検討問題:自我は幻想・仮象・虚構ではないか:近代主義のマーヤーからトランス・モダンの真理へ |
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2008年11月30日(Sun)
検討問題:自我は幻想・仮象・虚構ではないか:近代主義のマーヤーからトランス・モダンの真理へ
偉大な深遠なインド哲学が説くように、現象はマーヤーと見るべきではないか。例えば、「わたし」とは、同一性という仮象の連続体に過ぎない。しかし、連続体とは、本来、ヒュームが述べたように、不連続の虚構である。
同一性は瞬間の虚構・仮構である。それが、連続化されて、「わたし」=自我となるのである。 そう、もっとも確実と見られる物質・現実・自我は、実は、虚構・仮構、すなわち、マーヤーと見るべきではないか。科学では、量子論/素粒子論がこのことを証明していると考えられる。 不連続な差異が虚構として、連続化されて、「わたし」=自我を生んでいると考えられる。この帰結が同一性主義である。 そうならば、真理はどこにあるのか、ということになる。それは、Media Pointにあるのである。差異に真理があるのである。差異が自己なのである。同一性は、仮象である。幻想である。 三島由紀夫の『豊饒の海』の最終巻の「無」であるが、それは、端的には、現象のマーヤーを説いていると見るべきである。 近代主義は、マーヤーの帰結である。そして、トランス・モダンとは、Media Poitnへの回帰である。幻想から真理へと回帰するのである。 |
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