「現象性としての贈与」という概念は、PS理論の「超越性」、即ち、虚数的超越性に通じるだろう。






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2007年08月25日(Sat)
「現象性としての贈与」という概念は、PS理論の「超越性」、即ち、虚数的超越性に通じるだろう。
「現象性としての贈与」という概念は、PS理論の「超越性」、即ち、虚数的超越性に通じるだろう。以下の、デリダのフッサール現象学批判に対する批判は、私が考えているものに通じると思う。(ところで、以下の考察は、芦田氏のものなのか、マリオン氏のものなのか、曖昧である。芦田氏が、マリオン氏の考察を代弁しているようではあるが。

《現象性としての贈与は直観的な−カント的なものであれ、「拡大された」(範疇的)意味でであれ−「対象性」を「超過」している。デリダのフッサール批判が「逆説的」になるのは、彼の言う「現前性の形而上学」がむしろ「現前的なものをたえず制限し、現前的なものの贈与をたえず抑制する」(52)、フッサールの現前性の審級についての「余りに狭すぎる理解」(47)、直観主義的理解からきているからである。−デリダの『声と現象』全体に即したフッサール理解の問題点については、拙著『書物の時間』(行路社)当該箇所(「表現と意味」)を参照していただければ幸いである。》
http://ashida.sakura.ne.jp
/blog/2004/10/hamaenco_4_100.html
「 デリダ追悼(1’) ― ヘーゲル・フッサール・ハイデガー・デリダ 2004年10月26日」

以下の箇所は、ハイデガー現象学の問題点を突いたものである。「第一の隔たり」、即ち、存在者から存在者の存在へ隔たりと、「第二の隔たり」、即ち、存在者の存在から存在の意味への隔たりとの、二重の隔たりが、現象学的贈与性を隠蔽すると述べているが、これは、難解である。PS理論から言えば、存在の意味とは、虚数的超越性であり、それは、贈与的だと考えられる。(贈与性という考えは、優れていると思う。虚数的超越性は、贈与されていると思う。思うに、意識は、Media Pointにおいて、虚数的超越性の贈与を知覚するだけで、虚数的超越性自体は、把捉できないのではないだろうか。)
【p.s.  存在の意味とは虚数的超越性と言ったが、それは分かりにくいだろう。ハイデガーの存在を、私は、Media Pointと考えている。それは、虚的存在(非存在)と実的存在(存在)との交叉点である。そして、虚数的超越性とは、端的に、虚的存在(非存在)である。だから、訂正して、存在の意味は、Media Pointの意味ということになるだろう。
 思うに、ハイデガーの存在は、通常の存在の意味と異なるので、混乱しやすい。混乱を避けるために、「存在」とすればいいだろう。】

《マリオンは単純化をおそれずに以下のように自問する。「第一の(存在者から存在者の存在への)隔たり(ecart)を踏破する現存在と同一の現存在に依拠することで、『存在と時間』は第二の(存在者の存在から存在の意味への)隔たりの踏破を企てることができるのだろうか。あるいは、存在一般への到達は存在者の存在への到達と同様、たとえ注目に値する存在者であれ一つの存在者に基くことができるのだろうか。要するに、存在そのものの問い(存在論的差異:存在者−存在)は、存在者的な基礎(その存在における現存在、「存在論的区別(ontologische Unterschied)」)を容認するのだろうか」(191)。

つまり『存在と時間』は、この隔たり(ecart)の二重化−厳密に言えば、存在者と存在との隔たりの、「存在の意味」による二重化(179)−によって存在論的差異の現象学的な「贈与性」を隠蔽してしまうのである。

「存在の意味」による「存在論的差異」の二重化とは、しかし「存在者」でありつつ、「存在者」の「他者」である「存在」を問うことのできる「現存在」による二重化である。実際、マリオンが「存在の問い」の三項体制を問題視するのは、その「第三項」としての「現存在」の地位に関わってのことである。「『存在の問い』が第三項として存在論的差異−存在者と存在という二項からなる−に付け加えるのは現存在そのものに他ならない」(187)。つまり「存在の問い」とは、「問うことはそれ自身ひとつの存在者である」(ハイデガー)ことからも、「現存在そのものである」(187)。むろんこの第三項は「存在論的差異」(存在と存在者との二項)を明らかにするためのもの、現存在という存在者の(存在論的なものへの)「絶対的に自在的な転化」(188)のためのものである。この第三項(現存在)は「存在論的差異」の二項へと自己を解消すること、ひとつの「脱自」を意味している。結局、「存在の問い」の三項体制が「袋小路」に陥るのは、三項の要をなしている「現存在」が「存在」への脱自的な転化を自在なものにできないことに起因しているとマリオンは考える。》

http://ashida.sakura.ne.jp/blog/
2004/10/hamaenco_4_100.html



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