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2008年06月03日(Tue)
同一性とは何か、又は、「わたし」とは何か:自我+iであり、自己+1である「わたし」
先に、同一性-1と共一性+1について述べたが、まだ、なにか釈然としないものがあるので、さらに検討したい。
有り体に言おう。今、感じている「わたし」とは何か。それは、同一性の「わたし」なのか、それとも、差異の「わたし」なのか、あるいは、第三の「わたし」なのか、それとも、・・・。 「わたし」には、部屋の壁が見るし、衣類も見える。この見ている「わたし」は何なのか。部屋の中には、洗濯物が乾してある。この洗濯物を見ている「わたし」とは何か。 直感では、やはり、ゆらぎがある。「わたし」は「わたし」であり、「パンツ」は「パンツ」である。しかし、「わたし」は「パンツ」となんらか共振している。一種の一体感がある。そう、「わたし」と「パンツ」は即非関係にあるということであろう。だから、やはり、共一性+1がここにはあるのである。 だから、「わたし」は共一性+1の「わたし」ということになる。これで、再確認は終っただろう。 では、同一性の「わたし」とは何だろうか。思うに、「わたし」は「わたし」であるということにおいて、同一性の「わたし」が存するのではないだろうか。果たして、「わたし」は「わたし」であるとは何だろうか。その「わたし」とは何だろうか。 それは、+1ではなくて、+iではないだろうか。+i=+iということではないだろうか。そして、それが、他者-iと共振して、+1=自己となるのではないだろうか。 そうならば、「わたし」と自己の二つが存することになるだろう。これはどういうことだろうか。思うに、「わたし」は自我ではないのか。そして、自己は他者と共振した「わたし」ではないのか。そうならば、自我と他者の共振としての自己が存するということになるだろう。 そうならば、「わたし」はどうなるのか。そうすると、「わたし」は共一性であるとは言えない。「わたし」は自我であり、且つ、他者と共振した自己であるということではないのか。即ち、「わたし」は自我であると同時に、自己であるということではないのか。そうならば、-1であると同時に、+1であるということになる。 どうも混乱している。私は、+iと-1の両者を自我として見ているようだ。端的に言えば、「わたし」は対象を他者であると認識しつつ、同一性として確認していると思う。 例えば、柱にカレンダーがかかっている。カレンダーとは同一性であるが、同時に、差異(特異性)である。同一性においては、「わたし」とカレンダーは別箇のものである。しかしながら、差異と見るとき、「わたし」とカレンダーは共振即非様相にある。 カレンダーを同一性として見る「わたし」とは、同一性である。つまり、自我である。しかし、カレンダーを差異として見る「わたし」は差異である。つまり、自己である。 だから、まとめると、「わたし」は自我であり、且つ、自己である、ということになるだろう。同一性であり、且つ、差異であるということになるだろう。つまり、-1であり、且つ、+1であるということである。これが、「わたし」ということになる。 つまり、「わたし」は揺らいでいるのである。-1であり、且つ、+1である。そして、同時に、+iである。 そうならば、+1と+iはどう違うのだろうか。共一性である+1であるということは、当然、+iでもある。そう、+iは自我であり、+1が自己ではないだろうか。自我+iが他者-iと共振して、自己となるということではないだろうか。 ならば、自我+iと同一性-1とはどう関係するのか。そう、ここは言葉の文(あや)があると思う。-1とは端的には、同一性主義=自我主義である。それは、自我とは異なるのである。 ということで、自我=+i、他者=-i、自己=+1、同一性主義=-1ということになった。だから、自己=+1における「わたし」とは、自我+iと他者-iが共振している様態であるから、自我であり、且つ、自己であるということである。
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