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2008年05月01日(Thu)
+1と-1について:共一性(光)から同一性(影)の発生:(+i)*-(-i)⇒-1
本主題は、ルサンチマン=同一性主義の発生の問題と重なると考えられる。先にそれについて述べことを繰り返して考察しよう。
差異において、苦・悲が発生すると言った。そして、それを否定・抑圧するようにして、同一性主義=自我主義が生起すると言った。差異を共一性と言い換えることができる。つまり、共一性における悲・苦を否定・抑圧・排除・隠蔽して、同一性(共一性という視点を取ると、同一性「主義」と言う必要がなくなる)を発生(放出?)するのである。 すなわち、共一性における他者を否定して、同一性が生起するということであり、これが-1だと考えられる。この共一性(+1)⇒同一性(+1)の内的力学を考察しよう。 自己において、他者と共振一体となっていた共一様態を否定して、同一性、端的に、自己同一性を発生させるとはどういうことなのか。共一性はいわば自己他者性であり、それが自己同一性へて転換するとはどういうことなのか。 直感で言えば、疎外が起こるのである。内部から外部へと疎外が起こるのである。内界から外界へと疎外が起こるのである。自己認識方程式(+i)*(- i)⇒+1において、左辺が差異共振性であり、右辺が共一性であるが、共一性を否定するということは、端的に、左辺において、自己を+1、他者を-1と考えるならば、他者の否定は-(-i)=+iとなり、結局、(+i)*(+i)⇒-1ということになるだろう。これで同一性の発生の説明がついたと言えるだろう。 そして、問題は、言語の問題であり、共一性言語と同一性言語の二種類があるが、前者から後者はどう発生するのだろうか。 具体的に考えると、例えば、幼児において、共一性言語として、鳥があるだろう。もっとも、共一性言語としての鳥は、同一性言語としての鳥とは、外面的には同じで区別がつかない。両者、鳥で共通であるが、実質がまったく異なるということである。 わかりやすく言えば、共一性言語としての鳥とは、詩や神話等におけるような鳥であり、人間が鳥であったりするのである。端的に、即非的な鳥である。他方、同一性言語としての鳥は当然、人間とは絶対的に区別される動物である。「わたし」とは別の、外部の存在である鳥である。 内的他者の否定、-(-i)、これが、原同一性の発生である。ここに鏡像の原点があるのではないだろうか。即ち、-(-i)=+iが鏡像だと思われるのである。明瞭に他者(-i)を否定・抑圧・排除・隠蔽していることがわかる。そして、本来、共一性言語であったものが、鏡像反射を受けて、同一性言語になると考えられる。即ち、「わたし」と鳥は即非様態であり、鳥は共一性言語であったが、「わたし」が鳥を否定すると、鳥は同一性化して、同一性言語になると考えられるのである。言い換えると、肯定的な言語から否定的な言語になるのである。共生的言語から攻撃的言語に変換するのである。あるいは、歓喜の言語からルサンチマン(憎悪)の言語に転換するのである。 では、空間的にはどうなるのだろうか。内部空間(Media Point Space)から外部空間(物質空間:三次元空間)が発生するように思えるが。そうだろう。自己否定=他者否定によって、同一性空間-1が発生すると考えられる。それは、物質的空間であり、近代空間である。古典物理学の空間、コペルニクスの空間である。 整理すると、-1が現象・仮象・影像・模像(シミュラクル)であり、通常、近現代の人間はこれを見ているのである。そして、+1がイデアである。思うに、ここには、微妙な問題がある。(+i)*(-i)と+1の区別はどうなるのだろうか。+1をイデアと呼ぶなら、(+i)*(-i)は何だろうか。思うに、プラトン自身、ここで混乱しているのではないだろうか。+1はエイドスではないだろうか。そして、(+i)*(-i)が善のイデアではないだろうか。両者をプラトンはイデアと呼んでいて、後世の人間は、それがつまずきの石となったのではないだろうか。確かに、ここは実に微妙、霊妙な問題がある。私の経験から言うと、人里離れた山奥で、山容を見て、山のイデアを直覚した経験がある。三角形としての山のイデアである。これは、何だろうか。端的に、他者経験かもしれない。すると、-iが山のイデアとなるだろう。 しかしながら、今問題となっているのは、差異共振性である。だが、やはり、差異共振性において、他者-iのイデアを認識するのではないだろうか。すると、山のイデアは差異共振性となる。果たして、それでいいのか。今は、そうと作業仮説しよう。山のイデアは差異共振性である。それに対して、共一性+1は「わたし」と山との共一性である。そのように見ると、+1はイデアではないことになる。どう考えるべきだろうか。 そう、+1はイデアではない。それは、光であるからである。現象自体ではないだろうか。そして、-1が、いわば、影象である。両者が重なっているのである。そして、それは、不連続的に平行しているのではないだろうか。 問題は、+1が光ならば、-1は影である。しかし、通常、日中知覚する光は何なのか、ということである。これは難問である。おそらく、古代ギリシア人を悩ました問題だと思う。 日中の光は、+1の光でいいと思う。しかしながら、人間の視覚は、同一性視覚になっているので、それを-1を介して知覚するのではないだろうか。つまり、-1の「光」があるのではないだろうか。それが、影の光ではないだろうか。造語して、影光ないしは陰光と呼ぼう。 この陰光を介して、光を見ているのではないだろうか。換言すると、通常、光を見ていないことになる。陰光を見ていることになるのである。 精緻に言ってこれはどういうことなのか。光+1は現象しているが、仮象界の人間は、-1である影光(陰光)を見ているに過ぎないのであるということはどういうことなのか。思うに、光+1を屈折・反射(eliot-akira氏の指摘)させて、影光(陰光)-1に変換・転換・変質・変態させているのではないだろうか。 おそらく、それが正しいように思える。本来は光+1であるものを、屈折・反射させて、変質変態させて、影光(陰光)-1に変容していると考えられるのである。D. H. ロレンスが我々は光の背中を見ているに過ぎないと述べていたが、それは正に正鵠を射ていると言うべきである。光の背中としての影光(陰光)である。これが、仮象界である。整理すると、イデア⇒光⇒影光(仮象)となる。これで本テーマは解明されたとする。 次に、このことが物理学的にどういう意味をもつのか、ということが問題となる。結局、物質現象界とは、-1である。しかし、本体は、+1である。そして、さらに、元本体は(+i)*(-i)である。三重構成になっているのである。物質として現象界しか見ないというのは、端的に、+1の本体を看過することであるし、さらに、元本体であるイデアの看過である。思うに、相対性理論は、+1という光速度一定を発見したのではないか。古典物理学は、-1の同一性=物質科学であったが、相対性理論は、+1の共一性=即非科学ではないだろうか。 そして、量子力学であるが、それは、さらに、粒子と波動との差異共振性というイデアである量子ないしは素粒子の解明するイデア科学と言えるのではないだろうか。ただし、今日、未だに、唯物論に束縛されていて、イデア科学に変換していないのと考えられるのである。結局、超越的差異共振性であるイデアを対象としているのが、量子論であると思われるのである。いわゆる、四つの力も、イデアで説明ができるように思えるのである。 厳密に見ると、量子論の差異共振性=イデアであるが、それは、粒子と波動のそれと考えていいかは、やや疑問がある。思うに、粒子と波動との相補性とは、共一性即ち、+1のことではないだろうか。そのように訂正したい。では、超越的差異共振性としてのイデアとは、量子論的にどういうことになるだろうか。 イデアは原光・超光である。これをどう見るのか。ここは、創造の奥の院である。(カバラ的には、アインソフであろう。)端的に、これが、真の太極ではないだろうか。原極ないしは元極と言ってもいいだろう。陽である+iと陰である-iが共立(共対)しているのである。 これは、量子論的にはどう説明がつくのだろうか。これは、電磁気的に簡単に説明できるのではないだろうか。直感では、例えば、陽電子と電子との融合や核融合等で説明できるのではないだろうか。これはここで留めておく。 最後に、ブラックホールやホワイトホールや、ダークマターやダークエネルギーの問題に簡単に触れると、ブラックホールやホワイトホールについては、 Kaisetsu氏が明敏に説明されているので、ここでは、ダークマターとダークエネルギーについて触れると、端的に、ダークマターは+1の光で、そして、ダークエネルギーは(+i)*(-i)のイデアで説明できないだろうか。 少なくとも、-1の物質(影)と+1の光を比べると、光から影が生まれるのであり、その逆はないから、光の方がエネルギーは大きいと考えられよう。実軸的にも、+1の方が-1よりも大きいということではないだろうか。ということで、ダークマターは光ないしはそれと関係すると思われるのである。 次に、ダークエネルギーであるが、これは、ダークマターで述べたことの延長で説明できるのではないだろうか。光のエネルギーないしは、根源のイデア・エネルギーは物質エネルギーよりも大きいということである。Dark Energy=m(+ic)(-ic)⇒E=mc^2でいいのではないだろうか。今はここで留める。 |
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