明治維新について:Media Point の発動としての明治維新:新霊的日本維新へ向けて:+iと-iのエネルギー交替について:霊的資本共同体へ向けて;同一性について再考:同一性仮象と差異共振個象






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2009年03月27日(Fri)
明治維新について:Media Point の発動としての明治維新:新霊的日本維新へ向けて:+iと-iのエネルギー交替について:霊的資本共同体へ向けて;同一性について再考:同一性仮象と差異共振個象
明治維新について:Media Point の発動としての明治維新:新霊的日本維新へ向けて:+iと-iのエネルギー交替について:霊的資本共同体へ向けて;同一性について再考:同一性仮象と差異共振個象


1) 明治維新とは、文化的に、つまり、「無意識」・「精魂」・「精神」的に何であったか:Media Point の発動としての明治維新?:しかしながら、未分化的な渾沌とした様態にあったと推察される。問題は、基盤にMedia Point の発動に対して、封建的な、父権傾斜+iの傾斜が作動していたと思われる。言うならば、「ルネサンス」と「プロテスタンティズム」(乃至は、ピューリタニズムか神政主義)が混淆していた様態ではなかったか。
 私は以前、明治維新とは日本ルネサンスであると言ったが、確かに、ルネサンス性は否定できないが、それが、「プロテスタンティズム」的な父権志向性で抑圧されてしまったと言えるのではないだろうか。例えば、西郷隆盛は、日本ルネサンス的な精神性をもった人物である。私見では、日本母権文化的精神性をもった人物である。古事記で言えば、大国主命的な人物である。
 それに対して、一般に長州の人物は、父権的な「プロテスタンティズム」的である。Media Point が発動した明治維新ではあったが、それが、父権主義・「プロテスタンティズム」的なものに支配されて、言い換えると、官僚独裁主義に支配されて、破滅的に軍国主義へと突進したのではないだろうか。言い換えると、Media Point の発露があり、差異共振エネルギーが発動したものの、父権傾斜のために、同一性ファシズム、官僚/軍事独裁主義へと連続的同一性化したということではないのか。
 そして、戦後は、GHQの支配下で、日本のMedia Point 文化が根こそぎにされたと考えられるのである(もっとも、後に、官僚統制主義を復活させてしまい、その害悪で今日、苦しめられているのだが)。象徴天皇制とは、明治維新のMedia Point エネルギーを否定するものであったと言えよう。というのは、それまでの国家神道を全否定して、その中にあったMedia Point エネルギーを否定したと考えられるからである。Media Point 的霊性が否定されたと言えよう。だから、折口信夫の新神道論は正鵠を射ていたのである。戦後近代合理主義洗脳の下、無視されてきたのである。
 以上の試論から考えると、戦後、否定された日本的Media Point エネルギーの賦活が考えられてもいいのである。それは、日本新ルネサンスを意味するのである。純粋差異共振エネルギーの賦活である。PS理論はそれを志向しているとも言えるのである。
 とまれ、明治維新が日本史、世界史における巨大な霊的な社会変革であったと見る必要があると考えられる。ルネサンスとプロテスタンティズムが同時生起したような霊的変革であったと言えよう。この意味を把握・理解する必要があると思うのである。現代日本の大閉塞・大衰退は、この認識から打破されると考えられるのである。新霊的日本変革が必要であるということである。


2) +i傾斜に対して、-iの賦活力学とはどういうことなのか。これまでは、+iのエネルギーの発動が終焉して、新たに、-iのエネルギーが賦活すると考えてきた。これは、勿論、陰陽交替力学で考えているのである。先に、+iが-iを抑圧するような形態で発動し、その発動が終焉すると、-iのエネルギーが発動すると、考えたのである。そうならば、その力学の構造をより精緻に突き止めたいのである。端的に何か。
 ここで作業仮説するが、自然叡知、自然精神というものがあるなら、それは、バランス・均衡・平衡を基本・原理にすると考えられる。しかし、+i傾斜=父権傾斜とは、その視点から見ると、当然、歪み・偏向・不正である。だから、それは矯正されるべきものである。だから、必然的に、-i傾斜が反作用するはずである。つまり、父権的心性において、最初は+i傾斜で同一性=物質を志向するが、それを「補償」する作用として、-i傾斜が発動すると考えられる。脱父権化・脱同一性=物質の志向性である。+i傾斜を同一性志向性とすれば、-i傾斜は差異志向性と言えよう。
 もしこのような作用・反作用の均衡力学があるなら、父権的心性の場合、強烈な揺り戻しが生じることになる。そう、思うに、+iから-iへと切り替わるときに、穴が生じると考えられる。空虚・虚無である。平明に言わば、空っぽ状態である。例えば、ハイデガーや三島由紀夫や実存主義や不条理文学等は、その折り返し点の穴に基づいていると考えられる。
 そして、-i傾斜による差異エネルギーが発動しても、+iの同一性自己に囚われている限り、それは、差異エネルギーを抑圧・排除してしまうのであり、端的に、精神の病理化となると考えられる。ユングが言った中年の危機はそのようなものであろうし、今日のうつ病等の心病の真因もそれであろう。また、異常な「自己中心主義」の蔓延は、この反動として説明できよう。
 以上は父権的心性の場合であるが、女性の場合はどうなるのだろうか。今日、父権化している場合、女性は、男性と同様の危機をもつだろう。しかし、女性本来の陰陽力学(Media Point 力学)はどういうものだろうか。これまでの仮説では、女性(母権)的心性は本来、陰陽バランスがとれているのである。だから、本来、父権的心性のような逆噴射は生じないと考えられる。
 では、女性的心性の「成長」とは何だろうか。それは、本来内在している固有の差異共振性を実現していくことであろう。父権社会の価値観に染まっている場合は、悲劇的なことになろう。


3) 同一性(金融)資本に対して、差異共振資本ということを提起しているが、それは、トランス資本ではないだろうか。確かに、トランス同一性資本である。だから、差異共振資本主義とは、トランス資本主義になるのではないだろうか。言葉ではなく、本体の問題である。私は差異共振性と唱えるが、それは、新たな霊性である。そして、それは、差異知性を包摂している。そこにおいて、資本、貨幣はどういうものになるのか。これまでの資本主義(同一性資本主義)は、差異共振性を否定して、単に、同一性=物質と貨幣・資本とを結びつけてきたものである。父権的な資本主義と言うことが可能である。
 しかるに、差異共振性を考えると、即ち、Media Point を考えると、貨幣・資本を単純を同一性=物質と結びつけることはできなくなる。つまり、貨幣・資本と差異共振性(Media Point ・霊性・差異知性)とを結びつけることになると考えられる。言うならば、Media Point Capitalismないしは精神資本主義である。同一性=物質という発想ではなく、精神⇒同一性・物質の発想となるのであり、同一性=物質とは、抽象化された虚構・仮象・仮想に過ぎないのである。
 とまれ、貨幣・資本が差異共振化されると言えよう。それは、精神貨幣・精神資本とでも呼べよう。霊的貨幣・霊的資本、あるいは、超越的貨幣・超越的資本である。
 では、貨幣・資本が精神化・霊化・超越化されるとは、いったい、端的に、どういうことなのか。思うに、貨幣・資本とは、精神(差異共振性)・霊・超越的社会のための貨幣・資本であるということであろう。そう、絶対的差異と即非性のための貨幣・資本でもある。精神・霊・超越的社会とは、いうならば、精神・霊・超越的民主主義社会ということになろう。
 しかし、同一性貨幣・資本が支配しているなかでは、それは、単純には創造されない。精神・霊・超越(差異共振)的な共同体社会創造のために、貨幣・資本の創造的消費(投資や贈与)が必要である。そうするために、霊的資本主義のための、法形成が必要である。霊的共同体貨幣・資本法である。この霊的資本主義共同体の投資・贈与を積極的に認める法体系が必要となる。トランス・モダン法体系である。後で検討を続けたい。


4) 同一性について再考:母権意識においては、本来、同一性=物質は存在しない。何故なら、差異共振現象の不可分の部分として同一性=物質らしいものが発現すると考えられるからである。端的に、⇒+1である。これをいったい正確に何と呼んだらいいのだろうか。
 以前は、差異共振的同一性や差一性と呼んだことがある。しかし、同一性と呼ぶことは不正確なのである。同一性=物質の概念・観念は、+i傾斜による-1 から発生するものである。先に述べたように、-1が⇒を排除して、+1を分離化するのである。だから、+iの傾斜がない場合、+1は生じないのである。即非身体性ないしは即非体性と呼べるかもしれない。あるいは、即非個象である。単に、個象でもいいかもしれない。それは、同一性=物質ではないのである。だから、仮に、⇒+1とは、差異共振個象、即非個象と呼びたい。先に、「もの」としたが、それは、物質と混同される恐れがあるので、避けるべきであろう。
 では、トランス・父権意識としての新差異共振心性・新即非心性を考えたとき、どうなるだろうか。父権心性には、-1と+1が生じるのである。即ち、同一性主義=唯物論的世界観が生まれるのである。いったい、父権心性の±1とはいったい何であろうか。それは、絶対的差異-iを否定した虚偽の様態と言えよう。虚構・仮想・仮象と先に述べたが、倫理的には、虚偽的である。邪悪の心性である。
 とまれ、この父権的悪の心性が生起して、物質科学・技術や国家等が生まれたと言えよう。もし、母権的善の心性だけならば、それらは生まれなかったと言えよう。そして、PCもインターネットも生まれなかったと言えよう。この悪の心性はそれなりに必然性があったと言えるだろう。トランス父権心性であるが、それは、-1の否定である。否定の否定である。-(-1)⇒+1である。これは、絶対的差異の肯定であるから、(+i)*{-[-(-i)]}⇒+1となろう。ここにおいては、確かに、同一性=物質は消滅している。
 では、先に肯定した-(-1)の-1はどうなるだろうか。絶対的差異-iが肯定されるので、-1の余地は無くなっているのである。やはり、-(-1)⇒ +1であり、左辺は消えるだろう。だから、物質科学・技術は、近似値科学・技術ということになるだろう。虚構・仮想・仮象科学・技術ということになるだろう。疑似科学・技術である。そして、本来の差異共振科学・技術に包摂されることになる。というか、新たな科学・技術、PS理論的科学・技術が誕生することになると考えられる。差異共振個象を対象とした科学・技術である。

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