差異を排除する同一性力学について:補遺:何故、同一性自己は、差異的他者を憎悪するのか






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2008年02月19日(Tue)
差異を排除する同一性力学について:補遺:何故、同一性自己は、差異的他者を憎悪するのか
多神教文化から一神教文化が発生すると言ったが、それは、エネルゲイアからエンテレケイアへの移行であるが、そのとき、超越神と父権的自我の対が発生するが、それは、Media Point を否定する力学をもっている。この否定力学が意識的には、憎悪である。ルサンチマン(怨恨)である。
 換言すると、同一性志向性とは、差異共振性を自己否定する力学をもっているのである。多神教力学とは、差異共振力学であるが、一神教力学とは自己否定力学なのである。そう、自己嫌悪力学とも言えるだろう。だから、ナルシシズムと自己嫌悪の混淆した自己力学である。そう、根本的に不幸な自己力学である。(キリストが汝自身を愛する如く、隣人を愛せよと言ったが、父権文化においては、自己自身を愛することは不可能である。)
 とまれ、ここで簡単に確認することは、同一性志向性という力学が自己否定力学であることである。そして、これは、意識的には自己嫌悪力学であることである。この内的否定、自己否定が、影となり、他者へと投影されると考えられるだろう。
 正確に言えば、同一性自我(正確には、同一性自己であるが、自己否定の自己と不整合になるので、同一性自我と呼んでおく。後で、用語について、検討したい。)とは、ナルシシズムと自己否定の混合であり、ナルシシズムは傲慢さにつながり、これと自己嫌悪が結びついて、他者へと影を投影して、他者を憎悪否定すると考えられるのである。
 思うに、否定した自己性、すなわち、否定した差異共振性(Media Point )の波動を発出する他者に対して、とりわけ、憎悪否定暴力を向けると考えられるのである。自己否定したナルシシズム的同一性自我は、差異共振性を抑圧しているのであり、その抑圧を解除するような、差異共振波動を発信する他者に対しては、とりわけ、憎悪攻撃的になると考えられる。歴史的に言えば、魔女狩りとはそのようなものであったと思われる。魔女とは、本来、多神教・太母文化における祭司であり、Media Point を体現し、差異共振波動をもっていたと考えられるからである。また、これは、ユダヤ・キリスト教西洋文明の植民地主義にも適用できる事柄であると思う。また、西洋文明がイスラム文明を嫌うのは、後者には、Media Pointをそれなりにもっているからだと思う。聖書にあるように、ヤハウェは多神教を憎悪するのである。【イスラム教の一神教性とは、本来、ゼロ神教性とでもいうべきものだと思う。Media Point のゼロの神がアッラーではないだろうか。それが、ユダヤ・キリスト教の一神教の影響を受けて、多神教を排他していると思うのである。】
 ところで、本テーマにもどると、同一性志向性が自己否定力学をもつということは、有り体に言うと一体どういうことなのだろうか。私は、以前、裏返しになるということを指摘したものである。差異という自己をねじるようにして否定して、同一性自我へと転換すると考えたのである。そう、これが、虚軸から実軸への1/4回転であろう。垂直軸から水平軸への1/4回転によって、いわば、自己否定が生起すると考えられるのである。(虚軸的)超越性から同一性現象へと変換するというのは、確かに、自己否定と言えよう。思うに、これは、心的に苦痛を与えているのではないだろうか。「至福」の虚軸的超越性(楽園)から、苦しみに満ち満ちた実軸的現象性へと変換するのは、恐ろしい苦痛があるのではないだろうか。それとも歓喜があるのだろうか。これは仏教的問いである。思うに、現象への誕生とは、原初的トラウマを形成するのではないだろうか。根源的苦・悲哀(悲苦)である。
 少し整理しよう。1/4回転によって、差異共振性から同一性現象へと変換する。これは、差異共振性という自己を否定する力学を意味するのである。自己否定とは、自己憎悪・自己嫌悪である。根源的ルサンチマンである。そして、鏡像によるナルシシズムとそれによる傲りをもつのである。ある意味で、同一性自我現象とは最悪である。釈迦牟尼の気持ちは理解できる。悲である。この世は悲である。苦悲である。そして、この悲苦の輪廻からの脱却を意味する悟りを開いたのである。開悟・悟達である。
 この開悟は、Media Point の認識を意味すると思う。ここにこそ、大悲(だいひ)があるのだろう。キリスト教の愛も本来はこれを意味するはずである。キリストとブッダの類似性があるのである。
 思うに、根源的悲苦と開悟の歓喜とを天秤に比べたらどうなるのだろうか。生を苦と見るのか、歓喜と見るのか。ペシミズムとオプティミズムである。やはり、前者ではないだろうか。だから、大悲である。とまれ、この問題はおいておこう。
 結局、自己否定である同一性自我とは、自己憎悪をもち、いわば、悲劇的である。そう、根源的にペシミズム的である。でも、どうして、そのようになっているのかである。キリスト教では、原罪があるからだとするが、それは説得力がないだろう。原罪とは自己否定のことだと考えられるからである。説明にならないのである。
 仏教はペシミズムである。それは、自己否定という同一性現象の事実にあっているのである。ここには、なにか、「存在」の秘密が隠されているだろう。そもそも、不都合なことがどうして起こる必要があるのか、である。苦悲である現象界へどうして誕生する必要があるのかである。仏教は、だから、「科学」的である。叡知的である。般若である。輪廻からの解脱、もう生まれないことである。(私も個人的にはその気持ちに近い。ジョージ・ハリスンがGive me love で、free from birthと歌っているが、同感する。)
 しかしながら、これについては、既に答えているのである。同一性自我に現象することに発して、自己に目覚めることの意味があるのである。自己覚醒である。もし、現象しないならば、同一性自我は形成されない。虚軸的自己のままならば、一種ニルヴァーナ(涅槃)状態である。デュナミス(可能態)である。双子のままである。個はないのである。そう、同一性自我、つまり、物質的自我を経験することの意味があるのであろう。
 虚軸的自己は、物質的自我を知らない。いわば、永遠の夢の様態である。同一性=物質的自我となることで、目覚めるものは何か。当然、同一性自我である。あるいは、単に、同一性である。もし、現象化しないならば、自己は同一性をもつことなく、差異共振様態のままである。双子のままである。そこには、「わたし」が不在なのであろう。自我の不在である。ということは、潜在的自我がもともと存しているということになるだろう。それがフッサールのノエシスだろう。潜在的であるノエシスがあるのである。同一性志向性があるのである。差異共振性のもつノエシスの成就としての同一性自我があるのであろう。
 ここから考えると、仏教の意義が明らかになるだろう。悟りとは、現象化によってもつ同一性自我から脱却して形成する根源的な差異共振性の認識を意味するだろう。一種の回帰である。未生の「天国」への回帰である。
 しかしながら、そうならば、ブッダが望んだようには、輪廻から脱却できないのではないだろうか。つまり、死んだ後も、再び、差異共振性の様態に回帰するが、そこからまたノエシスの志向性によって、現象化すると考えられるからである。正に、永劫回帰である。死生永劫回帰である。輪廻転生である。
 それとも、輪廻サイクルから脱却する方法があるのだろうか。物質化から逃れる方法があるのだろうか。
 オカルティストたちが、よく、脱物質化・霊化のことを言うが、これは、死んだら誰でもそうなるのだ。根源的なノエシスを考えると、やはり、物質化は必然だと思うのである。
 さて、整理すると、同一性化とは、自己否定であり、自己憎悪である。しかし、同時に、ナルシシズムを形成する。つまり、自己憎悪を隠蔽するように、鏡像的自我世界が生まれるのである。しかし、それは、自己逃避である。結局、内的な自己悲劇に向かい合うことから、差異共振性への叡知へと向かうことになるのである。自己否定である自己憎悪を乗り越えて、差異共振性、Media Pointへと向かうのである。自己否定から自己肯定へである。これは、スピノザ哲学の方法でもある。ロマン主義の方法でもある。(ベートーヴェンの歓喜の歌はもともとは、ドイツ・ロマン派詩人シラーの詩であった。)
 結局、まとめると、現象における苦・悲を味わいながら、差異共振性という実践的叡知へと向かうことを運命づけられているのが人間なのであろう。苦や悲がなければ、同一性自我から脱却して、差異共振叡知(般若)へと覚醒することはないのだろう。悲劇的認識は必然なのである。
 最後に、以上の視点から、現代世界の世界の問題を言うと、同一性自我である近代的自我と近代合理性が中心化された資本主義が支配する世界であるが、それは、基本的には、自己認識を知らない、自己否定の世界なのである。そこでは、無明が支配しているのである。自己憎悪に満ち満ちているのを知らずにいる世界である。そして、狡猾なものが愚かな大衆を支配している世界である。しかし、狡猾な者こそ、いちばん同一性自我に染まっているのである。最も無明の者が無明の者を支配しているのである。
 脱同一性主義が必要なのである。それは、差異共振性への道である。それは、差異共振叡知を実践する生活であると言えよう。


   




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カレンダ
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