同一性自我と差異的自己:即非的意識は五元的意識である






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2009年09月10日(Thu)
同一性自我と差異的自己:即非的意識は五元的意識である
自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1において、+1とは、同一性自己(自我)と見ることができるが、その意識はどこから来ているのか。思うに、+iと+1が連続的同一性化されて混同されている。
 否、正しく言えば、左辺が連続的同一性化されて、+1になっているのである。本来の自己+iも他者-iも、同一性+1になっているのである。例えば、「わたし」は同一性の「わたし」であり、対象も同一性の対象である。この同一性が物質化を生起する。「わたし」と対象を分離させるのである(二元論)。
 今疑問に思ったのは、+iと+1の「自己」の問題である。言語的知性は+1であると思われる。そして、本来の知性の意識は+iであると思われる。
 悟性と言った時、それは、+1ではなくて、+iであろう。しかし、一般に両者が混同されているのではないか。つまり、言語と知性が混同されているのである。構造主義的な誤謬である。
 結局、近代的連続主義は、+i(と-i)と+1との混同であり、トランス・モダン(越近代)は、両者の不連続・絶対的な切断・分離を意味する。
 では、そのとき、「意識」はどういうことになるのか。自己認識方程式の左辺の様態があり、かつ、右辺の様態がある。この関係はどうなるのか。
 これは、端的に、Media Point的意識ということではないだろうか。言い換えると、即非的意識ということである。それは、+iと+1とが即非化されて、共振するのである。正確に言えば、左辺と右辺が即非・共振化されると言えよう。これが、トランス・モダン(越近代)の「意識」と言えよう。即非的意識、差異共振的意識である。
 このMedia Point的意識は四元的ないしは五元的である。後者の方が正確である。


   




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カレンダ
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