検討問題:ユダヤ教ないしは旧約聖書問題






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2009年10月29日(Thu)
検討問題:ユダヤ教ないしは旧約聖書問題
本件の問題について、今は予備考察するに留める。
 この問題はなんども述べたが、『精神的フィルター』の視点で再考してみたい。
 根本的問題の一つは、既述したように、神名が二つあることである。即ち、ヤハウェ(エホバ)とエローヒーム(神の複数形)である。これは意外に知られていないことだろう。一般の訳された聖書には、この区別がないのが多いだろう。
 有名な「光あれ」の神は実は、エローヒームなのである。これは、Y⇒+1のYに相当する。
 しかし、アダムのあばら骨からイヴを作った神は、ヤハウェである。父権的神である。唯一神である。
 これは、PS理論ではどう記述できるだろうか。ここでは、思考実験、試行錯誤をするが、-iの「神」を否定する+iの「神」がヤハウェ(エホバ)ではないだろうか。
 これは、(+i)*-(-i)⇒-1ではないだろうか。あるいは、商である。(+i)÷(-i)⇒-1である。あるいは、自乗である。(+i)^2⇒-1である。
 これは、偶像を禁止する神である。偶像は例えば、⇒+1のエネルギー的物質である。端的に、多神教である。つまり、現象形態を否定する神である。現象を⇒+1ないしは+1とすれば、それを否定する神である。端的に、-1となるだろう。
 作業仮説として、ヤハウェを-1とすると、もう一方のエローヒームとはまったく正反対であると言える。
 しかし、これらの相対立する神(神々)が、混同されて唯一神と考えられているのである。これは、明らかな混乱である。
 しかしながら、精神的フィルターを通らない神的エネルギーがあるのではないだろうか。精神的フィルターは、+i⇒+1における⇒である。
 しかし、ヤハウェは+i⇒-1ということになるだろう。Kaisetsu氏の言葉で言えば、非存在としてのヤハウェとなるのではないだろうか。そう、エローヒームが存在の神ならば、ヤハウェは非存在の神となるだろう。
 これは、他者を強く否定する神と考えられる。自民族中心の神である。
 これは、同一性の神とは言えないだろう。一種、非同一性の神ではないだろうか。言い換えると、知性+iが非同一性と結びついているということになろう。
 ユダヤ人が放浪の民であるというは、これから説明できないだろうか。現象的同一性に留まらないのである。(思うに、中国人、客家もそういうところがあるのではないだろうか。)
 思うに、-1は抽象的同一性ではないだろうか。そして、これが、貨幣信仰を生むのではないだろうか。
 即ち、+1が現象的同一性であるのに対して、-1は抽象的同一性ではないのか。これは、非現象的同一性である。
 端的に、-1が唯一神ではないだろうか。
 ギリシア民族が⇒+1ならば、ヘブライ民族は⇒-1となる。もっとも、⇒+1の要素もあるが、否定されるのである。自己矛盾である。
 マイナスに傾斜しているならば、逆に、プラスへと反転することになるだろう。それは、キリスト教、新約聖書を意味するのではないだろうか。そうならば、そこで、精神的フィルターが作用する。
 ここで、「ロゴス」の問題が生じる。旧約では、精神的フィルターはかからないことに対して、新約ではかかるのである。
 問題は少し複雑である。一つは、エローヒーム、一つは、ヤハウェがある。ヘブライ的反転はいわば、逆反転であり、エローヒーム側が賦活されると考えられる。
 そして、エローヒームの「子」として、イエス(単数である必要はないだろう。何故なら、太陽女神の子だからである。)が生まれるだろう。そして、イエスを生む「ロゴス」=「コトバ」は、精神的フィルター=一般言語形式である。
 ヨハネの福音書の有名な「初めにコトバありき」であるが、この「コトバ」は精神的フィルターになってしまうだろう。
 しかしながら、根本は虚軸部の差異共振エネルギーである。ここには、超越波動があり、それも一種の「コトバ」である。いわば、超越波動言語である。
 言いたいことは、イエスを生む「コトバ」とは、二重であることである。超越波動言語と精神的フィルター言語である。


ヨハネによる福音書
第一章
0101> 初めに言があった。言は主と共にあった。言は神であった。
0102> この言は初めに神と共にあった。
0103> すべてのものは。これによってできた。でたもののうち。一つとしてこれによらないものはなかった。
0104> この言は命であった。そしてこの命は人の光であった。
0105> 光はやみの中で輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。』
http://www.wcsnet.or.jp/~m-kato/bible/john.htm

この有名な文であるが、明らかに齟齬がある。何故なら、言と神が別々に存することを告げるが、直ぐに、言は神であると述べているのであるから。
 これはおくとして、この「言」であるが、これは、本来、超越波動言語であるはずであるが、しかし、イエスの生むときは、精神的フィルター言語になるのである。ロゴスというとき、この二種類があるのであるが、聖書では区別されていない。
 ここで、想起するのは、有名なヘラクレイトスのロゴス論であるが、それは、実は、超越波動言語と考えられる。
 

ヘラクレイトス
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ラファエロ 作『アテナイの学堂 』に見るヘラクレイトス・中央の階段左付近で考え事をしている。ただ人物のモデルは、ミケランジェロ といわれている。

ヘラクレイトス(Ηράκλειτος Hērakleitos、 紀元前540年 頃 - 紀元前480年 頃?)は、ギリシア 人の哲学者 、自然哲学 者。
思想 [編集 ]

アナクシマンドロス から対立 と変化 、ピュタゴラス からは調和 の考えを受け継いだ(ピュタゴラスに対しては、しかし、いかさま師であると述べている)。

万物は流転していると考え、自然界は絶えず変化していると考えた。しかし一方で、その背後に変化しないもの、ロゴス を見ている。ヘラクレイトスはまたロゴスは火 であるといった。変化と闘争を万物の根源とし、火をその象徴としたのである。燃焼は絶えざる変化であるが、常に一定量の油が消費され、一定の明るさを保ち、一定量の煤がたまるなど、変化と保存が同時進行する姿を示している。そしてこの火が万物のアルケー であり、水や他の物質は火から生ずると述べられる。ただし、これらの考え方におけるアルケーの概念は、「万物のアルケーは水である」としたタレス などのそれとは異なっている。この「生成 」の思想は、パルメニデス の「存在 」の思想としばしば対立するものとして見られてきた。もっとも、井筒俊彦 によれば、実際には同じ事柄(形而上学 における根源的な部分)を異なる面から述べているにすぎないという(『井筒俊彦全集1 神秘哲学』参照)。ヘラクレイトスの言葉としては、プラトン が引用している「万物は流転する」(Παντα ρει., Panta rhei.)がもっともよく知られているが、実際のヘラクレイトスの著作断片にこの言葉はなく(あるいは失われ)、後世の人が作った言葉であるともいわれる。「同じ河に二度入ることはできない」などの表現にその意味合いが含まれていると思われる(疑義もある)。また、「万物は一である」とも「一から万物が生まれる」とも述べ、哲学史上初めて、「根源的な一者」と「多くの表面的なもの」との関連を打ち出した人物としても注目されている。

その著作の難解さと厭世観から「暗い哲学者」、あるいは、「泣く哲学者」と呼ばれる。また、ヘーゲル などの思想の源流として、弁証法 の始まりを担う人としても考えられている。


この有名なヘラクレイトスの哲学は、端的に、差異共振理論を説いていると考えられる。つまり、虚軸部の差異共振エネルギーの「ロゴス」を説いていると考えられる。
 しかし、新約の「言」は、この「ロゴス」以外の精神的フィルター言語を意味すると考えられる。
 とまれ、新約・旧約聖書には、少なくとも、二つの「ロゴス」があるのであるが、これが混同されていると言えよう。
 そして、西洋文明においては、精神的フィルター言語が主要なので、聖書の「ロゴス」も、精神的フィルター言語として受容されたと考えられる。
 そうすると、当然、虚軸部が喪失されるのである。アリストテレス論理と聖書的精神的フィルター言語が合体すると、完全に同一性主義=唯物論になる。しかも、ヤハウェ的な-1が作用しているから、抽象的な同一性も作用している。
 結局、これらから、西欧近代が誕生することになるのであるが、問題は、ヘラクレイトス的な「ロゴス」の問題である。これが、喪失されるのである。 本来、「聖霊」がこれに相当するはずであるが、精神的フィルター言語や抽象的同一性が支配的なので、「聖霊」の意味がわからなくてなっていると考えられる。
 また、これは、イデア論も同様である。
 後で、ヤハウェについて緻密に検討したい。 

追記:ヘラクレイトスのロゴスであるが、それは、やはり、精神的フィルター言語が入っているのではないだろうか。つまり、虚軸部と実軸部を連続化させている面があるのではないだろうか。だから、ロゴスになっているのではないだろうか。
 つまり、こういうことだろう。古代ギリシア人は、Media Pointにおいて思考したが、+iの父権的知性が強いので、精神的フィルター言語的発想をするのであり、差異共振性をも、ロゴス(言語)にして捉えたのではないだろうか。

ヤハウェ
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ヤハウェ(YHVH, YHWH, JHVH, JHWH, IHVH, יהוה , yahweh) は、旧約聖書 中の、神(結果的には唯一神 )を表すヘブライ語 の単語を、推定の上、音訳したものである。 この4つの子音は「神聖四文字(テトラグラマトン Τετραγράμματον 、ギリシャ語 で『四つの文字』の意)」とも呼ばれる。
呼称 [編集 ]

日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ(YaHVeH ヘブライ文字 ו [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ(YaHWeHのaHを長母音として音写)などの表記が用いられる。また、ユダヤ人たちの間では、後述するように直接ヤハウェの名を口にするのは恐れ多いと考えられ、神聖四文字を「アドナイ」と読み替えていた。YHWHに「アドナイ」の母音符号をつけると、エホウァやエホバ(YeHoVaH)となるのでそのように読まれることもある。
アドナイ、主 [編集 ]

日本語訳聖書 では、前述のユダヤの慣例を踏襲し、アドナイの訳語である「主」と訳すのが一般的である。日本聖書協会 発行の『口語訳聖書 』や『新共同訳聖書 』、カトリック 系の『バルバロ訳』などがこれである。ただし『新共同訳』では『創世記 』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭 の行われた「イエラエ」の地名を説明するために発音を示したものである。

またプロテスタント 福音派 系の『新改訳聖書 』では太字で「主」とする。これは一般名詞としての主と、「文語訳ではエホバ[1] と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」[2] た「主」とを区別するためである。
ヱホバ、エホバ [編集 ]

「エホバ」系の表記を採用するものもある。1887年日本聖書協会 発行の『文語訳聖書 』(明治元訳聖書 )ではヱホバとなっている。[3] また、エホバの証人 の翻訳による『新世界訳聖書 』ではエホバが用いられる。[4] [5]
ヤーウェ、ヤハウェ [編集 ]

「ヤハウェ」系の表記を採用するものは少数派であるが、カトリックの『フランシスコ会訳聖書 』ではヤーウェである。また無教会派の関根正雄による旧約聖書ではヤハウェ、『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0 )の中沢洽樹による旧約聖書では「ハ」を小書きにしたヤハウェが用いられている。また前述の通り『新共同訳』では一部ヤーウェとあるほか、巻末収録の用語解説でヤハウェの読みも紹介している。
エル、エロヒム、シャダイ、神 [編集 ]

旧約聖書では他に「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール )やその複数形エロヒム (同じくエローヒーム)などもヤハウェの呼称として用いられるが、一般に日本語訳聖書 ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書 での訳語を踏襲し神とするものが多い。また、「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は全能の神などと訳される。
エロヒムの訳語としての「神」 [編集 ]

[6] 「神 」の字が、ヘブライ語のエロヒーム、ギリシャ語 Θεός"、英語の"God"の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していた清 におけるキリスト教宣教の先駆者である、ロバート・モリソン 英語版記事:Robert Morrison )による漢文聖書においてであった。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。 の" (

大きく分けて「上帝」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書の最も重要な資料と推定される、モリソン訳の流れを汲むブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書 は、「神」を採用していた。ほとんどの日本語訳聖書 はこの流れを汲み[7] 、「神」が適訳であるかどうかをほぼ問題とずに[8] 、こんにちに至るまで「神」を翻訳語として採用するものが圧倒的多数となっている。
概説 [編集 ]

ユダヤ教 成立以前の信仰をヤハウェ信仰と呼ぶ。ヤハウェは、元来はシナイ山 で信仰された山の精(ジン )などを指したのではないかと考える者もいる。ヘブライ人 がカナン の地を侵略、定着する過程で、先住民カナン人の最高神であるエルやバアル の性格を取り入れ、後にバビロン捕囚 などを経てユダヤ教が成立してゆく過程において唯一絶対神の性格を帯びるようになったとする説もある。四資料説においては、「エル」を神の呼称とする資料(エロヒム資料)に比べ、ヤハウェを神の名とする資料(ヤハウェ資料)は新しく、祭儀を祭司階級に担われたものと考える点などにおいて、先行資料と異なっている。

旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者 を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど感情的であり、創世記 のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節〜や『出エジプト記 』第4章第24節〜などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。
キリスト教における受容 [編集 ]

キリスト教においてもヤハウェは神の名と考えられる。すでに『ヨハネによる福音書 』で「エゴー・エイミ・ホ・オーン」(Ἐγώ εἰμί ὁ ών、「私は在る」の意)という言葉はイエスと結び付けられ、その神性を現す意図で多用されている。「私は在る」とは『出エジプト記』第3章第14節においてヤハウェが名乗ったもので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したのである。正教会 において、イエスのイコン 、とりわけ自印聖像 においてその光輪にギリシア文字 "Ο・Ω・Ν"(ὁ ών 『在るもの』) を記す習慣もこれに関連する。

三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会 においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会 においてはヤハウェはイエス・キリスト の神格における名であると考えられることがある。
発音について [編集 ]

現在、ユダヤ教徒が一般生活において、יהוהを「ヤハウェ」と呼ぶことはない。かわりに「アドナイ」(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay] 『主』)あるいは「ハ・シェム」(הַשֵּׁם [haš Šēm] 『御名』)などの呼称を用いる。これは、モーセの十戒 により、ヤハウェをみだりに唱えてはいけないとされたためである。

しかし、古くはこの名は自由に口にされていたようである。南ユダ王国 崩壊からバビロン捕囚までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも יהוה は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。

それがいつ頃から口にされなくなったのか正確には判らない。しかし、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『七十人訳聖書 』では、原語のヘブライ語での יהוה が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味するキュリオス (Κύριος) と訳されている(ただし『第二イザヤ書 』では前述の通り「私はヤハウェである」が「エゴー・エイミ・ホ・オン」すなわち「私はある」と意訳されている)。つまり、この頃にはこの名が「主」を意味するアドナイと読み替えられていたのであり、バビロン捕囚以後の300年ほどの間にそのまま発音することがタブーとされるようになったと考えられる。

ヘブライ文字 では母音 を記さず、また、その後古典ヘブライ語が日常言語としては死語となってしまったため、ついには正確な発音が忘れ去られるに至った。後にヘブライ文字に母音を表記する方法が考案された際、聖書のこの名が記されている箇所には、アドナイと読み替える前提でその母音が付けられた。そのため、 יהוה つまりYHWHという子音の綴りに、アドナイ( ’Ăḏōnay )の母音 (-ă -ō -a) を付けてエホバ (Yəhōvah) と読む誤読が発生した。なお、文法上、ヘブライ文字yには弱母音のă(ア)を付けられないため、曖昧母音のə(エ)で発音される。

では、実際にはこれはどう発音されていたのか。現在の学者は、元来の神名はヤハウェという意見でほぼ一致している。

人名などの要素として用いられる יהוה の略称は「ヤ」 ( יָה [yāh])、「ヤフ」 (יָהוּ [yāhû])等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。 また、古代教父によるギリシア文字転写形として Ιαουε (ヤウェ?)、Ιαβε (ヤヴェ?)があり、これらからYHWHの本来の発音はYahweh、あるいはYahvehであったと推測されている。
意味について [編集 ]

古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根(√היה [√hyh])と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗った事に由来する。

この「私は在る」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了相の形「彼は在る」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהと似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「実在するもの」「ありありと目の前に在るもの」などの意味だと解釈されてきた。

ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、創世記 の冒頭により、ユダヤ教徒(キリスト教徒 、イスラム教徒 )は、闇が主要素となる宇宙空間 を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッド 、アラー )であると考えている点である。

また、היהのヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、יַהְיֶה [yahyeh]となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。

・・・・・
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7 」より作成
カテゴリ : 唯一神 | 旧約聖書

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