検討問題:同一性主義自己のもつ不安について:父権主義的同一性傾斜と差異






2009年01月06日(Tue)
検討問題:同一性主義自己のもつ不安について:父権主義的同一性傾斜と差異
なにかハイデガー哲学のようなタイトルであるが、いくぶん関係しよう。
 今は予見を簡単に触れるに留めるが、結局、同一性主義自己とは、自己の根源であるMedia Pointにおける諸力の「カオス」に対する「秩序」化のための一「方策」として存すると考えられる。しかし、「カオス」を抑圧する方向での「秩序」化である。
 結局、Media Pointにおけるある種の「不安」があるために、同一性主義化へと向かうのではないのか。そう、同一性志向性があるが、それは、当然、差異共振性を裏面にもち、相反するものである。
 同一性志向性は、この両義性に対して、一義性を持ちえないのである。ここで、抑圧への力学が生じると言えよう。同一性志向性は裏面を差異共振性を否定・抑圧・排除すると考えられるのである。
 言い換えると、同一性志向性が強すぎるとそうなると考えられる。同一性傾斜が差異を否定すると考えられる。
 今の段階では、やはり、父権主義がそうなるのである。父権主義にとり、つまり、同一性への傾斜的志向にとり、差異は理解できないので、抑圧すると考えられるのである。
 簡潔に言えば、同一性への傾斜(父権主義)が、差異を理解できないために、不安に感じて、否定・抑圧・排除するということではないだろうか。
 後で、整理して再考したい。

追記:問題は何故、同一性主義自己は、不安に感じるのか。その力学である。簡単に答えれば、Media Pointは、同一性主義自己に対して、否定的であるから、同一性主義自己は不安を覚えるということだと思う。
 相反する価値が生じているから、不安に感じるのである。そして、不安を解消するつもりで、他者を敵として、攻撃するのである。しかし、それは自己の影である。Media Pointの影である。
 思えば、若い時、実に、故知らぬ不安を覚えたものであるが、それは、正に、同一性主義自己が、それを否定するMedia Pointの力を感じていたからであろう。
 ここで、ハイデガー哲学に言及すると、それは、正に、同一性主義自己哲学である。デカルト哲学の延長である。フッサール哲学の超越性を否定しているので、超越性への不安が生じていると考えられる。そう、ハイデガーは近代哲学の裏面に過ぎない。


   




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カレンダ
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