記憶:唯物科学と超越科学:記憶の領域としてのMedia Point






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2009年03月08日(Sun)
記憶:唯物科学と超越科学:記憶の領域としてのMedia Point
テーマ:ポスト唯物論/唯物論の超克へ向けて

今日の科学は、一般に、唯物論なので、記憶の場も、当然、脳神経に求めてしまうと言えよう。しかし、今、ベルクソンの代表作・主著である『物質と記憶』を読むと、記憶は精神の領域にあるのであり、物質(神経)の領域にはおいていないのが、明確にわかるのである。
 PS理論は当然ながら、記憶は精神の領域であるが、Media Pointなのか虚軸なのか、少し疑問である。しかしながら、記憶は端的に、Media Pointにあるとするのがいいだろう。Media Pointとは、前近代的な言い方をすれば、魂である(霊は虚軸に存するMedia Pointであろう。だから、虚軸ゼロ点であろう。また、心と言った場合は、同一性=物質を認識を含めてのMedia Pointであろう。つまり、現象化しているMedia Pointと言えよう。そうすると、Media Point現象学というものが考えられよう。)。
 とまれ、記憶はここにおいて蓄積されるが、睡眠時には、過去の記憶と直近の記憶との共振が起り、創造が生まれるのではないだろうか。モーツァルトは典型であろう。この点は夢について述べたときに言及していると言えようが、いつか、考察してみたい。
 ベルクソンの記憶であるが、それは、確かに、Media Pointに近いが、『物質と記憶』の段階では、超越性、虚軸性の要素はほとんどないと思われる。晩年の代表作である『道徳と宗教の二源泉』において、宗教性や芸術性が明確に入ったのだろう。

追記:因みに、ベルクソンの家系は父がポーランド系ユダヤ人で、母がイギリス人とアイルランド系ユダヤ人の混血である。だから、一般的なフランス人ではない。
 私はベルクソンに霊的なものを直感するのであるが、それは、ユダヤとアイルランドの「血」に由来するのではないだろうか。

**************

清野 仁與(エディター)

【第9回】 2009年02月05日
“昼寝”が創造性を高める!?
「睡眠」と「記憶力」の“深〜い”関係

――果報は“寝て”待て?

 週末の予定は決まりましたか? 特に予定もないし「昼寝でも」しようかな・・・、とちょっと小声になってしまう貴方、罪悪感は必要ありません、堂々と昼寝をしましょう。なぜなら「昼寝」にはすばらしい恩恵があるからです。

 仮眠または昼寝をすることで、創造性につながる洗練されたタイプの記憶力が高まるという研究報告があります。

 クリエイティブ(創造)は、簡単にいえば、新しく何かをつくりだすことですが、まったくゼロの状態から何かが生まれるわけではなく、内に蓄えられた経験に新しい関係性が与えられること、つまり過去の記憶から「新しい記憶」が創造されることであるとわかってきました。

 昼寝の間にも、あなたの脳では記憶の“編集作業”がおこなわれているのです。
睡眠は「質」が大事
http://diamond.jp
/series/seino/10009/


アンリ・ベルクソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ノーベル賞 受賞者 ノーベル賞
受賞年: 1927年
受賞部門: ノーベル文学賞
受賞理由:

アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson, 1859年 10月18日 - 1941年 1月4日 )は、パリ 生まれのフランス の哲学者 。
生涯 [編集 ]

幼少期 [編集 ]

ポーランド 系ユダヤ人 を父、イギリス 人を母として、パリのオペラ座 からそう遠くないラマルティーヌ通りで生まれる(妹のミナは、イギリス のオカルティストマグレガー・メイザース と結婚し、モイナ・メイザース と名乗った)。誕生後数年は、家族とイギリス・ロンドンで生活を送る。イギリスで母ととても早くから親密な関係を築く。彼が9歳になる前に、彼の家族は、フランス、バス=ノルマンディー地方 マンシュ県 に移り居を構える。

学生時代 [編集 ]

リセ で古典学と数学を深く修めたあとに入学した高等師範学校 では、カント を奉じる新カント派 一色であった当時の教授陣への反発と、ハーバート・スペンサー の著作を熟読して受けた実証主義・社会進化論の影響のもとに、自己の哲学を形成する。1881年 に受けた教授資格国家試験 では、現代心理学の価値を問う試問に対し、現代心理学のみならず心理学 一般を強く批判する解答をしたため、審査員の不興を買うことになった。結果、ベルクソンは2位で合格する。

『時間と自由』 [編集 ]

合格後、リセ 教師となった彼は、教師として教えるかたわら、学位論文の執筆に力を注ぐ。そして1888年 、ソルボンヌに学位論文『意識に直接与えられたものについての試論』(英訳の題名『時間と自由意志』)を提出し、翌年、文学博士号を授与される。この著作の中で彼は、これまで「時間 」と言われてきたものは、分割できないはずのものを空間的な認識を用いて分節化することによって生じたものであるとして批判し、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続 」("durée")と呼び、ベルクソンはこの考えに基づいて、人間の自由意志 の問題について論じた。この「持続」は、時間/意識の考え方として人称的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる。

『物質と記憶』 [編集 ]

その後1896年 には、哲学上の大問題である心身問題 を扱った第2の主著、『物質と記憶』を発表。ここでベルクソンは失語症 についての研究を手がかりに、物質と表象の中間的存在として「イマージュ("image")」という概念を用いつつ、心身関係という哲学上の大問題と格闘している。

すなわち、ベルクソンは、実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を持続の緊張と弛緩の両極に位置するものとして捉えた。そして、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証した。

コレージュ・ド・フランスへ [編集 ]

1900年 よりコレージュ・ド・フランス 教授に就任し、1904年 にはタルド の後任として近代哲学の教授に就任する。1914年 に休講(1921年 正式に辞職)するまでそこで広く一般の人々を相手に講義をすることになる(ベルクソンは結局、大学の正式な教授になることはなかった)。その講義は魅力的なものであったと伝えられ、押しかける大勢の人々にベルクソン本人も辟易するほどの大衆的な人気を獲得した。主にこの時期に行った講演がベースとなる『思想と動くもの』という著作で「持続の中に身を置く」というベルクソン的直観が提示されることとなる。

『創造的進化』 [編集 ]

スペンサーの社会進化論 から出発し、『試論』で意識の流れとしての「持続」を提唱し、『物質と記憶』で意識と身体を論じてきたベルクソンは、考察を生命論の方向へとさらに押し進め、1907年 に第3の主著『創造的進化』を発表する。これはベルクソンにおける意識の持続の考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで押し進めたものといえる(そこで生命の進化を押し進める根源的な力として想定されたのが「生の飛躍("élan vital")」である)。

国際舞台での活躍 [編集 ]

国の内外で名声の高まっていったベルクソンは、公の場にも引っぱり出されるようになる。第一次世界大戦 中の1917年 ・1918年 には、フランス政府の依頼でアメリカを説得する使節として派遣された。また大戦後の1922年 には国際連盟 の諮問機関として設立された国際知的協力委員会の委員に任命され、第1回会合では議長となって手腕を振るった(当時の国際連盟事務次長であった新渡戸稲造 とも面識があった)。1930年 、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される。

またベルクソンは自身の著作において言葉をとても大切にしながら書いていて、その文章は明快かつ美しい文章で書かれ散文としても素晴らしいものとなっており、1927年 にはノーベル文学賞 を受賞した。

『二源泉』 [編集 ]

こうした公的活動の激務のなかでも、ベルクソンの著作を書く意欲は衰えず、1932年 に最後の主著として発表されたのが『道徳と宗教の二源泉』である。この著作では、社会進化論・意識論・自由意志論・生命論といったこれまでのベルクソンの議論を踏まえたうえで、人間が社会を構成する上での根本問題である道徳と宗教について「開かれた社会/閉じた社会」「静的宗教/動的宗教」「愛の飛躍("élan d'amour")」といった言葉を用いつつ、独自の考察を加えている。

すなわち、創造的進化の展開のうち、エラン・ビタール、そして天才・聖人らの特権的個人によって直観される持続としての神的実在が緊張の極に置かれ、かかる特権的個人の行為を通じて発出するエラン・ダムールによる地上的持続の志向と参与を真の倫理的・宗教的行為であるとした。

晩年 [編集 ]

1939年 に第二次世界大戦 が始まると、ドイツ軍の進撃を避け田舎へと疎開するが、しばらくしてパリの自宅へ戻っている。反ユダヤ主義の猛威が吹き荒れる中、同胞を見棄てることができなかったからだといわれている。清貧の生活を続けるも、1941年 年頭、凍てつく寒さの中、ドイツ軍占領下のパリの自宅にて風邪をこじらせひっそりと世を去った。占領下ということもあって、参列者の少ないきわめて寂しい葬儀のあと、パリ近郊のガルシュ墓地に葬られた。
パンテオンに刻まれたベルクソンの碑文

葬儀に参加したポール・ヴァレリー は、

「アンリ・ベルクソンは大哲学者、大文筆家でしたが、それとともに、偉大な人間の友であった」

と弔辞を述べて、ベルクソンを讃えている。

ベルクソン死後26年を過ぎた1967年 、その功績が讃えられ、パンテオン にベルクソンの名が刻まれ、祀られることとなった。

「その著作と生涯によって、フランスおよび人類の思想に栄誉をもたらした哲学者 ― アンリ・ベルクソン」(パンテオンに刻まれた碑文)

思想 [編集 ]

生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメル などの「生の哲学 」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることもある。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタイン が相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。

一方で、ベルクソンは新プラトン主義 のプロティノス から大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズム へ帰依しようとするなど、神秘主義 的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある(ベルクソンは霊 やテレパシー などを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている)。 因みに、1913年 、英国心霊現象研究協会 の会長に就任している。

こうした点から、ベルクソンの哲学は、しばしば実証主義的形而上学、経験主義的形而上学とも称される。


・・・・・

カテゴリ : アカデミー・フランセーズ | フランスの哲学者 | ユダヤ系フランス人 | ノーベル文学賞受賞者 | 1859年生 | 1941年没



   




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