超越論的主観性とは、脱主観(主体)性である:フッサール現象学と超越的非主観性 |
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2007年08月11日(Sat)
超越論的主観性とは、脱主観(主体)性である:フッサール現象学と超越的非主観性
構造主義に関係して、超越論的主観性について一言言いたい。おそらく、フッサール自身の一種の混乱があったのではないかと思えるのだが、超越論的主観性とは、「超越的」構造にある「主観性」ということであり、もはや、自我(=同一性)ではないのである。だから、主観性という言葉を使うのは誤解を生む。強いて言えば、超越論的脱主観性(超主観性)(p.s. 超越論的非主観性と言う方が適切だろう)があると思うのである。これは、PS理論では、差異即非の自己である。ここでは、主観は主観ではなく、客観との即非関係にある。主観=客観、且つ主観≠客観、等々である。
しかし、フッサールは超越論的主観性ということで、超越性に主観性=自我=同一性を持ち込んでいるのである。これが、デリダの批判を生んだのである。 また、ハイデガー現象学・存在論について少し言うと、超越論的主観性の換わりに、存在を提起したのだが、存在は、差異即非様相とすることで、より明確になるだろう。単に、存在だけでは、主知性が抜けてしまう可能性がある。 差異即非様相とは、原知と原身体との即非様相ということだろう。それが、本来の存在だろう。 この点で興味深いのは、メルロ=ポンティの身体的現象学である。思うに、原知・即非・原身体の差異即非様相が、メルロ=ポンティの身体に相当するのではないだろうか。だから、存在と等しいのである。身体存在論とも言えるだろう。 思うに、原身体は、原知にとって、まったき他者である。即非的共振があっても、原身体は、不可知である。ただ、差異即非様相のMedia Point様態によって、身体が、すべてではないにしろ、可知化するだろう。 身体については後で検討したい。
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カレンダ
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