超越エネルギーと同一性主義のショート(短絡)について:狂信・カルトにも関連して |
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2008年03月17日(Mon)
超越エネルギーと同一性主義のショート(短絡)について:狂信・カルトにも関連して
先に次のように述べた。
「そう、ここで、超越エネルギーと同一性主義のショート(短絡)の問題(狂信性・カルト)について述べるのが適しているだろう。Media Point と自己同一性(自我)とが不連続であることが認識されていないと、母権多神教は連続的同一性化して、全体主義になると思われるのである。いわゆる、一体感を求めて、国家資本主義的同一性主義支配権力と同一性化するのである。これが大東亜共栄圏や八紘一宇の意味であろう。 つまり、超越エネルギーと同一性主義のショート(短絡)とは、連続的同一性にあると言えよう。つまり、Media Point ないしは母権多神教は同一性主義のもつ連続的同一性志向によって、全体主義化するのであり、この全体主義化が、ショート(短絡)である。狂信やカルトと通じるのである。」 http://ameblo.jp/renshi/entry-10080680481.html この考え方は、それ以前のものとは明らかに異なるのである。それ以前の考え方は、超越エネルギーが反動となって同一性主義に結びついていたのであるが、この考え方は、反動ではなくて、超越エネルギーが能動的でありながら、連続的同一性によって、同一性主義と溶融するというものである。 問題は超越エネルギーが同一性主義に注入されてしまうことであり、本来の差異としての超越エネルギーが喪失されることである。 では、これはどういうことなのだろうか。これは、正に、同一性志向のもつ連続性のしかるしむる精神行為と考えられる。Media Point から同一性志向が発動する。つまり、本来、差異であるMedia Point から同一性志向が発動するがあ、この同一性志向は連続的志向性なのであり、差異であるMedia Point と同一性(自己同一性=自我)とを連続化するのである。(ほとんど、双魚宮的様態である。対立物を結合しているのである。) 本来、この差異(正しくは、不連続的差異)と同一性との連続化とはありえないことであるが、実際はありえているのである。これが言い換えれば、即非様態ということである。 しかしながら、自己同一性・自我は連続的意識をもち、超越エネルギー(差異・不連続的差異・差異共鳴性)と連続してしまっているのである。これが、超越エネルギーと同一性主義とのショート(短絡)の事態である。 連続的同一性自己意識(自我意識)の中心化により、差異=他者は否定されるのである。これは、同時に、自己における差異=他者の否定にほかならない。私が以前、差異の抑圧否定や反動と言ったのは、このことを指していると考えることができよう。結局、同じことなのである。Media Point からの連続的同一性化が同時に、差異=他者の抑圧否定・反動性なのであり、これが、ショート(短絡)であり、同時に、狂信・カルトへとつながるのである。 では、問題は、差異=他者をどう認識するのか、その方法は如何に、となるだろう。近代合理主義に欠落しているのは、この点である。差異=他者の問題は西洋哲学的にはポスト・ヘーゲルからであり、(カント:カントはポスト・ヘーゲルになるだろう)シェリング、キルケゴール、ニーチェにおいて明確になると言えよう。もっとも、特異性・単独性(・独異性)ということでは、デカルトやライプニッツに現われている。 この問題は、西洋近代哲学の根本的問題であるが、東洋哲学においては、仏教において、既に探究されていたあ問題である。 端的に言えば、差異=他者認識とは、自己認識であり、西洋哲学の一つの出発点でもあるのである。「汝自身を知れ」。言い換えると、内省・省察・瞑想等の問題なのである。つまり、内観・内的認識・内的知覚等の問題なのである。 これが、人間の知にとって根本的に重要なのである。教育とは本来、ここを基盤にすべきなのであるが、近代合理主義の価値観によって、これが喪失しているのである。外的な認識、外的な物質的認識、数量化された客観的認識が中心化されて、本来の根本である内的認識が喪失されてしまい、上記した連続的同一性が支配的になり、知がショート(短絡)し、狂信・カルト化するようになったと考えられるのである。 結局、外的知の前提として、自己知が必要なのである。道元は「 仏道をならふといふは、自己をならふなり。」 http://www.satoshi-nitta.com/break/break-33.htm と言っていたが、正鵠を射ているのである。 |
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