ポスト父権的日本へ向けて:新母権的日本の誕生へ:日本人と個:集団的父権主義と個的母権主義






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2013年05月13日(Mon)
ポスト父権的日本へ向けて:新母権的日本の誕生へ:日本人と個:集団的父権主義と個的母権主義
テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私が見るところ、現代日本人は、個を排除している。そして、集団原理における自我原理で生きているように見える。
 とまれ、個について、もう一度考えてみたい。
直観で言うと、やはり、個は、個の原理は、肚、陰、陰イデアに存するのである。
 「わたし」の基盤、基底、ベースは肚、陰、陰イデアにあると直感するのである。
 そして、「わたし」が感じる苦しみもそこに存するように思うのである。(喜び、嬉しさもそこだろうか。それは、胸のような気がするが。)
 そう、私は今日も森を散策したが(まるで、低山の尾根道を歩いているみたいだ。ただし、眺望のない。)、森と私は共振している。森は陰である。陰で森と共振するのである。
 もっとも、視覚(陽)は森の姿を捉えているのであり、陰と陽の共振があるのである。森の陰陽共振と私の陰が共振している(私の主体における森の陰陽共振と私の陰陽共振の共振である。共振の共振である。)ということだと思う。
 とまれ、私にとり、森は陰である。それは、イデア的生命である。
 そして、この陰に私の個もあるのである。私と森は陰=個的に連結していると言えよう。
 しかしながら、現代日本人を見ると、陰が欠如しているように見えるのである。
 「わたし」という自我=陽(正しくは、超陽)は、ベースに肚=陰をもっているのである。ここに、「わたし」の個の原点がある。それは、陰陽共振である。ここで、植物的生命(グリーン・イデア・エロース)と調鳴するのである。つまり、陰は、陰陽共振、陰陽イデア、気イデアを指しているのである。言い換えると、気イデア界を指している。というか、気イデア界の分有がそこにあるのである。つまり、気イデア界に陰において、「わたし」は個として、帰属しているのである。
 気イデア界とは、「わたし」の個の本体・本質である。つまり、「わたし」の根源である。
 だから、私が現代日本人に陰が欠落していると見るとき、それは、現代日本人が本体・本質を喪失しているということと同じことになる。
 これは、どういうことなのか。明らかに、個の本体・本質・原基を排除して生きているのである。つまり、本当には生きていないのである。皮相に、物質的に生きているに過ぎないのである。魂が抜けているのである。
 これは、不連続的差異陰陽論から見ると、同一性主義=自我(超陽)によって、陰=他者を排除・隠蔽していることを意味するのである。
 有り体に言えば、他者自体を知りたくないのである。自我、それも集団社会的自我でありたいからである。
 実に軽薄な、皮相な、また、後退した生き方である。サブ・ヒューマンである。
 この同一性主義を肯定するためのなんらかの基準があると考えられる。
 当然、集団的鏡像である。それが、価値判断の基準となっているのである。
 そう、その集団的鏡像の基準であるが、それは、近代的科学・技術と資本主義の物質主義をベースにもっていると考えられる。そう、唯物論である。正しくは、唯物教、唯物崇拝であるが。
 つまり、唯物的集団的自我が現代日本人の主体の基調である。
 問題は集団主義である。この根源は何か。
 集団主義とは自他未分化様態を意味するだろう。
 では、自他未分化とはどういう力学をもつのだろうか。
 ここでこれまでの考えを言うと、集団主義は弥生農耕文化社会の産物であったので、一種の母権主義であると考えていたのである。
 しかし、今、ふと、自他未分化とは、父権主義に拠るのではないのかと思えたのである。
 母権主義は、陰をベースにするので、陰陽共振があるので、自他は未分化ではない。
 ならば、弥生農耕文化の母権的集団主義は、自他未分化ではないということになる。
 だから、私の視点を訂正する必要がある。集団主義は必ずしも自他未分化ではない。自他未分化の集団主義と自他分化の集団主義があるということになる。
 ということで、問題は、唯物的自他未分化的集団的自我の問題となる。そして、自他未分化的集団主義は父権主義と考えられるのである。
 故に、唯物的父権的集団的自我が現代日本人の主体ということになる。
 だから、父権的集団的鏡像が価値判断基準ということになる。
 端的に言えば、父権主義的鏡像である。つまり、父権的価値ということである。父権的イデオロギーである。
 強固な父権主義があるということになる。
 結局、現代日本人に陰が欠落しているということは、とりもなおさず、父権中心主義が支配しているということになるのである。そう、今日、若者を見ると一見、女性がイニシアティブ、主導力をもっているように見えるが、実は、女性が父権主義を模倣しているということだろう。倒錯なのである。決して、母権主義ではないのである。
 結局、現代日本人が個を排除しているということは、父権主義が支配していることが原因ということになったのである。
 自我(超陽)は、陰、陰陽共振、気的イデア界、根源界、母権原理を恐れるということなのである。
 結局、私の持論をまた証明することになった。つまり、近代日本は、父権的民族の日本人が作ったのであり、母権的民族の日本人は抑圧・排除されていることになるのである。
 日本人は本来は後者である。父権的民族の日本人は、本来的ではないのである。それは、外来種である。しかしながら、それは、一つの要素である。
 現代日本の超危機は日本民族本来の母権的民族が排除、隠蔽されているということである。
 そう、この父権的民族支配は、実は、某国による日本の植民地支配によって強化されていると言えよう。
 日本内部の父権主義と外部の父権主義が結合して、日本本来の母権民族性を抑圧・排除・隠蔽しているのである。
 ここに亡国の超危機があるということになるのである。
 後で整理したい。

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