧となるが、後に大内氏 を頼って山口に移住。応仁の乱(1467−1477年)の始まりと前後して中国・明に渡航、足掛け3年滞在して帰国した。帰国後は山口、大分など、もっぱら地方を遍歴して制作し、80歳代まで作品を残している。雪舟は明応4年(1495年)、76歳の時、弟子の宗淵に与えた作品『山水図』(通称「破墨山水図」)の自賛に、「自分は絵を学ぶために明に渡航したが、そこには求める師はいなかった」と記し、先輩に当たる如拙や周文の画業をたたえている。この自賛は、日本の画家が自らの画業について語ったものとしては最古のものであり、日本人画家としての自負がうかがえる。雪舟は中国絵画の影響を消化しつつ『天橋立図』のような日本の実景を題材にした独自の水墨画を制作した。また、多くの弟子を育成し、彼らの中には秋月(薩摩出身)、宗淵(鎌倉円覚寺の画僧)など、それぞれの出身地に帰って活躍した者もいた。こうした面でも、雪舟が日本絵画に与えた影響は大きかった。

室町時代には、地方にも多くの画人が現われ、その多くは武家の出身であった。その代表的な存在が、常陸国太田(茨城県常陸太田市)の武家出身の画家・雪村 であった。雪村は後に出家して画僧となり、関東地方と会津地方で80歳代まで制作を続けたが、その作品には武家の出身らしい気迫のこもったものが多い。

この時代には他にも多くの水墨画家がいた。著名な者としては、曾我蛇足、松谿、岳翁蔵丘らがいるが、これらの人物の伝記はあまり明らかでない。足利将軍家に仕えた「同朋衆」(唐物の目利きなど、芸術顧問的な仕事をしていた)の阿弥派一族(能阿弥 、芸阿弥 、相阿弥 )も水墨の作品を残している。

[編集 ] 参考文献

* 「特別展 水墨画」図録、東京国立博物館
* 週刊朝日百科『世界の美術』115号「室町時代の水墨画」、116号「雪舟・雪村と戦国画壇」、朝日新聞社、1980年

[編集 ] 関連項目

* 明兆
* 如拙
* 周文
* 雪舟
* 狩野正信 :狩野派 の祖
* 狩野元信
* 長谷川等伯
* 破墨山水
* 襖
* 東山文化
* おもな中国水墨画一覧

"http://ja.wikipedia.org/wiki
/%E6%B0%B4%E5%A2%A8
%E7%94%BB " より作成
カテゴリ : 水墨画 | 絵画技術 | 絵画のジャンル | 禅 | 日本美術史 | 室町時代の文化

琳派
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俵屋宗達 風神雷神図

琳派(りんぱ)とは、俵屋宗達 、尾形光琳 ら江戸時代 に活躍し、同傾向の表現手法を用いる美術家 ・工芸家 らを指す名称である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E7%90%B3%E6%B4%BE

Rimpa school
From Wikipedia, the free encyclopedia
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Spring Landscape, unknown Rimpa school painter, 18th century, six-screen ink and gold on paper.

Rimpa (琳派, Rimpa or Rinpa? ), is one of the major historical schools of Japanese painting . It was created in 17th century Kyoto by Hon'ami Kōetsu (1558-1637) and Tawaraya Sōtatsu (d. c.1643). Roughly fifty years later, the style was consolidated by brothers Ogata Kōrin and Ogata Kenzan .

The term “Rimpa” itself is an amalgamation of the last syllable from “Kōrin” with the word for (school (派, ha or pa? ), coined in the Meiji period . Previously, the style was referred to variously as the Kōetsu school (光悦派Kōetsu-ha? ), or Kōetsu-Kōrin school (光悦光琳派, Kōetsu-Kōrin-ha? ), or the Sōtatsu-Kōrin school (宗達光琳派, Sōtatsu-Kōrin-ha? ).

http://en.wikipedia.org/wiki
/Rimpa_school


File:PicassoGuernica.jpg

http://en.wikipedia.org/wiki
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