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2008年01月20日(Sun)
『タンホイザー』とナチズム:異教とファシズム/全体主義
以下のエッセイで、ワグナーの『タンホイザー』の異教性とナチズムとの共通性を述べているが、私は疑問に思った。そう、ユングがナチズムを北欧神話の神オーディンの復活だと考えていたのを想起する。
http://www2u.biglobe.ne.jp/ ~BLUEMAGI/NorseMythj.htm http://blog.so-net.ne.jp/plant/ 2007-04-03 私はそのような考えが短絡的ではないかと思うのである。神話学的心理学を歴史上問題のある事象にあてはめるのは危険であると思うのである。例えば、太平洋戦争における日本軍は、神道的神話の顕現であると言えるのだろうか。天照大神を反映する全体主義であったのか。とてもそうとは言えないだろう。 「聖処女」の犠牲によって肉欲の地獄から救われるという神話がどうして、ナチズムと関係するのか。「聖処女」の犠牲がユダヤ人虐殺と関係すると言うのか? 私の直感では、ナチズムのユダヤ人虐殺は、二項対立から来ている。つまり、自我のもつ同一性主義から来ているのである。だから、国学的ナショナリズムに近いと思うのである。つまり、自我同一性ナショナリズム=全体主義である。これに政治経済状況が強く絡んでいるのである。今は簡単に言うが、神話が関係するというなら、異教神話ではなく、父権神話が関係するのである。これは、ヤハウェのユダヤ・キリスト教神話と見てもいいのである。つまり、ナチズムは、パラドクシカルであるが、ユダヤ・キリスト教的である。 後で整理したい。 p.s. 参考に、『タンホイザー』の粗筋があるが、興味深い。これは、単純な、精神性と肉欲性との二項対立である。これは二元論であり、いかにも西洋文化である。エリザベート(聖母マリア・キリスト教)とヴェヌス(ヴィーナス・異教)の対立という形式である。 しかし、これは偽りの対立である。異教とは、つまり、女神的宗教とは、本来、性愛と聖性が一致していたのである(神殿娼婦、聖娼がいた) http://critic.exblog.jp/461734 http://web.kyoto-inet.or.jp/ people/tiakio/antiGM/hetaira.html 。天上のヴィーナスと地上のヴィーナスがあり、地上のヴィーナスは、天上のヴィーナスの反映である(ネオプラトニズム的解釈であるが)。 とまれ、『タンホイザー』はこのような異教本来の枠組みを失った西洋文化、それも近代文化の作品と言えよう。言い換えると、本来の異教精神では、エリザベートとヴェヌスとは一体なのである。だから、中世を背景とするなら、そのようになるのが本来的だと思うのである。 だから、この分裂・二元論は何を物語るのか。やはり、同一性中心主義による近代合理主義/近代的自我のもつ分裂性・二元論性である。同一性主義による自我は善悪二元論を形成するだろう。しかし、この自我による「道徳」の起因は何か。(ウィリアム・ブレイクなら、この「道徳」を激烈苛烈に批判したものである。) 先の「同一性、差異、差異共振性について」の考察から見ると、差異=他者の否定に基づく自我同一性道徳である。これは、二項対立であるから、自我同一性が優位であり、差異=他者が劣位である。つまり、自我同一性は正しく、差異=他者は正しくないという価値判断がそこに発生するのであり、これが父権的道徳の起源であろう。(ここで、ニーチェの傑作である『道徳の系譜』を想起するといいだろう。精神の貴族は、自己において価値基盤をもつのであり、自我同一性においてではないのである。自己とは、自己差異、つまり、差異共振性である。それに対して、「道徳」は、差異=他者を否定した自我同一性に存する。) さらに質せば、なぜ、自我同一性は、自己優越を感じるのか。この問題は以前、何度も考えたが、そのときは、自我同一性は、起源として、超越性であるので、他者に対して優位をもつというものであった。さて、それでいいだろうか。 ここで、先に考察した「同一性、差異、差異共振性について」の論考に従えば、差異共振性から同一性が生起する。この同一性が原自我である。ここには、実は、差異共振性が「実存」している。だから、原自我は揺らいでいるのである。同一性でありながらも、差異共振性の揺らぎがあるのである。(思うに、太母文化とは、この差異共振性が太母として中心化されていたのだろう。同一性=原自我は、太母の内に存するのである。イシス/オシリス神話である。) 私は今、創世記の冒頭を想起しているのである。神霊が原自我に当たるのではないだろうか。そして、水が差異共振性である。そして、それにはたらきかけて、神霊は、天地創造するのである。だから、同一性=原自我の能動的作用があり、それが必然的に自己優越性を意味するのではないだろうか。つまり、意識の問題である。本来、原自己と原他者の共振によって、原自我が生まれたのであるが、それが忘却されているのである。自己認識方程式の左辺が忘却されているのである。 ここで少し想像すると、差異共振性の「海」ないしは「水」(p.s. これは、より正確に言えば、光の海ないし光の水であろう。火と水の融合である。御水取りはこの象徴であろう。)から、同一性=原自我は生まれたのであるが、出自を忘却しているのである。それで、母体が「海」や「水」になっているのである。思うに、「海」や「水」は、一種投影ではないだろうか。つまり、同一性=原自我の基盤(インフラ)には、差異共振性=「海」・「水」があるのであるが、それを同一性=原自我は外界の投影するのではないのか。ユング心理学で言えば、シャドウ(影)である。 ここは微妙なところなので丁寧に考えよう。同一性=原自我(+1)は、確かに、母体の差異共振性を内在、潜在、実存させている。しかしながら、同一性の知は、当然、その差異共振性を真に理解できない。いわば、差異共振性は、影や暈のようになるのである。そして、同一性=原自我は、いわば、宙ぶらりんの状態に置かれるのである。 しかるに、同一性=原自我は、そのような中途半端な様態から離脱すべく、独立する志向をもつと考えられるのである。つまり、同一性=原自我の独立・自立である。そして、その同一性=原自我の独立・自立志向が、差異=他者の否定となるのである。 その前に、同一性=原自我は、他者に自己投影する。そこに、同一性の投影像を観る。この同一性=原自我の投影像が同一性主義の基盤になると言えよう。ここにおいて、差異=他者は否定されてゆくのである。同一性が中心化されて同一性主義ないしは同一性中心主義となり、差異=他者をそれに応じて、裁断するのである。正に、二項対立の力学があるのである。 問題の核心は、投影像にあると言えよう。投影されているのは、本来、差異共振性である「海」や「水」であろう。そこに、同一性=原自我は、同一性の投影を見るのである。ここには、奇妙な二重性が生じているのである。投影像は、差異共振性であると同時に、同一性像である。つまり、ここには、抑圧が生じていると考えられるのである。差異共振性を同一性に縮約する抑圧である。そう、この同一性への縮約・圧縮の力学が、同一性主義=自我に優位性を付与しているものではないか。つまり、本来、差異共振性が源泉・根源であり、ここがエネルギー源である。それ故に、ここを取り込むことにより、同一性=原自我は同一性主義=自我になるのではないだろうか。 先に、差異=他者の否定と言ったが、実際、ここでは、微妙である。差異共振的差異・他者の否定と言う方が正確であろう。とまれ、投影像を介して、同一性=原自我は同一性主義=自我を形成するのであり、そのときの差異共振的差異・他者を同一性へと縮約・圧縮したときの力ないしはエネルギーによって、同一性主義=自我は、差異=他者に対して、優位の意識をもてるのである。だから、同一性主義=自我の力とは、真に独立・自立した力ではなくて、差異=他者に依存しているのである。これは、確認すべきことである。平たく言えば、自我とは、見栄坊・虚栄家である。 また、これまでの述べたように、エネルギーの活性化の問題があるのである。同一性主義=自我は、縮約・圧縮した差異共振性からエネルギーを取り込んでいるが、しかし、それは、いわば、エントロピーの増加であり、エネルギーは枯渇するのである。(これは、端的に、うつ病の症状であろう。) つまり、同一性主義=自我は、内なる差異共振性に対して、壁をつくっているので、差異共振エネルギーを注入することができないのである。同一性主義という壁が心の領域に生じているのである。言い換えると、同一性主義=自我と差異共振エネルギーが乖離・分裂しているのである。だから、統合失調症の症状でもあるのである。 新たに差異共振エネルギーを取り込む回路を創る必要があるのである。ここで、陰陽論に用いれば、同一性主義とは、陽主義であり、差異主義とは、陰主義であり、太極が差異共振性であろう。 最後に、差異共振エネルギーの縮約・圧縮の力学について考察したい。これはおそらく、反動エネルギーである。差異共振エネルギーに同一性の力が圧力をかけるのである。そのとき、反動エネルギーが発生するのである。それが、縮約・圧縮ではないだろうか。 だから、差異共振エネルギーが十分あるときは、反動エネルギーも強度をもつが、差異共振エネルギーが枯渇すると、反動エネルギーも少なくなり、自我は力を失い、うつ病等の心の病になると考えられるのである。ここで留めたい。 ******************************** プラガル終止 2008年01月16日(水) 今日はお医者さんの日で、書けないことばかりなので、先日のオペラの話。 チェコのブルノ歌劇場の公演で、主役ハインリヒ・フォン・タンホイザーを演じたエルネスト・グリサレスは、本来はイタリアオペラの歌手だそうで、ドイツ風のヘルデン・テノール(英雄のテノール)を歌うにはちょっと声量不足だったが、あとは、聖処女エリザベート役のダナ・ブレショヴァーも、タンホイザーの親友のヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ役のリヒァルト・ハーンも、きわめて声量も表現力も豊かで、それはもうすばらしかった。3幕の、ヴォルフラムの「夕星の歌」の前後は、泣いちゃったなあ。合唱が、スラブの合唱団にしてはやや細身で、もう一息迫力がほしかった。もっとも、劇場(兵庫県芸術文化センター大ホール)が大きすぎたのかもしれない。オペラは、あんな大きな劇場を想定しては作られていない。 最後、エリザベートの死の贖罪で救われたタンホイザーが死ぬとき、合唱があって、最後の最後に「巡礼の合唱」のモティーフが出てから、オーケストラだけのコーダに入る。その最後が、なんとプラガル終止をしている。プラガル終止というのは、ファ・ラ・ドの和音からド・ミ・ソの和音に入る進行で曲を終わることで、通称アーメン終止というように、讃美歌の最後につけられる「アーメン」の部分の和声進行だ。 そうなんだ、このオペラは、ワーグナーが書いた巨大なミサ曲なんだ。ただし、それは、キリスト教を装っているが、きわめて異教的だ。聖処女の犠牲によって肉欲の罪に穢れた騎士が救われるなんて、正真正銘の原始宗教だ。「人身御供」だの「人柱」だのというたぐいの話だ。そういうきわめて原始宗教的な信仰を、19世紀にもなってからワーグナーが宣揚しようとしたのはどうしてだろう。たぶんドイツ民族のアイデンティティ確立のためだと思う。 ということは、ワーグナーのオペラの台本の構造分析をすると、ドイツ人の深層構造がわかるということだ。いや、それは実はわかっていて、その具体的な現象化がナチズムだったのだ。だから、今では誰もその深層構造には触れないようにしているのかもしれない。現代のドイツ人たち(といっても、知っているのはアドレリアンたちだが)の奇妙な内的混乱は、たぶんそのことと関係があるのだろうと思う。彼らは、表層的にはナチズムを拒否しながら、しかも「聖処女の犠牲で肉欲地獄から救済される騎士」という深層の物語を相変わらず信じ続けているので、困っているのだろう。ナチズムに代わる新しい現象化ができないでいるのだと思う。 ともあれ、オペラ『タンホイザー』は、こんにちも神聖なプラガル終止で荘厳な「アーメン」を唱えながら異教的な典礼を終わるのだ。ドイツ人は、それを聴くたびに、深層構造を思い出して、表面的には混乱に陥りつつも、内的には恍惚にひたるのだろう。ちょっと恐いね。 http://jalsha.cside8.com/ diary/2008/01/16.html 野田俊作の補正項 ****************** 参考: ■台本 リヒャルト・ワーグナー ■時 13世紀はじめ ■所 チューリンゲンのヴァルトブルク ■おもな登場人物 ヘルマン チューリンゲンの領主 エリザベート ヘルマンの姪 タンホイザー 吟遊詩人、騎士。エリザベートと愛し合っていた。 ヴォルフラム 同じく吟遊詩人、騎士。タンホイザーの友人。エリザベートに淡い恋心を抱いている。 ヴェーヌス ヴェーヌスベルクに住む快楽の女神 ■あらすじ(参考:渡辺護著「ワーグナーの作品」) ■背景 ドイツ中世では、騎士たちもミンネゼンガー(恋愛歌人)として歌う習慣がありましたが、その一人、タンホイザーは、エリザベートとの清い愛があったにもかかわらず、官能の愛を求め、ヴェーヌスベルクにおもむいて、妖艶なヴェーヌスのとりこになっていました。 ■第1幕 第1場 ヴェーヌスベルクの洞窟の中で、タンホイザーとヴェーヌスが歓楽的な愛にふけっています。 第2場 ヴェーヌスの美しさをたたえながらも、故郷への思いが押さえきれなくなったタンホイザーは、ヴェーヌスと分かれる決心をします。ヴェーヌスは何とかひき止めようとしますが、タンホイザーの意志は堅いものがありました。タンホイザーが去ると同時にヴェーヌスベルクは崩れ落ち、消え去ります。 第3場 タンホイザーは、いつの間にかヴァルトブルクの城が見える谷に立っています。巡礼の行列が近づき、また遠のいてゆくのを見つめていたタンホイザーは、感動し、地に頭をたれて泣きます。 第4場 ヘルマンと騎士たちが通りかかり、昔の仲間のタンホイザーをみとめて喜びます。タンホイザーは、官能の情欲におぼれた自分の罪の重さを思い、旧友たちの厚情を容易には受け入れることができませんが、エリザベートが待っていると聞かされると、勇気付けられ、仲間に加わります。 ■第2幕 第1場 ヴァルトブルク城内にある歌の殿堂の広間。エリザベートが登場し、タンホイザーがふたたび歌合戦に参加する喜びを歌います。 第2場 ヴォルフラムに導かれたタンホイザーが、エリザベートと再会します。喜び合う二人ですが、ヴォルフラムは苦しいあきらめに至らなければなりません。 第3場 タンホイザーとヴォルフラムが去ったあと、ヘルマンが現われ、エリザベートに優しく歌合戦が近づきつつあることを知らせ、幸運を祈ります。 第4場 歌合戦を見に、騎士や貴婦人が入場、最後に歌手たちも入場してきます。歌合戦の始まりです。ヴォルフラムをはじめとする騎士たちは、清らかな愛をたたえる歌を歌いますが、タンホイザーはそれらにことごとく反論を唱え、恍惚となってヴェーヌスをたたえます。騎士たちは憤激してタンホイザーに切りかかりますが、エリザベートがそれを押しとどめ命乞いをします。タンホイザーも正気に返って呆然となります。ヘルマンは、このような大罪の許しを乞うには、ローマへ行って教皇の許しを得るほかはないと言い、教皇の許しが得られるまで帰ってくることはならぬと宣言します。タンホイザーは「ローマへ!」と叫んで、遠くを通る巡礼たちの群に加わるため、去って行きます。 ■第3幕 第1場 ヴァルトブルク山麓、エリザベートがマリア像の前でタンホイザーのために祈っています。ヴォルフラムが現われ、彼女に同情して歌います。そこに、罪をあがなった巡礼が通りかかります。エリザベートはその中にタンホイザーの姿を探しますが、無駄でした。彼女はマリア像に祈りを捧げ、タンホイザーの罪が許されるなら自分の命を捨てても良いと言います。 第2場 一人残ったヴォルフラムは、空にやさしく輝く星がエリザベートの道を照らしてくれるようにと歌います(夕星の歌)。 第3場 消沈した姿のタンホイザーが現われます。苦しいローマ行きの模様をヴォルフラムに語りますが、教皇から許しを得られなかったタンホイザーは、今やヴェーヌスのみを求めようとしています。ヴェーヌスが現われ、タンホイザーを迎えようとしますが、ヴォルフラムが「エリザベート!」と叫ぶと、タンホイザーは狂気よりさめ、ヴェーヌスは地中へ消え去ります。その時、エリザベートは死骸となって運ばれてきたのです。タンホイザーも、彼女の遺体の前でこときれます。そこへ、若い巡礼たちの一行が、緑の葉の生えた杖を持ってきます。教皇の予言では、それはタンホイザーが救われたしるし。彼は、エリザベートの犠牲によって、救済されたのでした。 http://www.ne.jp/asahi/j urassic/page/rule_f/tanhauser.htm
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