諸考察:精神(心)の美、その他






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2009年11月19日(Thu)
諸考察:精神(心)の美、その他
1)同一性自己を+i⇒+1と考えたがそれでいいのか。やはり、(+i)*(-i)⇒+1の右辺とした方が適切である。
 思うに、左辺が無意識であり、右辺が意識である。しかし、その境界として、精神的フィルター/media pointがある。
 精神的教養とは、精神的フィルターをなんらか知覚させる文化ではないのか。しかし、近代合理主義文化においては、これが消滅して、単に、右辺の同一性主義文化に帰結するのである。
 そして、この+1が主体+iと他者-iを排除すると言えよう。つまり、同一性自己+1とは、差異的主体+iと差異的他者-iの双方を否定・排除・隠蔽していると言えよう。(ポスト・モダンで主体の解体というようなことが言われたが、それは、実は、その主体とは、同一性自己のことであるが、その結果、差異的主体まで否定してしまったと考えられる。)
 つまり、同一性自己(近代的自我)とは、同一性を実体と見ているのであり、差異である主体、差異である他者をまったく無視しているのであり、それは、妄想的であり、かつ、暴力的である。
 そして、この同一性+1がアンラ・マンユ(アーリマン)である。

追記:以上のように同一性自己を捉えると、うつ病のことがよく理解できるだろう。
 うつ病とは、近代的自我病である。つまり、同一性自己+1に執着して、差異的主体+iと差異的他者-i、つまり、真の自己、即非性(自己認識)を排除しているのである。だから、差異共振から生まれるエネルギー⇒を排除しているので、エネルギーが枯渇して、うつとなると考えられる。即ち、(+i)*(-i)⇒と+1が分裂しているが、前者が排除されているので、そのエネルギー⇒ が同一性自己+1に達しないのであるから、エネルギー枯渇、即ち、鬱状態になると考えられるのである。
 
 
2)ルシファーとは何か。これは後で考察。

参考:

●シュタイナーによれば、「ルシファー」とは、人間の中にあらゆる熱狂的な力や、あらゆる誤った神秘主義的な力を呼び起こす能力を備えた存在で、現実から乖離した夢想の世界に人を迷いこませるのに対し、

「アーリマン」は、人間を無味乾燥で、散文的で、俗物的な存在にし、人間を頑なにして唯物論という迷信へと導くという。

つまり「アーリマン」は「唯物論の悪魔」で、シュタイナーはメフィストフェレスと同一であるとしている。

それで歴史的に見ると、ルシファー的なものが人類に強力に働きかけていたのは、紀元前から西暦紀元初めの数世紀までで、15世紀以降は「アーリマン」の力が強力に働きかけ続けており、近い将来、「アーリマン」の影響力はピークに達し、「アーリマン」は人間の姿で現れ(受肉し)、ほとんどの人類が「アーリマン」の手に落ちる危険に直面すると警告している。

http://hexagon.inri.client.jp/floorB1F_hss/b1fha807.html



ヒトラーと「魔王ルシファー」

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シュタイナーの霊と物質−ルシファーの影響と物質
・・・・・

以前よりももっと強く、では物質的人間として、存在する人間とは一体何なのかと問う必要がある。我々人間が、外に出会うような人間とは、ただひたすらルシファーの影響による結果なのである。何故なら、ルシファーの影響がなければ、人間は今日の意味での神経、筋肉そして骨も有していなかったからである。唯物主義は、ルシファーが人間から造ったもの以外を記述しない。なので、唯物主義は、最も著しい度合いで、ルシファーの弟子であり、それ以外全てを拒絶するのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/5dolphin/diary/200804010000/
シュタイナーから読み解く神秘学入門

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ルシファー

・・・・・

過度の光は破壊をもたらすにせよ光は人間の創造力の源である。
ルドルフ・シュタイナーはルシファーを光の存在、即ち真の光であるキリストに向かって人間を照らす霊であるとして、この見解を発展させた秘教家である。
グノーシス主義はもちろん初期のデーモン学の考察にも深く食い込む二元論を土台に、シュタイナーは黒ぐろとした"アフリマン”の現代の敵対者としてルシファーを見ている。
アフリマンが人間を(人間にふさわしくない住処ではない)自然のなかに深く引き込み、デーモンのの世界に属する自然以下の諸力の中に陥れようとするのに対し、ルシファーは霊が真の自由をもつ光の領域へと人間を引き上げようとする。
大地に束縛されることなく、神のような者になりたいというこの衝動を、人間は芸術によって、もっとも直接的に誇らしげに表す。
シュタイナーの観をもし単純化するなら、人間を霊的に支持する者としてのルシファーを、正しく理解しなければならない。
霊的な領域にのっぽり、神の縮小版としての芸術家になる素晴らしい力を、ルシファーは人間に吹き込み、そうすることで、大地に縛りつけるアフリマンから人間を解き放つことができる。

人間はアフリマンがそうであると思い込ませようとしているような、大地にすっかり根を下ろした存在ではない、かといって天使のように大地から解き放たれた存在でもない。
しかしルシファーは(霊的な光を掲げる者として)人間が大地から解き放たれることを願っている。
しかし、ルシファーにはやり過ぎる傾向があり、そこにこそ危険が存在する,,,。
アフリマンが人人間を生命のない土に変えてしまえば人間は、霊的な祖先や運命を忘れてしまうだろうし、ルシファーが霊的な生命をふんだんに与えすぎれば人間は愛に満ちた大地の確実な再生に自らの運命がかかわり、これを足場にしなければならないことを忘れてしまう。
 いろいろな考察を見る限り、ルシファーが天より堕ち闇の存在になったと考えるより、堕ちてもなお、光の存在であると考えられるようです。
http://kobe.cool.ne.jp/suiko/akumagaku/lucifer.html
[事典のような物]



3)ツェッペリンの音であるが、それは、差異共振はあるが、それが、調和ではなく、垂直性へ展開していると思われる。
 一般的に叙情性・情感性(リリシズム、センチメント)は、-iが賦活されて喚起されると考えられる。そして、-iを肯定するのである。
 しかし、ツェッペリンの場合、-iの賦活があるが、それを+1に直結させるのである。そして、+1が金属的な響きをもつのである。
 言い換えると、音楽はたいてい、虚軸上の調和をもつが、ツェッペリンの「ヘビメタ」の場合、端的に、精神的フィルターを介して、同一性・物質・身体、それも鉱物的な身体へ通じる様態をもっていると考えられる。
 一種、モダニズムであるが、物質現象的な様態をもち、その点で特異であると言えよう。


   




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