現代日本指導層の封建/近代的自我的利己的様態:他者凹iの肯定と日本宗教ルネサンス






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2010年12月22日(Wed)
現代日本指導層の封建/近代的自我的利己的様態:他者凹iの肯定と日本宗教ルネサンス
現代日本指導層の「精神」は、封建/近代的自我的利己主義であると推測される。
 封建的とは、父権的ということである。PS理論で言えば、凸iが支配的になって、同一性主義であり、それが、物質+1と連続化していると考えられる。そして、他者(「民主主義」における「民」である:「個民」と造語したい)である凹iが、排除されていると考えられる。
 以上のことは既述事項であるが、何故繰り返すようなことを言うのかいうと、今日の日本の敗北主義的状況を打破するには、この半封建/半近代的利己主義様態を否定する必要が前提であると考えるからである。
 一言で言えば、利己主義の打破である。利己主義は、他者凹iが単に観念としてだけで、力として直感されていないことに拠ると考えられる。
 父権主義と母権主義の二元性で言えば、前者が支配的であり、後者が排除されるという歪みがあるのである。
 世界的な状況を見ると、明らかに、新母権主義が勃興しているのであるが、日本は未だに、父権主義支配なのであり、この点で、世界に完全に後れを取って、「退化」しつつあるようだ。
 新母権主義とは、超越的精神性を根源にもつ知的感性主義である。それは、人間認識図では、第三象限的モードである。
 他者凹iを肯定したとき、それは、自我凸iとの共立、さらには、共融モードになるのであり、いわば、超越的神秘的世界が啓けるのである。それは、秘教的世界である。
 私見では、戦前と戦後の断絶(参照:三島由紀夫の「断絃のとき」)は、この世界の喪失にあると考えている。
 連合軍支配の下、戦前的な文化が殲滅されて、近代合理主義、近代民主主義の洗脳が為されたのである。(参考:
【カエサルの物はカエサルに】 朝鮮王朝儀典書と農地改革、そうして現在の農業自由化
http://blog.kaisetsu.org/?eid=812315
『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile )
 言い換えると、東洋的日本文化が否定されて、排除されたのであり、その結果、日本人の精神が民族的精神から見て、いびつなものになったと考えられる。
 思うに、本来、東洋的身体的精神をもつ日本文化は、凹iと凸iとの共立様態に本質があると考えられる。肚の文化とは、凹iの文化である。
 しかるに、これが、否定されたために、凸i中心の父権的様態、利己主義になったと考えられるのである。無私・無我の精神が否定されて、利己主義、自己中心主義が肯定されたのであり、その中心地は東京(悪魔アーリマンの巣窟)である。
 明らかにこれは滅びの道である。何故なら、創造とは、凹iの感性、直感・直観、想像力に拠るからである。個というものも、凹iをベースとして、存するものである。
 社会的に言えば、結局、凹iと資本主義との関係が問題である。一方は神秘主義であり、他方は同一性・物質主義である。
 しかしながら、何度も既述したように、資本主義は、差異共振主義であり、自我と他者との共振によって成立するのであり、他者を否定する父権的同一性・物質主義は、資本主義自体を否定するのである。
 つまり、資本主義は他者との共振において、ある意味で、神秘主義的なのである。(ここで、共融と共振の違いを説明すべきである。神秘主義は、凹iと凸i の共融であり、差異共振は、凸iと凹iとの共振である。両者とも他者凹iをもつことでは共通なのであり、前者は、完全に内界的、不可視的であり、後者は外界的、可視界的である。つまり、内的志向と外的志向の違いがそこにはあり、それは、方向性が逆ということであり、基本要素が共通的と言えよう。)
 結局、現代日本を乗り越えるには、他者性の再発見が必要なのである。意識に他者を、資本主義に他者を再発見したとき、それは、トランス・モダン・シフトとなると言えよう。
 宗教的に言えば、キリスト(あるいは仏陀)の道であるが、それは、脱キリスト教である聖霊の道である。また、日本本来の道である。
 最後に補足すると、戦後に父権主義化があったと言ったが、正確には、封建主義的要素は当然、それ以前からあった。
 これはいったいどこから発しているのか。母権的父権主義の日本文化において、封建的父権主義が成立する根拠は何かが大問題である。
 私は国学の排他的ナショナリズムを批判した。坂本龍馬の開国主義は、東洋精神的自由・民主主義であり、それとはまったく異なるのである。
 国学的排他的ナショナリズム、これが、尊王攘夷の二項対立論を産み出したのであり、それが、明治国家主義の精神的土台と言えよう。そして、それが、狂気の「大東亜戦争」を導いたと考えられるし、戦後、今日もこれが継続していると考えられる。
 端的に言えば、父権的自我・利己主義の成立の根因は何か、である。これは天皇制ではない、天皇制はそれに利用されたのである。
 今考えられるのは、母権と父権の均衡をもつ本来の日本文化が、均衡を喪失して、どちらかに傾斜してしまったという事態である。
 つまり、極性文化から二項対立文化へと日本文化がシフトしたことが考えられるのである。
 それは具体的に何なのか。以前述べたが、やはり、江戸時代の江戸の消費中心主義が、バランスを喪失させたのではないだろうか。いわば、江戸の唯物論化が生じたのである。
 ここに、日本の父権的利己主義文化の根因があるように思えるのである。この父権的利己主義は、二項対立的であり、他者排除的なのである。
 日本本来・古来の母権的父権主義文化のルネサンスが必要である。江戸・東京の超克が必要である。
 神を取り戻すべきである。自然神、不可視の自然神を取り戻すべきである。

追記:日本封建・父権主義の成立は、別の考え方もできよう。即ち、日本本来・古来の母権的父権文化であるが、原基の母権主義的精神の衰退・衰弱が歴史において、とりわけ、江戸時代中後期に生じたように思われるのである。そのために、上層の父権主義が主導化して、母権的精神を排除するようになったと考えられる。
 ならば、根源的母権精神、凹iと超越性との融合を復活することが肝要である。東洋的身体的精神の復活である。


参考:

「神道の考察」 日本の成り立ちの鍵

http://ameblo.jp/hex-6/entry-10741016473.html

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