同一性から同一性主義への転換の力学について:弱いエネルギーが言語構造形式に留まる






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2009年01月13日(Tue)
同一性から同一性主義への転換の力学について:弱いエネルギーが言語構造形式に留まる
この問題は、かつて激しく試行錯誤したものであり、実に難問であり、今、さらに検討が必要であると感じられた。
 端的に言えば、同一性から同一性主義へと変換する力学は、不思議である。
 今は余裕がないので、十分論じられないが、同一性主義とは、-1を意味すると考えられる。(+i)*(-i)⇒+1の+1は同一性であるが、これが、同一性主義に変換する力学を説明する必要がある。
 以前、(+i)*[-(-i)]⇒-1という同一性主義の公式を仮説したが、やはり、それは妥当するのではないだろうか。
 問題は何故、他者-i を否定する精神力学・心的力学が生じるのか、ということである。この問題については、これまで、さんざん試行錯誤を続けた。とまれ、今の考えを述べよう。
 おそらく、この問題がMedia Pointの認識に次ぐ重要な問題である。Media Pointから同一性志向性が発生して、それが物質を形成する。しかるに、人間の場合、先に述べたように、言語構造形式(言語形式構造と言うべきか)があり、それが、他の自然と人間を区別していると考えられるのである。
 一般に自然は同一性であり、同時に、差異共振性である。しかるに、一般的に、人間は同一性主義(自我主義)となり、差異共振性を否定しているのである。
 端的に言えば、同一性主義とは、同一性志向性の終端であり、エンテレケイアである。それは、+1であり、同時に、⇒を抑圧していると言えよう。つまり、差異共振性ないしはMedia Pointを否定しているのである。
 だから、同一性主義とは同一性志向性の帰結であり、根源・源泉の否定なのである。換言すると、物質主義である。だから、同一性主義=物質主義は自然の終端・末端である。そして、それが、近代を支配したのである。
 しかしながら、これは、差異共振性という根源を否定しているので、当然、持続的に成立しないのである。言い換えると、自然であり、且つ、非自然であるということである。
 思うに、自然の知覚とは、⇒

後記:以上の論考は途中となった。結局、+1と-1とで混乱しているのである。物質主義は+1なのか、-1なのか、となる。 
 同一性は⇒+1であり、物質主義は+1である。だから、この点では、-1は必要ない。
 ならば、問題は、どうして、⇒+1と+1との違いが生まれるのかである。これは民族の根本的差異に関係しよう。
 日本民族は前者であり、西洋民族は後者であると考えられる(母権主義と父権主義の違いという方が適切であろう)。同一性志向性の始点と終点の違いと考えられよう。とまれ、統一理論的に説明すべきである。
 端的に言えば、この問題は最高の難問であり、かつて、数え切れないくらい反復した問題である。今の時点で、考察を行いたい。
 精神的に言えば、+1の同一性主義には、コンプレックス、憎悪、ルサンチマン等がある。嫉妬深いヤハウェ神を見ればいいだろう。この力学を説明する必要があるのである。
 先には、同一性主義の原因として飢餓を考えた。しかし、それは、経験主義的説明である。純理論的説明が必要である。
 この問題については、先に考察した言語構造形式を考える必要があるだろう。即ち、人間の場合、同一性志向性は、言語構造形式に留保されるのである。ここにおいて、同一性志向性ないしは同一性は、同一性主義に転換すると考えられるのである。(直感・直観とは、同一性主義ではなく、同一性の知覚であり、差異共振性を含むと言えよう。因みに、私の思考は直観的であり、言語をわきにおいていると思う。もっとも、直観に即して、言語が選ばれるのである。)
 思うに、言語構造形式こそ、自我形式である。ここにおいて、同一性志向性は、差異共振性を失い、同一性主義になると考えられるのである。そう、カントの超越論的形式である。ほぼ構造主義の構造である。
 とまれ、この言語構造形式=自我形式が、差異共振性を否定・抑圧・隠蔽すると考えられるのである。つまり、言語構造形式に同一性志向性が留まるとき、同一性主義が発生すると考えられる。
 そして、これは、人間の初期段階において発生すると考えられる。前言語構造形式期があり、その時は、いわば、動物的に直観的である。しかるに、言語構造形式を発展させるときに、前言語構造形式を喪失すると言えよう。つまり、同一性に内在する差異共振性を喪失するのである。
 では、何故、言語構造形式に留まるのだろうか。それは、結局、不連続的差異論の段階で述べた、高貴な差異と劣弱な差異の相違に帰結するように思う。言い換えると、強い差異と弱い差異である。後者は同一性志向性が弱く、言語構造形式で留まり、余剰がないのである。それに対して、前者は言語構造形式を超える過剰なエネルギーをもつと考えられる。
 簡単に言えば、弱いエネルギーと強いエネルギーの差異である。これが、いちばん明快な解明であろう。

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