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2008年06月12日(Thu)
新聞の社説を廃止し、複数多様な論評を掲載せよ:マスコミのトランス・モダン化へむけて
以下、日本の新聞の社説の典型的なパターンが出ていると思われるので、資料として転載させていただく。
日本の新聞の社説を読んで、強く共感をもったことはほとんどない、皆無に近い。だいたいは、不快感が生じるのである。というか、嫌悪感が生じるのである。これは、日本人の精神環境によくないし、また、新聞のコストの無駄である。 以下の記事の首相問責決議案の可決についてであるが、見た、他のいくつかの社説も、同様の内容である。すなわち、問責決議の歴史的意味を指摘するが、基本的には、民主党の戦術が不適切であることを述べている。 社説はいわば重箱の隅をつついたような内容で、非を見つけて、咎めるのである。いわば、優等生のやり方である。自分たちは、一段高いところに居て、世の中を審判しているというような立場である。これは、一見中立を装っているが、実は、傍観者的なのである。いわば、オリュンポスの神々の地位に居て、世の中を睥睨しているのである。これは、民主主義的視点ではなく、「形而上学」的視点である。自分をガードした保身的な視点である。このような高みの見物的な視点が間違っている。 次に、具体的には、一見民主党を評価しているようで、時期が悪いということで、非難している。だから、民主党攻撃なのである。確かに、民主党には問題があるが、今というコンテクスト(文脈)を考えると、それは、政治の方向性を形成しないことになる。国民の考えを冷却させてしまう効果があるのである。自民党も悪いが、民主党も悪い。これでは、積極的な主張がないのである。 積極的政治エネルギーを殺ぐような社説は、結局、御用的であるということになるだろう。社説を廃止して、複数の論評を掲載すべきである。それは、社内・社外の論者にすべきである。批評・解説の多様化が必要である。新聞のトランス・モダン化である。トランス新聞である。トランス・マスコミである。トラコミである。 **************** 首相問責決議 なぜ今かが分からない '08/6/12 首相の信任をめぐる国会の決議にしては、緊張感がない。セレモニーのような軽さだ。 参院できのう、福田康夫首相に対する問責決議が可決された。民主党など野党は衆院解散・総選挙か内閣総辞職を求めている。現憲政史上初だが、憲法に明記されておらず法的拘束力はない。対する与党は内閣信任決議案を出し、きょう衆院で可決する。 与野党とも、党利党略を優先した場当たり的な対応ばかりが目に付く。今なぜ問責か。国民が納得できるだけの説明をしているとは到底、言えないだろう。 野党は問責の理由として、福田首相が後期高齢者医療制度の廃止に応じないことなどを挙げた。七十五歳以上を線引きして新たな負担を求める新医療制度に対する世論の反発は根強い。しかも福田内閣は選挙による信任を受けていない。抜本的な見直しを求めて首相の責任を問い、国民の信を問うことの必要性は一定に理解できる。 ただ、タイミングには疑問が残る。一週間余り前、衆院解散につながらない問責決議なら見送るべきだとの慎重論が民主党内でも強かった。一変したのは、小沢一郎代表の意向とされる。 国会の会期末を控え、小沢代表は問責決議で対決ムードを高め、選挙準備を加速させる狙いだろう。九月の党代表選を意識した動きにも見える。だが、問責決議案は、解散・総選挙や内閣総辞職を回避できない状況にまで政府を追い込んだときに出す「伝家の宝刀」のはずだ。決議に賛成した共産党も「今出すことは適切ではない」と表明したほどである。 きのう予定されていた党首討論を、小沢代表が避けたことも理解しがたい。今なぜ問責決議なのかを、その場で聞きたかった。政権交代を目指すのなら、せめて国民の前で首相の対応を批判し、自説を堂々と押し出した上で問責を決議すべきではなかったか。 一方の福田首相は、新医療制度の導入で厳しさが増す逆風を、身をかがめてやり過ごそうとしているかのようだ。与党の制度見直し案も抜本的なものではない。衆院山口2区補選の敗北や、八日の沖縄県議選で与党が過半数を割り込んだことを、どこまで真剣に分析しているのだろうか。 与党惨敗で衆院との「ねじれ」が生まれた昨夏の参院選。弱者にも配慮を求めた民意を受け、市場原理を重視した小泉改革の軌道修正を迫られている。福田首相は、新医療制度への対応のように、小泉路線を部分修正しながら乗り切ろうとしている。本来は解散・総選挙で、見直し方を示して国民に信を問うべきである。その意味でも、問責決議を重く受け止めなくてはなるまい。 与党が数の力で押し切ることができなくなった半面、妥協や対立の繰り返しで時間を要する「ねじれ国会」。与野党が拮抗(きっこう)しながら政策を争うこと自体は歓迎すべきだろう。問題は、今なぜこうするのか、国民の目線からの説明が不十分なことである。 http://www.chugoku-np.co.jp/ Syasetu/Sh200806120330.html 中国新聞オンライン 問責決議可決 緊張感が乏しいまま 6月12日(木) 何とも緊張感の乏しい攻防戦だ。 民主党などが提出した福田康夫首相の問責決議案が参院で可決された。参院から首相に突き付けられた“首相失格決議”である。本来なら衆院の解散・総選挙につながってもおかしくない。 現実にはそうなっていない。福田首相はかねて、可決されても無視する、と公言してきた。 衆院で内閣不信任決議案が可決されたときは、首相は内閣総辞職か衆院解散のどちらかを選ばなければならない。これに対し参院の問責決議には拘束力はない。無視することも可能である。 それでも、参院の意思として首相が「問責」される意味は、決して小さくない。 与党はきょう12日の衆院本会議で、内閣信任決議案を可決することにしている。こちらは法的拘束力をもっている。参院の問責決議より意味が重いのは事実だ。 ただし、今の衆院議員は3年近く前の「郵政選挙」で選ばれた人たちだ。昨年夏に半数が改選された参院の方が、より近い民意を反映していると考えるべきだ。 今年4月に行われた衆院山口2区補選、今月8日の沖縄県議選と、与党は敗北している。内閣支持率も20%を割った。本来なら衆院を解散し、民意がどこにあるかを探るときである。首相が決議を無視するだけでは、政権の信頼性はさらに損なわれる。 首相が強気でいられるのは、国会審議で野党が政府・与党を追い詰め切れていないからだ。年金記録、ガソリン税の暫定税率、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)など追及する材料に事欠かないのに、追い風にできないでいる。力量不足が否めない。 民主党の小沢一郎代表はしかも、11日に予定されていた党首討論を取りやめた。首相との直接対決の機会を生かさないとは、理解に苦しむ。 会期が6日間延長される見通しだ。審議がストップしたままの会期末になる。この間に、東南アジア諸国連合(ASEAN)との経済協定は自動承認となる。重要法案の多くは成立済みで、暮らしへの影響は限られる。 だからといって、与野党はのんびり構えていてはいけない。衆院議員の任期はあと1年余りで切れる。いつ解散風が吹いてもおかしくない。決戦のときは近い。 消費税をはじめ、暮らしを左右する政治課題が山積している。政策を磨き国民に訴える努力が、各党にいっそう大事になる。 http://www.shinmai.co.jp/news /20080612/KT080611ETI09000 5000022.htm 信濃毎日新聞社 首相問責―民意を問う日に備えよ 参院が福田首相への問責決議を可決した。きょうは衆院が内閣信任決議案を可決する。片や福田首相ではだめだと言い、片やこのままで結構と言う。権力の分裂状況を象徴する二つの決議で、国会は事実上、幕を下ろす。 首相は総辞職もしなければ、衆院の解散・総選挙もしない。参院の問責決議には法的な拘束力がないからというのは分かるが、内閣を信任するかどうか、政治の基本のところで衆参の意思がぶつかりあってしまうというのは異常事態である。 どちらに軍配を上げるのか、総選挙で民意に聞くのが筋だろう。それが政権につくものの正統性を確立する道だし、物事を決める力を政治に取り戻すことにもなる。そのことを改めて首相に求めたい。 だが、内閣支持率が極端に低迷する中で、後期高齢者医療制度への猛烈な逆風などを考えれば、とても解散・総選挙を打てる状況ではない。これが与党内の共通認識だろう。沖縄県議選での惨敗もそれを裏書きしている。 二つの権力が併存する状態は、とうぶん続くということだ。それでも、この「ねじれ国会」はそう悪いことばかりではなかったのではないか。 ガソリン暫定税率や日銀総裁人事などで混迷したのは事実だが、難題と見られた国家公務員制度の改革では与野党が歩み寄った。歴史的なアイヌ民族決議など、実りも少なくなかったことは見逃すべきではない。 「ねじれ」状況の中で、対決と協調が交錯するのは当たり前のことだ。ただ、参院で否決されても衆院で再可決できるという、ほとんどあり得ないような多数を与党が握っていたため、妥協より対決が前面に出がちだった。 問題は、再可決頼みの政治をいつまでも続けるわけにはいかないことだ。 この秋には、消費税などの増税をどうするか、負担の問題に結論を出さねばならない。それを先送りしてきたツケが、高齢者医療をはじめ社会保障の制度論議がどれも袋小路に入ってしまうゆがみに表れている。 来年度から基礎年金の国庫負担が引き上げられる。財源手当ての論議は待ったなしである。問責決議で与野党の対決色は深まり、民主党はなかなか協調姿勢には転じられまい。首相は、こうした問題も3分の2の再可決で押し切れると思っているのだろうか。 国民の負担増という難問に立ち向かうには、やはり新たに民意を問う必要がある。いつまでも先送りするというのでは政治の責任は果たせない。 一方の民主党をはじめ野党も、税制のあり方や社会保障などについて、政策の枠組みをきちんと有権者に示すべきだ。それによって与野党の対立軸ははっきりするし、逆に協調すべき政策も整理されてくる。 http://www.asahi.com/ paper/editorial.html asahi.com
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