音楽(クラシック・ポピュラー)

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2013年10月10日(Thu)▲ページの先頭へ
何故音楽を聴くのか:生命感(生命力)と氣:陰陽調和波動生命力:(牛が)モーツァルトの音楽と氣
I Need You - America


何故音楽を聴くのか:生命感と氣

ある意味で、音楽を聴いて、つらい浮世をしのいできたと言えよう。音楽には生命感があると直感された。
 しかし、今は、太陰氣学から、よい音楽には氣があると言える。
 おそらく、すぐれた芸術には氣があるだろう。
 とまれ、私の氣の発見は、そんなに古くはない。
 1990年代、ニューエイジブームがあった。新宗教ブームもあった。
 否、それ以前に、そう、80年代前半か半ばに氣について、私は読書していた。(追記:気功ブームがあった。)

気・流れる身体/平河出版社

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 しかし、観念から実感になったのは、もっと後である。
 両親の介護のため、長く住んでいた東京から田舎(農村地帯)へ帰省したとき(平成10年頃か)、実家の部屋の中で、はたと何かを感じたのである。東京にはない何ものかが部屋の中に存在している(充ちていると言えようか)と感じたのである。氣だと思った。
 それが実感としての最初の氣である。しかし、まだ、証拠が足りないと思い、感覚を研ぎ澄ますようになった。
 そして、今や明瞭に氣が存すると唱えるのである。
しかし、神秘的感性はもっと古くからある。中学生の頃、通学路の田んぼの緑に私の心は溶け入ったのである。
 最近は少ないが、死者への霊感はあった。
ところで、オカルトoccultという言葉はよくない。本当は、目に見えない隠れたというような意味である。
 紫外線、赤外線に倣って、感覚外性、感外性とか言う方がいいだろう。
 神秘性は感外性(感覚外性)である。(追記:超感覚というと胡散臭く聞こえるだろう。だから、感外性、感覚外性がいい。)

追記:モーツァルトの音楽を雌牛に聴かすとお乳がよく出るようになるとニュースにあったが、(牛が)モーツァルトの音楽は氣に満ちていると思えば、納得できることである。ただし、アルファー波云々は逆だと思う。氣波動が物質的には、アルファー波的になるのであり、逆は成立しないと思う。

追記2:飯山仙翁が実践しているように、日光には、強度の氣があると私は思っている。光は氣である。人工照明ではなく、自然光である。

追記3:ユング心理学と東洋思想を研究していた湯浅泰雄氏の氣の研究も氣の超越性の認識を私に踏み切らせたものである。そう、私は以前はマルクス主義者で、唯物論者であった。


Mozart, sym 41 Jupiter Frankfurt Radio Symphony Orchestra conducted by Paavo Järvi


参考:
第15回「東洋医学と磁気(1)」
-東洋医学の経絡は「気」の流れか? 生体磁気との関連に世界が注目!-

http://www.tdk.co.jp/techmag/magnetism/zzz15000.htm

「気」とは何か―人体が発するエネルギー (NHKブックス)/日本放送出版協会

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気・修行・身体/平河出版社

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2009年02月03日(Tue)▲ページの先頭へ
バッハの『フーガの技法』とバロック音楽:これもPS理論から解明できる
70年代のネヴィル・マリナーの指揮はよかった。きびきびとしているし、味わいがあった。90年代の生気のない平板凡庸な演奏は衰退したことをはっきり示しているが、以下のバッハの大名曲『フーガの技法』はバッハのもっている差異共鳴性(東洋・日本文化性)を生かしていると感じている。室内楽、パイプ・オルガン、チェンバロと多彩の演奏になっている。
 演奏の質を補足すると、最近の軽薄な調子と違って、古木のような質朴さがある。そう、精神身体性があるのである。最近の演奏は物質身体的であり、薄っぺらなものが多い。
 ところで、皆川達夫氏の『バロック音楽』を少し読んだ、バロック音楽とは、正に、差異共振音楽であることが証明される論考がある。極性の緊張を生かしたものがバロック音楽ということであり、それは、正に、差異共鳴以外のなにものでもない。
 今は余裕がないので、引用や詳述はしない。

バッハ - フーガの技法

PHILIPS , 15PC78-79 , 1974年録音

アカデミー室内管弦楽団 / ネビル・マリナー指揮

フーガの技法、BWV1080 全22曲 

バッハ晩年の傑作、フーガの技法です。指揮者Neville Marrinerはオーボエ等を用いた合奏とハープシコード、オルガンの独奏を曲により使い分けています。モノトーンの独奏と色彩感豊かな合奏がバランスよく配置されており、退屈しません。
このLPは聴いている間に眠ってしまうことがあります。退屈で眠るというのではなく、音楽に引き込まれると眠ってしまうのです。眠ってしまうとLPが回り続けて針がする減るのではないかと心配したこともあります。

http://www.geocities.jp
/yajimak2000/classic.htm


CLASSIC


Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation-バロック音楽

バロック音楽 (講談社学術文庫) (文庫)
皆川 達夫 (著)



2009年01月10日(Sat)▲ページの先頭へ
little boots:トランス・モダン・ポップスの誕生:差異共鳴音楽:デジタル・アナログ共鳴
little boots on Myspace Music
http://www.myspace.com
/littlebootsmusic

ガーディアン電子版で、載っていた。声が神秘的である。また、懐かしい。70年代初期が回帰している。なにかジョン・レノン又はビートルズを感じさせる。声の質が清澄である。なにか、ケルト系を感じさせる。
 聴き続けると、これは、電子楽器とリリカルな声が差異共振調和していると感じた。トランス・モダン・ポップスの誕生である。


2008年11月09日(Sun)▲ページの先頭へ
音楽は精神のエッセンスを形成するものである。音楽の狂いは、精神の狂いである。
「似非音楽」バブルの一つの主因の崩壊。これは象徴的である。三島由紀夫は、音楽の死を述べていた。「似非音楽」バブルの一つの主因が破滅したことは好ましい。
 音楽は精神のエッセンスを形成するものである。音楽の狂いは、精神の狂いである。

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小室哲哉容疑者:負債15億円…逮捕前、最後のぜいたく 大阪でスイートに宿泊

 詐欺容疑で逮捕された音楽プロデューサー小室哲哉容疑者(49)は4日の逮捕前日、既に覚悟を決めていた。大阪地検特捜部の要請に応じて自宅のある東京から大阪へ移動し、偽名で宿泊したホテルでは夜景を一望できる最上階90平方メートル(9万円)のスイートルームで「最後のぜいたく」を味わった。逮捕後、取り調べに素直に応じ「拘置所は寒い」と接見した弁護士に話しているという。借金返済に窮し、愛したはずの音楽で自らの手を汚した転落ぶりが、浮かび上がってきた。【藤田剛、林田七恵】

 ●提訴で墓穴

 小室容疑者は自分が作詞・作曲した806曲の著作権を譲渡すると偽り06年8月、兵庫県内の投資家男性(48)から5億円をだまし取った容疑で逮捕された。男性とは訴訟のし合いになったが、最初に訴えたのは小室容疑者だった。

 男性は07年8月ごろ、著作権の譲渡がまったく進まなかったため、5億円の返金を求めて小室容疑者の妻の実家などに電話した。これに対し小室容疑者は10月「精神的苦痛を受けた」として1億円の慰謝料を求めて男性を提訴。「5億円は受け取っていない」とも主張した。

 ところが男性に反訴され、逆に6億円の損害賠償を求められる。結局、小室容疑者が全額を支払うことで和解が成立したが、期限までに支払えず今度は刑事告訴された。

 小室容疑者の知人は「自分で墓穴を掘ったようなもの」と話す。

 ●譲渡打診続け

 小室容疑者は04年、著作権の不正移転を始めていた。10月、約5000万円の負債を肩代わりしてもらった自分の関連会社「トライバルキックス」社長、平根昭彦容疑者(45)の要求で、既に音楽出版社に譲渡していた12曲の著作権を二重譲渡。さらに05年7月、約2億円を社長から借りていた「ティーケートラックス」に290曲を二重譲渡した。

 こうした事実を隠したまま、複数の会社に全806曲の一括売却を打診。06年5月、大手広告代理店に18億円で譲渡する話を持ちかけたが断られ、最後に頼ったのが被害者の男性だった。

 ●生活は一転

 最盛期は、ロサンゼルスやバリに別荘を構え、フェラーリや豪華クルーザーを乗り回していたといわれる小室容疑者。15億円以上の負債を抱えた最近では大半の資産を売却し、スタジオもある賃貸マンションに暮らし、ひっそりと音楽制作していた。知人によると服装は地味で、食事も店屋物ばかりだった。

 逮捕3日前の1日、FMラジオ局の放送で「98年からの10年間はなかなか曲ができなかった」と苦悩を吐露しつつ、今後の曲作りへの意欲も語っていた。

毎日新聞 2008年11月8日 東京夕刊
http://mainichi.jp/enta/geinou
/news/20081108dde041040
058000c.html


2008年10月15日(Wed)▲ページの先頭へ
ルター派バッハと同一性主義金融資本主義:初期プロテスタンティズムと「ユダヤ」的金融主義
ルター派のバッハのカンタータが、金融バブルへの非難となるという。こういうバッハもあるということである。
 そう、思うに、初期プロテスタンティズムは、私見では、ルネサンスを吸収しているのであり、正に、個の倫理に基づいているのである。そこに、初期資本主義の精神があるだろう。
 だから、その視点から、同一性主義的金融資本を批判する視点は出てくるのである。純正プロテスタンティズムは、個=差異が原理である。しかし、そこから生まれた資本主義を、同一性主義金融資本主義(ヤハウェ的金融資本主義)は乗っ取るのである。

Bach's soundtrack for the credit crunch
When times are hard we are supposed to find solace in art that lifts the spirits, like the feelgood films of 1930s Hollywood or the shameless abandon of 1970s disco . But if you've seen your Icesave account melt away and the price of your house fall through the floor, you might want to listen to a recording of Bach 's short, rarely performed Cantata 168 , a setting of passages on the parable of the unjust steward from Corinthians and the Gospel of Luke.
http://www.guardian.co.uk/music/
musicblog/2008/oct/14/
credit-crunch-icesave-bach



2007年12月18日(Tue)▲ページの先頭へ
エウレカ!:吾、ジョージ・ハリスンのケルト系なることを発見せり!
私は大バッハの音楽に東洋性を深く感じるので、大バッハの祖先が、ハンガリー出身であることを発見したとき、吾見いだせリ!と感動したが、今度も感動、大感動である。
 ビートルズがケルト系であることは既に述べた。ジョン・レノンとポール・マッカートニーが、ケルト系なのである。
 私はジョージ・ハリスンの音楽が、ポップスの最高のものと考えているのである。そう、バッハやモンテヴェルディやジョス・カン・デ・プレと並ぶような至高の美しさをもった音楽であると考えているのである。世評では、All Things Must Passが最高に評価されているが、私にとっては、Living in the Material Worldしかありえないのである。
 とまれ、彼の声の深い魂の、精神的な響きを聴くと、ケルト的なものと関係があるのではと思っていたのであるが、これまで、家系がよくわからなかったのであるが、英語のWikipediaでアイルランド(ケルト文化圏)と深く関係していることがわかったのである。久しぶりに驚きで満たされたのである。
 彼が、インド音楽やヒンドゥー教に魅かれて、取り入れたのは、このケルト文化が背景だと思うのである。私はこれまで、ケルト文化と日本文化は共通すると述べている。そして、クラシック音楽でも現代、ケルト爆発状態である。
 思うに、ポピュラー音楽は、これまで、音楽家の文化的背景にあまりにもうかつであったのではないだろうか。たとえば、何故、ロック・ミュージックは、イギリスで完成したのか、とか、考えたことがあるだろうか。
 どうして、ビートルズが、クロス・オーヴァーを行なったのか、その理由を突き詰めたことがあるだろうか。私は、これは、ケルト文化から来ていると考えるものである。ケルト文化は、ケルト文様が三つ巴が流動する形象をもっていて、神道と通じるのである。太古の叡知の文化なのである。非常に尊い文化なのである。
 そして、今回、ジョージ・ハリスンのケルト文化の背景が確認できたので、ケルト、日本、インドとのつながりが、明瞭になったといえよう。優れたインド文化、インド精神文化が関係するのである。
 今は、経済で、インドは勃興している。新アジア文明の黎明を迎えているのである。

参聴

Living in The Material World (promo-video 2006)
http://jp.youtube.com/watch?v=OQJCAqBbiV8

George Harrison - Give Me Love (Live in Japan)
http://www.youtube.com/watch?v=3m2Usws5CPI&feature=related
George Harrison - Gopala Krishna
http://tubech.com/test/read.cgi/X7eFQMakhDE/tag/harrison/l50

Inner Light - George Harrison
http://www.youtube.com/watch?v=YhHm-5lKkZ0

George Harrison - What is Life
http://www.youtube.com/watch?v=k_PdIQu5dGY&feature=related

The Police - Spirits in the material world
http://jp.youtube.com/watch?v=Q-Obdx0nnM0&feature=related


George Harrison
From Wikipedia, the free encyclopedia
Jump to: navigation , search
For other persons named George Harrison, see George Harrison (disambiguation) .
George Harrison
George Harrison visiting the Oval Office in 1974.
George Harrison visiting the Oval Office in 1974.
Background information
Birth name George Harrison
Also known as L'Angelo Misterioso
Nelson/Spike Wilbury
George Harrysong
Carl Harrison
Born 25 February 1943 (1943-02-25)
Liverpool , England
Died 29 November 2001 (aged 58)
Los Angeles , California , U.S.
Genre(s) Rock , Pop
Occupation(s) Musician , Songwriter , Producer
Instrument(s) Guitar , Bass , Organ , Ukelele , Mandolin , Sitar , Tamboura , Piano , Harmonica , Slide guitar
Years active 1958 – 2001
Label(s) Parlophone ,Capitol ,Apple
Vee-Jay ,EMI ,Dark Horse Records
Associated
acts The Beatles
Traveling Wilburys
The Quarrymen
Plastic Ono Band
Website GeorgeHarrison.com
Notable instrument(s)
Rickenbacker 360/12 , Epiphone Casino , Gretsch Duo Jet , Gretsch Country Gentleman, Fender Stratocaster , Fender Telecaster , Gibson SG , Gibson Les Paul

George Harrison, MBE (25 February 1943 – 29 November 2001 )[1] was an influential English rock guitarist , singer , songwriter , author and sitarist best known as the lead guitarist of The Beatles . Following the band's demise, Harrison had a successful career as a solo artist and later as part of the Traveling Wilburys super group where he was known as both Nelson Wilbury and Spike Wilbury. He was also a film producer , with his production company Handmade Films , involving people as diverse as Madonna and the members of Monty Python . From an initial exposure whilst a member of the Beatles, he maintained a high public profile regarding his religious and spiritual life.

Harrison was born in Liverpool , England , on 25 February 1943 [4] [5] to Louise and Harold Harrison, parents of a Roman Catholic family with deep roots in Ireland .[4] His maternal grandparents hailed from Ireland's County Wexford .

http://en.wikipedia.org/wiki/George_Harrison

Wexford
From Wikipedia, the free encyclopedia
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This article is about the Irish town. For other uses, see Wexford (disambiguation) .
Wexford
Loch Garman
Coat of arms of Wexford
'Per Aqua et Ignem'
'Through Water and Fire'
Location
Location of Wexford
centerMap highlighting Wexford
WGS-84 (GPS ) Coordinates:
[show location on an interactive map] 52°20′03″N 6°27′27″W / 52.3342, -6.4575
Irish Grid Reference
T051213
Statistics
Province : Leinster
County : County Wexford
Dáil Éireann : Wexford
European Parliament : East
Dialling Code : 053, +353 53
Elevation : 1 m
Population (2006)
- Town:
- Rural:
8,931
9,659
Website: www.wexfordcorp.ie


2007年12月03日(Mon)▲ページの先頭へ
Media Pointの啓きと音楽:トランス・モダン転相期をむかえて
どうも、今日、現代、音楽が賦活され活性化されているようだ。Media Pointの啓きがあるようだ。新たなミューズの霊感に満たされているようだ。
 思うに、ファッションもファンタジー化して、垂直化していたし、文学もファンタジーのブームが継続している。映画も特撮でそのような側面があるだろう。
 しかしながら、日本の音楽、ポピュラー音楽は、まだ、閉塞している。近代主義の縛りの内にあるように思える。時代精神の賦活が遅れていると思う。また、私が問題と感じているのは、美術である。どうも美術が一番遅れているように思う。もっとも、管見で言うので、当てにはならないが。
 FMでセンスという日本のバンドが出ていたが、第三人格であると言っていたが、それは、正に、差異共振性、三相共振性である。そして、思ったのは、以前述べたが、ビートルズ音楽も四人による差異共振音楽であるということである。
 とまれ、美術が一番遅れている理由は、先に述べたように、同一性(近代的自我)と視覚との「癒着」に拠るように思えるのである。心の視覚、差異共振の視覚、Media Pointの共振視覚を取り戻す必要があるのである。

p.s. 当然、経済においては、差異共振エネルギーの啓きが考えられる。資本主義は、差異を同一性化(貨幣資本化)することのみを考えてきた。しかし、今や、サブプライムローン問題で顕在化したように、同一性中心の資本主義は袋小路なのである。そう、ポスト・モダンは反動なのである。差異共振エネルギーが反動的に使用されているのである。狂気の沙汰である。イラク戦争にしろ、サブプライムローンにしろ、小泉元首相の構造改革にしろ。今日、差異共振エネルギーが啓いているのである。これを能動的に構築していく必要があるのである。差異共振主義経済である。後で、検討したい。


2007年11月12日(Mon)▲ページの先頭へ
ポップス? クラシック? 「クラシカル・クロスオーバー」:クロスオーバー・トランス・モダン
今日も都合で秋葉原に行った。石丸電気のDVD館は大規模で、求めていたものがあった。とまれ、CD館で、以下の、オーラとWishとオ・ホーリー・ナイトとsoaveを試聴した。ソファーの椅子があり、一回の時間制限があるようだが、すべて聴くことができる。(CD ショップは、生き残りが厳しいということだろう。)
 これらの音楽がクラシカル・クロスオーバーと呼ばれていることを初めて知った。クロスオーバーとは懐かしい言葉である。ジャズのクロスオーバーに魅かれた時期があった。そして、クロスオーバーがすたれて、フュージョンが流行った。その頃には、興味がなくなっていた。考えてみたら、ビートルズやレッド・ツェッペリンやクィーン、そして、ピンク・フロイトのようなプログレッシブ・ロックもクロスオーバーである。
 しかし、今のブームは、クラシック音楽、それも声楽から発している点が新しい。エンヤの影響が大きいと言えよう。やはり、ケルトである。英国が発信地ということであるが、ファンタジー・ブームと同じで、ケルト文化が発信領域である。
 ロックもそうであるが、英国、否、ケルト文化が根本にある。ビートルズは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーが明らかに、ケルト文化圏である。巨視的に見れば、60年代から新ケルト・ルネサンスを迎えているということだろう。
 ファッションもファンタジー要素があるので、ケルトと共振しているだろう。残念なのは、美術が新ケルト・ルネサンスと今一つ結びついていないことである。ヒーリング・アートはそれと関係していると思うが、まだ少数である。私の直感では、ケルト文化と日本文化は共振するのである。日本の美術は、ケルト美術と通じると思う。つまり、らせん的で、流動的で、非対称的であることである。そう、現代の言葉では、非線形なのである。
 とまれ、クラシカル・クロスオーバーであるが、私は、クラシカル・トランス・モダンと言いたい。あるいは、ミュージック・トランス・モダンである。そして、その他のアートを含めて、アート・トランス・モダンと言いたい。
 あるいは、クロスオーバー・トランス・モダンである。

p.s. 御本尊を忘れていた。大バッハこそ、クラシカル・クロスオーバーの元祖・本家本元である。そして、クロスオーバー・トランス・モダンなのである。

p.p.s. クラシック音楽では、ポリフォニー(多声音楽、対位法)は、中世、ルネサンス、バロックと発展したわけだが、今思いついたのは、クラシック音楽のポリフォニーとは、ケルト文化が水源にあるのではないだろうかということである。ケルトの文様は、渦巻き、対位法的である。差異共振的である。どうも、このベースがあって、クラシック音楽のポリフォニーが進展したのではないだろうか。
 一般に、現代クラシック音楽が創造的に不毛なのは、源泉を忘却しているからではないだろうか。モダニズムとは、いわば、古典主義的発想であり、袋小路である。そして、ポピュラー音楽がケルト文化から新たに復興したのではないのか。もちろん、黒人の音楽もベースにはあるが。リズムは確かに、黒人音楽がベースだろう。しかし、メロディーやポリフォニー性はケルト文化水源から来ているのではないのか。後で検討。PS理論では、源泉は、Media Pointである。

3p.s. なぜ、今日、クラシカル・クロスオーバーかと言うと、ポスト・モダンの袋小路からのエクソダスとして、生まれてきたものだと思われる。つまり、トランス・モダン・クラシックなのである。これは、Media Pointが啓けたことを意味するのである。そして、Media Pointとは普遍的領域なので、他のジャンルと共振するのである。言い換えると、差異共振クラシックである。また、なぜ、声楽かと言うと、声は、身体の魂と直截結びつくからである。声は内面の精神=Media Pointと結びつきやすいからであろう。ファッションも、既に、Media Point化している。おそらく、美術がこの後に続くはずである。文学はすでに、ファンタジー・ブームである。

4p.s. もっと大胆に言えば、「民主主義」であるが、私が考える差異主義としての「民主主義」とは、やはり、ケルト文化から発しているのではないだろうか。同一性主義の「民主主義」(ブッシュが唱える「民主主義」)は、差異主義としての「民主主義」の同一性化に過ぎないのではないだろうか。そうならば、自然(おのずから)的に、民主主義はトランス・モダン化され、差異共振主義に変換するのである。トランス・デモクラシーのエポックでもある。

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ポップス? クラシック? 「クラシカル・クロスオーバー」
http://www.yomiuri.co.jp/
entertainment/music/future/20060609et11.htm

新世代の歌姫たち
http://www.yomiuri.co.jp/
entertainment/music/future/20070810et10.htm

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オーラ~美しい感動~ [Compilation]
~ フィリッパ・ジョルダーノ (アーティスト), アミーチ・フォーエヴァー (アーティスト), ジョルジア・フマンティ (アーティスト), ナターシャ・マーシュ (アーティスト), クロエ (アーティスト), その他





Wish~心の詩~ [Compilation]
~ ヘイリー (アーティスト), ラッセル・ワトソン (アーティスト), クワイヤーボーイズ (アーティスト), シセル (アーティスト), 岡本知高 (アーティスト), その他





オ・ホーリー・ナイト~クワイヤーボーイズのクリスマス
~ クワイヤーボーイズ (アーティスト), クワイヤーボーイズ with オール・エンジェルス (アーティスト), オール・エンジェルス (アーティスト)
http://joshinweb.jp/dp/4988005495549.html
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88~%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%81%AE%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9-%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA/dp/B000VZK8L0/ref=sr_1_1/503-9902291-5071163?ie=UTF8&s=music&qid=1194774883&sr=1-1


Soave
~ 鈴木慶江 (アーティスト), 六本木男声合唱団倶楽部 (アーティスト), 篠崎正嗣 (演奏), 小原孝 (演奏), 朝川朋之 (演奏), その他
クロスオーバー (音楽)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

クロスオーバー(Crossover)とは、ジャンルの垣根を乗り越えて音楽性を融合させるスタイルを指す音楽用語。
ジャズのクロスオーバー

1960年代頃に流行したジャズ の演奏スタイルのひとつ。

[編集 ] 歴史

1960年代 後半より、電気楽器やロック風な奏法を取り入れた、新しい演奏スタイルジャズ・ロックが生まれ、先鋭的なミュージシャンによって演奏スタイルの可能性が拡大された。そして、シンセサイザー をはじめとする電子楽器 の出現で、音色などの演奏表現も豊かになった。クラシカルな曲想や、現代音楽 的な音空間の表現のプログレッシブ・ロック も現れ、作品としてのジャズ演奏だけでなく、コマーシャルなポップミュージックやロックにも通じ相互に影響を受けたニューヨーク やロスアンゼルス のスタジオ・ミュージシャン 達の中から、より洗練された形で、ジャンルの垣根を乗り越えた(クロスオーバー)音楽が生み出されるようになった。

ストリングスやブラスのオーケストラとエレクトリック・ジャズのバンド演奏が巧みに絡み合うアレンジメントが重要な役割を持ち、デオダート 、ボブ・ジェームス 、ドン・セベスキー らアレンジャー が脚光を浴びた。またこのジャンルの作品を多く制作していたのが、ブルーノート でも評判を得ていた名プロデューサー クリード・テイラー の主宰するCTIレコード で、先に挙げた3人のアレンジャー達自身のアルバムの他に、プレイヤーとして、ジョージ・ベンソン 、ヒューバート・ロウズ 、グローバー・ワシントン・ジュニア らが作品を発表している。

同時期にチック・コリア 、ハービー・ハンコック らも、自らのバンドでさらに洗練されたクロスオーバー・ミュージックの作品を発表している。

[編集 ] 代表的なアルバム

* "Deodato2"デオダート
* "Return To Forever"チック・コリア

[編集 ] ロックのクロスオーバー

ロックのクロスオーバーは時代や音楽性ごとに細かく区分されている。代表的なものにミクスチャー・ロック やクロスオーバー・スラッシュ などが挙げられる。

ロック が1960年代 に発展する過程でブルース を発展させるだけでなく、主にクリーム など演奏能力に長けたバンドがジャズ やクラシック音楽 を取り入れてロックの概念を広げていった。それらはやがてレッド・ツェッペリン などに代表されるハードロック やキング・クリムゾン などに代表されるプログレッシブ・ロック などとして大きく発展していくことになる。

ポピュラー音楽におけるクロスオーバーの一つの頂点が、パンク・メタルとも呼称されたクロスオーバー・スラッシュ と呼ばれるジャンルである。1980年代 に入ってロックがより過激なものになってくると、それまでのハードロックとパンク・ロック を強力に組み合わせたものが現れる。さらにそれがヘヴィメタル とも融合しだし、その音楽性はスラッシュメタル の要素を持つに至った。

もう一つの頂点は1990年代 にブームが冷め切っていたヘヴィメタルとヒップ・ホップ やファンク に代表される黒人音楽 のクロスオーバーさせたジャンルで、ラップメタル やファンクメタル など幾多のジャンルを生み出した。この動きは日本ではミクスチャー・ロック と呼ばれた。

[編集 ] クラシック音楽のクロスオーバー

クラシック音楽 とポピュラー音楽 がクロスオーバーしたサウンドは1990年代 にブームが始まっており、クラシカル・クロスオーバー と呼ばれている。このジャンルの基本的なアレンジはオーケストラ を生かしたポップス(ロック やエレクトロニカ 等を含む)系の演奏をバックに声楽 を活かした旋律を歌うものが多い。

このジャンルの起爆剤となったのはサラ・ブライトマン とアンドレア・ボチェッリ のデュエット「タイム・トゥ・セイ・グッバイ 」(1996年)と見られている。この曲は全世界で2,500万枚以上を売り上げたとされ、このジャンルのスタンダードになった。またこれ以後追従する歌手が爆発的に増えることになった。増田いずみ はこのジャンルをポップ・オペラ、またイル・ディーヴォ はポペラと呼んでいる。

2006年から2007年にかけて、秋川雅史 、Yuccaらのクラシック歌手が千の風になって の曲を歌って大ブームが起こった。サラ・ブライトマン に触発されたというYuccaは、クラシックとポップスとヒーリングを合わせた歌唱でクラシカル・クロスオーバー を標榜している。

[編集 ] クロスオーバーの一例

* MIDI データMedia:Spring.MID (ヴィヴァルディ「四季」より春のジャズ・アレンジ)

[編集 ] 関連項目

* フュージョン
* ミクスチャー・ロック
* コラボレーション
* 学際

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%
82%AF%E3%83%AD%E3%82%
E3%82%AA%E3%83%BC%E3%
83%90%E3%83%BC_%28%E9%9
F%B3%E6%A5%BD%29 " より作成


2007年10月23日(Tue)▲ページの先頭へ
バッハ・コレギウム・ジャパンの『ミサ曲ロ短調』の到達の意味するもの
ミサ曲ロ短調 鈴木雅明&BCJ、サンプソン、ブレイズ、テュルク、他(2SACD)
SACD
ミサ曲ロ短調 鈴木雅明&BCJ、サンプソン、ブレイズ、テュルク、他(2SACD)
http://www.hmv.co.jp/
product/detail/2617799

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今、この演奏の最初のKyrie eleisonを聴いているが、これは、精神性の高い、また、たるみ、ゆるみのない、また、典雅・高雅な演奏である。
 値段は渋谷のタワーレコードで約五千円であり、高い。しかし、五千円を出して買う価値は十分あるし、たいへんなおつりが来るだろう。
 カール・リヒターの敬虔な演奏、グスタフ・レオンハルトの優美な演奏、そして、トーマス・ヘンゲルブロックの哀調ある演奏、等々と欧州人による名演奏があるが、これは、日本人鈴木雅明が指揮するバッハ・コレギウム・ジャパンによる名演である。現代、バッハの霊性を捉えた稀有の演奏である。
 私が初めて買ったクラシックのレコードは、バッハのオルガン曲(ヘルムート・リリング)であった。オルガンの荘厳な響きに魅せられた。
 その後、お決まりのように、クラシックの大作曲家の音楽を聴き、マーラーの暗いロマン主義に惹かれたり、ブルックナーの神秘的な響きに惹かれたが、結局、バッハに帰ってきた。
 バッハの音楽は、普遍的である。モーツァルトよりも普遍的であると思う。私は、これまで述べたように、バッハの音楽に東洋的精神を感じている。鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパンがバッハ音楽を極めることができたのは、この要素があると思う。バッハの東洋的精神と共振したのだと思う。
 世の中は、暗く、末世であるが、バッハ音楽、このバッハの白鳥の歌、超名曲『ミサ曲ロ短調』をこの演奏で聴くのは、意味深長である。
 

参考:
バッハ・コレギウム・ジャパン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)はバロック音楽 を専門とするオーケストラ および合唱団である。1990年 に鈴木雅明 によって設立され、1995年 以来ヨハン・ゼバスティアン・バッハ のカンタータ のシリーズをBISレーベルより発売している。

BCJは毎年バッハのカンタータと器楽曲のプログラムを毎年演奏している。2000年 のバッハ没後記念250年には、サンティアゴ・デ・コンポステーラ 、テルアビブ 、ライプツィヒ 、メルボルン といった都市のフェスティバルに参加し、国際的に活動の幅を広げている。最近では、イタリア 、スペイン 、アメリカ合衆国 、韓国 、ドイツ でバッハのカンタータ、マニフィカト 、マタイ受難曲 、ヨハネ受難曲 を含んだ演奏会を行っている。

[編集 ] 外部リンク

* バッハ・コレギウム・ジャパン


VIVA!
BACH COLLEGIUM JAPAN

〜1ファンによる応援ホームページ〜
http://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/


2007年10月20日(Sat)▲ページの先頭へ
バッハの神について:バッハの神はMedia Pointの神である証拠としての対位法、ポリフォニー
先に、思いつき、直感で、バッハの神は母なる神、東洋の神、すなわち、Media Pointの神であると提起したが、ここで証拠になるものを考えたいと思う。
 バッハは、対位法、ポリフォニーの大家でもある。『フーガの技法』はその頂点であると言えよう。そして、バッハの対位法、ポリフォニーが、後の古典派、ロマン派音楽に影響を与えている。
 これは、文学理論的には、バフチン(参考2を参照)のいうカーニヴァル性につながる。因みに、バフチンが、ドストエフスキー文学をカーニヴァル文学、ポリフォニー文学であると発見したのは、文学領域では知られている。
 問題は対位法、ポリフォニーである。これは、簡単に言えば、Aという旋律に対して、Bという旋律を共振させる方法である。フーガの場合は、それを時間的にズラスのである。いわば、差延化である。
 このAとBの差異共振が、簡単に言えば、対位法、ポリフォニーであり、当然、プラトニック・シナジー理論から言えば、Media Pointにおける差異共振性であると言えるのである。
 先には、宗教的にバッハの神をMedia Pointの神と考えたのであるが、このように具体的に、大バッハの音楽の神をMedia Pointの神と証明することができるのである。
 これは、東洋の神というしかない。西洋音楽とは、対位法やポリフォニーにおいて、一神教的単線性を乗り越えたのである。つまり、音楽において、多神教化していたのである。ルネサンスからバロックにかけて、西洋音楽は、東洋化したのである。西洋と東洋の結婚がそこにはあると言えるのである。
 この西洋に内在する東洋が、現代の多様性・個性・多元性になっていると考えられるのである。
 ここで飛躍して、政治に関して言うと、自由・民主主義も同様である。一神教と多神教とが混淆しているのが、今日の自由・民主主義である。大資本的自由・民主主義とは一神教的である。それに対して、国民的自由・民主主義とは多神教的なのである。
 政治における、一神教と多神教の相剋があるのである。結局、根源のMedia Pointへと螺旋的に回帰・反転して、一即多の新多神教的自由・民主主義へと進展する必然性があると言えよう。
 何故なら、一神教主義は今日では、多様な自由への束縛になっているのであるから。脱一神教主義である。

 ★★★脱一神教/新多神教宣言!!!★★★


参考1:
ポリフォニー
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ポリフォニー(polyphony)とは、複数の異なる動きの声部(パート)が協和しあって進行する音楽 のこと。ただ一つの声部しかない「モノフォニー 」の対義語として、多声(部)音楽を意味する。

音楽史上では中世西洋音楽 期〜ルネサンス 期にかけてもっとも盛んに行われた。

ポリフォニーは独立した複数の声部からなる音楽であり、一つの旋律(声部)を複数の演奏単位(楽器や男声・女声のグループ別など)で奏する場合に生じる自然な「ずれ」による一時的な多声化は「ヘテロフォニー 」と呼んで区別する。

なお、西洋音楽では、複数の声部からなっていてもリズムが別の動きでなければポリフォニーとして扱わないことが多く、この意味で「対位法 」と重複する部分を持つ。

また、とりわけ西洋音楽において、複数の声部から成るが一つの旋律と和音伴奏に別れる「ホモフォニー 」の対義語としても使われる。ポリフォニーには「ホモフォニー」のような主旋律・伴奏といった区切りがなく、どの声部もほぼ同等の比重で絡み合う。ポリフォニーは各声部の旋律の流れに重点をおいており、和音や和声は従属的に生まれたものといえる(独立した旋律の集合体として作られるポリフォニーでは、和音は、各声部の旋律のその瞬間の一音が重なりあって一つの和音として聞こえると考えることが出来るため。)。

文学においては、ドストエフスキー の文学には強いポリフォニー性がある、という指摘がなされている。

カテゴリ : 声楽 | 合唱 | 中世西洋音楽 | ルネサンス音楽



対位法
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対位法(たいいほう)(英counterpoint)とは、音楽理論 のひとつであり、複数の旋律 を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせる技法である。
概要

対位法は、和声法 と並んで西洋の音楽理論の根幹をなしている。ただし、和声法が主に楽曲に使われている個々の和音 の種類や、和音をいかに連結するか(声部の配置を含む和音進行)を問題にするのに対し、対位法は主に「いかに旋律を重ねるか」という観点から論じられる。
一例を挙げると、輪唱 の場合、和音の連続、つまり音と音の同時的なつながりの連鎖を意識して作られているというよりは、旋律を時間的にずらすこと、つまり音と音との経時的なつながりの堆積によって得られると考えるのが自然である。そこで輪唱は和声的ではなく対位法的な音楽であると言うことができる。
もっとも、和声法においても和音を連結する際に各声部の旋律の流れは論じられるし、対位法においても旋律間の調和を問題とする以上、音の積み重ねによって生じた和音を無視するわけではないので、これら二つの理論は単に観点の違いであって、全く相反するような性質のものではない。
特に初期の和声法ほど各声部の対位法的な扱いを重要視しているのは、音楽理論としては対位法の方が先にあり、後からできた和声法が対位法の影響を多分に受けているからである。

また対位法とは、狭義にはフックス の理論書を淵源とする厳格対位法(類的対位法)の理論、並びにその実習のことであり、作曲 の理論・実習のひとつである。

[編集 ] 歴史

多声音楽自体の起源は定かではないが、今日まで続く対位法の技法・理論は中世 の教会 音楽に端を発している。9世紀 頃、単声のグレゴリオ聖歌 に対して4度あるいは5度で平行する旋律を付加する、オルガヌム と呼ばれる唱法が出現した。当初、オルガヌムにはリズム 上の独立性はなく、一つの音符 に対しては一つの音符が付加された。“対位法”(counterpoint)という語の語源はラテン語 の“punctus contra punctum”(点対点、つまり音符に対する音符)であり、ここに由来する。

11世紀 には、平行進行のみでなく反進行や斜進行も用いられる自由オルガヌムが用いられたが、リズム的には一音符対一音符のままであった。12世紀 になって、単声を保続音としてその上により細かい音符を付加する、メリスマ 的オルガヌムの技法が現れた。

アルス・アンティクア の時代(12世紀 中頃〜13世紀 末)には、声部の数がそれまでの二声から、三声、四声へと拡大し、オルガヌムもより複雑化した。アルス・ノーヴァ の時代(14世紀 )に至ると、それまでの定型的なリズムに替わって、より多様なリズムも用いられるようになり、またオルガヌムのように既存の音素材に付加するのではなく、音楽全体を新たに作曲する傾向も生まれた。

ルネサンス 期(16世紀 - 17世紀 )になると、各声部の独立性はさらに明確化した。ルネサンス末期に現れたパレストリーナ の様式は対位法の模範とされる。またルネサンス末期には、旋律と旋律の積み重ねによってではなく、和音と和音との連結によって音楽を創る、和声の発想が現れ、以後次第に西洋音楽においてはこの発想が支配的となった。

18世紀 に入ると、教会旋法 による音楽は次第に廃れ、長調 ・短調 による調性的な音楽が主流となり、それに伴い対位法にもますます和声的な発想が入り込むようになった。それまで合唱 、つまり声楽 と共に発展してきた対位法が、この時代に至ると器楽 も発達し、それに伴って器楽的対位法と言われる新たな音楽語法が現れた。この時代に活躍したJ.S.バッハ の作品はそれまでの対位法的音楽の集大成であると同時に、和声的な音楽語法をも用いたものであり、音楽史上一つのターニングポイントであるとみなされる。

古典派 やそれに続くロマン派 の時代では、各声部が独自性を保っているポリフォニー 的な音楽ではなく、一つの旋律に和声的な伴奏 が付随するホモフォニー 的な音楽が支配的となった。このため、対位法は和声法に比べてそれほど重視されておらず、興味の方向は超絶技巧などの名人芸や楽器の改良など音色や速度へと変化した。

現代 では、対位法的発想は以前とは全く異なった形で現れている。例えば十二音技法 では、音列によって音組織が秩序づけられるので、音列を用いた旋律が重ねられたりすればそこには対位法的な発想を認めうる。この場合、音選択が問題であり、結果として生じた音程は偶発的な存在である。


・・・・・

参考2:
ミハイル・バフチン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(バフチン から転送)
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ミハイル・ミハイロビッチ・バフチン(Михаил Михайлович Бахти́н , 1895年 11月17日 -1975年 3月7日 )は、ソビエト連邦 (ロシア )の思想家 、文芸理論家 。

オリョール に生まれ、ペテルブルク 大学を卒業。 以後さまざまな教職を続けながら文学研究を続けるが、世界的に知られるようになったのは1970年代からである。 1975年モスクワ で病没。
バフチン・サークルと著者問題

* ヴァレンチン・ヴォロシノフ
* パーヴェル・メドヴェージェフ

[編集 ] 主要概念

[編集 ] 対話主義とポリフォニー

「ドストエフスキーの詩学」初版において、バフチンは、それまでのドストエフスキー 研究を、登場人物の思想や心情と研究者が対等にたって、実在の人物のように批評・批判するものや、逆に、登場人物の思想や人格を、作者の思想や人格の「表現」として分析したものであって、どちらのやり方も、小説のテキストをそれ自体として捉えたものではないとして批判した。

すなわち、登場人物を実在の人物であるかのように扱い、それと対等の立場で論争・批評してしまうような研究では、作品全体の構造を捉えることはできず、また、その分析の内容も、文学作品としての固有のものではなく、歴史学・社会学的なイデオロギー分析にとどまってしまう。

他方で、そうした諸人物や事件を、作者の思想の「表現」として捉える研究では、畢竟、作者のイデオロギーの分析になるか、あるいは、伝記的な研究へと分析は逸らされ、そのような登場人物の、作者とは異なる固有性は捉えられず、また、登場人物の間の関係も、特定の登場人物(あるいは、その思想)を引き立て、あるいはけなすという機能からしか把握されない。

バフチンはドストエフスキーの小説の画期性を、その登場人物があたかも独立した人格のように多面性を持ち、解釈の主体として振舞い、時には、独自の思想の主張者として振舞うことで、人物相互の間に「対話」が成立し、そのような対等かつ劇的な対話性において、小説以外のジャンルでは表現困難な、現実の多次元的・多視点的な表現が可能になっていることであるとした。

このような視点は、バフチン自身の、哲学的・言語学的な対話主義の思想に裏打ちされている。バフチンは、真理は、特定の視点によっては表現することはできず、どれほど複雑かつ高度なものであっても、つねに複数の認識の視点と、ひとつの視点との相違は還元不能なままに残ると考えた。この相違を還元不可能なものと見る視点からは、複数の限定的な視点を、より高次の複雑かつ総合的なひとつの視点によって完全に汲みつくし、代替することはできないことになる。

[編集 ] ドストエフスキーとトルストイ

バフチンは「ドストエフスキーの詩学」において、ドストエフスキーとレフ・トルストイ の文学の明確な差異を、画期的なポリフォニー 論などによって示した。

ドストエフスキーの文学においては、上記のように客観的に叙述し得る単一的な真理は存在せず、各人の思想が否定されずに尊重される。各登場人物は、作者ドストエフスキーと同じように、1人の人間として思想や信念を固持する権利が与えられている。それはすなわち人格の尊重である。ところがトルストイの小説においては、しばしばトルストイの考えに登場人物が近づくことが、真理への到達と同視される。そしてトルストイと反対の意見を持つ人物は、しばしば自己完成からは程遠い人物として描かれるのである。バフチンはこれをモノローグ な構成として批判した。

[編集 ] カーニバル性、カーニバル文学

カーニバル とは古代より続く、国や地域の違いによって様々な形態をとる祭り のことである。カーニバルにおいては、人々の間に通常存在する社会的、身分的な距離が取り払われ、無遠慮な人々の交わりが見られる。また、カーニバルは、動物が人間の衣装を着たり、貧民が国王に扮して国王の衣装を着たりする、価値倒錯の世界でもある。

古代より、広場 はカーニバル性をもった場所であった。バフチンによれば、特に中世の人々は、規則にがんじがらめの生活と、カーニバル性を持った広場における生活との、二重生活を送っていたという。カーニバル広場においては、不謹慎、神聖なものに対する冒涜や格下げなど、あけっぴろげな生活が見られたという。

文学とカーニバルの関係は古く、古代においてはルキアノス やセネカ などの文学に如実に見られる。ルキアノスをその代表者とする、古代のメニッピア(メニッポス流の風刺 )と呼ばれる文学が、カーニバル文学の源流である。メニッピアの文学においては、オリンポスの神々の格下げが見られたり、地獄の顕著なカーニバル化などが見られる。(地獄は地上のあらゆる地位の人たちを対等化することから、典型的なカーニバル空間である)

文学におけるカーニバル性とは、国王の戴冠と奪冠、地位や役割の交代や変装、両義性、シニカルで無遠慮な言葉、などに見られるものである。価値倒錯の世界を創り出す効果を持つ。また、中世によく見られた笑いを隠れ蓑にしたパロディー にも、強いカーニバル性が見られる。中世においても笑いによってならば、聖なるものを俗的に扱うことが許されたのである。聖と俗の交わりや交代、否定(嘲笑)と肯定(歓喜)、死と再生、などが笑いの中で行われた。笑いは社会風刺のために、無くてはならない要素であった。カーニバル文学においても、笑いは極めて重要な要素である。

カーニバル文学の代表例としては、フランソワ・ラブレー やセルバンテス の著作がある。特にバフチンは、ドン・キホーテ をカーニバル文学屈指の名作として、高く評価している。そして、ドストエフスキーの文学は、古代より続くカーニバル文学の系譜に忠実であり、同時に進化させたものであるという。いわばドストエフスキーの文学は、現在までのところ、カーニバル文学の最高峰にあるということである。

[編集 ] 影響

* ジュリア・クリステヴァ
* ツヴェタン・トドロフ
* カルチュラル・スタディーズ
* ミラン・クンデラ
* デイヴィッド・ロッジ
* 山口昌男

[編集 ] 邦訳主要著書

* 『フランソワ・ラブレー の作品と中世 ・ルネッサンス の民衆文化』(川端香男里 訳, せりか書房 , 1974年)
* 『マルクス主義 と言語哲学 』(桑野隆 訳, 未来社 , 1976年 )
* 『ミハイル・バフチン著作集』全8巻(新時代社 , 1979-88年)
* 『ドストエフスキー の詩学』(望月哲男 , 鈴木淳一 訳, ちくま学芸文庫 , 1995年)

[編集 ] 外部リンク

* バフチン・センター

執筆の途中です この「ミハイル・バフチン」は、人物に関する書きかけ項目 です。
この記事を加筆・訂正 などして下さる協力者を求めています。(ウィキプロジェクト 人物伝 )

カテゴリ : ロシアの哲学者 | 思想家 | ロシア文学 | 1895年生 | 1975年没 | 人物関連のスタブ項目


バッハのミューズは、キリスト教の神だろうか:Media Point=母なる神としてのバッハの神
また、バッハの『ミサ曲ロ短調』に酔い痴れている。レオンハルトやヘンゲルブロック指揮のものを聴くが、二番目のソプラノの二重唱は至上の歓喜をもたらす。
 私は帰りの電車の中で、頭の中に、曲が浮かんできて、ふとバッハの神とは母なる神ではなかったのかと思ったのである。先に、バッハ家が東洋的なものに接していたことを解明した(バッハ家はハンガリー出身で、ジプシーの音楽等に接していたと考えられる。
http://ameblo.jp/renshi/entry-
10026338985.html )。
 東洋の神とは端的に、女神的である。天照大神である。西洋ならば、聖母マリアが考えられるが、バッハはプロテスタントであった。もっとも、ミサ曲はカトリック教会の典例であるラテン語ミサを用いた。以下の資料を見ると、神のgloriaが問題である。
 とりあえず、英語のgloryを見ると、天国の溢れる光と関係することがわかる。これは、仏教では、阿弥陀如来(アミターバ)や大日如来等とつながると言えよう。すると、これは、PS理論では、Media Pointにおける超越光の感受を意味するだろう。バッハは、ここにおいて交感して、作曲したのではないだろうか。
 Media Pointの神とは、何かということになるだろう。これは、確かに啓示の神につながるのではあるが、本来、共振・共感の神であろう。超越性をもつが、同時に、共振・共感的なのである。聖書の神と同じだろうか。
 そう、私は一神教の神は、Media Pointから同一性へと転化し始めた神だと考えている。純粋なMedia Pointの神ではないのである。同一性=自我に傾斜したMedia Pointの神である。
 しかしながら、バッハの場合は、同一性=自我形成以前のMedia Pointのエネルゲイアの神が本来的だと思う。つまり、東洋的、大乗仏教的だと思うのである。シュタイナーのキリスト衝動を大乗的キリスト衝動と言ったが、それに近い。しかしながら、バッハの神は単に霊的だけでなく、地上的でもあるのである。
 とまれ、バッハの神は、Media Pointの神であり、東洋的神であると考えられるのである。
 すると、問題は展開して、キリスト教の神とは何か、となるだろう。あるいは、ルター派の神は何か、となるだろう。敷延して言えば、結局、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は二重なのであると言えよう。一神教という縛りがあると同時に、Media Pointが発動しているのである。図式化すれば、Media Point⇒同一性=自我の⇒に相当するだろう。しかし、Media Pointはあらゆる宗教の大根源と考えられるから、東洋の神と見ていいはずである。そう、母なる神である。ここから、父なる神(超越神)が生まれると私は考えるのである(メルヴィルの『白鯨』の「セント・エルモの火」(?)におけるエイハブの独白を参照)。
 言い換えると、一神教とは根源的な母なる神と派生的な父なる神の混淆であるということである。そして、バッハのミューズ/神は、根源の母なる神であったということになるのである。
 では、どうして、Media Pointが母なる神、東洋の神(女神、母神)となるのか。Media Pointは大根源の神である。それは、個においては、一体感を生む神である。ディオニュソスである。神懸かり的である。シャーマニズム的である。それは、超越且つ内在である。ここにおいて、母なる神と言えるのではないだろうか。
 問題は一体感とは何なのだろうか。それは、当然、Media Pointにおける差異共振、Media共鳴の「現象」である。一神教の神学では、聖霊や天使に相当するだろう。松尾芭蕉で言えば、道祖神である。風である。風狂である。この差異共振は、交感・共感・コミュニオンである。そして、当然、多神教的である。一(いつ)且つ多である。そう、だからこそ、 Media Pointは母なる神、東洋の神なのである。


参考1:

『バッハは熱心なルター派 信者であったが、その彼がカトリック教会 の典礼 であるラテン語ミサをこれほどの規模で作曲したことを奇異とするのは必ずしもあたらない。当時のルター派の教会では、頻繁にラテン語のミサを行っており、マルティン・ルター 自身が、ルーテル教会版の「キリエ」、「グロリア・イン・エクセルシス」、「ニカイア信条」、「サンクトゥス」の使用を認めていた。また、バッハは典礼で使用するための小ミサ曲を4曲作曲している。[1] そして、ロ短調ミサ曲の「サンクトゥス」では、小さいながらも重要な改変を典礼文に行っている。すなわち、カトリック教会の典礼文では「天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria tua) とするところを、ルーテル教会版の「天と地は彼の光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra gloria ejus) としているのである。』
ミサ曲 ロ短調
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9
F%E3%82%B5%E6%9B%B2_%E3%83%
AD%E7%9F%AD%E8%AA%BF


参考2:『「ミサ曲ロ短調」は細かくいえばカトリック典礼式文 のラテン語 に2箇所のおき換え が見られる。これはバッハのライプツィヒ時代 (1723-50)の作品で、1723年5月22日にバッハは、家族を伴ってライプツィヒの聖トーマス教会内の改装なった住居に移って来た。バッハにカントル に決定するまでにライプツィヒ市参事会による難航した後任選びが行われた。というのはテーレマンTelemannドイツ(1681-1767)など多くの有名音楽家が辞退続出したからである。しかもバッハが高い評価を得ていたわけでもなかった。バッハのオルガン奏者としての評価は高いが、総合的な職務カントル (音楽監督)としての能力については疑問視されていた。バッハがなぜケーテンの高い地位から、棒給が安くて問題の多い仕事を選んだかは不思議である。だが、ライプツィヒでかなりの副収入があったともいわれている。ケーテンでは妻マグダレーナも歌手として棒給を得ていたが、ライプツィヒでは単なる主婦とならざる得なかった。大都市での生活費の高さと子だくさんのバッハ家は楽なものではない。加えて幾度も市当局や校長とのごたごたもあり、何度かライプツィヒを去ることも考えることとなる。なぜならカントルは複数の上司の支配下にあって、音楽以外にも雑務の多い地味な仕事であった。』

白鳥の歌−ミサ曲ロ短調BWV232−
バッハ芸術の総括
http://homepage2.nifty.com/pietro
/storia/bach_missa_hmoll.html


参考3:glory(OEDから)

5. In Biblical phraseology: the glory of God: the majesty and splendour attendant upon a manifestation of God.
1382 Wyclif Rom. i. 23 Thei chaungiden the glorie of God vncorruptible..in to the lyknesse of an ymage of corruptible man.
1526 Pilgr. Perf. (W. de W. 1531) 3 Moyses..made supplicacyon to god..that he wolde shewe hym his glory.
1611 Bible Ezek. ix. 3 The glory of the God of Israel was gone vp from the Cherub whereupon hee was.
168990 Temple Ess. Learning Wks. 1731 I. 299 Moses was..admitted both to see his Glory, and to learn his name, Jehovah.
6. Resplendent beauty or magnificence. Now often with suggestion of sense 5 or 7: An effulgence of light such as is associated with our conceptions of heaven; fig. an unearthly beauty attributed by imagination. Also pl., features of resplendent beauty or magnificence, splendours.
13.. E.E. Allit. P. A. 933 Loke on
e glory of ys gracious gote.
1390 Gower Conf. III. 166 To themperour in all his gloire He said: Take [etc.].
1509 Fisher Funeral Serm. Ctess Richmond Wks. (1876) 306 The kynge..was crowned in..grete tryumphe and glorye.
1585 M. W. in Jas. I Ess. Poesie (Arb.) 10 O Phbus then reioyce with glauncing glore.
1602 T. A[cherley] Massacre Money B ij, Whilst that my glory midst the clouds was hid.
1693 Aubrey Lives, Barrow (1898) I. 91 As he lay expiring..the standers-by could heare him say softly, I have seen The glories of the world.
1726 C. DAnvers Craftsm. xvi. (1727) 134 The Roll appeared encompassed with rays of glory.
1738 Wesley Psalms v. ii, None without Holiness shall see The Glories of thy Face.
1791 Mrs. Radcliffe Rom. Forest ii, Which, quickly expanding, the sun appeared in all his glory.
18036 Wordsw. Intim. Immort. ii, There hath past away a glory from the earth.
1826 Disraeli Viv. Grey ii. iv, The scarlet glories of the pyrus japonica.
1836 Emerson Nature, Beauty Wks. (Bohn) II. 146 The heavens..reflect their glory or gloom on the plains beneath.
1878 Browning La Saisiaz 10 What will be the morning glory, when at dusk thus gleams the lake?
7. a. The splendour and bliss of heaven. (Cf. F. la gloire ternelle.)
1375 Sc. Leg. Saints, Placidas 264 Quhare euir-lestand glore sal be, & eschewine of al payne.
1533 Ld. Berners Huon lvi. 190 It semed to them that they were in the glory of paradyce.
1552 Abp. Hamilton Catech. (1884) 42 The glore quhilk is promissit to the sonnis of God.
1631 Milton Epit. Marchioness Winchester 61 Thou, bright Saint, high sittst in glory.
1648 Shorter Catech. Westm. Assemb. Answ. 37 The souls of Beleevers are at their death made perfect in holiness, & do immediately pass into glory.
1732 Law Serious C. (ed. 2) 9 And strive to enter through the Strait Gate into a life of eternal Glory.
1848 A. Jameson Sacr. & Leg. Art (1850) 34 The crown is placed on the head of the maternal Virgin in glory.
b. colloq. to go to glory: to go to heaven; to die.
1814 Sailors Return i. i, Adimar was in the act of boarding, with several others, when the Dasher went to glory. Thus was he saved.
1852 Mrs. Stowe Uncle Toms C. xli, Tell her ye found me going into glory.
1884 Craddock In Tennessee Mts. i. 9 He hev been in glory twenty year.
1897 M. Kingsley W. Africa 179 Had we got caught in this, we should have..gone to glory.

2007年02月22日(Thu)▲ページの先頭へ
エウレカ!、吾人、バッハの東洋性の起源を見出せり!:バッハの祖先はハンガリー人である。
先に私は、以下にあるように、「また、バッハだが、これも勝手な想像だが、やはり、どこかで東洋文化に接しているように思うのである。」と述べたのである。そして、検索して、バッハと東洋を結びつけるものはないかと調べた見つからなかった。
 ところが、今日、渋谷のタワーレコードで、『バッハ―生涯と作品』 (文庫)
ヴェルナー フェーリクス (著), Werner Felix (原著), 杉山 好 (翻訳)
を見たら、冒頭に次のようにあったので、寒気がした。

【そして一七三五年という時点で、音楽にたずさわったバッハ一族の成員に関する浩瀚(こうかん)な系図の作成のために自ら筆を起こし、こうして尋常ならざる伝統の存在を指摘したのは、当時ライプツィヒ在住のヨーハン・ゼバスティアン・バッハその人であった。『音楽に生きるバッハ一族の起源』と題したこの家系図で、ヨーハン・ゼバスティアンは「もとハンガリーで製パン業を営んだヴィートゥス(ファイト)・バッハ」が「十六世紀にルター派(プロテスタント)信仰のゆえにハンガリーから退去せざるをえなかった」次第から説き起こして、バッハ一族に連なる五十三名の人物についての記録を残した。】p.17(強調は、renshiによる)

ハンガリーが祖先の生地である。多民族の国なので、バッハ家がいわゆるマジャール人かどうかはわからない。ドイツ系の可能性が高い。ハンガリーはよくしられたようにアジア系のマジャール人の国である。だから、大バッハは、アジアの血が入っていたか、あるいは、アジアの血に接していたのである。私がバッハ音楽に感じる東洋性の由来はこのどちらかにあると考えられるのである。
 とまれ、バッハ音楽の東洋性の起源はこれで、ほぼ確証されたであろう。

p.s. バッハの祖先がロマ(ジプシー)ならば、もっと面白い。
参照:ロマ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E

p.p.s. 同書のすぐ後に、さらに驚くべきことが書いてあった。

【・・・すなわち別義のBachないしBachen〔Pach, Pachenともいう〕は、ロートヴェルシュといわれる〔被差別者間の〕隠語やロマ語(ジプシー語)とも無縁でない遍歴楽師層の日常語の一つであって「小銭」とか、〔ロマ民族特有の〕「あごひげ」とか、「・・・に合わせて弾く」〔演奏する〕といった意味で使われるのである。そのインド・ゲルマン語原 bhagの形は、「流れ歩く」とか「流し」を意味した。テューリンゲンからフランケンへかけての村々では、一九〇〇年頃でも、流しの遍歴楽師たちがいぜんとしてBacheと呼ばれていた。こうしてバッハの家名も、本来は「小川」ではなくて、この名称で呼ばれた人々に共通の職業的機能と生態を指摘するものであったと見られる。】pp. 18~19

だとすると、バッハ家は、ジプシーの血を引いていた可能性がある。すると、ノマッドである。確かに、バッハの音楽は、差異的で、連続化を逃れる性格をもっている。とまれ、東洋性の上に、ジプシー的ノマッド性も見る必要がでてきたと言えよう。畏るべきバッハ音楽である。



参考1:

音楽の捧げもの
テーマ:クラシックCD オランダは、古楽器復興の中心地だけあり、古楽器の名演奏家が多い。

タワーレコードで、このCDに「不滅の名演」とおおげさなコピーがついていたが、少し聴いただけだが、これまで、聴いた中で、いちばんいい演奏だと思う。何か、ジャズに似たような雰囲気がある。チェンバロのRobert Kohnenが、余韻があり、かつての、レオンハルトを想起させる。フルート・トラベルソのBarthold Kuijkenが、幽玄でいい。そう、この演奏は幽玄を感じるのだ。東洋的である。私は、オランダは、ヨーロッパの東洋と思っているが、正に、その感がある。そう、わび・さびの世界である。これをどう見るのか。バッハ自体がとても東洋的だと思う。私の勝手な想像だが、戦国時代や徳川時代を通して、オランダは、日本文化を輸入して、その影響があるのではないのか。また、バッハだが、これも勝手な想像だが、やはり、どこかで東洋文化に接しているように思うのである。

参考:
「その音楽は川のせせらぎに似て、始まりもなければ、終わりもクライマックスもない。一定の時間内にドラマが起き、完成するという西洋風の思考に対し、バッハの音楽は時間の流れ、その場その場の音の世界をひたすら生み出したもの、と山田雅夫さんは「渦と水の都市学」に書かれています。時間はある目標を完成させるための手段ではなく、ただひたすらに経験すれば良いという視点は、西洋というより東洋的な感じがし、興味を持ちました。」
http://www.arcmedia.co.jp/rasen/kato/hk0008.htm
クライマックスのないバッハ
 加藤 宏之(建築家、国立音楽大学デザイン学科講師)

http://ameblo.jp/renshi/theme-10000285114.html


参考2
ハンガリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国名

正式名称はハンガリー語で Magyar Köztársaság(マジャル・ケスタールシャシャーグ)。通称 Magyarország(マジャルオルサーグ)。

公式の英語表記は Republic of Hungary、通称 Hungary。

日本語の表記は ハンガリー共和国、通称 ハンガリー。

ハンガリー語において、ハンガリー人もしくはハンガリーを指すMagyar は日本では「マジャール」と表記されることが多いが、これはおそらく英語の発音に基いた表記である。

ハンガリー語は母音の長短をはっきり区別する特性をもち、Magyar の語は全て短母音なので、ハンガリー語の発音に倣うならば「マジャル」という表記がもっとも近くなる。

歴史上では、ハンガリー王国は多民族国家であり、今日のハンガリー人のみで構成されていたわけではなかった。そのため、その他の民族とハンガリー民族を特に区別する際に「マジャル人 」という表現が用いられることがある。

国際的に用いられる、「ハンガリー」「ウンガルン」と言った呼称は、ラテン語 で「フン人 のガリア 」を意味したという説と、ハンガリー人の故地であるウラル山脈 方面で活動しハンガリー人にも文化的影響を与えた遊牧民オノグル の名が訛ったという説があり、後者の説が有力視されている。文献によっては、前者の説を誤りと断定している。

[編集 ] 歴史

詳細はハンガリーの歴史 を参照。

ハンガリーの国土はハンガリー平原 と言われる広大な平原を中心としており、古来より様々な民族が侵入し、定着してきた。

古代にはパンノニア と呼ばれたこの地域は、ローマ の属州イリュリクム、ローマ帝国 の属州パンノニアを経てゲルマン人 の激しい侵入を受け、5世紀 にはフン 、6世紀 にはアヴァール が東方からやってきて定着した。8世紀 にはアヴァールを倒したフランク王国 の支配下に移るが、9世紀 には東方から新たにやってきた遊牧民ハンガリー人に征服された。

10世紀 末に即位したハンガリー人の君主イシュトヴァーン1世 は、西暦1000年 にキリスト教 に改宗し、西ヨーロッパ カトリック 諸王国の一員であるハンガリー王国 を建国した。ハンガリー王国はやがてトランシルヴァニア 、ヴォイヴォディナ 、クロアチア 、ダルマチア などを広く支配する大国に発展する。13世紀 にはモンゴル帝国 軍の襲来を受け大きな被害を受けたが、その後の14世紀 から15世紀 頃には特に周辺の諸王国とも同君連合 を結んで中央ヨーロッパ の の強国となった。

しかし、15世紀後半からオスマン帝国 の強い圧力を受けるようになり、1526年 にモハーチの戦い に敗れて国王ラヨシュ2世 が戦死した。1541年 にブダ が陥落し、その結果、東南部と中部の3分の2をオスマン帝国、北西部の3分の1をハプスブルク家 のオーストリア によって分割支配され、両帝国のぶつかりあう最前線となった。

オスマン帝国の軍事的後退とともに1699年 のカルロヴィッツ条約 でハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアやトランシルヴァニアはオーストリアに割譲されたが、ハンガリーにとっては支配者がハプスブルク家に変わっただけであり、たびたび独立を求める運動が繰り返された。1848年 の3月革命 においてコッシュート・ラヨシュ が指導した独立運動こそロシア帝国 軍の介入により失敗したが、オーストリア側は民族独立運動を抑えるためにハンガリー人との妥協を決断し、1867年 にアウスグライヒ (和協)が結ばれた。これによりハプスブルク家がオーストリア帝国とハンガリー王国で二重君主として君臨し、両国は外交などを除いて別々の政府を持って連合するオーストリア・ハンガリー帝国 となった。
トリアノン条約前のハンガリーの国土(1920年) 黒枠が現在のハンガリー。国内の民族分布を色彩で表した。マジャル人(赤)、ドイツ人(黄色)、ルーマニア人(青)、セルビア人(薄緑)、クロアチア人(緑)、スロヴェニア人(紫)、スロヴァキア人(橙)、ウクライナ人(茶)
トリアノン条約前のハンガリーの国土(1920年) 黒枠が現在のハンガリー。国内の民族分布を色彩で表した。マジャル人(赤)、ドイツ人(黄色)、ルーマニア人(青)、セルビア人(薄緑)、クロアチア人(緑)、スロヴェニア人(紫)、スロヴァキア人(橙)、ウクライナ人(茶)

オーストリア・ハンガリーのもとハンガリーでは資本主義 経済が発展し、ナショナリズム が高揚したが、第一次世界大戦 で敗戦国となり、オーストリアと分離された。戦後の1920年 に結ばれたトリアノン条約 によりハンガリーはトランシルヴァニアなど二重帝国時代の王国領のうちの面積で72%、人口で64%を失い、ハンガリー人の全人口の半数ほどがハンガリーの国外に取り残された。

戦間期のハンガリー王国では、ハプスブルク家に代わる国王が選出されないまま、ホルティ・ミクローシュ が摂政 として君臨したが、領土を失った反動から次第に右傾化した。第二次世界大戦 では失地回復を目指して枢軸国 側について敗戦、ソビエト連邦 に占領された。

戦後のハンガリーはソ連の影響下のもと共産主義国 ハンガリー人民共和国として再出発し、冷戦 体制の中で東側の共産圏に属した。しかしソ連に対する反発も根強く、1956年 にはハンガリー動乱 が起こるが、ソ連に鎮圧されてしまった。

1980年代 末になると冷戦終結の機運とともに共産党(社会主義者労働党 )独裁の限界が明らかとなり、1989年 にハンガリーは一党独裁を放棄して平和裏に体制を転換、憲法 を改正して国名をハンガリー共和国とし、ハンガリーの民主化 鉄のカーテン 」を撤去し、国境を開放した。これによりハンガリー国内に西ドイツ への亡命を求める東ドイツ 市民がハンガリー国内に殺到、汎ヨーロッパ・ピクニック を引き起こし、冷戦を終結させる大きな引き金となった。 が進められた。同年5月、ハンガリーは西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網「

1990年代 のハンガリーはヨーロッパ 社会の復帰を目指して改革開放を進め、1999年 に北大西洋条約機構 (NATO)、2004年 に欧州連合 (EU)に加盟した。
国会議事堂(ブダペスト)
国会議事堂(ブダペスト)


国民

ハンガリーとその周辺は、独特の豊かな文化 をもった様々な民族 が居住していることが19世紀 以来よく知られている。

ハンガリー共和国の国民の95%以上はハンガリー人である。ハンガリー人はフィン・ウゴル語族 のハンガリー語 を母語 ウラル山脈 の方面から移ってきた歴史 をもつため、「アジア系民族 」と紹介されることもある。その文法構造のため、ハンガリー国民の人名は正式に表記した際に姓 が名の前につく、ヨーロッパ で唯一の国民である。 とし、

ハンガリー人は旧ハンガリー王国 領に広まって居住していたため、セルビア のヴォイヴォディナ 、クロアチア 北部、スロバキア 南部、ルーマニア のトランシルヴァニア などにもかなりのハンガリー人人口 が残る。また、ハンガリー人の中にはモルダヴィア のチャーンゴー 、トランシルヴァニアのセーケイ や、ハンガリー共和国領内のヤース 、マチョー 、クン 、パローツ などの個性的な文化をもつサブ・グループが知られるが、ヤース人がアラン人 の末裔、クン人がクマン人 の末裔であることが知られるように、これらは様々な出自をもち、ハンガリー王国に移住してハンガリーに部分的に同化されていった人々である。

その他の民族では、ロマ (ジプシー)とドイツ人 がある程度の数が知られる。ハンガリーのロマは個性的な民族文化で知られる。また、ドイツ人は東方植民地運動 の一環としてハンガリー王国に移り住んできた人々の子孫で、トランシルヴァニア のサース人(ザクセン人 )やスロヴァキア のツィプス・ドイツ人 のようにハンガリー王国の中で独自の民族共同体を築いた人々もいる。

その他の民族では、ルテニア人 (ウクライナ人 )、チェコ人 、クロアチア人 、ルーマニア人 などもいるが、いずれもごく少数である。第二次世界大戦 以前には、ユダヤ人 人口もかなりの数にのぼったが、アメリカ合衆国 やイスラエル に移住していった人が多い。

言語 的には、ハンガリー語 が優勢で、少数民族 のほとんどもハンガリー語を話し、ハンガリー語人口は98%にのぼる。

宗教 はカトリック (67.5%)が多数を占め、カルヴァン派 もかなりの数にのぼる (20%)。その他ルター派 (5%)やユダヤ教 (0.2%) も少数ながら存在する。

[編集 ] 文化

ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化で有名で、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団 (有名なものとしてはロマ)を担い手とする民族音楽は有名である(詳細はハンガリーの音楽 を参照)。

また、リスト・フェレンツ (フランツ・リスト)、コダーイ・ゾルターン 、バルトーク・ベーラ など多数の著名なクラシック音楽 の作曲家 も輩出した。彼らの中には多様な民族音楽 にインスピレーションを受けて作曲を行った音楽家も多い。

また、ハンガリー国内にはユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産が6件ある。さらにオーストリアとにまたがって1件の文化遺産が、スロバキアとにまたがって1件の自然遺産が登録されている。詳細は、ハンガリーの世界遺産 を参照。



参考3

マジャル人

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3
%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%8
3%AB%E4%BA%BA




2007年01月20日(Sat)▲ページの先頭へ
マイルス・デイヴィスの演奏:脱同一性化と差異と差異共振シナジー
私はジャズには疎いが、今日(昨日)、渋谷のタワーレコードで、マイルス・デイヴィスの1967年のヨーロッパ・ツゥアでの、クゥインテットの演奏のDVDがモニターに出ていた。
 直感では、見事な演奏であった。昔は、マイルスの音楽はピンと来なかったが。
 思うに、彼の演奏は、差異様態であると思った。それも、不連続的差異の様態音楽であると思った。以前、シューベルトの音楽を分析したとき、不連続的差異論を適用したものであるが、それとは、異なる、不連続的差異の様態であると思う。ここで、図式化すると、

差異1/差異2/差異3/・・・/差異n

のイデア界がある。そして、これらが、即非態化して、イデア・メディア界となる。即ち、

差異1☯差異2☯差異3☯・・・☯差異n

である。ここで、連続的同一性化を考えると、それは、

差異1=同一性1=差異2=同一性2=差異3=同一性3・・・=差異n(=同一性n)

となる。そして、同一性を独立させて、

同一性1→同一性2→同一性3→・・・→同一性n

となる。これが、私が思うに、古典的音楽である。モーツァルトの音楽である。ここには、連続性の規則・調和が支配しているのである。メロディーであれ、リズムであれ、和声であれ。しかし、マイルスの音楽は、例えば、以下のような感じに思える。

同一性1→差異1→同一性2→差異2→・・・→同一性n→差異n

音の進行が脱同一性化をもたらし、差異(不連続的差異、特異性)を示唆的に浮き上がらせるのである。これは、不連続的差異論的分析である。プラトニック・シナジー理論的にはどうなるのか。
 これは簡単である。即ち、

差異1*差異2*差異3*・・・*差異n

と差異を共振化するのである。同一性から解き放たれた差異が、共振シナジー化するのである。これが、マイルス・デイヴィスのジャズ音楽の秘密ではないだろうか。

_________________________________

マイルス・デイヴィス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
Miles Davis
基本情報
本名 Miles Dewey Davis III
生年月日 1926年 5月25日
イリノイ州オールトン
死没地・日 1991年 9月28日
ニューヨーク州ニューヨーク
ジャンル ジャズ , フュージョン
職業 バンドリーダー , 作曲家
担当楽器 トランペット , フリューゲルホーン , オルガン
活動期間 1944-1991
レーベル プレスティッジ 、CBS
公式サイト http://www.milesdavis.com/

マイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926年 5月26日 - 1991年 9月28日 )は、ジャズ のトランペット 奏者。アメリカ のイリノイ州 アルトン生まれ。翌年にイーストセントルイス へ転居。

父は歯科医であったため、マイルス自身は他のジャズプレイヤーよりとても裕福な環境で育った。母は音楽の教師をしており、その影響で10代の頃からトランペットに興味を持ち演奏練習をしていた。

高校時代に地元ではジャズバンドを結成、セントルイスでは大人とのバンドで活躍していた。当時のセントルイスには黒人労働者居住区が多く、ジャズライブが定期的に行われていた。そのためマイルスは多数のジャズプレイヤーを見て学んでいた。

18歳のある日にマイルスは、セントルイスにチャーリー・パーカー が演奏しに来たとき偶然にもチャーリーとの演奏を果たした。彼はその後直ぐにニューヨーク に上京しジュリアード音楽院 に入学。後パーカーのバンドに加わる事となった。


目次
[非表示 ]

* 1 来歴
* 2 バンド・メンバーの変遷
* 3 ディスコグラフィ
o 3.1 Capitol
o 3.2 Prestige
o 3.3 CBS
o 3.4 Warner Bros.
o 3.5 映画音楽
* 4 外部リンク


[編集 ] 来歴

アルバム「カインド・オブ・ブルー」などで知られる、モダン・ジャズ の旗手。テクニックに頼らない、適材適所の感情豊かなプレイを実践した一方、その後のリーダーアルバムやステージでも、セッションメンバーにそういった演奏を常に求め、かつアンサンブル も重視した。

チャーリー・パーカー の元でのビー・バップ からキャリアははじまり、ソロとして独立してからのクール・ジャズ 、その後のハード・バップ 、モード 重視のアドリブ プレイ(モード・ジャズ )、フリー・ジャズ の分野などと、自ら築き上げた音楽スタイルを変化させながら、常にジャズ界をリードしてきた。

後にはエレクトリック楽器を導入し、特に1980年代 のステージでは、トランペットとシンセサイザー の双方もプレイする。音楽的には、ハードロック やソウルミュージック 、フュージョン の要素を取り入れた時期もあり、晩年には、ラップ も取り入れた。セッションに参加したメンバーも後に次々に成功し、それぞれもまたジャズ界やフュージョン界をリードしていくようなプレイヤーに成長していったことでも有名。

マイルスのトランペットのプレイのおおまかな特長としては、ミュートすることはあっても、ビブラートをあまりかけず、速い演奏などといったテクニックにはあまり頼らないことがあげられる。後には、無駄な音を一切出さないといった方向性にも繋がっていき、メンバーにもそういった方向性を暗黙に求めた。楽曲上の主な特徴は、初期においては、テーマの後、それぞれが順にソロ演奏を行い、その間バックアップとして呼応したり煽る事はあっても、アドリブ演奏を同時に二つ以上ぶつけることはせず、その後、再びテーマに戻って終わるといった、ジャズでの典型的なものである。フリージャズの時代以降は、テーマに戻らずに終了する作品も見られる。

スタジオ盤に於いては、収録時間の関係上、編集でカットされたり、つなぎ合わすことが多かったが、音を差し替えることはなかった。ステージに於いては、他のミュージシャンにもいえるが、スタジオ収録の新作曲や最先端の音の披露よりも、その時の楽器編成で有名な曲を演奏する事が多かった。

また、クラシックなどのアレンジも研究し、クールジャズや後の完全にアレンジされたジャズにおいて、その成果が発揮された。ブルースにはじまり、ロック 世代のギタリスト や、晩年にはヒップホップ のビート やラップ なども取り入れるなど、ジャズの範囲ばかりではなく、様々な民族音楽や目立ったミュージシャンもマークしていたともいわれている。

マイルスはアメリカにおける人種差別問題には常に批判的であった。しかし、音楽性の追求のためには人種は関係ないというスタンスを貫き通した。第一期クインテット時代に、一時的にビル・エバンス をバンド・メンバーに迎え入れた時に、当時の主なマイルス音楽のリスナーだった黒人層からは多くの批判が浴びせられたと伝えられているが、当時のマイルスは「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ!」と豪語したと伝えられている。(ただ、ビル・エバンスは音楽的には大きな貢献をしたものの、一年程度の在籍ののち白人バッシングに耐えきれずにバンドを去ることになったと言われている。)同様に、唯一のアジア系人種として、ピアニストのケイ赤城 が1989年 から2年間、日本人としては最初にしてただ一人レギュラーメンバーとして活躍した。その他に世界的なジャズギタリストである渡辺香津美 や、日本屈指のベテランのドラマー村上ポンタ秀一 も、マイルス側からオファーを受けていたという事実がある。

若い頃の薬物中毒からの克服、後年のブランク(休息)期間を経ての晩年の活動期間など、終始、ジャズ界だけに収まりきらない影響を与え続けてきた。

[編集 ] バンド・メンバーの変遷

* 第一期クインテット(1955〜1963)
o ジョン・コルトレーン (サックス)
o キャノンボール・アダレイ (サックス)
o レッド・ガーランド (ピアノ)
o ポール・チェンバース (ベース)
o フィリー・ジョー・ジョーンズ (ドラム)
o ビル・エヴァンス (ピアノ)
o ウィントン・ケリー (ピアノ)
o ジミー・コブ (ドラム)

* 第二期クインテット(1963−1968)
o ウェイン・ショーター (サックス)
o ハービー・ハンコック (ピアノ)
o ロン・カーター (ベース)
o トニー・ウィリアムス (ドラム)
o ジョージ・コールマン (サックス)

* エレクトリック初期=ロスト・クインテット時代(1969〜1971)
o ウェイン・ショーター (サックス)
o チック・コリア (キーボード)
o デイブ・ホランド (ベース)
o ジャック・ディジョネット (ドラム)

* エレクトリック前期(1971〜1973)
o ゲイリー・バーツ (サックス)
o スティーブ・グロスマン (サックス)
o キース・ジャレット (キーボード)
o マイケル・ヘンダ−ソン (ベース)
o アル・フォスター (ドラム)
o アイアート・モレイラ (パーカッション)
o ドン・アライアス (パーカッション)
o レオン・ンドゥグ・チャンスラー (ドラム)

* エレクトリック中期(1973〜1974)
o デイブ・リーブマン (サックス)
o レジー・ルーカス (ギター)
o ピート・コージー (ギター)
o マイケル・ヘンダ−ソン (ベース)
o アル・フォスター (ドラム)
o ムトゥーメ (パーカッション)
o カルロス・ガーネット (サックス)
o カリル・バラクリシュナ (シタール)
o バダル・ロイ (タブラ)

* エレクトリック後期(1975〜1976)
o ソニー・フォーチュン (サックス)
o レジー・ルーカス (ギター)
o ピート・コージー (ギター)
o マイケル・ヘンダ−ソン (ベース)
o アル・フォスター (ドラム)
o ムトゥーメ (パーカッション)
o サム・モリソン (サックス)

* カムバック後 前期(1981〜1984)
o ビル・エヴァンス (サックス)(第1期のピアノとは別人)
o マイク・スターン (ギター)
o マーカス・ミラー (ベース)
o アル・フォスター (ドラム)
o ミノ・シネル (パーカッション)

* カムバック後 中期(1984〜1986)
o ボブ・バーグ (サックス)
o ジョン・スコフィールド (ギター)
o ロバート・アーヴィング (キーボード)
o ダリル・ジョーンズ (ベース)
o ヴィンセント・ウィルバーン (ドラム)
o スティーブ・ソートン (パーカッション)
o ロベン・フォード (ギター)

* カムバック後 後期(1987〜1991)
o ケニー・ギャレット (サックス)
o ジョセフ・フォーリー・マクレアリー (ギター)
o アダム・ホルツマン (キーボード)
o ケイ・赤城 (キーボード)
o ジョーイ・デフランセスコ (キーボード)
o ベニー・リートベルト (ベース)
o リッキー・ウェルマン (ドラム)
o マリリン・マズ−ル (パーカッション)
o ムニュンゴ・ジャクソン (パーカッション)

* ラスト・バンド(1991)
o ケニー・ギャレット (サックス)
o ジョセフ・フォーリー・マクレアリー (ギター)
o デロン・ジョンソン (キーボード)
o リチャード・パターソン (ベース)
o リッキー・ウェルマン (ドラム)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%8
3%9E%E3%82%A4%E3%83%AB
%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%
83%87%E3%82%A4%E3%8
3%B4%E3%82%A3%E3%82%B9



2006年11月12日(Sun)▲ページの先頭へ
バッハのカンタータを聴いている:フランドルとメディア生活空間
収納されていたCDをたまたま取り出して、バッハのカンタータを聴いている。
"Aus der Tiefen rufe ich, Herr, zu dir" BWV131 フィリップ・ヘレヴェッへ指揮、コレギウム・ヴォカーレの演奏である。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00002ZZ57
/sr=1-2/qid=1163315644/ref=sr_1_2/249-9325302
-2790723?ie=UTF8&s=music
Collegium Vocale Ghent (Orchestre) であるから、ベルギーの楽団である。
 とまれ、古楽器の、上質の、上品な、やわらかな、暖かな、トーンで、好演である。平和な、楽園の世界である。いわゆる、現実の荒廃し切った世界とは、正反対である。まぁ、自殺者が出るのも、ある意味では、当然である。また、ヒーリング等が流行るのもわかる。
 どうして、こんな殺伐荒廃した世界になってしまったのだろうか。小泉政権となって、日本は、活気がなくなり、荒廃したように思えるのである。金の亡者が、作り出した世界である。金、金、金、金、金、金、・・・。
 ところで、今、私にとって、いちばん、本質と思えるのは、不思議なことに、実家の田舎の地域の海に注ぐ川土手の道の光景である。別に何もないのだが、その光、川面、緑の木立、潮の空気、等々、これらである。それらが、エッセンシャルである。そう、正に、地霊コスモスである。日本の自然メディア空間である。これが、私にとって本質であり、実体である。後は、空無、夢幻のようなものである。ちょうど、シェイクスピアの晩年の『嵐(テンペスト)』の終りの言葉に似ている。ヒンドゥー教・仏教的である。空であるが、空の背後にある本質界があるのである。私の場合は、自然である。自然的超越性、自然的メディア空間である。
 近代日本、現代東京には、これらが、まったく欠落しているのである。だから、殺伐荒廃しているのである。日本の地霊・神である自然メディア空間を喪失しているのである。これを、復活させないと日本は、精神砂漠、精神飢渇飢餓で、衰亡するだろう。
 とまれ、一言で言えば、近代主義によって、日本は、精神的窒息状態なのである。精神的死に体、生ける屍である。
 
 バッハにもどると、ベルギーの楽団で、やはり、独特の親密な雰囲気をもっている。精神の雰囲気である。静謐さ、なにかフェルメールのような落ち着いたトーンである。地についた生活。直観で言えば、フランドルには、生活に、メディア空間があるのである。フッサールの言う生活世界があるのである。近代を超えた普遍的なメディア空間が生活・現象界に息づいているのである。メディア生活空間と言ってもいいだろう。


   




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