シュタイナーの霊学とPS理論:霊とイデア:同一性=物質と幻影=マーヤー |
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2007年10月10日(Wed)
シュタイナーの霊学とPS理論:霊とイデア:同一性=物質と幻影=マーヤー
『神々との出会い 』(シュタイナーコレクション) (単行本)
ルドルフ シュタイナー (著), Rudolf Steiner (原著), 高橋 巌 (翻訳) ほぼ読了したが、驚くような解明と疑問に感じる箇所があった。ディオニュソスの解明は、驚異的であった。プラトン自身がディオニュソスの顕現であり、ソクラテスが賢者シレヌスの顕現であるというのは、すごいと思った。私は、プラトンのイデアとディオニュソスは共通すると考えているので、腑に落ちたし、さらに驚いた次第である。 結局、シュタイナーの説く霊をどう見るのかである。シュタイナーは現象、物質的現象は幻影であると確言している。これは、イデア論の現象=仮象論や仏教のマーヤー(幻影)論と共通である。 私は先に、イデア論における個体がイデアを分有することや大乗仏教における色即是空=空即是色において、物質が肯定されていると考えたし、それ以前に、同一性(物質)を包摂する差異という考え方を提起して、物質的現象は仮象・幻影ではないと説いたのである。だから、シュタイナーの霊論とは、異なると言えよう。 私は、先に、シュタイナーの霊学=人智学が、PS理論と通じるものをもっていると言ったが、当然、完全に一致するわけではない。霊の捉え方で異なると考えられる。 PS理論はイデア論ないしは新イデア論であり、そこにおいて、霊性を説くと言える。そして、イデア=霊の同一性化としての物質を考えているのである。同一性=物質は、幻想ではなくて、感覚的認識、とりわけ、視覚的認識によって発生する様態であり、幻影と呼ぶのは、誤りであると思われるのである。 ここにおいて、シュタイナーの霊学とPS理論は異なると言えよう。イデア=霊の捉え方の基本的な相違があると思えるのであるので、少し考察しよう。 以前、私がシュタイナーの霊学を批判したとき、それが、霊主体従(れいしゅたいじゅう)、つまり、霊が優位であり、物質は劣位であるという点を批判したのである。この考えだと、霊中心主義になり、物質を貶め、軽視するようになると考えられたのである。そして、これは、本書を読んだ今も妥当すると考えられる。 そう、シュタイナーの霊学は確かに至上に驚くべき壮大な内容(霊的宇宙進化論であり、私は惹かれるのは確かであるが)をもっているが、その霊主体従だと、物質的現実から霊的世界へと逃避することになると思われるのである。醜悪な物質的現実(p.s. 単に、醜悪だけとは言えないだろう。自然には、驚異的な美があるのだから。)から目を背けて、霊界の探求に陶酔するように思えるのである。 とまれ、問題点は、同一性=物質の評価の相違にあると言えよう。それを幻影=マーヤーと見るのか、物質的現実として評価するのか、である。もっとも、これは、私としては、上記したように、答えが出ているのである。とは言え、ここで、もう少し、霊と同一性=物質の関係について、考察してみよう。 そう、問題は、言葉の問題でもある。私たちが通常目にしている物質的現象・現実は、差異から見ると、幻影=マーヤーと言えないことはない。本来、不連続な差異が連続化=同一性化して、物質となっているのだから。しかしながら、連続化=同一性化は、差異がもっているある必然性によるのである。だから、これを単に仮象=幻影=マーヤーとして、貶(おとし)めることは、自然に対する侮蔑ではないだろうか。自然は、自身の内奥から連続化=同一性化をもたらした。しかしながら、同時に、内奥から差異への復帰を少数者に知らしめているのである。啓示、哲学、芸術、等で告知しているのである。 そう、超自然的やシュールレアリスム等の言い方は、本来的ではないだろう。自然は連続性=同一性によって、物質的現象という、いわば、衣服を宇宙にもたらしているのである。そして、自然の裸体は、差異=イデア=霊なのである。(比較:『ベールを脱いだイシス』) 比喩的に言えば、霊と物質は裸体と衣裳と言えるのである。問題は、かなり難しい。果たして、人体から衣裳をとった裸体が、人間本体であるのか、否かである。しかし、衣装は必要であろう。ファッションは必要であろう。仮象は必要であろう。ここで、アイルランドの詩人のW.B.イェイツの言葉、ダンサー(踊り子)とダンス(踊り)を区別できるのか、を想起する。これは、また、仮面の問題でもある。また、D.H.ロレンスの身体肯定論とも通じるのである。 言い換えれば、そして、端的に言えば、霊と物質とは同じである。(これは、中沢新一の霊的唯物論とは異なることに要注意である。)なぜなら、霊が連続化=同一性化して、物質になるからである。物質とは、霊の連続性=同一性ということである。 問題は、近代文化において、基本的に、連続性=同一性=物質主義(唯物論)が中心化されて、差異=イデア=霊が否定されてしまったことにあると言えよう。しかし、トランス・モダン的進化の歩みが、哲学(フッサール現象学:ハイデガーの哲学は、近代主義の一種の極北=ポスト・モダンであり、危険な哲学であり、現象学と呼ぶべきではない。因みに、三島由紀夫の思想であるが、近代的虚無に貫かれている面とそれを乗り越える精神への志向があった。しかし、反動的に戦前へと志向してしまった。三島にある積極的なものを評価はすべきであるが。)や物理学(相対性理論や量子力学)や現代的仏教(鈴木大拙他)によって、為されてきたのである。つまり、自然の内奥にある差異=イデア=霊を取り出すことができるようになってきたのである。これは、反動的ではなく、積極的である。つまり、近代主義=連続・同一性主義を前提としつつも、それを乗り越える視点、差異の視点をもたらしたからである。換言すると、ポスト連続・同一性主義としての差異主義である。だから、連続性=同一性は批判の対象ではあるにしても、否定の対象ではない。物質を前提にしつつも、それを超える視点を提起しているのだからである。 ということで、シュタイナーの霊学を乗り越える必要があると言えるのである。それを積極的にトランス・モダン化する必要があると考えられるのである。トランス・霊学である。トランス・シュタイナー主義である。 もっとも、シュタイナー主義のもつ驚異的な霊界論は、参考になるものである。例えば、本書でも言及されているキリスト衝動という概念であるが、それは、 PS理論では、Media Pointのエネルゲイアであると言えよう。ここでは、差異は共振化するのであり、差異と差異が共振・共鳴・共感化するのである。とまれ、シュタイナーのキリストとは、大乗仏教の大日如来や阿弥陀如来等とつながる概念である。それを、大乗的キリストと呼べるのでないだろうか。シュタイナーのキリスト衝動は、大乗的キリスト・エネルゲイアと呼ぶことができるだろう。Media Point エネルゲイアである。(p.s. 神道であるが、それは、霊的宇宙論と言えるだろう。それは、おそらく、途轍も無い太古の世界観から生まれたものだと思う。琉球文化におそらく通じている。参考:折口信夫の『古代研究』) 最後に、より端的に、シュタイナーの霊とは何かを述べてみよう。思うに、シュタイナーは霊だけを見て、物質を見ていない。しかしながら、物質は霊の顕現なのである。だから、霊に対して、不誠実さがあると思う。物質は滅びるものではあっても、生成消滅するものとしての意味があるのである。世阿弥の花論である。あるいは、無常論である。桜の美学である。この生成消滅する物質現象を肯定しつつ、霊・差異・イデアへの世界(霊界)へと進展するが本来的であろう。生成消滅する物質現象を包摂した差異・イデア・霊の統括的世界観をもつべきである。物質を卑しめる、貶める思想は不誠実である。ということで、シュタイナーの霊とは、反近代的、反動的なものであろう。思うに、それは、連続性=同一性化以前のMedia Pointの様態を説いているとも言えるのではないだろうか。だから、霊と物質の分裂、二元論(霊主体従)が生じているのだろう。つまり、前近代的霊学である。
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