ハイデガーの『存在と時間』とプラトニック・シナジー理論(PS理論)






[PR]



2007年08月25日(Sat)
ハイデガーの『存在と時間』とプラトニック・シナジー理論(PS理論)
フッサールもそうであるが、ハイデガーの分析的論考は、きわめて綿密であり、その微に入り細をうがった文体とともに、読解するのに多大な知力を要する。有り体に言えば、うんざりする。
 とまれ、「死へとかかわる存在」としての現存在を説く箇所からは、単独性(特異性)の問題が明瞭になっていて、これは、ある意味で、分かりやすい事柄だと思う。そう、ハイデガーは、存在ないしは現存在を説くことで、キルケゴールやニーチェの問題にした単独性・特異性の存在論的考察をしていると言っていいだろう。(私は、ドゥルーズはハイデガー哲学に正対していないと思うが、それは、ドゥルーズが、ハイデガー哲学の圏内にある証拠の一つではと推測する。)
 ハイデガーの存在ないしは現存在であるが、PS理論では、Media Pointと言えるだろう。正確に言えば、存在がMedia Pointに当たり、現存在とは、Media Pointが現象的に顕現している様態を意味しているだろう。
 ハイデガーのいう非本来的自己や世人とは、Media Pointの同一性構造から発生した自我のことと言えよう。そして、本来的自己とは、同一性構造から乗り越えて、Media Pointの差異を積極的に開いた自己であると言えよう。
 PS理論では、Media Pointが時間(固有時間)になるので、当然、ハイデガーの存在が時間ないしは根源的時間に関わるということは、納得できることである。
 そのように見ると、ハイデガー現象学は、ほとんどPS理論を先取りしているように見えるかもしれない。しかしながら、Media Pointにおける根源的差異が、即非的であることは、ハイデガーは説いてはいない。また、根源的差異がイデア界・虚界性をもっていることを明確にはしていない。(もっとも、後期ハイデガーは、その方向に向かっていると思うが。)
 そうすると、ハイデガー現象学は、差異の即非性と連続性と不連続性との即非性には、達していないことになると考えられる。
 思うに、日本の哲学研究は怠慢ではないだろうか。鈴木大拙や西田幾多郎が、禅から重要な叡知を受けて、理論化したのにかかわらず、それを、現象学へ適用して、発展させなかったことは、怠慢の度を越して、ほとんど犯罪的ではないだろうか。その罪とは、知の進化に対する罪である。
 さて、最後に、少し話しが飛ぶが、現代西洋哲学の第一級の問題として、ハイデガーとデリダの関係があるだろう。私見では、ポスト・モダン哲学は、ハイデガー現象学に端を発している。(フッサールは、シェリング、キルケゴール、ニーチェと並んで、偉大な先駆者である。また、ほとんど即非論理を説いたウスペンスキーも先駆者である。)
 私は、デリダとフッサール現象学に関しては、既述したが、簡単に言えば、デリダは、フッサールの超越論性によって発見された、一種のイデア性を否定しているのである。そして、差異と同一性が連続した差延を説いているのである。
 では、デリダとハイデガーの関係はどうなのだろうか。私は、よく知らないが、先に私は、ハイデガーの存在を差延と呼んでいる節があることを言った。ただし、存在には、イデア界・虚界性が入ると思うが、差延には、基本的には入らないだろう。とまれ、思うに、現存在と差延が似ているだろう。なぜなら、現存在には、同一性構造もあるし、差異の原点もあるからである。しかし、差延は、存在のもつ超越性を否定していると思う。(この超越性であるが、通常の超越性ではなく、PS理論における虚数である。虚的存在である。後で、説明したい。)
 


参考1:デリダと現象学に関係して

「デリダ追悼(1’) ― ヘーゲル・フッサール・ハイデガー・デリダ」
http://ashida.sakura.ne.jp/blog
/2004/10/hamaenco_4_100.html
デリダ追悼(1’) ― ヘーゲル・フッサール・ハイデガー・デリダ

2004年10月25日 | この記事の訪問者数 ( )
デリダ追悼(4) ― フォネーロゴス中心主義
2004年10月19日 | この記事の訪問者数 ( )
返信: デリダ追悼(2’) ― 京都を散策するデリダ
2004年10月12日 | この記事の訪問者数 ( )
デリダ追悼(3) ― デリダと『現代思想』
2004年10月11日 | この記事の訪問者数 ( )
デリダ追悼(2) ― 早稲田大学でのデリダ
2004年10月10日 | この記事の訪問者数 ( )
デリダ追悼(1) ― デリダのフッサール理解について
2004年10月10日 | この記事の訪問者数 ( )
デリダが死んだ …
2004年10月10日 | この記事の訪問者数 ( )


参考2:デリダ『精神について―ハイデッガーと問い』

http://literaryspace.blog101.
fc2.com/blog-entry-95.html
http://literaryspace.blog101.
fc2.com/blog-entry-96.html
 


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2007年8月
     
25
 

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:2,411
昨日:1,097
累計:4,951,963