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2008年06月25日(Wed)
英雄神話とは何か:太母と英雄:二つの父権化:多神教的調和統合型と一神教的同一性主義型
神話(物語)では、龍退治がよく出てくる。日本神話では、周知のように、スサノオによる八岐大蛇の退治がある。ギリシア神話では、これは、ペルセウス型神話と呼ばれる。
一般に、西洋文化では、龍退治が重要な機能をもっている。東洋文化の場合は、龍自体が崇拝されることが多い。 私はこれまで、差異の視点から、龍退治を同一性主義と結びつけてきた。だから、ヤハウェとは、一種の龍退治を行う「英雄」と言えよう。 問題は、この英雄はどのような意味があったのか、ということである。私が思っているのは、Media Pointと太母が一致するのではないのかということである。言い換えると、龍退治は、Media Point=太母を排除・抑圧する行為と考えられるということである。 では、問題は、何故、そうする必要があったのか、である。ユング派心理学は、太母=グレートマザーを根源において、自己実現=個性化を説いている。これは、当然、根源的多神教と一神教との関係の問題でもあるし、母権文化と父権文化の関係の問題でもある。 ギリシア神話で言うと、女神的なものは、英雄によって否定される。しかしながら、一神教のようには、完全に排除はされない。形を変えるのである。女神は怪物にされるのである。ゴルゴン、スフィンクス、キマイラ、等々。 ユング派心理学では、太母は恐ろしい母の側面をもつが、いったい、これは何か。食べるとか、飲み込むということがそこにはある。 これは、差異共振性に包摂された同一性をこのような否定的な意味合いで表現しているのかもしれない。思うに、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1において、+iが自己差異であり、-iが他者差異であるが、前者の自己差異が他者差異との関係(共鳴)を断ち切って、「独立」するのが、英雄神話の意味なのかもしれない。 では、この他者差異との関係(共鳴)を断ち切るとはどういう力学なのか。この問題はこれまで、繰り返し検討してきたことであり、同一性主義の志向性ということである。これを父権主義と呼んできたのである。 しかし、問題は単純ではない。英雄神話には、龍がもっている「宝」を獲得する意味がある。これは、普遍的構造をもっている。 この「宝」とは何か。それは、また、囚われの「姫」を救済し、結婚(聖婚)することと等価であろう。 思うに、太母にあるイメージは、束縛・拘束・幽閉等の閉鎖の意味がある。私が思ったのは、太母とは、Media Pointではあるが、同一性と差異との未分化様態にある位相を意味しているのではないのかということである。言い換えると、連続態である。一方では、同一性様態があり、他方では差異様態がある。しかし、両者は、いわば、癒着しているのである。還元すると、同一性には差異が付着し、差異には同一性が付着するのである。 だから、ここには、純粋な同一性や純粋な差異が形成されないのである。このMedia Pointの未分化様態が太母なのではないだろうか。どうもそう考えた方がいいように思えている。 この未分化様態を断ち切る意味が英雄神話にはあるように思えるのである。未分化様態である龍が退治されるのである。そして、「宝」や「姫」を獲得するのである。「宝」や「姫」であるが、「宝」は同一性主義ではないだろうか。そして、「姫」は、純粋差異ではないだろうか。 ならば、どうして、純粋差異が発生するのだろうか。これは、保留しておこう。 今思っているのは、二つのタイプのポスト母権主義があるように思えるのである。一つは、純粋な父権主義(二項対立型)と、一つは、父権文化と母権文化の結合・統合(統合型)である。ギリシア神話は後者的であり、ユダヤ・キリスト教は前者的であると考えられるのである。 そうすると、英雄神話の場合も、この二つのタイプがあることになる。ペルセウス型は後者になると思うし、また、バビロニア神話は前者であると思う。 この二つをどうみるのか、である。前者は純粋な同一性主義で説明できるが、後者をどう見るのか、である。後者には、調和・平衡志向がある。共鳴・共振志向である。共立・共生・平和志向である。 いったい調和統合型には、どういう力学が働いているのか。端的に言えば、それは、なんらかの形で、他者差異を肯定するということである。他者差異を排除抑圧しないということであり、他者差異をなんらかの形に変換するように思えるのである。 思うに、同一性志向性が発動したとき、差異は抑圧・排除されるが、しかしながら、差異自体は消滅するのではなく、潜在化したのである。この潜在化された差異が「姫」に当たるのではないだろうか。 つまり、同一性志向性の発生とは、同時に、差異の潜在化である。しかし、差異の潜在化をも徹底して排除しようとしたのが、一神教である。それはある意味で特異点なのである。一神教的特異点である。 思うに、一般的には、同一性と差異の両面があると考えられるのである。父権化とは、同一性志向性を意味する。しかしながら、当然、差異が潜在化し、それは、差異志向性となると思う。 父権化における、顕在的な同一性志向性と潜在的な差異志向性があるが、調和統合型は、この二つの志向性を共立させる方向性を当然もっていると考えられる。 しかし、一神教的父権化は、同一性中心主義へと傾斜して、差異を闇ないし無へと葬るのである。この同一性中心主義の光は、だから、同時に、闇である。光即闇となるのである。父権的合理主義は光であると同時に闇ということである。 どうも以上の思考実験(試行錯誤)で、本件に対して、少しは明瞭になってきたように思える。二つの父権化があり、一つは調和統合型であり、これは、21世紀文化・文明の原型になるものであり、一つは一神教的同一性主義であり、これは、乗り越えられるべきものである。 一神教的父権化の力学は、これまで述べたように、いわば、極性の極端化である。陽の極へと極端化した場合と考えられるのである。 今はここで留める。後で再考したい。 p.s. Media Point=太母の説明は不十分だと考えられる。以上では、未分化様態と言っているのが、それは不正確だと思えるので、訂正したい。 正しくは、本来は未分化ではなく、同一性を包摂した差異共振性がPrimary Media Point=太母である。しかしながら、それが、いわば、デカダンの様態になるのである。そのときに、未分化様態・連続態が発生すると考えられる。この「カオス」の乗り越えるのが、父権化の意味であったと思う。発生的に見る必要がある。 p.p.s. 結局、太母文化は、差異共振性を「宝」(おそらく、聖杯、指輪、大鍋、角、等々がこれをmode化している)=叡知(ソフィア)としてきた。そう、例えば、日本で言えば、卑弥呼(「日巫女」)は、この叡知を知る者(参照:聖【ひじり】)であったように思える。 しかるに、この太母文化が長く続くと、堕落が始まる。それは、物質的生活の進展に伴い、同一性が強化されることによって、発生すると考えられる。有り体に言えば、利己主義化が起るのである。 しかしながら、太母文化においては、同一性の強化は、差異による包摂関係があるので、連続化が発生すると考えられるのである。つまり、差異による包摂性が前提にあるが、そこにおいて、同一性志向性が強化されると、同一性は勘違いして、「自己」が差異から独立していると錯誤するのである。差異による被包摂性があるのだから、同一性は、差異からは自由にはなっていないのである。これは、没入、短絡、ショートである。 やや飛躍するが、全体主義の根因はここにあるように思える。つまり、太母文化が基盤にあるが、そこにおいて、同一性主義が強化されるショートして、全体主義化するように思えるのである。ロシア、ドイツ、イタリア、日本で特に全体主義が起ったのは、ベースの太母文化によるのではないだろうか。 それに対して、イギリスやフランスはいい意味での、合理主義が進展していたので、全体主義化は避けられたのかもしれない。もっとも、ナチスの場合は、経済的原因が大きいと思うが。 太母文化の核である差異共振叡知をもった文化は強い文化であるが、歴史の進展ともに、太母文化の記憶は薄れていき、同一性化が強化されるのである。そして、未分化・連続化が生起するのである。 日本の場合、明治維新は、太母文化を天皇制という形で、同一性化したと言えよう。ここにおいて、二つのあり方が存したと言えるのではないだろうか。 一つは、差異共振叡知をもった日本近代化であり、一つは、同一性中心主義的近代化である。私が考える明治日本ルネサンスとは、前者であり、軍国主義は後者である。 そして、戦後日本は、差異共振性=太母文化を排除するようにして、アメリカ的な近代化を行った。つまり、日本太母文化の根をなくして、つまり、そこから、切断されて、戦後近代化を行ったのである。 同一性合理主義の発生である。これは、一種の一神教化と言えるのではないだろうか。自国文化の太母文化は完全に否定されたのである。 結局、排除された差異共振性=魂=イデアが復活する必然性がここにはあるのである。その大マグマが日本人の無意識に蠢いていると言えよう。 そして、この賦活されつつある差異共振魂を戦後同一性近代化は、抑圧するのであり、そこで、暴力、狂気、犯罪、悪意が生じるのである。それが、今日のカオスの意味ではないか。
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