思考実験:同一性志向性とは何か:超越的双極差異(イデア)のMedia Pointゼロ度相互否定(相互反射)仮説






2008年02月13日(Wed)
思考実験:同一性志向性とは何か:超越的双極差異(イデア)のMedia Pointゼロ度相互否定(相互反射)仮説
⇒+1の同一性暴力の意味について考えたい。差異共振性を否定するその暴力の起源は何か。差異共振性というエネルゲイアの結果であるエンテレケイアの同一性がどうして、差異共振性という母体を否定するのか。言い換えると、生成した物質はどうして、根源のイデアを否定するのか、ということである。この排除の力はどこから発生するのか。
 ここで思考実験すると、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺が、Media Pointにおいて、相互否定作用を起こすと仮定しよう。即ち、(+i)⇔(-i)であり、(+i)^2・(-i)^2となるとしよう。即ち、(-1)・ (-1)=+1である。これが、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の右辺ではないのか。
 もしそうならば、同一性は差異共振性において、双極差異が相互否定した結果、生成することになる。深層において、確かに、Media Pointが実存するが、それを否定・排除・隠蔽するように同一性・自我が発生するということではないのか。
 もしそうだとするなら、問題は、太母宗教(多神教)と父権宗教(一神教)との違いの説明である。先に、前者は自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の両辺を残し、後者は左辺を否定・排除して、右辺中心であると言ったのであるが、それをどう説明できるのか、ということである。
 思うに、前者は、多元(多神)的同一性の発生過程を捉えているのであり、そのため、左辺を残しているのではないのか。差異共振性から双極差異が相互否定化して物質化(現象化)するという創造(造化)を捉えていると言えるのではないだろうか。例えば、神道の場合、三柱の神(三つ巴)による造化(産霊むすひ:結びと言っていいのではないだろうか)ということで、左辺から右辺へ生成を把捉しているのではないだろうか。
 端的に言えば、Media Pointを把握・理解しているということである。つまり、認識が自我認識ではなく、差異認識、差異共振認識を行なっているということである。
 それに対して、父権宗教(一神教:主にユダヤ・キリスト教)の場合は、差異共振性を否定した同一性の形成が中心化されているということではないだろうか。つまり、双極差異の自己否定から発しているのであり、それ以前の根源の差異共振性が隠蔽されているということではないだろうか。ヤハウェは「我在りて、在り余れる神なり」という神であるから、当然、自我の神である。「光あれ」とは、正に、自我発生を意味するだろう。即ち、⇒+1である。つまり、創世記の神霊は、同一性の神霊ということだろう。根源の双極差異を相互否定させる同一性の神霊である。即ち、(+i)・[-(-i)]における-(-i)の最初の-が同一性の神霊と考えられる。同一性・相互否定・自乗の神霊である。そう、物質現象の神霊と言える。だから、創造神というのは、その意味で、正しいのである。
 ならば、さらに問題は、この同一性とはどこから発しているのか、である。つまり、同一性志向性はどこから発しているのか、である。作業仮説であるが、ゼロ度反射、Media Pointにおけるゼロ度反射を仮定しよう。ここにおいて、双極差異±iは自己反射して、各々、(+i)^2=-1と(-i)^2=-1になるのではないだろうか。そして、それらの積が+1ということではないだろうか。
 もしそうながら、同一性志向性とは、Media Pointゼロ度自己反射から生成するということになるだろう。言い換えると、Media Pointゼロ度とは、鏡なのではないだろうか。そして、ゼロ度自己反射=鏡(Media Point Mirror)によって、鏡像、双極鏡像が発生するのではないだろうか。そして、この双極鏡像が一体化して、同一性=物質=自我現象が発生するのではないだろうか。
 また、(+i)^2=-1と(-i)^2=-1の箇所であるが、正しくは、(+i)^2⇒-1と(-i)^2⇒-1であり、前者が心、後者が身体になるのではないだろうか。つまり、心身二元論の発生である。正確に言えば、西洋心身二元論の発生である。mind&bodyの二元論である。
 それに対して、東洋太母文明では、Media Pointを心と捉えていたと思う。だから、心と言ったとき、西洋文化と東洋文化では混乱・混同が生じるのである。また、魂と言ったとき、それは、超越的双極差異のことを指すだろう。つまり、イデアである。では、霊とは何かと言えば、それは、魂と心の両面を指すのではないだろうか。そうならば、Media Pointの心を明確にするために、気心・魂心とでも呼ぶべきかもしれない。
 とまれ、西洋の心とは、いわば、同一性化された心である。自我的な心である。物質化された心である。因みに、スピノザの心身平行論を考えると、それは、上記の心身二元論をベースにしているわけであるが、平行論において、心は、実は、Media Pointの心、すなわち、気心・魂心が入っていると考えることができよう。今はここで留めることにする。

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