同一性自己・自我形成(自己内の自我形成)と同一性自己・自我主義(あるいは、近代的自我/近代合理主義):同一性渇望が差異を抑圧し、自我を形成する |
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2008年03月19日(Wed)
同一性自己・自我形成(自己内の自我形成)と同一性自己・自我主義(あるいは、近代的自我/近代合理主義):同一性渇望が差異を抑圧し、自我を形成する
同一性自己・自我形成(自己内の自我形成)と同一性自己・自我主義(あるいは、近代的自我/近代合理主義):同一性渇望が差異を抑圧し、自我を形成する
問題は、Media Point からの同一性形成の事象であるが、果たして、同一性形成がMedia Point の差異(差異共振性)を否定し、排除することが必然的なのか、ということである。例えば、幼子が花にとまる蝶を見て、心を魅かれて、母親にそれは何かと尋ねるとしよう。その時、幼子の心には、魅力的な映像が映っているだろう。それが何かはわからないのである。好奇心が湧いて尋ねるのである。それは、知への純粋な発動である。そこには、その対象を所有しようという自我欲望はない。 その幼子の心に、Media Point がひらいている。つまり、Media Point のひらいた心に花に留まる蝶を映しているのである。このとき、視覚と魂とは一如(いちにょ)である。あるいは、心魂と視覚は一つである。心魂視覚と言ってもいいだろう。それは、内なる眼であり、同時に、外なる眼である。内と外との一体化である。 その心の視覚(心眼)に対象が映るが、それを、幼子は母親から蝶と習う。心眼に映る映像が蝶と言語化されるのである。思うに、心眼における認識衝動がノエシスであり、心眼に映る対象がノエマであろう。そして、蝶という言葉によって、その認識衝動がいったん終息する。思うに、ノエシスの認識エネルゲイアに対して、言語は認識エンテレケイアと言えるのではないだろうか。 とまれ、ここでは、原認識においては、差異と同一性は一如である。差異の原空間に同一性が生起しているのである。差異・即・同一性である。あるいは、差異⇒同一性である。ここには、同一性による差異の抑圧否定はないのである。 そう考えると、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1は、先に、左辺の抑圧否定を意味すると言ったが、そうではなくては、左辺が形成し、内包する右辺=同一性と見る方が正しいことになるだろう。そう作業仮説して、抑圧否定する場合を検討しよう。 それは、明らかに、自我によるのである。自我は同一性から差異を切り離すのである。しかしながら、この分離は実際の分離ではなくて、抑圧否定なのである。つまり、連続的否定なのである。何故なら、差異と同一性は本来、一如であるから、分離はできないのである。しかし、同一性は差異に含まれるとは言え、差異と同一性は別のものである。即非関係である。 とまれ、同一性により、また、同一性の言語化により、自己は発達する。しかしながら、それは、自我とはなっていないだろう。幼子においては、差異と同一性は一如であるから、未分化ないしは非分化である。強いて言えば、「わたし」は蝶であるし、また、蝶ではない、ということであろう。この「わたし」は自我ではなく、自己である。 自己が自我へと転移するには、同一性映像に自己ないしは差異がはめ込まれる必要があるだろう。言い換えると、差異の同一性への縮小・収縮が必要である。同一性へと差異が没入することが必要である。これが、プラトニック・シナジー理論が言う連続化の原理である。自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1で言えば、右辺だけの事態の成立と考えられる。左辺は抑圧否定されたのである。 これは、ラカンでは鏡像段階ということになるのであるが、それは、鏡像への転移という言い方が適切であろう。疎外と言ってもいいだろう。内なる差異から外なる同一性へと転移するのである。これが自己(原自己)から自我への転換と考えられる。 問題はこの転移・転換の力学である。イデアから現象への転移・転換とも言えようし、また、多神教から一神教への転移・転換とも言えよう(必ずしも、発展・展開ではない)。 この問題が究極的なポイントである。この点に関して、これまで、様々な試行錯誤を行った。問題は、原点の差異自体の様相の問題なのか、それとも、原点の差異のもつ力学の問題なのか、である。これまで、両者の場合をそれぞれ考えてきた。 これは、後者で説明ができるだろう。つまり、問題は鏡像=同一性への没入であるが、それは、感覚・身体欲望で説明がつくのではないだろうか。幼子の場合は、花に留まる蝶をいわば観照するだけでよかった。しかしながら、人間は生きる為に、感覚・身体欲望を満足させなくてはいけない。狩猟採集、焼き畑、農耕、牧畜・遊牧等に従事して、食料を得なくてはならなかった。つまり、端的に、同一性を欲望するのである。この同一性欲望が自我の根因であろう。つまり、差異=原自己から同一性=自我への転移はこのことが契機ではないだろうか。同一性欲望が、差異を抑圧否定する力であるということになる。仏教で言えば、色である。色即色である。これが、自我であり、無明である。言い換えると、卑しさが、自我の原因なのである。歓喜ではなく、貪欲が自我の原因である。 思うに、一神教が砂漠環境に生まれたのは、この点から説明ができそうである。砂漠といういわば不毛な大地において、同一性欲望において餓えて、その同一性欲望を満足させる超越的力として、唯一神が考えられたのではないだろうか。それは、差異を否定する反動的力である。この差異を否定する力が超越神の反動的なエネルギーであろう。当然、ここには、憎悪・ルサンチマン(怨恨)があるのである。 では、何故、父なる神かと言えば、それは、母なる神が差異に対応するのであるから、当然、母を否定するので、母の換わりに、父が想定されたのであろう。しかし、父となる必然性は何か。それは、単に母の換わるものとして、父が選ばれたということだけなのだろうか。 母は自然と関係するのである。しかし、砂漠環境では、自然はほとんど不毛である。自然を母とすると、自然を越えた超越的存在が考えられなくてはならないだろう。自然を否定する自我の超越的存在(参照:「我在りて、在り余れる神」であるヤハウェ)が考えられなくてはならないだろう。産む自然ではなく、産まない超越的存在がなくてはならないだろう。それは意志する超越的存在である。この意志に見合うのが、父ということになるだろう。男性的意志である。これでいちおう説明がついたこととしよう。 結局、自己から自我への転移には、貧しさ、卑しさ、貪欲さ、憎悪、ルサンチマン等があり、また、意志があったということになる。言い換えると、悪魔的意志である。これが自我を形成したと考えられるのである。言い換えると、獣欲が自我を形成したのである。 この自我に対して、人類は自己の知恵を対置してきたのである。仏教が正に、自己の知恵を説いたのである。そう、一神教とは知恵ではなくて、自我強化の 指南書であろう。自我増強宗教と自己叡知宗教が人類史において成立したと言えよう。だから、両者を質的に差異化する必要があるのである。いっしょくたに、宗教とするのは問題である。 この問題は課題にして、では、次なる問題は、自我の自己への再帰の力学である。本来、基盤・源泉として、Media Point =差異(差異共振性)があるのであり、それが本来のエネルギー源泉である。貪欲な自我の力学があっても、根本では、Media Point =差異のエネルギーが活動しているのである。活火山である。差異共振エネルギーの超発電所である。 この差異共振エネルギーと自我の同一性エネルギー(反動エネルギー)は齟齬の様態にあるのである。つまり、分裂様態である。しかし、ある時点で、本源の差異共振エネルギーが自我の同一性エネルギーを凌駕することが起こるように思えるのである。それは、転換点である。この変転の力学は何だろうか。 否、そうではなくて、本源の差異共振エネルギーが枯渇する時期が発生して、自我の同一性エネルギー自体が衰退するように思えるのである。いわば、鬱病の発生である。 これは、自我のエネルギーが差異のエネルギーを抑圧否定排除した結果、本源の差異エネルギーを取り入れられなくなった事態ではないだろうか。いわば、心の真空・空虚が生起すると考えられる。いわば、心のブラックホールである。そして、そこへ、吸い込まれる事態が自我の狂気ではないだろうか。自我狂である。いったいそれはどういう力学なのか。 思うに、それは、「分裂症」なのではないだろうか。差異共振エネルギーと同一性エネルギーの分離・乖離現象ではないだろうか。まったくの差異・他者の喪失があり、ただ、同一性のメカニズムが自己完結するのではないのか。いわゆる、自己中心主義の発生ではないのか。パラノイアの発生ではないのか。非合理な、無意味な抑圧・否定・排除暴力作用が生起するだけではないのか。 どうもそのように思えてきた。これまで、差異共振エネルギーの反動が狂気であると考えてきたが、そうではなくて、同一性エネルギーの自己完結化が同一性狂気の原因であると思えるのである。 今は簡単に言うが、この自我狂気は、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1を応用すると、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1ではないだろうか。あるいは、(+i)^2⇒-1である。主体+iによる他者-iの否定である。そして、原自己とは自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺であり、再帰する自己とは右辺ではないだろうか。この問題は別稿で検討したい。 |
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カレンダ
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