日本覚醒計画:日本の政治・経済・社会・歴史・文化:ニッポン亡国の

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




[PR]



2014年02月15日(Sat)▲ページの先頭へ
2つのグローバリズム:旧と新:父権的資本主義(賤民資本主義)から新母権自由共同体資本主義へ
2つのグローバリズム:旧と新:父権的資本主義(賤民資本主義)から新母権自由共同体資本主義へ

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

居直り、駄々っ子のようなAB逝犬であるが、どこへ行くのだろうか。確かに、暗黒法が多々生まれ、その点では、暗黒地獄路線である。
 しかし、まったく世界の動向から外れてしまったガラパゴス政権である。
 先行きどうなるだろうか。私の予言は、崩壊するというものであるが、もう少し考えてみよう。
 千葬邪が画策する東亜戦争は起らない。だから、tppや国家戦略特区路線で、日本から金を掠奪する。
 しかし、これは、経済的破滅路線である。そして、米中経済協調路線が発展し、日本は取り残される。亡国的になる。
 千葬邪とともに去りぬ。
 そう、AB逝犬は明らかに、人体ならガン細胞である。
免疫力が必要である。対外的には緒葉真聖賢に従う方がいいのである。
 国内的には、共同体的資本主義を目指すべきである。
 非正規雇用型ではなく、正規雇用型の資本主義をあえて創造すべきである。反時代的な正規雇用型資本主義である。それは、共同体主義の一助となるのである。
 そう、私論的には、千葬邪/AB逝犬は、父権的資本主義、同一性主義資本主義であり、賤民資本主義(ウェーバー)であり、それに対する共同体的資本主義(自由共同体資本主義:最近、自由社会主義という言葉を聞くが、それについて後で検討したい)は母権的資本主義(正確には、父権を超克した新母権的資本主義)で、こちらが、今や新しい世界資本主義の動向、正動であると考えられる。(何故、そうなのかと言えば、私見であるが、戦争傾斜資本主義は、世界・地球のガン細胞であり、自滅的であるのが、ある国際資本家その他にとって判明したのだろう。田中宇氏の用語では、一極型資本主義と多極型資本主義である。ウェーバーの用語では、賤民資本主義とプロテスタンティズム資本主義【もっとも、今日的に言えば、プロテスタンティズム原点資本主義であり、私の用語では、自由共同体資本主義である】である。21世紀の現代、二つの資本主義が併存しているのであり、前者は旧資本主義、後者は新資本主義である。言い換えると、グローバリズムは二つのあるのである。旧グローバリズムと新グローバリズムである。)
 母権的資本主義を実行・実践する企業が増えるほど、日本は再生するだろう。





民主主義を数量的形式主義と2項対立主義から質的本質主義と差異・他者共振主義に転換するには

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

民主主義を理念的に成立させるには、他者精神が必要である。しかしながら、近代は、父権主義が支配し、それは、利己的自我主義であり、他者精神は形成されないのである。
 だから、不可能の民主主義である。

以上は書きかけである。
 現代日本の政治経済の自爆路線の原因は、実は、文化的様態に存すると言える。
 日本民族のもつ父権主義は、かなり、タイトなもので、自我同一性主義である。これは、差異、他者を排除するものである。
 このために、同一性、つまり、同じことが繰り返されて、進展・発展しないのである。
 差異、他者を認めるとは、言葉では簡単に言えることであるが、それを自覚するのは、至難のことである。
 ポスト・モダンというより、ポスト構造主義は、差異、他者の認識を追求する哲学であったが、デリダにおいて、すべてではないにしろ、不連続的差異である他者の認識が構築されたのである。
 つまり、西欧現代哲学は、それなりに、他者哲学を形成することを達成したのである。ということは、現代西欧の教養はそのレベルにあると見ていい。
 しかし、現代日本において、ポスト・モダン、ポスト構造主義は、たいへん流行したが、定着しなかった。
 思うに、ポスト構造主義は、日本社会のもつタイトな父権的同一性主義を打破すべき課題をもっていたのだが、そうできなかった。
 PS陰陽論の出発点である不連続的差異論は、ポスト構造主義批判から出発したのであり、ある意味で、ポスト構造主義を徹底させたものである。
 差異、他者問題とは、端的に、倫理、道徳、そして、共同体の問題である。そして、宗教の問題である。
 戦後日本の場合、戦後近代合理主義の洗脳・マインドコントロールによって、「精神」、「心」の問題が排除されてきた。唯物科学が支配してきたのである。
 それは、実は、日本父権的利己主義と合致するものであったのである。
 結局、日本社会において、差異や他者の問題は、一般認識されないままの状態で終わってしまったのである。
 安倍政権の超暴走であるが、それも哲学的には、差異、他者の徹底的排除に拠るものと言える。
 原発推進派にとっては、脱原発は排除されて、あり得ないのである。差異、他者である脱原発は、いわば、悪の存在となっているのである。そして、当然、原発推進が善である。
 このような2項対立の色分けは、盲目的であり、自分が何をしているのかわからないのである。独善的であるので、馬の耳に念仏状態である。
 そして、安倍内閣だけでなく、多くの日本人も類似した精神構造、父権的2項対立主義に染まっているのである。
 日本伝統文化は母権的文化であり、それを創造的に覚醒させる必要があるのである。
 どうも、その覚醒は、日月神示の予言の正しさを証明するような時期になりそうである。
 現代日本人は自らが否定するものに未来の種子があったことに気付くということなのだろうが、黙示録的である。

参考:
構造主義とポスト構造主義はどう違うのですか? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1236705822
ポスト構造主義・ポストモダンとはどういう意味?? | 哲学のQ&A ...
http://okwave.jp/qa/q2235577.html
 
都知事選勝利で慢心暴走 止まらない安倍首相の「原発推進」
 予想通り、都知事選で脱原発派を封じ込めた安倍首相が、原発再稼働に前のめりになっている。 「有識者会議が昨年12月、新たなエネルギー基本計画について、原発を『基盤となる重要なベース電源』とする原案をまとめましたが、突然の都知事選で『原発ゼロ』が争点にな…
〔記事全文 〕

日刊ゲンダイ ゲンダイネット







朗報:若々しさを保つ方法を教えましょう:無料です。

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

私は人から、若返ったと言われる。私としては、特に、断酒(今は違うが)、小食、森氣浴瞑想散策によって、スリムになり、若返ったと思うが、形而上学的な重要なポイントを述べたい。
 つまり、陰陽調和心を自覚するということである。以前述べたように、氣の快感を重視して、氣的身体理性に基づく生活をするということである。
 氣の快感が原点である。これに気付くか否かが分かれ目である。氣美感と言っていいだろう。
 この氣美感に気付いて、健康法を行なうと若返ると私は考える。
 氣美感とは、陰陽調和心のことである。孔子で言えば、中庸であるが、それでは、抽象的である。氣の快感、これが、出発点である。お試しあれ。

追記:大事なことを言うのを忘れたが、氣の快感、氣美感とは、一(いつ)の氣に通じるということである。伝統文化的用語を使えば、天に通じるということである。(神に通じるとも言えるが、いささか、神とは?)
 生命の源泉である一の氣に、氣の快感、氣美感によって通じるのであり、それによって、一の氣の生命が心身に流入すると考えられるのである。

追記2:氣の快感、氣美感とは何かという疑問があるだろう。私の経験・体験から言えば、森の中で過していると、爽快な気分になる。その爽快さが、氣の快感、氣美感ということである。
 これは、普通の人間ならば、誰でも理解できることである。山歩きする人なら、山の空気のもつ爽快さがわかるだろう。そのような氣的快感、氣美感に即して、ライフスタイルを形成するということである。


2013年12月22日(Sun)▲ページの先頭へ
国民主権と二つの資本主義:国際戦争資本封建主義と平和資本主義と心の民主主義:世界平和資本民主主義
国民主権と二つの資本主義:国際戦争資本封建主義と平和資本主義と心の民主主義:世界平和資本民主主義

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

 資本主義は、私の仮説では、二つ存するのである。戦争資本主義と平和資本主義である。言い換えると、前者は「自己中心」主義的他者破壊資本主義(田中宇氏の一極主義、あるいは、「一神教」的資本主義、父権的資本主義、あるいは、ヤハウェ的資本主義)であり、後者は他者肯定主義的資本主義、共存資本主義(多極主義、「多神教」的資本主義、母権的資本主義)である。
 この二つの資本主義が支配する政治経済体制が今日あるのであり、その下で「民主主義」が存しているのである。
 そして、主権は二つの資本主義に存するのであり、国民には主権は不在である。ただ、政治的には、選挙権(被選挙権もあるが、実際はないに等しい)、その他があるくらいである。
 とは言え、戦争資本主義は反民主主義であり、平和資本主義は民主主義を実現する経済体である。
 そして、本当の民主主義は、国民、というか、個体民の心に存するのである。(あるいは母権的精神に存するのである。)
 そのような状況において、民主主義を政治経済社会文化的に実現するには、国民、個体民は、戦争資本主義の代弁者ではなく、平和資本主義のそれを選択するべきなのである。
 そのときの指標になるのがマスコミなのである。マスコミは日本の場合、戦争資本に支配されているので、その論評とは真逆のものを選択すればいいのである。あるいは、端的に、日本の政治は戦争資本に支配されているので、それとは対立する政治を選択すればいいのである。(ただし、選択の枠がきわめて狭い。)
 簡単にまとめると、資本主義は二種類あり、国際戦争資本組織が日本を支配していて、平和資本組織がそれによって謀略的に破壊されることになる。
 そのような政治経済状況における民主主義の唱える国民主権は虚偽・誤謬である。主権は資本主義、二つの資本主義に存するのであり、とりわけ、謀略的な戦争資本主義に存するのである。
 このような状況において、国民、個体民は謀略的戦争資本の支配する政治権力(主権)ではなく、平和資本主義の勢力を選択し、平和資本主義とともに心の民主主義を実現すべきなのである。
 そう両者ともに母権的精神をもつと考えられる。他者との共存をもつ精神である。平和資本民主主義が政治的に実現すべきものである。


12/21 21:04 神州の泉 /特定秘密保護法はグローバル資本に..

多分、神州の泉だけが初めていうことだが、特定秘密保護法は閉ざされた言語空間の明文化であり、戦後、潜在的に作用していたこの無言の圧力がこの法案の制定によって表舞台に堂々と躍り出たことになる。
それだけに日本人は今、戦後最大の危機に直面していることになる。
これは現代の占領体制そのものである。
ただし、現今の占領様態はマッカーサーGHQとは違っていて、米国コーポラティスム(多国籍企業と米国政府の共同体制)の占領下に入るということになる。
このコーポラティズムは、国家や政体が企業化したまま内政や外交戦略に臨んでいる概念だが、「独りファシズム」主催者の響堂雪乃氏の定義では資本と行政の共謀主義のことである。

つまり、岩月氏が「特定秘密保護法による恐るべき国家改造 特定秘密保護法の正体はアメリカとグローバル企業による遠隔操作法だった!」で断言する、日本国家の改造主体が、実は米国コーポラティズムに他ならないということになる。

http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2013/11/post-426e.html

特定秘密保護法が成立したことで、日本は多国籍企業による平成の占領統治体制に入ったことになる。
奇妙な言い方かも知れないが、68年前にわが国を占領統治したアメリカという国は、一歩先にグローバル企業に占領支配され、国家そのものが企業政体と同化しているのである。
だから、我々が直面する大問題は、厳密には「アメリカvs日本」ではなく、「アメリカ多国籍企業vs日本」なのである。
特定秘密保護法を、国内視点のみの「知る権利」だけに狭隘化した見方がどれほど全体像から逸れているかお分かりのことと思う。
小泉政権以降、マスコミは国民の知る権利を封じていたばかりか、米官業利権複合体のために真実から目をそらす誘導報道に勤しんできた。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2013/12/post-1156.html



秘密保護法とNWOの日米欧三極委員会とのつながり (12/15)

自民党という政党は、そもそもが、ニューワールドオーダー推進のためにCIAの手を借りて育成されてきた政党。安倍政権は、与えられたミッションを忠実に実行しているのです。

「日本政府の内部にCIAに飼われている連中がいる」

陰謀めいた秘密の機関。
それらは民間の団体、会議、グループで、アメリカ政府、英国政府の周辺に「まとわりつく」ようにして影響力を行使しています。(日本の場合は財団法人という形式になっています)
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2539.html
カレイドスコープ


2013年12月08日(Sun)▲ページの先頭へ
日本国は免疫不全:政治免疫力を生み出すには
画像付きは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=373


日本国は免疫不全:政治免疫力を生み出すには

JUGEMテーマ:学問・学校


テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

陳腐な例であるが、政治を脳、人民を身体とすれば、今日の日本は、脳が機能不全であり、身体がガンその他の疾患にあると言えよう。
 政治免疫力が働かないのである。
 そう、政治が異物を異物として、認識せずに、異物を体内に取り入れて、しまい、身体が末期症状なのである。
 政治に自己認識力が欠落しているのである。
 自己とは、PS陰陽論(又は、前期PS論)から言えば、自我と内なる他者との共鳴に拠るのであるが、政治は自我のみ認識して、内なる他者を排除していて、外なる他者(異物)と同化しているのである。これでは、身体は末期症状である。
 内なる他者とは肚である。それは、太陽神経叢であり、腸内細菌であり、また、松果体や日光と関係する。
 内なる他者とは正に生命本体と言っていいだろう。生命を排除し、害毒を取り入れているのが、今日の日本政治である
 この錯誤は、脳の錯誤ということでもある。
 なにか病理的に、脳が作動しているのである。そう、自己認識が自我に極大的に傾斜していて、内なる他者(肚、魂)を排除することになり、陰陽共鳴、陰陽調和という生命力が完全に抑圧されているのである。
 後で、整理したいが。



氣と日光:松果体と太陽神経叢と腸内細菌

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

あらゆる手段で「光」を求める生命: フンコロガシの行動、松果体の意味、そして「太陽神の目」の実体

「太陽神の眼」は「人間の第3の眼」の象徴なのか?


その「光を見る」松果体の構造。上にその場所の簡単な位置の図を載せましたが、さらに、詳細な図としては以下のようになります。

pituitary_pineal_glands_ja.JPG

・・・・・

国の BBS 記事に下の図が掲載されていました。

脳は模型です。

日本語はこちらで入れていて、名称には間違いがあるかもしれないですが、大体のところです。

third-eye.jpg


さらに、下の図も。
こちらは脳全体との対比となっています。


eye-3.png

・・・・・

バタイユにとっての松果体

また、今回調べていてはじめて知ったのですが、太陽の誘惑 というサイトによりますと、ジョルジュ・バタイユには、『松果体の眼』という松果体そのものの名前が使われるような未完の作品があるらしいです。

ここでは「松果線」と訳されていますが、松果体のことです。

その内容は上のページから抜粋しますと、


『松果腺の眼』。未完に終わったこの幻想的テキストは、この時期のバタイユの探求の痕をいちばんよく見せているように思われる。

題名からすると、『大陽肛門』での火山の主題を展開しようとして発想されたようだが、火山のイメージはこの著作では背景に後退し、関心は松果腺の眼というやはり奇怪な幻想へと移ってゆく。

松果腺の眼とは何か。

人 間の頭蓋の上部には一個の分泌腺があって、松果腺と呼ばれているが、この分泌腺の作用はよく解明されていず、ある生理学者たちは、〈眼球となるはずだった が、発展しなかった〉ものと考えている、とバタイユは書く。この未発達に終わった眼は、肛門に発端を持っている、と彼は考える。

前述のよ うに猿はエネルギーを集約し発散させる突出した肛門を持っているが、この肛門のありように変化が起こるのだ。猿は森から出て、後足で歩行を始め、直立の度 合いを高める。するとこの肛門は両足の間に引き込まれてゆく。こうして人間が成立するとき、肛門は尻の奥に隠されてしまう。

肛門のこの隠蔽は太陽との直結性の隠蔽であり、この隠蔽によって人間は自律的な存在となるのだ。

しかしながら、肛門のこの隠蔽は、それで平穏に完了するのではない。

内部に貯め込まれたエネルギーは、新たな出口を求める。それは直立に向かう人間の動きに従って、上方に向けて集中され、まさに太陽との直接的な関係を回復しようとして、頭頂に開口部を求める。

こうして頭蓋に大陽に向かう眼球が生じようとする。
それは、水平方向に働き、対象を捉え、有用な世界を組織してゆく眼ではなく、垂直方向にのみ作用し、大陽を見るためだけの眼である。

それが松果腺の眼だ。

太陽から火山を経て肛門へ受け渡されたエネルギーは、異様な眼を作り出すことで再び太陽へ回帰しようとする、とバタイユは論じる。
In Deep




極陽凸iが支配する父権戦争資本主義と陰陽調和凹i*凸iが支配する母権共存資本主義

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

マルクスの『資本論』の誤りは、資本主義を利己主義だけのものと見た点であり、そのため、資本主義の止揚として、社会主義、共産主義への発展を説いたのである。
 そう、左翼主義の間違いの根本がここにあると言えよう。
 つまり、資本主義は、利己絶対主義だけでなく、相互共存主義もあるのである。つまり、利己主義的資本主義は己を唯一絶対的に見て、他者を壊滅させるのであるが、相互主義の立場では、他者との共存を図るのである。
 田中宇氏の用語では、それぞれ、一極主義と多極主義になるだろう。
 私の視点では、父権主義と母権主義になる。父権的資本主義と母権的資本主義である。
 また、戦争資本主義と平和資本主義とも弁別できよう。
 今日、両者の相克があるが、日本は旧い前者型に支配されているのである。
 それに対して、現代は、後者が勃興しているのであり、それが、前者を凌駕せんとしているのである。
 現代日本の大危機は、日本父権的勢力が某国の戦争資本に支配されていることにある。
 国民は危機意識が欠落していて、戦争資本勢力に洗脳されているのである。
 そう、ずいぶん以前に触れたことがあるが、民主主義とは母権精神の政治的発露であるが、父権主義に支配されているので、民主主義は形骸化するのである。
 今日は、母権と父権の闘争時代である。
 日本人は、自身のベースの母権に目覚めるべきである。
 今はここまで。






今年2013年は世界の大分水嶺:優秀な頭脳の自壊の年


テーマ:日水湖宮(ひみこく);新国名:水瓶座時代

閉鎖された(る)優れたブログは、私は楽観していて、輪廻転生すると見ている。
 とまれ、私がとても不思議に思っているのは、飄氏の豹変というべき「変化」である。
 私は長い間、彼のブログのファンであった。彼の思考・洞察には、実に鋭敏なものが感じられたのである。
 しかし、とりわけ、今年だと思うが、ついていけない記事が増えてきたのである。
 そうそう、言い忘れたが、彼の記事は緻密な分析があったが、それが、だんだん粗雑になっていたことを指摘しておきたい。
 いちばんついていけなかったのは、ネット・ビジネスのことである。異様にネット・ビジネスでの稼ぎを強調していたことは興ざめであった。
 とまれ、鋭い洞察が消えて、粗雑な内容な記事が増えて行ったと思う。なにか一線を越えたという観があるのである。
 そう、メールで配信されたネット・ビジネスの誘いに飄氏は応じて参加したようだが、私にはそのビジネスの誘いは非常に胡散臭く見えたのである。つまり、飄氏は、それまでの緻密さが消えて、短絡的になったのである。この変化は何なのか。
 なにかバランスを保っていた状態から、突然切れて、短絡、盲信・狂信的になったのである。
 まったくの思いつきであるが、ひょっとして、被曝が関係しているかもしれない。
 とまれ、ポイントは鋭かった人が、豹変的に、短絡的発想になってしまうことであり、その原因である。
 これまで、抑圧していた氣が反動的に暴発するということで、私は説明してきたが、それは、一般的すぎるように思う。
 どうも、なにか、全般的に、決定的な転換が起きたということかもしれない。
 因みに、私が知っている範囲でも、今年、たいへんな頭脳の持ち主が、短絡的に暴発してしまったのである。
 思うに、宇宙の陰陽力学において、今年、決定的に、陽から陰へとスイッチが入ったということではないだろうか。
 陽へのスイッチが入っていたときは、近代的思考でよかったのであるが、陰へとスイッチが切り替わって、これまでの近代的思考が破綻してしまったということではないのか。
 エネルギー、つまり、氣エネルギーが陽から陰へと切り替わり、そのため、陽中心の思考は、陰の力への反動として、超陽化したのではないだろうか。言い換 えると、自我の膨張であり、パラノイア化である。そう、パラノイアという診断はそれほど違っていないのではないだろうか。
 

◆ 2013/12/06(金)2  悪いブログほど よく残る
↓ ヘロン(heron,サギ)サイト ↓
行雲流水こと蜂谷弘悦
秘密保護法が強行採決された日,愛と真実に満ちたブログ『暗黒夜考 』が閉鎖した.『独りファシズム 』も7日に完全閉鎖し,『陽光堂主人の読書日記 』の閉鎖も今月中だ.真に独立したブログ,読者を騙すことのないブログが消え去った後に残るのは,読者からカネを巻き上げることを画策する『飄(つむじ風)』のようなヘロン・サイトばかり.もはやネットは真実を知るツールではなくなったの鴨.
普段は「正義」を全面に出して,合間に高額商品の能書きやUFO鷺を飛ばす…,これを蜂谷弘悦クンは「行雲流水」という名前で相変わらずヤッている.ブログ名は「一円融合 心田開発」.

行雲流水や飄(つむじ風)みたいなサギサイトにダマされるな! 高額商品は買うな! と,鷲は “生きる知恵” を書きつづけてきた.
最近書いた文章だけでも↓こんなにある.
・ 美しい言葉のウラに隠された拝金主義
・ 詐欺師の用語:ソマチット、波動etc
・ 詐欺師の手羽先ってのは…
・ 詐欺師だらけのインターネット
・ 買っちゃイケない高いモノ。買ってEーのは…
・ 正義をよそおい UFOサギは飛ぶ…
・ ネットの空は鷺だらけ
・ 心やさしい知性と、やさしさに欠ける蛮性
・ 詐欺師ほどEーことを言う
上の文章には…,いまの過酷な日本社会のなかで,騙されることなく,たくましく生き抜いていくための“生活の知恵”が詰まっている.

ところが鷲の文章は,飄(つむじ風)らのネットをつかった(サギ)商売を妨害するものだ!と,鷲のサギ商法批判には一切答えず,誹謗中傷.

しっかし,その誹謗中傷には皆が大笑いした.
「弱者をイジメる悪人を“恐喝”した!」という鷲の昔の文章をコピペして,「飯山一郎には“恐喝の前歴” あり!」 だもんな. (爆)

鷲の“武勇伝”を宣伝してくれて有り難う!>飄平クン (大爆)

「行雲流水」こと蜂谷弘悦クンなども,鷲が文殊菩薩の文章を消した!と,証拠もなしに大騒ぎww

アレは,蜂谷弘悦クンのサギ行為を鷲が叱責したら逆上! 辞表を投稿するつもりが未熟なので出来なかった….それでアチコチ2時間もイジり回して,その最中に「カテゴリ削除」というのをヤッてしまった!
これは証拠も残っている.

『文殊菩薩』の資産でもある過去のデータを鷲が消すワケがないのに,飄(つむじ風)も蜂谷弘悦も,ズッこけ批判….大笑い.

きょうの鷲は,某雑誌の執拗な取材を何時間も受けていたので,おろかな詐欺師たちの情報ぐらいしか出せない…

ほんとうは…,
明日から武田防衛副大臣が種子島に来て,地元の有力者らを“個別撃破”し,“或る工作”をすることについてスッパ抜きたいのだが…

それは…,鹿児島県が今後,沖縄以上の軍事要塞を有する県に大きく変わっていく!鼠〜ことなんだが…,これについては,後日.
あ,『悪いブログほど よく残る』という表題は,黒澤映画の『悪い奴ほどよく眠る』という題名のパロで〜す www

* 飯山一郎のHP
* 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 1)
* 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 2)





宇宙の根源(太極)から、陰陽の2極性が生じ、ここから「4つの象」が現れ、さらにその4つの象がそれ
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
青森県音楽資料保存協会
「混沌の中から、巨大な蛇の化身が2匹生まれ、その2匹の蛇がからみあいながら交合し、ここから万物が生まれた」


 シュメールの古代神話に、このようなものがあることについては、すでに触れています(「うんちく【119】」参照)が、「うんちく 【116】〜【122】&【128】」で触れたように、「2匹の蛇」とは、万物を生み出している螺旋運動を示すエネルギーの『象徴』であり、この流れるエ ネルギーが、同じように流れる「水」に象徴させられ、蛇と水の流れが、こうして、密接な関係を持つようになったのではないかともいわれています。ともに、 蛇と水を宇宙エネルギーの象徴とみると、次のように興味深いことが、わかってきます。


 宇宙の根源から陰陽の2極性が生まれ、そこから万物が派生することについては、すでに「うんちく【131】〜【135】」で、詳細を記しています。

 同じようなことを古代中国でも表現をかえて述べています。

 いわゆる「八卦(はっけ・はっか)」です。
  http://michihiraki.org/michihiraki/inyo5/img/inyou5.gif



 宇宙の根源(太極)から、陰陽の2極性が生じ、ここから「4つの象」が現れ、さらにその4つの象がそれぞれ2つに分岐し、下のような「八卦(eight trigram)」となり、後世において、それぞれ、次のような意味が付与されているそうです。

 @乾(ケン)・・天(heaven)・・父・・・・北西・・・馬

 A兌(ダ)・・・沢(lake)・・・少女・・・西・・・・未

 B離(リ)・・・火(fire)・・・次女・・・南・・・・雉

 C震(シン)・・雷(thunder) ・長男・・・東・・・・竜

 D巽(ソン)・・風(wind)・・・長女・・・南東・・・鶏

 E坎(カン)・・水(water) ・・次男・・・北・・・・豚

 F艮(ゴン)・・山(mountain)・少年・・・北東・・・犬

 G坤(コン)・・地(earth) ・・母・・・・西南・・・牛



http://www7a.biglobe.ne.jp/~amusic/un0508.html




事務局日記バックナンバー

<2005年7月(4)>

(598)うんちく 【131】 五穀豊穣 その49
(599)うんちく 【132】 五穀豊穣 その50
(600)うんちく 【133】 五穀豊穣 その51
(601)うんちく 【134】 五穀豊穣 その52
(602)うんちく 【135】 五穀豊穣 その53

「うんちく」シリーズ
 7月    8月    9月   10月   11月   12月

 1月    2月    3月    4月    5月    6月
2008年  7月    8月    9月   10月   11月   12月

 1月    2月    3月    4月    5月    6月
2007年  7月    8月    9月   10月   11月   12月

 1月    2月    3月    4月    5月    6月
2006年  7月    8月    9月   10月   11月   12月

 4月(1)  (2)  (3)    5月(1)  (2)    6月(1)  (2)

 1月    2月    3月(1)  (2)  (3)
2005年 10月   11月(1)  (2)   12月(1)  (2)

 7月(1)  (2)  (3)  (4)    8月    9月(1)  (2)

 6月(1)  (2)  (3)  (4)  (5)

 5月(1)  (2)  (3)  (4)

 4月(1)  (2)  (3)  (4)

 3月(1)  (2)  (3)  (4)

 2月(1)  (2)  (3)  (4)
青森県音楽資料保存協会
 事務局日記バックナンバー






民主主義とは何ぞ哉:経済主義的似非民主主義と個的共生体:身体・氣・自然の新しい神々:西洋文明崩壊

テーマ:politics: democracy 今は一言。

 民主主義の問題であるが、当然ながら、国民の代表ということで、国会議員が選出されるのであるが、結局、今日、政治は経済主導であり、その他の様々なことが等閑にされるのであり、結局、経済民主主義とは、民主主義に値しないということである。
 つまり、今日の民主主義は似非民主主義であるということである。
 正当な民主主義にするには、政治の脱経済化が必要である。植草一秀氏が述べていたが、一切献金を廃止するというは正しいと思う。
 また、結局、日本の場合は、官僚支配の問題がある。
 ここが諸悪の根源である。
 これが全体主義を生むのである。つまり、選良主義、選民主義があるのであり、民衆・国民は見下されるのである。
 そう、官僚制度は差別制度なのである。封建制度である。専制である。
 持論は官僚も選挙で選出するべきであるが、きわめて難しいだろう。
 思うに、政治は自壊に任せた方がいいのかもしれない。
 自衛的に生存を考えた方がいいかもしれない。
 思うに、そのとき、個的共生の視点が出てくるのである。
 観念でなく、経験としてである。
 なにか、ローマ帝国が崩壊過程にあり、キリスト教が勃興してきた時代に似ているのかもしれない。
 今は信仰ではなく、感性である。直観である。そう、新しい神は、身体である。身体が神である。また、氣も神である。少なくとも、身体と氣が神である。氣的身体神である。
 そう、自然も神である。そうすると、身体、氣、自然が新三位一体の神ということになる。
 とまれ、新自然共生体へ民衆は向うべきだろう。もう、国民云々ではないだろう。個民である。

追記:太陽を入れるのを忘れた。太陽も神である。


2013年11月22日(Fri)▲ページの先頭へ
二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体
二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように書いた。
 今は、新たに気づいたことを備忘録する。
 1)作業仮説の百済の父権主義であるが、それとイスラエルの失われた十支族と結びつきがあるとするのはどうか。先に日ユ同祖論を示唆したが、それ以前 に、百済ユダヤ同祖論がありうるのであり、それが、結果的に、日ユ同祖論に展開するということではないのか。そう見ると、日本の神社にユダヤ教と共通する ものがものが多く見られるというのは、百済ーユダヤ・ルートに拠るということになるだろう。
 私が探していた日本父権民族とは、実は、百済ーユダヤ父権民族ということになるのである。
 しかし、以下に示唆したように、この百済ーユダヤ父権民族とは、実は基盤の百済母権民族を支配しているという構造をもっていると考えるのである。この父 権/母権二項対立精神力学を百済民族はもっているということになるのである。あるいは、父権/母権二重構造と言ってもいい。
 とまれ、そのような百済ーユダヤ父権/母権二重天皇制が日本に到来して、それを日本国として実現したというよに考えられてくるのである。
 そして、日本国創建の証拠として、記紀、とりわけ、日本書紀が創作されたというように考えられるのである。
 聖典を記録するのは、父権文化である。そして、当然、母権文化を卑しめ、父権文化を称揚するのである。これが、父権文明の聖典形成の常套手段である。
 だから、日本書紀の天孫降臨民族は侵略した父権民族であり、土着的母権民族を支配したと考えられる。
 しかし、問題が複雑なのは、侵略した父権民族は、母権民族性を内包していたことである。
 母権内包型父権なのであるから、母権文化を保存する必要があるのである。それが、日本書紀、記紀に出ているはずである。
 わかりやすい徴表は、太陽信仰、太陽神である。
 これは母権文化と父権文化で共通するのである。太陽信仰を核にすることで、父権民族は母権民族を支配できる権威を得ることができるのである。
 そして、政治的には天皇制が中心となるのである。母権と父権の紐帯としての天皇制である。
 
2)1と関係するが、母権と父権の二重性をもつ精神の構造である。これは不安定なゆらぎの様態にあるのではないだろうか。
 そして、このいわば、混沌としたゆらぎ状態に日本人の意識はあるのではないだろうか。
 一方では、母権志向であり、他方では父権志向である。
 しかしながら、意識は父権へとなびきやすいので、日本人は父権志向になっているのである。
 しかしながら、これは、正に、父権民族支配の思うつぼである。彼らは、日本母権民族の未分化的二重様態における父権志向を利用して支配できるのである。そう、洗脳できるのである。
 結局、これは、日本母権民族が自身の原基盤たる母権文化を明確に認識していないことから来ると考えられる。
 この点では日本人は実に杜撰である。おそろしく杜撰である。そう、生ぬるく生きてきてしまったのである。甘えである。
 そう、日本母権民族の精神構造を考えると、百済ーユダヤ父権民族の父権文化が入ってきたために、純粋母権文化ではなく、父権文化が導入されることになるのである。
 つまり、母権+父権の混合状態になると考えられる。これは、言うならば、分裂状態である。齟齬様態である。
 これが、一般的日本人の精神の基本的様態ではないだろうか。つまり、一方では、母権志向でありながら、他方では、父権志向という分裂様態である。混沌様態である。
 しかしながら、イデオロギー的には父権優位で洗脳され、マインドコントロールするのである。
 結局、未だ、日本人は自己形成が未完成なのである。
 自身の本質である母権文化を見ないように、洗脳されているからである。
 母権文化を探求すると、実は、氣の文化に突き当たるのである。それは、肚の文化であり、また、当然、不可視の文化である。ディオニュソス文化である。
 しかしながら、父権文化は可視文化、現象・物質文化であり、それを否定的に捉え、母権文化を制止するのである。
 そう、女性を劣位に置くのである。
 しかしながら、極めて不思議なことは、日本語に語彙に「氣」という字や言葉溢れているのに、それを理論・哲学化していないことである。もっとも、例外の人物はいるが。 結局、百済―ユダヤ的父権民族が日本母権民族を支配している図式がずっと続いているということだと思う。そして、現代、百済―ユダヤ的父権民族である自民党政権が剥き出しで、日本母権民族を殲滅させようとしているのである。
 ユダヤ選民主義は母権民族を否定するのである。正に、黙示録である。

最後に天皇制に戻ると、父権的天皇制とは、一種の専制を意味する。そして、母権的天皇制は、そこにD. H. ロレンスが『アポカリプス』で述べたようなコスモスの力の反映があると思われる。私の言葉では、氣の自然宇宙の文化共同体の力学を意味するのである。


二つの天皇制:母体の母権天皇制と父権天皇制:藤原氏と日本書紀

以下の説は、興味深いが、天皇制に関しては、一面的であると思う。
 私の仮説は、天皇制は二つあるというものである。母権的天皇制と父権的天皇制であり、両者が重なっているのである。
 思うに、藤原氏は父権的天皇制を作ったのであり、基盤の母権的天皇制を利用しているのである。
 日本書紀は、父権的天皇制イデオロギーの面が強いのではないだろうか。
 思うに、飯山一郎氏の唱える百済国亡命をベースにする日本国建設論であるが、宗像大社とその神話の壮麗さを見るとそれは、母権文化である。
 しかし、百済出身とされる藤原氏は、どう見ても父権主義である。
 この齟齬をどう見るのかである。
 私は先に、父権民族は、中国経由のアーリア系民族ではないかと示唆した。
 しかし、藤原氏が百済出身であるなら、日本父権民族の源流は考え直さなくてはならない。
 これは作業仮説であるが、百済国が実は、母権民族であったが、父権民族によって征服されたのではなかったのか。つまり、父権支配の母権民族としての百済国である。
 それが、原日本に亡命してきたという作業仮説である。
 つまり、元々、百済国は二重天皇制の国であったという作業仮説である。
 そして、その二重天皇制の百済国が原日本に「亡命」して、日本国を創建するということになるのである。
 そして、元来、母権民族である原日本において、二重天皇制は独自の発展したのではないだろうか。
 つまり、百済の母権天皇制は原日本の母権民族と結びついたのではないだろうか。
 そして、百済の父権天皇制は、それらを支配する方策をとったのではないだろか。それが、例えば、日本書紀の創作ではないだろうか。
 キリスト教になぞらえて言えば、ヤハウェ的天皇制とキリスト又は聖母マリア的天皇制が生じたのではないだろうか。
 そして、土着的母権的原日本人(縄文・弥生)は後者に惹かれたのであり、今でもそうである。
 そして、自民党のような明治維新的タカ派路線は当然、ヤハウェ的天皇制である。
 もう少し言うべきであるが、時間がないので、今はここで留める。
 
藤原氏の正体編: 心の尊さ(真実)と血筋の尊さ(虚飾)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11709761794.html



二つの天皇制:母体の母権天皇制と父権天皇制:藤原氏と日本書紀

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

以下の説は、興味深いが、天皇制に関しては、一面的であると思う。
 私の仮説は、天皇制は二つあるというものである。母権的天皇制と父権的天皇制であり、両者が重なっているのである。
 思うに、藤原氏は父権的天皇制を作ったのであり、基盤の母権的天皇制を利用しているのである。
 日本書紀は、父権的天皇制イデオロギーの面が強いのではないだろうか。
 思うに、飯山一郎氏の唱える百済国亡命をベースにする日本国建設論であるが、宗像大社とその神話の壮麗さを見るとそれは、母権文化である。
 しかし、百済出身とされる藤原氏は、どう見ても父権主義である。
 この齟齬をどう見るのかである。
 私は先に、父権民族は、中国経由のアーリア系民族ではないかと示唆した。
 しかし、藤原氏が百済出身であるなら、日本父権民族の源流は考え直さなくてはならない。
 これは作業仮説であるが、百済国が実は、母権民族であったが、父権民族によって征服されたのではなかったのか。つまり、父権支配の母権民族としての百済国である。
 それが、原日本に亡命してきたという作業仮説である。
 つまり、元々、百済国は二重天皇制の国であったという作業仮説である。
 そして、その二重天皇制が原日本に来て、日本国を創建するということになるのである。
 そして、元来、母権民族である原日本において、二重天皇制は独自の発展したのではないだろうか。
 つまり、百済の母権天皇制は原日本の母権民族と結びついたのではないだろうか。
 そして、百済の父権天皇制は、それらを支配する方策をとったのではないだろか。それが、例えば、日本書紀の創作ではないだろうか。
 キリスト教をなぞらえて言えば、ヤハウェ的天皇制とキリスト的天皇制が生じたのではないだろうか。
 そして、土着的原日本人は後者に惹かれたのであり、今のもそうである。
 そして、自民党のような明治維新的タカ派路線は当然、ヤハウェ的天皇制である。
 もう少し言うべきであるが、時間がないので、今はここで留める。
 
藤原氏の正体編: 心の尊さ(真実)と血筋の尊さ(虚飾)
長年に亘って藤原氏と関わって藤原氏を見てきた先祖を持つ清和源氏の一族の私には、藤原氏の顔がそのままハイド氏の顔に見える。安倍晋三は藤原系の政治家だ。同じく天皇制の 母体となっている神道の靖国神社では、お国のために死ねる若者育成セミナーをしているそうだ。戦前・戦中は「お国のために死ね、死ね」と叫ばれ、国民の命 が粗末にされた。今は天皇制の支持率は低いようだが、彼らはその事実を言論弾圧によって隠蔽している。彼らは天皇制を強化して、戦前・戦中の大日本帝国に 戻そうとしている。彼らは日本を再び戦争に引きずり込もうとしている。竹島問題、尖閣諸島問題も、彼ら右翼系政治家が日本側から火をつけて、わざと煽っ た。日本を戦争に引きずり込むための自作自演ではないか、と思われる。日中戦争は日本側からの自作自演で勃発したことを忘れてはいけない。安倍晋三らの藤 原系政治家が、「この1300年以上の間、しばしば日本を中国や朝鮮との戦争に引きずり込んできた、ルーツ不明の一族である藤原氏」の中心なのである。
藤原氏の祖・鎌足は日本の豪族である中臣氏出身であるということになっているが、有名な一族であるにもかかわらず、本当のルーツは不明だ。しかし、藤原鎌足の正体は、日本を白村江の戦い(663年) に引きずり込んだ、百済王子豊璋であると思われる。彼は白村江の戦いの決戦の直前に、負けそうだと思って、家臣を騙して手勢を少しだけ引き連れて逃げ出し (軍の将・王子豊璋が行方不明になったため、余計に大敗した)、高句麗に逃げたことにして、日本にこっそり逃げ帰って、天智天皇から中臣鎌足(後に藤原鎌 足)の名をもらって帰化した。人間として卑怯極まりない。藤原鎌足の直系子孫は「百済系朝鮮民族の王族である自分達は血筋が尊い」と考え、大和民族を侮蔑 している。祖国・百済を滅ぼした、唐(中国)、新羅(朝鮮)への恨みの気持ちをずっと持っており、「お国のために死ね、死ね」と大和民族を騙して、中国や 朝鮮との仇討ち戦争をもくろんでいる。それが、竹島問題、尖閣諸島問題をわざと煽っている、右翼系政治家の真の目的だ。唐(中国)、新羅(朝鮮)を仇討ち できるし、日本列島の上に「日本」という名の百済国を再建するにあたって、邪魔な日本土着民(大和民族、沖縄人、アイヌ人ら)も、戦争を通じて大量にわざ と殺害できて減らせる、と考えておるようだ。


http://seiwagenjisinjitury3.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ded1.html



松果体と脳下垂体の二重システム:人体(人心体)における動物体と植物体の結合における免疫力と生命力

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

私はこれまで、人体の免疫力と氣の生命力は関係しているのではないかと思ってきたが、どうも異なるように思えた。
 つまり、人体を先に、四層で考えたが、その中に、動物体層と植物体層があるが、免疫力は主に前者で、氣的生命力は主に後者に関係するのではないかと思ったのである。
 しかしながら、植物体にも、なんらかの免疫力はあるだろう。
とは、免疫力は植物体というよりは、動物体に主に関係すると思われるのである。
 とまれ、今は問題提起のみである。血液、特に、白血球が免疫に関係する。マクロファージ等は、異物に攻撃するのである。異物を食するのである。食するという作用は当然、動物体的行為である。だから、その点では、やはり、免疫力は動物体に属すると思われるのである。
 植物体に本来の生命力、つまり、氣的生命力があると考えている。(それは、単に生命力だけでなく、認識力もあると考えているのだが。)
 つまり、陰陽調和力である。結局、免疫力と生命力とを考えるとき、動物体の生命力としての免疫力と植物体の生命力の氣をを考える必要があるだろう。
 ここで、想起するのは、シュタイナーが排出と認識の関係を述べていることである。(参照:以下の第五講である。)

オカルト生理学 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥1,155
Amazon.co.jp

思うに、排出とマクロファージ等の食的攻撃力は関係しているのではないだろうか。つまり、異物の排除という点で共通すると考えられるのである。
 それに対して、植物体の生命力である氣であるが、それは、逆である。いわば、異物、他者と共鳴することに、本義、本質があるのである。
 だから、動物体の生命力と植物体の生命力は真逆であると言えるのではないだろうか。
 結局、動物体生命システムと植物体生命システム、2つの異なる生命系が人体(人心体)に存するということではないだろうか。
 しかしながら、とは言え、である。
 ここが急所、核心である。
 つまり、当然、動物体生命システムと植物体生命システムは繋がっているはずである。
 どうも、ここにシュタイナーが指摘する松果体(松果腺と述べているが)と脳下垂体の接続の意義が存するのではないだろうか。(上書の同じく、第五稿を参考。)
 即ち、松果体は光と関係し、それは、当然、氣と結びつくから、植物体と関係する。それに対して、脳下垂体は、内臓と関係するから、それは、当然、動物体と関係し、また、血液と関係するから、免疫力と関係する。
 言い換えると、松果体と脳下垂体の接続とは、植物体と動物体の接続を意味するということと考えられる。
 さらに言えば、氣と免疫力の出会いである。
 そうすると、日光(氣を背景にもつ)は松果体を介して、氣をもたらし、それは、脳下垂体を刺激して、内臓を強化する。それは、当然、免疫力を強化に繋がると考えられる。
 つまり、松果体ー脳下垂体システム(間脳システム)は、植物体と動物体の接合システムであり、それは、いわば、人体生命体システムの一つの核心であると考えられるのではないだろうか。
 卓抜な飯山一郎氏の生命力発展実践であるが、乳酸菌は当然、動物体・免疫力に関係し、日光浴や身体温暖保持等は植物体的氣的生命力システムに関係しよう。
 結局、人体保持には、両面が必須である。それは、また、相互補完となるのである。
 しかし、これも核心的問題の一つであるが、果たして、動物体・免疫系と植物体・氣生命系は単に両極で同等なのだろうか。単位、二元的なのだろうか。
 私は植物体・氣生命系が主であり、動物体・免疫系は従ではないのかと思えるのである。
 どうも、後者に対して、やや否定的なような言葉使いであるが、本意はそれではない。つまり、根源の問題なのである。
 生命の根源はやはり、氣に存すると思われるのであり、だから、植物体・氣生命系が主になるということなのである。
 あえて言えば、植物体・氣生命系から、動物体・免疫系は生まれたと思うのである。さらに言えば、
 
初めに、光ありき

初めに、日光ありき

さらに初めに、氣ありき

と思うのである。この氣に、動物体・免疫系が含まれていたと思うのである。
 つまり、松果体と脳下垂体の関係で言えば、前者が主ではないだろうか。それから、後者が発生したのではないだろうか。 
 その視点は、シュタイナーの考えと一致するのであるが。また、シュタイナーが影響を受けたゲーテの視点と通じると言えよう。
 しかしながら、松果体を受容する日光であるが、それは氣的光である。氣光線(氣光)である。そして、それは、究極は、無双太極である。
 つまり、無双太極(太水:陰陽未分化体)から氣光線(太陽)が生まれるのである。
 そして、肚が無双太極であるから、究極的には、肚と松果体は一致するのである。(内臓の光があるだろう。闇の光である。)
 しかしながら、無双太極は陰陽未分化様態である。だから、氣的光を介して、積極的に分化発展していくというのは、進化的であると考えられるのである。つまり、植物体・氣生命系・松果体を介してである。
 つまり、アポロ/ディオニュソス路線である。(そう、ここで、古代ギリシア文明の秘密が明らかになるのである。また、古代日本文明の謎も。即ち、それ は、本質は植物体文明・母権文明であるということである。それが本体であり、その上に動物体文明・父権文明が被膜のように存していると思えるのである。)
 つまり、古代ギリシア・古代日本路線が未来的であるということになるのである。プラトン/D.H.ロレンスで言えば、コスモス(氣的宇宙)路線である。日本で言えば、空海/南方熊楠路線である。当然、政治的には太陽信仰としての天皇制路線である。


参照:人体四層構造図

人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11665314072.html

 T        U           V       W    (X)
     |            |        |
     |            |        |
太極点 |植物体(氣・陰陽) | 動物体   | 自我   (外界)
     |              |        |
     |              |        |
 肚   |   胸         | 皮膚?    |   頭
      |               |         |
下丹田 |   中丹田      |         |  上丹田

         
      人体四層構造図



陰陽極性の2つの螺旋?:氣的螺旋と物質的螺旋?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11683538652.html

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

明日早いので、今は一言。
 先に、純物質が−1で、生命体が+1と氣の方程式を使って説明した。
 私のこれまでのイメージでは、+1に生命物質があると見てきた。つまり、生命有機体である。
 しかし、陽凸iの極大化によって、純物質が形成と考えたが、それは、生命有機体がまとう物質性ではないだろうか。
 つまり、−1は生命有機体の物質であり、+1は生命有機体全体ではないのかということである。捉えにくいが、氣的身体、氣的物質体が+1なのではないだろうか。
 今は問題提起のみである。

追記:読み直して、思いついたことは、−1は動物体で、+1が植物体ではないのかということである。
 私の仮説では、人体は植物体と動物体によって主に構成されているのである。もっとも、細かく言うと、先には、四層構造体(無双太極+植物体+動物体+自我)と述べたが。
人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)
 もしそうならば、私の人体仮説がかなり明快になる。後で深く検討したい。

追記2:もし、追記のようならば、純物質はどう表記できるのか。思うに、⇒+1が植物体、⇒−1が動物体であり、±1自体が純物質ではないのか。有り体に言えば、枯れた状態、死体・遺体である。つまり、⇒はエネルギー状態、生命エネルギーである。
 そう、氣である。そして、⇒の尖端が光ではないのか。
 とまれ、要検討課題である。

追記3:追記、追記2のように考えるならば、2つの氣が存するだろう。⇒+1の⇒は陰の氣であり、⇒−1は陽の氣である。これまで、陰極、陽極は考えて、陰の氣、陽の氣は存在しないと見てきたが。
 やはり、根源の氣と極性の氣を別にしないといけないように思えている。例えば、太極氣と陰陽氣である。
 これも要検討である。
 
追記4:人間認識図であるが、これは活用できるように思える(ただし、『海舌』氏の認識布置は使用しない。)
思うに、⇒−1は動物体の極限として、自我ではないだろうか。
 とまれ、ざっと言うと、第一象限と第四象限が植物体に関係し、第二象限と第3象限が動物体と自我に関係する。

 『海舌』氏による人間認識図
Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory


参考:
前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)
氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体) 



現象界(物質界)と光と氣

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に以下のように、人間認識図の修正版を試みたが、不十分なところが多くある。
 とまれ、右半円が氣的自然、左半円を物質的自然と考えた。
 思ったのは、視覚、光の問題である。視覚は陽凸iと考えられる。それが、外界を見るとき、陰を否定して、+1ではなく、−1を見るのではないだろうか。
 そうすると、光は、⇒−1の⇒になるのではないだろうか。
 ここで、氣、不可視の氣について考えると、それは、⇒+1の⇒ではないだろうか。
 とまれ、視覚は陰陽調和の氣(不可視)を当然見ることはできないのである。視覚である陽凸iは、原点・中心を見るが、その時、陰凹iと出会う。
 しかし、陰凹iを見ることはできない。というか陰陽調和の様態である氣を見ることができない。
 陽凸iは陰凹iを否定することになる。
 それは、凸i*凹凹i⇒−1ではないだろうか。この⇒が光であり、視覚は−1の現象、物質現象を見るのではないだろうか。
 しかしながら、陰陽調和=氣は⇒+1であり、氣的自然は−1の対蹠に存在しているのである。
 そう、魂である陰凹iは、陰陽調和の様態をもち、⇒+1の氣的自然を「感ずる」ことができるのであるし、また、視覚をもっているので、氣と光を同時に心覚・知覚(心・知覚)できるのである。
 しかし、この様態はどのようなものなのか。陽凸iでは光を知覚し、陰凹iでは氣を心覚するのであるとは交点(MP)において、どうであるのか。
 思うに、氣は陰陽調和であるから、陰が陽へと即非的に浸透するのである。そして、その陰に浸透された陽は光を見るが、その光には、氣の陰影が刻まれるのである。
 だから、その光には氣の印刻があるのである。そして、思うに、これが、美的視覚ではないだろうか。
 陽と陰との即非的浸透に美的視覚が形成されると言えよう。
 これは、聴覚でも同様と考えられる。しかし、聴覚はより、陰に関係していると思われるが。
 今はここで留めておく。


      『海舌』氏に拠る人間認識図

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory

『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽凸i=自我・頭、陰凹i=魂・肚
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11704667691.html


2013年11月17日(Sun)▲ページの先頭へ
日本人「改造」論:いい加減目を覚ませ、鈍愚民ども!:氣精神を生長させよう!
日本人「改造」論:いい加減目を覚ませ、鈍愚民ども!:氣精神を生長させよう!

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

1)私は今実験している。数分でも森の中で、無念無想ないし天地空の瞑想をしているが、それが、心身(心体)に活力・精力をもたらすのではないかと感じているのである。
 なにか、長時間森の中に浸っていないと森氣浴による効果ないように思っていたが、そうではなく、5分でも森の息吹の中で、瞑想する行為は心身エネルギー(氣エネルギー)をもたらすように思えているのである。
 これは、気功とかの行為をしないで、ただ、無念無想である。
あるいは、私のイメージは、天と地を私の中丹田(胸部)で空とし、瞑想する、名づけて、天地空瞑想(天地空森氣瞑想)である。

追記:日本人の学力・知力さらに精神力の低下、劣化、退化、さらに、花粉症、アトピー等のアレルギーの蔓延であるが、これは、都市化によって、森や山や海川の氣に触れない生活をするようになったためではないだろうか。
 氣は心身を賦活させると考えられるのである。日本人が馬鹿になったのは、氣欠が原因だと思う。
 氣界があるのである。シュタイナー霊学的に言えば、エーテル界である。氣=霊的生命界があるのである。

2)思ったのは、四大(地水火風)であるが、それは、シュタイナー霊学では霊であるが、それは、氣の諸霊ではないだろうか。つまり、地の氣、水の氣、火の氣、風の氣ではないだろうか。童話的に言えば、地の精霊、水の精霊、火の精霊、風の精霊である。
 また、ケルト/アングロ・サクソン伝承に出てくる妖精であるが、それも氣でないだろうか。森の精とは、当然、氣である。
 四大の氣を仮説しておきたい。そう、宮崎駿のアニメは、氣のアニメと言えよう。氣アニメーション、キニメである。
 東洋的な五大(地水火風空)であるが、空は陰陽調和である。
 そう、四大も氣と考えると、鉱物も氣で捉えることができるようになるのである。鉱物の氣もあるのである。これは、応用が広くなると言えよう。
 物質を気を基にして考えるのである。つまり、物質の「元素」とは、氣であるということである。いわば、氣素、氣子である。

3)無双太極の陰陽未分化一元界から、氣=陰陽対極性への転化についてであるが、後者において、陰極と陽極が明確に形成されると思われる。これは、明らかに、根源の無双太極一元論とは不連続である。
 しかし、氣の一元性もあるのである。ここで、混乱しやすいと言えよう。私も混乱しているので、整理する必要がある。
 無双太極の根源一がある。根源一元界である。それから即非的(不連続且つ連続的に)に、氣=陰陽界が展開する。
 氣=陰陽界とは、氣の一と陰の一と陽の一がある三位一体である。陰陽対極性自体が一なのである。この一と根源の一の混同を絶対に避けなくてはならない。
 だから、暫定的に、太一と氣一として、峻別した方がいいだろう。

4)3の続きになるが、長くなるので、項を改めた。
 氣=陰陽対極性であるが、その両極、即ち、陰極と陽極であるが、それが、魂と自我の核になったと思われるのである。
 つまり、植物体には、陰極と陽極があるが、両極は、氣一極とともに、螺旋形状に植物体を成形するのであるが、思うに、両極、氣一極、三極ともに、それぞれ、元意識があると思うのである。(そう、植物体は元知性をもっていると考えるのである。)
 そして、動物体は、陽に傾斜した存在であり、より物質化するのである。だから、物質的欲望が発達するのである。獣欲。
 しかし、人体(人心体)は、私説・仮説では、植物体の新たな組み込みがあるのである。つまり、陰陽両極と氣一極の三極の新たな組み込みが為され、そのために、動物体にはない知性をもったのである。それが、陰極の魂であり、陽極の自我であり、そして、氣一極の心(胸の心、中丹田、ハート:どうも、聖霊と呼びたいと感じたのである。聖霊としての氣一極=心)ではないだろうか。
 つまり、人体(人心体)における「精神」は、実は、新たな植物体の「意識」に顕現ではないかということなのである。つまり、人体(人心体)において、本来、本質的には、植物体の「意識」が思考するのではないだろうか。
 そして、それは、母権文化においてそうであるが、しかし、父権革命進化によって、自我/動物体へ傾斜して、いわゆる、文明が誕生したのではないだろうか。それは、自我/動物体の文明であり、氣・母権文明を破壊するものであったと考えられる(『ギルガメシュ叙事詩』)。
 そう、それは、物質主義文明なのであり、西洋文明はその帰結と言えよう。
 自然科学・技術も当然、物質主義の科学・技術である。氣の科学・技術が破壊されたのである。(乳酸菌等の発酵文化は氣の文化だと思う。氣=原生命文化としての発酵文化と考えられる。)
 とまれ、父権化されて、原初の母権意識/植物体意識/氣精神が抑圧されているのである。
 しかしながら、父権文明にあっても、知性、理性、感性は後者が基盤であると考えられる。
 しかしながら、今日、父権文明は反動化を徹底しているのであり、マッドの状態である。
 しかしながら、陽は陰に転ずるの氣哲学・科学の法則から、今や、母権文化が覚醒したのである。
 近代を包摂する形で、高次・内超近代文明の時代になったのである。簡単に言えば、霊智の新文明である。
 そう、1の追記で述べたが、学力・知力・感性力そして、健康力、文明力等々を賦活、発展させるには、氣が必要であることがわかるのである。物質文明は人間を愚かにして、奴隷にするのである。
 森へ帰れ!

まだ、言うべきことがあるが、これから、森氣浴歩行且つ瞑想をする。放射能雲も来ていないし、好天である。


2013年11月08日(Fri)▲ページの先頭へ
日本の権力層の冷血無惨な精神構造:陰陽未分化非合理衝動+利己主義的父権主義:国学神学イデオロギー
強調等を含めたものは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11677621181.html


日本の権力層の冷血無惨な精神構造:陰陽未分化非合理衝動+利己主義的父権主義:国学神学イデオロギー

テーマ:総て出鱈目日本の元凶ヤハウェ父権自我悪魔

以下の記事で、転載したような、アベコベ(安倍媚米)氏の欺瞞性が暴露されている。これは、特に目新しいことではない。日本の権力層の典型的な欺瞞・ペテン師のパターンであり、ただ、状況やアベコベ氏個人の「父権主義」(いちおう、カギ括弧をつけておく)とタカ派性によって、極端になっているのである。
 簡単に言えば、口と腹のまったく違うこの欺瞞の精神力学が問題であり、その分析は既述であるが、再度究明したい。
 簡単に言えば、倫理性、道徳心がないということに尽きるのであるが、その力学構造を明らかにする必要はある。
 これまで、私は父権主義的精神でそれを説明してきたのである。これは、端的に利己主義なのである。
 しかし、問題は利己主義でも、自覚した利己主義、意識した利己主義ではなく、無意識の利己主義であるのが、問題と言える。本人は、至って、自分は正当であると考えているに違いないのである。
 私は父権自我は、これまで、優越、妄想・狂信、独善、等々と形容してきた。これは、PS陰陽論から言えば、極大化した陽の性質と考えられるのである。
 以下の参考の記事は去年のものであるが、そこでは、日本父権主義のベースに母権極の非合理性があると述べている。それが無意識に働いているということである。
 この考え方を自分で書いておきながら、忘失していたが、今思うに、それなりに妥当するように思う。
 しかし、今の時点で新たに考えてみると、どうも、原点の未分化様態が無意識のうちに作用しているのではないだろうか。陰陽未分化と父権自我が結びついているのである。陰陽未分化は神的衝動をもっていて、利己主義の父権自我を狂信・独善・妄想化させるだろう。
 だから、日本権力層は、自分は正義でありと感じ、他者の声に耳をかさず、平気で売国行為に励むのである。
 簡単に整理すると、陰陽未分化の宗教的衝動と利己主義的父権主義の融合が日本支配権力層の精神構造にあり、そのために、まったく不合理・非合理・不条理な売国亡国行為を行ってしまうのである。
 これは、私見では、明治維新の国学神学イデオロギーが基礎としてある精神構造である。
 以上、素描である。

追記:では、解決策は何であろうか。思うに、日本国民にも類似した精神構造があると考えられるのである。
 だから、国民の精神革命が必要である。
 結局、自己の陰陽未分化の非合理衝動を生むものを「合理」的に捉え直す必要があるのである。
 結局、植物体の精神、氣の精神に回帰する必要があると考えられる。
 氣の精神を明確にもつことで、根源の陰陽未分化精神は、「合理化」されるのである。
 やはり、日本父権主義はヤハウェと通じるように思う。日ユ同祖論である。
 

2013/11/08 : 政治・権力・陰謀 : 今、日本は開国以来、最大のクライシス(危機)を迎えている。 安倍晋三や竹中平蔵たちが率いる現政権は、日本史上最悪の亡国政権になりかかっている。 最悪というのは、小泉政権をはるかに超える“亡国度合”を持つという意味である。

だが・・、安倍晋三には日本を守る気持ちはなく、国民資産をただ同然に多国籍企業に売り渡すことしか念頭にない。

だから・・、
TPPに舵を切っていて、愛国者は絶対にありえない。
国家戦略特区を推進していて、愛国者は絶対にありえない。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6995.html

『文殊菩薩』



参考:(尚、以下、強調は本稿のために行った。)

2012年06月09日(Sat)
再考:日本民族における母権と父権の極性:父権的傾斜と母権的均衡
私は既述のように、日本民族は、ベースは母権的民族で、それに父権的民族が進入して、両者が混淆して、形成されたと考えている。母権的民族は、沖縄・アイヌに残ると考えられる縄文的民族と、中国から移動した弥生的民族と、ツングース系民族、他である。父権的民族は、いまだよくわからないが、中国からやってきた民族ないしは失われたイスラエルの十支族やその他である。
 母権的民族と父権的民族の混淆で著しい例は、古代ギリシアである。それは、ギリシア神話に見事に表現されている。
 そして、日本民族の混淆はやや性質は違うものの、ある意味で類似していると考えている。
 問題点は、混淆の性質である。思うに、三種類のパターンが考えられる。即ち、

1)母権的傾斜型
2)父権的傾斜型
3)母権・父権的均衡型

の三つの型である。
 日本民族文化を考えたとき、この三つの様態があるように思われる。
 とまれ、確認すべきは、母権極と父権極があり、この極性の陰陽的様態において、日本民族文化を見る視点である。
 言い換えると、初めは、母権的民族が存在し、その後、父権的民族が到来して、後者が支配的になったが、時代が経つにつれて、両者が混じり合い、母権/父権的極性的民族・文化が形成されたと考えられる(仮説)。
 私がアニミズムと機械・物質文明の連続性について述べたが、そのとき、自我は弱いと述べた。その意味はこの極性的様態から考えるべきである。つまり、ストレートな父権主義ではなく、母権的極性をもっている父権主義なので、自我が、純粋父権主義の自我から見ると、「弱い」ものとなるのである。しかしながら、「弱い」とは言え、父権極的自我は存在するのである。
 とまれ、アニミズムと機械・物質文明の連続化は、ベースにある母権極にアニミズムがあり、それが、「弱い」父権的自我を介して、機械・物質文明と繋がったと考えられるのである。
 ここで、明治維新以降の「近代化」を考えると、そのような精神様態をもつ日本人であるから、近代合理主義は、欧米のものとは当然、異なるものとならざるをえない。
 つまり、西洋における近代合理主義は近代的自我(デカルトのコギト)と結びついたものであるが、日本の場合、近代的自我は、独立したものではなく、ベースの母権極のために、半近代的自我にならざるを得なかったと考えられる。
 そう、母権極の非合理性(アニミズム等)があるために、近代合理主義は、形式的なものとなり、非合理性によって歪曲されたものとなったと考えられるのである。
 明治維新以降の日本支配層は、私説では、父権主義であるが、今述べたように、非合理性をもつので、欧米の合理主義文明が非合理性によって染められたものとなったと見ても、間違いではないだろう。
 導入された「近代合理主義」、機械・物質文明は非合理性によってねじ曲げられて、無分別に、盲目・狂信的に戦争の道へ進み、「太平洋戦争」の大惨禍を引き起こしたと考えられる。
 また、戦後であるが、この非合理性をもつ父権主義は当然、清算されずに存続したのであり、それは、米国をいわば宗主国とする植民地・属国的日本をもたらしたと考えられる。
 また、敷延すれば、原発の林立も結局は、この非合理性をもつ父権主義のしからしめるものと言えよう。
 これも持論であるが、明治維新は母権的勢力を父権的勢力が制圧して生まれたものである。坂本龍馬、西郷隆盛らの母権的勢力が弾圧され、力を失ったのである。
 近世・近代の母権的勢力であるが、上述から見ると、非合理性をもつのではないかと言われるであろう。確かに、非合理性をもつが、実は、その非合理性に徹しているので、非合理性の「理性」をもつ文化をもっているのである。それが、東洋・日本的身体文化、肚の文化である。つまり、近世・近代の母権的勢力は、伝統的な東洋・日本文化を体現していた勢力であり、新たな西洋の知見をもった文明的勢力であったと考えられるのである。
 だから、母権的勢力とは実は、母権極/父権極の均衡性をもった勢力でもあったと言えるのである。そして、そこにこそ、正統な日本の未来があったと言えるのであるが、残念ながら、父権的勢力が支配して、非合理衝動である過信・盲信・狂信、慢心・傲慢、狂気・妄想、攻撃衝動のために、自暴自棄の自滅の道を辿ったのである。
 その今日的帰結が、福島第一原発の爆発による放射能汚染地獄であり、日本の経済を破滅させようとする民死倒の政権である。
 日本父権主義は、自己の基底の非合理性を確認できないために、不合理極まりない、悪魔的に利己主義的な方策・行動・態度をとってしまうのである。
 この日本父権主義の型は国民にも蔓延しているのであり、日本民族国家のいまや衰亡の瀬戸際にあると言えるのである。
 とまれ、以上から私が新母権主義を提唱する理由がいくらかはお分かりになれたのではないだろうか。
 最後に何故、母権主義に個があり、父権主義は没個であるのかを説明したい。
 つまり、母権主義は肚=魂を基底にするために、自我との意識的極性が形成されるために、他者と自我の均衡という個が形成されることになるのであるが、父権主義は肚=魂が無意識であり、賦活されないので、その無意識の衝動に支配されてしまい、自我は独立せずに、なんらかの力に支配されるのである。故に、没個なのである。

追記:上記の三種類の型であるが、結局、1の母権的傾斜型と3の母権・父権的均衡型は極性論理のために、一致することになるのである。

追記2:日本父権主義の非合理性が元凶のように述べたが、それは不正確である。非合理性と同時に、父権主義のもつ同一性・自我主義(利己主義)も極度の不合理性を引き起こす重要なファクターである。もっとも、同一性・自我主義は、本来、純粋悟性に関わり、合理主義精神に関係するのであるが、日本父権主義の場合は、その封建的権威意識が強力なために、同一性・自我主義に関係する合理主義精神の形成がはななだ未成熟であると言えよう。
 それに対して、西洋の場合、イタリア・ルネサンスや宗教改革(プロテスタンティズム)等によって個の覚醒があるために、父権主義の同一性・自我主義は、封建的権威主義を脱した為に、合理主義精神に繋がったと考えられるのである。

追記3:非合理性として、アニミズムをあげたが、当然、シャーマニズムも入れていいのである、そう、というより、入れるべきである。

**********************

魂と自我の結婚:魂の闇と自我の光:闇と光の螺旋結合
テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

以下の先に書いた叙述と参照の叙述は齟齬を来しているので、整合性のある説明が必要である。後で、考察を行いたい。

**********************

母権主義と父権主義:魂の意識と自我の意識
テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

私が説く母権主義と父権主義は女性主義と男性主義ではない。母権主義は、男性においてもあるし、父権主義は女性においてもあるのである。
 母権主義と父権主義は人間の根本的な質的差異を意味する。前者は魂を基底にしているし、後者は自我を基底にしているのである。
 日本人は母権主義と父権主義の混淆であると考えているが、明治維新以降、後者が支配的になり、前者が抑圧されたと考えられるのである。
 とりわけ、戦後の米国による一種の植民地的支配によって、日本の母権主義は否定されて、日本民族は衰滅の危機にあるのである。
 そう、母権主義とは、個に基づくのである。もっとも、正確に言えば、自我の基礎にある魂に基づく個である。
 父権的集団主義に染まって、母権的個を埋没させているのが、現代日本人である。

参照:

アニミズムと機械・物質文明
テーマ:PS理論:プラトニック・シナジー理論
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明4:両者が日本人の精神において結合しているとすると、問題は厄介であるが、PS理論によってこの問題を解明している。即ち内面の魂と近代科学・技術の切断。両者が不連続であることを日本人は認識する必要がある。 両者の無意識の連続体が日本人を束縛している。擱筆
9分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明3:無意識の受動的魂と近代科学・技術が、日本人の精神において、結びついたというのは確かに考えられることである。故に、「浜岡原発反対氏」(仮称)が指摘したことは正鵠を射ていると言える。
15分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明2:日本人の場合、デカルト的自我は希薄である。端的に言えば、自我は弱い。おそらく、内面の魂の側面が作用しているのであるが、無意識である。おそらく、この魂の受動性が、近代科学(物質科学・技術)と結んだのではないのか。続く。
18分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明1:先に、両者通じるというコメントを戴いたので、答えたい。 アニミズムは魂の感覚に拠る。機械・物質文明は、当然、近代合理主義を前提にする。本来、デカルトの自我=存在があるが、日本の場合、それが欠落する。続く。


»
resurrection
neomanichaeist resurrection

狂気の複合権力。日本民族は母権民族と父権民族の混合。古代は前者がベースで後者と結合したが、江戸時代で衰退し、新父権と新母権が生成した。明治維新は後者に拠るが前者が権力を簒奪し、父権封建的中央集権国家を確立するが、優越妄想独善狂信のために戦争で破滅、そして、今日、福島原発事故で、

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10875456067.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11271794452.html

http://protophilosophy.noblog.net/blog/m/11349285.html
protophilosophy(タイトルタグ)
INNOVATION OF PHILOSOPHY



参照:toxandoria氏は、アベコベ(安倍媚米)政権の精神力学的問題点をごてごてしているが、捉えているように思える。
天皇の政治利用と国民主権・政教分離軽視で正統保守(文化遺産的自律国)の情報保全体制と国際コミットメント信用を失う安倍政権CommentsAdd Star

「靖国英霊・原発(ウラニウム・放射能)アニミズム国策融合&異端審問」の体制確立で、<NHKが「偽装極右一派」支配下の安倍・日本放送協会AHK/言い換えれば「NHK(ことAHK)から戦争が始まる」体制の確立を狙った狡猾な布石!>と化すカウントダウン開始!新任4人は安倍首相と近く露骨な政権色が濃い人事!2013年11月2日http://urx.nu/5zXG

⇒ NHK経営委員 限度超えた安倍カラー、 毎日・社説 2013.11.2

・・・今回の人事案に挙がっている新任の4人は安倍カラーが濃い。哲学者の長谷川三千子さんは保守派(ならず擬装極右派←只野親父、補足)の論客で、昨年9月の自民党総裁選で安倍首相を応援した。作家の百田尚樹(戦中ゼロ戦特攻隊式(浪漫派イロニー愛国)政治派)さんもやはり総裁選で安倍首相を応援し、首相就任後に雑誌で対談して意気投合している。日本たばこ産業顧問の本田勝彦さんは首相が少年時代に家庭教師を務め、首相を囲む経済人の集まり「四季の会」のメンバーだ。中島尚正さんは海陽中等教育学校長だが、同校は首相のブレーン、JR東海会長の葛西敬之(リニアのための原発推進派←只野親父、補足)さんが設立に尽力した。

・・・菅義偉官房長官(Jap.ゲッペルス官房長官と改名すべきだ!←只野親父、補足)は「信頼し、評価している方にお願いするのはある意味では当然だ」と人事案が首相主導で練られたことを隠さなかった。

f:id:toxandoria:20131105045241j:image:w450

■【NSC(国家安全保障会議)大本営発表方式/「靖国英霊&国策原発アニミズム融合」合祀化なるアベ偽装極右一派式「狂想政治暴走」の証拠】例えば、汚染水問題も警備と絡めれば容易に「特定秘密」化し得る ⇒ 原発の警備「特定秘密指定あり得る」森雅子担当相11.1朝日http://urx.nu/5AcD <注記>画像は、http://urx.nu/5AcP より転載。

f:id:toxandoria:20131105045242j:image:w450

■【これもNSC(国家安全保障会議)大本営発表方式/「靖国英霊&国策原発アニミズム融合」合祀化なるアベ偽装極右一派式「狂想政治暴走」の証拠】誰が開戦決定したかの特定秘密化で国民があずかり知らぬ内に日中戦争の最中!という恐るべき場面があり得る! ⇒ 特定秘密 約40万件指定で調整11.2NHKhttp://urx.nu/5AcF <注記>画像は、http://urx.nu/5AcF より転載。

■日本版NSC(国家安全保障会議)は、議事録をとらないと政府答弁。例えば、イラク戦争のように証拠のない戦争参加を決定する場合を考えてみよう。会議に立ち会った公務員らは秘密保護法で口を閉ざし、誰が戦争参加を決めても責任を問われない。無責任国家だから一層危険。http://urx.nu/5AcF 金子勝 @masaru_kanekovia web2013.11.02 07:50只のオッサン(脱原発への急転向者)さん他、338人がリツイート

1 安部式・忠君愛国(神話・天皇重視)教育を先取りする「宮城県議会の恐るべき天皇の政治利用(“つくる会教科書”関連請願の採択)」

1−1 安部式・忠君愛国(神話・天皇重視)教育に共鳴する「宮城県議会の“教室から戦争が始まる体制を?つくる会教科書”関連請願の採択」は、恐るべき戦前型「天皇の“密教”政治利用」の取り戻し

f:id:toxandoria:20131105045243j:image:w600

■日中戦争(願望的ホンネでは日米戦争)も辞さぬ<NSC(国家安全保障会議)と秘密保護法の合体による戦前ソックリの「極右軍事政権型大本営」出現の危険性/アベのこれこそが「天皇の“密教”政治利用!」>を米リベラル派は直視!その先駆けは既に宮城県議会で観察される!(↓*)2013年11月1日

⇒ NYタイムズ 社説で「日本版NSC」「秘密保護法」断罪の波紋2013.11.1日刊ゲンダイhttp://urx.nu/5zmn <注記>「一般国民を広く柔らかく洗脳するための分かり易い“顕教”システム」としての天皇、同時にその天皇を政治の道具として狡猾に活用する戦前型「天皇の“密教”政治利用!」については、下記(参考)を参照のこと

*アベ式愛国教育(神話・天皇)を先取りする、「宮城県議会の恐るべき“密教”利用を視野に入れた、先ずは“顕教”型での天皇の政治利用ということ!/追憶のカルトなる近世日本の伝統テロリズム」(“つくる会教科書”関連請願の採択)?忠君愛国・教育勅語式のおしつけは理不尽!正統保守・愛国を自負するなら政教分離・脱原発・歴史経験重視・授権規範であるべき!/つくる会教科書側からの圧力行使は余りにも奇っ怪千万!<靖国英霊&原発カルト融合国策合祀>の先取り! ⇒ 「神話や天皇」、「日の丸や君が代」など(戦前教育型)の項目を点数評価し反映させるよう県教委に指導を求めた「新しい歴史教科書をつくる会」県支部の請願(これぞ、性懲りもなく悪質なアベ自民党による天皇の政治利用/追憶のカルトなる近世日本の伝統テロリズム)を賛成(圧倒的!)多数で10.30に採択http://urx.nu/5zmN 

・・・問題は、これが国政選挙で安倍・自民党が誕生した時と似たようなパターンの選挙民一般(宮城県民)の特異な行動(orアベノミクスと同じことで、原発利用型経済への過剰期待?)の中で起こった出来事であること。つまり、この「つくる会」からの請願なるモノが、約7割の選挙民(有権県民)の棄権(国政選挙では、約5〜6割の選挙民(5千〜6千万人)の棄権が常在化している!)という異常環境のなかで、しかも「50万票VS9万票の大差」で現職・村井知事が反原発派に圧勝した直後に、突然、引き起こされたように見えることだ。

・・・比較的意識の高い宮城県民が経済復興に、より期待する気持ちは理解できるが、一般選挙民の無関心を奇貨として、安倍&維新に繋がる偽装極右勢力が一気に反動の総攻撃をかけてきたような感がある。

・・・しかも、宮城県は福島県内の遠隔地よりフクシマ原発事故現場から近距離であること(せいぜいで70〜100km程度)、またプルサーマルの女川原発から地方中核都市・仙台の中心地までは40km程度の距離しか離れていないにもかかわらず、殆どの県民・仙台市民には原発事故に対する危機感が感じられない。

・・・おそらく、この空気では<靖国英霊の国策化と国策原発を同時に受け入れることが県民(国民)の責務である>とする大方針が示(下賜)されれば真っ先に、それに従ってしまうのは宮城県では?と懸念される。

・・・尤も、圧倒的多数派である約7割の県民は傍観者の立場を取っている訳だ。しかし、安倍政権による筋違い(本来のスパイ防止法とは異なる国民監視目的)の“秘密保護法+日本版NSC”の悪用(その本来あるべき姿は、正統保守に基づく自律国としての情報保全体制の確保ということであり、国民統制・監視・支配のツール化ではない!)による<国策靖国英霊&原発(ウラニウム・放射能)アニミズム合祀の大方針が示(下賜)され>た暁となってから“コリャ大変だ!”と騒ぎだしても後の祭りとなる訳だ。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20131105/p1

toxandoria

toxandoria
『toxandoria の日記、アートと社会』


2012年07月28日(Sat)▲ページの先頭へ
日本支配層の集団主義的父権主義に拠る狂気錯乱の解明
日本支配層の集団主義的父権主義に拠る狂気錯乱の解明

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

日本国の支配層が金目当てで、狂気錯乱しているのは、常識のある人間の目にはまったく明らかであるが、では、どうして、それほど、アホ的に狂うのか、その原因を考えてみたい。(もっとも、これは、既述済みであるが。)
 既述したように、明治維新以降、父権主義が支配的になった。これは、同一性主義である。唯物論である。
 それは、陽・凸i・自己を中心とする視点をもつ。しかしながら、日本父権主義は、集団主義が混入している。
 故に、完全に、自我主義にはならない。集団主義的父権主義である。
 つまり、権力的集団が主となり、それに従う父権主義である。
 権力的集団が中心であり、単に、それに服従する父権主義なのである。
 無双PS原理から言えば、陽・凸i・自己と陰・凹i・他者が未分化で、両者の間で揺れ動いているのである。つまり、半陽と半陰の未分化様態である。
 半陰は、外在的権力に従う。つまり、集団主義である。半陽は、内在的権力、つまり、自我に従うのである。父権主義である。
 つまり、権力には唯々諾々と服従し、それ以外では、内なるエゴイズムを放らつに行なうのである。
 これで、一応、解明した。

追記:丁寧に言うと、権力的集団と一体化している半自我的父権主義である。つまり、外在的権力集団と父権的自我が一体化しているのであり、権力的集団と自我の区別がつかない、未分化様態にあるのである。
 また、集団主義的父権主義の狂気錯乱と述べたが、それには、邪悪さも当然あるのである。
 

(07/27)大阪の子どもを福島県へ−福島ステークホルダー調整協議会の黒い霧
http://onodekita.sblo.jp/article/57285153.html


チェルノブイリが起きた時に、ソビエト政府は一週間で子どもを含めて、避難させました。そして、徐々に避難区域を拡大し、いまでは0.28マイクロシーベルト以上の放射線量の村が全て廃村に。チェルノブイリから180キロ圏内のほとんどの村が消えた。 という状況です。

 翻って日本は、警戒区域を解除し、今度は楢葉町まで解除し、子どもを戻すそうです。なぜ、ソビエトと正反対のことをやるんでしょうか。どちらかが間違っているのは間違いありませんが。日本人は、ヒロシマ・ナガサキを経験したから特別放射能に強いとでも言うのでしょうか。

 大阪の茨木市の教育委員会がにわかには信じがたい企画をこの夏休みにします。

院長の独り言


オスプレイ問題で見えてきたこと:グア...
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/30014843.html

2012/7/27(金) 午後 0:51
新ベンチャー革命 2012 年 7 月 27 日  No.608 タイトル:オスプレイ問題で見えてきたこと:グアム移転したがっている沖縄米軍を必死で引き留めているのは日米安保マフィア日本勢だった 1.大手テレビ局、オスプレイ報道に限って、まともになった?   2012 年 7 月 26 日のテレ朝報道番組モーニ ... すべて表示

新ベンチャー革命


2012/07/28 : 政治・権力・陰謀 : 尖閣問題、オスプレイ、原発再稼働にみる“煽動的噴き上がり”想像以上に危険な水域  『世相を斬る あいば達也』
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-947.html#more


『文殊菩薩(ブログ版)』





人間には、悪人と善人がいるという単純な事実認識:父権的人間は冷酷利己主義で共感・霊愛性が欠落する

テーマ:二つの日本民族:母権民族と父権民族

以下、『「10年に一度の大物次官」と言われるのなら、増税後に購入して、少しでも庶民の痛みを感じることぐらい、簡単にできるハズなのだが。』とあるが、これは、実に甘い認識だと思う。
 人間を一様と思うのは、現実的には誤りだと思う。悪人もいれば、善人もいるのである。
 もっとも、理念・宗教的には、全員が救いの対象ではあるが。
 渇穢夷痔牢氏は、明らかに、・・・である。そのような人間に対して、「少しでも庶民の痛みを感じることぐらい、簡単にできるハズなのだが」とはまったくの大甘の認識である。
 これまでの私の議論から言えば、父権的人間は、利己主義であり、共感性・霊愛は欠落しているのである。

追記:丁寧に言うと、一人の人間の精神・心の内部には、善と悪の極性があると考えられる。ただ、悪人は、悪の極性が極大的で、善の極性を圧倒しているのである。
 とまれ、近現代日本人の問題は、既述したように、端的に、集団主義的父権主義に存すると言える。
 それは、これまでの仮説では、弥生的農耕文化的集団性と大陸的父権主義の混淆である。
 今、思いついたが、前者の弥生農耕文化的集団性であるが、単純にそれが、そのまま、今日の集団主義になっているのではなく、江戸時代の封建制を通じて、形成された、封建的集団主義を経過して、今日の集団主義になっていると推測される。
 だから、集団主義的父権主義とは、江戸時代の封建制を経過した明治維新の中央集権主義のもつ父権主義を内在しているということになる。

【経済の死角 】
消費増税案が衆院通過して、アタマの中は優雅な老後のことですか 勝栄二郎(財務事務次官)が駆け込み購入か?「豪華すぎる新居」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33106



その一方で、こんな皮肉な見方をする人もいる。
「家賃の安い公務員宿舎に住んでいる間にずいぶんと蓄財したんでしょう。ただし、実際のところ、消費増税の実施までまだ2年あるとはいえ、こんな時期に買うなんて駆け込み購入と国民に非難されても仕方ない」(前出・経済部記者)
 勝氏本人を直撃した。
---新居の住み心地はいかがですか。
「・・・・・・・・・・・・」
---このタイミングで引っ越した理由は? 駆け込み購入ですか。
「・・・・・・・・・・・・」
 終始仏頂面で、ひと言も発さず迎えの車に乗り込んだ。「10年に一度の大物次官」と言われるのなら、増税後に購入して、少しでも庶民の痛みを感じることぐらい、簡単にできるハズなのだが。
「フライデー」2012年8月3日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33106?page=2


2012年06月10日(Sun)▲ページの先頭へ
日本父権主義とは何か:無意識の母権極と封建的同一性・自我主義の複合的バイアス
テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

再考:日本民族における母権と父権の極性:父権的傾斜と母権的均衡
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11272909996.html

上述における日本父権主義の説明を整理する必要がある。
 少し復習すると、日本民族は、ベースの母権的民族に大陸からの父権的民族が進入し、初期において後者が前者を支配するが、その後、両者の混淆・結合・融合が進み、その結果形成された(言わば、多民族融合民族)。
 その融合の結果、日本民族文化は、母権極と父権極の両極をもつ極性性を帯びた。
 日本父権主義は、その父権極の傾斜をもつものであるが、母権極を無意識的にもっている。
 江戸時代において、日本父権主義は封建制のイデオロギーを強く帯びた。つまり、封建的父権主義となった。
 まとめると、日本父権主義は無意識的母権極をもつ封建的父権主義となった。
 そして、父権主義とは、自我の同一性主義を帯びているから、結局、日本父権主義は、無意識的母権極をもつ封建的父権的自我・同一性主義ということになる。
 ここで、先の論点を当てはめると、無意識的母権極には、アニミズム、シャーマニズム等の非合理性があり、封建的父権性は中央集権的権威主義があり、自我・同一性主義は合理主義への志向はあるが、また、利己主義があるということになる。つまり、日本父権主義は、

1)非合理性:アニミズム、シャーマニズム、等の原始的宗教性
2)封建性:中央集権的権威主義
3)自我・同一性:合理主義と利己主義

の三点の複合体であると考えられる。
 この日本父権主義に近代西洋文明(簡単に近代合理主義としておく)が導入されたときどうなるのか。
 近代合理主義は、個の覚醒と近代的自我に拠る合理主義であるが、日本父権主義には、両者を欠いているので、近代合理主義は、自我・同一性における合理主義において一面・一部は受容されるが、非合理性、封建性、利己主義によって歪められ、捩じ曲げられて、奇妙キテレツな、グロテスクな、戯画的な似非近代合理主義になったと考えられる。
 自我・同一性における合理主義は機械的な合理主義、同一性主義のことであり、個や差異に基づく合理主義ではないので、集合的なものであり、封建的体制によって、全体主義化すると考えられる。
 近代西洋文明を導入した日本父権主義において、近代主義に値するものは、機械的合理主義=同一性主義と利己主義であり、その他は、前近代的な、無意識の原始的宗教性、封建的権威主義・ヒエラルキー体制で、それらは複合的に、いわば、狭隘閉鎖的な部族的「村」的な集団・集合主義、日本的全体主義を形成したと考えられる。
 後で、さらに整理したい。

追記:大本教や日月神示では、「大洗濯」、「大峠」と黙示録的視点を提示するが、思うに、日本人は心、精神、意識の「大洗濯」が必要である。明治維新、戦後主義において、否定排除された、日本母権主義、新母権主義へと回帰すべきである。
 肚・魂という基底への回帰である。それは、また、超越性の肯定である。つまり、超近代、トランス・モダンである。もっとも、日本の場合、同時に、トランス・プレ・モダンでもあるが。そう、日本民族文化は、近現代において、複雑骨折して、正に、無秩序、カオス状態なのである。

比較参照:
【フクシマ原発事故】 国会事故調に”極悪人”清水前社長が登場 〜今、真に問うべきこと〜

昨日(6/8)、フクシマ原発の事故原因を調べる国会・事故調査委の”大トリ”を務めるかたちで、”極悪人”清水正孝前社長が登場した。

清水正孝については、事故当時、東電の最高責任者の立場にありながら、事故の初動対応もロクにせず逃げ回っていたことは記憶に新しいが、以下のゲンダイ記事からわかるように、相変わらず”己の保身”と”責任逃れ”に終始したクズっぷりさ加減全開である。

この”極悪人”たる清水正孝が、無責任にも、炉心溶融を起こし制御不能となったフクシマ原発からの「全面撤退」の意思表示をした事実については、大手マスゴミ報道では「不明確」とされているが、ほぼこれに等しいことを口にしたことは想像に難くない話であろう。

しかし、先日のエントリーのエントリーでもコメントしたとおり、大手マスゴミどもは官邸の中でも特に菅直人に責任を負わせるべく、偏向報道を繰り返している始末である。

以下の日経記事をみれば、その姿勢に何ら変わりないことが読み取れることであろう。

”菅直人叩き”の根底にあるのは「”原発利権ムラ”に同調する人間を助け、ムラを売った人間をくじく」という実にわかり易い構図であるが、実際には、菅直人は勿論、枝野幸男、海江田万里、勝俣恒久、清水正孝、佐藤雄平ら全員が同罪であり、こやつらが今も主要なポストを務め、のうのうとシャバの空気を吸っているのは、まったく摩訶不思議な話である。

今回の国会事故調の報告・総括を待つなどと言わず、本来であれば、警察権力・検察らがこれら”極悪人”どもに対して家宅捜査をおこない、指揮権発動がなされて然るべき話であろう。


と、色々言ってはみたが、実際に必要なのは「この中の誰が悪いのか?」といった犯人の特定などではなく、事故の教訓を活かした原発監視体制の見直し・再構築であろう。

誤解しないで頂きたいのは、小生は何も原発の再稼動前提の話をしているのではなく、例えこのまますべての原発が目出度く廃炉の方針となったとしても、廃炉が完了するまでには相当の年月を要するということである。

http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/a988dcf53b385a3fa74236f558d5d722


暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜


2012年06月09日(Sat)▲ページの先頭へ
再考:日本民族における母権と父権の極性:父権的傾斜と母権的均衡
私は既述のように、日本民族は、ベースは母権的民族で、それに父権的民族が進入して、両者が混淆して、形成されたと考えている。母権的民族は、沖縄・アイヌに残ると考えられる縄文的民族と、中国から移動した弥生的民族と、ツングース系民族、他である。父権的民族は、いまだよくわからないが、中国からやってきた民族ないしは失われたイスラエルの十支族やその他である。
 母権的民族と父権的民族の混淆で著しい例は、古代ギリシアである。それは、ギリシア神話に見事に表現されている。
 そして、日本民族の混淆はやや性質は違うものの、ある意味で類似していると考えている。
 問題点は、混淆の性質である。思うに、三種類のパターンが考えられる。即ち、

1)母権的傾斜型
2)父権的傾斜型
3)母権・父権的均衡型

の三つの型である。
 日本民族文化を考えたとき、この三つの様態があるように思われる。
 とまれ、確認すべきは、母権極と父権極があり、この極性の陰陽的様態において、日本民族文化を見る視点である。
 言い換えると、初めは、母権的民族が存在し、その後、父権的民族が到来して、後者が支配的になったが、時代が経つにつれて、両者が混じり合い、母権/父権的極性的民族・文化が形成されたと考えられる(仮説)。
 私がアニミズムと機械・物質文明の連続性について述べたが、そのとき、自我は弱いと述べた。その意味はこの極性的様態から考えるべきである。つまり、ストレートな父権主義ではなく、母権的極性をもっている父権主義なので、自我が、純粋父権主義の自我から見ると、「弱い」ものとなるのである。しかしながら、「弱い」とは言え、父権極的自我は存在するのである。
 とまれ、アニミズムと機械・物質文明の連続化は、ベースにある母権極にアニミズムがあり、それが、「弱い」父権的自我を介して、機械・物質文明と繋がったと考えられるのである。
 ここで、明治維新以降の「近代化」を考えると、そのような精神様態をもつ日本人であるから、近代合理主義は、欧米のものとは当然、異なるものとならざるをえない。
 つまり、西洋における近代合理主義は近代的自我(デカルトのコギト)と結びついたものであるが、日本の場合、近代的自我は、独立したものではなく、ベースの母権極のために、半近代的自我にならざるを得なかったと考えられる。
 そう、母権極の非合理性(アニミズム等)があるために、近代合理主義は、形式的なものとなり、非合理性によって歪曲されたものとなったと考えられるのである。
 明治維新以降の日本支配層は、私説では、父権主義であるが、今述べたように、非合理性をもつので、欧米の合理主義文明が非合理性によって染められたものとなったと見ても、間違いではないだろう。
 導入された「近代合理主義」、機械・物質文明は非合理性によってねじ曲げられて、無分別に、盲目・狂信的に戦争の道へ進み、「太平洋戦争」の大惨禍を引き起こしたと考えられる。
 また、戦後であるが、この非合理性をもつ父権主義は当然、清算されずに存続したのであり、それは、米国をいわば宗主国とする植民地・属国的日本をもたらしたと考えられる。
 また、敷延すれば、原発の林立も結局は、この非合理性をもつ父権主義のしからしめるものと言えよう。
 これも持論であるが、明治維新は母権的勢力を父権的勢力が制圧して生まれたものである。坂本龍馬、西郷隆盛らの母権的勢力が弾圧され、力を失ったのである。
 近世・近代の母権的勢力であるが、上述から見ると、非合理性をもつのではないかと言われるであろう。確かに、非合理性をもつが、実は、その非合理性に徹しているので、非合理性の「理性」をもつ文化をもっているのである。それが、東洋・日本的身体文化、肚の文化である。つまり、近世・近代の母権的勢力は、伝統的な東洋・日本文化を体現していた勢力であり、新たな西洋の知見をもった文明的勢力であったと考えられるのである。
 だから、母権的勢力とは実は、母権極/父権極の均衡性をもった勢力でもあったと言えるのである。そして、そこにこそ、正統な日本の未来があったと言えるのであるが、残念ながら、父権的勢力が支配して、非合理衝動である過信・盲信・狂信、慢心・傲慢、狂気・妄想、攻撃衝動のために、自暴自棄の自滅の道を辿ったのである。
 その今日的帰結が、福島第一原発の爆発による放射能汚染地獄であり、日本の経済を破滅させようとする民死倒の政権である。
 日本父権主義は、自己の基底の非合理性を確認できないために、不合理極まりない、悪魔的に利己主義的な方策・行動・態度をとってしまうのである。
 この日本父権主義の型は国民にも蔓延しているのであり、日本民族国家のいまや衰亡の瀬戸際にあると言えるのである。
 とまれ、以上から私が新母権主義を提唱する理由がいくらかはお分かりになれたのではないだろうか。
 最後に何故、母権主義に個があり、父権主義は没個であるのかを説明したい。
 つまり、母権主義は肚=魂を基底にするために、自我との意識的極性が形成されるために、他者と自我の均衡という個が形成されることになるのであるが、父権主義は肚=魂が無意識であり、賦活されないので、その無意識の衝動に支配されてしまい、自我は独立せずに、なんらかの力に支配されるのである。故に、没個なのである。

追記:上記の三種類の型であるが、結局、1の母権的傾斜型と3の母権・父権的均衡型は極性論理のために、一致することになるのである。

追記2:日本父権主義の非合理性が元凶のように述べたが、それは不正確である。非合理性と同時に、父権主義のもつ同一性・自我主義(利己主義)も極度の不合理性を引き起こす重要なファクターである。もっとも、同一性・自我主義は、本来、純粋悟性に関わり、合理主義精神に関係するのであるが、日本父権主義の場合は、その封建的権威意識が強力なために、同一性・自我主義に関係する合理主義精神の形成がはななだ未成熟であると言えよう。
 それに対して、西洋の場合、イタリア・ルネサンスや宗教改革(プロテスタンティズム)等によって個の覚醒があるために、父権主義の同一性・自我主義は、封建的権威主義を脱した為に、合理主義精神に繋がったと考えられるのである。


追記3:非合理性として、アニミズムをあげたが、当然、シャーマニズムも入れていいのである、そう、というより、入れるべきである。

**********************

魂と自我の結婚:魂の闇と自我の光:闇と光の螺旋結合
テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

以下の先に書いた叙述と参照の叙述は齟齬を来しているので、整合性のある説明が必要である。後で、考察を行いたい。

**********************

母権主義と父権主義:魂の意識と自我の意識
テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

私が説く母権主義と父権主義は女性主義と男性主義ではない。母権主義は、男性においてもあるし、父権主義は女性においてもあるのである。
 母権主義と父権主義は人間の根本的な質的差異を意味する。前者は魂を基底にしているし、後者は自我を基底にしているのである。
 日本人は母権主義と父権主義の混淆であると考えているが、明治維新以降、後者が支配的になり、前者が抑圧されたと考えられるのである。
 とりわけ、戦後の米国による一種の植民地的支配によって、日本の母権主義は否定されて、日本民族は衰滅の危機にあるのである。
 そう、母権主義とは、個に基づくのである。もっとも、正確に言えば、自我の基礎にある魂に基づく個である。
 父権的集団主義に染まって、母権的個を埋没させているのが、現代日本人である。

参照:

アニミズムと機械・物質文明
テーマ:PS理論:プラトニック・シナジー理論
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明4:両者が日本人の精神において結合しているとすると、問題は厄介であるが、PS理論によってこの問題を解明している。即ち内面の魂と近代科学・技術の切断。両者が不連続であることを日本人は認識する必要がある。 両者の無意識の連続体が日本人を束縛している。擱筆
9分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明3:無意識の受動的魂と近代科学・技術が、日本人の精神において、結びついたというのは確かに考えられることである。故に、「浜岡原発反対氏」(仮称)が指摘したことは正鵠を射ていると言える。
15分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明2:日本人の場合、デカルト的自我は希薄である。端的に言えば、自我は弱い。おそらく、内面の魂の側面が作用しているのであるが、無意識である。おそらく、この魂の受動性が、近代科学(物質科学・技術)と結んだのではないのか。続く。
18分前 お気に入り 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

アニミズムと機械・物質文明1:先に、両者通じるというコメントを戴いたので、答えたい。 アニミズムは魂の感覚に拠る。機械・物質文明は、当然、近代合理主義を前提にする。本来、デカルトの自我=存在があるが、日本の場合、それが欠落する。続く。


»
resurrection
neomanichaeist resurrection

狂気の複合権力。日本民族は母権民族と父権民族の混合。古代は前者がベースで後者と結合したが、江戸時代で衰退し、新父権と新母権が生成した。明治維新は後者に拠るが前者が権力を簒奪し、父権封建的中央集権国家を確立するが、優越妄想独善狂信のために戦争で破滅、そして、今日、福島原発事故で、

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-10875456067.html

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11271794452.html


2011年12月27日(Tue)▲ページの先頭へ
悪、詐欺・ペテン、騙し等とは何か:第一象限の自我と第四象限の物質的欲望の癒着
テーマ:evilness, egotism

悪は腹黒い。言うことと行なうことが真逆である。言葉ではAと言い、行為は反Aである。
 問題は利己主義である。これは、人間認識図では第四象限に属する。
 結局、精神が物質化したとき、人間は物質的欲望に捉えられる。それが、第四象限に属するだろう。
 しかしながら、自我凸iは悟性作用から、自己を「善」として捉える。この「善」意識は、思うに、差異共振のもつ善かに基盤があるだろう。しかしながら、自我的「善」に、即ち、独善になってしまっているのである。
 とまれ、物質世界の人間は、第四象限の物質的欲望と第一象限の自我(独善的自我)をもつのである。
 後者は独善的なので、前者のために、嘘言を吐くことに良心の呵責はないのである。むしろ、自己は正しいと考えているのである。
 これが悪、詐欺・ペテン、騙しの様態の解明である。
 MS党はこれらのタイプの人間の巣窟である。

追記:では、精神はどこに存するのか。media point、差異共振性に存する。これを覚醒させるのが「教養」である。知的魂の養成が必要なのである。理系的文系、文系的理系、文理融合教養が必要なのである。
 この教養がないために、M党は狂っているのだ。とりわけ、魂の養成を怠った輩の巣窟である。そう、端的に言えば、優れた芸術を体験してこなかったのである。また、宗教にも触れてこなかったのである。
 そして、何よりも哲学を経験しなかったのである。

追記2:また、自然・宇宙的体験が欠落していると考えられる。M党員は都市型であり、自然・宇宙的精神体験がないはずである。


2011年12月06日(Tue)▲ページの先頭へ
日本近代の超克:日本的個(魂)の覚醒に向けて:ツイッターへの一連の投稿
Mon, December 05, 2011
日本近代の超克:日本的個(魂)の覚醒に向けて:ツイッターへの一連の投稿
テーマ:日本輪廻転生
以下は即興で述べたので、誤植、言葉のミス等があるが御容赦されたい。

resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克8)収まりが悪いので、もう一言言うと、内身体にある魂を覚醒させるとき、獣性も覚醒されるのである。そう、前者がプラトンの白い馬であり、後者が黒い馬である。ここで、前者を精神的に強化させる必要がある。後者の暴走を抑える必要がある。とまれ、魂(他者)と意識の結合で個となる
3分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克7)今日は余裕がないので、ここで留めるが、個の覚醒のために、心的意識的測鉛を内身体へと垂下させることにより、魂が燃えるように目覚め、活性化されるのである。そう、魂の覚醒である。ここに個の覚醒の意味がある。魂は実は他者である。ここに精神性がある。しかし、獣性もある。

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克6)これで問題の在り処が判明したと言えよう。個の覚醒が必要なのである(ツイッターの良識ある人には当てはまらないが)。では個をどうしたら覚醒されることができるのか。これは実は東洋・日本的身体論に回帰することで可能である。心的意識的測鉛を内身体へ垂下させることが必要だ。
9分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克5)民主党、東電、経団連、知事・市長、役人・官僚(一部)他の大醜態は、この半封建・半近代的没個的自己によってもたらされていると言える。権力と金に従属するだけの魑魅魍魎たちに過ぎない。そして、民衆・国民も俗世に溺れて愚民化しているのであり、悪賢い権力複合体に騙される。
12分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克4)権力に盲従する集合的自己であるために、個に内在する善・道徳・倫理が形成されないまま日本近代は形成された。そのために、資本主義は国家資本主義となり、自由主義を否定した。そして、民主主義も形式ばかりの建前に過ぎなかった。個の土台の上に、自由主義、民主主義は存する。


»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克3)欧米的個の不確立と言ったのが、欧米文化を真似することはできない。日本的個(母権的個)というものが伝統的にあったが、明治以降ほぼ否定されてきたのである。つまり、伝統・民族文化に即した個の形成の失敗があるのである。結局、権力に盲従した半封建・半近代的自己が形成された
19分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克2)日本の心性も問題は大きく二つある。一つは封建的心性の遺制であり、一つは近代合理主義/近代的自我である。あるいは意味で両者は矛盾するが、日本近代において、前者のベースの上に後者が形成されたみていいだろう。言い換えると半封建・半近代主義である。欧米的個の不確立である
21分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

日本近代の超克1)放射能汚染と経済崩壊の二つが日本を滅亡させんとしている。私は生まれ変わる為にはいったん滅亡がよいと既述した。滅亡は現実的となったが、はたして生まれ変わるかははなはだ疑問である。そこで、生まれ変わるための視点を説きたいと思う。これは心性の問題が基本である。続く。


小沢の限界。結局、民主党の枠の中の人間。つまり、権謀術数。
テーマ:悪魔に魂を売った売・亡国民主党政権
resurrection
neomanichaeist resurrection
@
小沢の限界。結局、民主党の枠の中の人間。つまり、権謀術数。 @troussier100 もう無理だと思う。 RT @headline : 【政治】民主党・小沢元代表「民主党を立て直したい」: j.mp/rPzr4C


差異的民意と同一性的民意。前者が本体、後者は仮構だ。民主主義的擬制
テーマ:politics:democracy
resurrection
neomanichaeist resurrection
@
差異的民意と同一性的民意。前者が本体、後者は仮構だ。民主主義的擬制@neomanichaeist 民意とは何?現実の民意と選挙での民意がある。二つの民意。後者だけを肯定するのは無謀乱暴。 @nanaironotsuki 電話に出た男性は、松井と橋下は瓦礫受け入れしたいとちゃんと


»
resurrection
neomanichaeist resurrection
@
民意とは何?現実の民意と選挙での民意がある。二つの民意。後者だけを肯定するのは無謀乱暴。 @nanaironotsuki 電話に出た男性は、松井と橋下は瓦礫受け入れしたいとちゃんと新聞などにハッキリと公表して市長と知事に当選したので、大阪に瓦礫受け入れても良いというのが府民の答え


Tue, December 06, 2011
滅亡・絶滅に瀕している日本の救世主は精神・理論的にはPS理論:生命・物質的には乳酸菌・光合成最近
テーマ:Japan Resurrection
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

滅亡・絶滅に瀕している日本の救世主は精神・理論的にはPS理論であり、生命・物質的には乳酸菌・光合成細菌である。ただし、霊主体従主義だプラトニック・シナジー理論のページ sophio.blog19.fc2.com 飯山一郎のLittleHP grnba.com/iiyama/


2011年11月30日(Wed)▲ページの先頭へ
「木にだにも御形を移すありがたや 法の御音は谷のひびきか」 円空。
テーマ:新母権的社会:差異共振共同体

「木にだにも御形を移すありがたや 法の御音は谷のひびきか」 円空。

008-01-22 心の闇:現代日本人に感じられる心の暗黒:死せる魂と不気味な闇CommentsAdd Star

心の闇:現代日本人 に感じられる心の暗黒:死せる魂と不気味な闇

テーマ :ニッポン亡国の凶相

現代日本は、暗い。心の闇が広がっている。あるいは、せいぜい灰色の心があるだけである。

 不気味な闇、灰色の心、これは、心の「神」を否定した結果である。戦後 の近代合理主義/民主主義が、心を魂を凍らせているのである。そう、凍って闇になっているのである。心が冷たい石のようになっているのである。

 これは、アメリカ 的近代合理主義から来ている闇である。金の亡者 の心の闇から来ているのである。自らの心の動きを信ぜず、ただ数量化された数字から判断する冷たい闇の心から発しているのである。

 これが、戦後 日本を襲ったのである。冷たい体である。超越光=御神火がないのである。

 火の復活が必要である。超越光の新生 が必要である。そう、光とは火である。火かりである。

火かりを亡くした日本人 の心の闇

深い不気味な心の闇

冷たい灰色の心

冷たい身体

ご神火・超越光をともす必要がある。

おそらく、現代世界 は滅びる必要があるのだろう。

新大 洪水 の時代である。

誰がこんな日本にしたのか

こんな闇の日本にしたのか

それは日本人 に勇気 がないからである

怯懦であるからである

死せる魂の日本人

心の神を否定した日本人

神無国

心の神の音楽 を聴くのを忘れた日本人

心の神の光を見つめるのを忘れた日本人

そう、心の神は、計量・自我 化できない。それは、ただ、あるのである。

心の神はただそれを認めるしかない存在 である。

心の神を迎えること、心の神がマレビトである。

そう、心の神を排除しているから、日本人 は、

権力 を恐れているのである。怯懦なのである。

心の神の否定と奴隷 ・家畜とは一体である。

心の神を恐れているので、権力 を恐れているのである。

心の神の影が権力 なのである。

心の神が復興 力である

端的に、何が、心を冷たくしているのか、闇にしているのか

心の冷暗は何が生んでいるのか

そう、三島の言った断絃の時、

心の音楽 の喪失 があるのである。

心の音楽 とは何か

それは、神仏の音楽 である。

心の御音が聞こえないのである。

「木にだにも 御形を移すありがたや 法の御音は 谷のひびきか」


円空 円 空

http://www.vill.tenkawa.nara.jp/sightsee/tenkikawa/yukari.html


「木にだにも 御形(みかた)を移す ありがたや 法(のり)の御音(みおと)は 谷のひびきか」

http://www.econavi.org/weblogue/special/30.html


http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20080122

PS理論講座


2011年11月28日(Mon)▲ページの先頭へ
恥毛(恥舌)軍門勝利について:ルサンチマン力学と父権主義:新母権的共同体へ向けて
恥毛(恥舌)軍門勝利について:ルサンチマン力学と父権主義:新母権的共同体へ向けて

テーマ:manichaeism: 哲学

resurrection
neomanichaeist resurrection

7)父権主義とは物質文明を意味し、母権主義は精神文明を意味するが、西洋父権文明は物質文明、資本主義文明を発達させたのであり、その帰結が原発爆発放射能汚染であり、TPPであり、民主党、恥毛(恥舌)悪魔軍門の勝利である。以下を参照されたい。 sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-176…

お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

6)これで終えるが、恥毛(恥舌)問題は、結局、精神文化、精神社会、精神政治、精神経済の問題である。唯物論に染め上げられた現代日本人の思考を超克する必要、必然性がここに示唆さていると言える。これは言い換えると、父権的近代主義から母権的脱近代主義、母権的共同体主義への大転換を意味する
1分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

5)恥毛問題であるが、最初に述べたように、ルサンチマン力学は頭脳、合理主義では解決できないのである。何故、プラトンが『国家』でイデア論を説いたか考える必要がある。古代ギリシアは直接民主制の弊害に悩まされていた。大哲学者プラトンは物質界を超える魂の次元の必要を提唱したのである。
5分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

4)某国は恥毛(恥舌)の独裁主義の勝利にほくそ笑み、民主党に続く、日本支配の道具に使用するだろう。某国の走狗となるのは目に見えている。愚民は墓穴を掘ったのであり、自らを断頭台に送ったのである。悪汚詐禍塵に葬送の言葉を贈るしかないだろう。オウンゴールお目出度う。愚民人口削減ができた
13分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

3)恥毛(恥舌)のルサンチマン力学であるが、単に破壊主義だけではなく、利己主義であるから、背信することなぞ気にかけないのである。彼を信頼した人間はすべて裏切られるだろう。とまれ、経済的には彼は新自由主義者であり、社会的絆、共同体性、民主主義は完全に否定される。愚民の暴挙でもある。
17分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

2)恥毛(恥舌)のルサンチマン(怨恨、怨嗟)の由来は育ちによる差別や環境が大きいと言えよう。(本来は内在的)このルサンチマン力学は権力、権威あるものを単純に否定することを目指しているのであり、単に破壊主義で、創造が欠落しているのである。破壊欲であり、破壊すれば満足なのである。続く
24分前 お気に入りに登録 返信 削除

»
resurrection
neomanichaeist resurrection

1)恥毛(恥舌)の問題は、頭脳では解明、解決はできない。これは無意識ないし魂の次元の問題だからだ。愚民、衆愚政治の問題も同じである。先述したように、俗人・凡人にはルサンチマン(怨恨、怨嗟)が生じるのであり、自分よりすぐれたもの(誰かの説明では少し上位)を憎悪し、否定するのだ。続く

参考:

橋下徹氏・大阪維新の会と公明党が裏取引 なにが維新の会と既成政党の戦いだ

維新の会は自民党出身者で作り、国民新党やみんなの党の支援も受けて、その上公明党とも取引しているなんて、ちゃっかり自分は既成政党と持ちつ持たれつなんじゃないですか。

http://ameblo.jp/don1110/entry-11091475758.html
donのブログ


2011年07月15日(Fri)▲ページの先頭へ
日本の政治は構造主義:背後の力は米帝国権力
日本の政治の二項対立の背後にある超越的力とは米帝国権力と考えられないだろうか。
 本来、独立国は「個」としての政治的意思をもたなくてはいけないが、「個」を喪失した日本国は、二項対立が常に政局的に変動しているように思える。
 これは、精神的フィルター的構造主義ではないだろうか。連続的同一性自我意識があり、それが二項対立なのである。しかしながら、無意識をコントロールしていないので、米帝国権力によって支配されているということではないだろうか。
 つまり、米帝国権力が日本国政治の無意識になっているということである。父権的傾斜の力学である。
 日本国の政治が自身の無意識の力と米帝国権力とを重ねているのではないだろうか。
 換言すると、政治のmedia pointを恐れて、それと米帝国権力と重ねているのではないのか。即ち、日本国政治は自己固有の東洋的政治権力を恐れているのではないのだろうか。それは、戦後の日本国の被支配的政治スタイルだろう。日本民族の固有的権力が奪われたのである。
 後で整理したい。
 
民主、支持率下落に危機・虚脱感=野党、即時退陣を重ねて要求−時事世論調査

 菅内閣の支持率が2009年9月の政権交代以降最低の12・5%にまで落ち込んだことで、民主党内では党の先行きへの危機感や菅直人 首相を退陣させる手だてが見当たらないことによる虚脱感が広がった。一方、野党側は、首相の即時退陣を改めて求めた。
 民主党の岡田克也 幹事長は14日の記者会見で「しっかりと与党議員としての責任を果たすことが求められている」と述べ、特例公債法案の成立など首相が挙げる「退陣3条件」の達成に引き続き全力で取り組む考えを示した。
 もっとも、6月2日に退陣表明しながら居座り続け、新たな政策課題を打ち出す首相だけに、仮に3条件が達成されても辞任する保証はない。党幹部は「議員一人一人が受け止めないと信頼回復はできない」と危機感をあらわにし、若手議員の一人は「首相は支持率に関係なく続投する気だ。森内閣での最低記録(9・6%)を抜けるよう頑張ってほしい」と、皮肉交じりに語った。渡部恒三 最高顧問は記者団に「党の国会議員も、一人か二人を除けば、『一日も早く辞めてほしい』と思っている」と指摘した。
 これに対し、自民党の谷垣禎一 総裁は14日の記者会見で「国民からレッドカードを突き付けられている状況。大胆な政策展開は不可能だ」と、首相の続投を認めない立場を強調した。その一方、党内では、特例公債法案の成立に抵抗し、不人気の菅首相を衆院解散に追い込む戦略もささやかれ始めている。別の党幹部は「菅首相に解散してもらうのがベストだ」と述べた。
 公明党の山口那津男代表は取材に「一刻も早い退陣」を迫りつつも、「被災者のため、政府・与党と協議していく」と、必要な協力には応じる姿勢を示した。共産党の志位和夫 委員長は「(国民は)この内閣では国難への対応能力がないと判定している」とし、みんなの党の渡辺喜美 代表は「国会が首相の首を切れないなら、解散・総選挙で国民に首切りをしてもらうしかない」と解散を求めた。(2011/07/14-20:42)


http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2011071400906


2011年05月31日(Tue)▲ページの先頭へ
封建・国学的父権的自我権力と新母権主義・新東洋主義・新個的共同体主義
封建・国学的父権的自我権力と新母権主義・新東洋主義・新個的共同体主義

テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

『近代日本における封建・国学的父権的自我的権力支配と新母権主義・新東洋主義・新個的共同体主義:国家統制資本主義から個的自由資本主義(新自由共同体主義)への転換』



戦後、米属国であることを選択した日本の与党。その精神力学の基盤は封建主義にあるだろう。主従ヒエラルキーがあり、それに属せば、身分が保障されるし、自分より下位のものを支配することができる。主が米国であり、自分より下位が日本国民である。この封建的力学が原発推進となった。民主主義は偽装に過ぎない。

この考えとこれまで述べてきた国学的一神教を背景とする「尊王攘夷」的父権的自我を合わせると、明治近代以降の日本の支配者層の精神力学が明快になるだろう。即ち、封建・国学的父権的自我の優越妄想主義である。優越妄想主義は封建制と排他的な民族主義的一神教(国学)が結合した父権的自我の様態である。

だから、これまで、近代日本は半封建・半近代主義であるというはここからも検証できる。

問題は明治維新の背景には新母権主義、新東洋主義、新個的共同体主義(これらは、坂本龍馬らの東洋的開国主義に存した)があったのであり、これも明治維新後も通奏低音のように存在したが、封建・国学的父権的自我の支配権力によって抑圧されてきたと考えられる。もっとも、それらをベースとする文化も生まれた。例えば、鈴木大拙の禅仏教の発展はそのようなものであるし、宮沢賢治もそのような側面をもつだろう。

しかしながら、国民は脱亜入欧・富国強兵路線の政府に洗脳的に支配されて、愚かな戦争へと没入して、滅亡した。そして、戦後は上記した通りである。

今日、日本支配層の封建・国学的父権的自我の優越妄想主義の打破が必須である。新母権主義、新東洋主義、新個的共同体主義への転換が要せられる。これは、超維新である。

経済的に言えば、国家統制資本主義(社会主義)から個的自由資本主義への転換である。

参照:
「フクシマ」のあと

日本の人は、今回の事故で詭弁の才能を遺憾なく発揮した、とPが怒っている。
これほど長期にわたる大量の放射線物質の流出は前例がないから、データがない。
データがないことを利用して、日本人科学者たちは物理学者から医学者に至るまで
「危険とは言えない」という。
そう言っても科学の世界では非難しようがないからです。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/18/%E3%80%8C%E3%83%95%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%A8/
ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日


2011年04月06日(Wed)▲ページの先頭へ
福島第一原発破局は西洋文明、父権制、物質主義(唯物論)の終焉の烽火だ
テーマ:アイオーン・エポック:母権霊的ルネサンス

父権主義とはそもそも狂気なのである。それは、PS理論の自己認識方程式凸i*凹i⇒凸(+1)に提示されている。
 本来、差異共立(陰陽)であるものが、連続的同一性的転換(精神的フィルターあるいはmedia point transformation)によって、物質化、自我化されるのである。
 この物質化・自我化が父権主義の帰結なのであり、それは、源泉の差異共立(母権)を忘失しているので、錯誤状態に陥っているのである(仏教では無明むみょう)。
 また、単に、錯誤状態だけではなく、凸iに傾斜しているので、他者凹iに対して、意味なく、優越(同時に劣等感)を覚えるのであり、その点で、優越妄想を形成しているのである。
 いったい、凸iの傾斜、自我主義の意味とは何なのか。それは、既述したように、物質世界の形成であり、同時に、『個』の自覚である。
 差異共立が同一性自己=自我(物質的自己)となり、人間は疎外を覚えるのである。
 そう、物質的自己(自我)になることで、本来の差異共立(MP1)が芽生えるのである。
 自我から『個』への覚醒である。そして、この『個』とは、他者にほかならないのである。つまり、『個』において、共同主義が発生するのである。『個』即『他者』である。
 思うに、『個』的共同体であるが、『個』的共一主義と言ってもいいだろう。
 この共一主義とは、D. H. ロレンスの言うコスモス主義である。ここでは、差異共立体としてのコスモスがあるのである。
 それは、人間認識図では、第三象限である。
 今はここで留める。


参照:人間認識図

Japonesian Apocalypse:DAWN OF AEON EPOCH:


2011年04月05日(Tue)▲ページの先頭へ
父権的自我が資本主義と連続する:父権的自我の資本主義的被洗脳:新母権的個的「内臓」精神へ
画像付きは以下を見られたい。
http://d.hatena.ne.jp/antares/20110405

テーマ:アイオーン・エポック:母権霊的ルネサンス

今は余裕がないので、簡単に触れるだけだが、以前、ヤハウェが唯物論の根源であると粗っぽく述べたことがある。
 今思うのは、父権的自我が資本主義的意識と連続化しているということである。
 近代の問題と言うよりは、父権的自我の問題である。PS理論では、凸iの傾斜問題である。
 そう、単純化して言えば、父権とは凸iであり、母権とは凹iと見ることができる。
 西洋文明は両者があるが、前者が支配的なことは言うまでもない。 
 日本は、本来、後者をベースに前者を取り込んでいるが、私見では、後者がデカダンスとなり、前者の暴走が始まったのが、江戸時代後期以降の日本である。とりわけ、明治以降の日本である。
 思うに、日本の母権主義はある意味で、坂本竜馬らの開国主義において、蘇ったが、無軌道な父権主義によって、葬り去られたと思う。
 ここで、有り体に言って、金儲けという利己主義的欲望は、父権的自我に自動的にセットされていることを問題視したい。
 これは、差異共振(母権精神)の連続的同一性体であり、貨幣・資本崇拝(カルト)となるのである。これは、優越的妄想・狂信・盲信性、ナルシシズムをもっているので、度し難いのである。
 原発路線も当然、この父権的自我の貨幣・資本崇拝に拠ると言えよう。
 結局、今日の日本の「黙示録」の意味することは、この父権的自我主義を超克する、新母権主義へとパラダイム・シフトすることと考えられる。
 伝統的東洋的日本文化に回帰する必要がある。脱亜入欧、戦後の被占領によって喪失した肚の文化を取り戻す必要がある。
 「内臓」が直観するのである。「頭脳」は単なる媒体に過ぎない。
 民主党が国賊・亡国的に無能なのは、「内臓」的精神がないからである。「頭脳」だけだからである。それは、単なる反射主義であり、積極・創造的自主性・主体性、臨機応変・創意工夫がまったくないのである。端的に、『個』的共同体性がないのである。
 「内臓」とは、実に、第三象限=光の王国に通じていると思われる。そして、「頭脳」は第四象限=闇の世界に通じていると思う。
 「内臓」はスピリチュアルである。
 今はここで留める。

追記:端的に言えば、グノーシス主義が否定する創造神とはヤハウェないしは父権神である。
 ヤハウェの根源には、母権神(おそらく、エローヒーム=神々)が存するのである。これが、グノーシス主義の至高神である。それは、第三象限に属するのである。


人間認識図

Japonesian Apocalypse:アイオーン・エポックを迎える
http://photozou.jp/photo/show/240326/40644208

Japonesian Apocalypse:アイオーン・エポックを迎える
黙示録論 (ちくま学芸文庫) [文庫]

参照:
「天皇制」と封建制:近代日本の封建的国家体制:父権的自我優越妄想主義:トランセンデント・モダン
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1686.html
プラトニック・シナジー理論(旧不連続的差異論)のページ


2011年03月27日(Sun)▲ページの先頭へ
悲劇と歴史
テーマ:三千世界の立替え立直し:艮うしとらの金神

私はもう二十年前くらいになるか、歴史を動かすのは、悲劇であると感じたものである。また、常々、現代日本人は物質主義に染まり、醜態を呈していて、これには、荒療治が必要だと感じていた。
 悲劇とは実に男性的思考である。女性は本能的に悲劇を避ける。ここが女性の難点であろうが。
 私はこの度の大地震を大『神』災と呼んだ。人工地震という視点もあるが、私は天災説である。
 シュタイナーのカルマ論に拠れば、不幸は自ら招くものである。日本は戦後、唯物論に染まり、伝統的日本に背を向けて生きてきたのであるが、そのカルマが今回、大震災となったと解釈できる。
 また、馬鹿菅民主盗や大悪魔東電による人災が大破壊、大悲劇的である。
 しかし、人災を含めて、私は近代日本のカルマがここで爆発したと考える。
 人間は愚鈍な生き物で、身にしみないと、悟らないのである。私もそうである。極度の苦痛を感じないと悟らない愚鈍な、能天気な生き物なのである。
 とまれ、正に、大『神』災であり、「最後の審判」が下されたのである。これは、新たな日本の創世への「ビッグ・バン」である。
 「天罰」は日本人全体に下ったのである。これは謙虚に受け止める必要があるし、今や、民衆にとって、誰が悪人であるか明瞭になったと言えよう。民はお馬鹿で、実例がないと理解できないのである。
 因みに、何度も言うが、小泉元首相は、私は、すぐペテン師であると直観したし、菅首相も、昔の四国巡礼の編み笠の下の醜悪な顔をみて、これは、食わせ者だと思った。
 そのような直観的認識力を失った日本人に今回、鉄槌が下ったとも見るべきである。
 私はこの大災厄は大天恵であると先に述べたが、その考えを今も変えていない。

・ 不明の仲間きっと見つける 高田分団、懸命の捜索

不明の仲間きっと見つける 高田分団、懸命の捜索
AddClips ブックマークに登録  

 津波で大きな被害を受けた陸前高田市で、市中心部を管轄する市消防団高田分団(大坂淳分団長)は団員126人中27人が波にのまれた。最後まで住民の避難誘導を続け、12人はいまだ見つかっていない。残った団員は家族や家を失いながら、震災から2週間たった今も捜索に打ち込む。生存は絶望的でも「せめて冷たい場所から救ってあげたい」。その一念で命を投げ出し、住民を守ろうとした仲間を捜し続ける。

 25日午後。白い防護服の団員が身をかがめ、がれきの下をのぞく。重機の作業が中断し、遺体収容係が呼ばれた。消防団の捜索活動は連日続く。

 市中心部を管轄する高田分団は、入団したばかりの団員や結婚を控えた若手、分団の中心的存在だった幹部ら20〜50代の精鋭が波にさらわれた。

 高田分団は地震発生と同時に、避難場所の市民体育館に本部を設置。1〜6部が各持ち場で避難誘導や交通整理などに当たった。高齢者の一人暮らしが多い地区に向かった団員、高齢者の手を引いたまま不明になった団員もいた。

 避難場所だった市民体育館近くの交差点で交通整理や避難誘導を担当する1部はほぼ半数の11人が消えた。市民体育館は壁がすっぽり抜け破壊された。

 菅野達也さん(48)は「津波のばか野郎だ。全員持っていかれた」と不意の災害を恨む。及川満伸副本部長(47)は「若い団員もおり、親に申し訳ない。とにかく全員見つけ出したい」と唇をかんだ。

 本部の市民体育館にいた大坂分団長(53)は3メートルの津波情報を聞き、団員を避難させるために現場を回った。自身にも危険が迫り、陸前高田駅をのみ込もうとする黒い波が背後に。胸まで水に漬かったが、奇跡的に助かった。

 しかし、市民体育館に詰めていた分団本部の上部仁先任副分団長、平野正浩本部長はいまだ行方が分かっていない。

 大坂さんと上部さんは同級生。「嫌な仕事も率先してくれる最高の仲間。平野は何一つ文句を言わない男だった」と振り返る。波にのまれた仲間の思いを胸に大坂さんは家族を亡くしながらも消防団の指揮を執っている。

 「家族も家もなくした連中ばかり。自立するためのすべを考え、前を向くんだ」と語気を強めた。

【写真=がれきをかき分け、捜索活動に取り組む陸前高田市消防団員ら=25日午後、陸前高田市高田町】
(2011/03/26)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110326_14


2011年03月25日(Fri)▲ページの先頭へ
日本民族の問題:「二つの民族」仮説:母権的民族と父権的民族
テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能

先にも触れたが、日本とは二つの民族が混在しているのではないだろうか。
 それは、母権的民族と父権的民族である。しかし、また、私は、日本とは、古代ギリシアと同じように、両者の「結合」によって成立したと思うのである。
 だから、母権的民族と父権的民族の統合としての日本民族である。 
 しかしながら、歴史の進展によって、後者の父権的民族が力をもつようになったのではないだろうか。それは、江戸時代以降である。
 しかし、明治維新は、何度も述べるように、母権的民族の業績であり、その後、父権的民族が牛耳ったのである。
 そして、今の国難は父権的民族の支配の帰結ではないかと思われるのである。
 では、日本の父権的民族とは何かと思うと、それは、日ユ同祖論におけるユダヤ民族の可能性が考えられるのである。
 私は仮定される日本のユダヤ民族を貶める考えはまったくない。返って、それが、日本民族の知性を促進したと思う。
 しかしながら、日本文化において、母権的民族と父権的民族の均衡においてこそ、真の日本的知(差異共振的知)、日本的文化が生まれたのであり、後者が支配的になり、前者を抑圧すると、「狂気」が始まるのではないだろうか。
 その表出が第2次世界大戦であり、今回の東日本大地震の対応(原発路線も含めて)である。
 完全に「一神教」化したとき、狂信・妄想となるのではないだろうか。
 因みに、ユダヤ教は複雑である。ヤハウェとエローヒーム(神の複数形:つまり、神々)の二つの神が旧約聖書に存するのである。


エウレカ!:風向が極めて重要である:ほとんど悟りである:悟りとは直観だ
テーマ:三千世界の立替え立直し:艮うしとらの金神

3月24日21時現在、福島原発付近の風向は北西の風であり、いわば、「神風」である。
 今日は、私が予測した通り、放射能風(造語)は、少なかったと直感された。なぜなら、爽やか大気だったからだ。そう、私は自分の(気的)身体が放射能のセンサーになると思った次第である。
 呼吸器系、循環器系が弱い(弱かった:心臓手術した)私は、空気、大気、「気」に敏感である。
 本当に今日は久しぶりにさわやかであった。冒頭に述べたが、明日は関東は「神風」状態で、放射能風は少ないだろう。
 ところで、私が思ったのは、この放射能風であるが、偏西風のある日本において、それは、東へと進み、米国を直撃するということである。
 そう、広島、長崎の、いわば、仇討ちである。米国が放射能汚染される可能性はあるのである。
 シュタイナーの霊学では、悪徳のブーメラン効果ということが説かれている。悪事した人間には、後で、悪事に相当するものがお返しに来るということである。 
 私は時間をかけて観察した結果、それは、(かなり)法則的である。米国は日本に悪事を働き、今や、ブーメラン効果で放射能風の直撃を受けるのではないだろうか。
 広島の原爆、長崎の原爆のブーメラン効果で、福島の原発事故が米国の原爆となるのではないだろうか。

* 関東地方の風向:気象庁
* 福島第一、第二原発の避難半径地図と風向き:マピオン
* HAARPグラフ(現状)
* 福島県の風向


2011年03月20日(Sun)▲ページの先頭へ
菅という日本のカルマ:物質主義のアーリマンと唯我論のルシファーの支配:精神の全き欠落のカルマ
テーマ:奸夜魔民死党米国帝国植民地主義売亡国政権
(本考察に追記を二つ加えた。)

菅という日本のカルマ。私は日本の父権主義を批判してきたが、それが、彼に出現していると言えよう。
 まったく、即自的自己であり、対自性、他者性が欠落しているのである。哲学の欠落を指摘することができる。
 物事をすべて表面的、皮相にしか見てこなかった人間である。教養ゼロと言っていい。無知蒙昧な人間が首相になれるという日本の民主主義は大欠陥をもっていると言える。
 近代合理主義というか、唯物論の思考の欠陥が菅政権に出ていると思う。SFではマッド・サイエンティストが出てくるが、それに何か近い。そう、狂信性である。独善性である。
 以前述べたように、私は近代合理主義ないし唯物論的科学には、精神がないことに驚愕したものである。正に、悪魔の知なのである。
 思うに、凹iが空虚になることで、どうも、そこに悪魔的なものが侵入しているのではないだろうか。私は菅に悪霊憑依のようなものを感じるが、どうも、悪がそこに入っていると思う。
 シュタイナー的には、ルシファーであろう。物質主義のアーリマンと唯我論のルシファーの二重悪魔が菅に巣くっているように思われる。
 端的に、精神のまったき欠落、これが、菅に現われている日本のカルマと考えられる。
 日本文化において、精神がまったく欠落した原因は何なのか。やはり、これまで、述べたように、脱亜入欧と戦後による近代化である。
 また、そこに私は何というか、一種の言語中心主義をあげたい。言語に囚われていて、直観、直感を喪失しているのである。
 とまれ、物質主義と言語主義は相即的である。言語は、勿論、精神面も指示するが、一般的には同一性主義である。
 そうすると、元に戻るがやはり、父権主義が元凶として存するのである。
 先に述べたが、二つの日本を想定したくなるのである。母権主義の日本と父権主義の日本である。後者が悪である。
 母権的民族の日本と父権的民族の日本。思うに、明治維新前までは、両者のある種のバランスがあったが、明治近代化以降、後者が主導化して、日本文化、日本社会を阻害してきたのではないだろうか。
 私はこれまで、国学を目の敵にしてきたが、やはり、儒教的封建主義の硬直したものにも原因があるように思われる。端的に言えば、男性中心主義である。この男性的同一性主義が精神の喪失の元凶として存するのではないだろうか。
 では、どうして、民族本来的な母権的精神性が喪失するようになったのか。これも以前述べたが、母権的精神性のデカダンスがどこかで生じたのだと思う。何度も述べるが、折口信夫は、鎌倉時代以降、日本人の宗教心が衰退したと述べていた。
 だから、これまでの考察と同じ結論になるが、母権的精神の衰退と比例するような父権主義の台頭が精神の喪失をもたらしたということになる。

追記:母権的精神のデカダンスと終わりの方で述べたが、思うに、江戸時代において、鎖国となり、他国からの知的刺激がなくなり、内向きになり、自己満足していったことが、その原因ではないか。
 国学も、その鎖国によって、自民族中心主義に染まって生まれたものではないか。
 思うに、母権的精神を創造的に保持するには、危機が必要である。それによって、研ぎ澄ますことができるのであるが、逆に、鎖国的平穏無事になると、刺激がなくなり、母権的精神が自我的に閉ざされて、眠り込んでしまったのではなかったか。
 そう、自我的閉鎖・閉塞とは、父権化である。つまり、鎖国的自己満足、慢心によって、精神の超越性を喪失されて、母権的精神が衰退し、かつ、自我・父権化したというのが、日本近世文化史の実体ではないのか。

追記2:追記の自我・父権化という視点から、どうも、母権的精神が自我・父権化した様態になり、たとえば、尊王攘夷的発想が生まれたのではなかったのか。これが、明治脱亜入欧へと繋がったのではないのか。
 しかしながら、以前述べたように、坂本龍馬らの開国主義は、自我・父権主義ではなく、母権的精神、東洋的母権主義に基づくのである。だから、江戸時代において、母権的精神の父権化の方向性と母権的精神の賦活化の方向性の二つの志向性があったのではないだろうか。
 しかしながら、明治維新を後者が成立させると、前者が権力を「奪取」して、母権的精神の自我・父権化路線を進めて、狂信的戦争に突き進み、破滅し、また、戦後、その路線が支配して、今日の大惨状・大破壊を生み出したのではないのか。

http://gendai.net/shimens/view/T.gif

http://gendai.net/shimens/view/L.gif

無能な指揮官と玉砕する英雄たち

2011年03月19日15時17分
提供:フリーライター宮島理のプチ論壇 since1997

* 97 ツイート
* 137 コメント
* 234 total

 無能な政権 を即時退陣させなかったツケが、最悪の形で新たな人災を誘発している。尖閣事件以来、菅政権退陣を訴え続けてきた私も、さすがに今回の大震災では菅政権が目を覚ますと思って応援してきた。しかし、彼らの本質である「無能なのに学習能力は皆無で、失敗は常に他人のせいにする」という性質は、まるで改まっていない。「必要なのは首相の演説でなく実務」 でも書いたように、菅首相は自分の政治的アピールに必死で、現場の邪魔ばかりしている。

記事全文

なぜ本当のこと言わないのか…米政府「菅隠蔽体質」に怒!!

2011.03.19


大震災への全面協力を申し出たオバマ大統領(左)だが、菅首相率いる官邸中枢は原発情報を共有しなかったという(写真はコラージュ、AP、ロイターなど)【拡大】

 米政府が、菅直人政権の「隠蔽体質」に激怒している。東京電力福島第1原発事故のデータを明かさず、放射性物質漏れの重要情報を共有しようとしない、というのが理由だ。空母や在日米軍を出動させ、東日本大震災の救援活動に全面協力している同盟国を軽視するような姿勢にいらだつ一方、米軍無人偵察機が検出した数値から、放射能専門家部隊の派遣準備も始めた。外交専門家の中には「日米関係が悪化しかねない」との声も噴出している。

 「なぜ、菅政権は本当のことを言わないのか。こちらは全面協力する姿勢なのに。正確な情報を出さないのは間違いだ」

 ホワイトハウス関係者は、こういらだちを隠さない。米政府は原発事故直後の13日深夜、米原子力行政を統括するエネルギー省や原子力規制委員会(NRC)の専門家らを来日させて、緊急支援に乗り出した。

 ところが、米専門家らが、経産省や原子力安全・保安院、東電に出向いても、新聞に出ているような情報しか出さない。情報共有を求めても、担当者に「待っていてくれ」と言われて、放置される始末。米専門家らは本国に「菅政権は情報を隠蔽している」「まったく狂っている」と通報した。

 米政府は、菅政権に対し、「一体どうなっているのか」「こちらは空母まで派遣して協力している」「同盟国ではないのか?」と抗議したが、菅政権は事務方を通じて、「心配はいらない」「きちんと対応している」などと突き放したような態度だったという。

 これで米政府の不信感は決定的になった。軍事衛星の情報に加え、北朝鮮が核実験をしたときなどに運用する無人偵察機を飛ばして、詳細なデータを収集。菅政権が発表している数字とは異なる数値を入手した。これは藤崎一郎駐米大使を通じて、菅首相に伝えられているという。前出のホワイトハウス関係者はいう。

 「われわれは駐米大使館などを通じて、『こういうデータがある』『事実を話してくれ』『事態収拾に協力する』と何度も伝えたが、やはり菅政権はまともな対応をしなかった。どうも、官邸中枢の数人がおかしいようだ。わが国は単独で決断を下した」

 米政府は16日(日本時間17日未明)、在日大使館を通じ、第1原発の半径80キロ以内の米国民に避難勧告し、大使館職員の家族らの自主的な国外退避を認めた。在日米軍の家族らも退避に動き出している。日本政府は、第1原発から半径20キロ以内には避難を、20キロから30キロは屋内退避を指示している。NRCのヤツコ委員長は16日、米CNNテレビでこの違いについて聞かれ、「米国の基準ならそうする」と答えた。

 菅首相は18日、IAEA(国際原子力機関)の天野之弥事務局長と官邸で会談した際、「これまでもそうしてきたが、情報は最大限、透明性を持って伝える」と語ったが、米国をはじめ、世界各国はそうは見ていない。

 現に、ヒラリー米国務長官は「日本の情報は混乱していて信用できない」とテレビのインタビューで答え、ドイツのメルケル首相も「日本からの(原発)情報は矛盾している」と記者会見で語っている。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「米国は『ともだち作戦』と称して、大震災の救援活動に全面協力してくれている。そんな同盟国を軽視していたとすれば、両国の関係悪化が心配される。背景には、民主党の一部にある反米的性格と、東京電力と役所の官僚主義、秘密主義があるのでは。危機管理の基本は『事実を明らかにして、最悪のケースに備える』ことだが、菅政権には期待できそうにない」と語る。

 大震災と原発危機に加え、日本は同盟危機まで背負い込むのか。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110319/plt1103191509001-n1.htm


2011年02月15日(Tue)▲ページの先頭へ
今や日本は二流、三流国である:知的衰退の日本:国学的一神教的父権主義が日本の癌・元凶・諸悪の根源
今や日本は二流、三流国である:知的衰退の日本
日本の衰退は、知的レベルの衰退に拠ると考えられる。ゆとり教育という亡国教育があった。しかし、それに対して、どれだけ、自衛手段をとった個民がいただろうか。
 政府に依存しているのが誤りである。自分で生きる道を切り開く必要がある。だからと言って、社会保障を削減すればいいということでもない。民主主義ならば、国民の生活を守る義務がある。
 思うに、いったい、どこで、日本人はスポイルされてしまったのか。直観では、伝統文化が伝承されていないのである。ここに問題がある。
 三島由紀夫が問題にしたように、戦後文化の問題があるのである。
 これまで何度も述べたように、連合国は、日本文化を否定して、近代合理主義を植え付けたのである。この洗脳が利いている。
 そう、近代合理主義、言い換えると、近代的自我が日本人の精神を狂わせたと考えられる。唯物論、自我中心主義になったのである。
 とまれ、日本文化は基本的には母権文化であるが、それが、江戸・東京を中心とする父権文化に支配されてきたと考えられる。
 言い換えると、東京的自我・悪魔主義が日本文化を歪めているのである。それに対して、日本母権文化は、非力である。沖縄の問題もここにあると言えよう。
 いったい、どこで日本は狂ってしまったのか。私は、現代日本人の自我中心主義が狂っていると思っているが、その発端は何なのか。
 日本母権主義にその狂気をもたらすものがなかったのか。
 問題は超越性であると思う。本来、日本文化には、超越性があった。それが、根絶やしになったと言えよう。思うに、日本的超越性を喪失した根因は、教育者、知識人が近代的合理主義に染まったことにあると思う。それが、素朴な民衆を洗脳したのである。
 しかし、近代合理主義に染まる人間は基本的に個の貧弱な人間である。劣弱な人格である。
 私は、高貴な差異と劣弱な差異を指摘したが、前者は母権タイプであり、後者が父権タイプである。しかるに、後者が前者を排除して、近代日本を狂わせたと思う。悪魔が勝利したのである。そして、今や、日本は、悪魔の政治となったのである。

追記:やはり、国学に問題があると思う。私は本居宣長に対して強い疑念をもっている。
 先に述べたように、古代日本において、アジア的母権多元複合文化が形成されたが、同時に、ユダヤ的父権一神教的文化がもたらされたのではないだろうか。
 両者が交差するのが日本史ではないのか。そして、近世以降、ユダヤ的父権的一神教が伸張したのではないのか。それが、尊王攘夷主義を生んだと思われるのである。そして、それが、明治近代を形成して、日本を破滅させたのではなかったか。
 因みに、先に述べたように、坂本龍馬らに拠る明治維新は日本的母権主義に拠るものと考えられるのである。この日本本来の伝統文化が明治以降、否定されてきたと考えられるのである。
 そう、日本には二つの文化があるのであり、日本父権主義は最低・最悪のものである。自己中心的であり、売国・亡国的なのである。

追記2:日本伝統文化と戦後文化の違いを明晰にする指標は、思考のベースに肚があるか否かである。

追記3:上述の随想の主旨を、今の考えを入れて、整理すると、日本文化は、二重性、二面性の文化である。即ち、アジア的母権複合文化と父権文化(これは、一神教であるかどうかは不明であるとする)である。しかしながら、本来、前者が主であり、後者は従であり、それが、混淆して日本伝統文化を形成した。
 思うに、問題は、やはり、江戸時代である。ここで、国学において、キリスト教が入ってきて、一神教的文化がもたらされたと思われる。平田篤胤の神道は、キリスト教化されたものである。そして、本居宣長に拠る大和心と漢心の区別・差別が生まれた。これは、近世的自我主義である。
 そして、これらの国学から、尊王攘夷の狂信的な排外的なナショナリズムが生まれる。
 だから、本来、母権主父権従のヒエラルキーが、江戸時代において、崩壊して、父権が一神教化して伸張して、少なくとも、母権と父権が相並ぶようになったか、あるいは、父権が母権を凌駕する事態にまでなった。とにかく、日本伝統文化のヒエラルキーが崩壊して、父権が母権に対して、支配力を行使するようになったと仮説する。
 その後、江戸幕府が腐敗して行き、開国主義が広がる。その時、伝統文化の母権主義の覚醒と一神教的父権主義の尊王攘夷主義の二重構造が生じたのであるが、前者が主導して、明治維新を果たすのである。しかしながら、明治政府は、後者、狂信的な排外的ナショナリズムの一神教的父権主義が支配し、前者の覚醒した母権文化を排除していき、アジア、太平洋における侵略戦争をもたらして、 破滅したのである。
 そして、連合国に拠る支配の下に、近代合理主義が金科玉条となり、それ以前の日本伝統文化が排除されたのである。しかし、父権的形式は残存したのであり、それが、戦後の政治等の枠組みを作ったと考えられる。即ち、戦後日本は、日本伝統文化、アジア複合母権文化が徹底的に排除された時代となったと考えられる。
 そうすると、日本伝統文化の衰退は、二重の原因があるということになる。
 一つは、江戸時代から明治時代における父権主義の勃興。
 一つは、戦後における日本母権伝統文化の排除。
 これら二つの根因によって、日本伝統文化は根こそぎにされて、日本人は近代合理主義、唯物論的自我主義に染まってしまい、自己を喪失して、今や、亡国となったのである。
 有り体に言えば、優れた人間、民衆や指導者を含めて、きわめて、少なくなったのである。優れた人物が、残念ながら、日本に生まれなくなったのである。

追記4:果たして、二つの日本文化、即ち、母権文化と父権文化があると言っていいのだろうか。追記3に拠るならば、父権文化は導入されたキリスト教の影響が考えられるので、日本本来のものではないということになろう。
 そう、儒教文化もあるが、それが、母権文化と共存していたと思うので、儒教的一面主義はなかったと思う。
 また、考えるべき問題は、日ユ同祖論である。確かに、古代日本において、ユダヤ人が渡来した可能性はある。そこで、ユダヤ教的一神教をもたらした可能性は考えられるのである。
 しかし、そうではあっても、根源的アジア母権文化とユダヤ教的父権文化が、古代日本においては、「同居」、共存していたのではないだろうか。つまり、天皇が媒介になって両者を共存させていたのではなかったか。つまり、母権ベースに、天皇を中核とした、父権文化の取り込みである。
 これは、考えられうることである。この場合、父権文化は実に、母権的色合いをもつのである。そう、ギリシア神話を考えるといい。ゼウスには、母権的要素が濃厚なのである。やはり、古代日本は、古代ギリシアの母権ベースの父権的習合を対比させた視点で見るといいのではないだろうか。新しい母権文化がそこで生まれたということになる。
 しかしながら、上記で指摘した日本父権文化、キリスト教が導入された国学的父権文化は、その古代的母権ベースの父権的複合とは明らかに異なると考えられる。
 それは、明らかに、アジア的母権複合文化を排除しているからである。だから、やはり、日本父権主義の根因は、そこに見るのが的確だと思う。つまり、二つの文化が日本にあるのではなく、江戸時代において、異質な文化が日本に導入されたと見るべきである。本来、日本文化はアジア母権複合文化であり、一つの文化であるが、それが、江戸時代におけるキリスト教の導入によって、異質な父権主義が混ざり、日本文化のアジア母権的霊統・血統が蝕まれたと考えるべきである。
 そして、その異質な父権主義の勢力が、戦後においては、連合国=米国の支配に迎合・隷属して(売国奴となり)、近代合理主義を国民に洗脳したと考えられる。
 だから、日本の父権主義とは、日本本来のアジア母権複合文化とは異質なキリスト教的父権主義(一神教的父権主義)であり、それが、狂信的な排外的ナショナリズムを形成し、かつ、戦後は米国への従属の下、アジア母権複合文化である日本伝統文化を排除して、近代合理主義に拠って国民を洗脳してきたということになる。
 結局、今日の日本の亡国的状況は、国学的一神教的父権主義に根因があることになる。母権的な天皇文化はこれに利用されて、「天皇制」となったのである。
 ということで、日本父権主義の根因は古代ではなく、江戸時代にあったのである。
 そして、今や、近代合理主義を標榜する国学的一神教的父権主義によって徹底して排除・駆逐・追放された日本伝統文化のアジア母権多元複合文化を大新生させることが日本の復活に必須であることになる。
 己を取り戻すこと、自己回帰すること、これが、亡国日本の新生復活をもたらすと考えられる。コピー的に言うと、リターン・トゥ・ジャパン、リターン・トゥ・エイジャである。Return to Inner Self Japan with Asia!
 
 
参考:
小沢氏「欧州文明は限界に来ている」

産経新聞

2011年2月15日(火)8時0分配信 産経新聞  

-PR-

 民主党の小沢一郎元代表は14日、都内で開かれた自らが主宰する「小沢一郎政治塾」で講演し、今後の国際社会に関し「キリスト教は一神教だ。欧州文明は地球規模の人類のテーマを解決するには向いておらず、限界に来ている」と指摘した。一方で「日本人は他の宗教に非常に寛容だ。悪く言えばいいかげんで融通無碍(むげ)だが、うまく伸ばしていけば21世紀社会のモデルケースになる」と述べた。
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/sankei-snk20110215126/1.htm


2011年02月14日(Mon)▲ページの先頭へ
今や日本は二流、三流国である:知的衰退の日本
日本の衰退は、知的レベルの衰退に拠ると考えられる。ゆとり教育という亡国教育があった。しかし、それに対して、どれだけ、自衛手段をとった個民がいただろうか。
 政府に依存しているのが誤りである。自分で生きる道を切り開く必要がある。だからと言って、社会保障を削減すればいいということでもない。民主主義ならば、国民の生活を守る義務がある。
 思うに、いったい、どこで、日本人はスポイルされてしまったのか。直観では、伝統文化が伝承されていないのである。ここに問題がある。
 三島由紀夫が問題にしたように、戦後文化の問題があるのである。
 これまで何度も述べたように、連合国は、日本文化を否定して、近代合理主義を植え付けたのである。この洗脳が利いている。
 そう、近代合理主義、言い換えると、近代的自我が日本人の精神を狂わせたと考えられる。唯物論、自我中心主義になったのである。
 とまれ、日本文化は基本的には母権文化であるが、それが、江戸・東京を中心とする父権文化に支配されてきたと考えられる。
 言い換えると、東京的自我・悪魔主義が日本文化を歪めているのである。それに対して、日本母権文化は、非力である。沖縄の問題もここにあると言えよう。
 いったい、どこで日本は狂ってしまったのか。私は、現代日本人の自我中心主義が狂っていると思っているが、その発端は何なのか。
 日本母権主義にその狂気をもたらすものがなかったのか。
 問題は超越性であると思う。本来、日本文化には、超越性があった。それが、根絶やしになったと言えよう。思うに、日本的超越性を喪失した根因は、教育者、知識人が近代的合理主義に染まったことにあると思う。それが、素朴な民衆を洗脳したのである。
 しかし、近代合理主義に染まる人間は基本的に個の貧弱な人間である。劣弱な人格である。
 私は、高貴な差異と劣弱な差異を指摘したが、前者は母権タイプであり、後者が父権タイプである。しかるに、後者が前者を排除して、近代日本を狂わせたと思う。悪魔が勝利したのである。そして、今や、日本は、悪魔の政治となったのである。

追記:やはり、国学に問題があると思う。私は本居宣長に対して強い疑念をもっている。
 先に述べたように、古代日本において、アジア的母権多元複合文化が形成されたが、同時に、ユダヤ的父権一神教的文化がもたらされたのではないだろうか。
 両者が交差するのが日本史ではないのか。そして、近世以降、ユダヤ的父権的一神教が伸張したのではないのか。それが、尊王攘夷主義を生んだと思われるのである。そして、それが、明治近代を形成して、日本を破滅させたのではなかったか。
 因みに、先に述べたように、坂本龍馬らに拠る明治維新は日本的母権主義に拠るものと考えられるのである。この日本本来の伝統文化が明治以降、否定されてきたと考えられるのである。
 そう、日本には二つの文化があるのであり、日本父権主義は最低・最悪のものである。自己中心的であり、売国・亡国的なのである。

追記2:日本伝統文化と戦後文化の違いを明晰にする指標は、思考のベースに肚があるか否かである。

追記3:上述の随想の主旨を、今の考えを入れて、整理すると、日本文化は、二重性、二面性の文化である。即ち、アジア的母権複合文化と父権文化(これは、一神教であるかどうかは不明であるとする)である。しかしながら、本来、前者が主であり、後者は従であり、それが、混淆して日本伝統文化を形成した。
 思うに、問題は、やはり、江戸時代である。ここで、国学において、キリスト教が入ってきて、一神教的文化がもたらされたと思われる。平田篤胤の神道は、キリスト教化されたものである。そして、本居宣長に拠る大和心と漢心の区別・差別が生まれた。これは、近世的自我主義である。
 そして、これらの国学から、尊王攘夷主義の狂信的な排外的なナショナリズムが生まれる。
 だから、本来、母権主父権従のヒエラルキーが、江戸時代において、崩壊して、父権が一神教化して伸張して、少なくとも、母権と父権が相並ぶようになったか、あるいは、父権が母権を凌駕する事態にまでなった。とにかく、日本伝統文化のヒエラルキーが崩壊して、父権が母権に対して、支配力を行使するようになったという個と仮説する。
 その後、江戸幕府が腐敗して行き、開国主義が広がる。その時、伝統文化の母権主義の覚醒と一神教的父権主義の尊王攘夷主義の二重構造が生じたのであるが、前者が主導して、明治維新を果たすのである。しかしながら、明治政府は、後者、狂信的な排外的ナショナリズムの一神教的父権主義が支配し、前者の覚醒した母権文化を排除していき、アジア、太平洋における侵略戦争をもたらして、自滅したのである。
 そして、連合国に拠る支配の下に、近代合理主義が金科玉条となり、それ以前の日本伝統文化が排除されたのである。しかし、父権的形式は残存したのであり、それが、戦後の政治等の枠組みを作ったと考えられる。即ち、戦後日本は、日本伝統文化、アジア複合母権文化が徹底的に排除された時代となったと考えられる。
 そうすると、日本伝統文化の衰退は、二重の原因があるということになる。
 一つは、江戸時代から明治時代における父権主義の勃興。
 一つは、戦後における日本母権伝統文化の排除。
 これら二つの根因によって、日本伝統文化は根こそぎにされて、日本人は近代合理主義、唯物論的自我主義に染まってしまい、自己を喪失して、今や、亡国となったのである。
 有り体に言えば、優れた人間、民衆や指導者を含めて、きわめて、少なくなったのである。優れた人物が、残念ながら、日本に生まれなくなったのである。

追記4:果たして、二つの日本文化、即ち、母権文化と父権文化があると言っていいのだろうか。追記3に拠るならば、父権文化は導入されたキリスト教の影響が考えられるので、日本本来のものではないということになろう。
 そう、儒教文化もあるが、それが、母権文化と共存していたと思うので、儒教的一面主義はなかったと思う。
 また、考えるべき問題は、日ユ同祖論である。確かに、古代日本において、ユダヤ人が渡来した可能性はある。そこで、ユダヤ教的一神教をもたらした可能性は考えられるのである。
 しかし、そうではあっても、根源的アジア母権文化とユダヤ教的父権文化が、古代日本においては、「同居」、共存していたのではないだろうか。つまり、天皇が媒介になって両者を共存させていたのではなかったか。つまり、母権ベースに、天皇を中核とした、父権文化の取り込みである。
 これは、考えられうることである。この場合、父権文化は実に、母権的色合いをもつのである。そう、ギリシア神話を考えるといい。ゼウスには、母権的要素が濃厚なのである。やはり、古代日本は、古代ギリシアの母権ベースの父権的習合を対比させた視点で見るといいのではないだろうか。新しい母権文化がそこで生まれたということになる。
 しかしながら、上記で指摘した日本父権文化、キリスト教が導入された国学的父権文化は、その古代的母権ベースの父権的複合とは明らかに異なると考えられる。
 それは、明らかに、アジア的母権複合文化を排除しているからである。だから、やはり、日本父権主義の根因は、そこに見るのが的確だと思う。だから、二つの文化が日本にあるのではなく、江戸時代において、異質な文化が日本に導入されたと見るべきである。本来、日本文化はアジア母権複合文化であり、一つの文化であるが、それが、江戸時代におけるキリスト教の導入によって、異質な父権主義が混ざり、日本文化の霊統・血統が蝕まれたと考えるべきである。
 


2011年01月28日(Fri)▲ページの先頭へ
現代日本人の意識は相互反射自我主義だ:相互自我主義の力学:封建・父権的被植民地主義的近代的自我
現代日本人の意識の自我意識は、社会的に相互自我主義というべきものであるが、この基礎は何だろうか。
 当然、鏡像があるのである。自我を他者に映しているのである。つまり、凸iが凹iを認識しないで、凹iに凸iを反射させているのである。つまり、自我同一性化である。
 凸iは優位性を凹iに対してもつのである。理由は既述したように、父権的人間は凸iに傾斜しているからである。それは、優位性をもっていると先験的に自惚れている(ここで、悪魔アーリマンとルシファーの問題がある。これは後で検討。憾首相の空虚、虚栄心、妄想自我はこれで説明ができよう。つまり、凸iが他者凹iに優位だと自惚れているのである。しかし、真理は凹iにあるのであり、凸iの意識は、自己中心的である。)。
 この反射力学はどう数式化できるのか。この反射は、いわば、他者差異凹iを自我同一性凸iのフィルム、膜、カバーで覆うのである。つまり、ここには、自我凸iによる投影力学があり、それを解明する必要がある。
 凸i↘凹iにおける↘を投影を意味するとする。だから、↘は、自我投影、自我映写である。他者差異の「スクリーン」に自我を映写・投影・射影するのであり、真実は他者差異であるのに、そこに自我を見ているのである。
 これが、相互自我主義の力学であり、Media Pointの精神的フィルターの事象であるが、数式はどうなるのか。
 差異共振して、⇒凸(+1)となり、物質界、現象界が成立して、その外界凸(+1)と自我凸iが一致することになる。しかしながら、⇒凸は差異共振に拠るのであり、そこには、凸iだけではなく、凹iも存しているのであるが、それは無意識化されるのである。(付記:悪魔アーリマンが凸iで、悪魔ルシファーが差異共振ではないだろうか。)
 そう、ここには、自我盲目(他者盲目でもあるが)という事態が生起していると言えよう。結局のところ、自我同一性の数式は、凸i↘凹i⇒+1となるのではないだろうか。↘は*であり、又、自我傾斜という意味でもある。
 最後に、相互自我主義(間自我主義)が支配的になったことの力学を考えたい。これは、明らかに、近代合理主義ないし近代的自我が社会的に受容されたことを意味する。これは、当然、戦後社会に当てはまるのである。何故なら、戦前は、教養として、仏教や哲学等があり、また、素朴な母権主義を保持していたと考えられるからである。
 近代合理主義の社会的受容とは、当然、連合国(米国)の支配的意志に拠るものであり、帝国主義・植民地主義的な権力意志(覇権意志)である。
 つまり、ここには、権力的な強制があるということであり、それは、個に基づくものではなく、正に、近代合理主義イデオロギーである。
 これを受け入れた日本国民とは、やはり、個(絶対的差異)を喪失した、父権的「天皇制」(父権的中央集権主義)の支配下にあると言えよう。まだ、封建主義的なのである。だから、封建的近代主義なのである。
 個であるためには、凹iの存在を確認する必要があるが、それは母権的日本人の原基にかなり強く存するものであるが、それが、認識されないように洗脳され、マインドコントロールされていると言えよう。
 そう、凹iと東洋的身体的精神は密接に関係しているのであり、その東洋・日本伝統的文化が否定されているのである。
 ここには、現代日本人の脆弱さがあると言えよう。封建・父権的集団主義(世間主義)なので、個であることを恐れるのである。
 そう見ると、やはり、日本史において、父権的日本(父権的「天皇制」)が長く、母権的日本(母権的天皇文化)を支配してきて、後者を抑圧して、歪曲してきたことが考えられる。
 思えば、不連続的差異論の段階で、高貴な差異と劣弱な差異の存在を指摘したが、これは、母権的差異と父権的差異と言い換えることができるだろう。
 父権的差異とは、実は、父権的自我を生み出すのであり、それが、支配して、母権的差異、母権的個を排除してきたと言えるだろう。
 アジア的日本が「ユダヤ」・印欧語族的日本に支配されてきたのである。
 とまれ、凹iを意識化する肚を取り戻すべきである。それは、超越的存在と通じているのである。当然、近代的合理主義は解体するのである。

追記:自我主義とは又、当然、暴力的である。それは、他者凹iを否定するからである。自我暴力である。
 この自我暴力の数式はどうなるのだろうか。言い換えると、自我の押しつけの力学である。
 やはり、凸i↘凹i⇒+1の左辺でいいのではないだろうか。凸iの自惚れた優越性があるのであり、自己の「半身」である凹iの意識を排除しているのである。
 そう、凹iの意識(肚の意識)であるが、それは、はやり、形成されなくてはならないだろう。とりわけ、男性にとってであるが、今日では、女性も必要である。
 では、凹iの意識(肚の意識)とは何だろうか。それは、正確には、超越的意識である。超越的個の意識であると思う。とまれ、形成について考えよう。
 通常の自我凸iは他者凹iを無視し、それを見つめようとはしない。そう、凹iの世界を知るには、精神の知恵が必要であるが、近代合理主義ではそれが欠落しているのであり、そのため、近代主義においては、他者凹iを排除すると言えよう。外的知識教育があるが、内的知識教育がないのである。
 肚を意識するとはどういう力学なのか。思うに、ここに悪魔ルシファーが関係しているのかもしれない。即ち、凸i傾斜を悪魔アーリマンとすると、意識エネルギーが悪魔ルシファーではないだろうか。
 とまれ、この意識エネルギーが凸iに傾斜しているときに、自我主義となるのであるが、この意識エネルギーは、凹iにも向かわせることができるのである。

 【以下は一つの思考実験:あるいは、意識エネルギーとは、陽エネルギーと陰エネルギーの両極があるということかもしれない。通常、陽エネルギーが使用されていて、陰エネルギーが否定されて、「うっ積」されているのではないだろうか。
 そう、陰エネルギーとは、正に、凹iのエネルギーではないだろうか。肚の意識とは、この陰エネルギーの自覚、覚醒ということではないだろうか。
 そう考えると、自我は陽エネルギーの作用であり、肚は陰エネルギーの作用であり、Media Pointで陰陽エネルギー、双極エネルギーが作用しているということになる。
 これは、また、現代物理学、宇宙論に関係するだろう。陽エネルギーが物質を形成し、陰エネルギーが反物質ないしは暗黒物質を形成するのではないだろうか。
 量子力学は思うに、凸iを視点で見ているのであり、まだ、凹iの視点を獲得していないのではないだろうか。
 とまれ、陽エネルギーと陰エネルギーは作業仮説であり、説明する必要があるが、今はここで留める。】
 
意識エネルギーが凹iに向かうとはどういうことなのだろうか。これは意志(又は志向性)の問題である。自己意志、個的意志がある。そう、これは、本来、自我意志かもしれない。
 とまれ、意志は、通常、自我様態に固持する。しかしながら、意志を肚に向けることができるのである、例えば、瞑想等によってである。
 つまり、意志を自我から肚へと志向させるのである。そのとき、肚と意志が衝突して、融合が起るのである。ここで、陰エネルギーが考えられるかもしれない。潜在していた陰エネルギーが意志と結合して、いわば、爆発するのである。ここで、自我「帝国」が破壊されて、脱自我の自己(個)が発生するのである。それは、宇宙的な自己でもある。また、超越的な個でもある。
 しかし、逆にそれへと傾斜すると、バランスを失い、外的自我認識が疎かにされると言えよう。(ならば、これが、ルシファーかもしれない。凸iが悪魔アーリマンで、凹iが悪魔ルシファーとなる。)
 だから、自我凸iと個凹iとの均衡が必要なのである。外的自己と内的自己とのバランスである。
 とまれ、意志(志向性)の肚への下降によって、肚の意識が形成される。それは、いわば、個意識(個識)であり、自我意識と対立する。
 ここで、人間は二重人格的になるのである。二重自己性が成立するのである。
 しかしながら、根底の自己は凸iに存しよう。つまり、逆転がここにはあるのである。自我は仮装・擬装・仮面であることがわかるのである。
 これはどういうことなのか。人間の本質は本来、凹iに存すると思われる。これが、どうして、凸i傾斜に転移するのか。
 どうも、陰から陽への転換が誕生において生じるのではないだろうか。換言すると、凹(-1)⇒凹i*凸i⇒凸i*凹i⇒凸(+1)という数式力学があるのではないだろうか。(最初の⇒は⇔とも書けるように思う。)
 ならば、どうして、陰から陽へと転換する必要があるのか、である。それは、精神から物質への転換が必要だからとういことではないだろうか。
 「必要」とはこの場合、問題を含む。言い換えると、精神から物質へと転換する力学がなんらか形成されたのであり、本来は、陰で留まっていたのではないだろうか。それが、陰から陽へと変じたことになるのである。しかし、これは、陰陽力学で説明できよう。陰が最初であるが、変転して、陽へと転化するということでいいのではないだろうか。
 つまり、人間の精神は元陰(凹)から、陰*陽の陰化(精神化)がなされ、その後、陽*陰の陽化がなされて、物質化・自我化が生起したということではないだろうか。
 この陰から陽への転換が人類史において、もっとも決定的であったと考えられる。これがゾロアスター教において、表現されていることと考えられるし、また、陰(凹i)を保持する精神主義として、マニ教が考えられよう。それは、陽化を否定するのである。
 ここで父権的一神教を考えると、それは、陰から陽へと転換する際に発現したものと思われるが、そのとき、原初的には、超越性が残るが、その後、自我・物質化に帰結すると考えられるのである。
 人類史は父権的一神教が成立して、また、西洋文明が形成されて、資本主義、唯物科学・技術が形成され、今日を迎えているのである。
 しかしながら、今や、陽の時代は過ぎ、新たな陰の時代になったと考えられるのである。物質・自我・凸iから精神・個・凹iへの大転移である。自我・物質文明から個・精神文明への進化である。
 個・精神が主となり、自我・物質が従となると言えよう。その霊主体従主義にあって、自我・物質は意味を変容させるだろう。それは、個・精神のための手段・ツールの位置に変ずるだろう。
 当然、資本主義も意味を失い、個的精神的共同体communionismの創造のための道具として経済が存するようになるだろう。
 この精神の大進化の時代にあって、一方では、個・精神・共同体が成長するが、他方では、自我・物質・資本主義が反動的力をもち、両者相克過程にあることになる。光と闇の闘争である。
 さて、ここで、復活してきたマニ教を考えるとどうなるのだろうか。陰が陽に反発したものが、マニ教と考えられる。

 【以下も思考実験:
これは、凹i*凹凸i⇒凹(-1)を意味するのではないだろうか。凹凸iの否定凹はわかりやすいだろう。思うに、凸i自体に否定性があり、ここではそれを凹が否定することになるのである。この場合の否定とは、同一性ということである。つまり、*の積は否定的同一性を意味すると考えられるのである。凸i↘凹 i⇒凸(+1)であり、他者差異凹iを自我凸iが否定的同一性で「取り込む」ということのように思われる。】

言い換えると、凹i、陰が賦活されると、それは、凸i、陽に反対するようになると考えられるのである。そして、それが、マニ教復活を意味するのではないだろうか。
 それは、凹i、陰の世界を肯定して、凸i、陽の世界を縮小させていくだろう。自我・物質・資本主義文明は収縮していくと考えられる。
 個的精神的共同体文明が生まれることになるだろう。


2011年01月26日(Wed)▲ページの先頭へ
日本国家資本主義(社会主義)と財政瓦解・国家崩壊
テーマ:日本崩壊亡国凶相:売国奴と愚民:衆愚政治

日本国家資本主義というか、日本社会主義が存しているので、財政が崩壊したのである。
 つまり、国家資本家が権限をもっているので、どんどん支出を増やすのである。結局、国家権力の問題ではあるし、また、自我、父権的悪魔自我の問題でもある。それは、また、父権的「天皇制」の問題でもある。
 二つの日本、二種類の日本人、即ち、母権日本(人)と父権日本(人)が存しているのである。
 後者が日本を狂わせているのである。根本的には、前者を復活させる必要がある。後者の洗脳があり、前者を眠らせているのである。
 父権主義は同一性主義、自我主義・自己中心主義、唯物論であり、差異、精神を破壊するのである。
 とにかく、母権的個・差異主義に覚醒する必要がある。ただ一人、犀の角のように歩め!
 明治維新の問題がある。母権主義と父権主義の相克があったのであり、前者が後者に敗れた歴史が明治近代である。そう、明治維新を成し遂げたのは、前者(坂本龍馬ら)であるが、維新が成立すると、後者が前者を排除していったのである。この点では、革命過程である。母権的天皇文化が父権的「天皇制」に敗れたのである。
 思うに、PS理論の前身である不連続的差異論を理解すると、母権主義と父権主義との混淆・混乱・連続化からの脱却の意識改革ができるだろう。
 有り体に言えば、精神と自我とが連続化しているのが、現代人である。精神と自我を不連続化すれば、精神の独立が達せられるのである。
予算関連法案が成立しないとどうなるの?
 ■子ども手当停止/中小に一転増税/巨額の歳入欠陥

 24日開会した通常国会では、平成23年度予算案の執行に必要な予算関連法案や税制改正法案の成立が最大の焦点となる。予算案そのものは、憲法の規定で与党が過半数を握る衆院の可決が優先され、参院で否決されても成立する。だが関連法案は、野党が多数を占める参院で否決されると、成立しない。子ども手当の支給停止や中小企業の法人税が増税になるなど、国民生活や経済に深刻な影響が及ぶ恐れがある。(産経新聞)
[記事全文]

* 日本は既に財政破綻している!?
* 【資料1】財政事情
* 【資料2】公債発行額の推移
* 【資料3】一般会計税収、歳出総額及び公債発行額の推移
* 【資料4】公債残高の累計
* 【資料5】一般会計歳出中に占める国債費等の割合の推移
* 【資料6】利払い費及び利払い比率の推移
★ワンポイントレッスン−金利上昇の恐怖 −
★ワンポイントレッスン−日本銀行が国債を引き受けるとハイパーインフレがおきる!?−
* 【資料7】国及び地方の長期債務残高
* 【資料8】国及び地方の財政収支
* 【資料9】国及び地方の債務残高
* バランスシートでも既に破産状態
* 国債を買い支える金融機関
★ワンポイントレッスン−第一の波は2008年に来る −
◎Column−個人金融資産1400兆円って誰が持っている?
* 日本は官制経済国家
★ワンポイントレッスン−財投の不良債権はどれくらいある?
◎Column−レント・シーカーたちの狂宴‐利権に巣くう魑魅魍魎−
* どうしてこんなことに−財政史からみる財政破綻の原因−
★ワンポイントレッスン−日本の財政は何故わかりづらい?
◎Column−国家破産の歴史 >
* 国家破産の方程式
★ワンポイントレッスン−インフレってなに?
* IMFは日本を救えるか!?
★ワンポイントレッスン−円高と円安
◎Column−米国を支え続ける心優しい国ニッポン−日本は米国の金蔓!?
* 出口なし!
◎Column−劣化ウラン弾は、原発の廃棄物処理!?
* 驚くほど簡単な財政破綻回避策−発想を転換しよう−

日本人が知らない 恐るべき真実

http://www.anti-rothschild.net/truth/part1/find.html

第二平成維新により菅直人反動政権を打倒
『日本の独立−主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘』の刊行とベストセラー化を記念して、昨日、東京一ツ橋の日本教育会館で講演会が開催された。   日本の独立 著者:植草一秀 販売元:飛鳥新社 Amazon.co.jpで詳細を確認する  会場の定員の関係で、受付を早期に締め切らせていただかなければならず、多くの参加ご希望の皆様の意に沿うことができませず、お詫び申し上げます。    副島隆彦先生には、お忙しいところ、再びご登場賜り、この場を借りて改めて深く感謝申し上げます。    また、多くの皆様に拙著をご購読賜っておりますことに、改めて深く感謝申し上げます。    講演では、以下の諸点についてお話をさせていただいた。 @消費税問題 A菅政権の本質 B小沢一郎氏の「政治とカネ」問題 ...

» 続きを読む
植草一秀の『知られざる真実』


2011年01月20日(Thu)▲ページの先頭へ
近代日本における母権原基的文化の喪失と父権的唯物論的自我形成:日本伝統文化ルネサンスへ向けて
テーマ:日本民族独立防衛救国救民戦線

以下は先に提起した(「日本の癌の父権主義の根源について」http://ameblo.jp/renshi/entry-10773790429.html )日本人の父権主義化の問題を考察したものである。

以前指摘したのは、古代日本は母権主義の基底をもち、それが、父権主義と均衡した二元極性文化をもっていたが、時代が進むにつれて、基底の母権文化が衰退して、父権主義が進展したのではないのかということであるが、どうも、この仮説が今は妥当ではないかと思う。
 結局、ベースに母権主義が衰退・堕落したまま、父権主義が進展して、とりわけ、戦後の近代合理主義洗脳の結果、父権的唯物論的自我(悪魔的自我)が形成されたということではないだろうか。
 母権的基底・元基が衰退・退廃・腐敗・堕落したまま、父権的上部が構築されたということになる。
 日本伝統文化は、東洋的身体的精神をもち、それが、母権文化を確立していたと考えられる。武士道もそのようなものと考えられる。母権的父権文化である。文武両道文化である。
 しかし、明治の脱亜入欧、戦後の近代合理主義によって、この伝統文化が排除されたのであり、その結果、東洋的身体的精神に基づくべき母権的原基が涵養されずに、父権的近代主義的制圧を受けているのが、現代日本人ではないだろうか。
 明治近代も問題があるが、やはり、戦後の近代合理主義的洗脳の方がこの母権的衰退のより大きな原因だと考える。
 即ち、近代合理主義は、唯物論であり、それは、精神の本体を否定するのであるから、母権的基底は無視されるようになり、父権的自我意識が肥大化したと考えられるのである。
 言い換えると、日本人の母権的原基は未発達のまま、無意識化されて、形成、構築された上部の父権的唯物論的自我に支配されていると考えられる。母権的父権文化であるべき日本文化が、父権的母権文化になってしまったということになる。
 結局、戦後日本社会は、伝統的東洋的身体的文化が洗脳的に排除されて、母権的原基が無意識化されて、未発達となり、唯物論的近代合理主義が父権的自我と結びつき、父権的唯物論的自我が形成され、無意識の母権的原基を規制的に制限・限定し、抑圧するようになったと考えられる。
 この自己否定というべき戦後日本人の意識様態は、正に、被植民地的意識様態であり、文化的奴隷状態と言えよう。日本民族としての精神が奪われ、また、それを喪失して、戦後以降の社会が形成されたのである。端的に、精神の土台、母権的原基を喪失しているので、個的自立・独立が形成されないのである。
 ここで、とりわけ、今日の政治家を見ると、これが、典型的に現われていると言えよう。菅直人という空前(又、おそらく、絶後)の超いい加減な、超軽の首相は、正に、母権的原基、東洋的身体的精神的原基が未発達で希薄なまま埋没的に喪失されているために、父権的唯物論的自我の利己主義、悪魔主義を行使しているのである。
 今日、日本伝統文化ルネサンスが必須である。


2011.1.19(その2)
森田実の言わねばならぬ【41】
平和・自立・調和の日本をつくるために[41]
《新・森田実の政治日誌》[従米政治・財務省支配・マスコミ主導の菅・与謝野体制の政治は危険である/これを阻止しなければ日本が危ない(1)]反大増税・反TPP・反菅政権の行動を起こさなければならない
「二葉にして絶たざれば斧を用うるに至る」(六韜)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C07201.HTML


2011.1.19(その1)
森田実の言わねばならぬ【40】
平和・自立・調和の日本をつくるために[40]
《今日の論点》短期連載[菅改造内閣の七つの大罪(3)]菅改造内閣は世代交代に逆行する「自分さえよければ」主義者連合内閣だ
「枯れ木も山の賑わい」(日本の諺)

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C07200.HTML


2010年12月30日(Thu)▲ページの先頭へ
国防軍の創設とトランス・モダン日本:脱父権的世界秩序としての新母権的世界秩序へ向けて
テーマ:沖縄/米軍基地/日米関係/日米安保問題

沖縄米軍基地、また、他の国内の米軍基地の問題、これは当然、一筋縄では解決しない。
 私はこれまで、国防軍創設を提唱している。独立国家として、自国防衛軍をもつのは当然である。また、それは、憲法十七条にも抵触しないと考えている。
 国際関係は微妙であるが、弱肉強食の世界であることは認めなくてはならない。力の世界である。故に、力をもって対抗する必要がある。
 しかしながら、今日の父権的力学的世界を乗り越える新世界秩序を提示する必要がある。米国に、知を依存するのは、愚かである。知を、独創的な知をもたなければ、国家は独立できない。極言すれば、知の奴隷状態があるからこそ、日本は米国に従属しているのである。
 やはり、第二次世界大戦の狂信・狂気による大惨禍が、現代日本のカルマを作っていよう。もっとも、正確に言えば、近代日本のあり方に拠るのであるが。
 知の独立のための、二つ、ないし、三つの障害がある。一つは、駄マスメディアである。これは、悪魔集団である。二つ目は、日本のアカデミズムである。少数者、例外者を除いて、既成の枠組みに安住して、「研究」しているのであり、そこには、差異=他者がないのである。言葉の他者はあっても、実存の他者がないのである。言い換えると、怯懦であることである。独創的な研究は、研究体制の自己権益を否定するので、黙殺、排除されるのである。そう、個のゲマインシャフトではなく、自我のゲゼルシャフトになっているのである。三つ目は、思うに、これが一番の障害かもしれないが、政治・経済的知力の衰退・退化・崩壊である。トランス・モダンの新しい経済学が創造すべきであるが、米国の経済学に従属したままである。 
 私は政治・経済については、素人であるが、これまで、非力ながら、新経済のあり方について考察してきたし、これからも検討する。
 ということで、沖縄米軍基地問題は、日本の知の独立に関係しているのである。新しい世界、新しい母権的世界秩序を創造する意欲・意志をもたなくては、日本滅亡は必定である。
 

[12/30]「差別を甘受せよ」という対沖縄政策(怒) (仙谷由人官房長官発言) New!!

日本国の沖縄政策について、記憶のために、菅直人政権の本音を記録しておきます。そして、これは、菅直人政権に限らず、沖縄を除く多くの日本人の本音でもあります。ここに記録した沖縄の二つの新聞による報道や社説には、反論する余地が全くありません。

この沖縄二紙の意見表明を単に仙谷批判、菅政権批判とだけ受け取るべきではありません。「日本全体が沖縄に負担を甘受させている」といういうべきです。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2195.html
村野瀬玲奈の秘書課広報室


2010年12月25日(Sat)▲ページの先頭へ
民主党ないし左翼問題:反感的自我・唯物主義:自我が他者を排除する
民主党のなし崩し的「ザマ」は、戦中の内閣を想起させる。
 とまれ、政治のメルトダウンは、国家的大惨事となるだろう。
ここで、左翼的発想の大欠陥について、再論したい。結局、左翼とは、野党であったり、在野にあるときは、自己に否定的なもの(国家権力、官僚組織等)に反感をもつ(政権を取ると、敵対者に反感をもつ)。その反感は自我と結びついている。つまり、他者を否定する自我を肯定しているのであり、端的に、利己主義、自己中心主義である。
 ここで史的なことを言うと、私は、マルクス・レーニン主義におおいに疑問をもったのは、他者を否定すれば、対立を統一するという弁証法の発想である。他者は否定の対象ではあっても、他者の優れた質を取り込む必要があるのである。
 私は、ボルシェビキがメンシェビキを否定して、排除する点におおいに疑問を感じたのである。正に、その点で、差異共振が必要なのに、他者否定・排除を行なったことである。
 そう、つまり、弁証法のもつ他者排除性が問題ではあるのである。
 民主党も他者である官僚を排除したのであるが、結局、官僚の知恵を吸い上げることができないために、官僚に依存することになったのである。民主党「革命」政権は、当然、反動力学に拠って、今日の破滅的状態を導いたのである。
 民主党政権の革命主義を肯定したものは、自己の無知を恥じるべきである。
 私が民主党に期待していたのは、「革命」ではなく、官僚との共振である。しかし、それが裏切られたのであり、正に、革命主義の反動力学が実現してしまったと言えよう。
 以上は既述したことである。今、言いたかったことは、他者を否定して、自我中心となったとき、現実から逸れるということである。つまり、自我中心主義とは反現実主義であるということである。
 他者にこそ、現実、真実、真理があるのであり、それを否定・排除したとき、まったく自我は妄想・妄念・狂気・錯乱に陥るのである。
 端的に言えば、左翼とは、他者をもたない自我中心主義であり、狂人である。


参考と参照:

脱官僚と脱官僚依存はまったく別物である:モダンとトランス・モダン 2009-10-23 14:32

・・・ 「脱官僚」はどうなった! 日本郵政社長人事の矛盾 民主党の主張に綻びが見えはじめている。西川善文・日本郵政社長の辞任表明を受けて、新たな同社トップに決まったのは、元大蔵事務次官の斎藤次・・・
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
ameblo.jp/renshi/entry-10371431493.html

民主党「革命」路線批判:昨年10月17日の予見が大当たり 2010-01-22 09:58

以下の記事は、昨年10月17日の民主党批判であるが、どうやら、それが的中したようである。 思うに、明治維新も革命的要素があり、西郷隆盛ら反対派を排除していき、昭和の狂気へと向かったと言えよう。 唯一成・・・
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
ameblo.jp/renshi/entry-10440004133.html

民主党『革命』批判と絶対的差異/絶対的他者⇒差異共振視点の絶対的必要 2009-10-17 06:56

今月は多忙なので、ブログの更新が少なくなります。 さて、最近の日刊ゲンダイをみると、民主党を手放しで、無批判的に評価肯定していることに違和感を感じる。また、危険を感じる。(端的に、盲目な評価、盲目の絶・・・
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
ameblo.jp/renshi/entry-10366622975.html

「革命」問題:「革命」批判:メキシコ革命問題 2010-09-11 10:26

必要で、メキシコについての本を読んでいるが、20世紀初期のメキシコ革命が今でも継続しているという発想を紹介している。 しかし、私は、革命という視点を絶望的に感じるのである。私は革命を信じていないという・・・
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
ameblo.jp/renshi/entry-10645278749.html


tokaiama

 
tsujiiyoh 連合が労働者の味方だったことなど一度もありません。私は加入していた組合が連合に入った時点で組合を辞めました。 @hanayuu 労働者の味方のはずの「連合」の会長が消費税率引き上げを容認した  | http://bit.ly/hbTsb4 12分前 webから tokaiama と4人がリツイート


(12/24)労働者の味方のはずの「連合」の会長が消費税率引き上げを容認した 
(12/24)菅首相みずから「たちあがれ日本」に連立政権入りを呼びかけ!
(12/24)民主党政権が「国民生活センター」の廃止を検討 
(12/24)〔B層ダウンロード〕自民党が総裁と副総裁の声を配信する試み開始
(12/24)麻木久仁子はラジオで小沢一郎氏を擁護する発言を繰り返していた
(12/24)民主党政権が東京電力・東通原発(青森県東通村)の建設を許可
(12/24)民主党政権が失業・求職中の青年からも「無職税」を徴収で当惑広がる

低気温のエクスタシーbyはなゆー


2010年12月22日(Wed)▲ページの先頭へ
現代日本指導層の封建/近代的自我的利己的様態:他者凹iの肯定と日本宗教ルネサンス
現代日本指導層の「精神」は、封建/近代的自我的利己主義であると推測される。
 封建的とは、父権的ということである。PS理論で言えば、凸iが支配的になって、同一性主義であり、それが、物質+1と連続化していると考えられる。そして、他者(「民主主義」における「民」である:「個民」と造語したい)である凹iが、排除されていると考えられる。
 以上のことは既述事項であるが、何故繰り返すようなことを言うのかいうと、今日の日本の敗北主義的状況を打破するには、この半封建/半近代的利己主義様態を否定する必要が前提であると考えるからである。
 一言で言えば、利己主義の打破である。利己主義は、他者凹iが単に観念としてだけで、力として直感されていないことに拠ると考えられる。
 父権主義と母権主義の二元性で言えば、前者が支配的であり、後者が排除されるという歪みがあるのである。
 世界的な状況を見ると、明らかに、新母権主義が勃興しているのであるが、日本は未だに、父権主義支配なのであり、この点で、世界に完全に後れを取って、「退化」しつつあるようだ。
 新母権主義とは、超越的精神性を根源にもつ知的感性主義である。それは、人間認識図では、第三象限的モードである。
 他者凹iを肯定したとき、それは、自我凸iとの共立、さらには、共融モードになるのであり、いわば、超越的神秘的世界が啓けるのである。それは、秘教的世界である。
 私見では、戦前と戦後の断絶(参照:三島由紀夫の「断絃のとき」)は、この世界の喪失にあると考えている。
 連合軍支配の下、戦前的な文化が殲滅されて、近代合理主義、近代民主主義の洗脳が為されたのである。(参考:
【カエサルの物はカエサルに】 朝鮮王朝儀典書と農地改革、そうして現在の農業自由化
http://blog.kaisetsu.org/?eid=812315
『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile )
 言い換えると、東洋的日本文化が否定されて、排除されたのであり、その結果、日本人の精神が民族的精神から見て、いびつなものになったと考えられる。
 思うに、本来、東洋的身体的精神をもつ日本文化は、凹iと凸iとの共立様態に本質があると考えられる。肚の文化とは、凹iの文化である。
 しかるに、これが、否定されたために、凸i中心の父権的様態、利己主義になったと考えられるのである。無私・無我の精神が否定されて、利己主義、自己中心主義が肯定されたのであり、その中心地は東京(悪魔アーリマンの巣窟)である。
 明らかにこれは滅びの道である。何故なら、創造とは、凹iの感性、直感・直観、想像力に拠るからである。個というものも、凹iをベースとして、存するものである。
 社会的に言えば、結局、凹iと資本主義との関係が問題である。一方は神秘主義であり、他方は同一性・物質主義である。
 しかしながら、何度も既述したように、資本主義は、差異共振主義であり、自我と他者との共振によって成立するのであり、他者を否定する父権的同一性・物質主義は、資本主義自体を否定するのである。
 つまり、資本主義は他者との共振において、ある意味で、神秘主義的なのである。(ここで、共融と共振の違いを説明すべきである。神秘主義は、凹iと凸i の共融であり、差異共振は、凸iと凹iとの共振である。両者とも他者凹iをもつことでは共通なのであり、前者は、完全に内界的、不可視的であり、後者は外界的、可視界的である。つまり、内的志向と外的志向の違いがそこにはあり、それは、方向性が逆ということであり、基本要素が共通的と言えよう。)
 結局、現代日本を乗り越えるには、他者性の再発見が必要なのである。意識に他者を、資本主義に他者を再発見したとき、それは、トランス・モダン・シフトとなると言えよう。
 宗教的に言えば、キリスト(あるいは仏陀)の道であるが、それは、脱キリスト教である聖霊の道である。また、日本本来の道である。
 最後に補足すると、戦後に父権主義化があったと言ったが、正確には、封建主義的要素は当然、それ以前からあった。
 これはいったいどこから発しているのか。母権的父権主義の日本文化において、封建的父権主義が成立する根拠は何かが大問題である。
 私は国学の排他的ナショナリズムを批判した。坂本龍馬の開国主義は、東洋精神的自由・民主主義であり、それとはまったく異なるのである。
 国学的排他的ナショナリズム、これが、尊王攘夷の二項対立論を産み出したのであり、それが、明治国家主義の精神的土台と言えよう。そして、それが、狂気の「大東亜戦争」を導いたと考えられるし、戦後、今日もこれが継続していると考えられる。
 端的に言えば、父権的自我・利己主義の成立の根因は何か、である。これは天皇制ではない、天皇制はそれに利用されたのである。
 今考えられるのは、母権と父権の均衡をもつ本来の日本文化が、均衡を喪失して、どちらかに傾斜してしまったという事態である。
 つまり、極性文化から二項対立文化へと日本文化がシフトしたことが考えられるのである。
 それは具体的に何なのか。以前述べたが、やはり、江戸時代の江戸の消費中心主義が、バランスを喪失させたのではないだろうか。いわば、江戸の唯物論化が生じたのである。
 ここに、日本の父権的利己主義文化の根因があるように思えるのである。この父権的利己主義は、二項対立的であり、他者排除的なのである。
 日本本来・古来の母権的父権主義文化のルネサンスが必要である。江戸・東京の超克が必要である。
 神を取り戻すべきである。自然神、不可視の自然神を取り戻すべきである。

追記:日本封建・父権主義の成立は、別の考え方もできよう。即ち、日本本来・古来の母権的父権文化であるが、原基の母権主義的精神の衰退・衰弱が歴史において、とりわけ、江戸時代中後期に生じたように思われるのである。そのために、上層の父権主義が主導化して、母権的精神を排除するようになったと考えられる。
 ならば、根源的母権精神、凹iと超越性との融合を復活することが肝要である。東洋的身体的精神の復活である。


参考:

「神道の考察」 日本の成り立ちの鍵

http://ameblo.jp/hex-6/entry-10741016473.html

HEXのブログ


2010年10月25日(Mon)▲ページの先頭へ
+1凸i*+1凹i=+1:半封建/半近代的自我の日本人:唯物論的であり、精神界が欠損している
先に以下の感想を述べた。
「情けは情け、義は義である。」:森鴎外『阿部一族』の柄本又七郎
結局、この柄本又七郎の「情けは情け、義は義である」という発想は、基本には、やはり、自我、偽装自我+1凸iがあると見るべきである。そしてその偽装自我が偽装他者+1凹iを狡猾に知覚して、計算、打算的に行動を取るのである。これは、言うならば、半封建/半近代的自我である。以前も指摘したが、これが、「近代」日本人の類型になっているように思う。
 これは世間体に囚われる自己保身的、非個的人間である。ここには、物質界+1はあるが、精神界-1が欠損しているのである。
 問題は、いったいどうして、精神界-1を完全喪失するようになったのか。それとも、もともと希薄なのか。
 後者の可能性があるが、やはり希薄にさせられたように思う。一体何があったのか。What happened to Japanese?
 本来、誰でも、差異共立(共融)の精神をもって生まれるだろう。それは、精神界-1と通じている。
 しかし、誕生後は、物質界に母体から分離して生存することになり、⇒+1の+1が重要な意味をもつようになるのだ。ここに、物質的自我が生まれるのである。  
 思うに、自我の核は凸iである。いわば、原自我である。これは、知能を司るだろう。 
 そして、物質的自我+1凸iは、社会を認識する。それは、他者である。しかるに、日本社会は偽装他者+1凹iの社会である。そこで、物質的自我はそれを捉えて、偽装他者を利用するのである。それが、柄本又七郎である。そして、菅直人である。(以前は私はこれは官僚タイプだと言ったが、当たらずとも遠からずであろう。)思うに、愚民はこれをさらに劣化させたものである。偽造することすらできないのである。 
 では、肝心の精神界が喪失される力学を考えたい。これは簡単に言えば、社会に精神界が喪失しているので、個人が精神性を喪失すると言うことができる。日本の場合はとりわけ戦後である。近代合理主義、唯物論、近代民主主義が導入されたのである。
 しかしながら、外的な理由よりも、内的な理由の方が積極的、本質的である。個とは差異共立(共融)且つ差異共振に基づくだろう。ルネサンスとはそういうものであった。 
 しかしながら、日本文化は母権文化が基盤にある。それは、凹iの文化である。しかし、封建主義によって、それが、父権的傾斜を受ける。そうすると、+1 凹iになるだろう。これは、似非父権文化である。母権が捩れていると考えられる。(日本語に、主語が希薄なのと関係するのではないだろうか。)
 繰り返すと、ルネサンスは、差異共立(共融)であり、それは、-1凹i(第三象限)が根源にある。イタリア・ルネサンスで、新プラトン主義が起きたのも不思議ではない。それは、古代的な神秘主義に通じると言えよう。(日本において、禅仏教がそれに近い発想をもっているだろう。例えば、道元である。)問題は、ルネサンスの場合、差異共立から差異共振へと展開したことである。それは、西洋文化の凸iの傾斜に拠ると見ていいだろう。つまり、同一性へと傾斜したのである。そして、その帰結がデカルト哲学と考えられる。  
 日本文化においては、西洋文化のような凸iの強い傾斜はない。
 凹iの傾斜による物質化+1、即ち、+1凹iが生起すると考えられる。世間である。 
 問題は、凹i⇒+1のプロセスである。もし、凹i⇒-1の契機があれば、+1凹iへのプロセスは強固にならないはずである。しかるに、日本において、凹 i⇒-1の契機が乏しかったと言えよう。 しかし、「近代化」以前においては、神道、仏教、民俗祭礼等があり、それは、凹i⇒-1の契機をもっていたと考えられる。 明治維新によって、凹i⇒-1の契機は天皇制、国家神道が吸収したと考えられる。そして、戦後においては、その回路が断ち切られたと考えられる(三島由紀夫の「断絃のとき」)。  
 問題はやはり、凸iの原自我の希薄さではないだろうか。もし、強い凸iがあれば、天皇制や国家神道に吸収されることはなかったはずである。 
 では、天皇制、国家神道を形成した明治政府の力学とは何であったのか。それは、柄本又七郎的半封建/半近代的自我の力学ではないだろうか。確かに、凸 i⇒+1はあるが、それは、凹i⇒+1を顧慮する狡猾な自我に過ぎないのである。つまり、+1凹iに囚われる自我に過ぎないのである。(追記:これはあまりに一面的である。例えば、坂本龍馬や横井小楠などの考えは、封建制を脱している。それは、精神的民主主義である。私の唱えるトランス民主主義に近いだろう。) 
 すると、やはり、先に述べたように、日本母権文化のデカダンスが見えてくるのである。積極的な原自我凸iがあれば、凹iへの顧慮ではなく、凸i*凹iの差異共立(共融)が生起可能となり、-1の精神界が予感されるはずである。 
 私は先に、日本の父権文化はユダヤ教ではないかと言ったが、それは、まったく間違いだろう。ユダヤ教が導入されていれば、あるいは、キリスト教が入っていれば、強固な自我文化が生まれたはずであるが、それがなかったからである。(追記:正確に言うと、平田篤胤の神道には、キリスト教が導入されているのである。だから、国学には、一神教性があったと考えられる。父権的なものである。これについては検討課題である。) 
 日本母権文化のデカダンス、これが、現代日本の狂態を生んでいると考えられるのである。日本人が英語が苦手なのもこの点と関係しよう。英語は父権的言語(主語+動詞)であるからだ。 
 日本人を再生させるには、父権文化の導入が必要である。私は主語+動詞(述語)のある外国語を日本人は身に着けるべきであると思う。これは、思考を自我的論理にするからである。主語の希薄な日本語、述語的日本語は、差異欠損的であり、半封建/半近代的である。あるいは、未分化的である。差異未分化的ということである。それは究極のところ、菅直人的な二重人格的欺瞞論理となるのである。

* 菅首相、TPPの調整加速指示 「農業と両立可能」 共同通信 (21時48分)

(この点は別の機会に考察しよう。)
 思うに、戦後日本人が凹i⇒-1の第三象限へと展開するチャンスがあった。それが、折口信夫の新神道論であるが、戦後近代合理主義の狂信の中で、無視されたのである。
 また、オカルト・ブーム、精神世界の流行も、内因として、超越性を求める志向があるだろう。しかしながら、それは、一般には、自我が希薄なのである。その典型がオウム真理教事件である。 
 その点から見ると、シュタイナーの精神学は自我ichを基盤にしているので、それなりに考察に値するものである。(確かに、あまりに、内界に傾斜している難はあるが。)
 そう考えると、日本人に必要なのは、哲学的思考、哲学的知性であると言えよう。哲学は、知的に内的世界を探究するものであり、その点では、原自我凸iを介在させているのである。本質は直感的思考であると思うが、原自我凸iの知性を道具としているのである。(思うに、原自我凸iとは、フッサールの超越論的自我と一致しよう。)
 結局、現代日本人にとって、外国語研究、哲学研究が必要である。精神のインフラ、知のインフラが抜けているのである。そう、個となること、原始仏典にある「犀の角のように唯一人歩め」が必須である。集団、群れを成すな。

追記:国学が一つの問題である。本居宣長の「大和心」について解明する必要がある。それは、非合理主義でありつつ、且つ、自我的なのである。これをどう説明するのか。
 「漢心」(合理性ないし自我性)を排除するから非合理主義なのである。あるいは、情動主義である。しかるに、「漢心」を排除する二項対立論理があるのである。
 つまり、自我と非合理主義が結合した論理がそこにあるのではないだろうか。これは、ロマン主義に近い論理である。それは、第一象限と第三象限の混淆ではないだろうか。
 これは、-1凹i=+1凸iの短絡論理ではないだろうか。超越性・無我性と物質・自我性がショートしているのではないだろうか。これが、尊王攘夷の狂信の原理ではなかったのか。今はここで留める。後で、再考したい。

****************************
「偽装自我」と「真正な無我」:+1凹i*+1凸i=+1の民主党指導層?
テーマ:検討問題:思考実験・仮説・エッセイ・メモ
以下、生成門氏の偽装自我VS真正の無我の視点は興味深い。
 これは、意識と無意識(潜在意識)にも関係しよう。私は民主党の左派的人間の自我とその反動性の力学をどう解明しようかとは感じていたのでもあった。
 言うことと為すことがまったく乖離し、正反対になっている民主党の指導部であるが、それは偽装自我の視点で説明できよう。他者、凹iが欠落しているのである。正確に言えば、-1凹i(第三象限)の他者である。だから、他者偽装するのである。「コンクリートから人へ」。
 思うに、純粋な(?)自我の人は、+1凸i(第一象限)であり、他者偽装しない。ストレートである。他者偽装するのは下心があるからである。それは、+1凹i(第四象限)であろう。これが、他者偽装するのである。
 そう見ると、民主党指導層は、+1凹i(他者偽装)と+i凸i(自我)の二重人格であると言えよう。選挙では、前者が前面に出て、後者を引っ込める。そして、選挙に勝つと、逆転して、前者が消えて、後者となる。
 かれらに「個」ないし真正の無我がないのは、-1の超越性が欠落しているからである。つねに、二重性を使い分ける、悪賢い人間なのである。しかしながら、真実、真理は、-1の領域ないし第二象限か第三象限に存するのである。故に、彼らは愚鈍・愚劣でもあるのである。
 意識と潜在意識で言えば、意識が自我であり、潜在意識が偽装他者である。
 ここから、ペテン師の真相がわかる。偽装他者(偽装自我)を使って、欺し、自我利益+1を獲得するのである。
 外交もこの面が強いだろう。ただし、常に、-1をもっていないと、見透かされ、馬鹿にされる、民主党指導層のように。小沢一郎が一目置かれるのは、あるいは、恐れられるのは、-1、ないしは、第二象限と第三象限があるからである。誠意、誠実さとは-1に拠るのである。
 ここから、政治教育がはっきり認識される。プラトン哲学も、-1の認識を目指したものと言えよう。

参照:人間認識図(by Mr Kaisetsu)

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
**************************

本来、+1凹iは自我の対称性である無我ですから、無我の心−1凹iの反転した現れのはずですが、+1凸iの自我から反動した+1凹iは、無我ではなく擬装自我なのです。つまり無我のように見えて真正の無我ではなく、恨みを抱えた自我なのです。

+1の反動

+1凸i=自我→(反動)→+1凹i=無我(擬装自我)

−1からの反転

−1凸i(凹i?)=無我の心→(反転)→+1凹i=真正の無我


擬装自我と真正の無我の心との戦いが、この物語の主人公チュモンの生き様であり、テーマでもあるのです。

無我の心とは−1凹iであり、それを反転した+1凹iが真正の無我の自己であり、自我+1凸iから反動したのが+1凹iの擬装自我なのです。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100098199050

* チュモンというベクトル・モード(1):恨みは進化の原動力 (1)

シムダンス「四次元能」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10682083204.html


1 2 3 4 5 6    全175件




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2017年5月
 
27
28 29 30 31      

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:59
昨日:1,267
累計:4,651,819