鏡像を破砕せよ:同一性形象が現象を構成している:鏡像的同一性主義から差異共振主義へ:補訂版 |
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2008年07月15日(Tue)
鏡像を破砕せよ:同一性形象が現象を構成している:鏡像的同一性主義から差異共振主義へ:補訂版
p.s. 以下の考察は、論旨がやや不明瞭なので、後で整理したい。
p.p.s. いわゆるモダン・アートは、鏡像的描像を破壊したのであるが、それは、哲学的には、差異・差異共振性、すなわち、Media Pointに震源があると考えられる。しかしながら、その震源を的確に捉えていなかったのではないだろうか。そのために、その後、美術に混迷が起ったのではないだろうか。 抽象画は、差異の表現である。しかし、Media Point エネルギーは、新たな具象を創造することができるだろう。 今日は余裕がないので、詳論できない(p.s. 結局、詳述した)が、簡単に触れると、同一性という現象形式は、視覚において、鏡像を基盤にしていると考えられる。 では、鏡像とはどういう力学から発生するのだろうか。これまで、何度か検討してきたが、今一明瞭ではない。 これは、直感では、Media Pointにおける力学である。+iが-iに関係するときに、鏡像が発生するのではないだろうか。そう、先の考察から言えば、差異・同一性形式(差同形式)において発生するのではないだろうか。即ち、差異+iと差異-iとの関係において、同一性が発生する。この同一性の基盤が鏡像であると考えられる。 思うに、差異+iが差異(他者)-iに関係するとき、自己像を投影すると考えられる。即ち、+iを-iへ投影するのである。だから、(+i)*-(-i)⇒-1になると考えられる。 しかし、問題はそれほど単純ではない。なぜなら、Media Pointにおいて、差異共振的同一性(+1)が形成されると考えられるからである。思うに、この同一性が鏡像ではないのか、あるいは、少なくとも、鏡像に関係しているのではないのか。 そう、Media Pointにおいて、差異があると同時に、同一性が生起するという即非様相が発生しているのである。差異共振性とは正に、その即非様相を意味するのである。 差異であり、且つ、同一性であるという即非様相があることを十分確認しないといけない。 そして、この同一性の基盤が鏡像であると思われるのである。そう、端的に言えば、Media Point において、鏡像が形成されると同時に、差異が存在しているのである。しかしながら、同一性志向性=自我は、差異を否定して、鏡像=同一性に没入=感情移入すると考えられるのである。 つまり、+iの「自己」が同一性に没入して、他者であり-iを否定するということではないだろうか。同一性=鏡像という影像が発生するが、それに同一性化するのが、+iの同一性志向性ではないだろうか。 一つの差異である+iが+1へと没入するのである。これは、他者-iの否定であると同時に、自己+iの否定と言えるのではないだろうか。 そう、ラカン的に言えば、鏡像段階とは、差異・他者の否定であり、同一性=鏡像への没入段階と言えるのではないだろうか。 この事態・事象は、+iの自乗ないしは、-iの自乗で、-1となると言えるように思う。つまり、Media Pointが「鏡像段階」であり、ここで、+1が-1へと転換されると考えられるのである。これが、正に、自我=自己同一性の発生である。 問題は、この鏡像自我形成からの脱却である。これは、端的に、最高度に難しい。何故なら、生起した同一性像=鏡像は、固定した物質像=現象像であるからである。 例えば、眼前にあるコップを疑うことはできないのである。コップはコップとしての同一性をもっているのであるからである【p.s. ここでの表現は、精緻正確ではない。見方・視点が重要である。例えば、コップを花瓶として使用することは可能である。デュシャンの『泉』を参照。】般若心経(はんにゃしんぎょう)で言えば、「色(しき)」である。問題は、この同一性像=鏡像に没入することである。ここにおいて、差異が否定されるのである。 ここにおいて、仏教・大乗仏教の哲学的意義があるのである。PS理論が明らかにしたように、差異はイデア的な差異共振性であり、同一性からは、離脱したものなのである。 差異は端的に、イデアである。これを取り戻さないといけないである。ここに瞑想の大きな意義があるのである。あるいは、精神文化の意義があるのである。【思うに、今日、これが欠落しているので、批判知性が形成されないのではないだろうか。瞑想性があれば、外的対象への距離が生まれて、批判的観察ができると考えられるのである。】 そう、難しいのは、差異は同一性を形成しつつも、同時に、差異自体であるという即非事態が生起することである。【不連続的差異論の大きな意義がこれを発見したことである。そして、ポスト・モダンは、差異と同一性を峻別できずに、連続化させたままであったのである。】 ということで、鏡像の発生とは、正に、同一性の形成と見ていいことが確認された。思うに、この鏡像への関係は、男性文化(父権文化)の場合、正に、同一性主義的になり、女性文化(母権文化)の場合、同一性に対して、距離、すなわち、差異を保持すると思われるのである。 ということで、これまで説いてきたように、脱父権文化としての新母権文化の創造が今日、必然であると考えられるのである。 |
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