自我同一性における二項癒着とコスモスの太極原理(+i)*(-i)⇔+1?






2007年12月19日(Wed)
自我同一性における二項癒着とコスモスの太極原理(+i)*(-i)⇔+1?
1)自我同一性の狂気について:他者と癒着しているように見るのである。癒着のようなものは何か。他者の否定と、他者との溶融。


2)グノーシス主義とユダヤ・キリスト教:

グノーシス主義は、創造神デミウルゴス(コスモスを創造した神であり、プラトンの『ティマイオス』に出てくる)を邪神と考えていて、ソフィア(叡知)による救済を考えている。それは、この世を超越したプレローマへと回帰することである。ある意味で、仏教に似ているのである。厭離穢土(おんりえど、えんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)の発想に近いであろう。もっとも、仏教は、この世を作ったものを邪神とは見ないだろうが。
 プラトニック・シナジー理論(以下、PS理論)に拠れば、Media Pointの連続性・同一性として、現象界が生起すると考えるのであり、現象としての世界・宇宙・自然を二元論的に、敵視するまではいかない。それは、必然的な幻なのである。ニーチェが『悲劇の誕生』で説いたようなディオニュソスの基底として、浮かぶ幻想としてのアポロのようなものである。ヒンドゥー教のブラフマン(梵)の見る夢のようなものである。
 グノーシス主義のような二元論は、病的である。しかしながら、問題は、ユダヤ・キリスト教の神、ヤハウェである。グノーシス主義が邪神とするのは、創造神デミウルゴスであるが、何か、それは、ヤハウェではないのか、と思われたりするのである。プラトンのコスモスの創造神デミウルゴスは、自然にとれば、邪悪な面はない。しかしながら、邪悪さを考えると、それは、ヤハウェに当てはまると思われるのである。邪神ヤハウェである。
 しかしながら、問題は複雑なのである。聖書において、これまで見たように、二人の神がいて、どうやら、創造神はヤハウェではなくて、エローヒームのように思えるのである。では、ヤハウェは、どうなるのか。
 先に私はヤハウェは超越的同一性(エネルギー)であると言った。天地創造は、Media Pointからの生成である。それは、三柱の神に拠るものと考えられるのである。三つ巴である。つまり、三相共振様相として現象生成が考えられるのである。PS理論では、自己認識方程式で表現されるのである。簡単に表記すれば、⇒+1である。この⇒が肝心要であり、三相共振様相を示唆するのである。
 しかしながら、ヤハウェの場合は、+1ではないだろうか。ここには、差異共振性が欠落しているのである。Media Pointが消失しているのである。換言すると、i→-iであり、i^2ないしは(-i)^2で、-1である。±1であり、おそらく、これが二元論、二項対立を意味するのである。原構造主義と言ってもいいだろう。
 では、⇒+1と+1との違いとは何か。それは何を意味するのか。直感では、前者は母権宗教(女神宗教・自然宗教・多神教)であり、後者は父権宗教(男神宗教・啓示宗教・一神教)である。そして、Media Pointの保持か否定かである。そう、これが、決定的なポイントであろう。
 前者は、Media Pointによる自然な生成であり、それに対して、後者は、Media Pointから発しながらも、自己否定的な発現発動である。前者を東洋性、後者を西洋性と言えよう。いったいこの二つは何を意味しているのか。それらは、一つのこと、一つの生成の二つ様態を意味しているのか、それとも二つの生成の様態を意味しているのか。
 今の直感では、後者ではないかと思えるのである。これは、ジェンダーに関係すると思う。自然な生成とは女性性であり、自己否定的な発動とは男性性であるように思えるのである。
 そう、自然、二つの型があるように思えるのである。即ち、差異共振性を肯定する型と他者を否定する型である。平和の型と戦争の型と言ってもいいだろう。
 これを作業仮説として、論を進めると、父権的一神教が発生するまでは、母権的多神教が中心であった。しかしながら、父権的一神教、とりわけ、ユダヤ・キリスト教が発生すると、母権的多神教は破壊されたということではないだろうか。そして、その帰結が今日である。
 そう、自然の二つの型を作業仮説としているが、そうならば、この二つのタイプの交替が考えられるはずである。リズムとして、それがあるはずである。差異共振性へと傾斜するとき、連続的同一性へと傾斜するとき、この二つの揺れがあるように思えるのである。いわば、振り子様態である。
 簡略的に言えば、同一性へと傾斜するとき、差異へと傾斜するときの振り子運動があるのでないだろうか。わかりやすくするため、左を同一性、右を差異としよう。すると、西洋文明は完全に、左に傾斜したものである。もっとも、東洋文明においても、父権制はあるのであり、絶対的とは言えないのであるが、東洋文明は右に傾斜したと言えるのではないか。
 これは、言い換えると、太極で表現できるだろう。西洋文明は陽であり、東洋文明は陰である。西洋文明は陽へと傾斜していき、極限を迎える。そして、それから反転して、陰へと傾くことになる。
 思うに、西洋文明は先に述べたように、陽の極限化なのであり、陰が完全に失われているのである。もし、陰があるならば、それは他者であり、同一性中心主義は解体するのである。
 そう、ここで、1の問題提起と関係するのであるが、極限としての陽(極陽と呼ぼう)は、実は、極限としての陰を含むと思われるのである。両極の一致ということである。つまり、極陽とは極陰であるということである(極陽即極陰)。ここには、癒着・溶融・溶解があるのである。つまり、二項対立と同時に、二項解体が同時に生起していると考えられるのである。おそらく、この分裂事態、とりわけ、二項解体が病理的なのではないかと思う。つまり、自己と他者とが一致してしまうということだろう。自己完結である。パラノイアである。これは、神話で言えば、一種のウロボロスである。自分の尾をくわえた蛇である。完全なる倒錯である。ナルシシズムである。鏡像が自己像になっているのである。i=-iという事態である。狂気なのである。(思うに、今日、アメリカが行なっていることがこのようなことに思えるのである。自作自演の911であり、テロとの戦争であり、イラク戦争である。また、サブプライムローンもそのような感じがするのである。)
 さて、以上のように、太極原理を仮説すると、当然ながら、今日現代、振り子が揺り戻されて、東洋性へと回帰する運動にあると言えよう。言い換えると、螺旋的運動である。
 結局、最初のテーマにもどると、グノーシス主義とは、直感では、やはり、父権的一神教的創造に対する、母権的多神教的創造側の反動であると思えるのである。反動であるから、はやり、病的なのである。しかし、意義深い反動である。
 整理すると、Media Point、Primary Media Point、Cosmic Media Point(Cosmic Hole:宇宙の穴)において、太極原理が発生して、陰の場合は、差異共振性が主導的であり、陽の場合は同一性が主導的であるということであろう。そして、西洋文明においては、陽が極限化したということになるだろう。それが、西欧近代文化、西欧近代主義、西欧近代合理主義である。
 ここで、陰=差異と陽=同一性の太極原理を、自己認識方程式では、どのようなものになっているか、考えるべきであろう。これまで、+iを陽、-iを陰としたが、これではうまくいかないのである。作業仮説的に、(+i)*(-i)←+iが陰=差異であり、(+i)*(-i)→+1が陽=同一性ではないだろうか。すると、太極原理は、(+i)*(-i)⇔+1となるのではないだろうか。今はここで留めたい。


   




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カレンダ
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