没入:自我主義における賦活された差異共振エネルギーに対する二つの態度:パラノイアと全体主義






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2008年04月11日(Fri)
没入:自我主義における賦活された差異共振エネルギーに対する二つの態度:パラノイアと全体主義
以下もやはり、混乱している。寝不足が思考を鈍くさせているのかもしれない。
 ここで否定とショート(短絡)と没入の関係を整理しておきたい。否定とは、差異共振性の否定のことであり、連続的同一性化においては、同一性主義=自我主義を形成する。
 ショートとは、差異共振理性を自我主義が否定抑圧し、自我主義が中心化されることである。
没入とは、賦活された差異共振エネルギーに対して、自我主義が反動的な態度をとり、自我主義を過剰化すること、あるいは、差異共振エネルギーを連続様態において、肯定するために、差異共振性が連続化されて全体主義になることである。

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http://ameblo.jp/renshi/
entry-10087355926.html
先の混乱した考察となった没入のテーマをここで新たに検討したい。

 混乱の一つは用語の不十分さによる。即自的他者と対自的他者と言ったが、前者は即自的自己+iであり、後者は即自的他者-iと言わなくてはならない。
 没入とは、即自的他者や対自的他者に没入するということになろう。これは、いったいどういうことなのだろうか。自己認識方程式は、差異共振性を内包した自我=自己同一性であり、自我主義=同一性主義ではない。自我主義において、没入が可能になるのである。
 自我主義が起るには、自己認識方程式の左辺が抑圧される必要があるだろう。思うに、自我主義も一つの没入であろう。この力学を考えたい。
 まず、否定と没入を区別する必要があるのではないだろうか。自我主義は差異の否定によるのであり、差異の否定が、同時に、差異への没入となる事態ではないのか。
 これは、連続的同一性の様相と言えるのではないだろうか。差異共振性から連続的同一性へと転化するとき、差異共振性を否定する。しかしながら、この否定は抑圧でもあるが、そのとき、連続性において、差異共振性とショートするのではないのか。このショートが没入ということと考えられる。
 思うに、否定/ショートとは、反動である。差異共振性の否定的様態、つまり、苦・悲哀に対して、反動的に反射することである。
 では、反動とは何だろうか。反動とは、差異共振様態から差異否定様態になったとき生起する否定感情エネルギーのことではないだろうか。この否定感情エネルギー(ルサンチマン)は、攻撃的なエネルギーであると言えよう【フロイトの死の欲動とは、これで説明できるだろう】。
 思うに、連続的同一性は差異共振性の肯定的様態(歓喜)の場合と否定的様態(苦悲)の場合があり、前者は、差異(他者)を残していて、後者は、差異(他者)を抑圧否定するだろう。(宗教的に言えば、前者が多神教であり、後者が一神教である。)
 さて、没入・ショートの場合であるが、それは、後者が中心化したときに発生するだろう。何故なら、前者が存していれば、それが理性となり、没入・ショートにならないように抑制するからである。(理性とは、差異共振的自我のことである。)
 没入・ショートの発生は否定的様態が中心化したときとは、どういうことなのだろうか。差異共振性を抑圧・排除・隠蔽するような否定的様態とはどういうことなのだろうか。明快にするために、差異共振性の排除と呼ぶ方がわかりやすいだろう。
 それは、他者がその主体に苦・悲哀をもたらすという場合に排除が起るだろう。他者が主体の差異共振性に苦・悲哀をもたらすとはどういうことなのだろうか。簡単にいえば、トラウマを引き起こすような経験であろう。例えば、絶望である。このとき、差異共振性の光が消えて、闇になる。この闇が他者に対する排除作用を生むだろう。以前、私は冷暗の経験を考えたことがあるが、それと同じである。
 この場合、差異共振性を否定するような経験が中心であり、差異共振性を肯定する経験がほとんどないという境遇が考えられる。これは、確かに、経験論的には考えられるが、理論的には、どうだろうか。
 これまでの考え方は、差異共振性を否定・抑圧して生じた自我主義に対して、新たに差異共振性は活性化する事態が発生するが、差異共振に対する否定的な自我主義は、その賦活された差異共振性を反動的に抑圧するのであるが、賦活された差異共振性は、積極的なので、自我主義と差異共振エネルギーが齟齬を来して、統合失調様態(「分裂症」)をもたらすというものである。
 この考えのほうが力学的に首尾一貫しているのであるから、こちらの方が適切であると言えよう。
 ここでこそ、没入について考察すべきである。単なる否定においては、没入は十分発生しない。否定された差異共振性が賦活され、それが自我主義に反動的に抑圧・否定されたときに、没入が起ると思われる。即ち、新たな差異共振エネルギーがそれを否定するものを過剰化させるのである。端的に言えば、自我主義がパラノイア(偏執狂)的になるだろうし、また、ポスト・モダンならば、同一性に対する攻撃が過剰となり、全体主義的になるだろう。宗教ならば、原理主義的になるだろう。
 つまり、否定的な連続的同一性が基盤にあるために、同一性主義の方では、過度の自我主義となり、差異共振性の方では、連続的に、全体主義化するということである。
 ということで、結局、これまでの考察を確認することになったが、没入とは、外因(経済的な格差等)を除けば、内因として、賦活された差異共振エネルギーに対する、反動的否定による自我主義への没入があり、また、そのエネルギーに対しては能動的ではあるが、自我主義に対して、反動的であるために、差異共振性が同一性主義を帯びて、全体主義化する没入の二種類があることになる。

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