検討問題:差異と身体:精神的性愛と物質的性愛






2008年06月11日(Wed)
検討問題:差異と身体:精神的性愛と物質的性愛
本件は、ある意味で核心的問題である。これまで、Media Point(以下、MP)において、両者は一致すると考えた。
 極く、素朴に考えよう。たとえば、食欲とは何か。これは、物質的身体を維持するための必要な欲望であろう。つまり、同一性主義における「欲望」ということである。端的に、同一性主義欲望と言っていいだろう。
 私は性欲も同様だと思うのである。ここは微妙な問題である。つまり、性愛とは何かの問題に通じるのである。
 プラトンはエロースを説いた。それは、端的に、イデア的共振性である。差異共振性と思われる。独立性と水平性の併存である。
 しかし、それは、性愛なのだろうか。ここで考えるべきは、先に述べた、同一性主義への傾斜と差異共振主義への傾斜のことである。
 前者の場合は、性愛は性欲に帰結する。しかし、後者の場合、性愛は、性欲に帰結しないと思うのである。それは、精神愛であろう。
 思うに、ここにギリシア神話を解く鍵がありそうである。あるいは、新プラトン主義を解く鍵が。
 同一性主義に傾斜していれば、性欲に帰結し、差異共振主義に傾斜していれば、精神愛に帰結しよう。プラトンのエロースは当然、後者と考えられる。
 現代世界は、自明的に、前者の世界である。物質主義と性欲は結びつくのである。しかし、差異共振主義の傾斜は、精神的性愛をもたらすだろう。俗にプラトニック・ラブと言われるが、エロースは、本来、そのようなものである。同一性主義は父権主義であり、差異共振主義は母権主義となる。
 西洋文明は前者的である。しかしながら、今日・現在、そして、未来、後者が主導的になると思われる。言い換えると、物質/自我主義から、精神/自己主義へと転換すると思われるのである。すると、性愛は、物質的なものから、精神的なものとなる。新ロマン主義である(p.s. 誤解される表現であるが、精神やロマンとは、実は、精神的身体を意味すると考える。後で、検討する)。
 単なる性欲は劣位のものとみなされるようになるだろう。

p.s. 本件のテーマである差異と身体については、はっきり述べていない。後で検討する。

p.p.s. 因みに、『チャタレー夫人の恋人』を書いた、「性」の達人のD. H. ロレンスであるが、彼の性愛論は、私見では、実はプラトニズムなのである。ロレンスの性愛は明らかに、差異共振主義である。だから、新プラトン主義に似ているのである。イタリア・ルネサンス的なのである。ロレンスの説く肉体とは、実は、イデアの影である。ロレンスはイデアの表現として、肉体・性愛を表現していると考えられる。


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