日本覚醒計画:日本の政治・経済・社会・歴史・文化:ニッポン亡国の

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2008年09月15日(Mon)▲ページの先頭へ
ポスト麻生と「構造改革」路線と差異共鳴的変革路線
ポスト麻生と「構造改革」路線と差異共鳴的変革路線

テーマ:福田政権とポスト福田

これでは、「構造改革」路線と旧弊の近代主義的公共投資借金路線の「野合」であり、水と油ではないだろうか。これは、解体するだろう。「構造改革」路線の復活は考えられてくるだろう。
 衆民が、脱「構造改革」路線、差異共鳴的変革路線を選択することができるかが岐路である。

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小池氏は重要閣僚、石原氏は党要職に…麻生氏構想

9月14日3時3分配信 読売新聞

 自民党総裁選で優位に立つ麻生太郎幹事長は、次期首相に就任した場合、総裁選を争う小池百合子・元防衛相ら4候補すべてを閣僚か党役員に起用する意向を固めた。

 麻生氏周辺が13日、明らかにした。小池氏は重要閣僚での処遇、石原伸晃・元政調会長は幹事長など党の要職での処遇を検討している。与謝野馨経済財政相は再任か他の閣僚への横滑り、石破茂・前防衛相は閣僚への起用が有力だ。

 麻生氏は総裁選で、国会議員票の過半数を固めている。地方票も優位に立っているとみられ、新総裁に選ばれるのは確実な情勢となっている。

 麻生氏に近い議員らによると、同氏は「総裁の座を堂々と争い、結果が定まれば、新総裁のもとで一致団結するのが党の良き伝統だ」とし、挙党体制を築くため、4氏を閣僚や党の要職に起用する考えだという。

 麻生氏は総裁選の勢いを維持して衆院選を戦う狙いから、「10月3日衆院解散−10月26日衆院選」という早い日程を念頭に置いている。総裁選を戦った小池氏らを起用するのも、引き続き衆院選の遊説やテレビ出演などに党の「顔」として臨ませるためだ。この観点から、特に清新さをアピールできる小池、石原両氏の処遇を重視している。

 また、民主党では小沢代表が無投票で3選されながら、小沢氏への批判がくすぶっており、麻生氏はこうした民主党との「体質」の違いを示すことも狙っているとみられる。

 これに関連し、麻生氏に近い安倍前首相は13日、新潟県十日町市で記者団に、小池氏ら他候補の処遇について、「それぞれ才能のある人なので、(要職で)働いてもらった方がいい」と語った。

最終更新:9月14日3時3分
読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080913-00000051-yom-pol


2008年09月13日(Sat)▲ページの先頭へ
「じたばた騒いでいない」と自民党政治家の精神的劣化
絶望的な太田農相の言説であるが、以前、原爆投下は、「しょうがない」と言って、辞めた大臣(H元防衛大臣)がいた。
 どうも、自民党の政治家には、政治家にふさわしい精神・倫理や知性や論理や言語能力が欠落している節がある。自民党の政治精神的劣化ないしは退化があると考えられる。
 私は「じたばた騒いでいない」という日本語が、その意味内容とは別に、この文脈で使用されたことに注意したいのである。
 「じたばた騒ぐ」とは、この場合、端的に、追いつめられた悪党が、悪あがきすることと考えられる。そうすると、太田農相は、無意識の内で、自分が悪党であることを感じていることになるだろう。そう、無意識は賢者なのである。理性的なのである。
 やはり、影(シャドウ)に支配されていると考えられる。影は三相である。一つは同一性主義的否定(暴力)であり、一つは反動的差異であり、一つは超越光(理性)である。「じたばた騒いでいない」という発言は、同一性主義的否定と理性とが重なった影の発言ということになるだろう。
 とまれ、簡単に言うと、太田農相は、政治家にふさわしい精神・知性・日本語力が欠落・欠損しているのである。 

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事故米転売 太田農相、事態軽視?「じたばた騒いでない」

9月12日21時22分配信 毎日新聞

事故米転売 太田農相、事態軽視?「じたばた騒いでない」

拡大写真

閣議出席のため首相官邸に入る太田誠一農相=2008年9月12日午前9時57分、藤井太郎撮影
 太田誠一農相は12日、衛星放送「BS11デジタル」の番組収録で、汚染米の転売問題に関連し「(汚染米から検出されたメタミドホスは)低濃度で、人体への影響はないと自信をもって言える。だから、あまりじたばた騒いでいない」などと発言した。転売問題では、農林水産省の検査体制や汚染米の売却先に関する情報公開が不十分だとの批判が強く、事態を軽視しているともとれる発言が更なる反発を招く可能性もある。

 太田農相は、今回の汚染米から検出されたメタミドホスの濃度が中国製冷凍ギョーザ事件の約60万分の1であることなどを説明し「私が言うと、いいかげんに問題を扱っていると言われそうだから、あまり安全だと言わないが、でも安全なんだ」などと述べた。同農相は収録後、記者団に対し「国を揺るがす大問題で、省を挙げて取り組んでいる。軽視しているのではなく、沈着冷静に対応しているという意味だ」と説明した。

 太田農相は就任後間もない8月10日にNHKの討論番組で、食の安全について「消費者がやかましいから徹底する」と発言し、批判を浴びた経緯がある。【工藤昭久】
http://headlines.yahoo.co.jp
/hl?a=20080912-00000034
-maip-soci


実質的衆院選挙の開始と脱売亡国路線:トランス封建的近代主義とトランス・モダン路線へ向けて
自民党総裁選は、まるで国会議員選挙のようであり、それは、越権的と感じたが、以下、小野寺氏が説くような衆院選挙の実質的開始は、説得力がある。
 どうも、自民党には、したたかな広報情報力が存在している。悪知恵宣伝情報力である。見せることに長けている情報力である。倫理なき広報情報力である。日本のテレビ・メディアは悪魔に乗っ取られたのである。

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すでに衆議院選挙は始まっている。
先日、小泉チルドレンが、言っていたが、
「前半戦のこの党首選をがんばって、後半戦の総選挙につなげたい」
といっていた。

<冒頭解散>

つまり、国会冒頭解散をするつもりで自民党は動いているのである。

だから、この自民党党首選を、実は、「一方的にテレビを使って
の自民党広報」と位置づけているのである。

だから、この場合、国会の冒頭解散をすることで
民主党より、2倍長く選挙を行えるというわけだ。

<すでに衆院選挙前半戦スタート>
http://archive.mag2.com/0000
154606/20080913074739000.html
国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」


自民総裁選:政界再編にらみ? 小泉元首相の小池氏支持
自民総裁選:政界再編にらみ? 小泉元首相の小池氏支持

テーマ:福田政権とポスト福田

ニュースでは、「政界再編」の動きを報じているものが多い。私は以前、第三の政党の可能性を述べていて、政界変革は大いにあり得ると考えられる。
 キーポイントは、売国・亡国集団(売亡国団)と公明党を、第三の政党から外すことが出来るかどうかである。
 また、問題は、売亡国団と公明党との関係である。これは、いったいどうなっているのだろうか。封建的近代主義、同一性主義という点では、当然、共通する。そして、おそらく、実質的には、利害関係が一致するのではないだろうか。今はここで留める。

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自民総裁選:政界再編にらみ? 小泉元首相の小池氏支持
自民党の(後列左から)佐藤ゆかり衆院議員、小池百合子元防衛相、猪口邦子元少子化担当相の3氏の共著の出版を祝うパーティーであいさつする小泉純一郎元首相(手前)=東京都内のホテルで2008年7月10日午後6時10分、山本晋撮影
自民党の(後列左から)佐藤ゆかり衆院議員、小池百合子元防衛相、猪口邦子元少子化担当相の3氏の共著の出版を祝うパーティーであいさつする小泉純一郎元首相(手前)=東京都内のホテルで2008年7月10日午後6時10分、山本晋撮影

 小泉純一郎元首相が12日、自民党総裁選で立候補している小池百合子元防衛相の支持を示したのは、麻生太郎幹事長が優位に進める選挙戦に一石を投じるとともに、衆院選前後の政界再編を視野に入れ小池氏支持勢力の拡大を狙ったものとみられる。小池氏支援の中川秀直元幹事長が党内で孤立するのを防ぐ狙いもありそうだ。

 総裁選で、中川氏や武部勤元幹事長らは小泉氏に小池氏の支援を再三要請してきた。小泉氏は明確な態度表明をしてこなかったが、12日午前、東京都内で武部氏らと会談した際「小池総裁なら小沢民主党といい勝負ができる」と語り、小池氏支持を鮮明にした。

 小泉氏は「(自民党は)大変な危機なのに、危機感がまだ足りない」とも指摘し、「派閥談合」の様相も見える総裁選に強い懸念を示した。小池選対の会議で、中川氏は「さすが小泉さんだと改めて尊敬の念を深くした」と興奮気味に語り、小池氏も記者団に「とても心強い」と述べた。

 麻生氏を推す森喜朗元首相はこれまで、小泉氏が小池氏支援に回ると警戒する議員に「大丈夫だ。小泉氏は動かない」との見通しを示していたが、12日は周辺に「知らん。(支持)するならすればいいじゃないか」とぶぜんとした表情で語ったという。

 小泉氏は首相時代の05年9月、当時の前原誠司・民主党代表に「大連立」を呼びかけたこともあり、民主党の若手改革派と気脈を通じている。今回の総裁選の敗者を軸に民主党を巻き込んだ政界再編が起こり得るとの状況認識が小泉発言の背後にありそうだ。

http://mainichi.jp/select/today/
news/20080913k0000m0
10146000c.html


2008年09月11日(Thu)▲ページの先頭へ
考察課題:テレビの視聴覚情報の洗脳力を哲学的に分析する
以下、飯山氏が、自民党総裁選のテレビ・メディアによる政治洗脳から悲観的になっているが、私見では、小泉元首相の政権のときのような一種ファシズム現象はないと見ているが(社会保障の破壊・崩壊で、衆民が無惨な思いをしていることがその大きな理由である)、それでも、テレビの視聴覚情報洗脳力は侮れないので、ここで、それを哲学的に分析、考察してみたい。
 以前から私は、テレビを視聴することは、直感的に、意識にとって、きわめて危険であると思っている。害毒・害悪が意識に垂れ流されるのである。
 視聴覚とは、緩衝回路がないので、直(じか)に感覚・知覚・意識に作用すると考えられる。しかし、直に作用するなら、自然現象もそうであるが、それは、危険の反対で、浄化作用をもつことが多い。
 テレビと自然現象の相違は、当然、人間の表現の介在の有無である。人間の表現、それも、放送局を介した人間の表現の介在、ここに問題がある。
 放送局が日本の場合、多くの人が指摘するように、政治経済支配権力と癒着しているのである。これは、メディアにおける封建的近代主義(国家統制主義)である(この点では、日本人は、簡単には、北朝鮮体制を笑えないのである)。
 今は、簡単に触れるに留めるが、テレビを介した言葉、表情等は、いわば、自然現象のように視聴者に届くのである。この「自然現象のように」というのが、たいへんな曲者である。すなわち、無批判に受容するということがここには生じているのである。
 これは、批判的思考をもっていない人は、そのようにテレビ視聴覚情報を信じてしまうのである。また、批判的思考をもっている人も、受容という点では、最低限は洗脳はされるのである。
 言い換えると、テレビ視聴覚情報は、人間のもつ素朴な受容力に作用して、それに取り入ってしまうという性質をもっていると考えられる。
 だから、情報化の現代、批判的思考を積極的にもつことが重要なのである。
 小泉構造改革のときに起った狂信的な現象であるが、私は、小泉元首相を見て、直感的に胡散臭いと感じた。おそらく、明晰な批判思考をもたなくても、直感力をもつならば、テレビ・メディアに洗脳されることはないと考えられるのである。
 勿論、批判的思考は形成されるべきであるが、それ以前に直感思考が必要だと思うのである。それは、端的には、差異の感性である。差異の感性があれば、直感的に、小泉元首相がパフォーマンスを行っているのが、わかるのである。
 そう、差異の感性とは、真の芸術的感性である。今日、真の芸術的感性が衰退しているので、このようなテレビによるメディア災禍(メディア・ハザード)が起るとも言える。(p.s. より的確に言えば、知的感性である。感性が個の基盤であるが、それを不連続化した知性における感性である。言い換えると、特異性の感性に基づく知性であり、知的感性、知的直感性である。Media Pointの感性である。p.p.s. 知的感性ないしは差異感性であるが、そこには、Media Pointが存するので、倫理的である。今日、マスメディアは、倫理が欠落しているのである。3p.s.  詩人シラーが説くように、芸術的感性と倫理は共通しているのではないだろうか。今日の社会のカオスの根源には、根本の精神性、芸術的感性と倫理との根本的共通性の認識の欠落があるのではないだろうか。すべては、近代的同一性主義、封建的近代的同一性主義による混濁・汚染・混乱に拠るのではあるが。)
 今はここで留める。もっと、後で緻密に検討したい。一言いうと、現象認識の問題である。皮相的な同一性主義認識に留まれば、当然、テレビ視聴覚情報に踊らされるのである。あるいは、言い換えると、個を形成していないとそうなるのである。結局、近代日本の問題、即ち、封建的近代主義という近代日本文化・社会の問題があるのである。(p.s. 結局、個の倫理の形成・確立の必要があるのである。個的倫理が形成・確立されなければ、法律は単に形式主義になるのである。個的倫理、差異的倫理、特異性の倫理が必要なのである。カントの実践理性とは、実は、Media Pointの差異共鳴能動力である。)

P.S.

芸術は倫理的であり、

倫理は芸術的である。

芸術と倫理と

批判的知性は

三位一体となる。

PS理論的

新真善美論である。


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転載被承認記事

◆ 2008/09/11(木) テレビ局.自民党のイメージアップに全面協力.
bansoko1
「絆創膏」から
koike1
「クールビズ」へ
 昨日から,テレビ局は,自民党の政策宣伝メディアになった.
 自民党総裁選の政策論争をニュースとして伝えるのではなく,自民党の政策を宣伝している.
 そうして,自民党のイメージアップに全面協力している.
 現代の選挙は,テレビを上手に活用した政党が勝つ.
 “テレビを利用する技術”は,自民党と公明党が圧倒的に上手だ.
 民主党の“テレビを利用する技術”. これは最低だ.
 党首の小沢一郎のテレビうつり. これも最低だ.
 そこで,今日の結論.
 (1)近々行われる衆議院選挙で,自民党は負けない.
 (2)政権交代は,ない.
 (3)日本の政治は何も変らない.
http://www.geocities.jp
/o1180/index.html
低下低下=てげてげ


2008年09月02日(Tue)▲ページの先頭へ
敵は総崩れになった。政権交代前夜 国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」政権交代前夜 国際評論
敵は総崩れになった。政権交代前夜 国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」政権交代前夜 国際評論

テーマ:福田政権とポスト福田

「敵は総崩れになった」という認識には同感する。確かに、小池擁立の方向はある。しかし、無難に、麻生新総裁でいくだろう。しかし、麻生氏は、不用意な発言で。問題を起す可能性は高い。しかし、それ以前に、衆院選挙が行なわれ、自民党は転落するだろう。
 後、公明党がどうなるかである。自民党が下野すれば、公明党は自民党ではなく、民主党へ「すり寄る」だろう。
 また、官僚体制問題であるが、植草氏が説くように、国家公務員改革が必要である。天下りを無くすための、制度作りが必要である。
 テレビ東京の経済番組では、構造改革路線や外資肯定路線を主張するが、それは、日本社会破壊路線であり、亡国・売国路線である。
 外資、外資と言うが、それは、日本国民の財産を奪っているものである。
 世界経済の問題は、サブプライム問題が世界経済破壊的になっているので、慎重な舵取りが必要である。国民経済は世界経済であり、世界経済は国民経済である。この差異的視点が必要である。

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敵は総崩れになった。

これに対して
あくまで、亡国のイージ○、および中川は、小池を擁立するらしい。
http://www.nikaidou.com
/2008/09/post_1609.php

特別体制に入れ。
小池にされたら、完全に日本は終わりを告げる。

自民党は麻生にすべきである。

これ以上、庶民を裏切る政治を小池などを擁立して行えば、
次期衆院選で自民党は、多分、ゼロになる。
つまり政党ごとまるごと消滅するだろう。
http://archive.mag2.com/
0000154606/200809020
45207000.html

国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン
http://www.mag2.com/m/
0000154606.html


2008年09月01日(Mon)▲ページの先頭へ
業界紙でも報道され始めた“与野党逆転”の現実味――小泉構造改革の実行を求める米国の圧力と国民の自
業界紙でも報道され始めた“与野党逆転”の現実味――小泉構造改革の実行を求める米国の圧力と国民の自

テーマ:福田政権とポスト福田

新しい酒は新しい皮袋に入れなくてはならない。死者をして、死者を葬らせよ。
 思うに、ブログ言説は、フランス革命前夜の啓蒙思想ににていないだろうか。後でブログ言説について考察したい。

p.s. 久しぶりに、新約聖書が読みたくなった。

p.p.s. ブログ言説は、ブロゴスないしはブロゴロスか?

2008.8.31(その1)
森田実の言わねばならぬ【589】
平和・自立・調和の日本をつくるために[584]
業界紙でも報道され始めた“与野党逆転”の現実味――小泉構造改革の実行を求める米国の圧力と国民の自民党離れという国民圧力という二つの圧力の板挟み、で何もできない状況に立たされた福田政権
「勢い、もし使い尽くさば禍必ず至る」(日本の諺)
http://www.pluto.dti.ne.jp
/%7Emor97512/C04542.HTML


参考1:

2:22 新しいブドウ酒を古い皮袋に入れる人はいない。そんなことをすれば,新しいブドウ酒は皮袋を破裂させ,ブドウ酒は流れ出て,皮はだめになるだろう。そうではなく,人々は新しいブドウ酒を新しい皮袋に入れるのだ」。
http://www.cozoh.org
/denmo/Mark.htm
マルコによる福音書

8:22 しかしイエスは彼に言った,「わたしに従いなさい。そして,死んだ者たちに自分たちの死者を葬らせなさい」。

http://www.cozoh.org/denmo
/Matthew.htm#C8V1
マタイによる福音書

電網聖書


参考2:
新約聖書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『新約聖書』(しんやくせいしょ、ギリシア語 : Καινή Διαθήκη, ラテン語 : Novum Testamentum)は、紀元1世紀 から2世紀 にかけてキリスト教徒 たちによって書かれた文書で、『旧約聖書 』とならぶキリスト教 の聖典。また、イスラム教 でもイエス を預言者 の一人として認めることから、その一部(福音書 )が啓典 とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音 と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録 』)、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙(書簡)、黙示文学(『ヨハネの黙示録 』)からなっている。「旧約聖書」「新約聖書」の「旧」「新」という言い方を避けるため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%
B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8



2008年08月22日(Fri)▲ページの先頭へ
天皇の威信を貴族=官僚が利用して、民衆を利用し搾取し支配するのである。
天皇の威信を貴族=官僚が利用して、民衆を利用し搾取し支配するのである。

テーマ:ニッポン亡国の凶相

築地市場の豊洲移転は、はっきり利権によることがはっきりわかる。要は、お上=「ヤハウェ」は絶対的であり、下々=国民=奴隷には誤魔化せばいいのだということだろう。
 思うに、これは、律令政治から始まっているのではないのか。少なくとも、平安時代からとは言えるだろう。天皇の威信を貴族=官僚が利用して、民衆を利用し搾取し支配するのである。このシステムこそ、民衆支配の典型である。これを何と呼んだらいいのか。宗教を利用して、民衆を支配するシステムである。これは、母権制を利用した父権制なのである。民衆は母権制である。だから、批判なく、崇拝する。それを、狡猾な父権的権力が利用して、支配するのである。だから、以前、儒教等について述べた、母権制統合型父権制と言えるように思う。民衆の母権制の崇拝を利用して、父権的な狡知の支配を行うのである。
 だから、脱母権制が必要である。脱プレ・モダンである。そう、民衆は、新しい精神をもつ必要がある。端的に、トランス・モダン精神である。

☆☆☆☆☆☆以下転載☆☆☆☆☆☆☆


[08/21]東京都がなんと豊洲新市場予定地の「土壌汚染対策」公募を強行! 【転載希望】 (by Rolling Beanさん) New!!
石原都政が築地市場を有害物質あふれる豊洲地区に移転しようとしている問題について、Rolling Beanさんの記事を転載します。豊洲になんとしてでも移転させようとあの手この手で強行策をとっているようです。新聞で逐一きちんと報道されないなら、ブログを通じてひとりでも多くの人に知ってもらわなければなりません。

強調字体やリンクなどを含めて読みたい方はRolling Beanさんのブログの方に行きましょう。

●Like a rolling bean (new) 出来事録
2008-08-19 【転載希望】 【転載希望】東京都がなんと豊洲新市場予定地の「土壌汚染対策」公募を強行!
http://ameblo.jp/garbanzo04/
entry-10128974356.html

昨晩遅くこの報道のことを知らせていただいて、とても驚いています!!!

工法アイデアの公募を始める、つまりこれ以上やばくならないうちに工事を始めてしまおうという腹ですね!

> 産経WEBニュースに工法アイディア募集の記事がありました。
> データの捏造疑惑、シアン化合物検出基準捏造疑惑など次々に問題噴出の専門家会議の報告書ですが、
> これらの解明もされないのに、汚染対策アイディア募集とは何事でしょうか。報告書は汚染の実態を正しく反
> 映していません。この時点での対策案など「意味無し!」です。


本当にその通りです!

タイトルに転載希望とつけましたが、悪意に基づかない限り、どこを転載してくださっても差し支えありません。

産経MSN

築地市場移転問題 土壌汚染対策アイディア求む
2008.8.18 14:01
このニュースのトピックス:地方自治

http://sankei.jp.msn.com/politics/
local/080818/lcl0808181400000-n1.htm

 築地市場(東京都中央区)の移転問題で、都が移転先の豊洲地区(江東区)の土壌汚染対策に生かすため、新技術や工法のアイデアを公募する。

 公募内容は、(1)土壌・地下水の汚染対策(2)液状化対策(3)市場完成後の地下水管理システム(4)総合的な対策−の4項目。寄せられた提案は、専門家で構成する汚染対策工事の技術会議で評価・検証し、10月下旬に選定結果を公表する。

 選定にあたっては、実効性や経済性、短期間で施工が可能かどうかなどを考慮する。応募の対象は民間企業のほか、個人でも可能。期間は18日から9月26日まで。郵送での受け付けとなる。

 詳細は中央卸売市場ホームページ http://www.shijou.metro.tokyo.jp

関連ニュース

【石原知事会見詳報】(1) 築地移転問題で技術者会議設置を表明

東京都、工法選定のための技術者会議設置へ 築地市場移転問題で

築地市場移転問題 都議選の争点にも

「対策とれば人体に影響なし」築地市場問題

地下水調査データの捏造が暴かれて、ひどすぎるシアン汚染の影響を少なくとも10倍低くごまかしたこともはっきりし、測定すべき有害物質のほんの一部しか確認しないでおきながら、かつ地下水の性状や流動も調べないでいて、それでも天文学的な数字の汚染被害状況があり(何回でも書きますが、胎児毒性もあるベンゼンひとつ取り上げても土壌で43000倍、地下水で10000倍です)、なのに入念な調査などと開き直っていますし、しかもなんと言ってもこの豊洲6丁目という地区は戦後に隅田川のヘドロを浚渫したもので埋め立てていますし、まったくどろどろの状態なのにそのこともおおっぴらには公開していませんし、そこでコールタールを地上に広げて作業をしていたことを追求されても「スルー」しましたし、浚渫土壌のさらに下層にある沖積層(潜在的に液状化しやすいことで知られている)である有楽町層が互層(重ねられた状態)で砂や貝殻までを含んで水を通す汚染まみれの状態で現実に専門家会議の調査でも汚染がそこに出ているのも「大したことがない」「粘土層だ」と大嘘をついてすっとぼけていますし、工学や地質や土木建築のプロの「対策は不可能」という魂の底からの意見もまた「完全にスルー」して、また民活(PFI)に関する明白なリスク分担に対しての質問には答えもしていませんし、東京都が東京ガスから土地を買い上げる際に護岸工事費用の600億円以上を裏金として渡していますし、そのくせ、もう処理が終わったアスベストの問題をわざわざ騒ぎ立てていますし、なのにできもしない矢板での地下水防護などなどなぜか専門家会議が始まる前のPFI資料で公開されていた白日夢のような技術工法がなぜか専門家会議の検証の後でそっくりの形で出てきて、なにしろ嘘ばっかりの資料をなぜか仲卸業者だけに「超かいつまんで」そのろくでもないアリバイ付き(実はアリバイにすらならないザル会議の結果)で汚染対策を説明して開き直ろうとしていて、なにしろ日本中から市民だけでも1000人以上が集まったデモを「市場関係者だけ300人」と紹介するようなメディア(特に築地市場の目の前の朝日新聞)などはまたその稚拙なアイデアをもってうまくいきそうな話として取り上げていますが、ああ、それにろくでもなかったと評判の立った専門家会議の後の技術会議を非公開で(仲卸の方によれば座長以外のメンバー名すら非公開だそうです!)、きっと座長に負けず劣らず(断る間もなく嫌味です)専門外分野でご立派な業績を上げられたお友達埋センセイを集めてこられるのだということは想像されても仕方のないことですし、ともあれ権威の名前だけを借りて予め予定していた埋立関連の業者を絡ませたりするのでしょうから、もしもこんなことが許されていいのなら、どんな環境問題や健康被害に対しても、行政がフリーハンドで強行してよいということの重篤な実績を作ることになる、と改めてここで書いておきます。

(上の内容はこれまでのエントリーに挙げたことばかりですのでイキオイに任せたものではありません)

東京都のサイトを転載します。

平成20年8月18日
中央卸売市場

豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する新技術等の公募について

東京都中央卸売市場では、「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議」の報告を踏まえ、豊洲新市場予定地における都の土壌汚染対策計画を取りまとめるにあたり、民間企業等から広く新技術や工法を公募することとしました。

応募していただいた提案は、この度設置した「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」において、評価・検証を行ったうえで、都の土壌汚染対策計画に活かしていくこととします。

つきましては、以下の公募要領により、応募してください。
http://muranoserena.blog91.
fc2.com/blog-entry-836.html
村野瀬玲奈の秘書課広報室


2008年08月07日(Thu)▲ページの先頭へ
問題は、官僚主導体制にあるのであるから、いったん脱自民党(自公党)化する必要があるのである。
問題は、官僚主導体制にあるのであるから、いったん脱自民党(自公党)化する必要があるのである。

テーマ:小沢一郎/民主党と日本の政治

まったく同感である。民主党の呉越同舟性は先に指摘したが、問題は、官僚主導体制にあるのであるから、いったん脱自民党(自公党)化する必要があるのである。
 そのためには、民主党は、代表選で無駄な営為をすべきではない。形式主義に囚われば、そういう発想になるだろう、しかし、形式主義とは何か。それは、利用される「公式」である。決して、中立ではないのである。まず、本質があり、後に形式がある。つまり、「ポスト構造主義」である。形式主義=構造主義的発想は、本質を看過した発想である。つまり、エゴイズムのために、形式主義を利用すると考えられるのである。
 ということで、「大きな仕事」、政権奪取は、必須である。それから、小さな問題を考えればいい。つまり、超党派的に大連立するなり、第三の政党を作ればいいのである。

***************

民主党議員は「大きな仕事」実現を目指せ

マスメディア各社は複数候補による民主党代表選を実施させようとの意図 に基づいた報道を続けている。背後には自公政権の強い意向が働いている。民主党内部には小沢一郎代表に反発する勢力が存在し、一部は自公勢力とも通じている可能性が高い。

客観的に見て小沢一郎氏が代表に再選されるべきことは当然の流れだ。次期総選挙への総力投入に反する思惑で代表選への対応を考慮する民主党議員は、政権交代を希求する民主党支持者にとっての敵対勢力だ。

民主党の筒井信隆氏、篠原孝氏、山田正彦氏、の3議員が本年6月に民主党全議員に、前原前代表の退場勧告メールを送信 したことが明らかにされているが、大多数の民主党支持者の声を代弁する行動だ。

総選挙を目前に控え、権力死守に躍起になっている自公政権は、小沢一郎代表の求心力を低下させようと腐心している。複数候補による民主党代表選を実施させ、マスメディアを動員して小沢一郎代表批判を展開するのが、自公政権の目論見だ。

テレビメディアは御用評論家ばかりを重用するようになった。その筆頭格である田原総一郎氏が懸命に前原誠司氏を盛り立てようとしているのが痛々しい。

前原氏が民主党代表だった2006年年初、小泉政権は窮地に追い込まれた。民主党は政権奪取の好機を得たが、前原代表を中心とする執行部が「偽メール」問題で大失策を演じ、逆に民主党が崩壊の危機に追い込まれた。

2006年4月7日に前原誠司氏の後継として代表に選出された小沢一郎氏が、民主党を危機から救い、奇跡的な党勢拡大を実現してきたことは誰の目にも明らかである。

2005年9月の総選挙で民主党は大敗を喫した。岡田克也元代表は代表を辞任して責任を明らかにした。2006年には前原前代表が偽メール問題の責任を取って辞任した。

代表に就任した小沢氏の最初の試金石が2006年4月23日に実施された衆院千葉7区の補欠選挙だった。小沢氏は圧倒的に劣勢だった民主党候補を勝利に導き、民主党の危機を救った。

2007年7月の参議院選挙で民主党は野党第一党に躍進する大勝利を収め、参議院での与野党逆転を実現した。本年4月の衆議院補欠選挙、6月の沖縄県議会選挙でも民主党は勝利した。

本年9月で3選になるが、在任期間は2年5ヵ月にすぎない。次々に成功を収めて、いよいよ天王山の闘いを迎えるタイミングで小沢氏を代表から引きずりおろす理由は皆無だ。

複数候補による代表選を唱える人々は、代表選が党内での政策論争を活発にし、民主党を世間にアピールする絶好のチャンスだと言うが、マスメディアが民主党をアピールするように報道するはずがない。

対立候補者の言葉を借りて、小沢一郎批判一色に染め抜く報道を展開することは明白だ。テレビ朝日番組「TVタックル」、「サンデープロジェクト」が、この方向で著しく偏向していることは、冷静な視点を持つ視聴者は皆知っている。

前回総選挙で敗北した岡田克也元代表 、2006年に失脚した前原前代表が立候補を見送る のは当然だ。野田佳彦氏 も2006年の偽メール問題の責任を共有しており、今回は立候補を見送るべきだ。

前原誠司氏を筆頭とする仙谷由人氏 、枝野幸男氏 の3名が反小沢一郎代表派の中心で、仙谷氏と枝野氏の去就が注目される。民主党は自由と民主主義を基本に据えており、党内の活発な論争の存在は望ましいが、小沢氏の求心力低下を目的とする代表選出馬は、民主党支持者への背信行為と言わざるを得ない。

企業破綻の危機に直面したタイミングで社長に就任し、2年間で業績をV字型に回復させ、史上最高益を実現した社長に交代を迫る阿呆はいない。社長交代を望むのは、ライバル企業と社内反乱分子くらいのものだ。たちの悪い勢力はブラックジャーナリズムに社長攻撃の記事を書かせるかも知れない。

民主党議員には国民を2分する勢力の一方が、次期総選挙での民主党勝利と政権奪取を希求している現実をしっかりと認識してもらいたい。マスメディアが民主党代表選をけしかけているのは、自公政権の意向を反映しているためであることを正しく認識してもらいたい。

現時点で小沢氏を無投票で3選することは、最も常識的な選択だ。普通に考えれば誰にでも分かることについて、「常識と言いきれない空気」が存在していると感じられるところに、マスメディアによる情報操作の恐さがある。

民主党議員の相当数が、小沢氏の無投票3選を大声で支持することにためらいを感じているのではないか。そうだとすれば、その議員自身がマスメディアの情報操作に籠絡されてしまっているのだ。

臨時国会召集が9月下旬にずれ込む可能性が高まった。自公政権の主導権は公明党に握られつつある。公明党は来年夏に東京都議会選挙を控える。石原都知事の新銀行東京問題で都議選での与党大敗は免れない情勢だ。

公明党は衆議院の解散・総選挙を年末年始に誘導しようとの強い意思を有していると見られる。年末年始の解散・総選挙実施の確率は7割を超えたと思う。また、公明党は矢野絢也元委員長による創価学会攻撃本格化に動揺していると見られる。

民主党は総選挙に向けての戦闘態勢構築を急がねばならない。小沢代表が「最後のチャンス」と唱えるのは、党内を引き締めるためだ。「本当に最後なのかの論議」 を喚起するためではない。

国民の熱き思いを負託されている民主党議員は、個利個略を捨て、低次元の諍い(いさかい)から脱却し、「大きな仕事」の実現に向けて邁進してもらいたい。

日本はいま、「官僚主権国家」から「国民主権国家」に生まれ変わる最大のチャンスを迎えている。「志有る者は事竟(ことつい)に成る」(後漢書)の言葉を胸に刻んつけてほしい。

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植草一秀の『知られざる真実』


2008年08月05日(Tue)▲ページの先頭へ
精神経済学と精神病理:同一性主義経済がもたらす差異不全精神病理現象:差異の再天使化へ向けて
先に、精神経済学を作業仮説として提起して、現代日本社会の精神病理現象について考察してきたが、どうしてうつ病等が起るのか、PS理論の視点から、簡潔に説明したい。
 結局、近代合理主義/近代的自我の近代的同一性主義という精神経済現象が個人の精神身体に生起する。これは、精神身体における差異=差異共振性を阻害しているのである。しかしながら、精神経済現象の根源的エネルギー源は、差異・差異共振現象に存していると考えられるのである。故に、精神経済現象の根源的エネルギーを抑圧・排除しているので、近代的同一性主義の精神身体をもつ個人は、社会的な精神経済現象のストレスを受けて、うつ病等になると考えられるのである。
 わかりやすく言えば、精神経済現象のエネルギーを主体・主観において、否定・排除しているので、エネルギーが枯渇して、元気が喪失するということになる。
 また、敷延すれば、単に、うつ病だけでなく、超異常な殺人犯罪もこれで説明できると思うのである。作業仮説として言えば、徹底的に否定・抑圧・排除された精神経済現象のエネルギーが反動暴力・反動狂気化して、まったく非合理主義的に暴発するということのように思われるのである。

p.s. 以前にも述べたが、差異共振現象(差異共鳴精神経済現象)とは、いわば、天使である。しかし、近代的同一性主義(乃至は、封建/近代的同一性主義)は、天使の差異を否定・抑圧・排除して、天使を悪魔に変容させているのである。
 しかし、ここは、最大に強調して言わなくてはならないが、そうだからといって、近代的同一性主義を単純に否定するのは、完全な、絶対的誤りであることである。つまり、否定ではなく、乗り越え、高次的包摂が必要なのである。
 近代的同一性主義によって悪魔化して天使を、新たに天使として復活させる必要があるのである。そう、再天使化である。


2008年08月03日(Sun)▲ページの先頭へ
天下り根絶主義と天地二項対立に対する超構築主義としてのトランス・モダン維新:平成超維新へ向けて
天下り根絶主義と天地二項対立に対する超構築主義としてのトランス・モダン維新:平成超維新へ向けて

テーマ:福田政権とポスト福田

植草一秀氏は、実に鋭く、官僚封建社会主義による、福田改造内閣の問題を指摘している。
 思うに、ブログは、言説イメージ批判メディア空間の意味をもっている。御用メディアのマスコミに対して、ブログ・メディア空間は、鋭敏な認識メディアの意味をもっている。
 天下り根絶主義、ここに国民経済の未来が懸かっているといっても過言ではないだろう。そう、思うに、これは、「天皇制」の打破になるのではないだろうか。「天下り」とは、端的に、天と地とのヒエラルキーを意味している。天(お上)が優位であり、地(民)が劣位である。この二項対立の打破が実践哲学的な問題である。
 天下り根絶(打破)とは、日本人の意識の変革と同時である。天地ヒエラルキーを打破しなくてはならない。それは内なる同一性主義の破壊である。私見では、内なる神道の覚醒を意味する。「天皇制」と神道は異なる。内なる神道の覚醒とは、新国民経済を意味するだろう。
 そう、「天皇制」とは、父権主義を意味していると思う。しかし、「天皇制」とは内なるものである。父権主義、同一性主義である。これこそ、乗り越えるべきものである。超維新が必要である。

 新神道の覚醒、これが、新国民経済を創造するだろう。
 
************


三つの問題点を指摘しておく。

@不況に突入した日本経済の悪化を回避するには、腰の据わった対応が必要だ。伊吹財務相は本日のNHK日曜討論で、「歳入の手当てのない政策発動はありえない」と発言したが、財政バランスに影響を与えない景気支持政策の経済支持効果は極めて限定的である。

財政政策の景気支持効果の大きさは、財政バランスの変化で測られる。財政収支に影響を与えない景気支持政策のマクロ経済への影響は極めて小さい。

A政府の無駄排除政策の最大の対象は「天下り」利権である。「天下り」機関に1年あたり12.6兆円の財政資金が投入されている。国民生活重視の政策を実現するための最大の財源がここに隠されている。

「政府の無駄排除」に向けての福田政権の基本姿勢は「天下り問題」への対応に示されることになる。「無駄ゼロ会議」 を何度開こうとも、「天下り」を断ち切らなければ、「ざるのなかに水を蓄える」論議になる。

B弱肉強食奨励、セーフティーネット排除の「小泉改革」路線と明確に訣別するのかが不明確である。高齢者、障害者、非正規雇用者などを中心に、「小泉改革」は国民の生存権を脅かしてきた。

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植草一秀の『知られざる真実』


財政学批判的学習:裁量支出とプログラム支出と天下り根絶:PS原理、PSPrinciple:Ver3
財政学批判的学習:裁量支出とプログラム支出と天下り根絶:PS原理、PSPrinciple

テーマ:福田政権とポスト福田

以下、鋭敏な経済学者植草一秀氏のトランス官僚主義のための「教科書」である。財政について実に明快に説明しているし、天下り根絶の意味も明快に説明されている。官僚封建的同一性主義への脱構築主義であると同時に、国民経済再構築主義(差異共鳴国民経済)のための指針が説かれている。
 そう、PSセオリー的政治経済学と言えよう。

p.s. 再構築や新構築であるが、Media Point差異共鳴主義とは、差異と同一性との即非共鳴関係をもつので、この新しい構築は、同時に、脱構築であろう。つまり、再構築・即非・脱構築であろう。どうも、語弊があるので、微妙なところがまだ的確に表現されていない。
 つまり、Media Point差異共鳴主義という「再構築」は、確かに、脱構築後の新構築でありえるが、「再構築」とは言え、即非的構築なので、同一性主義は解体しているのである。そう、だから、造語して、即非的「再構築」ないしは、即非的非構築と言うべきかもしれない。後で精緻に検討したい。

p.p.s. トランス構築、超構築とでも言うべきかもしれない。あるいは、即非的脱・再構築である。即非的脱⇔新構築主義か? 脱⇔新構築ないしは脱⇔再構築という表記はありうるだろう。逆にして、新⇔脱構築、再⇔脱構築の方がいいかもしれない。

3p.s. もっとも、それならば、端的に、即非的構築で済むのではないだろうか。あるいは、即非的超構築である。


参考:
[選挙フラッシュニュース] 最新 福田首相が内閣改造 国民目線で「安心実現」を目指す

p.s. 思うに、PSセオリーとはPS原理、PSPrinciple(PSP)と言えるのではないだろうか。多様な現象の原型を取りだしているのではないだろうか。端的に言えば、Media Point ArchitypeないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。即ち、Media Pointから生まれる同一性現象と差異現象の関係を捉えているのではないだろうか。つまり、図式化すれば、

1.差異共鳴現象の発現
2.同一性主義現象の発現
3.同一性現象と差異共鳴現象との併存(後者が新たに賦活される)
4.高次の差異共鳴現象(1とは同類の現象であるが、レベルが上がった状態。いわば、ラセン的回帰である。)

このように変化する動きがPS原理ではないだろうか。中心核は、Media Pointである。後で検討。

p.p.s. Kaisetsu氏の用語を用いれば、Media Point Mode(MPM)が、このMedia Point Architype ないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。
 とまれ、Media Pointを入れて、再図式化すれば、

Media Point Mode

1.Media Point Resonance Energy:(+i)*(-i)

2.差異共鳴現象(差異共振現象):⇒+1:原始共同体・多神教・母権・原自己・精神文化・平和志向・自然文明

3.同一性主義現象:(+i)*〔-(-i)〕⇒-1:一神教・父権・自我・国家・「モダン」・「物質主義」・戦争志向・都市文明

4.同一性主義現象と新差異共鳴現象の併存:(-1)&(+1):ポスト・モダン

5.同一性主義現象を包摂した高次の差異共鳴現象:(+j)*(-j)⇒+1:トランス・モダン:新自己

6.New Media Point Resonance Energy:(+j)*(-j)

と仮に表記しておこう。
 これは、実は、神話や物語の図式にもなるのである。そう、オールマイティではないだろうか。

*****************

福田新体制は「アンシャン・レジーム」である。「霞が関政治」に復古した。旧来の自民党政治への回帰だ。「福田−伊吹−与謝野」のトライアングルが「財務省政治」を取り仕切る。

「財務省政治」の基本方針は上述したように、@官僚利権の温存、A国民福祉の切り捨て、B消費税増税の断行、である。

財務省の歳出削減政策と「無駄ゼロ政策」 は表裏一体の関係にある。財務省の歳出削減対象の「御三家」は、@公共事業、A地方、B社会保障費、である。国民生活に直結する費目が優先して切り込まれる。

他方、財務省の裁量支出は拡張される。「裁量支出」こそ「財務省権力の源泉」なのだ。道路特定財源の「一般財源化」、概算要求基準における「重点枠」は「財務省の自由裁量枠」である。財務省は「予算配分権」こそ「権力の源泉」と認識し、「自由裁量枠」拡張を熱望している。

「社会保障支出」は「プログラム支出」 とも呼ばれる。制度を確定すると支出金額が自動的に決定される。最も透明性の高い支出だが、財務省は「プログラム支出」を嫌う。「プログラム支出」には「予算を配分する権力」をふりかざす余地がないからだ。

歳出削減で真っ先に切り込まれるのが「プログラム支出」だ。国民からすれば、利権の温床になる「裁量支出」を切り込み、「プログラム支出」を温存してもらいたいのだが、財務省は正反対の方向を向いている。なぜなら、財務省は国民の幸福ではなく財務省の幸福のために行動しているからだ。

    ・・・・・

日本の国会財政は天下り機関に11兆円を超す資金を投入している。「天下り」と「天下り機関」の根絶は想像を超す歳出削減効果を生む。

福田政権は「財源論を伴わない社会保障制度再構築論議」は無責任だと民主党を批判するが、

「天下り根絶を伴わない消費税増税論議」の方がはるかに国民に対して無責任である。

 「天下り根絶」によって、大きな財源を生み出すことが可能だ。また、対米隷属の外貨準備運用が8年間で100兆円の機会損失を生み出した。「100兆円損失」の責任も追及しなければならない。

 福田政権は衆議院選挙対策として745億円原油高対策を決定したが、「裁量支出」=「利権支出」=「バラマキ支出」政策の典型だ。最も優れた原油高対策は「ガソリン税暫定税率撤廃」である。

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植草一秀の『知られざる真実』


2008年08月02日(Sat)▲ページの先頭へ
財政学批判的学習:裁量支出とプログラム支出と天下り根絶
財政学批判的学習:裁量支出とプログラム支出と天下り根絶

テーマ:福田政権とポスト福田

以下、鋭敏な経済学者植草一秀氏のトランス官僚主義のための「教科書」である。財政について実に明快に説明しているし、天下り根絶の意味も明快に説明されている。官僚封建的同一性主義への脱構築主義であると同時に、国民経済再構築主義(差異共鳴国民経済)のための指針が説かれている。
 そう、PSセオリー的政治経済学である。

p.s. 思うに、PSセオリーとはPS原理、PSPrinciple(PSP)と言えるのではないだろうか。多様な現象の原型を取りだしているのではないだろうか。端的に言えば、Media Point ArchitypeないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。即ち、Media Pointから生まれる同一性現象と差異現象の関係を捉えているのではないだろうか。つまり、図式化すれば、

1.差異共鳴現象の発現
2.同一性主義現象の発現
3.同一性現象と差異共鳴現象との併存(後者が新たに賦活される)
4.高次の差異共鳴現象(1とは同類の現象であるが、レベルが上がった状態。いわば、ラセン的回帰である。)

このように変化する動きがPS原理ではないだろうか。中心核は、Media Pointである。後で検討。

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福田新体制は「アンシャン・レジーム」である。「霞が関政治」に復古した。旧来の自民党政治への回帰だ。「福田−伊吹−与謝野」のトライアングルが「財務省政治」を取り仕切る。

「財務省政治」の基本方針は上述したように、@官僚利権の温存、A国民福祉の切り捨て、B消費税増税の断行、である。

財務省の歳出削減政策と「無駄ゼロ政策」 は表裏一体の関係にある。財務省の歳出削減対象の「御三家」は、@公共事業、A地方、B社会保障費、である。国民生活に直結する費目が優先して切り込まれる。

他方、財務省の裁量支出は拡張される。「裁量支出」こそ「財務省権力の源泉」なのだ。道路特定財源の「一般財源化」、概算要求基準における「重点枠」は「財務省の自由裁量枠」である。財務省は「予算配分権」こそ「権力の源泉」と認識し、「自由裁量枠」拡張を熱望している。

「社会保障支出」は「プログラム支出」 とも呼ばれる。制度を確定すると支出金額が自動的に決定される。最も透明性の高い支出だが、財務省は「プログラム支出」を嫌う。「プログラム支出」には「予算を配分する権力」をふりかざす余地がないからだ。

歳出削減で真っ先に切り込まれるのが「プログラム支出」だ。国民からすれば、利権の温床になる「裁量支出」を切り込み、「プログラム支出」を温存してもらいたいのだが、財務省は正反対の方向を向いている。なぜなら、財務省は国民の幸福ではなく財務省の幸福のために行動しているからだ。

    ・・・・・

日本の国会財政は天下り機関に11兆円を超す資金を投入している。「天下り」と「天下り機関」の根絶は想像を超す歳出削減効果を生む。

福田政権は「財源論を伴わない社会保障制度再構築論議」は無責任だと民主党を批判するが、

「天下り根絶を伴わない消費税増税論議」の方がはるかに国民に対して無責任である。

 「天下り根絶」によって、大きな財源を生み出すことが可能だ。また、対米隷属の外貨準備運用が8年間で100兆円の機会損失を生み出した。「100兆円損失」の責任も追及しなければならない。

 福田政権は衆議院選挙対策として745億円原油高対策を決定したが、「裁量支出」=「利権支出」=「バラマキ支出」政策の典型だ。最も優れた原油高対策は「ガソリン税暫定税率撤廃」である。

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植草一秀の『知られざる真実』


2008年08月01日(Fri)▲ページの先頭へ
植草一秀氏は、政治のリアリズムに透徹している希有の経済学者ではないだろうか。
植草一秀氏は、政治のリアリズムに透徹している希有の経済学者ではないだろうか。

テーマ:小沢一郎/民主党と日本の政治

植草一秀氏は、政治のリアリズムに透徹している希有の経済学者ではないだろうか。
 民主党内部には、自民党分子がいて、いざというとき、「破壊」活動をする。それは、前衆議院選挙で明らかだろう。
 思うに、何事も、とりわけ、旧弊を廃し、新しい体制を生むことは、死ぬ気でなければ、成就しないのだろう。一粒の種死なずばであろう。死して屍拾うものなし。




民主党枝野幸男氏の行動を注視しよう

民主党の岡田克也氏が民主党代表選に出馬しない方針 を示した。出馬見送りは妥当な決断だ。枝野幸男氏が代表選出馬を検討しているとのことだが、反小沢一郎代表陣営の示威行動として出馬するのなら、政権交代を希求する民主党支持者への背信行為である。出馬を辞退するべきだ。

私は7月27日付記事「政・官・業・外・電 悪徳のペンタゴンとの闘い」 に次のように記述した。

「民主党の岡田克也氏が民主党代表選挙への出馬に関して、「政権交代を実現するために何が一番望ましいかという観点で熟考中」と述べた。

政権交代を実現するためには、総選挙に向けて挙党一致の体制を固めることが何よりも大切だ。

国民生活を真剣に考えることなく、官僚利権を温存し、国民福祉を切り捨てる福田政権に対する国民の怒りを民主党は代弁すべきだ。

小沢代表体制を継続して総選挙に臨むべきであることに異論が存在しないなかで、党内抗争の意味しか持たない代表選に無駄なエネルギーを注ぐことは、民主党支持者への背任行為だ。

野党で結束して、ガソリン暫定税率と後期高齢者医療制度廃止に向けての国民運動を民主党がリードすべきだ。

9月21日の党大会を、民主党を軸にした国民運動決起大会に転用すべきである。

民主党議員が、闘う対象を民主党内部に求めるのは間違いだ。」



岡田代表は2005年9月の総選挙で民主党が大敗した時の党首である。私は民主党が

@弱肉強食奨励VSセーフティーネット重視

A官僚利権温存VS官僚利権根絶

B対米隷属外交VS独立自尊外交

の対立軸を明確にして総選挙を闘うべきであるとの考えを当時の岡田党首にも提示した。

 弱肉強食奨励に反対する姿勢を「障害者自立支援法反対」によって明示すべきことも述べた。

 「郵政民営化と天下りの根絶。あなたはどちらが本当の改革だと思いますか・・・民主党」という選挙対策コピーも考えた。

しかし、総選挙には生かされなかった。

 2005年9月の総選挙では「郵政民営化=改革=正義」のプロパガンダが国民に刷り込まれ、自民党が地滑り勝利を収めてしまった。

 岡田氏はこの選挙での民主党総責任者だった。したがって、今回の民主党代表選に出馬しないとの判断は適正である。いずれまたチャンスが訪れると考える。

共同通信を除くマスメディア報道の大半は7月30日の日本記者クラブでの岡田氏講演の最重要発言を伝えていない。次の発言だ。

「衆院解散・総選挙が近い時期の代表選は本来なら望ましくない」。

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植草一秀の『知られざる真実』


2008年07月31日(Thu)▲ページの先頭へ
「救世主」としてのトランス同一性主義である不連続的差異論と差異共振主義
私の経験から言えることは、今日の狂気を生んでいるのは、端的に、同一性主義である。これが、人間を阻害しているのである。これを乗り越えることが、いわば、人類の課題であろう。
 しかし、不思議なのは、この乗り越えの叡知は、端的には、仏教に存するのである。しかし、私は仏教にも、ある種の同一性形而上学があると感じている。これが、叡知を阻害しているのではないだろうか。
 とまれ、同一性形而上学を乗り越えるのは、不連続的差異論であろう。デリダの脱構築主義も同一性主義を解体できるが、しかし、超越性がないので、いわば、漂流すると思う。
 そう、心と頭を立ち切ること、これが、覚醒への一歩である。


墓守娘たちの嘆きを知っていますか?
2008年07月31日10時00分 / 提供:ゲンダイネット
ゲンダイネット

「母が重くてたまらない」信田さよ子著(春秋社 1700円)

 近ごろ街でよく見かけるのが、まるで姉妹のような通称「一卵性母娘」コンビ。しかし、その外見の陰に深刻な葛藤があるらしい。

 臨床心理士として数々のカウンセリング経験を持つ著者によれば、幼いころから娘にべったりで進学・就職など人生のコースすべてを先回りして決めてしまう母が少なくない。日常生活はかいがいしく母が世話してくれるので、娘もつい甘える。しかし夜中にふと目が覚めて母を殺したくなるというのだ。

 なぜ母は娘に過剰依存するのか、なぜ娘たちは母を重く感じるのか。要は夫不在、父親不在の日本式家庭に原因があると著者はいう。

 仕事優先の夫に期待しなくなった妻は、子どもを埋め合わせの対象とする。結果、母にとっては息子より理解しやすい娘をがんじがらめにして、自分に縛り付けてしまうのだ。そこで出てきたのが「墓守娘の嘆き」。母に「私が死んだら墓守はお願いね」と託され、その重圧に悩む娘たちだ。そんな娘が結婚して子どもが生まれても、こういう母ならお構いなしのはず。今度は子育てを買って出て、娘も便利なので母にさらに甘える。するとその孫は……。怖い未来図だ。

【2008年7月28日掲載】

http://news.livedoor.com
/article/detail/3754196/


近代日本の終焉とトランス・モダン日本:官僚体制の脱構築と国民経済の差異共振化
近代日本の終焉とトランス・モダン日本:官僚体制の脱構築と国民経済の差異共振化

テーマ:滅びゆく日本と新倫理社会へ

大分県教育委員会幹部にも、また、国民にも、「公」の知性空間がないようである。思うに、一神教なら、超越界から超越神が、個人をみそなわしているという意識がはたらきうる。
 問題は、「公共」空間を普遍化することである。このためには、厳しさが必要である。今日、日本のあらゆる領域で、「公共」普遍空間が喪失している。
 これは、近代日本の終末を意味していると言えよう。ポスト・モダンは、端的には、脱構築主義は、たんに流行で終ってしまったようだ。
 脱構築主義を包摂したトランス・モダンが今日要請されていると考えられる。脱構築主義は、官僚体制を脱構築し、国政を差異化する。この国政差異化によって、国民経済の差異化、端的に、差異共振化がプログラムとなるだろう。
 整理すると、近代日本の終焉とは、明治日本がもっていた個の可能性(プロト・モダン:私は既述したように、明治維新をひとつの日本ルネサンスと考えている。名前をあげるには及ばない、偉大な人物たちが生まれたのである。)を今日失って、単に「近代的自我主義」になり、普遍意識が喪失したことを意味する。個においてこそ、普遍・「公共」意識が成立するのである。個において、真の共同体が形成されうるのである(言うなら、個的共同体・差異共同体である。差異共振体、差異共鳴体と言ってもいい。)。
 新しい個、それは、旧態の「近代的自我」を脱構築し、Media Pointに覚醒したときに生まれるだろう。
 そう、先に述べたが、小泉構造改革は、ある意味では、旧態の日本社会主義的共同体を脱構築・破壊したのである。そして、国民は、不連続的差異になったのである。この不連続的差異が、否定的には、無差別殺人のような形で発現していると思われる。
 結局、新しい政治・経済(国民経済ないしは国民精神経済)は、この脱構築後の不連続的差異の共鳴(新個的共同体主義:Media Point共同体)を目ざすものにならなくてはならない。


 
<大分教員汚職>70万円で採用なら…口利き依頼の両親告白

7月31日2時32分配信 毎日新聞

 大分県の教員採用汚職事件に絡み、長男を教諭にするために、県教委幹部への口利きを依頼して現金など70万円分を知人に渡したとする両親が毎日新聞の取材に応じた。両親のうち母親(64)は「親とすれば『それぐらいのお金で採用してもらえるならば』と思っていた」と話しつつ「今となっては、人として親として、本当に恥ずかしいことをした」とも述べ、親心と良心のはざまで揺れる心境を吐露した。

 長男は他県の大学を数年前に卒業。在学中から大分県で高校教諭になることを目指していたが、そんな時、母親の知人から「教委上層部と仲のいい人がいる。話をしてあげるが、まずはお金がいる」と持ち掛けられた。

 母親は「いくらでお願いしたらいいか」と尋ねたところ「最低でも20万円」との答えが返ってきた。このため採用試験前に知人へ5万円の商品券を、知人の親族とみられる仲介者には現金20万円をそれぞれ渡した。

 長男は、試験は不合格となったが臨時講師に採用された。その翌年と翌々年にも仲介者にそれぞれ現金20万円を支払ったが、本採用にはなれなかった。4年目にも仲介者に5万円を支払ったが結局本採用は果たせず、教諭になるのをあきらめかけたところ、まったく別のつてで私立高校に本採用となった。

 その後は知人とも疎遠となり、母親は「だまされていたかもしれない」と振り返る。

 母親は「もし300万円で絶対先生にしてくれるというのならば(支払っても)いいと、当時は思っていた。悪いことと分かっていてもね……」と話した。父親(63)も「これが親の本音」と付け加えた。

 金を渡したことは忘れていたが、一連の事件の発覚で、当時の記憶がよみがえったという。「私と同じように口利きを頼んだ親はたくさんいると思います」と述べた。【佐藤敬一】
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080731-00000018-mai-soci


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同一性主義としての国家主義と差異共振主義:国家主義からトランス・モダンへ

テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築

これは、正に、差異共振(共鳴)の問題である。イスラエル人の妻とイラン人の夫の結婚という差異共振性を、イスラエルやイランは認めないのである。つまり、両者、同一性主義(国家主義)を楯にしているのである。
 思うに、これは、ギリシア悲劇の『アンチゴネー』を想起させる。国家主義者のクレオンとそれに対する神々の文化に仕える「個」としてのアンチゴーの対立。
 付加的に言えば、先にも述べたが、広義のギリシア神話には、相対立する価値の調和への志向が見られるのである。差異共振主義が見られるのである。これについて、後で検討したい。



イスラエル 夫婦引き裂く法の壁 イラン人夫、行き場失う

7月30日1時18分配信 毎日新聞


夫ハッサンさんが長女を抱きかかえ、笑顔で手を振る写真を見つめる妻イラニットさん=テルアビブで前田英司撮影
 【テルアビブ(イスラエル中部)前田英司】イスラエル人女性とイラン人男性の夫婦が、イランなど「敵国」出身者の入国を禁じたイスラエルの法律によって、別居を余儀なくされている。夫は結婚によってイスラエルを敵視する母国にも戻れず、トルコで不法滞在を続ける日々。幼子を抱えイスラエルで暮らす妻は今月、夫の入国と滞在を認めるようイスラエル最高裁に提訴。家族を引き裂いた国家の扉が開く日を待ち望んでいる。

 「こんなに苦しむと分かっていれば結婚しなかった」。テルアビブ近郊の自宅で、妻イラニットさん(36)はこう言って涙ぐんだ。夫ハッサンさん(41)との間には、長女ベルちゃん(1)がいる。父親の顔を忘れないよう、インターネット経由のビデオ電話に向かうのが日課だ。

 「私は兵役にも就いて国に奉仕してきた。それなのに……」。イラニットさんの怒りは収まらない。

 イラニットさんは、両親が60年代にイランからイスラエルに移住したイラン系ユダヤ人。流ちょうなペルシャ語を話す。05年夏、旅先のトルコ・イスタンブールで、イランから働きに来ていたハッサンさんと出会った。ハッサンさんはイスラム教徒だが、「宗教の違いなど関係ない」と意気投合。06年春に同地で結婚した。

 イラニットさんは結婚を前に、イラン人男性との婚姻についてイスラエル内務省に相談していた。必要書類を提出して審査を受ければ滞在許可が下り、4年後には市民権を得られるはずだった。

 ところが、挙式後の申請は却下され、昨年春に再び申請しようとすると、「時間切れ」だと拒否された。再申請の直前に国会で、イスラエルと敵対するイランやレバノン、シリア、イラクの国民にイスラエルへの入国を禁じる新法が可決、成立したからだ。

 「敵国」から妻を迎えたハッサンさんは、治安当局による身柄拘束を恐れ、母国に戻れないでいる。トルコ滞在ビザの失効後もイスタンブールに残り、建設現場で働きながら生活している。

 イラニットさんを支援するテオドール・シュバルツバーグ弁護士は「出身国だけで一律に入国を禁じるのは間違いだ」と指摘。「この夫婦にはイスラエル以外に安心して住める場所はない」と訴え、人道的な観点からも夫の入国を認めるべきだと訴えている。

 【ことば】ユダヤ人

 イスラエルの帰還法は「ユダヤ人の母親から生まれた者、またはユダヤ教に改宗した人」と定義する。世界中に散らばる人口は約1300万人(07年)。イスラエルに約540万人、米国に約530万人がいる。欧州のほかモロッコやイラク、イエメンなどアラブ諸国にも住んでいる。イスラエルは帰還法に基づき各国のユダヤ人を受け入れており、昨年はイランから約200人が移住した。
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080730-00000002-maip-int

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アメリカの覇権的プラグマティズム

テーマ:東アジア:朝鮮半島・中国・台湾・ロシア

これは、アメリカの通常の外交方法であるが、一見ご都合主義に似ているが、そうではないだろう。アメリカの覇権主義の一環としての、表面的なご都合主義である。思うに、ここには、アメリカ外交のプラグマティズムがあるように思える。そう、覇権のための戦略があり、それに基づいて、「ご都合主義」的に行動していると思う。


米委員会、帰属先「韓国」に戻す=ブッシュ大統領、竹島問題に介入

7月31日8時33分配信 時事通信

 【ワシントン30日時事】米政府機関の地名委員会が竹島(韓国名・独島)の帰属先を「韓国」から「主権未定」に変更した問題で、米国家安全保障会議(NSC)のワイルダー・アジア担当上級部長は30日、「現時点では、変更には正当な根拠がない」として、帰属先を「韓国」に戻す決定が下されたことを明らかにした。
 同部長によると、地名委員会による帰属先変更に関して韓国政府が「極めて高いレベル」で米政府に接触し、見直しを要求。これを受けてブッシュ大統領がライス国務長官に再検討を指示し、帰属変更が覆された。韓国の聯合ニュースによれば、ブッシュ大統領は同ニュースとのインタビューで「すべての紛争は韓国と日本の間で解決されなければならない」と語ったという。
 地名委員会による帰属先変更は韓国で大きな問題となっており、韓国政府は8月6日にソウルで行われる米韓首脳会談で取り上げることも検討していた。ブッシュ大統領は訪韓を前にこの問題に介入、韓国に配慮を示した形だ。 
http://headlines.yahoo.co.jp/
hl?a=20080731-00000031-jij-int


2008年07月29日(Tue)▲ページの先頭へ
全国各地から強烈な放射状雲と赤焼け現象のレポートが続いている。しかし、前駆微震レポートが少ないの
テーマ:自然災害・人災:台風・地震・津波・温暖化

昨日、丹沢山塊の上の西空が異様に鮮やかな朱色の夕焼けで染まっていた。これが、以下で言われる「赤焼け」ということか。
 思えば、亡祖母が関東大震災の起った日の朝、空が真っ赤に染まっていたと、その光景をありありと思い出すようにして、私に語ったことをおぼえている。

参考:帯電エアロゾルと地震
http://www.ne.jp/asahi/ecodb/
yasui/MinusEarthQuake.htm
http://www.e-pisco.jp/index.html
http://homepage2.nifty.com/
syounan_iku/x01.html
 
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★ 2008年7月29日 火曜日 、7時半更新

 今朝も猛烈級体感、昨日あたりまでに大地震が発生すると予想していたが、まだ未発で、まるでスマトラ大震災直前の様相を示している。
 全国各地から強烈な放射状雲 と赤焼け現象のレポートが続いている。しかし、前駆微震レポートが少ないので、日本列島直下型ではないかもしれない。桜島の噴火だけで、このように強烈な宏観が続くとは考えにくく、やはり、これから巨大地震が発生すると確信している。

 なお台風8号が台湾から中国内陸部に向かっているが、現在起きている強烈な耳鳴りや赤焼けとの関連が、どの程度あるか? このコースの経験則が少ないため、判断できにくくて困っている。
 台風は強い負圧により、地殻を吸い上げ、帯電エアロゾルを多量に放出すると思われる。これが赤焼けの原因になる可能性があり、強烈な耳鳴りの原因ともなる。今回の前兆は、前駆微震がないものの、蛇やミミズなど生物前兆が激しく、後は電磁波異常伝播を注視して、震源を予想しようとしているが、非常に分かりにくい伝播が続いている。九州付近については桜島噴火で説明が可能だが、北海道北方の異常が分かりにくい。ここに巨大地震が起きる可能性が強いと思っているが、一向に結果が見えない。
 また巨大地震前に特有の気象擾乱が頻発しているが、日本海側や茨城、神戸など、全国各地に散発していて、これも分かりにくい。

 JA7HOQが、【C夕焼レポが多いが地下からの地球ガス、エアロゾルが多い場合、地震と深い関係のあり、夕焼の色は特有な色を呈する。今回の夕焼はこの色調を含んでいたのだろうか?? 直接、見ていないので判断は出来ないがサイトのUP写真の色は地震直前の色とは違うような気がする。明日、関東でM5.5以上が起きなければ、世界中で毎日見られる、普通の夕焼と云う事になる。局地的大雨、最近にない発雷、更に上空の巨大放電(ジェット、スプライト等)の多発、突風、レーダーでた捉えた降水ナウキャスト、北のH16hpaと南のH14hpaに挟まれた梅雨前線の予想外の大暴れ等があった。「ミー散乱」と呼ばれる、比較的大きな粒子による散乱が関与しておリ、日中の気温などにより大気中の水蒸気量やダストが多くなって、散乱が強くなったとも思われる。繰り返すが、明日、関東で起きなければ、気象的要因、巨大放電等によるものと考えられる。「赤い月」も地震前兆の場合は確かにあるがそうでない場合は多い。】

 と書いているが、筆者の過去30年以上の観察経験から、この判断は明らかに誤りである。小林氏は既存学説の権威主義に染まった方法論が好きなようで、串田氏と同じく先進的な機械や高度な技術的操作と分析だけが科学だと思いこんでいるようにさえ思える。ありふれた日常的観察や宏観現象を軽視しているのではないか? 当初は筆者の耳鳴り予知にも強い否定的見解を持っておられた。戴さんや梶さんがいなければ、いまだに信じていないだろう。仙台高専の管理職や日本無線協会の教職を勤めておられたわけだから、アカデミー学説を否定しようものなら、ただちに追放されるシステムのなかにおられたわけで、食っていくためにはやむをえないとご同情申し上げる。

 しかしながら、既存科学、学会の公式見解というものは、本質的に高度に体制的なものであり、権威主義の利権と結びつき、学者たちの名誉や利権に貢献しないアマチュアの観察・考察が取り上げられることはありえないものだ。それが、正しいか誤っているかなど何の関係もなく、それが「自分の栄誉や利権に、どれほど利用できるか」だけが、アカデミーに承認される基準となるのである。
 アマチュア研究者が、どれほど地震予知を成功させても、それがアカデミーに評価されることなどありえない。彼らは、アマチュアが成果を上げるほどに、それから目を背け、見ないふりをしてみせるのである。自分たちが権威・利権のために莫大な血税を獲得し浪費して積み重ねてきたものが、どれほど愚かな虚構にすぎなかったか、自分で思い知ることが怖くてしかたがないのだ。無視することだけが、彼らの砂上の楼閣を守ることになる。
 過去40年以上、1兆円の税金を使って「地震予知」を研究し、ただの一度も成功していない連中が、正確ではないにしても、日常的に地震接近を確実に指摘しているアマチュア研究者を、「起きる起きると言い続けていれば当たるさ」と愚弄する、世にも陳腐滑稽な構図になっているのだ。

 この意味で、我々は鍵田忠三郎氏の薫陶を受けて過去30年近く、地震雲の観察を続け、大きな成果と絶対的な確信を無数に積み上げてきているわけで、だからこそ、誰にも評価されない地震予知を続けてこられるわけだ。アカデミーが評価しないのでなく、我々がアカデミーを相手にしないのであって、真理を真摯に追求する人たちだけを相手にしているのである。

 「赤焼け現象」について、最初に報告したのは、ネット上では、おそらく1998年頃、筆者によるもので、当時、地震前兆としての赤焼け現象を取り上げたものは他に存在しない。ところが、上の地震情報リンクの「60年前」をご覧にされば、そこに、すでに70年前に、赤焼け、耳鳴りをはじめ、筆者が「発見」したと思いこんでいた、ほとんどの宏観現象が記載されていたことに衝撃を受けた。
 つまり、現在、我々が論議している、ほとんどすべての宏観現象は、70年前に出揃い、明らかにされていたし、戴峰さんの前兆解説書(グリーンアロー出版)にも、ほぼ大部分の前兆が正確に解説されている。その出版に尽力されたはずの小林氏が、どうして、宏観現象を否定的に見ているのか理解に苦しむ。本当に戴さんの本を読んで理解したのだろうか?

 「赤焼け現象」のメカニズムは、空間エアロゾルによって、短波長光線が吸収散乱されることである。赤に近い超波長光線は散乱されにくいために通過して赤く見えることになる。したがって、「空が赤く見える」現象の本質は、空間エアロゾルにあるわけで、その多くは水蒸気によるものだが、それだけでは、ほとんど鮮烈な赤焼け現象にはならない。花崗岩から放出された帯電エアロゾルも加わって、はじめて明瞭な発色が起きるはずだ。
 さらに、地下深くの花崗岩が割れはじめて膨大なピエゾ電荷を分離し、再結合しようとするエネルギーが加わる。つまり、もの凄い誘導電荷が発生し、これが上空の粒子を励起し、発光現象が起きることになる。この両者の色が加わって独特の光彩を演出することになる。これが過去数十年、朝夕の赤焼け現象を観察して得られたメカニズムである。

 したがって、「異常さ」を感じ入るほどの「赤焼け」現象が起きたなら、色調を問わず、すべて地震や噴火など地殻変動由来だと確信している。
 権威主義者が問題の本質を分かりにくくして自分の権威を神秘化したがるるために難解な言葉を多用する傾向があるが、誰も知らない科学用語など使う必要はない。「地震の前には空が赤く見えるようになる」これが、空を毎日観察している者が共通して導き出す結論であり、小林氏の指摘は、科学的な装いを持ちながら強い違和感を覚える。これは耳鳴りを否定していたときの論調と同じで、誰にでもできるありふれた宏観観察の価値自体を否定する権威主義者の立場である。

 ちなみに例外がある。台風の接近によって、強い赤焼け現象が起きることがある。これは大きな負圧が地殻を刺激して帯電エアロゾルを吸い上げるか、風による摩擦電荷が関係しているかもしれないが、まだ、そのメカニズムは分かっていない。地震に似た前兆赤焼けが起きるが、地震は起きないことが多い。もちろん噴火前兆でも激しい赤焼けが起きる。
http://www1.odn.ne.jp/
~cam22440/yoti01.htm

東海アマチュア無線  地震予知研究会


2008年07月27日(Sun)▲ページの先頭へ
官僚支配唯物社会主義という亡国主義を超えて:トランス官僚支配国家統制経済としての資本差異共振主義
私は昨日、用事で、神奈川県相模原市に接している町田の駅(小田急とJA横浜線がやや離れて交差している)で乗り越えたが、昨日の暑気の中、印象では、都心より稠密な人ごみ・雑踏に不快感を感じた。
 地方では人が少なく、東京では、人が溢れている。大店法は問題ではあるが、中枢の問題は、農林水産業、食料問題だと思っている。
 先にも述べたが、補助金が農業を金漬け農業にして、だめにして、地方の活気を奪ったと思う。勿論、WTOの問題がある。どうして、食糧自給率が四割を切っている国が自由化しないといけないのか。EU諸国は、食糧自給率が高いのである。自国で生産された食べ物を中心にすべきが本来的である。日本の大地や海で取れたものを中心にすべきである。やはり、官僚の唯物合理主義が亡国的なのである。

p.s. 補助金というより、米価を国家統制的に高く保持したのが、間違いであろう。米作社会主義である。農業経営者と国家との資本共振関係が必要ということだろう。

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2000年6月に施行された大規模小売店舗立地法の影響は、東京
から1500キロ離れた本土最果ての地でも本格化し始めました。

2008年7月26日 土曜日

◆イオンとノスタルジーの関係 2008年1月30日 プレジデント編集部 九法崇雄

さて、年が明けて1カ月が過ぎようとしていますが、みなさま、どのような年末年始を過ごされましたでしょうか? 私は故郷・鹿児島に帰省していました。正月を実家で迎えるのは3年ぶりのこと。しかし、やすらぎは束の間でした。一昨年結婚し、嫁を連れて帰ってきた弟と比較して、「オレが定年で辞める前には、結婚しろよ!」という父。第一子が生まれたばかりの従兄弟には、「早く親孝行してやれよ!」と言われる始末。悪気のない攻撃は、一番ダメージが大きい。両親には、「結婚するまで2度と帰らない!」と捨て台詞を残し、3日の午前中には鹿児島を後にしたのでした。

 それはさておき、久方ぶりに戻った我が故郷・最大のニュースは、ショッピングセンター・イオンの誕生でした。全国どこへ行ってもみかけるこの巨大艦隊が鹿児島に初上陸を果たしたのは、昨年10月。元日のテレビでは、イオンの初売りで福袋を抱え嬉々とする主婦の映像が流れていました。なんと平和な正月の光景であることか!
 正月2日、特にやることもなかった私は、早速ネタづくりにと行って参りました。まずは、その大きさ(敷地面積110,656平方メートル)に唖然。そして、客層に驚愕。中年夫婦はもちろん、来年30の大台に乗る私とほぼ同年代とおぼしき子連れ夫婦、それよりさらに若い女子校生の集団までもが、"巨大艦隊 "のトリコとなっていました。無印良品、ユニクロ、紅虎餃子房など東京でもおなじみの店を中心とした約200の専門店は、大いに魅力的に映るのでしょう。
 2000年6月に施行された大規模小売店舗立地法の影響は、東京から1500キロ離れた本土最果ての地でも本格化し始めました。地元の商店街は戦々恐々としています。「イオン進出を機に地元は結束を固めつつある。県内一の商業集積を誇る天文館地区は、JR鹿児島中央駅のアミュプラザ開業に次ぐ試練を前に『We Love 天文館協議会』を発足させ、まちの活性化に取り組み始めた」(南日本新聞2007年10月4日 社説)とはいうものの、成果はいつになることやら。今や、中心市街地にあった3つの映画館も消えてしまいました。もはや、集客装置は、飲み屋とパチンコ屋しかなくなりつつあります。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20080726
株式日記と経済展望



[農政ウオッチ]重要品目4%/輸入急増し大打撃
掲載日:08-07-26
 日本の農業界を激震が襲った。世界貿易機関(WTO)交渉で農業分野のモダリティー(保護削減の基準)などを交渉している閣僚会合で24日、欧州連合(EU)が、関税の大幅削減の対象から除外できる重要品目の数で「全品目の原則4%」を提案。米国の支持で交渉の軸になってきたからだ。現在の「たたき台」では、重要品目にできなければ関税を約70%削減しなければならない。一方、重要品目になっても米のミニマムアクセス(最低輸入機会=MA)のような低関税輸入枠の大幅な拡大が待ち受ける。このまま合意するようなことになれば、日本農業が壊滅的な打撃を受けるのは必至だ。

■主要農産物守れず

 「衝撃的な数字だ」。自民党農林幹部の一人は、閣僚会合の現状に言葉を詰まらせた。

 農産物を、例えば米をもみや玄米、精米などのように細かく分類した場合の日本の品目数は全部で1332品目。「4%」なら53品目しか重要品目にできない。日本が求めてきた「10%(133品目)以上」と大きくかけ離れている。

 一方、日本の高関税品目は169品目と言われることが多い。多国間による前回の貿易交渉、ウルグアイ・ラウンド合意に基づく主要な関税化品目に砂糖を加えた数だ。

 またWTO閣僚会合の「たたき台」となっているモダリティー議長案の第3次改訂版は、「一般品目」と呼ばれる重要品目以外の品目で関税が75%超の品目に、約70%の関税削減を求めている。関税75%超は日本では134品目。これを基に試算すると、このうち81品目は一般品目として約70%の関税削減が必要だ。

 ただ第3次改訂版は、条件・代償付きで重要品目を2%分増やすことを認めている。これを適用すれば重要品目を27品目増やせるので、70%関税削減の対象は54品目になる。しかし増やした分の27品目は代償として、低関税輸入枠を国内消費量の0.5%追加拡大しなければならない。

 関税を約70%削減するとどうなるのだろうか。米では、MA以外の輸入に課している現行1キロ341円の関税が102円に低下。最近の価格高騰の影響を除くために過去10年間での中国産短粒種の売買同時入札(SBS)最低価格で関税支払い後の価格を試算すると、玄米換算で60キロ9000円程度になる。国産米の価格を下回り、価格だけ見るとMA以外でも輸入が可能になる。ほかの品目で試算しても、小麦、バターなどの乳製品、砂糖、コーンスターチ用トウモロコシを含むでんぷん、雑豆、こんにゃく・・・・・・と、高関税品目は軒並み同様の事態に陥る。

 このため閣僚会合で日本は、最低限として「原則6%、追加を含めて8%」を強く求めている。

■自給率向上に逆風

 食料自給率を50%以上に引き上げるための工程表をつくる――。若林正俊農相が2日、福田康夫首相に説明したこうした計画も、WTO閣僚会合がこのままの流れで決着すれば、見直しを迫られる恐れがある。

 関税の削減とともに、自給率向上の大きな逆風になるのが低関税輸入枠の拡大だ。第3次改訂版は(1)関税削減率が一般品目の「3分の1」(高関税品目だと削減率23%前後)の場合の輸入枠の拡大幅を、国内消費量の「4〜6%」の範囲で決める(2)関税削減率が同「2分の1」(35%前後)の場合は、「3分の1」の場合の拡大幅より0.5ポイント少なくし、「3分の2」(47%前後)の場合は同1ポイント少なくする――ことを提起した。

 24日の閣僚会合でEUが提案したのは、最大値となる「3分の1」の場合に「4%」。最小値となる「3分の2」だと「3%」になる計算だ。

 これを基に米で試算すれば、現行が年間76万7000トンのMA米は、拡大幅「3%」で100万トン強、同「4%」で110万トン強になる。重要品目に指定すれば、小麦などといった自給率向上の戦略作物を含め、他品目も同様の拡大が必要だ。

 農水省幹部が懸念する。「輸入枠が拡大すれば安い輸入品が増えるので、何もしないと国産が減る。(このまま合意すれば)自給率の大きな引き下げ要因を抱えるため、自給率目標も抜本的に考え直さなければいけなくなるかもしれない」

 閣僚会合で日本は、輸入枠の拡大幅の最小値を「2%」に引き下げ、また米についてはさらに圧縮できる仕組みを認めるよう主張している。
http://www.nougyou-shimbun.ne.jp
/modules/bulletin/article.php?storyid=1641


<ドーハ・ラウンド>裁定案で日本窮地に 支持する国なく

7月26日22時4分配信 毎日新聞

 世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)の非公式閣僚会合で、ラミー事務局長が25日提示した大枠合意の裁定案は、日本にとって農業分野のさらなる市場開放を迫る厳しい内容になった。特に日本が問題視するのは、例外的に関税削減幅を低く抑えられる重要品目の数。だが、日本の主張を支持する国はほとんどなく、裁定案をくつがえすのは容易ではなさそうだ。

 裁定案は、先進国の重要品目数を全品目の4%とし、低関税の輸入枠を拡大した場合に2%の上乗せが認められる。これに対し、日本は8%を譲れない線としてきた。

 日本の全農産品は1332品目。日本が主張する8%が認められれば、現在200%以上の高関税を課している101品目は少なくとも重要品目として大幅な関税削減は避けられる。だが、6%の場合、対象になるのは約80品目。コメ類だけで17品目あり、これに麦や乳製品類を加えると96品目になり6%のラインを超えてしまう。

 重要品目以外は関税を7割削減しなければならず、現在1706%の高関税を課しているコンニャク芋が重要品目から外れれば、税率は一気に約510%に下がる計算だ。そうなれば中国など低価格のコンニャクの輸入量が急増するのは必至で、国内約4200戸のコンニャク農家には死活問題となる。

 現地で交渉に当たる若林正俊農相は裁定案を「非常に不満だ」とし、今後も8%を強く訴える構えだが、米国や欧州連合(EU)は重要品目数について異論はなく、日本は孤立状態になっている。

 閣僚会合には「(決裂すれば)世界経済に大変な影響を及ぼすので、そういうことがないよう努力していこうとの空気がある」(若林農相)といい、自国の主張だけを押し通すのは難しい状況で、日本は極めて厳しい立場に追い込まれている。【行友弥、平地修】
http://headlines.yahoo.co.jp
/hl?a=20080726-00000113-mai-bus_all



関税引下げと食料自給率向上を両立させる農政改革

概要

1.改革の必要性
1)WTO・FTA交渉が進められる中、農産物関税引下げ、国内価格引下げが必要。
2)農業の衰退に歯止めがかからない。食料自給率は1960年の79%から2003年には40%まで低下。

2.日本の農業保護の構造と原因
1)国際比較
・日本の農業保護は高くない。農業保護指標であるOECDのPSE(Producer Support Estimate)は、2003年、アメリカ389億ドル(GDP比0.4%)、EU1,214億ドル(同1.2%)、日本447億ドル(同1.0%)。
・しかし、WTO・FTA交渉において(特に関税引下げに抵抗する)農業保護主義的な国という批判があるのは、保護の仕方が間違っているため。それは余りにも高関税に頼りすぎ、直接的に海外からの輸入を防いでいるからだ。しかも、この保護の仕方は二つの面で日本農業の衰退を招くという墓穴を掘っている。一つは、高関税が米など特定の品目に偏っているため農業資源が高関税品目に向かい、需要のある望ましい品目に向かわず自給率が低下すること、二つには、高関税・高価格に依存しているため、農業の生産性や効率が上がらず、競争力の向上を妨げていること。
PSEは高関税・高価格による消費者負担と農業所得を直接補助するなどの納税者負担の二つの部分からなる。PSEに占める消費者負担の部分は、1986/88年から2003年にかけてアメリカ46% →38%、EU85%→57%、ところが日本90%→90%。アメリカ・EUとも価格を下げ財政による農家への直接支払いへ転換。
2)なぜ、関税依存の消費者負担型農政ができ上がったのか。
所得は売上額(価格×生産量)からコストを引いたもの。米のように需要、売上額が伸びない作物でも、農業の規模拡大等の構造改革を行い、コストを減少させれば、農業所得は確保できるはずだった(農業基本法)。
しかし、実際の農政は米価を引き上げ。その結果、
(1)米は過剰となり、30年以上も生産調整を実施。そのため、農業資源は収益の高い米へ向かって他の作物には向かわず、1960年度から2003年度にかけて食料自給率は低下(反対にフランス99%→132%)。
(2)コストの高い農家も高い米を買うより自ら作るほうが安上がりとなるため、零細副業農家が滞留し規模は拡大せず(40年間で0.9ha→1.2ha、フランス17ha→42ha)。国際競争力は低下。

3.改革内容
農業を保護することとどのような手段で保護するかは別の問題。価格支持政策は零細農家を温存する効果を持つ。これに対し、納税者負担による農家所得補助のための直接支払いは、一定の耕作規模以上の農家に対象を限定して行なえば、コストは削減し、国民経済全体の厚生水準を高め、貿易への歪みを少なくし諸外国との貿易摩擦を避ける。
関税引下げ、国内価格引下げによる農家所得の減少に対応するためには、EUのように直接支払いを導入すればよい。しかし、内外価格差のある中で関税割当の拡大は、低関税の輸入を認めるため、国内生産の縮小をもたらす。食料自給率の向上のためには、関税引下げか関税割当拡大のいずれかを求められる場合は、迷わず関税引下げを選び直接支払いを導入すべき。
1)具体案
農業の効率化を促進させる対象者を絞った直接支払いが必要。現在、稲作副業農家の所得801万円>勤労者世帯646万円、うち農業所得はわずか10万円。主業農家所得642万円(うち農業所得は322万円)で、ここへ直接支払いのターゲットを絞る。
2)政策効果のメカニズム
価格維持カルテルである米生産調整や他の農産物の価格支持政策の廃止→価格低下→高コストの零細副業農家は農地を貸出す(米を作るより買ったほうが安い)→ 農地面積当たり直接支払いを一定規模以上の企業的農家に交付→企業的農家の地代支払能力向上→規模拡大による効率化、コスト・ダウン→価格はさらに低下→ 国際価格へ接近。
3)期待される効果
(1)全ての農産物関税ゼロ(現在米490%)の場合でも直接支払い所要額約1.7兆円。(農業予算は3兆円)
(2)農業保護の消費者負担部分(PSEでは4.7兆円)は価格低下で消滅。WTO・FTA交渉にも積極的に対応可能。
(3)食料自給率の向上
ア.生産調整廃止による米生産の拡大及び米と他作物の相対収益性の是正を通じた他作物の生産拡大。
イ.大規模層に農地をさらに集積していくと、耕作放棄、不作付け、捨作りが解消され、水田の利用率が向上。
ウ.価格が低下すれば、米粉等輸入調製品や飼料用米の需要も取り込むことが可能。関連産業との連携により、生分解性プラスティックやエタノール原料用の米生産を行うことも可能。
(4)担い手農家の所得も向上。
(5)週末以外も農業に専念できる主業農家は農薬・化学肥料の投入を減らすので環境にやさしい農業が実現。

http://www.rieti.go.jp/jp/publi
cations/summary/05050006.html


2008年07月24日(Thu)▲ページの先頭へ
植草一秀氏の指摘する「偽装CHANGE」勢力と差異共鳴社会身体エネルコミー
植草一秀氏の指摘する「偽装CHANGE」勢力と差異共鳴社会身体エネルコミー

テーマ:小沢一郎/民主党と日本の政治

以下、植草一秀氏の『「偽装CHANGE」勢力』の明敏な指摘に十分に注目しなくてはならない。悪徳権力勢力は、非常に狡猾であり(美徳に知的エネルギーを使えと言いたいが)、善良な国民を欺くために、小悪を攻撃する「キャンペーン」を行っているのである。
 また、『「政治屋・特権官僚・外国資本・大資本」の「既得権益勢力」が維持しようとする「巨大利権構造」』の指摘も明快であり、現代日本のガン細胞の患部を剔抉している。
 問題は、国民の精神身体と経済(エコノミーとエネルギーをいっしょにしたエネルコミーという言葉を造語したい)を健康にする政策が必要なのである。多くの国民を犠牲にして、一部の特権層だけが、ずる賢く、悪辣に、利己的に生き延びようとする卑劣な権力体制を解体する必要がある。
 巨大利権構造という同一性構造を脱構築する必要があるのである。そして、国民の差異を共振・共鳴させるエネルコミーが必要である。差異共鳴社会身体エネルコミーである。

*******************

一般公務員を標的に定めた「偽装CHANGE」勢力


居酒屋タクシー、厚労省ネットカフェ、社保庁懲戒職員解雇、大阪府職員給与カット、公用車運転業務問題、などの一連の公務員問題は、「偽装CHANGE」キャンペーンの一環である。

「偽装CHANGE」 勢力が叩くのは「小悪」である。「小悪」を叩くのは「巨悪」を隠すためだ。

「真正CHANGE」勢力は「巨悪」を標的とする。政治を国民の手に取り戻し、国民を幸福にするための政治を実現しなければならない。

   ・・・

「真正CHANGE」勢力は「巨悪VS小悪」の構図を明示する必要がある。

「政治屋・特権官僚・外国資本・大資本」の「既得権益勢力」が維持しようとする「巨大利権構造」こそ、破壊しなければならない対象であることを、国民に分かりやすく伝えなければならない。

「一般公務員労働者」と「特権官僚&天下り・政治屋・大資本&外国資本」のどちらを「真正の改革」のターゲットとするべきかを国民に明示しなければならない。

「小悪に光を当てて巨悪を闇に隠す偽装」を暴かなければならない。
http://uekusak.cocolog-nifty.com
/blog/2008/07/post_601f.html

植草一秀の『知られざる真実』

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2008年06月29日(Sun)▲ページの先頭へ
社会保障費の削減によって、日本社会が地獄化する:自民党、自公党傀儡政権である。日本国民の眠りは続
テーマ:ニッポン亡国の凶相

社会保障費お削減によって、日本社会が地獄化する。思うに、自民党内部に老人の医療・福祉にコストがかかるのを不満に思っている人間が多いと思う。自民党の傲り気質である。
 思うに、額賀財務省は、自身の考えを表明しているのではなく、官僚の冷酷な意見を代弁しているに過ぎないのではないだろうか。どうもこちらの方が的確なようである。
 自民党、自公党傀儡政権である。日本国民の眠りは続くのか。

p.s. とにかく、自爆的な発言できわめて恐ろしい。そんなにも日本の没落を欲しているのか。とにかく、亡国売国自民党・自公党である。
 フランス革命前夜に近くなっているのか。

額賀財務相:社会保障費抑制方針を堅持

 額賀福志郎財務相は29日、NHK番組に出演し、社会保障費の伸びを2011年度までの5年間で1兆1000億円(単年度で2200億円)抑制する政府方針について「3年目で挫折するようでは世界の信任は得られず、国民の将来の不安もぬぐい去れない」と述べた。09年度予算編成に向け、7月末にも示す概算要求基準(シーリング)でも抑制方針を堅持する考えを表明した。

 抑制方針については、自民党の厚生労働族議員から「削減はすでに限界だ」と棚上げ論が出ているが、財務相は雇用保険の国庫負担廃止などを削減候補にあげ、達成可能だと強調した。一方、骨太の方針08に盛り込まれた医師不足や救急医療対策などには「歳出のムダを省き、財源を手当てしたい」と述べ、抑制方針とは別枠で対応することで理解を求めた。

 また、高齢化に伴い増大する社会保障費負担については「勤労者にすべて任せれば、日本経済は沈没する」と語り、今秋の税制抜本改革論議では、消費税率の引き上げを議論すべきだとの考えを表明した。さらに「北欧やドイツの消費税率は20%前後だ。そのうえで所得税や法人税は下げるのが世界の姿だ」と指摘し、消費税増税の際には、所得税の一部負担減も含め、税制全体の見直しが必要との認識も示した。【清水憲司】

http://mainichi.jp/select/seiji/
news/20080630k0000m010045000c.html

財務相「社会保障費の抑制は堅持」


額賀財務相は29日のNHK番組で、社会保障費の伸びを5年間で1.1兆円抑制する方針を09年度の予算編成でも堅持する方針を示した。「始まって3年目で挫折しては世界の信任を得られない」と述べ、具体策として後発医薬品の使用促進や雇用保険の国庫負担縮減を挙げた。

 27日に決定した骨太の方針08は、抑制目標を定めた骨太の方針06に沿って「最大限の削減を行う」としていた。

 また、社会保障費の財源として消費税率を上げる際は、法人税の引き下げや所得税の負担軽減も併せて必要になる、との認識を示した。「消費税率は20%前後で、所得税や法人税を下げてバランスをとるのが世界の姿だ」と指摘。全体的な税体系を見直す際に国際競争力強化などに配慮する考えを示したものだ。

http://www.asahi.com/politics/
update/0629/TKY200806290131.html




2008年06月12日(Thu)▲ページの先頭へ
新聞の社説を廃止し、複数多様な論評を掲載せよ:マスコミのトランス・モダン化へむけて
以下、日本の新聞の社説の典型的なパターンが出ていると思われるので、資料として転載させていただく。
 日本の新聞の社説を読んで、強く共感をもったことはほとんどない、皆無に近い。だいたいは、不快感が生じるのである。というか、嫌悪感が生じるのである。これは、日本人の精神環境によくないし、また、新聞のコストの無駄である。
 以下の記事の首相問責決議案の可決についてであるが、見た、他のいくつかの社説も、同様の内容である。すなわち、問責決議の歴史的意味を指摘するが、基本的には、民主党の戦術が不適切であることを述べている。
 社説はいわば重箱の隅をつついたような内容で、非を見つけて、咎めるのである。いわば、優等生のやり方である。自分たちは、一段高いところに居て、世の中を審判しているというような立場である。これは、一見中立を装っているが、実は、傍観者的なのである。いわば、オリュンポスの神々の地位に居て、世の中を睥睨しているのである。これは、民主主義的視点ではなく、「形而上学」的視点である。自分をガードした保身的な視点である。このような高みの見物的な視点が間違っている。
 次に、具体的には、一見民主党を評価しているようで、時期が悪いということで、非難している。だから、民主党攻撃なのである。確かに、民主党には問題があるが、今というコンテクスト(文脈)を考えると、それは、政治の方向性を形成しないことになる。国民の考えを冷却させてしまう効果があるのである。自民党も悪いが、民主党も悪い。これでは、積極的な主張がないのである。
 積極的政治エネルギーを殺ぐような社説は、結局、御用的であるということになるだろう。社説を廃止して、複数の論評を掲載すべきである。それは、社内・社外の論者にすべきである。批評・解説の多様化が必要である。新聞のトランス・モダン化である。トランス新聞である。トランス・マスコミである。トラコミである。

****************

首相問責決議 なぜ今かが分からない '08/6/12

 首相の信任をめぐる国会の決議にしては、緊張感がない。セレモニーのような軽さだ。

 参院できのう、福田康夫首相に対する問責決議が可決された。民主党など野党は衆院解散・総選挙か内閣総辞職を求めている。現憲政史上初だが、憲法に明記されておらず法的拘束力はない。対する与党は内閣信任決議案を出し、きょう衆院で可決する。

 与野党とも、党利党略を優先した場当たり的な対応ばかりが目に付く。今なぜ問責か。国民が納得できるだけの説明をしているとは到底、言えないだろう。

 野党は問責の理由として、福田首相が後期高齢者医療制度の廃止に応じないことなどを挙げた。七十五歳以上を線引きして新たな負担を求める新医療制度に対する世論の反発は根強い。しかも福田内閣は選挙による信任を受けていない。抜本的な見直しを求めて首相の責任を問い、国民の信を問うことの必要性は一定に理解できる。

 ただ、タイミングには疑問が残る。一週間余り前、衆院解散につながらない問責決議なら見送るべきだとの慎重論が民主党内でも強かった。一変したのは、小沢一郎代表の意向とされる。

 国会の会期末を控え、小沢代表は問責決議で対決ムードを高め、選挙準備を加速させる狙いだろう。九月の党代表選を意識した動きにも見える。だが、問責決議案は、解散・総選挙や内閣総辞職を回避できない状況にまで政府を追い込んだときに出す「伝家の宝刀」のはずだ。決議に賛成した共産党も「今出すことは適切ではない」と表明したほどである。

 きのう予定されていた党首討論を、小沢代表が避けたことも理解しがたい。今なぜ問責決議なのかを、その場で聞きたかった。政権交代を目指すのなら、せめて国民の前で首相の対応を批判し、自説を堂々と押し出した上で問責を決議すべきではなかったか。

 一方の福田首相は、新医療制度の導入で厳しさが増す逆風を、身をかがめてやり過ごそうとしているかのようだ。与党の制度見直し案も抜本的なものではない。衆院山口2区補選の敗北や、八日の沖縄県議選で与党が過半数を割り込んだことを、どこまで真剣に分析しているのだろうか。

 与党惨敗で衆院との「ねじれ」が生まれた昨夏の参院選。弱者にも配慮を求めた民意を受け、市場原理を重視した小泉改革の軌道修正を迫られている。福田首相は、新医療制度への対応のように、小泉路線を部分修正しながら乗り切ろうとしている。本来は解散・総選挙で、見直し方を示して国民に信を問うべきである。その意味でも、問責決議を重く受け止めなくてはなるまい。

 与党が数の力で押し切ることができなくなった半面、妥協や対立の繰り返しで時間を要する「ねじれ国会」。与野党が拮抗(きっこう)しながら政策を争うこと自体は歓迎すべきだろう。問題は、今なぜこうするのか、国民の目線からの説明が不十分なことである。
http://www.chugoku-np.co.jp/
Syasetu/Sh200806120330.html
中国新聞オンライン


問責決議可決 緊張感が乏しいまま

6月12日(木)
 何とも緊張感の乏しい攻防戦だ。

 民主党などが提出した福田康夫首相の問責決議案が参院で可決された。参院から首相に突き付けられた“首相失格決議”である。本来なら衆院の解散・総選挙につながってもおかしくない。

 現実にはそうなっていない。福田首相はかねて、可決されても無視する、と公言してきた。

 衆院で内閣不信任決議案が可決されたときは、首相は内閣総辞職か衆院解散のどちらかを選ばなければならない。これに対し参院の問責決議には拘束力はない。無視することも可能である。

 それでも、参院の意思として首相が「問責」される意味は、決して小さくない。

 与党はきょう12日の衆院本会議で、内閣信任決議案を可決することにしている。こちらは法的拘束力をもっている。参院の問責決議より意味が重いのは事実だ。

 ただし、今の衆院議員は3年近く前の「郵政選挙」で選ばれた人たちだ。昨年夏に半数が改選された参院の方が、より近い民意を反映していると考えるべきだ。

 今年4月に行われた衆院山口2区補選、今月8日の沖縄県議選と、与党は敗北している。内閣支持率も20%を割った。本来なら衆院を解散し、民意がどこにあるかを探るときである。首相が決議を無視するだけでは、政権の信頼性はさらに損なわれる。

 首相が強気でいられるのは、国会審議で野党が政府・与党を追い詰め切れていないからだ。年金記録、ガソリン税の暫定税率、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)など追及する材料に事欠かないのに、追い風にできないでいる。力量不足が否めない。

 民主党の小沢一郎代表はしかも、11日に予定されていた党首討論を取りやめた。首相との直接対決の機会を生かさないとは、理解に苦しむ。

 会期が6日間延長される見通しだ。審議がストップしたままの会期末になる。この間に、東南アジア諸国連合(ASEAN)との経済協定は自動承認となる。重要法案の多くは成立済みで、暮らしへの影響は限られる。

 だからといって、与野党はのんびり構えていてはいけない。衆院議員の任期はあと1年余りで切れる。いつ解散風が吹いてもおかしくない。決戦のときは近い。

 消費税をはじめ、暮らしを左右する政治課題が山積している。政策を磨き国民に訴える努力が、各党にいっそう大事になる。
http://www.shinmai.co.jp/news
/20080612/KT080611ETI09000
5000022.htm
信濃毎日新聞社

首相問責―民意を問う日に備えよ

 参院が福田首相への問責決議を可決した。きょうは衆院が内閣信任決議案を可決する。片や福田首相ではだめだと言い、片やこのままで結構と言う。権力の分裂状況を象徴する二つの決議で、国会は事実上、幕を下ろす。

 首相は総辞職もしなければ、衆院の解散・総選挙もしない。参院の問責決議には法的な拘束力がないからというのは分かるが、内閣を信任するかどうか、政治の基本のところで衆参の意思がぶつかりあってしまうというのは異常事態である。

 どちらに軍配を上げるのか、総選挙で民意に聞くのが筋だろう。それが政権につくものの正統性を確立する道だし、物事を決める力を政治に取り戻すことにもなる。そのことを改めて首相に求めたい。

 だが、内閣支持率が極端に低迷する中で、後期高齢者医療制度への猛烈な逆風などを考えれば、とても解散・総選挙を打てる状況ではない。これが与党内の共通認識だろう。沖縄県議選での惨敗もそれを裏書きしている。

 二つの権力が併存する状態は、とうぶん続くということだ。それでも、この「ねじれ国会」はそう悪いことばかりではなかったのではないか。

 ガソリン暫定税率や日銀総裁人事などで混迷したのは事実だが、難題と見られた国家公務員制度の改革では与野党が歩み寄った。歴史的なアイヌ民族決議など、実りも少なくなかったことは見逃すべきではない。

 「ねじれ」状況の中で、対決と協調が交錯するのは当たり前のことだ。ただ、参院で否決されても衆院で再可決できるという、ほとんどあり得ないような多数を与党が握っていたため、妥協より対決が前面に出がちだった。

 問題は、再可決頼みの政治をいつまでも続けるわけにはいかないことだ。

 この秋には、消費税などの増税をどうするか、負担の問題に結論を出さねばならない。それを先送りしてきたツケが、高齢者医療をはじめ社会保障の制度論議がどれも袋小路に入ってしまうゆがみに表れている。

 来年度から基礎年金の国庫負担が引き上げられる。財源手当ての論議は待ったなしである。問責決議で与野党の対決色は深まり、民主党はなかなか協調姿勢には転じられまい。首相は、こうした問題も3分の2の再可決で押し切れると思っているのだろうか。

 国民の負担増という難問に立ち向かうには、やはり新たに民意を問う必要がある。いつまでも先送りするというのでは政治の責任は果たせない。

 一方の民主党をはじめ野党も、税制のあり方や社会保障などについて、政策の枠組みをきちんと有権者に示すべきだ。それによって与野党の対立軸ははっきりするし、逆に協調すべき政策も整理されてくる。

http://www.asahi.com/
paper/editorial.html

asahi.com


2008年06月02日(Mon)▲ページの先頭へ
感情と同一性:同一性共同体感情意識とは中世・封建的隷従感情であろう:新維新ルネサンスへ向けて
思うに、感情と同一性(自我)は結びついている。そして、同一性感情(自我感情)が、同一性共同体の、いわば、接着剤になっている。
 思うに、小泉元首相を支持した人間は、彼のパフォーマンスに感情移入した、それに同一性感情をもったということだろう。ここには、差異=知性がないのである。
 近代的自我は、差異を排除・抑圧しているので、このような結果を生むのである。いわば、同一性感情自我があり、同一性感情意識をもって納得するのである。
 この同一性感情意識とは何だろうか。今日の日本社会を支配しているものであり、全体主義の基盤である。
 これは、鏡像に没入・感情移入する自我意識と考えられる。では、この没入する感情は何なのだろうか。
 これは、差異一致の感情だろう。微分である。サルやゴリラが、鏡を見ても、自分だとは確認しないと言うが、それは、差異共振の真理から見ると正しいのである。鏡像は、自己ではないからである。
 鏡像に没入する感情とは、いったい何か。ショートである。自己と他者とのショートである。しかし、ショートする元の感情とは何だろうか。一体化する感情だろう。同化感情である。そう、これである。私が問題にしたいのは。同化感情と共振感情はまったく異質である。
 同化感情とは、なにか動物的である。これは、先に述べた、差異一致の同一性感情である。他者と一致する志向性である。つまり、自己を無くす志向性、他者没入志向性である。これは、-(+i)*(-i)⇒-1であろう。オウム真理教の盲目な信徒のようなものである。
 思うに、これは、なにか神秘主義に似るだろう。他者と合一する感情であるからである。しかし、自然に没入しても、それは、実害はないが、カルトの場合は実害があるのである。
 とまれ、日本人には、この他者没入の志向性があるようである。それが、小泉現象の心因・内因だと思われる。
 では、この他者没入性は何なのだろうか。端的に、封建制度における隷従する感情ではないだろうか。中世的感情である。同一性共同体感情である。これが、日本人の集団的心性の秘密だろう。中世・封建的な隷従感情である。主体的知性が喪失しているのである。ここには、個・差異が欠落しているのである。日本には、新ルネサンスが必要である。


2008年04月08日(Tue)▲ページの先頭へ
日本の政治の様態:自由主義、民主主義、国家主義、被植民地主義:差異民主自由主義へ向けて
日本の政治の様態:自由主義、民主主義、国家主義、被植民地主義:差異民主自由主義へ向けて

テーマ:自由主義・民主主義・全体主義・独裁主義

以下の大規模店の問題は、日本の政治層の構成を考えるのに役立つ。
 結局、1)財界型政治層、2)官僚主導型政治層、3)アメリカ中心的政治層、4)民主主義的政治層、他があるのだろう。
 1〜3は亡国売国層でもある。問題は政官財+米国の複合体になっていることである。
 これらの政治層は、国家集権主義(官僚制)と大資本中心的自由主義と米国中心主義の複合体であるが、これらに共通するのは、端的に、父権的同一性合理主義ないし同一性価値中心主義(ロゴス中心主義)である。
 民主主義は従位であり、イデオロギーとして使用される。例えば、ブッシュのイラク民主化政策である。端的に、今日、政治理念では、自由主義、民主主義、国家主義の三つが主要な構成要素であるが、自由主義と国家主義が癒着していて、自由国家主義とでもいうものになっている。
 日本では、国家主義にアメリカ中心主義が結びついているのだろう。だから、日本では、自由主義、民主主義、国家主義、被植民地主義の四つが存していて、民主主義は従位的な位置に貶められている。(これには、いろいろ問題があるが、ここでは言わない。)
 結局、自由主義・国家主義・被植民地主義の複合体が政治の中心であり、それらは、父権的同一性主義である。近代合理主義と言ってもいいだろう。【ただし、自由主義の場合は、近代自由主義と言うべきである。トランス・モダン自由主義の場合は、差異共振主義になると考えられる。】
 とは言え、正確には、大資本主義的自由主義・国家集権主義・被植民地主義の複合体、いわば、三重苦である。そして、思想的には、父権的同一性中心主義(ロゴス中心主義)である。
 ここには、恐ろしいばかりに、差異がないのである。ほとんど、全体主義に近いと言えよう。その複合体には、マスメディアが入るが、それが実質的に情報コントロールしているのである。
 結局、民主主義は普通選挙や代議制という形式があるだけであり、民主主義を精神的に支える差異価値がほとんど見られないのである。
 結局、支配的な複合体は、同一性中心主義で動いているので、差異価値のことがわからないのである。だから、個民ないしは差民が覚醒して、政治を動かして、自らを救済するしかないだろう。
 差異民主主義ないしは差異自由主義を実現する政治を形成する必要があるだろう。略して、差異民主自由主義である。乃至は、差異共同体自由主義である。
 差民一人一人が政治を動かす気概をもつ必要があるのである。近代主義的同一性中心主義からトランス・モダン差異価値へと転換させることがポイントである。
 
******************

郊外型大規模店は、地元の利益を吸い上げ、それを中央(東京)
に持って行ってしまう。地元から、商品を仕入れるわけでもない。

2008年4月4日 金曜日
郊外型大規模店は、地元の利益を吸い上げ、
それを中央(東京)に持って行ってしまう

◆地方都市の商店街の衰退は「格差」の象徴 1月11日 高根文隆

 仕事柄、地方都市によく出かけます。そして、ほぼ例外なく、壊滅状態となった駅前の商店街を目撃します。その度に、哀しいような切ないような感覚に襲われます。
 
 私が生まれ育ったのは山口県の中堅都市で、20年ほど前までは、中心部は県内有数の賑わいでした。

 小さい頃、両親の手を握りドキドキしながら歩いた目抜き通りの賑わい、暖かい人情や独特の雰囲気を発散させていた商店街の人たち…。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20080404

株式日記と経済展望


検討問題:諸考察:1)「気」とは何か:2)心の病と国家集権主義的似非改革、等々

テーマ:検討問題

1)「エーテル体」ないしは「気」(気エネルギー)とは何か

2)心の病と国家集権主義的「新自由主義」との関係:心の病の蔓延は単に内因だけのことではないと考えられる。外因として、国家集権主義(国家統制主義=官僚制)による「新自由主義的構造改革路線」による反民主主義の実態があると考えられる。

3)太母と太父:陰陽と陽陰:これは先に述べた、まったくの思考実験であるが、父権的一神教とは母権的多神教の反転であり、基本は太母主義であり、結局、今日、太父主義が失われているのではないのか。太父主義は、陽から陰、同一性から差異へと転移する志向性である。
 先に述べたが、聖書において、ヤハウェが太母の反転であり、エローヒームが太父ではないのか。二つの原神があるのはないのか。
 精緻な検討を後で行いたい。

4)ラディカルな差異主義の可能性:私は同一性を包摂する差異(差異共振主義)を唱えているが、同一性を仮象と見る立場からすると、いわば、差異絶対主義が考えられるだろう。プラトン哲学には、この面が見られる。現象への強い懐疑である。
 結局、問題は、同一性とは何か、ということになる。有り体に言えば、果たして、同一性とは幻想ではないのか、という疑問が浮かぶということである。これは、ヒンドゥー教を含めたインド哲学や仏教の考え方に近い。
 そう、端的に言えば、現象はマーヤーであるという問題である。これは、また、「見る」とは何かという問題でもある。また、物質感覚身体の問題でもある。
 情の問題でもある。情はエネルギーの取得の欲望がある。本来的に欠落しているのである。現象化とは、エネルギーの不足の事態であり、エネルギー獲得がいわば生存の意味である。
 このエネルギー獲得の方法が人類の知を発達させたと言えよう。これは、当然、戦争の発展も意味するのである。
 内的なエネルギーの不足とは、根源的なルサンチマンを意味するだろう。とまれ、端的に、同一性とは何か、である。


2008年03月17日(Mon)▲ページの先頭へ
現代日本の近代的自我的全体主義の暗黒の原因について:二つの同一性主義支配と父権同一性共同体と母権多神教
現代日本の近代的自我的全体主義の暗黒の原因について:二つの同一性主義支配と父権同一性共同体と母権多神教

1) 超越エネルギーと同一性主義

2) 一神教と多神教と父権的共同体(アジア的父権共同体)

3) 近代民主主義からトランス・モダン民主主義への転換の必然性:自由主義と民主主義:個人主義と共同体主義

4)間(ま)とは何か:+iと-iの共鳴様相におけるゆらぎ(クリナーメン?、ブラウン運動?)によって発生する「差異」ではないか:天と地の共振様態におけるズレが間ではないのか。これは、実に東洋的である。クラシック音楽(classical music)において言うと、ウィーン・フィルの音楽性は、間があり、東洋的なのである。それに対して、ベルリン・フィルは機能主義であり、間は少ないのである。(しかしながら、最近のベルリン・フィルは活き活きとしている。これは何か。クラシック音楽の活性化。)ついでに言うと、バッハ音楽が間の音楽である。差異共振性の音楽である。『フーガの技法』が最高である。

5)+1と−1と0(ゼロ)の関係:±1で二項対立を形成するのではないか。例えば、+1が男性で、-1が女性であるというように。あるいは、右と左である。問題は、同一性と差異の場合である。これは、二項対立にはならないだろう。±1で同一性による二項対立を意味するならば、差異は、0(ゼロ)ではないのか。つまり、この場合の差異とは、ポスト・モダン的差異であるが。構造主義とは端的に、±1の二項対立形式を意味するだろうし、それは、先に述べたように、ヘーゲル弁証法力学と等価である。ポスト・モダンないしはポスト構造主義とは、0(ゼロ)を取り出したと言えよう。+1と-1の和としての0(ゼロ)ではないだろうか。ドゥルーズはこれを微分=差異という連続的差異にしたし、初期デリダは、±1が0(ゼロ)をいう痕跡(差延)をもつことを指摘して、二項対立を脱構築したのであろう。この0(ゼロ)は、思うに、ハイデガーの存在である。だから、以前示唆したように、ポスト・モダンの先駆者はハイデガーだと考えられる。因みに、これも既述済みであるが、フッサールは0(ゼロ)からさらに虚軸へと超越した領域(超越論的主観性)に達したのである。これが、フッサール現象学のブレークスルーの意味であるが、それをハイデガーが閉ざしてしまった。しかしながら、後期ハイデガーは、0(ゼロ)を超越しようとしていたと思われるのである。存在の開いた明るみ(?)のようなことを言っているが、それは、Media Point のもつ「光」を示唆するように思えるのである。しかしながら、私の直感では、それは、不十分なMedia Point である。何故なら、単に虚軸のMedia Point であり、実軸が否定されているように思えるからである。つまり、前期ハイデガーと後期ハイデガーでは分裂していると思えるのである。つまり、前者は実軸だけのMedia Point を、後者は虚軸だけのMedia Point を説いているように思えるからである。だから、偏頗なのである。というか、歪曲があるのである。どうも、ハイデガーには病的な性格があったように思えるのである。つまり、本来、差異共鳴イデアは、垂直から水平へと共振的に展開するのに、その転換性を否定しているからである。現象への憎悪・ルサンチマンがあるように思える。

6) コミュニケーションが今日注目されているが、問題点は、それが同一性や連続性をもっていたら全体主義になりやすいことである。個・差異があって、対話的コミュニケーションが形成されるのである。個ミュニケーションである。

7) 現代日本の近代的自我的全体主義の暗黒の原因について

やはり、既述したように、連合国占領軍の日本支配の意向と戦前からの国家資本主義(官僚主義的資本主義・父権共同体的資本主義)の売国奴の欲望との結託が、原因ではないだろうか。簡単に言えば、アメリカの日本支配意志と国家資本主義売国奴の欲望の癒着である。前者は、思想的には、ユダヤ・キリスト教的同一性主義であり、後者は父権共同体の同一性主義である。つまり、同一性主義で癒着しているのである。
 言い換えると、二つの父権的同一性主義権力が日本を支配しているのである。戦後民主主義の背景がこれである。この二つの同一性主義の支配権力暴力(威嚇・脅し)が国民生活に影響しているのである。そう、同一性主義権力暴力が支配しているのであるから、国民は受動的であると、これらに支配されるのであり、その支配権力を内在化させてしまうのである。つまり、支配権力のコピーになるのである。同一性模倣(自己同一性・自我模倣)である。つまり、戦後日本人は、二つの同一性主義権力暴力によって、それを内在的にコピーしているのである。本来、支配される国民が、支配する同一性主義をコピーして、内在化(感染)しているのであり、支配されるものが、支配するものの形式を取っているのである。これは、この被支配的支配的自我に戦後日本国民、とりわけ、東京人はなっているのである。
 そして、この被支配的支配的精神様態に三島由紀夫は断絃の時を見たのであるが、これが、私のテーゼの「近代的自我は狂気である」の意味でもある。明治維新においても、確かに父権的同一性主義があるが、ベースには、母権多神教(母権的多神仏教?)があったのであるが、戦後において、この基盤が徹底的に抑圧されたのである。だから、三嶋由紀夫の戦後批判が正しいのである。
 とまれ、この二つの父権的同一性主義支配によって、日本人の精神は亡国的になってしまった。自己文化の基盤・源泉を忘却・喪失したからである。因みに、日本固有文化の母権多神教とは、差異文化・差異共振文化であり、それは、同一性文化ではないのである。問題はそれが衰退していて、復興をしていないことにあるだろう。明治維新変革は確かに、一つの復興であったが、連続性によって、全体主義へと展開してしまったと思えるのである。つまり、根源の母権多神教と明治政府権力の父権的一神教(「天皇制」)が連続化して、全体主義を生み出してしまったように思えるのである。
 母権多神教が本来、差異共振性であり、同一性主義とは不連続であることを認識していなかったのである。
 そう、ここで、超越エネルギーと同一性主義のショート(短絡)の問題(狂信性・カルト)について述べるのが適しているだろう。Media Point と自己同一性(自我)とが不連続であることが認識されていないと、母権多神教は連続的同一性化して、全体主義になると思われるのである。いわゆる、一体感を求めて、国家資本主義的同一性主義支配権力と同一性化するのである。これが大東亜共栄圏や八紘一宇の意味であろう。
 つまり、超越エネルギーと同一性主義のショート(短絡)とは、連続的同一性にあると言えよう。つまり、Media Point ないしは母権多神教は同一性主義のもつ連続的同一性志向によって、全体主義化するのであり、この全体主義化が、ショート(短絡)である。狂信やカルトと通じるのである。
 そうならば、何が問題なのか。欧米文化は自由主義/民主主義を保持しようとし、全体主義を抑える努力をするが、それは、基盤に、不連続なMedia Point を意識しているからではないだろうか。必ずしも、理論的には認識されてはいなくとも。個と同一性主義との根本的違いが意識されているからではないか。というか、根本的に、個=Media Point がベースにあるのである。つまり、特異性が基盤にあるのである。ここから同一性自己(自我)へと展開するのが、西洋近代文明なのである。そして、この西洋近代文化の特異性はルネサンスとプロテスタンティズムが形成したのではないだろうか。前者は母権多神教であり、後者は父権一神教である。両者の共振によって、西洋近代文化の個=特異性が形成されたのではないのか。
 この特異性があるので、連続的同一性による全体主義化を回避する努力をするのではないだろうか。それが、自由主義や民主主義の本来の意味であろう。
 では、日本近代の場合はどうなのか。日本的個・特異性の形成は成立したのか。少数者においては形成されたのは確かである。漱石等の作家や宗教家や哲学者においてである。
 しかしながら、明治近代主義は、明治以前の父権共同体(封建制)を継続しているのである。この父権共同体が同一性主義であり、これが、国民にも支配的であったと思えるのである。つまり、明治維新は一つのルネサンスではあったが、不十分なルネサンスであったと考えられるのである。つまり、個・特異性の解放が天才的な少数者に限定されていたと思えるのである。
 結局、不十分な個・特異性の形成があるために、戦後民主主義は、二つの同一性主義権力の影響下にあって、個的民主主義ではなく、同一性民主主義(似非民主主義)という形骸化したものになってしまったと言えるように思えるのである。
 日本文化は、本来、差異共振主義であるが、それが、父権的同一性共同体によって抑圧されてきたのであり、そのために、国民一般に個・特異性の意識が喪失されていると考えられるのである。父権的同一性共同体とは、おおまかに言えば、儒教体制(儒教制)であろう。儒教制が、今日でも、姿を変えて、日本古来の差異共振主義(母権多神教)を抑圧支配しているということになろう。西洋文化史におけると同様に、日本においても、母権制と父権制の争闘があるのであるが、それが、見えにくくなってしまっているのである。結局、日本文化は、母権統合型父権主義である。そして、戦後において、基盤の母権制が否定されて、今日、亡国的状況に陥っているのである。母権多神教の危機なのである。神道・神仏文化が母権多神教を保持してきたのである。やはり、神道・神仏ルネサンスが必要なのである。

上條恒彦&六文銭 / 出発の歌〜失われた時を求めて〜


 
出発の歌 〜失われた時を求めて〜


歌手:
上條恒彦・六文銭

作詞:
及川恒平

作曲:
小室等

乾いた空を 見上げているのは誰だ
お前の目に 焼きついたものは化石の街
愛の形が 壊れた時に
残されたものは 出発の歌
さあ 今
銀河の向こうに飛んでゆけ

乾いた空を 
見上げているのは誰だ
お前の耳を 
塞がせたものは 時計の森
自由な日々が失われたときに
残されたものは 出発の歌
さあ 今
銀河の向こうに 飛んでゆけ
さあ 今
銀河の向こうに 飛んでゆけ

※さあ今 宇宙に 
さあ今 未来に
さあ今 宇宙に 
さあ今 未来に 飛んでゆけ※

(※くり返し)

http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=5850

余談:この歌詞が六文銭の及川恒平氏のものとは知らなかった。すばらしい詩である。また、リードギターも艶のある音ですばらしい。
 この曲も70年代初期である。ポピュラー・ミュージックの可能性が70年代後半から潰されていったと言えよう。


2008年03月13日(Thu)▲ページの先頭へ
多神教理念(多神教モデル)について:天と地との共振:新多神教モデルとトランス・モダン政治経済
一神教理念(以下、一神教モデル)では、天地の二元論化が明確である。超越神が存して、天と地とは絶対的に区別される。
 しかしながら、多神教理念(以下、多神教モデル)では、天地は絶対的に峻別されない。ここは、微妙な箇所であるが、多神教モデルでは、天と地とは、例えば、巫女を介して、交信することは可能なのである。つまり、シャーマニズム的なのである。(因みに、mediaの単数形のmediumの語源は霊媒である。)神懸かりを通して、神と通じることができるのである。神道が正にそういうものである。古神道と言うべきか。
 それは、プラトニック・シナジー理論では、差異共振性として理解できるのである。そう、巫女とは、+iと-iとの共振を起すMedia Pointの体現者と言えよう。言い換えると、+1と-1との連続同一性現象を超えて、Media Pointの心魂的様態に転換して、天地共振様態(神懸かり)になるのだろう。【明らかに、宮沢賢治、三島由紀夫はシャーマン・タイプであろう。夏目漱石にも感じられるが。思うに、大江健三郎もこのタイプであるが、戦後近代主義イデオロギーに洗脳されてしまった。何度も言うが、三島が言う「断絃の時」とは、この天地共振文化の喪失、多神教モデルの喪失を指していると考えられる。また、補足すると、出雲の阿国も一種シャーマンであろう。また、円空もシャーマンであろう。当然、空海もそうである。日本シャーマニズム文化があるのである。『源氏物語』に出てくる物の怪は正にシャーマン文化の証しである。p.s. より正確には、シャーマニズム/アニミズム文化である。】
 この多神教モデル(正確に言えば、前多神教モデル、ないしは前宗教的モデル)の天地共振様態を否定するのが一神教モデルである。例外が預言者や神人であるイエスである。徹底しているのがイスラム教である。【もっとも、キリスト教の聖霊とは、思うに、このシャーマニズムと類似すると思うのである。既述したが、三位一体論は虚構である。三位三体論が正しい。】
 そして、先に、一神教モデルは、自己認識方程式で明示されていると述べ、多神教モデルは未解明のままであるので、ここで検討したい。【イスラム教は、一神教と多神教の中間であると思われる。アッラーはヤハウェとは異なるのである。アッラーはMedia Point的だと思われるのである。イスラム教のタウヒード(一性:いつせい)は、Media Pointにおける一性であると思われるのである。】
 自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1を変形して、多神教モデル方程式として、(+i)*(-i)⊃+1ないしは(+i)*(-i)⊇+1が考えられないだろうか。左辺が右辺を含むのである。そうすると問題は、等号のときである。等号のときが、神道で言えば、天照大神と日御子(「天皇」)との一致ではないだろうか。エジプト神話で言うと、イシスとオシリスとの一致、ニーチェ的に言えば、ディオニュソスとアポロの一致である。
 議論が少し脱線するが、この等号と、一神教モデルが重なるのである。これが、天皇制の起源であろう。つまり、多神教モデルと一神教モデルが重層化されるのである。混淆であるが、混同でもある。おそらく、このために、多神教から一神教への発展という宗教史観が生まれたのではないだろうか。とまれ、本件のテーマには一応答えたので、後は、随想したい。
 多神教モデルとは天地共振モデルであり、これは、正に、古代的宇宙観なのである。また、私見では、西洋においては、イタリア・ルネサンスでこれが大復活したのである。【因みに、よく言われることであるが、アルプス以北(西欧)とアルプス以南(南欧)は、文化が質的に異なると見るべきである。端的に言えば、西欧とは父権一神教的であり、南欧とは母権多神教的であると思う。聖母マリア信仰は南欧的であり、地中海の女神信仰に拠る。補足すると、イギリスの場合、複雑になるのは、基盤にケルト文化があると考えられるからである。即ち、ケルト文化は母権多神教文化なのである。イギリス文化の矛盾撞着があるのである。私見では、イギリス文学にファンタジーが顕著なのは、これに拠るのである。】
 経済においては、おおまかに言えば、多神教モデルは共同体経済であり、一神教モデルは自由主義経済であろう。しかしながら、多神教モデルは近代主義の連続性によって、社会主義化してしまった。そして、一神教モデルは、ポスト・モダン的反動によって、新自由主義化してしまった。
 結局、提唱している差異共振経済(Kaisetsu氏の市場化された場における共同体主義に相当する)は、一神教モデルを包摂する多神教モデル経済であると言えよう。言い換えると、近代的同一性を包摂した差異共振経済である。トランス・モダン・エコノミーである。
 結局、今日、アメリカは一神教モデル経済の行き詰まり、日本は多神教経済(連続化した多神教モデル経済である社会主義経済)の行き詰まりがあると思われる。アメリカのオバマ氏の動きを見ると、また、多極化路線を見ると、それは、新多神教モデルであると思われる。即ち、差異共振経済である。トランス・モダン・エコノミーである。
 日本はいち早く、旧態の連続化した多神教モデルから脱皮して、新多神教モデル経済へと転換すべきである。自民党は、旧多神教モデル経済である。
 経済と宗教モデルとの関係については後で再考整理したい。

p..s. 多神教モデルとは、天地共振様態であると言ったが、日本経済の場合どうして、社会主義的になるのかと言えば、結局、多神教モデルが父権化されたものになっているからだろう。上で述べたように、日本文化は、厳密に言うと、多神教モデルの基盤の上に、父権モデルが乗っているのである。この父権モデルは一神教的と言えるが、啓典の宗教のように徹底していないのである。これが、おそらく、日本経済の堕落の原因であると思う。言い換えると、多神教モデルと父権モデルの癒着が今日の社会主義的資本経済を生んでいるのである。
 中途半端な父権モデルないしは一神教モデルを解体して、新多神教モデル経済、トランス・モダン経済へと転換すべき必要があるのである。そう、自民党が、この多神教的父権モデル経済を政治的に体現してきたと言えよう。大局的に見れば、やはり、儒教的経済だと思う。脱儒教・新多神教モデル経済へと転換すべきなのである。

p.p.s. 日本経済を儒教的経済というのは短絡的であり、間違いだろう。そうではなくて、多神教モデルの基盤に乗った父権モデルが、明治維新日本文化であり、戦後は、多神教モデルが解体されて父権モデルに近代主義が結合した形になっていると言うべきであろう。
 だから、日本経済復活のためには、やはり、根源・基盤の多神教モデルの復活が必要なのである。やはり、新神道が必要である。換言すると、新東洋化である。東洋・日本ルネサンスである。


2007年12月13日(Thu)▲ページの先頭へ
心の闇:現代日本人に感じられる心の暗黒:死せる魂と不気味な闇
心の闇:現代日本人に感じられる心の暗黒:死せる魂と不気味な闇

テーマ:ニッポン亡国の凶相

現代日本は、暗い。心の闇が広がっている。あるいは、せいぜい灰色の心があるだけである。
 不気味な闇、灰色の心、これは、心の「神」を否定した結果である。戦後の近代合理主義/民主主義が、心を魂を凍らせているのである。そう、凍って闇になっているのである。心が冷たい石のようになっているのである。
 これは、アメリカ的近代合理主義から来ている闇である。金の亡者の心の闇から来ているのである。自らの心の動きを信ぜず、ただ数量化された数字から判断する冷たい闇の心から発しているのである。
 これが、戦後日本を襲ったのである。冷たい体である。超越光=御神火がないのである。
 火の復活が必要である。超越光の新生が必要である。そう、光とは火である。火かりである。

火かりを亡くした日本人の心の闇
深い不気味な心の闇
冷たい灰色の心
冷たい身体
ご神火・超越光をともす必要がある。

おそらく、現代世界は滅びる必要があるのだろう。
新大洪水の時代である。

誰がこんな日本にしたのか
こんな闇の日本にしたのか
それは日本人に勇気がないからである
怯懦であるからである
死せる魂の日本人
心の神を否定した日本人
神無国

心の神の音楽を聴くのを忘れた日本人
心の神の光を見つめるのを忘れた日本人
そう、心の神は、計量・自我化できない。それは、ただ、あるのである。
心の神はただそれを認めるしかない存在である。
心の神を迎えること、心の神がマレビトである。

そう、心の神を排除しているから、日本人は、
権力を恐れているのである。怯懦なのである。
心の神の否定と奴隷・家畜とは一体である。
心の神を恐れているので、権力を恐れているのである。
心の神の影が権力なのである。

心の神が復興力である

端的に、何が、心を冷たくしているのか、闇にしているのか

心の冷暗は何が生んでいるのか

そう、三島の言った断絃の時、

心の音楽の喪失があるのである。

心の音楽とは何か

それは、神仏の音楽である。

心の御音が聞こえないのである。

「木にだにも 御形移すありがたや 法の御音は 谷のひびきか」

円空 円 空

http://www.vill.tenkawa.nara.jp/
sightsee/tenkikawa/yukari.html

「木にだにも 御形(みかた)を移す ありがたや 法(のり)の御音(みおと)は 谷のひびきか」
http://www.econavi.org/weblogue
/special/30.html


2007年11月25日(Sun)▲ページの先頭へ
小沢一郎の政治的知性の基盤はMedia Pointにあり、差異と同一性の両極性があるだろう
小沢一郎の政治的知性の基盤はMedia Pointにあり、差異と同一性の両極性があるだろう

テーマ:小沢一郎/民主党と日本の政治

小沢一郎は、その言動が読みにくい政治家と考えられているが、私はこれまで、二面性を説いてきたし、また最近、差異共振的自由主義(Kaisetsu氏の「市場化された場における共同体主義」)を志向している政治家ではないかと考えている。
 つまり、差異と同一性の関係だが、ポスト・モダンのように、差異が連続的差異ではなくて、差異共振性だと思われるのである。だから、小沢一郎の政治的知性は、基盤としてMedia Pointにあり、一方では、同一性に振れるし、他方では、差異に振れると思われるのである。前者は、二大政党制であるし、後者は大連立である。ただし、前者の場合は、近代合理主義が関与している。つまり、小沢一郎の内部で、明確に、Media Pointが意識されていないと思われるのである。同一性を差異共振性が包摂するというのではなく、連続化した同一性になっていると思われるのである。つまり、差異共振性と連続的同一性の矛盾が露呈することになると思われるのである。
 思うに、差異共振的政治理念が明確にならなくてはならない。差異共振制である。略して、差共主義である。


2007年11月07日(Wed)▲ページの先頭へ
思うに、いちばんいいのは、小沢氏のよい面である国民差異主義と、その他の政党の国民差異主義が統合す
今回の小沢氏の辞意撤回で、小沢氏は、自民党や民主党の両方に睨みを利かせることができるようになったのではないだろうか。
 小沢氏は、二面性の持ち主、善と悪の持ち主である。アブラクサスである。アメリカにとっては、辞意撤回の方が、不利である。
 しかしながら、問題は一つは捩れ国会である。膠着状態となり、国民生活に被害が及ぶ。今度の衆院選挙が大岐路である。
 宗主国アメリカはいろいろ情報操作してくるだろう。しかしながら、ブッシュ政権ももう終焉が近い。郵政民営化凍結と財政再生、これが、ポイントである。
 思うに、いちばんいいのは、小沢氏のよい面である国民差異主義と、その他の政党の国民差異主義が統合することである。つまり、民主党でも、自民党でもない、第三の政党を創ることである。国民党ないしは自由国民党である。もっともその余裕があるのか、である。世界は大転換する、いわば、相転移のエポックを迎えているだろう。つまり、差異共振主義である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「私にとって最後の一戦」小沢代表の辞意撤回理由全文

2007年11月07日18時37分

 民主党の小沢一郎代表が、同党両院議員懇談会で辞意撤回を正式に表明した。鳩山由紀夫幹事長の説明と小沢代表の発言は以下の通り。

 【鳩山由紀夫幹事長】 小沢代表が新たな気持ちで続投して頂く決意を固めて頂きました。(よっしゃー、拍手)。ご意見一つ一つをすべて小沢代表にご覧頂いた。菅、輿石代行と共に、我々の思いはこうだと皆様方の思いを説明した。両院議員の皆様の、日本を、国の未来を大変心配する中、恥を忍んでと。参院選挙は勝利したが、いつ解散総選挙があるかもしれない。国民が期待する政治をつくりだすために、小沢代表に新たな決意で臨んでもらいたい。私どもが日本のおやじと敬愛する小沢代表にリーダーシップを果たして頂くようお願いし、私の報告とする。

 【小沢一郎代表】 このたび党首会談をめぐり、国民、民主党の支持者、党員、同僚議員に多大のご迷惑をおかけしたことを心よりおわびする。皆様のご叱正(しっせい)を頂き、二日間沈思黙考し、私の政治生命を来たるべき総選挙にかけると決意した。

 ご承知の通り、いまだなお、不器用で口べたな東北気質だ。振り返るとそれが今回の混乱の一因では。当初から党員、国民に私の思いを打ち明け、丁寧に説明すべきでなかったかと思う。国民、党員、同僚の皆様に私の思いを率直に語る。

 私は14年前、自民党を離党し、日本に議会制民主主義を定着させ、国民のための政策を実現する仕組み作りを目指した。これが14年間の私の唯一の行動原理で将来も変わることはない。次の総選挙で民主党政権を実現しなければ死んでも死にきれないと必死だった。幸い先の参院選で参院の第一党という極めて重い地位をいただいたが、その大勝利の瞬間から二つの思いが深くなった。

 一つ目は次の衆院総選挙では何としても必ず勝利し、絶対に民主党政権を樹立しないといけないが、参院選勝利後の楽観的考え方では勝利がおぼつかない。前回の3倍の議席で勝つことが絶対条件だ。この厳しい現実を直視しないで総選挙勝利はあり得ない。参院選勝利の余勢で勝てるほど甘くはない。正直参院選の全国遊説では、日常活動をもっとやれと厳しく言われた。自民党に負けない活動で国民の理解、支持を得てもっともっと強くなるのが総選挙勝利の最低条件だ。

 次の総選挙は敗北は許されない。その責任の重さと党の現状への危機感を私は毎日かみしめてきた。次の総選挙が私にとって最後の一戦であることは間違いない。

 衆院では自民党が圧倒的多数を占める衆参ねじれ国会で、マニフェストで約束した国民生活第一の政策をどうやって実現するかだ。参院の同僚が一生懸命努力して法案を作り、いくつかの法案が可決し衆院に送付されるが、ねじれ国会では年金、子育てといった民主党の主要政策は実現困難だ。これで国民に許されるか、次の総選挙に勝ち、ねじれを解消するまでお待ち頂きたいと言い続けられるだろうか。国会の半分を担う民主党の責任への思いが深くなった。

 この二つを同時に解決する方法はないか。場合によっては、政権の一翼を担えば、私たちの主要政策がいま実現し、政権担当能力を目に見える形で国民に示し、総選挙で勝つ可能性が高まるのではと考えた。最難関の安全保障で最大限の譲歩を示し、連立を打診されたとき、二つの課題を解消する一つの方法と考え、政策協議について役員会に話した。しかし政策協議に応じず、政権交代を目指すとの声が多く、私は直ちに福田首相に伝えた。

 今思えば、それで総選挙に向けて頑張ろう、私が先頭に立つと、まとめればよかったと考え、反省している。しかし、その後いろんな憶測や誤解で混乱が生じたのでけじめをつけないといけないと思い、代表辞職願を提出した。いかにも不器用なやり方だった。しかしそれにもかかわらず三役、衆参両院議員が混乱を治めてくれた。心から感謝する。みなさまのご厚意に私も新たな覚悟を持って答えないといけない。もう一度代表を務め、最後の決戦にあたりたい。どうぞ皆さんご協力お願い申し上げます。

 そして、本日を再スタートの第一歩とし、菅さん、鳩山さん、輿石さんとともに衆院選挙対策本部を立ち上げ、衆参一体の選挙協力態勢を確立したい。

 一年半前、私は自分が変わらないといけないと約束した。死にものぐるいで頑張る。みんなで政権交代に向けて頑張ろうではありませんか。

 最後に国民におかれても、政権交代を実現し、国民生活第一の政策を実行するためのご支持をお願いします。

http://www.asahi.com/politics/
update/1107/TKY200711070289.html




2007年10月27日(Sat)▲ページの先頭へ
initiativeの意味
The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative (Regulatory Reform Initiative)のinitiativeという言葉がわかりにくい。以下、OEDから転載する。
 通常は、訳さずに、カタカナでイニシアティブと呼ばれているが、これでは、意味不明である。なにかを積極的、主導的に行なう能力・力・権利・権力等を意味している言葉である。しかし、問題は、以上のように使用すると、政治的な主体が感じられるようになる。例えば、積極行使政治局のようにである。しかし、そのような意味はもっていない。非常に、観念的、精神的、理念的な表現である。端的に言えば、積極性/積極的能力、主導性/主導的能力、積極的行使力/実行力である。だから、上の英語は、米日規制改革・競争政策積極(主導)的行使【規制改革積極(主導)的行使】となるだろう。(p.s. 米日規制改革・競争政策主導権がいいだろう。)
 これは、PS理論から言うと、Media Pointからの同一性の力動を意味するのである。同一性力学である。権力・強制力である。
 これに対抗するには、理路整然と対抗するしかない。きちんと日本側の政策を説明して、肯定すべきは肯定し、反対すべきは反対すべきである。これに従う必要はまったくないが、しかし、たいへんな圧力であることは変わりない。腰抜け、腑抜け、売国奴の政府ではだめである。新黒船である。自民党幕府の倒幕が必要なように思える。
 維新、トランス・モダン維新が必要である。

p.s.  U.S.-Japan という言い回しであるが、これでは、アメリカと日本で具体的な内容を協議して決めたような意味あいであるが、これは、米国の日本に対する、つまり、アメリカ・対日ということである。だから、米国・対日規制改革・競争政策主導権と訳すべきである。少なくとも、米日間規制改革・競争政策主導権である。


initiative n.

[a. F. initiative (1567 in Hatz.-Darm.), f. as initiative a.]

1. That which initiates, begins, or originates; the first step in some process or enterprise; hence the act, or action, of initiating or taking the first step or lead; beginning, commencement, origination.
on ones own initiative, by ones own origination.
1793 W. Godwin Enq. Pol. Justice iv. viii. 351 A sensation of pain was the initiative, and put my intellectual powers into action.
180910 Coleridge Friend (1837) III. 118 From the absence of the leading thought, which, borrowing a phrase from the nomenclature of legislation, I may not inaptly call the initiative.
1818 Method in Encycl. Metrop. (1847) 7 There are many marked differences between Mathematical and Physical studies; but in both a previous act and conception of the Mind, or what we have called an initiative, is indispensably necessary, even to the mere semblance of Method.
1858 J. H. Newman Hist. Sk. (1873) III. iii. iv. 324 Theodorets visits to Antioch..were not made on his own initiative.
1882 Farrar Early Chr. II. 505 Men who had followed the noble initiative of St. Paul, and who refused to receive anything from the Gentiles to whom they preached.
b. to take the initiative (F. prendre linitiative, 1567 in Hatz.-Darm.): to take the lead, make the first step, originate some action.
1856 Emerson Eng. Traits, Manners Wks. (Bohn) II. 46 He has stamina; he can take the initiative in emergencies.
1858 Buckle Civiliz. (1873) II. viii. 570 No reform can produce real good, unless it is the work of public opinion, and unless the people themselves take the initiative.
2. The power, right, or function of initiating or originating something. Hence to possess or have the initiative.
1793 W. Godwin Enq. Pol. Justice i. vii. 53 Sensation is of some moment in the affair. It possesses the initiative.
Ibid. v. xx. 544 The legislative assembly, whether it possesses the initiative, or a power of control only, in executive affairs.
1802 Morn. Chron. in Spirit Pub. Jrnls. (1803) VI. 302 If..Mr. Henry Addington is to have the initiative in the Docks.
1842 Brande Dict. Sci., etc. s.v., That branch of the legislature to which belongs of right the power to propose measures of a particular class is said to have the initiative with respect to those measures.
1844 Lever T. Burke (1857) II. 113 The initiative lay with you.
b. spec., Pol. Sci. The right of a citizen or defined number of citizens, outside the Legislature, to originate legislation, as has been established in some of the Swiss Cantons since 186970, and in Switzerland as a Federal Republic since 1874.
1889 Adams & Cunningham Swiss Confed. vi. 80 Both Referendum and Initiative are institutions which have grown up gradually in the Cantons, spreading from one to another.
1891 Speaker 11 July 36/1 The Initiative, or right of a body of citizens outside the Legislature to initiate proposals for the abolition, alteration, or enactment of laws.
1898 Hazells Annual 643 (Switzerland) The principles of the Referendum and of the Initiative are in force. The latter signifies the right of any 50,000 citizens to demand a direct popular vote on any constitutional question.

*******************

American Heritageから

in•i•tia•tive n.

1. The power or ability to begin or to follow through energetically with a plan or task; enterprise and determination. 2. A beginning or introductory step; an opening move: took the initiative in trying to solve the problem. 3. a. The power or right to introduce a new legislative measure. b. The right and procedure by which citizens can propose a law by petition and ensure its submission to the electorate. adj. 1. Of or relating to initiation. 2. Used to initiate; initiatory.


2007年10月16日(Tue)▲ページの先頭へ
まず、政治・経済の力学ではなく、私個人の印象・感想を語りたい:日本差異共振伝統文化とPS理論
まず、政治・経済の力学ではなく、私個人の印象・感想を語りたい:日本差異共振伝統文化とPS理論

テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画

まず、政治・経済の力学ではなく、まったく私個人の印象・感想を語りたい。
 私は、農業地帯で育った。比較的近くに海がある。車なら、20分未満で行ける。とまれ、子どもの頃は、茅葺の家が周囲にほとんどであり、私も、それに住んでいた。また、道路状況も悪く、私が高校に自転車通学したときは、舗装された道路は、全体の五分の一程度であった。とにかく、私の印象は物質的貧しさである。これが、精神風景の基調である。
 しかし、いつ頃からであろうか。新築の家が増え、道路がほとんど舗装され、また、海岸には、企業の研修所等の建物が立派に建つようになっていた。そう、いろいろな大規模店も増えた。国道沿いの店舗がなにか外国風に見えたものである。時期的には、バブル頃であろう。外見的に羽振りがよくなったのである。
 私は、近隣の真新しくなった住宅を見て、この建物を造るための富はどこから入ったのだろうかと思ったのである。昔は、茅葺屋根のあばら家だったものが、新築の二階建てのモダンな住宅に変身したのであるから。海岸の、松林にたつ企業の研修所のような立派な建物を造る富はどこから来たのだろうか、素朴に疑問に思ったものである。
 私は単純素朴に、この田舎をモダンにする富はどこから来たのかと思ったのである。なにか、私が育った田舎ではなく、外国に居るような感じがした。外見の、物質的豊かさが、貧しい田舎を変身させてはいたのである。私は、その頃には、東京に住んでいたので、浦島太郎のような感じもしたものである。
 そう、私の思いは、前述したように、この富はどこから来たのかという疑問であった。なにか降って湧いたように感じられたからである。そのときは、東南アジア等の貧国から奪った富ではないかと思ったりした。とにかく、不自然な感じがしたのである。物質的貧しさが精神的風景であったのに、なにか突然、派手にモダンに変身したのであるから。
 結局、この変身は、金融資本の跋扈によるものと今では言えよう。金融資本が、マクベスの魔女の予言のように、農民を王にしたのだろう。金ぴかの農民に変えたのだろう。そう、ここには、公共投資が大きいと言えよう。農業地帯の道路は、今やほぼすべて舗装されている。道路も新たに造られたりした。結局、日本の政府は借金で、外見モダンな田舎を造ったのだ。そして、下の記事からもわかるように、借金する必要がないのに、米国債を買って、日本経済を歪めてしまったということだろう。ここには、国家社会主義と金融資本主義の癒着があると言えよう。これが、日本経済の癌である。岸信介路線と米国金融資本家との癒着構造が癌細胞である。
 安部前首相が戦後レジームからの脱却を唱えたが、それは形式的には正しいと言えよう。皮肉なのは、それが、祖父の岸信介路線からの脱却を意味したことである。
 ここで大雑把に、日本のこの癌細胞を死滅させる方法を考えたいが、今は、方向性だけを述べるにとどめる。結局、問題は、日本近代の特殊性が今日も尾を引いていることである。欧米の近代化を考えると、たとえば、イギリスの場合は、絶対王政があり、それが、ピューリタン革命(懐かしい言葉だ)で破壊されるが、名誉革命で、王制が戻るが、しかし、実質は、中産階級が支配的になり、自由主義、民主主義が進展したのである。私は、既述したように、欧米におけるルネサンスの意味が大きいと考えているが、欧米近代の基盤には、ルネサンスがあると言っても過言ではないだろう。これは、周知のように、個を基盤とする世界観の出現を意味する。だから、ここから、プロテスタンティズムが生まれるのも必然であると言えよう。私は西洋文明を批判するが、この個の世界観だけは、積極的に評価せざるをえない。
 しかしながら、個と自我が混淆されて理解されたのである。というか、個と自我は、自然状態では、混淆しているのである。これが、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論が本質としてもっている解明点である。今日の哲学的問題もこの点にあると言えるのであるが、日本においては、どうなのだろうかということである。
 日本文化における個とは何か、である。これについては、以前愚考したが、日本的個というものはあるのである。それは、実は、PS理論に近いものであったと思えるのである。即ち、日本的個とは、本来、差異共振的であると思えるのである。日本語のもつ「述語」中心性がそれを示唆していると思われるのである。たとえば、「空を見る」というとき、主体である「私」と客体である「空」は、「見る」という述語において、一如であるのである。これが、端的に差異共振的であると考えられるのである。
 ただし、当然、自我的同一性は強くはなかった。そう、日本近代化とは、結局、日本文化の差異共振性を忘却して、西洋的自我主義を導入することではなかったと思えるのである。つまり、それまで日本文化にはなかった、自我的同一性を取り入れたのではなかったということである。そう、ここに勘違いがあるのである。西洋においては、ルネサンスに基づいた近代文化があるのであり、それは、個=差異の文化なのである。それから、自我、近代的自我へと進展したのである。だから、西洋近代文化は、ルネサンスとプロテスタンティズムの混淆であると言えるのである。しかしながら、近代日本は欧化において、ルネサンスを忘却して、プロテスタンティズムの近代的自我を取り入れただけのように思えるのである。
 明治維新まで日本文化がもっていた差異共振性を否定して、近代的自我、近代合理主義を取り入れたと思うのである。思うに、日本の近代化とは、中国の文化大革命に並ぶような叡知の放棄・破棄を意味するのではないだろうか。
 日本は自己喪失・自己忘却・自己棄却して、近代化したのである。それもいびつな近代化であった。ルネサンス抜きに近代化であった。あるいは、皮相・浅薄・軽薄な近代化であったのである(そう、日本軽薄近代化と呼べるだろう)。つまり、自己本質を喪失した浮ついた近代化であったのである。これが、現代日本の亡国状況の根因であると考えられるのである。自己の魂を喪失した近代化であったのである。漱石は滅びると考えたのであるが、それは正鵠を射ていたと言えよう。
 三島由紀夫が魂のことを言ったが、この点で正しかったのである。戦後の問題というよりは、日本近代化の問題であったのである。だから、亡国日本から復活するには、日本の魂を復興させなくてはならないのである。差異共振文化を復活させなくてはならないのである。プラトニック・シナジー理論は日本伝統文化の創造的復活をも意味するのである。近代を、とりわけ、日本近代を乗り越えなくてはならない。トランス・モダン・ジャパンである。

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「アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか」  マクロ経済
アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか
ビル.トッテン著”日本は日本のやりかたで行け”から、マィヶル・ハドソン氏の{1985年プラザ合意の教訓とその影響}と題する諭支の要約です。

 プラザ合意の真の目的とは……

1985年9月22日、ニューョ−クのプラザ・ホテルで、日本は金利を引き下げることにより、ドルの為替相場を支えることに同意した.いわゅる「プラザ合意」である。これは世界経済安定のために、先進諸国が協調して相場に介入した事例として語られているが、ハドソン氏によれぱ、それは表向きのことにすぎないという。
http://sun.ap.teacup.com/souun/130.html



「日本はなぜ負債大国になったか」  マクロ経済
平和時に政府が借金を増やす理由は、富に対する課税を怠ったことに起因する。

現在の財政政策の悲劇は、生産的な産業投資よりも、非生産的で寄生的な富の方が簡単に税金逃れができる点にある。

過剰の富や、不労所得者の所得へ課税する代わりに、必需品や生産的な直接投資、労働者階級への課税を増加すれば、産業の発展や繁栄は抑制されてしまう。

税制の改正は、金融および不動産投資家に、寄生的かつ投機的な収益を求めることを奨励する。
この新しい財政哲学は、世界競争に向けた生産性や生産高拡大のための再投資に必要な収益を産業界から奪いかねない。

国民はこの「新しい」税制政策がいかに深刻な影響を与えるか理解していない。
http://sun.ap.teacup.com/souun/126.html
晴耕雨読


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カレンダ
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