同一性主義と差異共振主義とMedia Point






2008年06月11日(Wed)
同一性主義と差異共振主義とMedia Point
どうも、先の議論は、まだ判然としていないので、ここでさらに検討したい。
 直近の私の議論は、イデア極性における反発と牽引による極限において、それぞれ、同一性主義と差異共振主義が発動するというものであった。
 ここで、丁寧に考えよう。同一性主義-1は、自己である差異+iが、他者である差異-iに対して反発して、自乗化して発生すると考えている(i^2=-1)。ここでは、他者差異に対する壁が生じている。いわば、二項対立が発生しているのである。
 次に、差異共振主義を考えよう。それは、牽引・引き付けによって生起すると考えられる。端的に、自己認識方程式であらわされると考えている。(+i)*(-i)⇒+1である。
 問題は、この*である。これは、共振ないしは共立を意味する。しかし、これは、単に、牽引・引き付けによるものだろうか。これは、いわば、差異関係、差異様相である。それは、他者を志向する差異であるが、しかし、他者とは一致(同化)はしないのである。絶対的差異であり、根本的には、距離があるのである。だから、単純に牽引・引き付けの作用というのは、誤りである。
 ならば、反発と牽引の極性の力学に基づく先の考察は誤りである。どう考え直したらいいだろうか。結局、イデア極性をどう捉えるのかが重要である。
 前に述べたように、独立性と水平性が並存していると見るべきであろう。独立性はあくまで、差異が差異であり、他者とは異なるのである。しかし、同時に他者へと志向するのである。これが水平性である。そして、これが、差異共振の意味であり、⇒+1である。
 問題は、独立性と反発のことである。独立性は独立性であり、反発ではない。独立自尊性と言っていいだろう。しかし、それに対して、反発とは、明らかに、他者を意識した、他者否定行為である。だから、独立性と反発(他者否定)はまったく異なることである。
 そうすると、問題はいわば振り出しの戻ることになる。即ち、反発性はどこから発生するのか、ということである。
 とまれ、結局、差異共振性とは、イデア性、即ち、虚軸性のことであり、その認識が自己認識ということになる。つまり、端的に言えば、自己とはイデア的認識存在(認存ないしは識在という語を造語しようか)であるということである。
 反発とは、自己差異+iが、他者差異-iを認識できないことから発生すると考えられる。つまり、他者に対して、自己反射してしまうということである。これは、これまでの結論では、他者は苦・悲をもたらすもので、それに対するルサンチマンから他者への反発が生まれるということである。そう、端的に、本来の差異共振性、ないしは、初期差異共振性とは歓喜と考えられる。
 しかるに、他者が苦・悲の原因となるとき、自己は他者を反射的に否定(反発)するだろう。いわば、自動反射である。そのとき、本来の差異共振エネルギーが、他者から離脱して、自己へと反射する(自乗)のだろう。つまり、鏡像による自己同一性形成である。鏡像とは、反発したエネルギーによる自己再帰であろう。自己差異+1が鏡ないしは鏡像であろう。ここへと再帰するのである。即ち、(+i)×〔-(-i)〕=-1になると思われる。
 問題は、この反発・否定の力学的意味である。反発・否定とは、端的に、自我形成の力であるから、自我形成する力の意味である。また、それは、物質と関係すると考えられる。
 ここで思考実験をするが、差異力学ないしは極性力学とは異なる力学がここにはあるのではないだろうか。それは、有り体に言えば、二項対立力学である。二元論力学である。
 差異極性を否定する力学としてのその力である。極性抑圧力学である。これはどういうことなのだろうか。これまでの説明は人間の場合、同一性傾斜が原因であるということである。つまり、人間の場合は、自己差異+iが、他者差異-iよりも強度が大であるということである。だから、不均衡な差異共振性があり、また、傾斜によって、反発力が生じると説明できることになるのである。自己差異傾斜が反発・二項対立・同一性主義の根因ということになる。
 これで自己差異傾斜が自我の原因であると説明できたが、それが物質とはどう関係するのだろうか。言い換えると、自然現象においても、自己差異傾斜があるのだろうか。たとえば、磁石の場合はどうだろうか。否、端的に、磁気、磁力を考えるべきである。それは、本来、不可視である。自然現象とは言え、物質ではないと言うべきと言えよう。思うに、磁気・磁力の場合には、自己差異傾斜はないのではないだろうか。
 結局、差異共振力は自然現象であるが、それは、いわば、イデア力である。そして、物質形成には、自己差異傾斜が必要であるということではないだろうか。
 そう考えて、植物や動物の生物を考えよう。ここでは、生命力が問題となるが、それは、確かに、磁気・磁力のような不可視性があるとは言え、磁気・磁力とは異なり、積極的に、有機体を形成する。だから、物質化能力をもっていると考えられる。すると、生物には、自己差異傾斜があると思われるのである。ということは、植物、動物にも、なんらかの自我が存するということになる。ただし、人間のように過剰・過度ではないと考えられよう。
 とまれ、そうすると、物質化=自我化ということになる。もっとも、これは広義においてである。狭義では、やはり、言語を介することが必要だと考えられる。つまり、自己差異傾斜の一つの主要な帰結は言語であると考えられるのである。
 ということで、以上で、直近の考えを否定訂正する形で、同一性主義と差異共振主義の説明をした。結局のところ、同一性と同一性主義は等価である。差異共振主義の+1は、先に共一性=同一性としたが、それも誤りであるので、ここで訂正する。+1は差異共振的自己性である。共一性という言い方は可能であるが、同一性ではありえないのである。
 鉱物のことは言ってなかったが、結局、鉱物にも、なんらかの自我があることになる。そうすると、意図していなかったが、新アニミズムを説くことになったと言えよう。魂とは、端的に、イデアであるが、それが、自己差異傾斜によって、自我をもつのである。つまり、イデアは自己であるが、同時に、自我=物質として発現するということになる。そして、イデアは永遠である。
 では、最後に、以上の考察をMedia Pointと関連させて整理しよう。結局、自己差異傾斜によって、イデアは、Media Pointにおいて、差異共振性としては、+1となり、同一性としては、-1へと展開するということになる。そして、自己差異傾斜=同一性主義によって、 Media Pointに壁、境界、穴、亀裂等が発生すると考えられる。
 そして、壁のこちら側には、同一性が存し、壁の反対側には、差異が存することになる。この構造は実に普遍的であると思う。ほとんどの哲学・理論を説明することができよう。
 繰り返しになるが、ハイデガー/初期デリダは、-1と+1との「ズレ」を説いた哲学と考えられるが、ただし、問題は出発点を-1の同一性にしているので、+1が本来もつイデア性を否定していることにあると考えられる。
 フッサール現象学は、-1を突破して、+1のイデア性に到達したと考えられる。そして、ドゥルーズ哲学であるが、それは、差異を連続化したので、差異が差異でなくなってしまったと考えられるのである。差異の同一性化であり、構造主義であり、弁証法であると考えられるのである。
 また、構造主義であるが、それは、同一性-1を生む原形を亀裂においているとだろう。しかしながら、構造主義には、本来の差異共振主義+1はないと思う(ソシュール言語学の「差異」とは、二項対立の「差異」であると考えられる)。亀裂=構造=ゼロ・ポイントであると思われる。
 これで本稿を終える。
 
p.s. まだ、問題が残っていた。以上では、イデア=魂としているが、これまでは、Media Pointを魂と考えたのである。この齟齬を解決しないといけない。
 結局、イデアとMedia Pointの関係の意味が問題である。イデアのエネルゲイアがMedia Pointであると言えるだろう。つまり、イデアは元々は、デュナミスであるということである。それが、根源的な運動(クリナーメン?)から、エネルゲイアに転化して、さらに、現象(フェノメノン)=エンテレケイアになるということだろう。
 思うに、イデアは一者であるが、それは、Media Pointとなることで、多者になるのではないだろうか。後で検討を続けたい。


   




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カレンダ
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