構造主義再々考:同一性の差異の構造と差異と超虚性:構造と現象学とポスト・モダン






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2007年08月12日(Sun)
構造主義再々考:同一性の差異の構造と差異と超虚性:構造と現象学とポスト・モダン
先に、ソシュールの構造主義について勘違いしていたので、ここで再考したい。
 先ず、その前に、構造主義とは直接関係ないが、現象学やポスト・モダン理論に関係する用語について説明しておきたい。
 それは、超越性という用語である。私はこの語を哲学の伝統的用語として用いているのではなくて、PS理論から生じるガウス平面における虚軸の虚数的存在を示すために使用している。勿論、精緻に言えば、実軸における超越性を含めるべきだが、虚数的存在を示す適当な言葉が浮かばないので、超越性という言葉を使用しているのである。
 そういう意味での超越性であり、その意味でPS理論において使用すると、哲学的伝統における超越性と語義上衝突するのである。これは、今のところ、より適切な用語が見つからないので、そのような事態になっていると認めるしかない。
 だから、正確に言うならば、超越性を虚数性乃至は虚数的超越性である。以前は、虚数的超越性という言葉を正確さのために使用していたが、長いので、超越性にしてしまったのである。今、思ったのは、虚超性、ないしは、超虚性という用語を造語してはどうかということである。こうすれば、哲学的伝統の用語と衝突しないで済むだろう。語呂から言うと、超虚性が適しているのではないかと思うので、以下の論においては、この造語を用いたい。
 さて、bloghiro-dive氏による構造主義の明敏な説明によって、言語学に関する構造主義は、シニフィアン(意味するもの)とシニフィアンとの差異に存することを思い出した。例えば、ao(青)とaka(赤)がシニフィアン(この場合は音声)として、差異ないしは対立を形成しているということになる。
 私は、構造主義の差異とは、同一性的二項対立であると述べたが、シニフィアンを同一性にすれば、aoとakaは、同一性的二項対立と言えるだろう。ao を優位とすれば、akaが劣位であり、また、逆も成り立つ。ということで、簡単ではあるが、先に述べたように、構造主義の差異は同一性的二項対立(p.s. 同一性的差異とも言える)であると言えるだろう。
 こういう表層的なことよりも、より事象に即して考えたい。PS理論から見ると、Media Pointから同一性の志向性が主導的になり、同一性が形成される。簡単に言えば、差異の連続/不連続の「相補性」から、同一性が形成されるのである。同一性は当然、一般的には、外界の対象に対して投影されて、対象は言語化されるのである。例えば、ある対象に対して、sakana(魚)と言語化するのであり、別の対象は、それとは差異化して、tori(鳥)と言語化するのである。ここでは、sakanaとtoriが構造的差異を形成しているのであるが、この構造的差異の発生を考えると、Media Pointにおける同一性志向性の力学空間における差異化であると言えよう。諸対象を直感して、諸対象を区別(差異化)するために、同一性における差異化が形成されると言えよう(言語の構造化)。つまり、直感が先にあり、次に、直感に即して、同一性同士の差異化(例えば、sakanaとtori)が生じるのである。これが、言語の構造の発生であると考えられる。
 当然、この構造の差異は静的である。何故なら、単位が同一性になっているからである。sakanaという同一性であり、toriという同一性であるから、これは、このまま固定しているのである(音韻上の変化があっても、同一性自体は不変である。sakanaが、例えば、sakane、sakanoになっても、その同一性自体は変わらない。)。
 ということで、言語の構造は、Media Poinからの同一性志向性の領域において発生すると言えよう。
 それでは、構造主義の差異とポスト・モダンの差異を比較してみたい。これは、もう、ほとんど自明に近いだろう。先にも述べたように、前者は同一性同士の差異である。同一性の差異(p.s. 同一性的差異)である。それに対して、後者は同一性以外の差異である。脱同一性としての差異である。(ここでは、同一性と連続化していても、脱同一性としての差異があると言えよう。)
 だから、構造主義の差異とポスト・モダンの差異とを同列に扱うのは問題があるのであるから、用語を変えるべきである。私は、構造主義の差異は同一性的二項対立で(p.s. 同一性的差異)あると言ったが、やはり、そのように提起して、ポスト・モダンの差異とは明晰に区別すべきであろう。
 そうすれば、構造主義と脱構造主義であるポスト・モダンの意味が明瞭になるだろう。つまり、ポスト・モダンは、構造主義の同一性的二項対立(p.s. 同一性的差異)という構造を乗り越えて、脱同一性である差異の理論を説いたのである。そして、主にアメリカで使われたポスト構造主義という術語も意味が明確になるだろう。つまり、構造主義の同一性的二項対立ないしは同一性の差異の構造を超えた理論としてのポスト構造主義である。以上で、構造主義とポスト・モダン哲学の区別が明瞭になったであろう。
 次に、現象学について考えたい。ポイントは、上述した超虚性(「超越性」)である。最初に、フッサール現象学を見ると、基本的コンセプトの一つである超越論的主観性は、現象学的還元を行って生起する「主観性」ということであるが、そこには、デカルトやカント的な自我の立場が払拭されていないと考えられる。PS理論から見ると、フッサールの超越論的主観性は、一面において、超虚性(「超越性」)に達していると考えられるのである。しかし、通常の主観性の立場、自我の立場が他面において入っているので、同一性からは完全には離脱していないのである。これは、Media Pointから同一性志向性への過程にある視点と言えるだろう。i*(-i)⇒+1から言うと、⇒と+1との間ないしは接点がが超越論的主観性ではないかと思えるのである。ハイデガー現象学は先に述べたことでいいと思うので、繰り返さない。
 さて、問題は、現象学と構造と差異の関係である。PS理論から言うと、Media Pointは、本来の差異、つまり、脱同一性としての差異である。正しく言えば、連続性/不連続性の相補性としての差異である(これも、即非的差異と言えるのかもしれない。後で検討したい。)。だから、フッサール現象学の場合、半面はMedia Pointに達しているので、差異化ないしは脱構造化しているのである。しかし、同時に、主観性ということで、同一性化しているのである。つまり、構造化しているのである。いわば、構造主義とポスト・モダンの中間にフッサール現象学が位置していると言えるのではないだろうか。
 ハイデガー現象学の場合、「一つの裂け目」ということで、差異と同一性を切断しているので、ポスト・モダン化しているし、さらには、不連続性もあるので、PS理論に近づいていると考えられるのである(もっとも、不連続性以外にも理由があるが)。(思うに、存在と存在者の差異、いわゆる、存在論的差異は、差異と同一性との「差異」と考えられるので、ポスト・モダン的であり、「一つの裂け目」を強調すれば、PS理論に近づいていると言えよう。また、ハイデガー現象学にポスト・モダンの起源を見る人はいくらかいるので、ポスト・モダンの先駆者としてのハイデガーということは確定することができるのではないだろうか。)
 最後に、超越論性と主観性と構造について考えたい。カントの超越論哲学とは、主観のアプリオリの形式としての超越論性を説いているだろう。だから、それは、主観性的な超越論性であるということになる。しかしながら、超越論性は、主観性の深層構造であるから、私は、それは、一種構造性をもっていると見ていいのではないかと思うのである。構造は本来、主観性・主体性を超えたものである。この点を整合化するには、どう考えたらいいだろうか。
 上述したMedia Pointにおける同一性志向性空間を考えよう。ここにおいて、構造が生起するのである。だから、同一性志向性構造と言えるだろう。そして、この構造は、自我形成の空間でもある。同一性の差異を形成することで自我が形成されるのである。同一性=自我の形成である。だから、同一性志向性構造は、カントの超越論性と等価であろう。そうすると、やはり、構造と超越論性は等しくなるのである。だから、やはり、カントが構造主義の先駆であるとは言えると考えられるのである。
 問題は、カントの超越論性とフッサールの超越論性である。両者異なるのである。前者は構造性であるが、後者は脱構造性(差異)である。だから、同じ用語を用いるのは間違っているだろう。カントの超越論性は実軸的超越論性であり、フッサールの超越論性は虚軸的超越論性である。だから、超越論的主観性と言った場合、両者ではまったく異なることを指していると言える。カントの場合は、構造であり、フッサールの場合は、脱構造且つ構造である。思うに、超越論性という術語は、超越性と同様に、誤解を生むので、より限定して使用すべきであろう。

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