フッサールとハイデガー:超越論的主観性と存在:差異共振性と現象学






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2007年08月14日(Tue)
フッサールとハイデガー:超越論的主観性と存在:差異共振性と現象学
フッサールの超越論的主観性についてはいろいろ述べたが、ここで、ハイデガー現象学と比較するため、再考したい。
 ここでは、直感で述べたい。フッサールの超越論的主観性とは、現象学的還元によって生起する「主観性」である。しかしながら、この「主観性」は、当然、日常の自我の主観性ではない。自我を超えた主観性である。私はこれを主観性と呼んでいいのか疑問に思っている。
 端的に言おう。超越論的主観性とは差異共振性のことである。差異共振性とは、原主体と原客体が共振している様相であり、PS理論では、Media Pointの領域である。フッサールの超越論的主観性の構想は、本来、ここを意味していると思えるのである。しかしながら、フッサールは、同一性理性主義を信奉しているので、この原主体・原客体の差異共振性を、同一性理性の主体による志向性によって把捉しているのである。ここに、実質と意識とのズレが生じていると考えられるのである。言い換えると、フッサールは、無意識では、差異共振性(Media Point)を把捉していたが、意識では、同一性志向的主体の志向性として理解したのである。
 このズレを考えると、間主観性(相互主観性)や生活世界の意味がよく理解できると考えられるのである。即ち、無意識の差異共振性が意識の間主観性(相互主観性)と理解され、無意識の差異共振的世界が生活世界と想定されたと推察されるのである。
 言い換えると、フッサールは同一性理性の色眼鏡で、天才的直感で捉えていた差異共振性を理解したのである。このフッサールの差異と同一性とのダブリが現象学を複雑にしていると考えられる。
 さて、ハイデガー現象学であるが、思うに、ハイデガーの天才はフッサールが超越論主観性と誤解した差異共振性を存在と端的に捉えたところにあるだろう(この言い方はよくない。端的に差異共振性ではなくて、差異共振的なものを、直感的に、存在として大掴みしたということである)。これは、正に天才的明敏さである。
 先に述べたが、フッサールがパイオニアとして開拓したが、同一性理性主義という西洋の伝統の枠組みに捉えられていたため、正確に命名把握できなかった、哲学の新たな地平を、ハイデガーが明敏に把捉して、存在論的現象学を構築したと考えられるのである。
 ということで、現象学は、フッサール/ハイデガー現象学(言わば、フッデガー現象学である)と見るべきである。そして、これは、実質的なポスト・モダン哲学なのである。
 というように見ると、現代哲学の混乱・混迷は巨大である。ある種致命的である。端的に言えば、構造主義で現象学を超えたという錯誤が支配したことにあるだろう。そして、構造主義とポスト・モダン哲学との関係があいまいになっていることにも原因があるだろう。
 また別の視点から言うと、現象学の文体にも問題があるだろう。フッサールにしろ、ハイデガーにしろ、晦渋である。確かに、それまでの西洋哲学を乗り越える画期的な理論であるが、あまりにも、文体的に構え過ぎていて、一般の読者には難解過ぎるのである。研究者の文体も一般にはそうだろう。
 思うに、構え過ぎる文体とは、端的に、利己主義を意味するだろう。読者喪失の文体であろう。(私が書いていることも、一般の人には分けがわからないだろう。しかし、文体的には、シンプルであると思う。考え方の筋道が分かれば、PS理論は分かりやすいのである。PS理論入門講座を行おう。ここでは、読者参加型にしたい。)そう、だから、逆に言えば、現象学は、どこかで、他者を喪失しているのである。フッサールの場合は、以上の考え方でそれがわかるだろう。ハイデガーの場合はどうだろうか。
 ここで私事になるが、ハイデガーの文章は嫌いである。勿体ぶりが嫌である。尊大ということだろう。では、端的に何が嫌気を生むのか。(デリダの文章も問題がある。抽象的な表現が過多であり、ポイントが不明確になるのである。ドゥルーズは直截的であるが、論理が目茶苦茶なところが多い。)
 ハイデガーの叙述への嫌悪感の原因は、叙述が経済的でないことにあるからだろう。端的に冗長なのである。冗長というのは、正常な論理感覚が欠落しているということだろう。長々しく、自説を説明するというのは、一種病的な精神である。不健全である。
 正常な論理感覚とは、正に、差異共振的な論理感覚であろう。ハイデガー現象学は、内存在、世界内存在、現存在という点においては、差異があるが、健全な差異共振性が欠落していると思う。思うに、ハイデガーの存在と存在者には、「一つの裂け目」があるとされるが、しかし、十分、不連続化していないように思えるのである。

以上は、暫定的な考えであり、これから、さらに検討していくことになる。


   




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カレンダ
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