INNOVATION OF PHILOSOPHY: GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience/一覧

GP陰陽哲理学 Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience:思えば、2004年9月「海舌」氏とブログ上で遭遇し、不連続的差異論が誕生しました。その後、仮説・理論は紆余曲折的に変転しました。現時点2015年では理論名はGP陰陽哲理学です。




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2015年08月02日(Sun)▲ページの先頭へ
氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか
氣波動と氣粒子:氣光子があるのではないだろうか

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

氣は思うに、気体より、液体のイメージの方がいいのではないだろうかというようなことを思ったりする。
 でも、これはおいておこう。
思ったのは、氣波動・氣振動が虚軸において、存する。いわば、虚界である。内超界である。
 そして、それが、MP(media point)で次元転換して、氣粒子になるのではないだろうか。そう、氣原子と言っていいかもしれない。あるいは、氣量子である。
 そして、太陽光とは、単なる光子ではなく、氣光子からできているのではないだろうか。これが、人間のココロに歓喜をもたらすのではないだろうか。光は氣光ということになる。
 もっとも、これは既述であるが。
 そう、氣光子ないし氣粒子は、物質科学的には、光子や量子として、観察されて、それ自体は検出されないのである。
 ここが大きな問題である。
 氣自体は観測されないのである。
しかしながら、太陽光と人工照明に拠る違いは明らかだろう。たとえば、植物の生育を見ればわかるだろう。
 光合成のシステムには、氣光子、氣粒子がはたらいているのではないだろうか。
 そう、生命は陰陽共振が原点である。もっとも、陽主導と陰主導があり、後者が陰陽共振である。
 この陰陽共振に氣光子、氣粒子が調和的に作用して、植物はよりエネルギーを得て、成長するということではないだろうか。
 不思議なのは、光合成細菌は放射性物質を好むということである。
 思うに、一般の生命界が成立する以前に、細菌と放射性物質の前生命界があったのではないだろうか。
 そして、その前生命界を抑圧するようにして、通常の生命界が誕生したということなのか。
 とまれ、物質科学・技術は、いわば、この前生命界を呼び戻してしまったということかもしれない。
 
追記:氣光子、氣粒子は、別名、生命子、生命粒子とでも言えよう。
 詩人や芸術家が直観で捉えた生命とは、これらのことではないか。
 自然とココロで共鳴することで、生命子、生命粒子は活性化し、若返るように思える。
 都会はこの生命子がないということになる。灰色ジャングルで、生命脈動がないのである。
 それにしても、物質科学・技術と人間の精神が分離してしまったのは、大問題である。
 前者のタームでは、後者を捉えられないし、後者のタームを前者は非科学と見るのである。
 共通言語がないのである。
 後で、架橋について考えたい。

追記2:氣光子という考え方から、逆に、氣暗子というものがあるのではないだろうか。これは、前者が⇒+1であるのに対して、⇒−1である。
 ダークマターやダークエネルギーと結びつけられるかもしれない。
 以下の図で、−1(重力)を氣暗子、ダークマター等と想定するのである。そうならば、宇宙は陰より陽が主導的であるということになるのである。陽は闇を作るのである。
 
 
            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面


2015年07月26日(Sun)▲ページの先頭へ
父権自我力学分析:同一性自我(陽自我)×感情欲望身体(陰自我):陽陰両自我の融合
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12054764338.html

父権自我力学分析:同一性自我(陽自我)×感情欲望身体(陰自我):陽陰両自我の融合

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

現代の日本の女性の多くは父権化していて、ココロが欠落している。
 とまれ、父権自我の解明を再確認したい。
 精神は自我体+感情欲望体(アストラル体)、言い換えると、陽自我+陰自我、シュタイナー悪魔論的には、アーリマン+ルシファーの二元論ないし極性論である。
 簡潔にするため、陽自我と陰自我で説明したい。
 陽自我は、同一性自我であり、単独の一へと志向する。つまり、唯一化、「唯一神」化である。物質的には、原子核へと中心化する志向と言えるだろう。
 それに対して、陰自我は、感情欲望自我、あるいは、拡散志向自我、宇宙大自我である。物質的には、原子の電子の志向である。そう、陽自我の極力を向心力、陰自我の極力を遠心力と言うこともできよう。中心化力と脱中心化力である。集中と発散である。【この陰陽の様態については、桜沢如一〔ゆきかず〕氏の『無双原理:易』から得た。

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 そう、注目すべきことは、「東洋的」、「アジア」的小説家D. H. ロレンスは独特の評論『無意識の幻想Fantasia of the Unconscious』でほぼ同様のことを述べているのである。
 宇宙と一体としての太陽神経叢(肚)と宇宙とは別個としての独一としての腰椎神経節(間違っているかもしれない)である。
 前者が陰自我であり、後者が陽自我である。

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さて、父権自我であるが、それは、当然、陽自我に傾斜しているのである。
 だから、同一性主義、自己中心化主義、唯一主義に向うのである。
 だから、陰自我、感情欲望体、差異・他者に対して、同一性を押し付けるのである。つまり、同一性によって、陰自我、感情欲望体、差異・他者を支配するのである。
 ここで、陽自我は陰自我に同一性を刻印して、取り込むのである。それは、同一性的一体化・一致・一元化と言っていいだろう。
 そう、陽自我は同一性によって、陰自我と融合するのである。
 これは、陽自我の意識においては、二元論的であるが、実際は、同一性主義であり、一元論である。
 さて、陽自我に同一性を刻印され、支配された陰自我であるが、これは、それ独自の力学をもっているから、陽自我にいわば復讐するのである。つまり、反動化するのである。
 そう、陰自我はわかりやすく言えば、大宇宙である。森羅万象である。コスモスである。
 それが、陽自我の同一性的一元的支配に反抗するのである。
 では、その様態はというと、それは、情動・欲動・衝動(・狂気)となるのである。無意識の衝動である。ニーチェで言えば、ディオニュソスである。
 ここで簡単に作図しよう。

陽自我・・・同一性、中心化、唯一・独一化
      ↓ ↓ ↓
      ↓ ↓ ↓
      ↓ ↓ ↓
・・・・・・・・↓ ↓ ↓・・・・・・・意識の縁・境界
      ↓ ↓ ↓ 
      ↑ ↑ ↑(反抗、復讐、反動)
      ↑ ↑ ↑
陰自我・・・感情欲望、差異・他者、大宇宙


(追記:ココロの領域を記していない。ココロは意識の縁・境界に形成されていくと考えられる。後ほど、ココロ形成の力学と図を書いてみたい。)

陰自我の↑ ↑ ↑は、陽自我に対する反抗、復讐、反動である。反射とも言える。
 ついでに言えば、二重人格はこの陽自我力学から生まれると言えようし、また、陰自我の反動が過剰になる場合、精神の病も生まれよう。
 以上で父権自我の基礎構造を説明した。
 では、今日におけるハイパーな父権自我、タイトな父権自我の様態を考えてみよう。
 父権自我の意識において、陰自我は否定・抑圧・排除されているのである。そうすると、陰自我は別人格となり、陽自我、父権自我を動かすのである。
 端的に、陽自我、父権自我の知性を狂わすのである。陰自我の盲目の衝動が発動・発現・発露して、陽自我の知を混濁させるのである。
 知性は本来、陽自我と陰自我のバランスのココロと繋がっている。しかし、陽自我がハイパーになると、陰自我やココロを排除するので、自我のもつ観念は、知性から逸脱し、妄想・倒錯・狂気化するのである。
 しかし、父権自我自身はそれに気付かないのである。
 そう、ハイパーな父権自我は、差異・他者を否定・抑圧・排除するので、外的差異・他者を否定・抑圧・排除する情動・衝動・欲動をに支配されるのである。
 これは発作的である。病理的である。当然、暴力・破壊・殺意が入ってくるのである。
 これが、現代日本の社会心理状況と考えられる。
 そう、これに放射能の脳障害や身体障害が入るので、途方もない暴力・狂気・殺意が生じるのである。
 最後にタイトルに、陽自我×陰自我というように掛け算を入れたが、陽自我の同一性志向の掛け算ということである。つまり、陰自我否定的掛け算、つまり、マイナスが入る掛け算である。
 それに対し、陰自我は優勢であると、つまり、母権自我の場合、プラスの掛け算である。
 前者は物質的力であり、後者は生命的力と言えよう。


2015年07月25日(Sat)▲ページの先頭へ
日本文化の最大の欠陥は主語なき日本語にあるのでは?
日本文化の最大の欠陥は主語なき日本語にあるのでは?

テーマ:日本亡国の凶相:黙示録日本

先に、主語subjectは主体subjectであり、主語なき言語は主体なき言語ではないかと述べた。
 自我はあるのであるが。
 主語=主体が対象=他者object or othersにはたらきかけるのであり、ここで、主語=主体と対象=他者の対極があるのである。
 しかし、主語=主体がない場合、対象=他者はどうなるのか。
 おそらく、自我と対象の未分化の一体性があるのではないだろうか。
 日本人の場合、自我と対象(他者)の区別があいまいのであり、未分化ではないだろうか。
 これでは、主体と対象を区別する科学は成立しないのではないだろか。
 そう、自我と対象(他者)の未分化あいまいな関係があるのであり、主体ないし個、さらに、他者が成立していないのではないだろうか。
 私は日本語に愛着をもってきたが、最近は、時代遅れ、時代錯誤の言語の可能性があるように思えている。

追記:
 主語=主体と対象=他者の相互関係において、主語=主体の精神において、ココロの端緒が発生するのではないだろうか。
 つまり、主語=主体とは異質なものとしての対象=他者があり、そこで、主語=主体は自我に抑制をかけると思われる。
 この自我抑制において、ココロの端緒や領域が発生すると思われるのである。
 問題は、主語=主体における感情・欲望である。
 しかし、自我の抑制は、自我の観念と同時に、自我の感情・欲望へ抑制ということではないだろうか。
 日本の「科学」が出鱈目で、妄想・妄念的なのは、以上から説明できるのではないだろうか。


2015年07月22日(Wed)▲ページの先頭へ
氣とDNA
氣とDNA

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

豆乳ヨーグルトの多食は先に述べたように、別人のように活力をもたらす。
 思うに、氣と免疫力はどう関係しているのか。
今は、氣とDNAの関係について予備考察したい。
 直観では、陰陽対(つい)とDNAの塩基の相関が考えられる。
陰陽ガウス平面を観ていただきたい。

**************************


            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。
 ハイデッガー哲学の存在は、この⇒と見るのが適切かもしれない。おそらく、時間が⇒である。

***************************

虚軸の陽凸iと陰凹iの陰陽対が次元転換して、実軸の+1と−1の対に転換すると考えられるのである。
 DNAの塩基対は実軸に存すると言えよう。
 (そして、放射能はこの実軸のDNAを破壊し、生命更新を損なうのである。)
 問題はこの次元転換の力学事象である。
 実軸のDNAが放射能によって破壊されたとき、当然、生命が破壊されるが、虚軸の陰陽対(生命氣対)は、破壊されないはずである。
 豆乳ヨーグルトの乳酸菌は、実軸のDNAの保護すると考えられる。
 当然、元気になるのである。
 では、虚軸の陰陽対氣はどうなっているのか。
上図において、陰陽方程式は凸i*凹i⇒±1となっているが、実は、これは、簡略化したものである。本来は、凸i*凹i⇔±1である。つまり、両辺の相関性があるのである。
 だから、実軸において、つまり、DNAにおいて、たとえば、乳酸菌によって免疫強化された場合、それは、左辺へと関係するのである。つまり、虚軸の陰陽氣対が影響されて、氣が強化されるということのように思えるのである。
 つまり、乳酸菌による免疫力強化とは、氣の強化、つまり、生命力の強化になると考えられるのである。
 私が豆乳ヨーグルトの多食により、別人のような活力を獲得したことは、これで説明がつくのではないだろうか。
 今は簡単であるが、ここで留める。


2015年07月18日(Sat)▲ページの先頭へ
弁証法と陰陽極立原理
検討問題:弁証法と陰陽極立原理

テーマ:GP陰陽哲理学(ガウス平面陰陽哲理学)

私はこれまで、弁証法、とりわけヘーゲル弁証法を批判的に捉えてきたが、つい最近、弁証法で説明が可能なものもあるとわかった(後記:以下でわかるように、これは間違いであった)。
 これまでの私の観方と齟齬を来すので、検討したい。
 今は詳論できないので、簡単に指摘するに留める。
たとえば、Aさんが、「私は昼が好きである」と言う。それに対して、Bさんが、「私は夜が好きである」と言う。
 昼が正・テーゼ、夜が反・アンチテーゼ、すると、黄昏、夜明け(英語のtwilight〔薄明〕がぴったしの言葉である)が合・ジンテーゼになるだろう。
 そう、私が気にしていたのは、弁証法のマルクス的変形、即ち、唯物弁証法である。それは、正反合の合において、正が新たに復活するというような内容である。
 しかし、それは弁証法の歪曲である。あくまでも、合は正と反との結合・統合でなくてはならないのであり、合において、新たに正が復活するというのは、反の否定であり、それは、合ではなく、新正に過ぎない。それは、偽弁証法である。
 マルクスの共産主義の弁証法はそのようなものである。初めに、原始共産主義(正)があり、次ぎに、資本主義(反)があり、そして、共産主義が資本主義を止揚・揚棄aufhebenする(合)というものである。
 しかし、当然、ここでは、資本主義(反)が否定されて、合に入っていないのである。これは、弁証法ではなく、二項対立主義である。マルクスの唯物弁証法は偽弁証法であり、端的に、二項対立主義なのである。
 しかしながら、このような二項対立性はヘーゲル弁証法にあったのではないか。
 ヘーゲル弁証法はざっと言えば、精神(正)⇒物質(反)⇒物質形式(形相)をもった新精神(合)である。
 確かに、物質形式を含むという点では合の作用をもつ。しかし、精神(正)が回帰するのであり、合本来の正と反の共立性が成立するのではないのである。正と反の共立性とは端的に、陰陽極性、陰陽氣一性のことと考えられるのである。
 以上で、簡単であるが、弁証法批判を行なった。だから、上記の昼と夜の「弁証法」は、昼と夜の陰陽極立性とでも言うべきものである。

後記:弁証法、とりわけ、ヘーゲル弁証法であるが、それは、陰陽共立原理であると同時に二項対立を含んでいると言える。それは、これまで私が述べてきたではあるが。
 弁証法というタームは確かに今でも有効ではあるが、二項対立を内包しているので、批判的使用すべきである。
 思うに、対極弁証法、陰陽弁証法と呼ぶのが、適切である。


構造主義革命:今更ではなく、本当の知的革命・進化だ
テーマ:哲学:叡知学、哲理学、哲科学

うっかり忘れるところだったが、構造主義のシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の区別が浮んだ。
 思うに、これは、「モダニズム」の二つの様相ではないだろうか。
 ここで構造主義言語学の用語を使うと、シニフィアンとは、たとえば、「政府」を「凄腐」というような表記する場合の「凄腐」である。
 シニフィエとは、この場合、端的に国制である。
 「モダニズム」、これは、ポスト・モダンないしトランス・モダンとか言えよう。
 とまれ、二つの様態があるのである。
 しかし、どちらが根本かと言うと、後者ではないかと思う。
たとえば、「豆腐」を考えた場合、シニフィアン派は、私がよくするように、「頭腑」というような表記を考えるだろう。
 これはそれなりに、「滑稽」であるが、実際的ではない。
 「豆腐」のシニフィエ、つまり、本質を理解することがもっとも重要と考えられる。
 「モダニズム」はシニフィアン中心に進展し、シニフィエの本質を看過したということではないだろうか。
 簡単であるが、筆者なりに極めて重要な哲学的問題点を指摘しておく。

追記:「豆腐」のシニフィエについて、説明が必要である。
 視点を変えて、たとえば、「森」を考えたい。
森の「シニフィエ」とは、実は、氣になるのである。氣精心、氣身体となるのである。
 「モダニズム」は、この点を排除しているのである。



父権自我(陽自我)と知性・ココロ・理性
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

東海アマ氏の記事は311以前から、HPで読んでいた。
直観的洞察力というべきもの、また、倫理感をもっている。
しかし、自己認識を過信・盲信する傾向がある(追記:端的に、短絡的ということである)。地震予知や以下にあるような韓国人批判等においてである。
 とまれ、今考察したいのはそのことではなく、『「他人を見下したい」とする自尊心』についてである。
このような性質をもつ自我は父権自我であると考えられる
 これまで数え切れないくらい述べたように、父権自我は陽自我であり、同一性主義自我である。言い換えると、二項対立、優劣志向をもつ自我である。
 復習をしよう。
 陰陽氣精心(氣精芯)、又は、陰陽精神において、陽とは同一性志向であり、中心化志向、唯一化志向をもつ。
 それに対して、陰は非同一性志向、他者志向、脱中心化志向をもつ。
 この正反対な性質をもつ陰と陽によって一体化しているのが、陰陽氣である。
 これは、鈴木大拙氏の即非の論理と通じるものである。否、陰陽極性とは即非の論理であると言っていいのである。
 さて、父権自我=陽自我は自我同一性中心主義であり、他者を排除する。極論すれば、独我・唯我論である。
 父権陽自我は、「我は同一性知識をもっている。故に、知っている。故に、真理であり、賢い。」というような様相をもつだろう。
だから、「我は正しい。我は倫理・道徳・道である。」というように展開する。端的に、独善論である。
 とまれ、そのような視点を父権・陽自我はもつと考えられる。
故に、自我は優位であり、他者は劣位である。「我は優れているのであり、他者は劣っているのである。」これは、埴谷雄高氏が批判した自同律である。某国の首相の言う「私は首相だから、正しい」というような発想と共通である。
 結局、何が言いたいのかと言うと、父権・陽自我は、自己中心に他者を破壊するということである。
 日本では父権民族が支配してしまった。
 今は余裕がないので、簡単に言うと、

続き:

結局、父権自我、陽自我は同一性自我であり、他者を同一性化するのである。ここには他者としての他者はない。
 本記事の問題点は、父権自我と知性の問題であり、これは先に述べたが、さらに深めたい。
 端的に言えば、父権自我は知性というより、知識を得るのである。それも物質的知識である。つまり、同一性である父権自我は、同一性知識=物質的知識を得るのである。
 しかし、これを知性と一致させることはできない。
なぜなら、知性とは、自我とは別の次元の知であるからである。
 日本の「科学者」の問題点はここにある。自我観念の知識はもっているが、知性はないのである。
 自我を超えたところに知性はあるのであり、ほぼ理性と一致するのである。
 確かに、知識は知性の一端ではあるが、知性そのものではないのである。脱自我化しないと真知性はないのである。
 そう、真知性、ないし、本知性というタームを作ってもいい。
 だから、科学者とは、真知性人でなくてはならないのであるが、日本の「科学者」のほとんどは、知識主義者に過ぎない。
 というか、本当は、科学者は創造者であるが、日本の「科学者」は、模倣者に過ぎない。似非科学者である。
 以前述べたように、知性はココロと関係するのである。
 つまり、脱自我の精神、ココロにおける知が知性なのである。
これは、実は理性と言っていいのである。知性=理性である。
 ココロとは他者性に通じているのであり、他者性とは、普遍性である。
 結局、薬局、今日の「科学」は、自我欲望と一体であり、既成の知識をドグマ化しているのであり、本当の科学、つまり、創造的知ではないのである。
 そう、言おう。哲学なき科学とは、盲目であり、誤謬である。
 日本の「科学・技術」とは、単なる唯物科学・技術であり、本来の創造的知・技ではないのである。

amaちゃんだ ‏@tokaiamada 5 時間5 時間前
韓国言論界重鎮 韓国人は日本人より優れているとの思い込み
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150716-00000002-pseven-kr … 全くその通り 韓国人には「他人を見下したい」とする自尊心がめちゃくちゃに強い いつでも他人を小馬鹿にしている


2015年07月07日(Tue)▲ページの先頭へ
氣の内超体とは構造論(内超構造力学)でイメージ化可能:專葬邪が支配する某国
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12047536934.html

氣の内超体とは構造論(内超構造力学)でイメージ化可能:專葬邪が支配する某国

テーマ:内超近代:intrans-modern

氣をイメージ化するのは困難を極めているが、ふと、戦争屋⇒某国政治の構造力学で図示できると思った。実に簡単である。


       戦争屋   
        ↓
        ↓ 
       官僚           X・・・・・氣界
        ↓ 
        ↓
ーーーーーーーーーーー
        ↓
        ↓
      某国政府         Y・・・・・量子界
        ↓           
        ↓
ーーーーーーーーーーー
        ↓
        ↓           Z・・・・・・現象界
        ↓
       国民


以上のXYZの三層世界を考えると、氣の世界とは端的に、Xであり、それが、Yの電磁波・量子界を支配し、また、それが、Zの現象界を支配していると見ればいいのである。
 この三層構造は、二重内超体と言えよう。
 とまれ、この構造論、構造主義であるが、ただそう呼ぶだけでいいのだろうか。
 思うに、構造論・構造主義は概念主導であった。
しかし、この三層内超構造であるが、それは、力学を意味するのである。だから、構造力学論と言うべきであろう、少なくとも。
 結局、内超構造力学ということになろう。
 だから、氣とは、内超構造力学をもつということになるのである。

追記:内超とは内在超越の略である。内在超越とは、内在しつつ、超越していること、内在且つ超越のことである。


2015年07月05日(Sun)▲ページの先頭へ
氣をイメージ化する:樹木が風に揺れ動いている事象において、その風を氣と観る
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12046720008.html

氣をイメージ化する:樹木が風に揺れ動いている事象において、その風を氣と観る

テーマ:氣神論:氣は万物に通ずる:氣的身体理性

氣をどうイメージ化するのか、ずっと考えている。
私には今、イメージがある。うまく図示できないので、違う例を考える。
 
             z軸
             |
             |      y軸
             |     /
             |   /
             | /
_________/________x軸
            /|
          /  |
        /    |
      /      |


下手な図であるが、がまんしていただきたい。
 xyの直交座標を現象界、物質界と観る。
そして、z軸を氣の軸と観る。
 当然、現象界からは、z軸、氣軸は不可視である。
しかし、例えば、z軸=氣軸を氣振動していて、それが、xy座標=xy平面に発現すると見ることができる。
 確かに、現象界においては、なんらかの物質振動があるだろう。しかし、本来、z軸=氣軸の氣振動があると見るのである。
 そして、現象界においては、電磁波が観測されるだろう。
 そう、だから、時間軸を例えば、t軸として、作ればいいだろう。しかし、上図には書き込めない。
思うに、氣軸であるが、氣平面を考えるといいだろう。例えば、z軸とそれに直交するα軸による平面を考えるのである。そこには、陰陽円があるだろう。そして、その氣平面=陰陽平面であるが、それは、プラトンのイデア界に相当するのではないだろうか。
 そこには、形相(エイドス)があるのであり、それが、次元転換によって、三次元化するのである。時間軸と三次元軸の四次元時空間である。

氣平面⇒時間軸⇒三次元現象

というようなプロセスだろうか。
 ざっと図示する。

氣平面ーーーーーーーーーーーーーー z軸⊥α軸
             |
             |
             |
             |時間軸 t軸
             |
             |
             |
________現象界_______三次元空間


現象界は当然、三次元空間である。
 陰陽ガウス平面と比較すると、虚軸が氣平面になり、MPが時間軸であり、実軸が現象界となろう。
 思うに、氣平面=陰陽平面(z軸⊥α軸)であるが、それは、動的な、ダイナミックな動きをしていよう。それが、時間エネルギーを生み、また、物質現象化すると考えられる。
 そう、生命というものも、実は、氣平面=陰陽平面でのダイナミズムと言えよう。それが、時間軸を通して、現象界において、生命現象として発現するということではないだろうか。
 今は簡単な指摘に留める。

追記:思うに、遺伝子とは、本来、遺伝氣だろう。それが、物質化して、DNAになると言えよう。そして、例えば、放射能は、このDNAを破壊すると言えよう。
 しかし、遺伝子ならぬ、遺伝氣は消滅しないと考えられる。
 抗放射能の対策とは、破壊される以上に、生成メカニズムを強化するということではないだろうか。
 乳酸菌の摂取とは、そのような意味があるのではないだろうか。
 ならば、乳酸菌や腸内細菌とは、直接、氣に関係するというよりは、遺伝氣から発生するDNAの再生強化に役立つということではないだろうか。
 そうすると、氣自体を強化するという方策もある。
 森氣浴はそのような機能があるのではないだろうか。
あるいは、よい音楽を聴くということ。
また、瞑想も役立つだろう。あるいは、日光浴。
 とりあえず、問題提起である。


         
            凸i陽
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             自
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−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
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             感
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             体
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            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面



気を観る 4 (07/04)

東洋医学と言えば気、気と言えば東洋医学と言えるほどに、東洋医学と気は切っても切れない間柄であることは周知の事実だ。

ではあるけれど、気とは何ぞや?というこの気の実体の理解に関しては、まったくもっていっこうに進展はしていない。

養生法の探求


2015年06月21日(Sun)▲ページの先頭へ
新概念の誕生=創造:氣精心Qi-Spirit-Heart(QSH:救世主と読む?)
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12041458646.html

新概念の誕生=創造:氣精心Qi-Spirit-Heart(QSH:救世主と読む?)

テーマ:氣精心Qi-Spirit-Heart

直近で、以下の記事を記した。
唯物論超克を説いている。
初め、精心・氣的生命有機体哲理技学であったが、氣と精心を結合して、氣精心というタームを造語した。
 なお、精心は、精神から来ているが、「神」より、直接は「ココロ」に関わるので、そう命名した。
 だから、二つの創造があるのである。精神でなく、精心、そして、精心・氣という二元性ではなく、氣精心という一元性にしたのである。

追記:氣精心に体をつけた方がベターかも。すなわち、氣精心体Qi-Spirit-Heart-Body(QSHB)である。救世主菩薩と読むのか?

悪vs善:唯物科学・技術VS氣精心的生命有機体哲理技学
テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ
闇本(あんぽん:丹をつけると、アンポンタン【あんぽんたん - 語源由来辞典】 である:別名日本)は、噴く威笞に拠る大悲劇の様相である。また単に放射能汚染だけでなく、食品添加物、農薬、工場廃水、等々による超大汚染物質列島になっている。
 今、飯山一郎「大明神」が、乳酸菌(豆乳ヨーグルト)、あらびき茶、放射能ゼロ空間など、放射能大洪水のサバイバルの叡知技学を無料で公開・伝授している。
飯山一郎のLittleHP - GRNBA.com
 日本の超大悲劇は、結局、薬局、マツキヨ、唯物科学・技術、近代科学と国家資本主義に拠るものである。
 日本人は生命について、精心(ココロ)について、あまりに疎かにしてしまい、貴重な超世界遺産級の日本大地風土を荒廃させ、破壊してきたのである。
 とまれ、唯物論からの脱却、これが、根本である。
 生命と物質とはまったく異なること、そして、生命は氣に拠ること、また、氣と精心(ココロ)は連関していること、すべて、やり直しである。
 宇宙樹心母権森人類として、日本人は生まれ変わる、「千載一隅」のラスト・チャンスである。


参考:

* 躰を創る 16 (06/20)

東洋医学という医療の枠組みからイメージするものは、鍼灸指圧などの物理療法と生薬医療の漢方薬という二つの顔であることは言うまでもありません。

また医療というよりも養生というカテゴリーに拡大するとそこには様々な長生法である食養や、導引などのエクササイズや、気功や按摩などいわゆる東洋式の健康法のたぐいが含まれてきます。

ザックリとまとめて東洋式養生法というカテゴリーを創れば、上記の鍼灸指圧や漢方薬部門からあらゆる養生法のすべてが包含されてしまうと言えます。

こうした中国を発祥とする医術養生体系は専門的には中医学体系と呼ばれております。

ではこの中医学の由来はどこにあるのか?というと、これは漢民族が中国を支配した今から2300年前頃に成立したと言われており、つまりは中医学とは漢民族に伝承されていた漢医学であるとも囁かれます。


躰を創る 15 (06/19)

「わたしたちは近代文明、科学技術文明、資本主義社会などと言われる位相システムで否応なく生きていかねばならないヒトという存在です。

こうした反自然な文明システムはヒトと自然とのつながりを分断する弊害があることは論を待ちません。

また西欧に発祥した近代科学思想はヒトの心と身体を二つに分けることで、心理学と身体学を分離してしまったとも言われております。

心の問題は心療内科や精神科、身体の問題は内科や外科と、このように分類するのが西欧式の医学体系です。

こうした近代の分析分断思考をベースとした自然支配システムの終局的な局面として今や3.11原発事故が顕在化していることも周知です。



この問題が山積した近代システムを、自然や生命と共に生きる新しいサスティナブルな共生パラダイムに組みかえることは急務です。」

養生法の探求

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12041438565.html


2015年06月13日(Sat)▲ページの先頭へ
二つのユダヤ人:シオニストVS隠然ユダヤ人:戦争資本主義VS平和資本主義
画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12038207532.html

二つのユダヤ人:シオニストVS隠然ユダヤ人:戦争資本主義VS平和資本主義

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

以下の田中宇(さかい)氏の記事は啓蒙的である。
 私は以前、ユダや資本が二つに分れているのではないかと述べたが、その検証ともなる記事である。
 隠然ユダヤ人(ロスチャイルド他)は平和資本主義を目指し、シオニストらの戦争資本主義(戦争屋)を排除する方向に向ったのである。それが、今年初頭の『エコノミスト』の表紙に表現されていると言えよう。

安倍が…

 やはり、私のユダや資本の二分化仮説は正しかったのである。
 そう、旧約聖書かみると、二つの神がいる。ヤハウェとエローヒーム(神の複数形)である。
 これは、父権神と母権神である。
 つまり、ユダヤ民族は父権民族と母権民族がいるのである。
そして、前者がシオニストとなり、戦争屋となったのであり、そして、今や、母権民族の隠然ユダヤ人が台頭し、世界を共同体平和資本主義へと転換させていると言えよう。
 そう、これは私が提唱している新母権主義の強力な発動である。
 では、翻って、阿米背犬やそれを支配する戦争屋の動かす日本をみたとき、何が見えるだろうか。
 戦争屋のピエロの阿米PMは、日中戦争を画策する。そして噴く威笞を、悪魔的に放置する。
 そう、戦争屋の悪魔の憑依した阿米背犬が見えるのである。
 とまれ、新母権主義に切り替わりつつある世界環境において、フクイチは地球破壊の様相である。放置できない。
 新母権勢力が、管理するはずである。 二階氏の動きはそれに連動するだろう。
 新母権隠然ユダヤ資本の力学によって、日本の政治力学が急激に転換すると思われる。
 そう、放射能汚染によっても急展開するだろう。
 日本企業が日本政府に反旗を翻せば、戦争屋政権は崩壊するだろう。
 とまれ、以下の記事はたいへん秀逸な必読記事である。超推薦である。



イスラエル支配を脱したい欧州
2015年6月12日  田中 宇


「ユダヤ人差別」と戦うふりをして欧州を支配し続けるイスラエル右派との戦いは、本質的に「ユダヤ人と非ユダヤ人の戦い」でなく「親イスラエルのユダヤ人と反イスラエルのユダヤ人の戦い(百年戦争の一環)」である。産業革命とフランス革命以来(つまり近現代の始まり以来)欧州の政財界はユダヤ系の力が強い。彼らは自分たちの素性を隠し、隠然した支配を好む「隠れユダヤ人エリート層」(ロスチャイルド家など)である。そこに19世紀末から殴り込みをかけて「お前らユダヤ人ならカムアウトしてイスラエルを支持しろ」と恫喝してきたのがシオニスト(イスラエル建国主義者、昨今のイスラエル右派)のユダヤ人勢力だった。(イスラエルとロスチャイルドの百年戦争 )

http://tanakanews.com/150612israel.htm


氣が形而上学的存在であると同時に、量子的エネルギーをもつこと:MP次元転換、虚軸から実軸へ

画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12038096605.html

氣が形而上学的存在であると同時に、量子的エネルギーをもつこと:MP次元転換、虚軸から実軸へ

テーマ:唯物科学から物質包摂の氣サイエンスへ

以下は明敏に氣の力学を説明している。
氣の形而上学性と形而下性であるが、
この相関の力学は非常に微妙である。
 陰陽哲理学はその点、10年以上に渡って、探求してきた。
問題は、虚軸と実軸は不連続であることである。
ここがポイントなのである。
いわば、虚軸の影像が実軸の量子であり、物質なのである。
 何度も検討したが、今は余裕がないので、説明できない。

追記:少し説明しよう。
虚軸に陰と陽の氣がある。それが、原点MP(メディア・ポイント)で陰陽結合と陽陰結合をする。
前者が本来の共振であり、生命的活動であるが、後者はより物質的な活動である。
しかし、もっとも、生命体には、両者が複合していると見られる。
 さて、氣⇒量子的生命的物質体(身体)であるが、量子的生命的物質体(身体)が氣へと転換することはない。ただし、後者の作用が氣の活動を向上させることは考えられる。
 とまれ、簡単に言えば、氣⇒量子であるが、量子⇒氣はないのである。
 氣は『養生法の探求』氏が述べるように、物理的発動をもっているのである。しかし、氣=物理的現象ではないのである。この点がいくら強調しても強調しすぎることはない。
 しかし、血液であるが、それは、氣が強く作用している生命物質であると思われる。
それは、GP陰陽哲理学では、原点MPに強く関わっていると考えられる。
 また、乳酸菌であるが、それは、植物と強く関係している。どうも、先に触れたように、植物と人間のミッシング・リンクのようである。
 思うに、植物は、陰陽共振による陰陽結合が強い。それに対して、動物は陽陰結合が強いと思う。人間も動物的な側面ではそうである。しかしながら、人間には植物的本質がある。
 結局、人間の植物的本質に作用するのが、乳酸菌ではないだろうか。
 つまり、やはり、乳酸菌も血液と同様に、MPに強く関係しそうである。
 そう、血液を含めて、MP生命物という概念を立てられるかもしれない。
今はここで留める。


         
            凸i陽
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             自
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             感
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            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)
 また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。
  ⇒は次元転換を意味する。氣エネルギーが現象エネルギーへと転換する事象を意味している。


躰を創る 11 (06/12)

「活きた凝り」には生命のもとである気が凝縮しており

気とは物理的な生物電磁気などの各種エネルギーであると同時に

生命情報としての心、意念、意識、愛の

この顕然秩序としての形而下学的な物理科学的要素と、

内臓秩序としての形而上学的な心理学的要素の、

エクスプリシットオーダーな明在系と

インプリシットオーダーな暗在系の、

二つながらの気フォースのありようが融合したまさに命そのものの姿が

「活きた凝り」には見られることが判明いたしました。

養生法の探求


2015年06月04日(Thu)▲ページの先頭へ
他者をどうしたら感知、認知、認識できるのか
他者をどうしたら感知、認知、認識できるのか

テーマ:個と他者の相関:個⇔他者:脱集団主義

今は余裕がないので、詳論できないが、一言いおう。(追記:一言ではなかった。)
 近現代日本は父権自我が支配する。父権自我には他者認識はない。常に、自我中心に外界を認識するのであり、他者自体を捉えられないのである。
 カントが物自体は認識できないと述べたが、思うに、カントの認識とは、自我(父権自我)中心であるので、当然、物自体、つまり、他者自体を認識できないのである。
 共感性がなければ、他者は認知できない。
共感性は母権自我、陰的自我がもっているのである。
 では、父権自我においては、まったく他者は認識できないのであろうか。
 陰陽哲理学においては、理論的には、できない。
 視点を変えよう。
どうしたら、他者が自我精神に入ってくるのか。
 私の場合は、二十歳前後聴いた、シューベルトの歌曲である。確か、フィッシャーディスカウが歌っていた『冬の旅』がココロを私に喚起したのである。
 芸術がココロを喚起したのである。私の場合は音楽である。
 思うに、他者はココロと同じものである。
ココロを培うには、芸術や宗教や哲学が必要である。
 また、その他、自然体験が必要である。
そして、ココロは一日でできるものでなく、数十年、何十年も、あるいは、来世も必要である。
 でも、端的に、他者=ココロはどうして発露するのか。
 実は、ポイントは感情であろう。自己感情である。
自己感情とは、私だけのものであり、これは、いわば、個である。 
 合理主義は通じないのである。そう、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』がこれを露骨に描いている。
 しかし、自己感情主義では、コミュニケーションはできない。観念や概念、すなわち、言語が必要である。
 自己感情と言語は齟齬を来すのである。
 普通は、言語へと帰属し、自己感情は捨てられる。その結果、個や他者がなくなるのである。
 自己感情は身体と言ってもいい。そして、言語は精神である。
両者の分裂が近代の特徴である。
 私の場合、自己感情を陰とし、言語を陽として、陰陽において、均衡させることにより清算した。もっとも、陰と陽は不連続である。これが、ポイントである。
 結局、自己感情と言語の不連続、非連続性を認めることで、他者が生じると思えるのである。つまり、他者とは、実は自己感情なのである。
 個は他者なのである。
 普通の人は、自己感情と言語が癒着ないし未分化である。
 結局、自己感情と言語を分離することから、前者である他者性が生まれるように思えるのである。
 まだ、整理されていないが、今はここで留める。

追記:まだ、十分言い得てないが、自己感情の視点は重要である。言語観念ないし言語概念は、自我、父権自我と結びつき、それは、それで、自己完結的である。しかし、自己感情は言語では清算できないのである。
 言語は一般的なものであり、自己感情は個的なものだからである。
 個的なものに対処するには、個的なものに忠実であることが必要である。それは、苦である。
しかし、それを自我、言語、一般性から切り離すことで、自己解放の道が開けるのである。
 自我や言語から、自己感情を解放することから、自己感情は個となり、他者となるのである。
 それは、いわば、異文化なのである。自分の中の異邦人なのである。
 ということで、父権自我においても、他者を形成することは可能なのである。自己感情と自我を分離させることによって、他者形成が可能になるのである。
 しかし、父権自我は自己感情認識を排除する傾向にあるのである。
 つまり、父権自我と言語観念は結びつき、それによって、自己感情を排除、廃棄、排他するのである。
 そう、デカルト哲学の問題点もこの点にある。自我観念はあるが、自己感情は排除しているのである。陽哲学で、陰哲学がないのである。
 そう、さらに言えば、自己感情、陰哲学は、実は、自我超越性をもつのである。形而上学的なのである。超越的なのである。
 ここで氣が到来するのである。
 そう、宇宙的、コスモス的なのである。あるいは、神秘的なのである。霊的なのである。
 ここまで言えば、近現代文化の限界がよくわかるだろう。
 そう、自己感情とは、個=他者とは、形而上学的に宇宙的であり、物質的経験を超越してしまうのである。
 父権自我が他者を恐れる、排除するのは、ほとんど必然である。

追記2:さらに正確に言えば、自己感情を認識する必要がある。それには、シュタイナーのような精神哲理学(シュタイナーは精神科学と呼んでいるが、精神哲理学というべきである)が必要である。つまり、内省哲理学である。
 自己感情を観察する必要があるのである。内観である。
内観による自己感情吟味によって、自己精神が鍛練されるのである。
 今日の日本人にはまったく欠落しているものである。

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2015年05月24日(Sun)▲ページの先頭へ
父権自我精神力学の解明:父権-陽自我は反動反射的暴力衝動をもち狂気化する
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12030436489.html

父権自我精神力学の解明:父権-陽自我は反動反射的暴力衝動をもち狂気化する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下を書いたが、まだ、直観的に不分明であるので、さらに検討したい。
 陰陽図を用いて考察していく。


        
         http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

問題は先に述べた父権自我の否定衝動化、否定自動化(オートマティズム化)の力学である。
 父権自我又は陽自我の同一性力学はどのようなメカニズムなのだろうか。私は「陽の中の陰」に抑圧力学を見た、陰と陽との境界にココロがあると考えたのであり、そうすると、境界面に対して抑圧が作用しているということは可能性がある。
 どちらが正しいのだろうか。それとも、両方が正しいのだろうか。
 どうも、両方が作用していると観るのが正しいように思えてきた。
 つまり、陽の中の陰は当然、本体の陰と結びついている。
そして、陽の同一性力学を受けて、陰を抑圧するのである。
 この陰に対する抑圧であるが、それは、陽の中の陰を介するにせよ、結局は、陰本体にはたらくのである。
 それは、当然、ココロの境界面に対して、抑圧するということになるだろう。
 ということで、父権自我、陽自我の、陰に対する同一性的否定・抑圧は、陽の中の陰とココロの境界面の両方に作用するということになった。これを、現時点での、仮説とする。
 さて、父権自我、陽自我の否定衝動、否定自動化についてであるが、先に心理学者ユングの中年の危機の説を借りて、精神の成長の二段階を考えた。つまり、成人に成長する過程は陽主導であり、その後、中年へと推移するにかけて、精神の力学のいわばベクトルが逆転して、陰主導になると考えるのである。
 つまり、若いときは、陽自我、父権自我が主導するのであり、これは、能動性の形成という点では、重要な意義があるだろう。
 そう、動物性の形成とも言えよう。攻撃性とも言えよう。
 しかし、その後、精神力学のベクトルが交替して、いわば、陰ベクトルが主導化すると考えられるのである。
 陽から陰への転換である。陽エネルギー(陽の氣)から、陰エネルギー(陰の氣)への転換である。 
 陽主導のときは、陽の中の陰の要素が比較的少ないと考えられる。つまり、陰は強い抑圧の対象にはならないと考えられる。
 敵が弱小ならば、攻撃するに及ばないというような感じである。
 しかし、陽主導でありながら、次第に陰陽生成は、陰の力を強化すると考えられる。そして、ついには、陰主導へと転換するということになる。
 とまれ、陰の力の強化に対して、陽自我、父権自我は、否定、抑圧の力動を行使し出すと考えられるのである。
 そして、この抑圧力学において、反動として、精神暴力性が生まれると考えられる。抑圧以前においても、精神暴力はあるが、それは、反動ではない。能動である。あるいは、ストレートな能動性である。もちろん、攻撃性もあるが、反動のような反射性はないのである。つまり、反動は、主体的ではなく、他者反応で、受動である。
 さて、この反動反射性をもつに至った陽自我・父権自我であるが、この反動反射性こそが、暴力・攻撃的衝動性、発作性、自動性(オートマティズム)をもつと考えられる。
 このオートマティズムを父権自我・陽自我はコントロールできないだろう。
 何故なら、無意識の内に、反動反射的暴力衝動性が発現するからである。自然の一つの理なのである。
 しかし、これを剥き出しにすれば、ホッブズの万人に対する万人の戦争状態になるのである。
 ここで、仁倫、叡知、文化の問題が出てくるのである。
 人類は、父権化する以前の母権制において、陰陽調和の文化をもっていたと思われる。それは、男性がもつ攻撃性を鎮める叡知的システムであったと考えられる。
 しかし、父権制が形成されると、攻撃・暴力性が剥き出しになってくる。しかし、そのとき、社会統制のための何らかのルールが形成されたと言えよう。法律であり、共同体の掟、宗教等である。
 しかしながら、近代になると物質主義が中心化して、父権制を統御する文化システムが崩壊する。
 この精神統御システムの崩壊において、上記の父権自我・陽自我の攻撃・暴力的衝動・発作が生まれるのである。
 闇であり、魔であり、狂であり、である。闇・魔・狂である。
 近代は陽文化であり、陰文化を喪失している。(本当は、陰文化があるのであるが、陽文化に圧倒されている。陽文化主流であり、陰文化は傍流であるが、しかしながら、後者に未来があるのである。)
 陰文化が陽文化、つまり、父権自我、陽自我をコントロールする叡知をもつのであるが、それが、マイナーであるために、父権自我、陽自我はいわば、野放し、野性、放縦状態なのである。
 言い換えると、父権自我・陽自我は、自分の反動反射的攻撃・暴力性に無意識なのである。
 さて、ここで知性ないし理性の問題に触れると、父権自我・陽自我は言語能動性をもっているが、言語能動性自体は知性ではない。
 知性は他者、陰他者との相互関係から生まれると考えられる。他者、陰を肯定しないと知性ないし理性は形成されないと考えられる。
 しかし、父権自我・陽自我は、他者を否定・抑圧・排除・隠蔽するのであるから、知性は形成されないということになる。
 そう、言語能動性をもつので、知識はあるだろうが、知性は欠落すると考えられるのである。
 例えば、ある事態・事象に対して、父権自我・陽自我は、自我観念をある事態・事象に対して、抑圧的に提起するのである。
 その事態・事象自体を見るのでなく、自我観念を適用するのである。この自我観念が一見知性のように観えるが、実は、知識に過ぎないのである。
 これは、一種の妄想である。妄念である。そして、この父権自我・陽自我が強化されると完全に妄想・妄念の世界、つまり、狂気の世界に入って行くと言えよう。
 知性ないし理性から逸脱した妄狂魔の世界に入るのである。
そして、これが、今日の某国の支配・権力層の精神世界なのである。
 また、比較的若い日本の女性(一部)の精神世界なのである。
某国の科学者が出鱈目なのも、この父権自我精神力学にあると言えよう。父権自我知識表象はあるが、他者的知性・理性が欠落しているのであり、暴妄狂魔化するのである。

父権自我の二項対立形式のオートマティズム力学:陽から陰への転移力学:陰衝動に対する衝動的二項対立
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
先に以下を書いたが、今一つ、直截性に欠ける。
 結局、二項対立の自動性の力学の明確化である。
 心理学者のユングは中年の危機を指摘していた。
 その考えを敷延するなら、精神プロセスにおいて、初めは、陽主導であるが、ある時点から陰主導に転換すると思えるのである。
 陰主導へと転換したとき、それまでの精神力学では対応できないと考えられる。何故なら、それまでは、陽のエネルギーが主導的であったが、そのとき、陰のエネルギーが主導的になるからだえる。
 つまり、陰が賦活されるのであり、そのため二項対立力学は、いわば、新たな挑戦を受けるのであり、抑圧していた陰が活性化するので、それに対抗して、陽の抑圧が強化されると考えられる。
 つまり、陰の賦活とは、陰エネルギーの力動化であり、そのため、陽は不自然な抑圧体制を構えると思えるのである。
 つまり、陰陽図で言えば、陽の中の陰が賦活され、情動化するが、それに対して、陽自我が情動的に抑圧、制圧を行なうと考えられる。
 陽の中の陰の衝動に突き動かされて、陽自我は、抑圧を衝動的に行なうと考えられる。この抑圧衝動こそが、二項対立のオートマティズム化・自動化の原因と考えられるのである。
 そう、知的コントロールではなく、衝動的抑圧なのであり、そこには、不合理性が主導的なのである。いわば、狂気である。
 これで、本件の解明は深まったと考えられ、ここで留める。

比較的若い日本女性の父権自我化の力学について
テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史
日本の女性の高慢さの力学の分析は必要である。
 端的に病的である。病的な高慢さ、慢心さである。「うつ病」予備軍である。
 とまれ、分析を試みたい。
 他者性、陰他者性、差異がない。また、当然、ココロを抑圧するのである。
 明らかに、陽自我中心主義である。
 先に以下の画像を活用して説明した。

父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す

http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

陽の中の陰が陽自我の情動性であると見たのである。
 そして、陰(陰他者)の領域は抑圧されるのである。
 そう、問題にしたいのは、父権自我の自動性、機械的反射性、オートマティックな反射性である。
 二項対立性が自動化、反射化しているのである。
 他者に対して、二項対立的反応が反射的に発せられるのである。
 そこでは、他者の言への吟味はなく、ただ、否定、排除、威圧という反応があるだけである。
つまり、知性を欠いた二項対立の枠組みの反応なのである。二項対立形式の自動的反応なのである。
 このオートマティズムの力学を解明したいのである。
 とまれ、父権自我は二項対立の型があり、自我は他者に対して、優位であると独断形式(カント的に言えば、超越論的形式)があるのである。そう、一種の先験形式である。
 ここには、他者、差異がまったくないのである。
 さて、上の陰陽図であるが、ココロというものは、陽と陰との境界に存していると思われるのである。
 そして、父権自我にはこの境界が欠落していると思われる。
 正確に言うと、陽自我の同一性によって、この境界が排除されていると思われるのである。
 簡単に図示すると、

      陽自我
____↓↓↓____
 
     境界(ココロ)
___________

     陰他者領域

このような力学である。
 ↓は否定、抑圧、排除、隠蔽の力学である。
 そして、オートマティズムであるが、それは、上の陰陽図の陽の中の陰から発しているのではないだろうか。
 ここが自我情動-力動の発動源のように思えるのである。
 今は思考実験的に言うが、陰他者を抑圧しているので、その反動として、陽の中の陰が情動化、力動化するように思えるのである。そして、それが、オートマティズム化していると思えるのである。
 つまり、これは、端的に、自我の闇-魔-狂である。
 他者に対して、いわば、反射的に、この陽の中の陰が二項対立形式の暴力力学を発動させるように思えるのである。
 後でさらに検討したい。


2015年05月20日(Wed)▲ページの先頭へ
検討問題:より氣のメカニズムに迫る:氣振動と生命発現の関係
画像やリンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12029061317.html

検討問題:より氣のメカニズムに迫る:氣振動と生命発現の関係

テーマ:生命力とは何か:氣と小食と腸内細菌

氣と生命体の関係について、水平形態秘数として5、垂直発展秘数として7、また、水と生命との関係から、水素結合・氣などを仮説してきた。
 しかし、氣の振動・波動から生命発現への力学はまだ、解明していない。
 そう、振動・波動から形態が生まれることは既に把握されている。
 以下にあるクラドニ図形は有名である。しかし、それは、氣振動ではなく、物質振動による形態形成である。
 とまれ、これまでの考察から、虚軸における陰陽振動・波動は、陰陽ガウス平面上で、イデアないしエイドスとしての原形を描くと考えられる。
 直観では、陰陽ガウス平面上に現象形態が折り畳まれているように思われる。
 形態の問題はとりあえず、以上で留めておこう。
 問題は、生命自体の形成である。
 端的に、生命とは何ぞ哉である。
 生きているとは何ぞ哉である。
 これまでの考えからは、氣振動・波動があり、それが、生命物質体、生命有機体を形成するのであり、氣振動・波動が生命の根源であり、生命物質体は、それによって維持・保持されているということになる。
 だから、氣振動・波動が衰滅すると、生命物質体も衰滅、つまり、死滅することになる。
 つまり、生命物質体はエントロピーだけに支配されることになる。
 このエントロピーに対抗しているのが、反エントロピーである氣振動・波動である。
 だから、生命とは、氣振動・波動による活動であるということになる。
 思うに、氣振動・波動は、一つのプロセスをもっているだろう。
 それも、秘数7の節・律動をもったプロセスである。
当然、開始があり終止がある。生から死へとである。
(追記:以上と以下は矛盾している議論である。以上では、氣にも生死があるとし、以下では、氣は永遠であると述べている。有限と無限である。思うに、表現の仕方がよくないのである。氣の場合、思うに、螺旋的回帰、螺旋的プロセスが永遠にあるのだろう。そして、一回の螺旋的回帰が一つの生死であり、次の螺旋的回帰が次の生死【来世】ということになるのではないだろうか。)
 この氣振動・波動プロセスであるが、それは、どういう力学をもつのだろうか。
 虚軸に存するから、どうも、それ自体は消滅しないように思えるのである。永遠の生命である。
 実軸は量子軸であり、ここは生成消滅する。しかし、虚軸は氣軸であり、保持されるように思えるのである。
 思うに、スピリット(霊)というものは、虚軸の氣と重ねられるのではないだろうか。
 生きている時は、意識は実軸から現象界へと志向している。
 しかるに、死んだ時は、意識は現象界、実軸から後退して、虚軸へ回帰しているだろう。だから、虚軸界は霊界ではないだろうか。
 ただし、原点MPには、太極ないし太一が内在超越的に存する。だから、それを含めて、霊界と言うべきかもしれない。
 いわば、太陰陽、太氣というべき様態でスピリット(霊)が存するのではないだろうか。
 生命の議論からスピリットへと展開したが、今は、ざっと以上のように留めておこう。
 
クラドニ図形 - nifty
ドイツの物理学者クラドニは、18世紀末ごろから弦や棒の振動の研究を始め、やがて「音響学の父」と呼ばれるようになった。彼は水平に置いた板や膜が横振動をしている時にその上に砂を撒くと、その砂は節線というほとんど振動しない部分に集まることを発見した。この砂が作るパターンは通常クラドニ図形と呼ばれていて、現代でもギターの胴板の振動を調べる時などに使われている。

 下図は理想的な膜の上のクラドニパターンと周波数の比率関係を示した実験結果である。これはティンパニ型に張られた膜に、ドラムの周囲から中心に向かって1/4の点に震動源を据えて振動数を上げて行った時、膜の上に置かれた砂が順次作る幾何学的パターンとその時の数値データである。膜上の砂が最初に円状になる時の周波数を基本の1として、以下周波数をどんどん上げて行くと様々なモードができては崩れていく。しかしその後のパターンと周波数には一定の関係比がある。



 ところで通常のドラムはピッチ感、つまり音の高さを音名で決められるような高低感がないが、ティンパニやケルトドラムやインドのタブラなどにははっきりしたピッチ感がある。また理想的な弦では上音(基本音より周波数の高い音)の周波数は倍音関係にあるが、理想的な膜ではこのようなモードの周波数は倍音関係になってはいない。これは線の振動が1次元的なものであるのに対し、膜の場合は面的・2次元的な振動であることと関係がある。振動中でも基本的に静止したままの位置である振動の節も、弦の場合は点であるのに対して、膜の場合には2種類の節線が存在する。すなわち全体を2分する直径方向の節線(a)、およびドラムヘッドの周りの形からくる同心円の節線(b)である。ここではこの2種類の節線を図の下に2つの数字(a b)という形で表現してある。

 ティンパニに限らず膜状の打楽器にはその素材や大きさや張力によって、基本の振動周波数が変わってしまう。例えば基本モードの周波数は張力を2倍にすれば半オクターブ上がり、膜の直径を短くすれば高くなる。20インチ径の膜の基本周波数は32インチのそれより60%高くなる。(1:1.6→1.6:1というように逆数関係がある。この関係は月と地球の公転周期の関係にも似ている。)

※周波数比の基音の振動数は次の式で与えられる。f1=(0.765/2a)x(T/ρ)1/2
(aは膜の半径、Tは膜の縁の単位長あたりの張力、ρは膜の面密度)

1.
神が音に託した「指紋」 クラドニ図形 ∞ Resonance Square - YouTube
► 3:52
www.youtube.com/watch?v=V5acI4XPGNM2012年5月11日 - 4分 - アップロード元: eiπ + 1 = 0
物質と音との間には固有振動数というものがあって、特定の周波数で共鳴を起こす。 そのときの振動の強弱によって ...
2.
塩の模様だけじゃない!クラドニ図形を駆使したミュージックビデオが凄い ...
a-mp.jp/article/3842


* キャッシュ
* 類似ページ
音を可視化する不思議な図形、あれはクラドニ図形と呼ばれているの. 金属・
プラスチック・ガラス・ボウルなどにピンと張ったラップなどの平面にスピーカーなどで
振動を与え音程を変えると、共鳴周波数において平面の強く振動する部分と、振動の節
となり振動 ...
3.
ずっと眺めていたくなる! ハイレゾウォークマンが不思議な“クラドニ図形 ...
getnews.jp/archives/467473


* キャッシュ
* 類似ページ
2013年12月3日 ... 音が図形化するこの現象は、ドイツの物理学者エルンスト・クラドニの名前にちなんで
命名された“クラドニ図形”というもの。砂を載せた板を特定の周波数を持った音などで
振動させると、平面の振動する部分と振動の節になって動かない部分が ...
4.
砂が描く幾何学模様「クラドニ図形」が超凄い! - NAVER まとめ
matome.naver.jp/odai/2135090471858931701


* キャッシュ
* 類似ページ
2012年10月22日 ... 周波数に応じて幾何学模様の形が変わっていくのが凄いです。


2015年05月19日(Tue)▲ページの先頭へ
父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12028278793.html

父権自我(二項対立主義)の精神暴力力学について:陽自我は陰他者を憎悪し殲滅を目指す

テーマ:哲学:叡知学、哲理学、哲科学

父権文明は暴力文明(戦争文明)であるが、その構造、精神構造、心的構造を、改めて解明したい。
 今日、父権主義は、日本では、女性、比較的若い女性に見られる。二項対立精神である。平俗に言えば、○×精神である。正誤・正邪精神である。
 それも、「私」は正しく、他者は間違っているというものである。
(女性の場合、シュタイナー的に言えば、アストラル体(感情・欲望身体)、私の用語では、感性体が主導的なので、男性よりも、二項対立が酷烈になるのであるが、それは、ここではおいて置こう。)
 不連続的差異論の段階に戻ると、私は連続的同一性という概念を立てた。これは、陽自我が陰他者に対して行なう内的行為(精神行為)である。
 つまり、自我が他者の不連続(非連続)的差異を否定して、同一性化するのである。そう、この連続的同一性化が端的に精神暴力である。
 これは、端的に傲慢であるが、それが当然となるのは、他者に対する感性、つまり、ココロが欠落している、あるいは、排除、埋没しているからである。
 そう、これは、当然、野蛮な精神である。しかし、これが、現代の一般的な日本人の精神なのである。
 他者性の欠落、ココロの排除、道徳・倫理・仁倫・倫道の欠落はどこから生じたのか。
 簡単に言えば、父権精神からであるが、もっと木目細かく見よう。
 そう、これは、精神の病と関係するのである。(シュタイナーは精神病という言葉を嫌悪していた。精神は本来、病気にはならず、身体が病気になるというようなことを説いていた。確かに、身体が故障していると、精神が異常になることは考えられる。今は、いちおう、精神の病ということを考えたい。)
 さて、以上は既述のことであり、新たに、精神暴力の力動・情動、あるいは衝動の根因について考察を行ないたい。
 精神暴力の力動・情動・衝動の根因は、自我・陽にあるのか、それとも感性体・陰にあるのか、それとも、両者癒着状態にあるのか。
 陽自我は、陰他者を支配しようとする。何故か。
 それは、陽自我にとって、陰他者は、異物であり、「気に入らない」ものだからである。
 「わたし」として、陰他者を支配したいのである。
 問題は情動精神力学である。(情氣という言葉を造語してもいいだろう。衝氣という言葉もありえるだろう。)
 陽自我に情動性があるのか?
 情動は陰である感性体にあると見るのが本来である。
 すると、陽自我の暴力の様態とは何なのか。
そう、暴力様態の問題である。
 いったい、陽自我の様態とは何なのか。
 「わたし」の様態とは何か。
 やはり、「わたし」の感情はあるのである。それは、陽における陰である。
 陽の陰が、陰他者に反発するのである。

http://gaiax3.ti-da.net/e4240444.html

 だから、陽の陰に暴力情動があると言えよう。
 そう、陽自我とは陽的陰と結合しているのであり、自我情動をもつのである。
 そして、この自我情動性が陽自我暴力力動の正体・本体と言えよう。
 そして、自我意識は、この自我情動暴力に対して、無意識であるのが、陽自我の精神暴力の根因であると言えよう。
 これで、陽自我精神暴力のメカニズムを解明したと言えよう。
 一大問題は、この陽自我精神暴力をコントロールする精神文化、叡知の存在である。
 現代日本では、あるいは、現代世界では消失しているのである。
 有り体に言えば、ココロの文化の消失である。原因は当然、唯物科学のせいである。技術ではない。技術は、ココロに関係すると思われる。
 では、ココロ文化の消失のメカニズムは何なのか。
 結局、陰他者の認知の有無の問題である。(うつ病と言われる症状はこれと関係すると見ている。)
 陽自我は基本的に独一性をもっている。
 つまり、自己中心性である。「私は絶対的一(いつ)である」ということ視点である。言い換えると、「唯一神」性である。
 だから、他者、陰他者に対しては、否定的に対応するのである。他者を排除、強く言えば、消滅、殲滅、殺戮したくてしょうがないのである。
 他者は居て欲しくないのである。死ねである。
 つまり、陽自我は本質的に殺気をもっているのである。
 そして、この殺気の対象の他者であるが、当然、陽自我の対極、対蹠的存在が対象となるのである。
 そう、陰他者である。(ユダヤ・キリスト教的父権文明である西洋文明にとっては、東洋文明、母権文明である。)
 結局、自我の精神暴力の対象は陰他者である。これが憎悪・嫌悪・破壊の対象なのである。
 日本父権民族は日本母権民族を嫌悪・憎悪・嫌忌し、殲滅・消滅・殺戮したいのである。


2015年05月15日(Fri)▲ページの先頭へ
GP陰陽哲理学(氣哲理学)と気功指圧術を連結させる?:氣的有機体医術へ
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12026722249.html

GP陰陽哲理学(氣哲理学)と気功指圧術を連結させる?:氣的有機体医術へ

テーマ:生命力/氣自衛医智学:唯物機械論医学批判

『養生法の探求』の今村光臣氏の指圧術他は、氣の医学・医術である。主に、氣的技術である。
 それに対して、私のGP陰陽哲理学(氣哲理学)は、理論であり、仮説である。哲学的「科学」仮説である。
 私の説は医術的実践性が乏しいので、気功的指圧術他と結合すると、「科学・技術」、哲理学的医術となろう。
 とまれ、氣的有機体、氣的身体の解明が必要である。
 氣と身体の結びつきの様態の解明が必要である。

追記:一言、氣と身体の結びつきの力学について言うと、先に次ぎように述べた。

氣の精神の覚醒の遅れ:秘数5は水平原理数で、秘数7は垂直原理数では?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025744868.html

氣的数的原理が身体を形成するということになる。
 そのとき、身体には、この氣-数的原理が織り込まれているだろう。
 また、先に水と生命の関連から、水素結合氣を仮説した。
 思うに、体内の水的液体に氣が宿るのである。当然、体内の水的液体の主体は血液である。
 今村氏は氣血という中医学の概念を唱えている。
 そう、血液は水素結合を介して、氣を内包しているだろう。

参照:以下の次の説明は私の氣内包的水-血液仮説と通じよう。「気の流れる場は表皮ケラチノサイト細胞の下層となる真皮結合織の多水層であることが判明して」いる。


新・命を耕す 12 (05/14)

『気』の本体については、これまでの科学的な計測により気の科学的要素として、

@脈動する赤外線輻射、A変動する生体磁場、B16ヘルツ以下の超低周波、C2万ヘルツ以上の高周波、Dイオン流、E生物フォトンなどの微粒子、F静電気&動電気

などが検出されている。

また表皮剥離実験や、アイソトープ(放射性同位元素)注入実験、遠赤外線測定器による計測、周波反応実験などからは、

気の流れる場は表皮ケラチノサイト細胞の下層となる真皮結合織の多水層であることが判明しており、

この真皮結合織多水層を流れる気の速度は正常な人では毎秒20センチメートルから30センチメートルであることまで明らかにされている。

つまり『気』と呼ばれる摩訶不思議な生命エネルギーは決して摩訶不思議な似非科学のトンデモ大賞を授与されるかもしれない架空の妄想の産物のたぐいではなく、

あくまで厳密な科学的な観測によって、実在が確定しているある種の物理エネルギーであると同時に、まぎれもないバイタルフォース(生命力)の本質であることがわかっているのだ。

* 新・命を耕す 11 (05/13)
* 新・命を耕す 10 (05/11)

養生法の探求

◆2015/05/13(水) 

病気は自力で治せ! 指圧で治せ!

飯山一郎のHP


氣の精神の覚醒の遅れ:秘数5は水平原理数で、秘数7は垂直原理数では?
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025744868.html

氣の精神の覚醒の遅れ:秘数5は水平原理数で、秘数7は垂直原理数では?

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように書いたが、秘数5は葉や花弁でわかるように、水平形態原理数で、秘数7はチャクラでわかるように、垂直様態原理数ではないだろうか。
 GP陰陽哲理学において、実軸(天地軸)に沿うように植物が生長するが、そのとき、例えば、蔓植物の螺旋の支柱は7サイクルの様態が形成され、水平的には例えば、五角形の葉が生成されるということではないだろうか。
 だから、例えば、樹木の生長とは単なる反復・循環ではなく、7サイクルの進化が入っているのではないだろうか。
 いわゆる、螺旋的回帰がその生長にはあるということではないだろうか。
 思うに、飛躍するが、今日、人類が行き詰まっているのは、7サイクル進化の衝動を適切にとり出していないからではないだろうか。つまり、反動的になっているからではないだろうか。
 少なくとも、氣の精神の覚醒が遅れていることが問題ではないだろうか。

7周期らせん・プロセス仮説:原子価電子オクターブ・サイクル:陰陽7スペクトラム(陰陽7チャクラ)

とまれ、陰陽らせんに関しては、7サイクルを組み込みたい。
 そう、質的区別を言うならば、5は形態原理数であり、7は成長プロセス原理数と言えよう。あるいは、前者は空間原理数であり、後者は時間原理数とでも言えるのではないだろうか。
 最近は、時間についてあまり述べてこなかった。
 これまでの検討では、時間は、凸i*凹i⇒±1の⇒に存するだろう。言い換えると、原点MPに存すると言えよう。氣から量子エネルギーへの次元転換に存するのではないだろうか。
 そう観ると、7サイクルの7は、実は、陰陽振動事象が内包している原理数ではないだろうか。


2015年05月12日(Tue)▲ページの先頭へ
7周期らせん・プロセス仮説:原子価電子オクターブ・サイクル:陰陽7スペクトラム(陰陽7チャクラ)
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025665270.html

7周期らせん・プロセス仮説:原子価電子オクターブ・サイクル:陰陽7スペクトラム(陰陽7チャクラ)

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

最下部の参考の原子の周期律表は実にわかりやく、興味深い。
最近は氣と原子の関係を検討していて、周期律表について気になったので、検索してみたら、以下のページがあったのである。
 見事なオクターブ・サイクルである。ドレミである。
ここで想起するのは、シュタイナーがアカシャ年代記や人生で唱える7サイクル説である。
 自然には、神聖数5に関連して、フィボナッチ数列や黄金比が生まれるし、あるいは、螺旋や渦巻がある。
 それと同様に、7サイクル、あるいは、オクターブ・サイクルがあると言えよう。
 虹の七色、一週間の7日、7つのチャクラ、七味、七福神、等々。
思うに、らせんで考えると、円が7サイクルで回帰することになる。
 次の画像のいちばん上のものがわかりやすい。
周期表(しゅうきひょう)とは - コトバンク

平面螺旋型周期表

円錐型周期表

ブロック型周期表

端的に以下の画像がぴったりで素晴らしい。
周期表 - Wikipedia
ベギエ・ド・シャンクルトワ の「地のらせん」概略図

どうも「7周期らせん・プロセス」を仮説として立てられるように考えられる。
 敷延すると、弦巻植物に蔓にも、適用できるかもしれない。
とまれ、氣哲理学とどう結びつくだろうか。
 陰陽と7サイクルはあまり相性がよくないようである。
陰陽は2,3,5,6,8,12に数に関係するが、7とはあまり関係がないようだ。
 しかし、陰陽はらせんを現象的に形成すると考えられる。二重らせん等。
 そうすると、陰陽に7周期、7サイクルを組み込むことで、より統合的な仮説になるのではないだろうか。
 これまで、ピュタゴラス学派の神聖数5にとりわけ注目してきたが、思うに、5と7が宇宙の創造に関する二大根本数かもしれない。そう、それに3を加えれば、七五三である。
 そう、七五三が三大根本数と言えるかもしれない。
 とまれ、陰陽らせんに関しては、7サイクルを組み込みたい。
 そう、質的区別を言うならば、5は形態原理数であり、7は成長プロセス原理数と言えよう。あるいは、前者は空間原理数であり、後者は時間原理数とでも言えるのではないだろうか。
 最近は、時間についてあまり述べてこなかった。
 これまでの検討では、時間は、凸i*凹i⇒±1の⇒に存するだろう。言い換えると、原点MPに存すると言えよう。氣から量子エネルギーへの次元転換に存するのではないだろうか。
 そう観ると、7サイクルの7は、実は、陰陽振動事象が内包している原理数ではないだろうか。
 しかし、上述したように、陰陽に関係する原理数と7は符合しないのである。
 思いつきでは、易における6つの爻と基軸を加えて、7レベルを想定できるのかもしれない。
易占い Q&A - 恵祥先生のしあわせアカデミー

http://www.keisho.server-shared.com/qa.html
 
上図の上卦と下卦の間にいわば、ゼロ爻(零爻)ないし中爻を想定するのである。そうすると、7つの爻になる。
 牽強付会の面があるので、強弁はしないが。
とまれ、仮説として、陰陽には、7サイクルが組み込まれているとするのである。そう、つまり、7スペクトラムが陰陽振動において、生じるということでもある。
 つまり、陰陽ガウス平面で観ると、凸iを1とすれば、凹iが7となる。そして、原点MPが4である。
 今ざっと作図すれば、

            1:凸i
            |
            2
            |
            3
            |
            4(原点MP)
            |
            5
            |
            6
            |
            7(凹i)

である。1から7は凹iから始めてもいいだろう。逆の方がいい。

            7:凸i
            |
            6
            |
            5
            |
            4(原点MP)
             |
            3
            |
            2
            |
            1(凹i)

      陰陽ガウス平面7チャクラ図(仮称)
      (ただし、実軸は省いてある)

 これは、等分割均衡原理(仮説)から見ても、納得できることである。
 そうすると、やはり、6つの爻に原点の爻(ゼロ爻、ないし、中爻)を想定して、考えることができることになろう。つまり、易は、今のままでは不十分ということになるだろう。
 そう、何故、原点MPにゼロ爻(中爻)を置くかというもう一つの理由は、そこが、第4チャクラのアナハタ・チャクラに対応するからである。

チャクラ全開のためのHOW TO♡

チャクラはそれぞれ音階や色と対応しています。


ルートチャクラ   赤        ド

ハラチャクラ    オレンジ     レ

ソーラープレクサス 黄色       ミ

ハートチャクラ   ピンク/ミドリ  ファ

スロートチャクラ  水色/青     ソ

サードアイ     青/藍色     ラ

クラウンチャクラ  白/紫      シ

といった対応になります。

http://ameblo.jp/kolob/entry-11974105887.html
美しく豊かに生きる由迦のスピリチュアルリアリズム - アメーバブログ

とまれ、今はここで留める。

追記:上図の陰陽ガウス平面7チャクラ図であるが、虚軸の凸iと凹iにそれぞれ、3つチャクラがあるのは、数学的におかしいのではないだろうか。
 そこで、回転を加えればいいのではないだろうか。
先ず、第一のチャクラの凹iが一回転(2π回転)すると、第二のチャクラとなり、同様に、第三、・・・となり、最後は第七のチャクラの凸iに到達すると見れば、齟齬は生じないだろう。
 計7回転である。第一チャクラが一回転、第二チャクラで二回転等々と進み、第七チャクラで七回転である。
 
参考:
楽しい高校化学(第1章−第7講)
1.元素の周期律

原子を原子番号の順に配列し、原子の価電子の数を比較すると、

価電子の比較

左の図のように、価電子の数が周期的に変化することがわかる。これを元素の周期律といい、19世紀の後半、メンデレーフにより発見された。
元素の周期律にもとずいて、元素を原子番号の順に並べ、性質の似た元素が縦の列に並ぶように配列した表を元素の周期表という。

http://www2.yamamura.ac.jp/chemistry/chapter1/lecture7/lect1071.html


2015年05月10日(Sun)▲ページの先頭へ
水分子とは何ぞ哉:水の不思議について:作業仮説:水素結合は氣的結合
画像等は以下を観られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12025006811.html

水分子とは何ぞ哉:水の不思議について:作業仮説:水素結合は氣的結合

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

水と生命は当然、切り離すことのできない関係である。
 氣・陰陽哲理学からどのように、水を観ることができるだろうか。
 直観でいうと、水は陰である。あるいは、陰陽調和的である。
 ここで作業仮説、思考実験をすると、水素原子を陰、酸素原子を陽とする。

 2H2+O2⇒2H2Oである。

陰+陽⇒水
である。
 問題は正四面体に似た構造を水分子がもつことである。また、それが、水素結合していることである。
 ここでは経験的直観で試行錯誤しよう。
 水はココロと親和力がある。
 それは、水素結合に拠るとしよう。
 すると、水素結合は陰陽調和性ともっているのである。
 言い換えると、氣の「原子」のようなものである。
 水素を陰、酸素を陽とする。HとOの水素結合、ここに氣の「原子」が作用するとしよう。
 では、どうして、水分子は正四面体的なのかである。
 それは単純に、水分子は、水素に二本、酸素に二本のいわば、手があるからだろう。
 水素側には正電荷、酸素側には、負電荷がそれぞれ、二本の手をもっている。だから、
 等分割均衡原理からすれば、正四面体になるのが、条理である。
 また。水分子の結合角からして、正四面体になるのが当然である。
 この水分子の結合角に自然の、生命の秘密があるように思える。
 とまれ、現時点では、水素結合を陰陽調和の分子単位、現象単位、物質単位としよう。
 つまり、氣的物質単位である。
 私が森で感じる氣には、この水素結合があるのかもしれない。
 あるいは、川の水面に感じる融合性にも、水素結合があるように思える。
 そう、陰陽があるのだから、水素結合は、波動性を当然もっているのである。
 いわば、水素結合氣である。
『無双原理』の桜沢如一(ゆきがず)氏に拠ると、水素は陽で、酸素は陰である。だから、上記は逆にしないといけないだろう。

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 とまれ、最初に、陰陽を原子に当てはめるたのは、桜沢氏に拠ると、石塚左玄氏である。つまり、陰の代表として、カリウム(K)、陽の代表として、ナトリウム(Na)としたのである。
 とまれ、ここでのポイントは、水分子は水素結合という陰陽結合の単位をもっているという作業仮説である。
 水素結合は氣の物質結合の単位ということになる。
 どうも、『無双原理』を読み直す必要がある。
 今は問題提起で留める。


追記:水とココロは親和性があるという点について、直観をさらに述べたい。
 いったい、親和性とは何だろうか。
 水とココロの水が親和、共感、共振・共鳴するということなのだろうか。
 陰陽論から言えば、当然、対極物が共振するのである。
 だから、水とココロの水は共振しない。
すると、ココロは火的なのではないだろうか。
 そう、先に、原点MP・ココロを光と見たのである。
 光は火と見ていいだろう。
 すると、水とココロの火(光)が共振するということではないだろうか。プラトン立体である正四面体は火の要素に当てられている。
 そうすると、水の正四面体(近似値的)と火の正四面体が共振するということなのだろうか。
 とまれ、水は直観では、上記したように、陰である。また、当然、ココロの火は陽である。(勿論、相対的にである。)
 どうも、水と火が共鳴して、親和力が生じるということではないだろうか。
 今は、直観で留める。

追記:
どうして、水はココロと親和するのか。共振するのか。
 先に、水と火との共振を述べたが、そうではなく、水の水素結合氣が、ココロにおいて、共振するというようにも考えられる。どちらなのか。
 よい音楽を聴く時、音楽の陰陽調和氣がココロに作用するだろう。
 あるいは、夜明けの光を目にしたときは、光の陰陽調和氣がココロに作用するのではないだろうか。
 つまり、音楽にしろ、光にしろ、氣波動がココロに作用すると見るのである。
 ならば、水の場合も同様ではないだろうか。
 だから、先に述べた、火と水の共振論はやめておく。
 
**************************

目で見て操作する「分子の世界」−そのミクロ構造と物性− 基礎知識ベース
図2-5-3a. 分子構造
混成軌道の形成は炭素原子に限らず他の原子でもみられる。14族のSi,Geは炭素と同じくsp3混成軌道により四面体形の水素化物(SiH4、GeH4)などを作るし、アンモニウムイオン(NH4+)も四面体形である。(N+とCは同じ電子配置であることに注意! )

水分子を考えよう。水分子は2つのOH結合間隔が等しく、結合角が104.5°の折れ線型構造をもつことはよく知られている。

この値は正四面体の結合角109°28′に近く、水分子の形成において酸素分子にsp3混成が起こっていると考えることができる。酸素原子は8個*の電子をもっているから、混成軌道には2つの不対電子と2つの孤立電子対が入っている。よって水素原子とは2つだけが結合に関与し、図のような構造になる。

*ただし1sは内殻を形成。混成軌道生成に関与する電子は6個。

いまだ謎多き水分子の世界 −その意外な構造と運動様態の秘密に迫る ...
図1.水素原子と酸素原子の模式図
図2.水分子および共有結合の模式図

図2.水分子および共有結合の模式図
図3.水の4つの水素結合の模式図

図3.水の4つの水素結合の模式図

酸素や窒素など、電子をひきつけやすい原子と共有結合した水素原子は電子を引っ張られて弱い正電荷を帯び、隣接原子の持つ負電荷との間に共有結合の10分の1程度の弱い結合を生じる。これを水素結合と呼ぶ。水分子の場合、酸素原子のもつ6つの価電子のうち、2つの電子が2つのOH結合に関与して、残りの4つが2組の孤立電子対となり、隣接する水分子と合計で4つの水素結合を作ることができる。


1.
三平方の定理 (ピタゴラスの定理) の歴史 - 正多面体
mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/pythagorean/.../pyta_section8.htm


* キャッシュ
* 類似ページ
そのため、正多面体 (regular polyhedron) のことをプラトンの立体 (Platonic solid) と呼ぶことがあります。プラトンは .... プラトンは、対話編 (ティマイオス) で正 4 面体、正 8
面体、立方体、正 20 面体を、 火、空気、土、水の 4 元素に対応させ。他方 5 角 12 ...
2. [PDF]
025 正多面体(プラトンの立体)
www.geocities.jp/ikemath/_userdata/ho_pdf/025hozyu.pdf


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* 類似ページ
025_正多面体の種類. 正多面体(プラトンの立体)の種類. 多面体のうちで,すべての面が合同な凸正多角形であり,どの頂点に集まる面の数も等. しい凸な立体を正多面体と
いい,次の 5 種類だけしかない. (1) 正 4 面体 (2) 正 6 面体 (3) 正 8 面体 (4) 正 12 ...
3.
p数学4
www.geocities.jp/ja1tmc/tamentai.html


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* 類似ページ
正多面体はプラトンの立体と呼ばれているのは、「ティマイオス」によるもので、プラトンが発見したものではない。 ... の物体の始原(アルケー)だと仮定」し火の構成要素として
正四面体、同様にして、土を正六面体、空気を正八面体、水を正二十面体に割り当て。


2015年05月06日(Wed)▲ページの先頭へ
人体のミクロコスモス(小宇宙)と太陽系のマクロコスモス(大宇宙)の相関について
リンクは以下を観られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12023192692.html

人体のミクロコスモス(小宇宙)と太陽系のマクロコスモス(大宇宙)の相関について

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

直近で以下のように記した。
 氣一性数理波動原理(長いので、氣一数波原理)は、植物の場合の生成原理であるが、動物、特に、人体のそれにするには、まだ、不足する点が多い。
 ここで、シュタイナーの人智学の視点を借りたい。それは、実は、古風な視点であるが、いわば、温故知新である。
 シュタイナーは人体、とくに、内臓のモデルとして、太陽系を観るのである。
 つまり、太陽系と内臓システムは対応・呼応しているとシュタイナーは観ているのである。
 恒星である太陽、内惑星の水星、金星と外惑星の火星、木星、土星をセットにして、それと呼応するシステムを人体の内臓に観るのである。
 詳述は後に譲るが、5惑星という視点が面白いのである。天王星、海王星を抜くのである。当然、冥王星もである。
 とまれ、興味深いのは、陰陽五行の五行の5と符合するという点である。また、当然、ピュタゴラス学派の神聖数5との符合するのであるが。
 私は陰陽論を唱えながら、陰陽五行の五行については、これまで、まったく看過してきた。
 とまれ、シュタイナーの小宇宙/大宇宙論と陰陽五行の五行論は通じる面があるように感じられるのである。
 いちおう、氣一数波原理から観ると、やはり、5という元数が重要である。これから、五惑星の生成が説明がつくように思われるからである。元数5は単に、植物的原理だけでなく、太陽系や人体の原理に通じると思われるのである。
 今はここで留める。


参考:
陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)
www.geocities.jp/mishimagoyomi/inyo5gyo/inyo5gyo.htm


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* 類似ページ

古代中国では、自然界のあらゆるものを陰(いん)と陽(よう)にわけました。たとえば、太陽は陽で月は陰、奇数が陽で偶数が陰、表が陽で裏が陰という具合になります。こうした思想を陰陽思想といい、この陰陽思想はやがて五行と結びついていくことになります。

陰陽五行とは|だるまんの陰陽五行
www.daruman.info/about/index.html


* キャッシュ
* 類似ページ

陰陽五行」とは、「木」「火」「土」「金」「水」という五つの要素を、見えない世界までを含む森羅万象にあてはめて、世の中のさまざまな謎を測るものさしです。 陰陽五行に通じてくると世界観が変わること請け合いです。 大きな決断から日常の迷い、健康の問題に ...

陰陽五行説
www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/inyohgogyoh.htm


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* 類似ページ

陰陽道の根拠となっている思想が、古代中国で成立した「陰陽五行説」である。これは、「陰陽論」と「五行説」とを組み合わせて、宇宙から人事にいたる全ての現象を説明しようとする理論である。 「陰陽論」と「五行説」は、それぞれ発生基盤を異にしたものであった
...

陰陽五行説|基本思想を3ステップでわかりやすく説明 | Timeless Edition
www.timeless-edition.com/archives/3522


* キャッシュ

陰陽五行説の基本的な思想を簡単に、わかりやすく説明しています。陰陽、五行ともに3つのポイントにまとめています。このポイントが、様々なジャンルに広がる陰陽五行思想の基本となります。

陰陽五行|五行推命学研究所
www.interq.or.jp/chubu/sarai/sub02-02-gog.htm


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* 類似ページ

陰陽五行」とは東洋哲学(特に中国)における「宇宙の根本原理」であり、同時にそれが中国に起源する推命学や易学、或は漢方医学・針灸の根本原理ともなっています。元々は「陰陽説」と「五行説」は別々のものでしたが、それが中国戦国時代頃に一つとなり「 ...

シュタイナー「精神科学と医学」メニューに戻る - Bekkoame
www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/medizin/Medizin.html


* キャッシュ

この「精神科学と医学」は、シュタイナーの医学に関する基本的な考え方を深く知るために不可欠なテキストです。医学を専門とする方だけでなく、人間の身体というものを自然との関わりで神秘学的に本当に深く認識したい方にとっても多くの実りを与えてくれると思 ...

検討問題:氣イデア、氣理一性の構造・構成について:氣一(いつ)数波動原理
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12023168886.html


検討問題:氣イデア、氣理一性の構造・構成について:氣一(いつ)数波動原理
検討問題:氣イデア、氣理一性の構造・構成について:氣一(いつ)数波動原理

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下参照のように考えた。
 生命的個体、また、その部分において、氣的情報というべき氣イデアが内属している、あるいは、内包(超越的内在)されているという視点である。
 氣を波動、振動と観るなら(おそらく、複雑な、複合的それと思われるが)、その波動・振動の質に生命情報があると思われる。いわば、構造(構造主義の構造でもある)と言ってもいいだろう。それは、氣的構造、高次元の構造である。
 植物や動物ならば(細菌類も含めて)、それは、種的なもの、類的なものであろう。
 つまり、種的構造、種的情報があるということになる。
 正に、イデア的である。(ハイデッガー哲学の「存在」はおいておくが、一言いえば、「存在」は実はイデア性を持っていると思われるのである。)
 とまれ、氣一(いつ)性、氣全体性、氣ホロン性の視点を忘れないでおこう。
 さて、先に書き忘れたのが、数理的視点である。
 つまり、ピュタゴラス学派のもつ数的原理性(原理主義と書きたいが、どうも語弊があるので避ける)である。数理性である。
 例えば、神聖数(秘数)5である。これは、正五角形、五芒星(ペンタグラム)、そして、黄金比、フィボナッチ数列等に通じるのである。
 この数理性、言い換えると、原数性、元数性、源数性が、氣イデアには含まれると考えられるのである。数と形態との相関性がここにある。
 以前、フィボナッチ数列を以下のように観た。

0⇒0+1⇒1+1⇒2+1⇒3+2⇒5

右辺の5をピュタゴラス学派の秘数5と観る。
また、等分割均衡原理がここにははたらいていると観たのである。
 0は無分割の状態である。1は根源の一である。そして、2は陰陽分割である。しかし、これは、陰陽対極性であり、一を分母としている。そう、分母として、一(いつ)を観るといいのである。
 2/一、3/一、5/一となる。
 この原数原理は原点MPで作用していると思われる。
 そして、秘数5の場合は正五角形、五芒星が形成されるのである。
 そこで、氣イデアと組み合わせると、元数原理は、氣イデアに含まれる、あるいは、氣イデアそのものと言えるだろう。
 つまり、氣の展開として、元数原理を観たのだから、当然である。
 だから、氣元数原理、ないし、簡単にして、氣数原理があるということになる。
 この氣数原理が端的に、氣イデアないしイデアとなろう。
 ただし、氣一性を忘れないために、一(いつ)性を明示するようにした方がいい。
 だから、氣数一性原理とでも言おう。簡単にすれば氣数一原理である。あるいは、氣一数原理である。
 この氣一数原理が、結局、生命体に作用しているということになる。もちろん、部位によって、作用は多様と考えられる。
 生命体の物質はこの気一数原理によって形成されるものである。しかし、今日の自然科学は、ただ、生命体の物質のみを観るだけである。
 もう少し観ると、氣一数原理は氣の波動・振動をもっているから、当然、波動性をもつ。だから、氣一数陰陽波動があるということになる。
 簡単にすれば、氣一数波動があるということである。
 結局、生命体、生命有機体、氣的有機体を創っているのは、この氣一数波動であるということになる。
 氣一数波動が、生命有機体のイデア、本体、本質となる。
 しかし、今日の唯物科学・技術は、生命体の基底として、物質を観るだけであり、そのため、氣一数波動の現象的展開を阻害するような物質を生産しているのである。
 そう、ここで、もう少し、理論を加えよう。つまり、氣一数波動とは、フラクタル的であるということである。
 当然、フラクタルはホロン的である。
 つまり、以下に述べたように、例えば、樹木の葉においても、そこには、樹木自体の氣一数波動原理が作用しているということである。
 全体(ホロン)が、個的部分に作用しているということである。
 とまれ、氣一数波動原理を唯物科学・技術は知らないために、途方もない反生命的物質を生成・生産しているのである。
 簡単に言えば、氣のない物質を生産しているのである。
反自然的物質を生産しているのである。
 そう、最後にわかりやすい例をあげれば、レモンのビタミンCと人工のビタミンCの相違点であるが、これは、当然、前者には、氣一数波動原理(氣)があり、後者には欠落しているといことになる。(シュタイナーの考えを敷延させると、人工物は氣の衰えたものである。)
 あるいは、陽光と人工照明の違いである。
 前者には、氣が背景・背後にふんだんにあるが、後者は、氣が欠落するか、衰えているのである。
 今はここで留めたい。

***************************

参照:
氣的現象体は、氣的全一力をもつ:氣一体としての生命体
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
昨日、森の中で思いついたが、単なる物質体とは異なり、生命体は、氣的一(いつ)性(氣一性、氣全一性、氣的ホロニズム)を持っていると考えられる。
 思うに、例えば、樹木の葉一枚においても、樹木の氣一性が内属していると考えられるのである。
 そう、いわば、樹木のイデアが葉一枚にも内属しているのである。分有という用語があるが。
 暫定的に、便宜的に、氣一性を氣イデアと呼んでおく。
 唯物科学・技術は、自然物、生命体に単に死せる物質を観るだけであり、自然物や生命体の氣イデアを観ていないのである。
 だから、医学、医療の場合、氣イデアと物質との関係を観ないで、単に、生命体の物質的末端・端末の物質的不良を観て、物質薬を造るのである。
 つまり、生命体、人体を物質機械と観ていて、不良の物質に対して物質薬等を施すのである。
 そう、物質薬(唯物薬)は、基本的に生命体の氣イデアがないのである。だから、それは反生命的であり、リスクが大きい。
 シュタイナーに拠れば、エーテル体(氣)と物質との相関に基づいて、治療行為をすべきなのである。
 西洋医学は確かに、この点が欠落している。中西医学はこの点で優位である。
 とまれ、氣イデア、氣一性、氣コスモス(氣宇宙、氣秩序)の観点が得られたのは進展である。
 そう、氣的宇宙の視点が重要なのである。
 氣的宇宙のメカニズム(力学)の解明が課題である。

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2015年05月03日(Sun)▲ページの先頭へ
検討問題:氣と磁気:原点MP(Media Point)は虚軸即非実軸であり、日光と作業仮説する
図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12021841996.html

検討問題:氣と磁気:原点MP(Media Point)は虚軸即非実軸であり、日光と作業仮説する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に、氣哲理学の陰陽方程式凸i*凹i⇒±1において、電気と磁気が区別がつかないと述べた。
 否、正確に言えば、電荷は±1で説明できるが、磁気はいまだ説明できていないということである。
 ここで思いつきを言えば、氣の凸i陽と凹i陰が、磁気に関係しているのではないかということである。
 問題は原点のMP(Media Point)である。
 凸i*凹i⇒±1の陰陽方程式において、次元転換点であるMPの様態が問題なのである。
 ⇒±1は、いわば、結果を示している。
そして、先に、電子から電磁波を発生を考えた。
 そのときは、電気から電磁波が生まれることになる。
 ⇒+1(電子)に垂直に磁気(磁場)が生じる。
 ここで、以前に述べた、氣が実軸においても生起していることを確認したい。
 つまり、原点MPは虚軸と実軸との即非様態なのである。虚軸即非実軸がMPにおいて成り立つのである。(追記:即非とは、仏教学者、鈴木大拙の独創的用語で、A=B且つA≠Bという矛盾律が成り立つ論理を意味する。)
 つまり、氣即非量子(ミクロ)なのである。言い換えれば、氣的量子、氣的原子、氣的原子核、氣的電子、等々である。
 問題は量子領域における氣と磁気の関係である。
 両者は当然異なる。
 しかし、なにか似ている。
 電流と垂直に磁気、磁場が生じる。そして、氣は実軸とは垂直の虚軸に本来、存する。
 もちろん、磁気は現象界に帰属し、氣は(いわば)虚界に存する。しかし、氣は現象界にも貫入・浸透している。
 さて、ここで作業仮説であるが、虚性と実性の結合した存在を磁気ではないかと考えたいのである。
 原点MPにおいて、虚軸と実軸が即非的に結合している。ここにおいて、磁気が生起しているのではないだろうか。
 つまり、磁気は実は、電気以前の存在であるということである。
 つまり、氣⇒磁気⇒電気である。
 先には、電子から磁気を考えたが、それは、根源(MPにおける虚性+実性)からの派生と見るのである。
 いわば、亜氣、準氣としての磁気である。
 つまり、磁気的存在としてのMPである。
 そして、磁気から電子が生まれ、また、電子は磁気を派生するということになるのである。
 しかし、これは、かなりの矛盾だろう。
 虚性+実性としてのMPであるが、それは、果たして、磁気と言っていいのだろうか。
 思うに、それは、電磁波ではないだろうか。
 つまり、氣⇒電磁波である。
 MPに存するのは、電磁波ではないだろうか。
 そして、⇒±1とは、電子でもあるし、磁気でもあるということではないだろうか。
 つまり、氣⇒(⇨電磁波)±1(電子、磁気)ではないだろうか。
端的に言えば、原点MPに存するのは光ではないだろうか。
つまり、氣⇒(⇨光)±1(電子・磁気)である。
 そうならば、これまでの見方を大幅に変えなくてはならなくなる。
 しかし、原点MPを光とするのは、実は、整合的なのである。なぜなら、MPは精神的には「こころ」(kokoro;kkr)であり、それは、光だからである。
 しかし、実際のところ、このようにしても、実は「大幅」には変わらないのである。
 作図する。MPの光とは正しくは、日光、陽光である。


            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
  第二象限(重力)     |   第一象限(光)
                 |
−1(原子核)_____MP(日光)_____+1(電子)
                 |
  第三象限(暗黒物質)   |    第四象限(氣)
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


以下は磁気NSを加えた作図である。

             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
 第二象限(重力)      |  N   第一象限(光)
                 |↗
−1(原子核)_____MP(日光)_____+1(電子)
                ↙|
               S  |
 第三象限(暗黒物質)    |       第四象限(氣)
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


第一象限の光であるが、これは、電磁波にした方がいいかもしれない。そして、MPの日光を光とする。

            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
 第二象限(重力)      |  N   第一象限(電磁波)
                 |↗
−1(原子核)_____MP(光)_____+1(電子)
                ↙|
               S  |
 第三象限(暗黒物質)    |       第四象限(氣)
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


追記:上記は、MPの扱いがこれまでとは異なる。
 MPを光にすると、重力と光の対がなくなってしまい、不均衡が生じる。
 しかし、ココロは光という考えは適切だと思っている。だから、やはり、MP=ココロ=光となるだろう。
 そして、重力と対になるのは、上記では、電磁波である。
 これはおいておこう。
 問題は光から原子核と電子、つまり、水素原子が生まれるということである。
 敷延すれば、光から森羅万象が生まれるということになる。
 「光あれ!」である。
 これは、マニ教的でもある。
 しかし、MPは陰陽共振と陰陽非共振がある。
 光とそれはどう関係するのか。
 光も二種類なのか。
 陰陽共振の光と陰陽非共振の、二つの光があるのか?
 どうも違うように思う。
 本稿は検討し直さないといけない。

追記2:思うに、光が分化して、原子核と電子になると見ればいいのではないだろうか。
 そう、光であるが、これは、虚軸のMPにおいては、unseen light, invisible light, dark lightである。これは、D. H. ロレンスのdark sun あるいは、シュタイナーの霊的太陽に通じよう。
 つまり、光、日光、陽光は背後があるのである。氣的太陽である。氣日である。
 そう、若い頃見た、海辺での真夏の太陽の空は、闇が広がっていた。闇の日光、闇の太陽である。

追記3:MPを光にするとやはり、不具合が生じる。
果たして、光が物質を創るとしていいのだろうか。
氣が物質を創るのは正しいが。
 私は陰陽共振を肯定的に捉え、陰陽非共振を否定的に捉えているが、それは間違いではないだろうか。
 確かに、自我は陰陽非共振であるが、必要なものだろう。
陰陽非共振がなければ、知覚が生まれないのではないだろうか。なぜなら、陰陽共振は調和であり、一体化であるからである。それは、対象と一であり、知覚はないだろう。
 そう考えると、ココロとは、陰陽非共振と陰陽共振の対のものである。知覚と一体的感覚が共生しているものということになる。
 それは正しいだろう。
 光も、日光もそのようなものとして見ていいのだろう。
 光は観ると同時に、観られるものということになる。


2015年04月29日(Wed)▲ページの先頭へ
電子と光の連関:⇒+1が光であり、電子であることの整合性:揺動する電子は磁場と電磁波(光)を作る
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12020434051.html

電子と光の連関:⇒+1が光であり、電子であることの整合性:揺動する電子は磁場と電磁波(光)を作る

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下(参考)のように書いた。
ここで、先ず、陰陽ガウス平面と陰陽方程式を見ていただこう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

また、GP陰陽方程式がある。即ち、

凹i*凸i⇒±1

である。
 凹iは陰を、凸iは陽を表わし、両者、虚軸にあり、±1は実軸にある。
 *は陰陽極性力学を意味する。実際は乗法である。陰凹iが主導のときは+1,陽凸iが主導のときは、−1となる。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて、以下で次のように書いた。「凸i*凹i⇒±1(今は発生なので、⇔は考えない)において、⇒−1が正電荷で、⇒+1が負電荷ではないだろうか。
 というより、そのように作業仮説してきたのである。
 つまり、⇒−1は原子核(の方向)であり、水素原子で言えば、陽子である。そして、⇒+1は電子(の方向)である。
 そして、陰陽方程式凸i*凹i⇒±1は水素原子方程式と考えることができる。つまり、物質単位方程式である。」
 陰陽方程式凸i*凹i⇒±1において、⇒−1は原子核、⇒+1は電子と捉えている。
 しかし、上図の応用ガウス平面では、⇒−1は重力であり、⇒+1は光である。
 今は議論を⇒+1に限定する。
 問題は、水素原子方程式においては、⇒+1は電子であるが、宇宙方程式においては、⇒+1は光(光子)である。
 当然、電子と光は異なるのである。いわば、この齟齬をどう解決するのか。
 今日、帰宅途中の路上で、ふと、次のことを思いついた。
 即ち、⇒+1が電子ならば、それは、電流となる。もっとも、流れは電子の流れと逆であるが、電流が生じることは確かである。
 電流があれば、例えば、電気の流れる線の周囲には磁気、磁場が発生することは、物理学の常識である。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
0からはじめる磁気
 <Case 1> 電荷を直線に動かす(直線電流)
電荷を直線に動かす(直線導線に電流 I [A]を流す)と、直線導線から半径r [m]離れたところに[図1]のように磁場 H(大きさ= I / 2πr)が生じる。
電荷を直線に動かす(直線電流)
[図1] 電荷を直線に動かす(直線電流)

http://doraneco.com/physics/lecture/em/jiki.html 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 議論を続けよう。
 そうすると、⇒+1の電子(電流)は、周囲に磁場を形成する。もし、これが静的、固定的であれば、そのままである。
 しかし、陰陽は振動しているのである。だから、当然、揺れているのである。つまり、⇒+1の電子(電流)は、揺らいでいるのである。そのため、単に、電流と磁場が生じるだけでなく、電磁波が生じることになろう。なお、電磁波発生のメカニズムは以下の参照を見られたい。
 ⇒+1の、揺動する電子は磁場だけでなく、電磁波を形成するということであり、その電磁波は、⇒+1=光(光子)としたのだから、光でなくてはならない。
 これで、⇒+1が電子であり、且つ、光でもあるという一見齟齬が解決されたと考える。
 ここで本件の検討を終える。 

追記:⇒+1に関して、電子と光を電磁波を介して、連関させたわけだが、では、⇒−1についてはどうだろうか。つまり、原子核と重力との連関は考えられるだろうか。
 直観では、重力波が仲介として考えられる。
 とまれ、今、水素原子に限定して考えると、原子核は一つの陽子であり、質量をもつ。思うに、この質量が重力を形成するのではないだろうか。そして、正電荷をもち、電子の負電荷と釣り合うのである。
 とまれ、原子核=陽子は正電荷と質量(重力)をもつ。
 直観では、原子核は地球とアナロジーになる。電子が天とアナロジーになる。
 地球は正電荷をもつ「原子核」ということなのだろうか。
 アナロジーを展開すると、電子⇒天は太陽ではないだろうか。
 (ならば、太陽は負電荷?)
 原子核ー重力ー地球ー正電荷ということなのだろうか。
すると、天空は負電荷で、例えば、雷は、地球の正電荷と天空の負電荷の間の結合によって生じると見られないだろうか。
 雷は水蒸気の問題があると思うが、今はおいておく。そう、春、植物の発芽における水の問題がある。
 先に見たように、水素結合が関係するのかもしれない。
 とまれ、水蒸気、水の問題をおいておくと、単純に地の正電荷と天の負電荷の結合が雷である。
 真夏に起りやすいのは、太陽光の熱エネルギー(光だから、電磁波であり、電荷をもつ)によって、電荷が強化されているからではないだろうか。
 重力波(重力子)の問題に戻ると、それは、端的に原子核=陽子の質量ではないだろか。
 そして、質量は正電荷をもつということなのだろうか。
 つまり、質量子である。あるいは、質量波である。
ふと思ったのは、ダークマター(暗黒物質)のことである。
 原子核と重力の仲立ちとして、ダークマターがあるのではないのか。
 よくわからないが、原子核=陽子が形成されるときに、ダークマターがどこかに形成されるのではないのか。そして、ダークマターの一部が重力ではないのか。あるいは、ダークマターと対になるのが重力ではないのか。
 今は思いつきとして、ダークマターは⇒−1の⇒の先端、ないし、⇒と−1の中間に存しているのではないだろうか。ダークマターを★とすれば、⇒★−1となる。
 今は問題提起に留める。

1.
ダークマター(暗黒物質)2010 - YouTube
► 8:47


2.
ダークマターの正体を説明する画期的理論 - アストロアーツ
3.
銀河団衝突でも、ダークマター同士はすり抜ける - アストロアーツ
4.
ダークマターの「雲」にずれ、実在の証拠か | ナショナルジオグラフィック ...
5.
WIXOSS TCG Wiki - 《ダーク・マター》
6.
冷たい暗黒物質
7.
【宇宙ヤバイ】 太陽核から「ダークマター(暗黒物質)」が放出されている ...
8.
天の川は巨大なワームホール? 鍵はダークマター : ギズモード・ジャパン


追記2:
また、思いついたが、象限を使うといいのではないかと思った。


             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
       第二象限    |      第一象限 
                 |
    −1(地)_____MP(心)_____+1(天)
                 |
       第三象限    |      第四象限
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


上図において、第二象限が重力で、第三象限がダークマターではないかと思う。第二象限は凸i陽の同一性によって観察されるが、第三象限は凹i陰の領域であり、これは、直観領域で観測されないのである。
 では、第一象限と第四象限はどうなのだろうか。
 第一象限は光であり、第四象限が氣ではないだろうか。このことは、同様に、凸i陽の領域は同一性で観測あるいは通常知覚できるが、凹i陰の領域は直観領域ないし無意識の領域であるため、観測や通常知覚は不可能と考えられる。
 作図すると以下のようになる。

             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
  第二象限(重力)     |   第一象限(光)
                 |
 −1(地)______MP(心)______+1(天)
                 |
  第三象限(暗黒物質)   |    第四象限(氣)
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図
 

追記3:上図に原子核と電子を入れると次になる。

            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
  第二象限(重力)     |   第一象限(光)
                 |
−1(原子核)_____MP(心)______+1(電子)
                 |
  第三象限(暗黒物質)   |    第四象限(氣)
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図
 
追記4:上図のMP(心)をより物理学的に言うと、ゼロ・ポイントや空(仏教の空ではなく、量子真空である。しかし、両者は一致すると思う。)や空隙であろう。


            凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
  第二象限(重力)     |   第一象限(光)
                 |
−1(原子核)_____MP(空)______+1(電子)
                 |
  第三象限(暗黒物質)   |    第四象限(氣)
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


参照:
【電磁波】電磁波の発生と受信の仕組み - 自然の摂理から環境を考える
【電磁波】電磁波の発生と受信の仕組み

電磁波の特性を理解していくため、まずは最も単純な電気回路を見ながら電磁波発生と受信の仕組みを理解していきましょう。

るいネットから投稿 を引用し、模式図で補完していきます。

電磁波を発生させる最も簡単な仕組みは、交流電源とコンデンサによって作ることができます。
●1.電界の発生

「コンデンサ」とは、2枚の電極を少しだけ離して置いたものだと考えてください。間には空気があります。このコンデンサに、まずは電池、つまり直流電源をつないでみます。

コンデンサの電極は離れていますから、電気は通しません。しかし、この時、2枚の電極には電荷が溜まります。電流は流れませんが、近接した電極に+−の電荷が蓄積された状態、「電界」が発生しています。ただ、この時は電流が流れていないので、静的な「電界」です。

con080101u.gif

●2.交流を流すコンデンサ

次に、コンデンサに交流をつないでみます。交流は、直流と違い、+と−が交互に切り替わります。
そうすると、コンデンサの2枚の電極に溜まる電荷も交互に変化します。変化する過程で、一瞬だけ、電極の電荷(例えば+)と異なる電流(例えば−)が繋がることで、一瞬電流が流れることになります。

「一瞬」と書きましたが、交流において、電流の向きが変化するのも一瞬ですから、結果としては始終電流が流れていることになります。つまり、コンデンサは、直流は流さないのに、交流なら流すのです。

condencer02.jpg

●3.電界の変化→電磁波の発生

さて、そうしてコンデンサに交流が流れている間、コンデンサにある2枚の電極の間には、直流の時と同様、やはり「電界」が作られます。

しかし、今度は電荷の向きが周期的に変化しますから、静的な電界では無く、電荷の向きが常に変化し続ける電界が作られます。

この電界が変化する状態が、磁界の変化を誘導します。すると磁界の変化が電界の発生を誘導する、という風に、電界の変化と磁界の変化が交互に繰り返し起こります。

これが電磁波発生の仕組みです。

condencer03.jpg

http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/05/1090.html

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

参考:

陰陽の牽引と反発の矛盾力学:−1が正電荷で、+1が負電荷:水素結合私見

思うに、私は陰陽とは、牽引と反発の矛盾する性質をもつと直観的に受け入れてきたが、考えてみると、その力学は説明がいる。
 私はこれまで、陰陽において、陽が主導すると、陰が否定されて、あるいは、陰を支配されて、陽的同一性が生まれるとみた。
 そして、陰が主導すると、陰陽調和が起きて、生命が生成すると見た。
 しかし、この説明は短絡的である。
 陰陽において、陽主導も陰主導も交替するように考えられるからである。
 思うに、両主導において、生命の誕生を見るべきであろう。
 先に、水素結合に関係して、電荷の発生について考察しようとしたが、思うに、凸i*凹i⇒±1(今は発生なので、⇔は考えない)において、⇒−1が正電荷で、⇒+1が負電荷ではないだろうか。
 というより、そのように作業仮説してきたのである。
 つまり、⇒−1は原子核(の方向)であり、水素原子で言えば、陽子である。そして、⇒+1は電子(の方向)である。
 そして、陰陽方程式凸i*凹i⇒±1は水素原子方程式と考えることができる。つまり、物質単位方程式である。

 水素結合を考えると、H-O-Hにおいて、Oが負電荷を帯び、Hが正電荷を帯びるといことである。
 これは、私見では、水素原子の電子が酸素の原子核に引きつけられ、そして、水素原子の原子核(陽子)が電荷的に生きているということではないだろうか。つまり、水素原子は正電荷を帯びるということである。
 そして、これが、電子を引きつけた酸素原子の電子による負電荷と結合するというのが、水素結合ではないだろうか。
 ところで、「H-Oは共有結合で電子が2個入っているのですが、酸素原子は強いので(電気陰性度)電子を自分の方に引っ張っています。したがって、H-Oの共有結合にある2個の電子は、中間にあるのではなく、酸素の方に偏っているのです。」ということであるが、「酸素原子は強い」というは簡単に説明できると思う。つまり、酸素の原子核の方が電荷が水素原子の原子核の電荷より強いということだと思う。だから、酸素に水素の電子が引っ張られると考えられる。
 とまれ、以上からだいぶ氣哲理学における電荷の問題はだいぶ整理されたと思う。
 ところで、以下の、「双極子ー双極子相互作用」とはとても興味深い。双極子と双極子が牽引力と反発力があるというが面白い。これは、陰陽の性質に似ているのである。
 しかし、これは表面的な類似であり、本質的なものではない。
 陰陽の双極子は、それ自体において、牽引と反発が共存しているのである。これは、通常の物質にはないことである。
 ところで、問題は、諸原子の発生のメカニズムである。
水素原子は陰陽方程式=水素原子方程式になるので、説明できるが、その他の原子のメカニズム(方程式)はどうなのか。
 直観では、氣の質によって、諸原子が発生するのではないだろうか。
 氣の振動の相違によってと言えるかもしれない。
 これは検討課題である。

追記:以下の双極子と双極子の相互作用は磁気のような作用をもつ云々とある。
 思ったのは、電気や磁気であるが、それは、物質ではなく、量子ではないだろうか。
 そう、電磁波は電気と磁気からなるのであり、量子である。
 電気と磁気を量子と見ると、それは、氣を背景にもつのである。
 雷、稲妻の電気であるが、それは、天地の陰陽に拠るのではないだろうか。
 また、地磁気であるが、それは、地球の陰陽に拠るのではないだろうか。
 ただし、天地の陰陽と言ったとき、単に、+1と−1の負電荷と正電荷を見るべきではなく、根源の陽凸iと陰凹iの陰陽振動があると見るべきように思う。
 また、地球の陰陽も同様である。
 ただし、今の段階では、電気と磁気が数式的に区別つかないのである。
 これも検討課題である。


陰陽の牽引と反発の矛盾力学:−1が正電荷で、+1が負電荷:水素結合私見
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12020154774.html

陰陽の牽引と反発の矛盾力学:−1が正電荷で、+1が負電荷:水素結合私見

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

思うに、私は陰陽とは、牽引と反発の矛盾する性質をもつと直観的に受け入れてきたが、考えてみると、その力学は説明がいる。
 私はこれまで、陰陽において、陽が主導すると、陰が否定されて、あるいは、陰を支配されて、陽的同一性が生まれるとみた。
 そして、陰が主導すると、陰陽調和が起きて、生命が生成すると見た。
 しかし、この説明は短絡的である。
 陰陽において、陽主導も陰主導も交替するように考えられるからである。
 思うに、両主導において、生命の誕生を見るべきであろう。
 先に、水素結合に関係して、電荷の発生について考察しようとしたが、思うに、凸i*凹i⇒±1(今は発生なので、⇔は考えない)において、⇒−1が正電荷で、⇒+1が負電荷ではないだろうか。
 というより、そのように作業仮説してきたのである。
 つまり、⇒−1は原子核(の方向)であり、水素原子で言えば、陽子である。そして、⇒+1は電子(の方向)である。
 そして、陰陽方程式凸i*凹i⇒±1は水素原子方程式と考えることができる。つまり、物質単位方程式である。

 水素結合を考えると、H-O-Hにおいて、Oが負電荷を帯び、Hが正電荷を帯びるといことである。
 これは、私見では、水素原子の電子が酸素の原子核に引きつけられ、そして、水素原子の原子核(陽子)が電荷的に生きているということではないだろうか。つまり、水素原子は正電荷を帯びるということである。
 そして、これが、電子を引きつけた酸素原子の電子による負電荷と結合するというのが、水素結合ではないだろうか。
 ところで、「H-Oは共有結合で電子が2個入っているのですが、酸素原子は強いので(電気陰性度)電子を自分の方に引っ張っています。したがって、H-Oの共有結合にある2個の電子は、中間にあるのではなく、酸素の方に偏っているのです。」ということであるが、「酸素原子は強い」というは簡単に説明できると思う。つまり、酸素の原子核の方が電荷が水素原子の原子核の電荷より強いということだと思う。だから、酸素に水素の電子が引っ張られると考えられる。
 とまれ、以上からだいぶ氣哲理学における電荷の問題はだいぶ整理されたと思う。
 ところで、以下の、「双極子ー双極子相互作用」とはとても興味深い。双極子と双極子が牽引力と反発力があるというが面白い。これは、陰陽の性質に似ているのである。
 しかし、これは表面的な類似であり、本質的なものではない。
 陰陽の双極子は、それ自体において、牽引と反発が共存しているのである。これは、通常の物質にはないことである。
 ところで、問題は、諸原子の発生のメカニズムである。
水素原子は陰陽方程式=水素原子方程式になるので、説明できるが、その他の原子のメカニズム(方程式)はどうなのか。
 直観では、氣の質によって、諸原子が発生するのではないだろうか。
 氣の振動の相違によってと言えるかもしれない。
 これは検討課題である。

追記:以下の双極子と双極子の相互作用は磁気のような作用をもつ云々とある。
 思ったのは、電気や磁気であるが、それは、物質ではなく、量子ではないだろうか。
 そう、電磁波は電気と磁気からなるのであり、量子である。
 電気と磁気を量子と見ると、それは、氣を背景にもつのである。
 雷、稲妻の電気であるが、それは、天地の陰陽に拠るのではないだろうか。
 また、地磁気であるが、それは、地球の陰陽に拠るのではないだろうか。
 ただし、天地の陰陽と言ったとき、単に、+1と−1の負電荷と正電荷を見るべきではなく、根源の陽凸iと陰凹iの陰陽振動があると見るべきように思う。
 また、地球の陰陽も同様である。
 ただし、今の段階では、電気と磁気が数式的に区別つかないのである。
 これも検討課題である。

 
分子間力について説明して下さい - キリヤ: Q&A

共有結合
 水の分子はH-O-Hですが、このH-O-の結合が共有結合です。水素(H)と酸素(O)がそれぞれ電子を1個ずつ出し合って共有し、1つの結合を作っているのです。共有結合は−で表しますが、そこには電子が2個入っています。
 2個の電子は酸素と水素の間で均等に存在するのではなく、酸素が電子を引き付けて酸素側に片寄っています。それぞれの原子の極性は酸素が-0.820、水素が+0.410となっています。したがって、水分子は極性を持つことになり、食塩(NaCl)などの極性物質を溶かすことができるのです。



水分子の極性


電子の偏り

 例えばポリ袋はポリエチレンですが、-CH2-CH2-CH2-CH2-とC-Cの共有結合が何十万、何百万と続いていますし、C-Hの間も共有結合です。有機化合物はほとんど共有結合からできています。このように、有機化合物は共有結合でできていて1つの分子を作っています。したがって、分子とは共有結合だけでできているものと考えていいでしょう。

・・・

双極子−双極子相互作用
 いま、X原子とY原子が共有結合で結びついているとします(X−Y)。XとYの間は共有結合で2個の電子がありますが、Xが電子を引っ張る力が強い(電気陰性度)と、電子を自分の方に引っ張っているのです。したがって、X−Yの共有結合にある2個の電子は、中間にあるのではなく、Xの方に偏っているのです。Xは中性でイオンにはなっていませんが、少しマイナスになっています(δ−と書きます)。電子を引っ張られたYは電子が少なくなって少しプラス(δ+)になっています。したがって、X−Yの共有結合はX側がマイナス、Y側がプラスに偏った結合になっているのです(双極子)。双極子はN極S極を持った磁石のようになっているので、双極子には引っ張る力(引力)と反発する力(斥力)が働くのです。



電子の偏り


双極子−双極子相互作用

水素結合
 双極子−双極子相互作用の最も強い例が水素結合です。水は液体ですから、水の分子は自由に動き回っています。では、氷になるとどうして固まるのでしょう。それは、水の分子(H-O-H)の間に水素結合ができているからです。H-Oは共有結合で電子が2個入っているのですが、酸素原子は強いので(電気陰性度)電子を自分の方に引っ張っています。したがって、H-Oの共有結合にある2個の電子は、中間にあるのではなく、酸素の方に偏っているのです。H- O-Hの酸素は中性ですが、少しマイナスになっています(δ(デルタ)−と書きます)。電子を引っ張られた水素は電子が少なくなって少しプラス(δ+)になっています。イオンではないですが、δ−とδ+は引き合い、これが水素結合です。水素結合は生物にとって重要な結合で、タンパク質がらせん構造を作ったり、遺伝子DNAが情報を伝達するのに使われます。水素結合については次のQ&Aで説明します。

水分子の水素結合

http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/q49.html


2015年04月26日(Sun)▲ページの先頭へ
細菌とは何ぞ哉?:細菌方程式凸i*凹i⇔±1
リンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12018971716.html

細菌とは何ぞ哉?:細菌方程式凸i*凹i⇔±1

テーマ:乳酸菌:豆乳ヨーグルト;免疫力と自然治癒

私はだいぶ以前、乳酸菌は氣と関係するのではないかと言った。もっとも、これは愚問である。すべては氣と関係すると考えられるからである。
 乳酸菌と氣は密接に関係するのではと問わなくてはならないのである。
 今はとっかかりがないので、やはり、生命体、生命有機体とは何かと見ないといけない。
 これは、氣哲理学からは簡単である。氣が生命体の根源であり、それが、物質現象化するとき、生命体、生命有機体を作ると見るのである。
 物質自体はエントロピーに支配されるが、氣自体は反エントロピー作用をする。それは、反復する、回帰する作用である。
凸i*凹i⇒±1の陰陽方程式であるが、実は、これは、エントロピー方程式である。正しくは、凸i*凹i⇔±1であり、左方向が回帰なのである。
 左方向は植物で言えば、種子の形成作用であろう。そう、死は同時に、新生を内包するのである。
 今は簡単に⇒−1を向心力、⇒+1を遠心力とする。あるいは、中心性と周縁性である。大地性と天空性である。
 思うに、±1の両極により、球体が生まれる。これが、細菌等の形態である。そして、内部には⇔±1の生命力動があるのである。
 思うに、光合成細菌のメカニズムは、この⇔±1ではないだろうか。吸収する光は、凸i*凹i⇒+1の光である。
 しかし、光合成細菌の氣メカニズム、例えば、凸1i*凹1i⇔±1とすると、光の陰陽エネルギーが左辺と共振して、右辺を形成生産するようになるのではないだろうか。だから、⇔±1が生命有機体である。
 とまれ、今は思いつきに留める。


追記:上記は実に大雑把なもの、てきとうなものなので、無視されたい。
 ところで、⇔±1として、←の方向を種子の方向としたが、これは、言葉でいうとなんであろうか。
 ⇒は天の方向であり、←−1は地の方向である。
⇔±1の左方向は原点回帰である。思うに、それは、原天ないし元天と言えるのではないだろうか。
 もっとも、種子であるから、物質である。生命物質である。それは、氣の活性化、つまり、春を待っているのである。
 端的に、春は光や熱や水である。これが、種子にエネルギーとしてはたらきかけるのである。
 私は氣とは光、熱の原因だと思う。(水はおいておく。)氣の振動・共振が、次元転換して、光、熱となる。
 つまり、春の光や熱には、氣振動、氣共振、氣エネルギーがあるのである。
 それを種子の生命物質が受けて、振動し、発芽を始めるように思えるのである。
 もっとも、種子の生命物質も、氣的回路をもっているから、光と熱の氣振動によって共鳴して、光と熱エネルギーを発動させるということも考えられる。
 ちょっと混乱している。わかりやすく、氣的光、氣的熱と言おう。これが、種子の生命物質に作用する。
 すると、生命物質は氣的物質エネルギー(正しく、氣的量子エネルギー)を受けて、共振を起こし、発芽開花するようになるのではないだろうか。
 今のところは、直観的イメージに留める。

1.
生命の誕生と40億年の進化
www.geocities.jp/msakurakoji/900Note/15.htm


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2.
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5.
病原体の進化(人間の世代時間は約30年、細菌の世代 ... - カラダの教科書
www.karada-navi.com/risk/infectious-disease/137/


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変異 ...
6. [PDF]
光合成の進化 解説 - 日本光合成学会
photosyn.jp/journal/sections/kaiho63-2.pdf


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した。やがてシアノバクテリア. が生まれ、その酸素発生型光合成は大気を変え、大き.
7.
地球の誕生と生物の進化
www.e-cew.co.jp/Microbe-contents/11.html


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真核生物が現れました.また 多細胞生物が誕生したの ... index | 地球の誕生と生物の
進化 | 人と微生物 | 細菌の大きさ | 常在細菌と身の回りの微生物 | 抗生物質と感染症 ...
8.
ゲノムから見た細菌の進化 - J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/dentalmedres/33/3/33.../ja/


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細菌は,外来性遺伝子を取り込んで,その形質を大きく変化させることが知られている.
近年,この外来性遺伝子の排除機構として,Clustered regularly interspaced short
palindromic repeat (CRISPR)/Cas システムが注目されている.このシステムは,外来
...
9. [PDF]
小林研究室:細菌ゲノムの動態・進化 - 東京大学医科学研究所
www.ims.u-tokyo.ac.jp/ikobaya/docs/shingaku2013.pdf


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1. 1. 東京大学・新領域創成科学研究科・メディカルゲノム専攻・基幹研究室:バイオ
医療知財分野. および 東京大学・医科学研究所(連携). 小林研究室:細菌ゲノムの動態
・進化 www.ims.u-tokyo.ac.jp/ikobaya. 医科学研究所(メトロ白金台駅)2号館2階
西側.
10.
古細菌の進化には遺伝子の取り込みが重要だった - natureasia.com
www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/59502


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2015年1月1日 ... シアノバクテリアやプロテオバクテリアなどの原核生物では、個々の細胞間の水平
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いる。今回、134例の古細菌ゲノムで遺伝子の分布と系統発生を調べた ...


2015年04月20日(Mon)▲ページの先頭へ
知性とは何か:陽自我が極大化すると、他者的陰を全く否定して、狂気化・錯誤・妄想する
知性とは何か:陽自我が極大化すると、他者的陰を全く否定して、狂気化・錯誤・妄想する

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように書いた。
 しかし、まだ、陽凸iの第一自我と陰凹iの第二自我との関係が明晰ではないので、再検討したい。
 今は余裕がないので、簡単に指摘するに留める。
 記述上明快にするため、陽凸iの第一自我を陽自我、第一自我、同一性自我等と呼ぶ。
 そして、陰凹iの第二自我と陰自我、第二自我、差異自我と呼ぶ。
 陽自我の他者とは、陰自我でいいのではないだろうか。
 そう、簡単に言えば、陽の他者は陰であるということだろう。
 つまり、他者的陰に対して、陽自我は、連続的同一性によって、支配しようとするのである。
 つまり、他者的陰を同一性化するのである。
 これは、父権的二項対立である。優劣、善悪二元論である。
 問題は、同一性化された他者的陰の力である。
 (否定的)感情とはここに存するであろう。
 この陽自我の同一性力学は確かに、攻撃的ではあるが、知性を保っている。
 しかるに、他者的陰が反動的になる場合のことを考えよう。
 私が想定しているのは、衝動、情動、非合理な力動のことである。
 どう、暴力・攻撃・殺戮的衝動も含まれる。
 陽自我の同一性主義はそれなりに、知性的である。
 しかるには、他者的陰の場合、本質が感性、感情、欲望である。
 陽自我=同一性自我によって、支配された他者的陰は、当然、反動性を帯びるのである。
 これは、衝動、情動、力動となる。
 以下では、陽自我は知性であるとした。
 しかし、反動的衝動をもつ陽自我・同一性自我とは何だろうか。そもそも同一性自我とは何か。
 本当に知性なのか。
 知性は他者性がなくてはならない。
 しかし、同一性自我は他者性(陰)を否定するのである。
 そうならば、同一性自我とは、必然的に錯誤・狂気をもっているのではないだろうか。
 そう、同一性自我と知性は異なるのである。
 では、知性は何処に帰属しているのだろうか。
 直観では、それは、陰、他者的陰に帰属しているのである。
 だから、陽自我は、陰、他者的陰を肯定して、知性を形成するのである。
 言い換えると、陰陽調和によって知性を形成するのである。
 だから、陽自我が極大化すると、他者的陰をまったく否定することになり、それは、知性の喪失を意味する。つまり、陽自我の狂気化である。
 どうもこの説明の方が以下のよりも明晰であると思う。
 今はここで留める。


追記:他者的陰の肯定とは実に難しいことである。不連続的差異論は、確かに、他者的陰を肯定したが、陰とこころ(MP)の区別がほとんどできなかった。
 陰は、他者として肯定されると、陰陽調和から、こころを新生させるのである。ここがミソなのである。

追記2:上記の説明は下記のそれと、いわば、正反対である。しかし、従来の説明は上記の方向にあるのである。
 さて、上記のように考えると、これまで、自我と知性は結びついているとした私の考えを改めないといけないだろう。知性は、自我ではなく、他者性に存するのであるから。
 自我、陽自我凸iは自我同一性であり、それは言語的同一性であり、知的同一性ではないのである。
 知的同一性とは、他者的同一性である。差異である。
 後で、このことについて検討したい。

再掲:父権集団自我(日本父権民族)の集団的利己主義精神力学解明

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

(作図がOSの違いによって、ブレるので、今度は自宅のパソコンから作図して投稿する。)

今は余裕がないので、簡単に(追記:簡単ではなかった)述べるに留める。
 父権化している(正しくは、集団的父権化であるが)日本人の自我のもっている利己主義、自己中心主義について考えていたが、ふと、その力学の主導性は、陰凹i(ルシファー)にあるのではないかと思ったのである。(これは、うつ病や狂気にも関係すると思われるのである。)
 つまり、陰凹i=ルシファーは自己中心性をもっているのであり、それが、陽凸i=アーリマンと結びついて、あるいは、癒着して(連続的同一性化して)、いわゆる、利己主義(エゴイズム)を形成しているのではないかと思ったのである。
 単に、陽凸iの主導性だけでは、自我同一性が進展するのであり、それは、積極的には、知性の進展を意味するのである。
 しかし、問題となる利己主義の場合、自我が知性から逸脱するのである。(今日の某国の支配層をみればいいだろう。)
 自我欲望が主導的になり、知性が歪曲されて、悪用されているのである。騙しであったり、ペテン、詐欺、虚言、等々。端的には、暴力、迫害、殺戮である。
 自我欲望とは、シュタイナーでは、アストラル体であり、私の用語では、感性体である。

 
             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
    第二象限       |      第一象限 
                 |
    −1(地)_____MP(心)_____+1(天)
                 |
       第三象限    |      第四象限
                 |
                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


 上図において、凹i陰が凸i陽に作用して、凸i陽自我のもっている知性を欲望的にねじ曲げると考えられるのである。
 それは、象限でいうと、第三象限の領域になると思われる。(因みに、第二象限は、知性や物質科学の領域だろう。第一象限は、哲学、理性の領域だろう。第四象限は、芸術や宗教の領域だろう。補足すると、技術をどの象限に置くのかと考えると、技術には、創造性と実験・実践性が必要である。技術とは意外に全象限に入るのではないかと思えるのである。これは検討課題である。)
 日本の支配層や父権化された日本人の精神は、今日、この悪徳(ルシファー主導)領域(第三象限)にあると思われる。(本来、日本民族は母権民族が基盤であり、母権的自我をもっていた。母権的自我とは、陰陽調和のこころをもっているのである。しかし、これが、自我欲望の強化によって、否定排除されていったのである。そして、こころが未発達のままに埋没したのである。)
 何故、このように腐敗堕落するかといえば、集団自我であるため、個のこころ(MP)が作用しないからである。ここに善があるのであるが、それは集団主義によって、未発達、排除されているのである。
 いわゆる、傲慢、驕慢、慢心、尊大、高慢の根拠はこの陰凹i(ルシファー)にあると言えよう。
 そのように考えると、父権自我とは、単に、陽凸i(アーリマン)主導だけでなく、陰凹i(ルシファー)の主導性が強いと言えよう。
 あえて言えば、後者の方が強いと言えよう。日本の場合は明らかにそうである。
 そう、女性の場合も、陰凹i(感性体・ルシファー)が主導的なので、そうなる傾向が強いと言えよう。(今日、日本の女性が高慢ちきなのは、このためと言えよう。)
 思うに、父権自我メカニズムの歴史的経緯は、最初は、陽凸i(自我/アーリマン)が主導的であったが、世俗化すると、陰凹i(感性体/ルシファー)の影響が支配的になり、陽凸i(自我/アーリマン)の同一性知性をねじ曲げてしまうようになるということではないだろうか。いわば、父権自我腐敗精神力学である。
 また、この陰凹i(感性体/ルシファー)の支配は、知性をねじ曲げるので、狂気をもたらすということである。
 陽凸i(自我/アーリマン)から外れてしまうので、狂気、妄想、妄信等になると考えられる。
 つまり、いわば、陰凹i的自我ができてしまうのである。
 端的に狂気自我である。
  しかし、理論的にはこの陰凹i的自我は、第二の自我である。あるいは、疑似自我である。
 なぜなら、本来の自我は、陽凸iであるからである。
 つまり、陰的自我とは、第二人格である。陽的自我が第一人格であるからである。
 しかしながら、これは、二重人格である。
  陰凹i(感性体/ルシファー)が支配的になると第二人格が主体となり、陽凸i(自我/アーリマン)を利用し悪用するということになるだろう。
 これが、現代日本の支配層の精神力学と考えられる。政治家が二枚舌となる力学はこれで説明できよう。
 また、森鴎外の『阿部一族』の柄本又七郎の二重人格もこれで説明できよう。すなわち、「情は情であり、義は義である」というダブルスタンダードは、陰凹i(感性体/ルシファー)から「情」を、陽凸i(自我/アーリマン)から「義」を引き出して、説明できよう。
 結局、父権集団主義の力学なのである。
 父権的個があれば、このような錯誤にはならないと考えられる。
 端的に、こころ(光)、MP、陰陽調和が欠落しているのである。
 
追記:陽凸iから陰凹iへの父権集団自我の精神腐敗力学であるが、陰凹i(感性体ないし感情欲望体/ルシファー)が支配的になるのは単に経験的原因に拠るのだろうか。
 理論的に言えば、本来、陽凸iが主導支配的である。
 しかし、陽凸iに対して、陰凹iが支配的になるとはどういうメカニズムなのだろうか。
 理論的には齟齬、矛盾撞着である。
 やはり、陽凸iの自我のもつ連続的同一性作用によって説明できるのではないだろうか。
 すなわち、陰陽方程式的には、凸i*凹i→−1が、陽凸i主導の陰陽方程式である。
 結局、陽凸iと陰凹iは−1として、一致するのである。同一性化するのである。
 だから、本来、陽凸iが主導支配的であるが、それが、陰凹iと一致してしまうので、陽凸iの主導支配性が陰凹iに作用すると言えよう。まさに、陽凸iと陰凹iが連続的同一性化し、陰凹iも陽凸iの主導支配性を帯びると考えられるのである。
 これでいちおう、理論的に説明できた。

追記2:個の発生をどうみるのか。よく、個人はキリスト教がもたらしたと言われる。果たしてそうか。
 私はイタリア・ルネサンスではないかと思う。つまり、個の発生には、母権主義が必要なのである。
 より正確に言えば、父権と母権の均衡において、個が発生したのではないだろうか。イタリア・ルネサンスはそのような力学をもっていたのではないだろうか。
 欧州の父権文化下において、イタリアの土着的母権文化が発露したのではないだろうか。私見では、プロテスタンティズムも明らかに、イタリア・ルネサンスの個の発生がなければ、生じなかったのではないだろうか。


再掲:父権集団自我(日本父権民族)の集団的利己主義精神力学解明
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12016428324.html

再掲:父権集団自我(日本父権民族)の集団的利己主義精神力学解明

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

(作図がOSの違いによって、ブレるので、今度は自宅のパソコンから作図して投稿する。)

今は余裕がないので、簡単に(追記:簡単ではなかった)述べるに留める。
 父権化している(正しくは、集団的父権化であるが)日本人の自我のもっている利己主義、自己中心主義について考えていたが、ふと、その力学の主導性は、陰凹i(ルシファー)にあるのではないかと思ったのである。(これは、うつ病や狂気にも関係すると思われるのである。)
 つまり、陰凹i=ルシファーは自己中心性をもっているのであり、それが、陽凸i=アーリマンと結びついて、あるいは、癒着して(連続的同一性化して)、いわゆる、利己主義(エゴイズム)を形成しているのではないかと思ったのである。
 単に、陽凸iの主導性だけでは、自我同一性が進展するのであり、それは、積極的には、知性の進展を意味するのである。
 しかし、問題となる利己主義の場合、自我が知性から逸脱するのである。(今日の某国の支配層をみればいいだろう。)
 自我欲望が主導的になり、知性が歪曲されて、悪用されているのである。騙しであったり、ペテン、詐欺、虚言、等々。端的には、暴力、迫害、殺戮である。
 自我欲望とは、シュタイナーでは、アストラル体であり、私の用語では、感性体である。

 
             凸i陽(原光:自我)
                 |
                 |
    第二象限       |      第一象限 
                 |
    −1(地)_____MP(心)_____+1(天)
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       第三象限    |      第四象限
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                 |
            凹i陰(原闇:感性体)
    
          陰陽ガウス平面図


 上図において、凹i陰が凸i陽に作用して、凸i陽自我のもっている知性を欲望的にねじ曲げると考えられるのである。
 それは、象限でいうと、第三象限の領域になると思われる。(因みに、第二象限は、知性や物質科学の領域だろう。第一象限は、哲学、理性の領域だろう。第四象限は、芸術や宗教の領域だろう。補足すると、技術をどの象限に置くのかと考えると、技術には、創造性と実験・実践性が必要である。技術とは意外に全象限に入るのではないかと思えるのである。これは検討課題である。)
 日本の支配層や父権化された日本人の精神は、今日、この悪徳(ルシファー主導)領域(第三象限)にあると思われる。(本来、日本民族は母権民族が基盤であり、母権的自我をもっていた。母権的自我とは、陰陽調和のこころをもっているのである。しかし、これが、自我欲望の強化によって、否定排除されていったのである。そして、こころが未発達のままに埋没したのである。)
 何故、このように腐敗堕落するかといえば、集団自我であるため、個のこころ(MP)が作用しないからである。ここに善があるのであるが、それは集団主義によって、未発達、排除されているのである。
 いわゆる、傲慢、驕慢、慢心、尊大、高慢の根拠はこの陰凹i(ルシファー)にあると言えよう。
 そのように考えると、父権自我とは、単に、陽凸i(アーリマン)主導だけでなく、陰凹i(ルシファー)の主導性が強いと言えよう。
 あえて言えば、後者の方が強いと言えよう。日本の場合は明らかにそうである。
 そう、女性の場合も、陰凹i(感性体・ルシファー)が主導的なので、そうなる傾向が強いと言えよう。(今日、日本の女性が高慢ちきなのは、このためと言えよう。)
 思うに、父権自我メカニズムの歴史的経緯は、最初は、陽凸i(自我/アーリマン)が主導的であったが、世俗化すると、陰凹i(感性体/ルシファー)の影響が支配的になり、陽凸i(自我/アーリマン)の同一性知性をねじ曲げてしまうようになるということではないだろうか。いわば、父権自我腐敗精神力学である。
 また、この陰凹i(感性体/ルシファー)の支配は、知性をねじ曲げるので、狂気をもたらすということである。
 陽凸i(自我/アーリマン)から外れてしまうので、狂気、妄想、妄信等になると考えられる。
 つまり、いわば、陰凹i的自我ができてしまうのである。
 端的に狂気自我である。
  しかし、理論的にはこの陰凹i的自我は、第二の自我である。あるいは、疑似自我である。
 なぜなら、本来の自我は、陽凸iであるからである。
 つまり、陰的自我とは、第二人格である。陽的自我が第一人格であるからである。
 しかしながら、これは、二重人格である。
  陰凹i(感性体/ルシファー)が支配的になると第二人格が主体となり、陽凸i(自我/アーリマン)を利用し悪用するということになるだろう。
 これが、現代日本の支配層の精神力学と考えられる。政治家が二枚舌となる力学はこれで説明できよう。
 また、森鴎外の『阿部一族』の柄本又七郎の二重人格もこれで説明できよう。すなわち、「情は情であり、義は義である」というダブルスタンダードは、陰凹i(感性体/ルシファー)から「情」を、陽凸i(自我/アーリマン)から「義」を引き出して、説明できよう。
 結局、父権集団主義の力学なのである。
 父権的個があれば、このような錯誤にはならないと考えられる。
 端的に、こころ(光)、MP、陰陽調和が欠落しているのである。
 
追記:陽凸iから陰凹iへの父権集団自我の精神腐敗力学であるが、陰凹i(感性体ないし感情欲望体/ルシファー)が支配的になるのは単に経験的原因に拠るのだろうか。
 理論的に言えば、本来、陽凸iが主導支配的である。
 しかし、陽凸iに対して、陰凹iが支配的になるとはどういうメカニズムなのだろうか。
 理論的には齟齬、矛盾撞着である。
 やはり、陽凸iの自我のもつ連続的同一性作用によって説明できるのではないだろうか。
 すなわち、陰陽方程式的には、凸i*凹i→−1が、陽凸i主導の陰陽方程式である。
 結局、陽凸iと陰凹iは−1として、一致するのである。同一性化するのである。
 だから、本来、陽凸iが主導支配的であるが、それが、陰凹iと一致してしまうので、陽凸iの主導支配性が陰凹iに作用すると言えよう。まさに、陽凸iと陰凹iが連続的同一性化し、陰凹iも陽凸iの主導支配性を帯びると考えられるのである。
 これでいちおう、理論的に説明できた。

追記2:個の発生をどうみるのか。よく、個人はキリスト教がもたらしたと言われる。果たしてそうか。
 私はイタリア・ルネサンスではないかと思う。つまり、個の発生には、母権主義が必要なのである。
 より正確に言えば、父権と母権の均衡において、個が発生したのではないだろうか。イタリア・ルネサンスはそのような力学をもっていたのではないだろうか。
 欧州の父権文化下において、イタリアの土着的母権文化が発露したのではないだろうか。私見では、プロテスタンティズムも明らかに、イタリア・ルネサンスの個の発生がなければ、生じなかったのではないだろうか。


2015年04月18日(Sat)▲ページの先頭へ
視覚とこころ:肚を作って、自我と肚のバランスを形成して、こころ・視覚・光を新生させ、大自己となる
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12015786922.html

視覚とこころ:肚を作って、自我と肚のバランスを形成して、こころ・視覚・光を新生させ、大自己となる

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

本テーマについて何回か既述したが、あらためて検討したい。
 視覚と自我が結びついていると見る。問題は、視覚とこころの関りである。
 陰陽哲理学(氣哲理学)から見ると、視覚は凸i陽と結びついていることになる。
 以前、海舌氏が、人間認識図で、凸iを光ととっていたが、それは正しいのかもしれない。

  海舌氏による人間認識図

氣哲理学では、光は+1においてあるのであり、凸iを光とすると齟齬になる。この点をどう整理するのかである。
 ここで作業仮説、思考実験であるが、陽凸iを光ではなく、原光としたらどうだろうか。そうならば、陰凹iは闇ではなく、原闇である。
 そして、原光と原闇が共鳴して、光が生まれると見るのである。(勿論、原光が主導だと重力が生まれるのであるが。)
 では、原光(凸i陽)と視覚ないし自我はどう関係するのだろうか。
 氣哲理学から言えば、当然、直結していることになるが、そのメカニズムはいかに?
 まず、視覚、光を感覚するとはどういうことなのか。
 いったい視覚器官のメカニズムは何か。
 直観で言えば、光の根源は原点MP(Media Point)、中心点にある。だから、そこに視覚器官があるのではないだろうか。
 つまり、視覚は陽凸iないし原光にあるのではなく、原点MPに存するということになる。
 ならば、それは、こころと一致することになるのである。
視覚器官=こころということになる。
 そうすると、私の上記したことやこれまでの考えが破綻するのである。私は視覚は自我と直結すると見てきたからである。
 この新たな視点から考えてみたい。
 では、なぜ、視覚と自我が結びつくと考えたのだろうか。それは経験的な判断からである。
 確かに、視覚と頭脳は結びつくのである。頭脳は自我と関係するのである。だから、結びつけたのである。
 とまれ、自我は凸i、陽、原光の主導的能力と言えよう。
 では、自我とこころの関係は、自我がこころを否定、抑圧、排除、隠蔽するというものである。
 つまり、自我形式とは自己同一性主義(簡単に同一性)なのであり、他者性をもつこころを同一性で支配するのである。つまり、自我は、こころの領域をいわば隷属させるのである。
 しかし、基本的には原初的こころが存在するのである。
 そう、こころに視覚があるならば、当然、自我はこころ・視覚に通じていないといけない。
 少し見方を変えると、陽と陰の調和共振でこころ=視覚が生まれるが、そのとき陽が強化された場合、つまり、自我が形成されるとき、こころ=視覚はその影響を受けて、いわば、不透明化するのではないだろうか。
 つまり、こころ=視覚=光は、陽化、原光化するということではないだろうか。思うに、この陽化ないし原光化したこころ=視覚=光とは、物質的光ではないだろうか。氣的背景を喪失した光ではないだろうか。
 それは当然、自我の物質主義に相応する光と言えよう。
 私が自我と視覚が結びつくと見たのは、この点を意味しているのだろう。
 ならば、こころ=本来の視覚(本視覚)=本来の光(本光)を取り戻すには、どうしたらいいのだろうか。
 近代は自我主導的であるので、それは難しいのである。
 自我を失わずに、こころ・本視覚・本光を新生させるにはどうしたらいいのか。
 簡単に言えば、やはり、肚を作ることである。
 陽凸i、原光の主導的であるのに対して、陰凹i、原闇を強化しバランス・均衡をとることが大事である。
 つまり、主導的な陽凸i=原光に対して、能動的に陰凹i=原闇(肚)を形成する必要があるということになるのである。
 それによって、自我と均衡する肚が形成されるのであり、新しい陰陽調和が形成されると考えられる。
 そう、これは、原初のこころ=視覚=光ではなく、生まれ変わったこころ=視覚=光である。
 正に、開眼である。
 この新しい自己はいわば、大自己である。それまでは、自我的自己に過ぎなかったが、自我を包摂した大なる自己なのである。ここには、他者との共生感(仁倫)があるのである。
 今はここで留めたい。

追記:私見では、シュタイナーの説く悪魔アーリマンは陽凸i、原光であり、悪魔ルシファーは陰凹i、原闇であり、キリストは両者の均衡調和である。それは、こころである。

追記2:こころ=視覚=光と上述したが、気哲理学の「座標」とは齟齬となる。
 後者では光は+1である。しかるにで、上記では、原点MPが光となる。
 この矛盾をどう解決するのか。
 原点MPにおいて、陰陽共振調和が為されると光が発生する。だから、原点MPから+1の領域が光と言うことができよう。
つまり、つまり、MP⇒+1の総体が光であり、+1はあえて言えば、天である。もっとも、天は光の総体の終点と見られる。
 今はここで留める。


2015年04月15日(Wed)▲ページの先頭へ
凹i陰*凸i陽⇒±1の±1について再考:±1ないし実軸は量子ではないか
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12014518064.html

凹i陰*凸i陽⇒±1の±1について再考:±1ないし実軸は量子ではないか

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に(参照記事)、−1=重力、+1=光子に関して、それらは、純粋物質ではなく、高次元と物質との境界存在ではないかと述べた。
 しかし、実軸については、それを原子の領域ともとっているのである。つまり、−1=原子核、+1=電子である。
 だから、やはり、±1は物質、純粋物質、あるいは、量子ととるのが的確なように考えられるのである。
 また、これまで考察してきたように、実軸、重力、光子、原子、量子には、高次元の氣が浸透しているということになる。
 つまり、純粋物質と言っても、なんらかの氣が浸透しているということになる。ただし、生命体、自然現象になるには、氣における有機体的情報が必要である。単なる物質の場合は、そのような有機体的情報が欠けていると考えられる。
 とまれ、現時点で見ると、量子論というのは、陰陽ガウス平面における実軸の領域だけを扱っているのであり、虚軸の本来の氣の領域を対象にしていないということになる。
 しかし、量子の領域である実軸には、氣が作用するので、量子の「不思議な」現象が観測されるのである。
 例えば、先に検証された、光子の非局所的相関のような現象である。根本的には、量子の粒子と波動の二重性という現象である。(電磁波は、氣の物質的映像であると考えている。)
 とまれ、以下の実軸とは高次元と現象界の境界という視点は、それ自体は間違っていないと言えよう。
 そう、純粋物質について言えば、やはり、実軸の領域は純粋物質というよりは、量子的物質と見るべきだろう。あえて言えば、氣的物質である。あるいは、メディア的物質である。
 純粋物質はやはり、直近において見たように、±jklを純粋物質と見るべきであろう。
 以下、陰陽GPQ(ガウス平面ー四元数)図を上記の視点で書き換えてみる。


     虚軸(凸i*凹i):氣の領域
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP(霊)・・・・・・+1(光子) 量子領域
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸

       三次元現象空間領域


 陰陽ガウス平面/四元数世界図

思考実験:自然現象発生メカニズム:(凹i陰*凸i陽⇒)±1=⇒が原生命で、±jklが純粋物質
「図示すれば、=⇒☆±jklの☆が宇宙や生命体である。ここに、太陽系や蔓植物が生成しているということになる。
 もう少し考えると、原生命である±1=⇒が±jklを帯びたときが、物質現象化するということではないだろうか。
 すると、物質、純粋物質とは、±jklということではないだろうか。
 これは、原生命の±1=⇒とはまったく別の存在である。
 氣ないしエーテル体とは、±1=⇒であるが、±jklは純粋物質ということになる。 」

***************************

参照:
陰陽ガウス平面の実軸とは高次元と現象界との境界ではないだろうか
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合 先に以下にあるように、「・・・理論的には、±1が純粋物質である。そうすると、+1の純粋物質と−1の純粋物質があることになる。それらは何か。これまでの仮説からは、+1が光であり、−1が重力である。」と書いた。
 しかし、重力は物質なのだろうか。また、光も物質なのだろうか。物理学では、光子には、質量がないのである。
 物質ならば、質量はあるはずである。
 ということから、推測するに、重力や光は物質というよりは、高次元の氣と物質との境界存在ではないだろうかということが考えられるのである。
 そうならば、陰陽ガウス平面の実軸とは現象界、物質界というよりは、高次元の氣界と現象物質界の境界を意味するのではないだろうか。
 分かりやすく言えば、重力と光には氣が浸透しているのではないだろうか。
 今はここで留める。


2015年04月14日(Tue)▲ページの先頭へ
思考実験:自然現象発生メカニズム:(凹i陰*凸i陽⇒)±1=⇒が原生命 で、±jklが純粋物質
画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12014219543.html

思考実験:自然現象発生メカニズム:(凹i陰*凸i陽⇒)±1=⇒が原生命
で、±jklが純粋物質

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下のように書いたが、まだ、物質ないし純粋物質を記述していないのである。
 今は余裕がないので、簡単に触れるだけだが、思うに、四元数の三つの空間軸に、言わば、沿うようにして、天地軸を中心に螺旋ないし渦巻の宇宙や植物が生成するのではないだろうか。それは物質というより有機体、生命体であるが。
 否、天地軸(実軸)に沿うような渦巻やらせんの宇宙や植物が、四元数の三つの空間軸の三次元空間において現象するということではないだろうか。
 その際、氣エネルギー=時間=情報エネルギーは原点MPで発生する原型的形態(イデア、エイドス)を三次元空間において具象、実現していくということではないだろうか。
 数式化するとどうなるのだろうか。

凹i*凸i⇒±1=⇒±jkl

これは、いわば、陰陽ガウス平面・四元数時空間現象方程式である。
 例えば、生命現象は、±1=⇒±jklで表記されよう。
 ±1に生命現象の原型(イデア、エイドス、形相)があると言えよう。そして、±1=⇒に、生命現象の発現があるのではないだろうか。
 だから、これが、物質(生命有機体的物質)である。とりわけ、±1ー=⇒の⇒がそうであろう。
 =⇒±jklは、その生命現象の空間化を意味しよう。
 思うに、この⇒が原初生命ではないだろうか。⇒±jklにおいて、空間的発現をするということであるが。
 だから、正確には、やはり、=⇒±jkl総体、全体が生命体、生命現象、自然現象、物質現象ではないだろうか。
 つまり、この⇒は原生命体であり、生成する直前の様態ということになろう。(追記:原生命体は思うに、五芒星〔ペンタグラム〕を帯びているのではないだろうか。ここから、黄金比的宇宙・生命的現象展開が為されるのではないだろうか。思うに、五芒星は、正確には、±1=⇒の±1と=の間に発生するのではないだろうか。つまり、±1★=⇒の★の位置である。)
 丁寧に見れば、=⇒±jklの⇒と±jklの中間、境界が生命体ということではないか。
 図示すれば、=⇒☆±jklの☆が宇宙や生命体である。ここに、太陽系や蔓植物が生成しているということになる。
 もう少し考えると、原生命である±1=⇒が±jklを帯びたときが、物質現象化するということではないだろうか。
 すると、物質、純粋物質とは、±jklということではないだろうか。
 これは、原生命の±1=⇒とはまったく別の存在である。
 氣ないしエーテル体とは、±1=⇒であるが、±jklは純粋物質ということになる。 
 今はここで留める。

追記:以下の映画『スライブ』のトーラスであるアップル像であるが、中央の渦巻(星雲)が±1=⇒で、その中心から垂直に伸びる軸が天地軸であり、それに巻き付くような螺旋が±1=⇒jklで記述されるのではないだろうか。
 もっとも、可視化されている渦巻は実際は現象化されているので、⇒jklと見てもいいだろう。
 ただし、理論的には渦巻は不可視である。

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**************************
陰陽ガウス平面の実軸とは高次元と現象界との境界ではないだろうか
テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合
先に以下にあるように、「・・・理論的には、±1が純粋物質である。そうすると、+1の純粋物質と−1の純粋物質があることになる。それらは何か。これまでの仮説からは、+1が光であり、−1が重力である。」と書いた。
 しかし、重力は物質なのだろうか。また、光も物質なのだろうか。物理学では、光子には、質量がないのである。
 物質ならば、質量はあるはずである。
 ということから、推測するに、重力や光は物質というよりは、高次元の氣と物質との境界存在ではないだろうかということが考えられるのである。
 そうならば、陰陽ガウス平面の実軸とは現象界、物質界というよりは、高次元の氣界と現象物質界の境界を意味するのではないだろうか。
 分かりやすく言えば、重力と光には氣が浸透しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:そうすると、陰陽ガウス平面とは内在超越平面(略して、内超平面)である。これは、いい視点だと思う。
 そして、物質とは何かという問いが生じる。
 結局、現象界、物質界、自然界は、陰陽ガウス平面の外部に形成されることになろう。
 原点MPから発現する時空四次元としての現象界である。
 それは、海舌氏がかつて活用したように、四元数(しげんすう)〔四元数 [物理のかぎしっぽ] 、四元数 - Wikipedia 〕で説明がつくかもしれない。(以下の参考を見られたい。)
 つまり、陰陽ガウス平面の原点MPから外部に四元数的な時空四次元現象界が形成されるということではないだろうか。
 もっとも、この視点は以前考えたものである。

            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)

追記2:簡単に四元数を使った、いわば、現象界を作図してみる。

−1・・・・・・・・・・MP・・・・・・・・・・+1
          ↓
          ↓
          ↓
          時
          間
          ↓
          ↓
          ↓
         ↙↓↘
       ↙  ↓  ↘
     ↙    ↓    ↘
    j軸    k軸    l軸
    

 四元数的時空四次元現象界図

追記3:時間であるが、上記では原点MPから下降するエネルギーと見ているが、それを虚軸(凸iと凹i)の作用と見ることがいいのかもしれない。
 つまり、陰陽エネルギーに時間が含まれるということになる。
 陰陽氣エネルギー=時間ということになる。
 そして、そこから、光と重力が生まれ、また、現象三次元世界が生じるということになる。
 そうすると、次のような図となる。

        虚軸(凸i*凹i)
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP・・・・・・+1(光) 天地軸
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸
    
  
陰陽ガウス平面・四元数的内在超越的現象界図

追記4:空間三次元と天地軸(実軸)とは異なることになる。通常は天地軸と空間三次元の一つの軸は重ねられてしまうが、そうではなく、別のものと考えられる。
 つまり、実は、空間は四次元であると考えられるのである。
 これは、実は、映画『スライブ』のトーラスであるアップル像をGP陰陽哲理学に適応したとき考えたことであるが。
 そう、四元数を入れた場合は、理論名称に四元数quaternionを入れる必要がある。
 だから、GPQ陰陽哲理学となる。
つまり、Gaussian Plane - Quaternion Yin-Yang Philosophienceである。

追記5:精神・霊の軸と超虚軸とすれば、図は例えば、以下のようになる。         
    
   超虚軸(凸I*凹I):精神・霊軸
            ↓
            ↓
            ↓
            ↓
            ↓
        虚軸(凸i*凹i)
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP・・・・・・+1(光) 天地軸
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸
    

霊的陰陽ガウス平面・四元数的世界(コスモス)図

追記6:そうすると、理論名称はSGPQ陰陽哲理学になる。即ち、Spiritual Gaussian Plane - Quaternion Yin-Yang Philosophienceとなる。

追記7:思うに、超虚軸を作らずに、これまで通りに、原点MPに精神・霊を入れて考えることができるのである。そうすると、図は以下になる。
 もっとも、原点MP=精神・霊と超虚軸は一体化して考えることもできるのではないだろうか。
 しかし、陰陽ガウス平面における単位円=原点MPを精神・霊と見れば、殊更、超虚軸は必要ない。

        虚軸(凸i*凹i)
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP(霊)・・・・・・+1(光) 天地軸
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸


霊的陰陽ガウス平面・四元数的世界(コスモス)図
    
***************************
凸i*凹i⇒−1とは何か
テーマ:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇔±1 GP陰陽方程式は、凸i*凹i⇒±1である。
⇒+1は、陰陽調和、例えば、植物を意味する。
 では、⇒−1とは端的に何か。
これまで、陽主導的発現と見てきたが、何か。
 人間ならば、自我的存在である。
 一般的には何か。
 これまでは、植物ならば、根と見てきた。
 一応、それで説明はつく。
 実は、私が問題にしたいのは、純粋物質のことである。
 それは、⇒±1の±1のことである。おそらく、鉱物の結晶は+1である。では、−1は何か。
 これが純粋物質だろうか。
 しかし、理論的には、±1が純粋物質である。
 そうすると、+1の純粋物質と−1の純粋物質があることになる。それらは何か。
 これまでの仮説からは、+1が光であり、−1が重力である。
 いちおう、それで説明はつく。
 中途であるが、今はここで留める。

・・・


追記(2015年4月14日記載):
上の参考記事に、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±lmn

とあるが、これは現時点では、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=⇒±lmn

というように、±1=⇒±lmnにした方がいいのではないだろうか。
 つまり、+1を光、−1を重力としたとき、それは、現象界で観測されるものであるから、等号はそのままでいいが、両者は、また高次元との境界と考えられるのであるから、⇒記号が必要ではないかということである。
 そうすると、四元数(しげんすう)の実数+1あるいは、±1は、非常に深い意味があることになる。
 それは、光や重力だけでなく、時間をも意味するように思われる。
 否、±1=⇒±lmnの⇒が時間ではないだろうか。
この方が整合性がある。
 今はここで留める。

追記2:
上の追記では

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=⇒±lmn

と表記したが、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=⇒±jkl

の方が記号の順番に適応している。
こちらに訂正する。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12014039374.html


陰陽ガウス平面の実軸とは高次元と現象界との境界ではないだろうか
画像やリンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12014039374.html

陰陽ガウス平面の実軸とは高次元と現象界との境界ではないだろうか

テーマ:GP陰陽哲理学:ガウス平面と陰陽論の統合

先に以下にあるように、「・・・理論的には、±1が純粋物質である。そうすると、+1の純粋物質と−1の純粋物質があることになる。それらは何か。これまでの仮説からは、+1が光であり、−1が重力である。」と書いた。
 しかし、重力は物質なのだろうか。また、光も物質なのだろうか。物理学では、光子には、質量がないのである。
 物質ならば、質量はあるはずである。
 ということから、推測するに、重力や光は物質というよりは、高次元の氣と物質との境界存在ではないだろうかということが考えられるのである。
 そうならば、陰陽ガウス平面の実軸とは現象界、物質界というよりは、高次元の氣界と現象物質界の境界を意味するのではないだろうか。
 分かりやすく言えば、重力と光には氣が浸透しているのではないだろうか。
 今はここで留める。

追記:そうすると、陰陽ガウス平面とは内在超越平面(略して、内超平面)である。これは、いい視点だと思う。
 そして、物質とは何かという問いが生じる。
 結局、現象界、物質界、自然界は、陰陽ガウス平面の外部に形成されることになろう。
 原点MPから発現する時空四次元としての現象界である。
 それは、海舌氏がかつて活用したように、四元数(しげんすう)〔四元数 [物理のかぎしっぽ] 、四元数 - Wikipedia 〕で説明がつくかもしれない。(以下の参考を見られたい。)
 つまり、陰陽ガウス平面の原点MPから外部に四元数的な時空四次元現象界が形成されるということではないだろうか。
 もっとも、この視点は以前考えたものである。

            凸i陽
             |
             |
             自
             我
             |
             |
−1地_____MP・霊______+1天
(重力)         |          (光)
             |
             感
             性
             体
             |
             |
            凹i陰


      応用陰陽ガウス平面

(尚、MPはMedia Pointであり、原点・交点・次元転換点等であり、太極・太一、そして、霊である。)

追記2:簡単に四元数を使った、いわば、現象界を作図してみる。

−1・・・・・・・・・・MP・・・・・・・・・・+1
          ↓
          ↓
          ↓
          時
          間
          ↓
          ↓
          ↓
         ↙↓↘
       ↙  ↓  ↘
     ↙    ↓    ↘
    j軸    k軸    l軸
    

 四元数的時空四次元現象界図

追記3:時間であるが、上記では原点MPから下降するエネルギーと見ているが、それを虚軸(凸iと凹i)の作用と見ることがいいのかもしれない。
 つまり、陰陽エネルギーに時間が含まれるということになる。
 陰陽氣エネルギー=時間ということになる。
 そして、そこから、光と重力が生まれ、また、現象三次元世界が生じるということになる。
 そうすると、次のような図となる。

        虚軸(凸i*凹i)
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP・・・・・・+1(光) 天地軸
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸
    
  
陰陽ガウス平面・四元数的内在超越的現象界図

追記4:空間三次元と天地軸(実軸)とは異なることになる。通常は天地軸と空間三次元の一つの軸は重ねられてしまうが、そうではなく、別のものと考えられる。
 つまり、実は、空間は四次元であると考えられるのである。
 これは、実は、映画『スライブ』のトーラスであるアップル像をGP陰陽哲理学に適応したとき考えたことであるが。
 そう、四元数を入れた場合は、理論名称に四元数quaternionを入れる必要がある。
 だから、GPQ陰陽哲理学となる。
つまり、Gaussian Plane - Quaternion Yin-Yang Philosophienceである。

追記5:精神・霊の軸と超虚軸とすれば、図は例えば、以下のようになる。         
    
   超虚軸(凸I*凹I):精神・霊軸
            ↓
            ↓
            ↓
            ↓
            ↓
        虚軸(凸i*凹i)
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP・・・・・・+1(光) 天地軸
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸
    

霊的陰陽ガウス平面・四元数的世界(コスモス)図

追記6:そうすると、理論名称はSGPQ陰陽哲理学になる。即ち、Spiritual Gaussian Plane - Quaternion Yin-Yang Philosophienceとなる。

追記7:思うに、超虚軸を作らずに、これまで通りに、原点MPに精神・霊を入れて考えることができるのである。そうすると、図は以下になる。
 もっとも、原点MP=精神・霊と超虚軸は一体化して考えることもできるのではないだろうか。
 しかし、陰陽ガウス平面における単位円=原点MPを精神・霊と見れば、殊更、超虚軸は必要ない。

        虚軸(凸i*凹i)
            ↓
            ↓
            時
            間
            ↓
            ↓
−1(重力)・・・・・・MP(霊)・・・・・・+1(光) 天地軸
           ↙↓↘
         ↙  ↓  ↘
       ↙    ↓    ↘
     ↙      ↓      ↘
   j軸       k軸       l軸


霊的陰陽ガウス平面・四元数的世界(コスモス)図

***************************

凸i*凹i⇒−1とは何か

テーマ:陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇔±1

GP陰陽方程式は、凸i*凹i⇒±1である。
⇒+1は、陰陽調和、例えば、植物を意味する。
 では、⇒−1とは端的に何か。
これまで、陽主導的発現と見てきたが、何か。
 人間ならば、自我的存在である。
 一般的には何か。
 これまでは、植物ならば、根と見てきた。
 一応、それで説明はつく。
 実は、私が問題にしたいのは、純粋物質のことである。
 それは、⇒±1の±1のことである。おそらく、鉱物の結晶は+1である。では、−1は何か。
 これが純粋物質だろうか。
 しかし、理論的には、±1が純粋物質である。
 そうすると、+1の純粋物質と−1の純粋物質があることになる。それらは何か。
 これまでの仮説からは、+1が光であり、−1が重力である。
 いちおう、それで説明はつく。
 中途であるが、今はここで留める。

参考:
2014年07月23日 (08:25)
凹i*凸i⇒±1=±lmn:陰陽極性=虚数=時間は原点で実数=四元数的三次元空間を発現する

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

陰陽方程式凹i*凸i⇒±1において(今は、両界曼荼羅方程式両界曼荼羅方程式:凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±jkl
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2096.html
はおいておく)、左辺凹i*凸iの陰陽極性は、時間を意味し、そして、右辺の±1の実数極性は、空間、三次元空間を意味するのではないだろうか。
 次元転換を意味する⇒であるが、そこにおいて、時間が空間を形成する力学がはたらくのであるが、それは、思うに、四元数(しげんすう:四元数 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%85%83%E6%95%B0 )で記述できるのではないだろうか。

i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1

この四元数の基本式において、三つの虚数i, j, kであるが、これは、実は、陰陽極性凹i*凸iが⇒において、仮に、±ijkに変容し、そして、結局、±ijk⇒±1になるということではないだろうか。まとめると、

凹i*凸i⇒±ijk⇒±1

ということになる。
 言い換えると、凹i*凸i⇒±1の⇒には、⇒±ijkが内在しているということになる。
 とまれ、±ijkとは、三次元空間の言わば、原型(プロトタイプ)であり、まだ、物理的三次元空間にはなっていないと思われる。
 三次元空間として、現象するには、±1になる必要があるだろう。

否、今、ふと想起したことであるが、以上のようではなく、

凹i*凸i⇒±1=±ijk

が正しいのではないか。
 つまり、右辺の±1=±ijkは、正に、物理的三次元空間現象を意味しているのではないだろうか。
 そう、左辺凹i*凸iの陰陽極性が時間であり、右辺の±1=±ijkを空間(三次元空間)と読むのである。
 ポイントは、現象において、左辺凹i*凸iの陰陽極性=時間が当然、作用・活動していることである。それが、三次元空間現象の生成消滅を発動させていると考えられるからである。
 すると、陰陽極性凹i*凸i=時間であるが、これは、現象、三次元空間現象において、内在し、且つ、超越して、存在すると言えよう。つまり、陰陽極性凹i*凸i=時間とは、内在超越的存在であるということである。 
 このように見ると、時間と空間の哲学・科学的問題が解明されるのではないだろうか。
 そう、ハイデガーの存在論も、これで、説明できよう。ハイデガーの難解な『存在と時間』であるが、以上のように、陰陽極性凹i*凸iを時間存在すれば、そして、±1=±ijkを空間存在とし、それに、時間存在が内在超越すると見れば、世界内存在も明快になろう。これについては、別に論じたいが。
 そして、また、氣学、氣論もより哲学=科学的に解明されるだろう。つまり、氣の本質は時間存在であり、それは、空間現象するということである。そして、その空間現象、あるいは、時間空間現象とは、自然現象であり、それは、根本的には、生命現象であるということになる。
 最後に、先に仮説した両界曼荼羅方程式凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1であるが、それは、上記から以下のように書き換えられる。

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±ijk

である。
 そう、精神・霊極性凹I*凸Iの精神・霊(スピリット)であるが、それも、現象しているのであるから、やはり、内在超越存在である。つまり、存在とは、二つの存在があるのである。
 精神・霊存在と氣的生命時間存在である。
 思うに、精神・霊存在と時間存在の関係はどうなるのだろうか。
 両界曼荼羅方程式から、精神・霊存在が時間存在を形成するのであるから、精神・霊存在とは、超時間存在である。
 超時間存在とは、何だろうか。
 それは、原時間、元時間である。つまり、非時間である。つまり、永遠である。精神・霊界は、永遠界である。

追記:±1=±ijkであるが、右辺は三次元空間であるが、左辺は物理的極性を意味しているのではないだろうか。電気の±極性であり、磁気のNS極性ではないだろうか。

追記2:虚数の表記が混乱している。陰陽極性の凹i*凸iと四元数のi, j, kのiが同じになっている。
 これは、陰陽極性の虚数を訂正して、Iにすれば、いいだろう。即ち、凹I*凸Iである。
 すると、玉突きで、精神・霊極性の超虚数であるが、これまで、Iにしたが、永遠のeternityから、Eか、あるいは、Iより以前のHにするか、あるいは、最初のαにするか、等である。
 とりあえず、αにしよう。すると、両界曼荼羅方程式は、

凹α*凸α⇒凹I*凸I⇒±1=±ijk

となる。
 しかし、ijkを変えてもいいのである。すなわち、ijkをlmnにするのである。すると、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±lmn

となる。
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2095.html

追記(2015年4月14日記載):
上の参考記事に、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±lmn

とあるが、これは現時点では、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=⇒±lmn

というように、±1=⇒±lmnにした方がいいのではないだろうか。
 つまり、+1を光、−1を重力としたとき、それは、現象界で観測されるものであるから、等号はそのままでいいが、両者は、また高次元との境界と考えられるのであるから、⇒記号が必要ではないかということである。
 そうすると、四元数(しげんすう)の実数+1あるいは、±1は、非常に深い意味があることになる。
 それは、光や重力だけでなく、時間をも意味するように思われる。
 否、±1=⇒±lmnの⇒が時間ではないだろうか。
この方が整合性がある。
 今はここで留める。

追記2:
上の追記では

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=⇒±lmn

と表記したが、

凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=⇒±jkl

の方が記号の順番に適応している。
こちらに訂正する。


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