マイナス1とは何か:虚軸の精神と実軸の意識:Media Pointにおける不連続的即非的秩序






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2010年02月20日(Sat)
マイナス1とは何か:虚軸の精神と実軸の意識:Media Pointにおける不連続的即非的秩序
いろいろ付加されたので、また、重要と考えられる不連続的即非的秩序という概念が生まれたので、再掲する。

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マイナス1とは何か:虚軸の精神と実軸の意識:Media Pointにおける不連続的即非的秩序
テーマ:Media Point/精神的フィルター

今はポイントだけ記そう。

『生存する脳―心と脳と身体の神秘 (単行本)』
アントニオ・R. ダマシオ (著), Antonio R. Damasio (原著), 田中 三彦 (翻訳)

の冒頭を読み、そこで説かれる身体は私の考えている-iに近いと感じた。そこから、本題へと転じた。(amazonのコメントにもあるが、訳語に問題がありそうである。)
 今は作業仮説であるが、感情とは、マイナス1ではないだろうか。とまれ、プラス1を陽光とすれば、マイナス1は、「陰光」である。私は不可視光と呼んでいる。
 思うに、プラス1の自我に付随するのが、マイナス1の感情ではないのか。思うに、これは、嫉妬深い感情ではないのだろうか。ヤハウェは嫉妬深い神であるが、その嫉妬はマイナス1ではないだろうか。
 私は、本来の自己は+i、そして、他者は-iと考えている。そして、道徳心や倫理は、-iへの共振から生まれるのではないか。
 つまり、Media Pointの虚軸領域に倫理・道徳があり、それに他指定、実軸は自我知覚と自我感情があるのではないのか。
 どうもうまく表現できていない。私が先に思ったのは、ロマン主義、神秘主義がマイナス1であり、近代合理主義は、プラス1ではないのかということである。
 どうも、今は不明確な状態である。例えば、即非的現象ないしは、即非的知覚はどこに生じるのか。これは、当然、Media Point(以下、MP)である。MPにおいて、虚軸と実軸が交差するのであり、対象の+1と-iがダブルのである。
 思うに、プラス1がなければ、知覚・認識はできない。虚軸だけでは、不明瞭である。つまり、「あれは、蝶である」というのは、プラス1の認識であり、虚軸の前知覚を、確定しているのである。
 そうならば、マイナス1とは何か。プラス1がポジならば、それはネガである。ポジを浮き上がらせるネガである。つまり、プラス1とマイナス1が結合して、現象が生起するのである。
 から、やはり、マイナス1は不可視光、陰光、「闇」と言える。ダーク・マターはやはりこれに関係しよう。
 問題は、感情、情感である。即非的情感というとき、それは、何か。虚軸領域のみでは、それは起こらない。実軸化が必要である。プラス1が生じるとき、つまり、±1が生じるとき、即非的情感が起こる。「私は樹木であり、且つ、樹木ではない。」 つまり、前者において、一体的情感が生じているのである。それは、マイナス1ではないだろうか。
 そうすると、情感は、マイナス1ということになる。近代合理主義・近代的自我はプラス1中心であり、マイナス1を阻害・疎外していると言えよう。つまり、マイナス1を排除しているのである。
 また、それに対する反動が歴史的には、ロマン主義や神秘主義として起こったと言えよう。それは、プラス1を否定して、マイナス1を中心化したのである。しかしながら、当然、それは、反動である。プラス1を否定することは、プラス1中心主義と同様に、主観の歪みをもたらすのである。しかしながら、マイナス1は、即非的情感なので、虚軸の超越性に通じているとは言えよう。
 結局、問題は、不連続的差異論に戻るが、プラス1とマイナス1(ないしはMP)との不連続性を確認するがもっとも重要であるということである。言い換えると、MPにおいて、実軸のプラス1とマイナス1とは不連続的であるということである。MPは、謂わば、不連続点である。そう、特異点である。ここが認識のすべての要諦なのである。(追記:プラス1とマイナス1とが不連続であるということである。それは、即非の論理の展開である。この不連続性は、一種の調和性をもっている。あるいは、秩序をもっている。これを不連続的即非的秩序と呼べよう。あるいは、簡略して、不連続的秩序ないしは即非的秩序と呼べる。これはとても重要なポイントである。)

追記:マイナス1は虚軸に通じていると言ったが、そうならば、プラス1も虚軸に通じていないのか。しかし、そう思うのは幻想だろう。やはり、MPにおいて、虚軸と通じるのである。
 では、ほんとうにマイナス1は虚軸と通じているのか。これは、どうもそのように思える。後で検討したい。 

追記2:一般に、意識において、プラス1とマイナス1とが齟齬を来すだろう。これは、近代における矛盾である。例えば、啓蒙思想ないしは近代合理主義とロマン主義の対立、あるいは、実在論(唯物論)と観念論の対立に見られるだろう。
 しかしながら、近代合理主義が近代科学・技術、資本主義に伴って進展すると、ロマン主義と観念論は衰退すると考えられる。つまり、プラス1が強化されて、マイナス1が抑圧されるのである。それは、また、超越性の否定でもある。
 現代日本人の主観性を考えると、ほぼ以上のような状態である。マイナス1の情感と虚軸の精神が喪失されているのであり、また、それは道徳心・倫理の欠落を意味しているのである。
 とまれ、このプラス1傾斜の力学というか、暴力がある。その暴力、意識暴力が蔓延していると観察される。
 どうして、マイナス1と虚軸を否定するのかと言えば、それは、プラス1の日常(自我と物質の生活)を破壊するからである。マイナス1と虚軸こそ、精神の領域なのであるし、神秘や宗教の領域である。これを現代日本人は恐れているのであるから、マイナス1と虚軸を抑圧しているのである。しかしながら、これは、自己抑圧であり、自己暴力である。
 とまれ、一般にはプラス1とマイナス1とは、絶対矛盾、絶対齟齬の状態であるが、それは、両者が不連続であることを認識せずに、プラス1の同一性ないしはマイナス1の差異で、両者を統一しようとするからである。前者が当然、近代合理主義であり、後者がポスト・モダンである。
 プラス1とマイナス1とが不連続であることを認識すると、MPが開けてくるのであり、超越性が理解されるのであるし、開眼するのである。それは心眼であり、第三の眼と言えよう。

追記3:東洋的身体的自然観を否定したことも、マイナス1と虚軸の精神の喪失につながるだろう。

追記4:うつ病ないし精神病であるが、それは、マイナス1の排除に存するのではないだろうか。
 つまり、まったき近代合理主義は、情感を不合理として排除するのであるから、マイナス1を排除するのである。ただ、同一性の合理性を信奉して、それ以外の精神を不合理としての否定するのである。差異のまったき否定がある。
 しかしながら、マイナス1を完全に封殺したとき、当然、情感を抑圧しているのである。情感エネルギーが枯渇すると考えられるが、情感エネルギーとは何か。例えば、よい音楽を聴くとき、よい自然の光景を見たとき、よい文学作品を読んだとき、友人や仲間と歓談したとき、等に生起するだろう。それは、精神的エネルギーである。つまり、マイナス1を封殺するとき、精神的エネルギーを封殺するのであり、当然、それが枯渇するのであり、うつ病等を発生させると考えられる。近代合理主義は、情感(精神的エネルギー)を抑圧しすぎたのである。

追記5:以上の視点を参考にして、悪とは何かを少し考えてみよう。
 近代合理主義に染まったとき(+1中心主義)、情感のマイナス1が否定される傾向となる。その否定されたマイナス1はどうなるのだろうか。それは、反感となるのだろう。憎悪であり、嫉妬であり、怨恨である。そう、ルサンチマンである。あるいは、悪意である。近代合理主義は、故に、いわば、無意識の、つまり、不合理な攻撃エネルギーをもつと考えられる。これが、悪である。
 シュタイナーはアーリマンという悪魔(追記:これは、ゾロアスター教の悪神アンラ・マンユに当然相当する。)について述べているが、この近代合理主義の無意識がアーリマンと言えよう。(思うに、シュタイナーの説くもう一つの悪魔ルシファーであるが、それは、マイナス1の傾斜であろう。それは、ロマン主義、神秘主義である。)
 そして、シュタイナーは、アーリマンとルシファーの間にキリストを置いているが、それは、プラス1とマイナス1の間のMedia Pointに相当しよう。しかし、注意すべきは、それが不連続点=特異点であることである。これをシュタイナーは述べていない。後でもう少し検討したい。

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参考:
書評『生存する脳』
どちらを選んでも構わない選択肢がある場合、しばらく迷ったとしても、やがてどちらかを選んでいることでしょう。しかし、まったく同じ価値をもつ選択肢なのに、なぜ人は「こっち」と選ぶことができるのでしょう。

『生存する脳 心と脳と身体の神秘』アントニオ・R・ダマシオ著 田中三彦訳 講談社 2000年 402ページ


原題は『デカルトの誤り』。「脳と身体は切り離して考えることができる」というデカルトの「心身二元論」を否定する。つまり、身体なしに感情や意識といった脳の役割を考えることはできない、と著者はいう。デカルトに詳しければ読書に深みは増すだろうが、デカルトを知らなくても読める。

脳と身体の関わりについて多く述べられる本書の中で、本質的かつ独自的な著者の弁が「ソマティック・マーカー仮説」だ。

この仮説は、人がある選択を迫られたとき、何もないまっさらな状態から、どれが最善かを考えるのではなく、すでに蓄えられた知識や経験から起きる感情から、どれが最善かを考えている、というもの。

仮説を支持する例として、アメリカ人の工事監督フィアネス・ゲージに関する逸話や、著者が実際に接したエリオット氏(仮名)の言動などが紹介される。彼らは、事故により脳の前頭前野を損傷してしまった経歴の持ち主(表紙カバーの絵がゲージの事故当時の状態を示している)。だが、理性は失わず生活を続けることはできた。

ところが、しばらく経つと判断力の欠如がおこり、人生が豹変してしまう。たとえば、人と会う約束を15日にするか17日するか、どちらの日でも問題ないのに「どちらのほうが天気がよさそうか」とか「どちらのほうが交通機関の乱れはなさそうか」とかで延々に考え込んでしまうのだという。

裏返せば、私たちのいろいろな選択の場面では、過去のよい体験・いやな体験などが作用して、直観的に将来予測をして、判断しているということになる。生活の中において、帰納法はしっかりと役割を果たしているということを実感した。。

翻訳の精度について、いろいろな書評子から問題とする指摘もあるが、かといって読み控えされるのはもったいない。患者の事例のところとソマティック・マーカー仮説の部分はわかりやすいので、そこを読むだけでも得られる知見はあるだろう。

『生存する脳』はこちらで。
http://www.amazon.co.jp /生存する脳?心と脳と身体の神秘-アントニオ・R-ダマシオ/dp /406210041X/ref=sr_1_2/250-3461571-9880240?ie=UTF8&s=books&qid=1194099166&sr=1-2

http://sci-tech.jugem.jp/?eid=696
科学技術のアネクドート
参考2:
生存する脳―心と脳と身体の神秘

生存する脳―心と脳と身体の神秘


 ソマティック・マーカー仮説の提唱者 ダマシオ博士の著書である世界的ベストセラーである。
 ソマティック・マーカー仮説とは、ものすごく乱暴に言うと人間の「第六感」「直感」が人間の行動を規定するという考え方である。
 本書の言葉を借りれば、
「特定の行動がもたらすかもしれないネガティブな結果にわれわれの注意を向けさせ、いわばつぎのように言い、自動化された危険信号として機能する(生存する脳より引用)」
 ということになる。
 要するに、「嫌な予感がすることはしない」我々の能力のことである。
 
 我々が苦境に耐えられるのも、誰かのために利他行動をするということは、目先の利益よりも長期的な利益を優先させた方が有利であると取捨選択を行なった結果である。
 卑近な例であれば、「頑張って勉強してよい大学に入る」とか「普段は節約して休暇は海外旅行に行く」とか。
 親が自らよりも子供の幸せを願うのは利他行動の最たるものである。
 ちなみに、このような遺伝子を共有するもの同士の利他行動は、今まではむしろ
利己的な遺伝子 のような考え方で説明されることも多かった。 
 これ自体は、別に目新しい仮説ではないと思う。
 それどころか、誰もが日常レベルの経験で納得がいくものであろう。

 ダマシオ博士の斬新さは、これらの事実もこのソマティック・マーカー仮説により説明可能であると打ち立てた点にあるだろう。

 つまり、こうした有利不利の取捨選択に、我々の思考のみならず、直感が深く関わっているというのだ。
 ここまでは誰にでも理解できる。
 「何となく虫が知らせる」
 ということは誰にでもあるものだ。
 しかし、これらの直感の獲得に、脳のみならず身体反応が関わっているという点がこの仮説の最も斬新な点であろう。

 そして、この仮説によると、我々の思考に直感が大きく関わっており、むしろ思考よりも直感が先に来るという。
 しかもその直感に脳、身体、社会的文化的側面すらも大きく関わっているという画期的な説なのである。
 勿論ここでいう、「脳」には解剖学的な脳の機能と神経伝達物質のような脳の機能的な部分の両者が含まれる。
http://blog.livedoor.jp/dogmania/archives/14615469.html
小枝の超!極私的読書術
参考3:
脳ノート(12)−「生存する脳」ダマシオをめぐって

E  情動について(つづき)


まず、<一次の情動>の神経回路を、おさらいしておこう。
「一つの適切な刺激が扁桃体を活性化すると、次のようないくつかの反応がこれに続く。内的な反応、筋肉反応、内臓反応(自律神経系の信号)、神経伝達物質を生産する核への信号、視床下部への反応。視床下部はホルモンなどの化学的反応を生み出す。この反応は血流を利用する。…われわれが情動を表現する時の姿勢などの筋肉反応は、おそらく基底核内の構造(いわゆる腹側線条体)を使っている。」

情動というものが、身体の具体的な変化としてまず現れるもの、そしてその時、脳内ではその変化しつつある身体の変化が、身体マップとして、体性感覚皮質に指示的表象として、あるいは、神経的表象として現れているような、状態であるということ、ここを押さえておこう。
そして、神経回路としてはまずその始まりが、あるいは活性化の最初の脳部位が、扁桃体であるということを覚えておこう。


二次の情動

「二次の情動を検討するために、大人の経験から引き出される例に目を向けることにする。たとえば長い間会ってなかった友人と再会するとか、同僚の予想外の死を告げられるとか、そういった状況を考えてみよう。それらが現実である場合―そしてたぶん、それを単に想像する時でさえ―われわれは情動を経験する。そのような情動が生じるとき、神経生物学的には一体どんなことが起きるのだろうか?<情動を経験する>とは、本当のところ何を意味しているのだろうか?」

「あなたがそうした状況の一つを想像しているとき、もし私がその場にいれば、私は観察結果をいくつか列挙することができるだろう。そうした状況(長いこと音信不通だった友人との再会、同僚の死)の中心的局面に対するメンタルイメージが形成されると、身体状態に変化が起こる。その変化は、様々な身体領域におけるいくつかの変化によって定義される。旧友に会えば、心臓の鼓動は速くなり、顔は紅潮し、口と目の周りの筋肉が変化してうれしそうな表情になり、他の筋肉も弛緩するだろう。また、もし知人の死を耳にすれば、心臓はドンドン高鳴り、口は渇き、顔は蒼ざめ、腸管の一部は収縮し、首と背中の筋肉は緊張し、顔の筋肉が悲しげな形相を生み出す。」

「いずれの場合も、内臓(心臓、肺、腸管、皮膚)や骨格筋(骨の付いている筋肉)や内分泌線(たとえば、下垂体や副腎)の機能のいくつかのパラメータに変化が起こる。いくつかのペプチド調節物質が脳から血流に放出される。免疫系も急激に変化する。動脈壁の平滑筋(心臓金を除く内臓の筋肉)の基本的な活動が増加し、血管を収縮させ、細くする(その結果、蒼白になる)。逆にその活動が減少すれば、平滑筋は弛緩し、血管が膨張する(その結果、紅潮する)。全体として、一連の変化は機能的バランスあるいは恒常性(ホメオスタシス)と対応する平均的状態の範囲からの逸脱を示している。平均的状態にあるとき、有機体の経済は、少ないエネルギー支出と単純かつ迅速な調節で、おそらく最善に機能している。」

「この機能的バランスの範囲を静的なものと考えるべきではない。それは上限と下限の範囲での一連の連続的な変化である。それをウォーターベッドの状態と結びつけて考えることもできるかもしれない。ウォーターベッドの上をさまざまな方向に歩くと、ある部分はへこみ、またある部分は膨らむ。さざ波が立つ。そしてベッドが全体的に変化する。しかしその変化はベッドの物理的限界、つまり、ある量の液体を内に含んでいる境界によって規定される範囲の中にある。
この仮想的な情動経験において、身体の多くの部分が新しい状態―つまり、意味ある変化が生じている状態―に置かれる。
有機体の中で何が起こり、そのような変化をもたらすのか。」
http://blogs.yahoo.co.jp/holesson460712136/18076027.html
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