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2008年03月28日(Fri)
父権主義と母権主義の平行と未分化性:「平行と内的極性の未分化混淆」と新平行性としての純粋差異
父権主義と母権主義の平行と未分化とは、矛盾するような観念である。これをどう説明するのか。即ち、私は近代主義は、父権主義と母権主義の未分化混淆と言ったが、それ以前には、父権主義と母権主義の平行であると述べたのである。つまり、未分化混淆と平行性とが不整合であると考えられることである。これは、日本の近代化(明治維新近代化以降)にも関係するので、重要なポイントである。
この解明は難しくない。つまり、二つの文化があると考えればいいんである。父権文化と母権文化である。そして、文明史的には、前者が何千年間、世界を支配してきたと考えられるのである。つまり、父権主義が支配的ではあっても、母権主義はなんらかの形で残っているのである。つまり、支配の中の、平行性である。 そして、この平行文化の中で成長すると、個人の中にも、平行性が形成されるようになるが、それらが、無意識裡に形成されるので、混淆ないし習合するのである。つまり、無意識の連続性によって、両者が未分化的に混淆・習合すると考えられるのである。 結局、同一性の連続性が平行性を未分化混淆させているということになる。 p.s. この問題は、差異と同一性の関係に関する根本的な問題であり、深く検討すべきものであると思えてきた。今、少し考察してみると、結局、Media Pointのあり方の問題である。この点に関しては、検討に検討を重ねてきた。 これまでの結論では、Media Pointに周期・サイクルがあるのであり、同一性に傾斜するときと、差異に傾斜するときがあるということであり、前者は父権主義・一神教、後者は母権主義・多神教を形成すると考えたのである。 しかしながら、平行という視点が入ると、単純にそのような考え方はできなくなるだろう。平行という視点は、以前、考えたタイプの区別に関わってくるのである。つまり、高貴なものと、劣弱なものである。ニーチェ的な位階である。しかしながら、このような二元論も単純化であろう。 端的に言えば、Media Pointを抑圧否定する同一性志向性とMedia Pointを肯定しながら発動する同一性志向性の二つのタイプが考えられる。前者が父権主義であり、後者が母権主義である。 父権主義が支配的になる以前は、当然、母権主義が支配的であったと、文明史の視点から考えられる。問題はこの支配様式の交替の意味である。 当然、生産様式、精神様式、社会様式の変化があると考えられる。農耕社会から都市社会への転換を考えることができるだろう。そのとき、遊牧民が主導的な役割を果たしたと考えられる。インド・ヨーロッパ語族であり、セム語族である。 これは、同一性主義(自我主義)の文明を形成したと考えられるが、しかしながら、精神的基盤あるいは形而上学的基盤が必要である。それが、父権的宗教・神話であろう。そして、それの帰結がユダヤ教であろう。 とまれ、神話学的観点から見ると、母権的神(女神)がマイナスの価値をもち、それを男性的英雄がそれを退治して、天地の秩序を創造するというパターンが共通であろう。 そう、以前、両者は不連続であると私は言った。母権主義と父権主義は不連続であると言ったのである。つまり、歴史において、前者が衰退し、そして、新たに生まれた父権主義が台頭して支配するようになったということである。 問題は文化・文明の盛衰の意味である。あるいは、進化の意味である。もし、母権主義だけならば、同一性主義は生まれなかったと言えよう。差異が中心化されているので、同一性が中心化されるのを、抑制していたと思われる。つまり、精神性によって、物質性・自我性の独立化を抑止していたと考えられる。母権的宗教が支配して、物質主義・自我主義の発達を抑えていたのである。 だから、そのままでは、物質科学の発展はありえなかったと言えよう。結局、父権主義、とりわけ、ユダヤ教の誕生によって、人類は、自我・物質的知識をもてるようになったと言えよう。 そう、文化・文明の盛衰には、意味があるのである。一種進化があるのである。 思うに、人類史は母権主義と父権主義の交替を繰り返してきたのではないだろうか。しかしながら、ユダヤ教のように絶対的に前者を排除する形態にはならなかったと思う。つまり、両者の均衡があったと思われるのである。 とまれ、今日の文明における父権主義であるが、それは、差異を抑圧否定する同一性主義であると簡潔に述べることができる。初期デリダのロゴス中心主義である。 結局、この同一性主義と差異あるいはMedia Pointとの関係をどう見るのかである。つまり、同一性主義を一つのタイプと見て、差異主義を別のタイプと見るのか、それとも、同一の差異ないしは Media Pointから同一性が生起し、その後、差異へと回帰するのかということである。 ここでジェンダーの問題を考えるべきだろう。女性と男性が、それぞれ、差異主義であり、同一性主義であるということになるだろう。だから、同一の差異・Media Pointからというよりは、二つのタイプがあるとみるべきように思われる。 では、問題は、男性的価値観である。差異を抑圧否定する同一性志向性は、いったいどういうことなのか。差異が抑圧否定されるとはどういうことなのか。やはり、傾斜である。同一性への傾斜をもつ差異を考えることができる。これが男性的価値である。 それに対して、差異自身への傾斜をもつのが女性的価値であろう。だから、同一性は差異に内包・包摂されたままである。思うに、女性の方が、本来、精神的なのであり、男性の方が物質的なのである。 ということで、ふたたび、二つの差異のタイプを作業仮説することになった。【だから、これが雌雄・異性を発生させた原因ではないだろうか。思うに、ここには、プラスとマイナスの関係があると思う。やはり、極性である。プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーである。思考実験的に、プラス・エネルギーの主導の回転とマイナス・エネルギーの主導の回転があるのではないだろうか。前者が同一性主義であり、後者が差異共振主義ではないだろうか。前者が-1で、後者が+1だろうか。この問題は後で検討したい。】 そして、二つのタイプが平行することになるだろう。問題は、二つのタイプの関係である。男性的価値が支配的であると、二項対立となるが、女性的価値が支配的であると、差異共振的になるだろう。 これはこれでいいが、さらに問題は、男性的価値における差異性である。それは、抑圧否定されるのであるが、その抑圧否定された差異はそのままであるのか。これが、重大な問題である。 理論的に言えば、同一性主義タイプは差異を抑圧否定することが必然であり、それで固定することになるだろう。そう、これは、同一性形成で閉じてしまうだろう。 しかしながら、直感では、このタイプは病的なのである。何故なら、差異という根源を否定しているからである。そのような病的なタイプが自然の必然性にあるのだろうか。 思うに、同一性主義タイプにあっても、抑圧否定された差異は、なんらか、生命をもっているのではないだろうか。つまり、同一性主義タイプの反作用として、差異への志向性が発生すると思うのである。それに対して、差異主義であるが、それは、逆に、同一性主義への反作用をもつのではないだろうか。 とまれ、以上の考え方は、傾斜と同時に、逆傾斜があるということである。自己極性ないしは自己反転性である。 だから、まとめると、平行と自己極性の二つの様態があることになろう。つまり、父権主義と母権主義の平行と内なる父権主義と母権主義である。 平行は不連続性があり、内的極性は連続性があるだろう。しかしながら、実際のところ、平行と内的極性が混淆しているので、それらは、未分化様態にあると言えよう。これが、自然の意識様態であろう。平行性があり、内的極性があり、両者が混淆して、未分化であるということである。 ここで、ポスト・モダンを考えると、それは、差異を中心化する試みであったが、未分化における連続性によって、純粋差異を取りだすことができなかったと言えよう。【ただし、後期デリダは純粋差異に到達したと考えられる。それは、トランス・モダンのデリダである。】 不連続的差異論は、この未分化混淆を脱して、いわば、純粋な平行に到達したと言えよう。これがきわめて重要である。つまり、平行性と内的極性の未分化混淆性を超脱して、新しい平行性に到達したということが画期的なのである。 つまり、進化なのである。同一性主義を乗り越えた平行主義であり、同一性主義を包摂した高次元に到達したことになるのである。もし、最初の平行主義のままでは、両者は別々のままであったろうし、内的極性においては、連続性のままであったのであり、純粋差異へと回帰できなかったからである。 この純粋差異がMedia Pointであり、同一性を包摂しているのである。これは、弁証法の乗り越えでもある。トランス弁証法である。 これで、本件は解決されたこととする。 注:以上は、次のまとまった箇所を独立させたものである。 http://ameblo.jp/renshi/entry-10083502094.html |
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