二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体






[PR]



2013年11月22日(Fri)
二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体
二重天皇制の精神力学分析:母権と父権のゆらぎ:氣・植物体的魂と動物体的自我の二元論主体

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

先に以下のように書いた。
 今は、新たに気づいたことを備忘録する。
 1)作業仮説の百済の父権主義であるが、それとイスラエルの失われた十支族と結びつきがあるとするのはどうか。先に日ユ同祖論を示唆したが、それ以前 に、百済ユダヤ同祖論がありうるのであり、それが、結果的に、日ユ同祖論に展開するということではないのか。そう見ると、日本の神社にユダヤ教と共通する ものがものが多く見られるというのは、百済ーユダヤ・ルートに拠るということになるだろう。
 私が探していた日本父権民族とは、実は、百済ーユダヤ父権民族ということになるのである。
 しかし、以下に示唆したように、この百済ーユダヤ父権民族とは、実は基盤の百済母権民族を支配しているという構造をもっていると考えるのである。この父 権/母権二項対立精神力学を百済民族はもっているということになるのである。あるいは、父権/母権二重構造と言ってもいい。
 とまれ、そのような百済ーユダヤ父権/母権二重天皇制が日本に到来して、それを日本国として実現したというよに考えられてくるのである。
 そして、日本国創建の証拠として、記紀、とりわけ、日本書紀が創作されたというように考えられるのである。
 聖典を記録するのは、父権文化である。そして、当然、母権文化を卑しめ、父権文化を称揚するのである。これが、父権文明の聖典形成の常套手段である。
 だから、日本書紀の天孫降臨民族は侵略した父権民族であり、土着的母権民族を支配したと考えられる。
 しかし、問題が複雑なのは、侵略した父権民族は、母権民族性を内包していたことである。
 母権内包型父権なのであるから、母権文化を保存する必要があるのである。それが、日本書紀、記紀に出ているはずである。
 わかりやすい徴表は、太陽信仰、太陽神である。
 これは母権文化と父権文化で共通するのである。太陽信仰を核にすることで、父権民族は母権民族を支配できる権威を得ることができるのである。
 そして、政治的には天皇制が中心となるのである。母権と父権の紐帯としての天皇制である。
 
2)1と関係するが、母権と父権の二重性をもつ精神の構造である。これは不安定なゆらぎの様態にあるのではないだろうか。
 そして、このいわば、混沌としたゆらぎ状態に日本人の意識はあるのではないだろうか。
 一方では、母権志向であり、他方では父権志向である。
 しかしながら、意識は父権へとなびきやすいので、日本人は父権志向になっているのである。
 しかしながら、これは、正に、父権民族支配の思うつぼである。彼らは、日本母権民族の未分化的二重様態における父権志向を利用して支配できるのである。そう、洗脳できるのである。
 結局、これは、日本母権民族が自身の原基盤たる母権文化を明確に認識していないことから来ると考えられる。
 この点では日本人は実に杜撰である。おそろしく杜撰である。そう、生ぬるく生きてきてしまったのである。甘えである。
 そう、日本母権民族の精神構造を考えると、百済ーユダヤ父権民族の父権文化が入ってきたために、純粋母権文化ではなく、父権文化が導入されることになるのである。
 つまり、母権+父権の混合状態になると考えられる。これは、言うならば、分裂状態である。齟齬様態である。
 これが、一般的日本人の精神の基本的様態ではないだろうか。つまり、一方では、母権志向でありながら、他方では、父権志向という分裂様態である。混沌様態である。
 しかしながら、イデオロギー的には父権優位で洗脳され、マインドコントロールするのである。
 結局、未だ、日本人は自己形成が未完成なのである。
 自身の本質である母権文化を見ないように、洗脳されているからである。
 母権文化を探求すると、実は、氣の文化に突き当たるのである。それは、肚の文化であり、また、当然、不可視の文化である。ディオニュソス文化である。
 しかしながら、父権文化は可視文化、現象・物質文化であり、それを否定的に捉え、母権文化を制止するのである。
 そう、女性を劣位に置くのである。
 しかしながら、極めて不思議なことは、日本語に語彙に「氣」という字や言葉溢れているのに、それを理論・哲学化していないことである。もっとも、例外の人物はいるが。 結局、百済―ユダヤ的父権民族が日本母権民族を支配している図式がずっと続いているということだと思う。そして、現代、百済―ユダヤ的父権民族である自民党政権が剥き出しで、日本母権民族を殲滅させようとしているのである。
 ユダヤ選民主義は母権民族を否定するのである。正に、黙示録である。

最後に天皇制に戻ると、父権的天皇制とは、一種の専制を意味する。そして、母権的天皇制は、そこにD. H. ロレンスが『アポカリプス』で述べたようなコスモスの力の反映があると思われる。私の言葉では、氣の自然宇宙の文化共同体の力学を意味するのである。


二つの天皇制:母体の母権天皇制と父権天皇制:藤原氏と日本書紀

以下の説は、興味深いが、天皇制に関しては、一面的であると思う。
 私の仮説は、天皇制は二つあるというものである。母権的天皇制と父権的天皇制であり、両者が重なっているのである。
 思うに、藤原氏は父権的天皇制を作ったのであり、基盤の母権的天皇制を利用しているのである。
 日本書紀は、父権的天皇制イデオロギーの面が強いのではないだろうか。
 思うに、飯山一郎氏の唱える百済国亡命をベースにする日本国建設論であるが、宗像大社とその神話の壮麗さを見るとそれは、母権文化である。
 しかし、百済出身とされる藤原氏は、どう見ても父権主義である。
 この齟齬をどう見るのかである。
 私は先に、父権民族は、中国経由のアーリア系民族ではないかと示唆した。
 しかし、藤原氏が百済出身であるなら、日本父権民族の源流は考え直さなくてはならない。
 これは作業仮説であるが、百済国が実は、母権民族であったが、父権民族によって征服されたのではなかったのか。つまり、父権支配の母権民族としての百済国である。
 それが、原日本に亡命してきたという作業仮説である。
 つまり、元々、百済国は二重天皇制の国であったという作業仮説である。
 そして、その二重天皇制の百済国が原日本に「亡命」して、日本国を創建するということになるのである。
 そして、元来、母権民族である原日本において、二重天皇制は独自の発展したのではないだろうか。
 つまり、百済の母権天皇制は原日本の母権民族と結びついたのではないだろうか。
 そして、百済の父権天皇制は、それらを支配する方策をとったのではないだろか。それが、例えば、日本書紀の創作ではないだろうか。
 キリスト教になぞらえて言えば、ヤハウェ的天皇制とキリスト又は聖母マリア的天皇制が生じたのではないだろうか。
 そして、土着的母権的原日本人(縄文・弥生)は後者に惹かれたのであり、今でもそうである。
 そして、自民党のような明治維新的タカ派路線は当然、ヤハウェ的天皇制である。
 もう少し言うべきであるが、時間がないので、今はここで留める。
 
藤原氏の正体編: 心の尊さ(真実)と血筋の尊さ(虚飾)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11709761794.html



二つの天皇制:母体の母権天皇制と父権天皇制:藤原氏と日本書紀

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

以下の説は、興味深いが、天皇制に関しては、一面的であると思う。
 私の仮説は、天皇制は二つあるというものである。母権的天皇制と父権的天皇制であり、両者が重なっているのである。
 思うに、藤原氏は父権的天皇制を作ったのであり、基盤の母権的天皇制を利用しているのである。
 日本書紀は、父権的天皇制イデオロギーの面が強いのではないだろうか。
 思うに、飯山一郎氏の唱える百済国亡命をベースにする日本国建設論であるが、宗像大社とその神話の壮麗さを見るとそれは、母権文化である。
 しかし、百済出身とされる藤原氏は、どう見ても父権主義である。
 この齟齬をどう見るのかである。
 私は先に、父権民族は、中国経由のアーリア系民族ではないかと示唆した。
 しかし、藤原氏が百済出身であるなら、日本父権民族の源流は考え直さなくてはならない。
 これは作業仮説であるが、百済国が実は、母権民族であったが、父権民族によって征服されたのではなかったのか。つまり、父権支配の母権民族としての百済国である。
 それが、原日本に亡命してきたという作業仮説である。
 つまり、元々、百済国は二重天皇制の国であったという作業仮説である。
 そして、その二重天皇制が原日本に来て、日本国を創建するということになるのである。
 そして、元来、母権民族である原日本において、二重天皇制は独自の発展したのではないだろうか。
 つまり、百済の母権天皇制は原日本の母権民族と結びついたのではないだろうか。
 そして、百済の父権天皇制は、それらを支配する方策をとったのではないだろか。それが、例えば、日本書紀の創作ではないだろうか。
 キリスト教をなぞらえて言えば、ヤハウェ的天皇制とキリスト的天皇制が生じたのではないだろうか。
 そして、土着的原日本人は後者に惹かれたのであり、今のもそうである。
 そして、自民党のような明治維新的タカ派路線は当然、ヤハウェ的天皇制である。
 もう少し言うべきであるが、時間がないので、今はここで留める。
 
藤原氏の正体編: 心の尊さ(真実)と血筋の尊さ(虚飾)
長年に亘って藤原氏と関わって藤原氏を見てきた先祖を持つ清和源氏の一族の私には、藤原氏の顔がそのままハイド氏の顔に見える。安倍晋三は藤原系の政治家だ。同じく天皇制の 母体となっている神道の靖国神社では、お国のために死ねる若者育成セミナーをしているそうだ。戦前・戦中は「お国のために死ね、死ね」と叫ばれ、国民の命 が粗末にされた。今は天皇制の支持率は低いようだが、彼らはその事実を言論弾圧によって隠蔽している。彼らは天皇制を強化して、戦前・戦中の大日本帝国に 戻そうとしている。彼らは日本を再び戦争に引きずり込もうとしている。竹島問題、尖閣諸島問題も、彼ら右翼系政治家が日本側から火をつけて、わざと煽っ た。日本を戦争に引きずり込むための自作自演ではないか、と思われる。日中戦争は日本側からの自作自演で勃発したことを忘れてはいけない。安倍晋三らの藤 原系政治家が、「この1300年以上の間、しばしば日本を中国や朝鮮との戦争に引きずり込んできた、ルーツ不明の一族である藤原氏」の中心なのである。
藤原氏の祖・鎌足は日本の豪族である中臣氏出身であるということになっているが、有名な一族であるにもかかわらず、本当のルーツは不明だ。しかし、藤原鎌足の正体は、日本を白村江の戦い(663年) に引きずり込んだ、百済王子豊璋であると思われる。彼は白村江の戦いの決戦の直前に、負けそうだと思って、家臣を騙して手勢を少しだけ引き連れて逃げ出し (軍の将・王子豊璋が行方不明になったため、余計に大敗した)、高句麗に逃げたことにして、日本にこっそり逃げ帰って、天智天皇から中臣鎌足(後に藤原鎌 足)の名をもらって帰化した。人間として卑怯極まりない。藤原鎌足の直系子孫は「百済系朝鮮民族の王族である自分達は血筋が尊い」と考え、大和民族を侮蔑 している。祖国・百済を滅ぼした、唐(中国)、新羅(朝鮮)への恨みの気持ちをずっと持っており、「お国のために死ね、死ね」と大和民族を騙して、中国や 朝鮮との仇討ち戦争をもくろんでいる。それが、竹島問題、尖閣諸島問題をわざと煽っている、右翼系政治家の真の目的だ。唐(中国)、新羅(朝鮮)を仇討ち できるし、日本列島の上に「日本」という名の百済国を再建するにあたって、邪魔な日本土着民(大和民族、沖縄人、アイヌ人ら)も、戦争を通じて大量にわざ と殺害できて減らせる、と考えておるようだ。


http://seiwagenjisinjitury3.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ded1.html



松果体と脳下垂体の二重システム:人体(人心体)における動物体と植物体の結合における免疫力と生命力

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

私はこれまで、人体の免疫力と氣の生命力は関係しているのではないかと思ってきたが、どうも異なるように思えた。
 つまり、人体を先に、四層で考えたが、その中に、動物体層と植物体層があるが、免疫力は主に前者で、氣的生命力は主に後者に関係するのではないかと思ったのである。
 しかしながら、植物体にも、なんらかの免疫力はあるだろう。
とは、免疫力は植物体というよりは、動物体に主に関係すると思われるのである。
 とまれ、今は問題提起のみである。血液、特に、白血球が免疫に関係する。マクロファージ等は、異物に攻撃するのである。異物を食するのである。食するという作用は当然、動物体的行為である。だから、その点では、やはり、免疫力は動物体に属すると思われるのである。
 植物体に本来の生命力、つまり、氣的生命力があると考えている。(それは、単に生命力だけでなく、認識力もあると考えているのだが。)
 つまり、陰陽調和力である。結局、免疫力と生命力とを考えるとき、動物体の生命力としての免疫力と植物体の生命力の氣をを考える必要があるだろう。
 ここで、想起するのは、シュタイナーが排出と認識の関係を述べていることである。(参照:以下の第五講である。)

オカルト生理学 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥1,155
Amazon.co.jp

思うに、排出とマクロファージ等の食的攻撃力は関係しているのではないだろうか。つまり、異物の排除という点で共通すると考えられるのである。
 それに対して、植物体の生命力である氣であるが、それは、逆である。いわば、異物、他者と共鳴することに、本義、本質があるのである。
 だから、動物体の生命力と植物体の生命力は真逆であると言えるのではないだろうか。
 結局、動物体生命システムと植物体生命システム、2つの異なる生命系が人体(人心体)に存するということではないだろうか。
 しかしながら、とは言え、である。
 ここが急所、核心である。
 つまり、当然、動物体生命システムと植物体生命システムは繋がっているはずである。
 どうも、ここにシュタイナーが指摘する松果体(松果腺と述べているが)と脳下垂体の接続の意義が存するのではないだろうか。(上書の同じく、第五稿を参考。)
 即ち、松果体は光と関係し、それは、当然、氣と結びつくから、植物体と関係する。それに対して、脳下垂体は、内臓と関係するから、それは、当然、動物体と関係し、また、血液と関係するから、免疫力と関係する。
 言い換えると、松果体と脳下垂体の接続とは、植物体と動物体の接続を意味するということと考えられる。
 さらに言えば、氣と免疫力の出会いである。
 そうすると、日光(氣を背景にもつ)は松果体を介して、氣をもたらし、それは、脳下垂体を刺激して、内臓を強化する。それは、当然、免疫力を強化に繋がると考えられる。
 つまり、松果体ー脳下垂体システム(間脳システム)は、植物体と動物体の接合システムであり、それは、いわば、人体生命体システムの一つの核心であると考えられるのではないだろうか。
 卓抜な飯山一郎氏の生命力発展実践であるが、乳酸菌は当然、動物体・免疫力に関係し、日光浴や身体温暖保持等は植物体的氣的生命力システムに関係しよう。
 結局、人体保持には、両面が必須である。それは、また、相互補完となるのである。
 しかし、これも核心的問題の一つであるが、果たして、動物体・免疫系と植物体・氣生命系は単に両極で同等なのだろうか。単位、二元的なのだろうか。
 私は植物体・氣生命系が主であり、動物体・免疫系は従ではないのかと思えるのである。
 どうも、後者に対して、やや否定的なような言葉使いであるが、本意はそれではない。つまり、根源の問題なのである。
 生命の根源はやはり、氣に存すると思われるのであり、だから、植物体・氣生命系が主になるということなのである。
 あえて言えば、植物体・氣生命系から、動物体・免疫系は生まれたと思うのである。さらに言えば、
 
初めに、光ありき

初めに、日光ありき

さらに初めに、氣ありき

と思うのである。この氣に、動物体・免疫系が含まれていたと思うのである。
 つまり、松果体と脳下垂体の関係で言えば、前者が主ではないだろうか。それから、後者が発生したのではないだろうか。 
 その視点は、シュタイナーの考えと一致するのであるが。また、シュタイナーが影響を受けたゲーテの視点と通じると言えよう。
 しかしながら、松果体を受容する日光であるが、それは氣的光である。氣光線(氣光)である。そして、それは、究極は、無双太極である。
 つまり、無双太極(太水:陰陽未分化体)から氣光線(太陽)が生まれるのである。
 そして、肚が無双太極であるから、究極的には、肚と松果体は一致するのである。(内臓の光があるだろう。闇の光である。)
 しかしながら、無双太極は陰陽未分化様態である。だから、氣的光を介して、積極的に分化発展していくというのは、進化的であると考えられるのである。つまり、植物体・氣生命系・松果体を介してである。
 つまり、アポロ/ディオニュソス路線である。(そう、ここで、古代ギリシア文明の秘密が明らかになるのである。また、古代日本文明の謎も。即ち、それ は、本質は植物体文明・母権文明であるということである。それが本体であり、その上に動物体文明・父権文明が被膜のように存していると思えるのである。)
 つまり、古代ギリシア・古代日本路線が未来的であるということになるのである。プラトン/D.H.ロレンスで言えば、コスモス(氣的宇宙)路線である。日本で言えば、空海/南方熊楠路線である。当然、政治的には太陽信仰としての天皇制路線である。


参照:人体四層構造図

人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11665314072.html

 T        U           V       W    (X)
     |            |        |
     |            |        |
太極点 |植物体(氣・陰陽) | 動物体   | 自我   (外界)
     |              |        |
     |              |        |
 肚   |   胸         | 皮膚?    |   頭
      |               |         |
下丹田 |   中丹田      |         |  上丹田

         
      人体四層構造図



陰陽極性の2つの螺旋?:氣的螺旋と物質的螺旋?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11683538652.html

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

明日早いので、今は一言。
 先に、純物質が−1で、生命体が+1と氣の方程式を使って説明した。
 私のこれまでのイメージでは、+1に生命物質があると見てきた。つまり、生命有機体である。
 しかし、陽凸iの極大化によって、純物質が形成と考えたが、それは、生命有機体がまとう物質性ではないだろうか。
 つまり、−1は生命有機体の物質であり、+1は生命有機体全体ではないのかということである。捉えにくいが、氣的身体、氣的物質体が+1なのではないだろうか。
 今は問題提起のみである。

追記:読み直して、思いついたことは、−1は動物体で、+1が植物体ではないのかということである。
 私の仮説では、人体は植物体と動物体によって主に構成されているのである。もっとも、細かく言うと、先には、四層構造体(無双太極+植物体+動物体+自我)と述べたが。
人体四層構造図:T.太極点/U. 植物体(氣=陰陽)/V.動物体/W.自我体・・・(X.外界)
 もしそうならば、私の人体仮説がかなり明快になる。後で深く検討したい。

追記2:もし、追記のようならば、純物質はどう表記できるのか。思うに、⇒+1が植物体、⇒−1が動物体であり、±1自体が純物質ではないのか。有り体に言えば、枯れた状態、死体・遺体である。つまり、⇒はエネルギー状態、生命エネルギーである。
 そう、氣である。そして、⇒の尖端が光ではないのか。
 とまれ、要検討課題である。

追記3:追記、追記2のように考えるならば、2つの氣が存するだろう。⇒+1の⇒は陰の氣であり、⇒−1は陽の氣である。これまで、陰極、陽極は考えて、陰の氣、陽の氣は存在しないと見てきたが。
 やはり、根源の氣と極性の氣を別にしないといけないように思えている。例えば、太極氣と陰陽氣である。
 これも要検討である。
 
追記4:人間認識図であるが、これは活用できるように思える(ただし、『海舌』氏の認識布置は使用しない。)
思うに、⇒−1は動物体の極限として、自我ではないだろうか。
 とまれ、ざっと言うと、第一象限と第四象限が植物体に関係し、第二象限と第3象限が動物体と自我に関係する。

 『海舌』氏による人間認識図
Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory


参考:
前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)
氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体) 



現象界(物質界)と光と氣

テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化

先に以下のように、人間認識図の修正版を試みたが、不十分なところが多くある。
 とまれ、右半円が氣的自然、左半円を物質的自然と考えた。
 思ったのは、視覚、光の問題である。視覚は陽凸iと考えられる。それが、外界を見るとき、陰を否定して、+1ではなく、−1を見るのではないだろうか。
 そうすると、光は、⇒−1の⇒になるのではないだろうか。
 ここで、氣、不可視の氣について考えると、それは、⇒+1の⇒ではないだろうか。
 とまれ、視覚は陰陽調和の氣(不可視)を当然見ることはできないのである。視覚である陽凸iは、原点・中心を見るが、その時、陰凹iと出会う。
 しかし、陰凹iを見ることはできない。というか陰陽調和の様態である氣を見ることができない。
 陽凸iは陰凹iを否定することになる。
 それは、凸i*凹凹i⇒−1ではないだろうか。この⇒が光であり、視覚は−1の現象、物質現象を見るのではないだろうか。
 しかしながら、陰陽調和=氣は⇒+1であり、氣的自然は−1の対蹠に存在しているのである。
 そう、魂である陰凹iは、陰陽調和の様態をもち、⇒+1の氣的自然を「感ずる」ことができるのであるし、また、視覚をもっているので、氣と光を同時に心覚・知覚(心・知覚)できるのである。
 しかし、この様態はどのようなものなのか。陽凸iでは光を知覚し、陰凹iでは氣を心覚するのであるとは交点(MP)において、どうであるのか。
 思うに、氣は陰陽調和であるから、陰が陽へと即非的に浸透するのである。そして、その陰に浸透された陽は光を見るが、その光には、氣の陰影が刻まれるのである。
 だから、その光には氣の印刻があるのである。そして、思うに、これが、美的視覚ではないだろうか。
 陽と陰との即非的浸透に美的視覚が形成されると言えよう。
 これは、聴覚でも同様と考えられる。しかし、聴覚はより、陰に関係していると思われるが。
 今はここで留めておく。


      『海舌』氏に拠る人間認識図

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:無双(太極)PS陰陽論Nonpolar(Taiji) Platonic Synergy Yin-Yang Theory

『海舌』氏の人間認識図修正:右半円が氣自然、左半円が物質自然:陽凸i=自我・頭、陰凹i=魂・肚
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11704667691.html


   




新着トラックバック/コメント


カレンダ
2013年11月
         
22

アーカイブ
2006年 (104)
7月 (9)
8月 (6)
9月 (7)
10月 (9)
11月 (39)
12月 (34)
2007年 (542)
1月 (48)
2月 (49)
3月 (67)
4月 (45)
5月 (44)
6月 (1)
7月 (33)
8月 (67)
9月 (47)
10月 (42)
11月 (49)
12月 (50)
2008年 (623)
1月 (40)
2月 (29)
3月 (26)
4月 (38)
5月 (32)
6月 (48)
7月 (49)
8月 (61)
9月 (68)
10月 (86)
11月 (86)
12月 (60)
2009年 (472)
1月 (82)
2月 (66)
3月 (58)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (34)
7月 (35)
8月 (26)
9月 (36)
10月 (30)
11月 (28)
12月 (18)
2010年 (251)
1月 (19)
2月 (29)
3月 (29)
4月 (11)
5月 (25)
6月 (33)
7月 (28)
8月 (23)
9月 (15)
10月 (18)
11月 (8)
12月 (13)
2011年 (126)
1月 (11)
2月 (12)
3月 (13)
4月 (12)
5月 (6)
6月 (4)
7月 (5)
8月 (11)
9月 (15)
10月 (7)
11月 (16)
12月 (14)
2012年 (117)
1月 (10)
2月 (13)
3月 (6)
4月 (6)
5月 (14)
6月 (8)
7月 (11)
8月 (7)
9月 (3)
10月 (24)
11月 (9)
12月 (6)
2013年 (145)
1月 (12)
2月 (11)
3月 (9)
4月 (21)
5月 (10)
6月 (9)
7月 (17)
8月 (9)
9月 (5)
10月 (22)
11月 (13)
12月 (7)
2014年 (91)
1月 (6)
2月 (13)
3月 (18)
4月 (5)
7月 (4)
8月 (26)
9月 (7)
10月 (5)
11月 (6)
12月 (1)
2015年 (61)
1月 (6)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (14)
5月 (10)
6月 (4)
7月 (6)
8月 (1)

アクセスカウンタ
今日:569
昨日:1,267
累計:4,652,329