牛頭天王と女神信仰






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2009年11月27日(Fri)
牛頭天王と女神信仰
牛頭天王については、これまで考察したことはなかったが、牛の頭ということで、これは、女神の信仰に通ずるのではないかと思った。当然、ヒンドゥー教とも関係する。
 そうすると、仏教と女神の信仰との関係が示唆されている。
 また、武塔神という点では、シャーマニズムと関係があるので、やはり、女神の文化に近いだろう。
 また、武塔神の「民話」は、傘地蔵やゼウスの民話的神話に似ている。
 また、悪を滅ぼすという点では、聖書のロトの話を想起する。いわば、義人救済の神話である。
 先に転載した記事では、近世の神道家や国学者にとっては、「まことに疎ましく目障りなもの」とあった。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/minoh/gozutenno.htm
国学はキリスト教の影響を受けて一神教的になったと考えると、これは意味深長である。女神信仰や多神教をやはり想起する。今はここで留める。 

追記:端的に言えば、Media Point、精神的フィルターの様態ではないだろうか。一神教ないしは父権制の思考にとっては、それは否定の対象である。有り体に言えば、憎悪の対象である。一神教や父権制は多神教と母権制にがまんがならないのである。
 
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参照:
蘇民将来
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蘇民将来(そみんしょうらい 蘇民將來)とは近畿地方 を中心に日本各地に伝わる説話 、およびそれを起源とする民間信仰 である。

古くは『釈日本紀 』(卜部兼方 鎌倉時代 中期)に引用された『備後国風土記 』逸文 の疫隈國社 に見えるほか、祭祀起源譚としておおむね似た形で広く伝わっている。すなわち、旅の途中で宿を乞うた武塔神 (むとうしん)を裕福な弟の将来(『備後国風土記』では「或本作巨旦將來也」とあり、巨旦将来 こたんしょうらいとされる)は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神 は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘には茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼした。武塔神 は速須佐雄能神(スサノオ )を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。

この逸話を基に岩手県 内を始め各地に伝わる蘇民祭 を始め、京都の八坂神社 や伊勢 ・志摩 地方の年中行事で厄除け祈願として、茅の輪 潜りや蘇民将来護符の頒布、注連飾り などの祭祀が盛んに行われている。

また、川村湊 は『牛頭天王 と蘇民将来伝説』(作品社、2007年)にて武塔神 (むとうしん)と妻女頗梨采女 (はりさいじょ)の関係と朝鮮 土俗宗教である巫堂 (ムーダン)とバリ公主 神話(パリ公主神話)の関係について関連があるではないかとの説を述べている。


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カテゴリ : 民間信仰 | 日本の年中行事 | 厄除け | 説話

武塔神
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武塔神(むとうしん)は、蘇民将来 説話 に登場する神。武塔(むたふ)の神、武塔天神とも。卜部兼方 が13世紀 後半に著した『釈日本紀 』にも引かれている『備後国風土記 逸文 』の「疫隈國社 (えのくまのくにつやしろ)」)が初見である。

武塔の神は北海の神で、嫁取りに南海に訪れたとされ、自ら「吾は速須佐能神(すさのおのかみ)なり」と称している。ゆえにスサノオ と同一視される。 武塔は固有名詞ではなく、朝鮮の武塔(ムータン)の台形状の聖所にある神の意味と言われる。 ムータンという言葉は、朝鮮では、巫堂mudang というシャーマン 的存在が知られる。中国語にはmudan(牡丹)という語があり、 また毘沙門天 と唐 代の武将李靖 (571年 - 649年)が習合した道教の神である托塔天王と関連付ける説もある。

『備後国風土記逸文』の武塔神の説話は、のちに牛頭天王 の説話『祇園牛頭天王縁起』へと話がスケールアップしている。

武塔神の弟の巨旦将来 は、夜叉国の巨旦大王(金神)になり、武塔神は「身の丈七尺五寸の大男・牛頭をした太子」牛頭天王 へと変化し、巨旦大王と戦争まで起こしている。牛頭天王は、摩訶陀国 (まかだこく)の王舎城 (マガダのラージャグリハ)の大王とされる。

* 『伊呂波字類抄 』によれば、「天竺北方の九相国に吉祥園があり、牛頭天王はその城の王で武塔天神とも云う。」としており、八王子と8万4654の眷属神をもつとする。

* 陰陽道 の教典の一つである「刃辛(ほき)内伝」では天刑星(てんぎょうしょう)の神の転生で、吉祥天 の王舎城の大王で商貴帝と呼ばれる。

* 「九相国」はときに「倶相国」「吉祥国」「豊饒国」等と記述されるが同じである。

関連項目 [編集 ]

* スサノオ
* 牛頭天王
* 蘇民将来
* 金神

執筆の途中です この「武塔神」は神道 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 などして下さる協力者を求めています (ポータル 神道 /ウィキプロジェクト 神道 )。
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カテゴリ : 民間信仰 | 日本の神 | 説話

バリ公主神話(口伝神話)



1. 概要

 バリ公主(王女)の両親は、占いの結果を無視して厄年に結婚し、世継ぎの太子を望んでいたが、それとは裏腹に七人の公主が次から次へと生まれ、激怒した父親は末っ子であるバリ公主を捨てるように命じる。
 バリ公主を捨てたため、両親は不治の病にかかるが、捜し出されたバリ公主が、親の命を助けるため西天西域国へ薬水を求めて旅立つことになる。
 途中、様々な苦難が待ち受けているが、釈尊、地蔵菩薩、弥勒菩薩、神などの加護で、その苦難を乗り越える。最後に、神(弥勒)と結婚し、九年間に息子七人を産み献じ、その見返りとして薬水をもらい、親のところへ帰る。
 そこですでに亡くなっていた両親を甦らせ、その褒美として、バリ公主とその息子たちは、十王またはそれに準ずる神となる。 (金香淑 『朝鮮の口伝神話―バリ公主神話集』 1998和泉書院 p.22〜23)
 

・死霊祭において巫堂(ムーダン)により唱えられる、バリ公主を主人公とした代表的な巫歌。口伝であるため異本が多い。

・バリ公主のバリは「捨てる(バリダ)」という動詞からきている。公主は王女。地方によってはベリテギと呼ばれるが、これは「捨て子」のこと。他に七公主(七番目の娘から)、オグ大王解(父親がオグ大王と呼ばれていたことから)などの呼び名もある。

・バリ公主は、両親を甦らせたことから、巫祖の神として死霊を極楽へ連れて行くとされる。

・「死霊祭の巫歌に(使われ)…、さらに満州・蒙古地域の巫歌との共通点も(あることから)…、@生き返らすモチーフの上にA捨て子の要素の結合、さらにB 男女の対立、C姉妹の葛藤とD孝の要素(など)が潤色されたものと思われる」(崔吉城『韓国のシャーマニズム』p.397)

・「棄子」や「母神と若い息子神」は多くの始祖神話にも見られるパターンである。

・バリ公主神話は、もともと(イザナギのように)死の国への旅であったが、その後道教・仏教などの影響を受け、西天、西域国あるいは玉皇の天上界への旅となったと考えられる。

・虐げられた末娘の孝行話はシェークスピア「リア王」を連想させる。

・孝行娘が試練を経て病気の親を救う話は、有名なパンソリの「沈清伝」のテーマでもある。

・このような巫俗における父娘関係の重視は、儒教において父息子関係が重視されているのと対照的である。

・他人の救済のため生きたまま天上界を往来するバリ公主の行動はまさにシャーマンである。

・薬水を得るために耐えねばならない艱難辛苦はシャーマンのイニシエーションを象徴しているといえる。



2. 全文

 金東里 『巫女 乙火(韓国文化選書3)』 1982成甲書房からの引用(p.197〜219)。巫女である乙火がクッのなかでバリ公主神話を唱えるシーン。内容はソウル地方のものと思われるが、上の概要とは異なる部分もある。

 庭にいっぱいの、群衆の息づかいすら、とまったかのように静まりかえった。その静寂を破って、杖鼓の音が二回くらい鳴ると、こんどは乙火のしわがれたような情愛のこもった声がおちついて唱えられはじめた。
「ベリテキ(*)、出てくれ!」
 このひと声に、たちまち、ア!と感嘆する声まで聞こえた。
 乙火は黒い宝石のように輝く両眼で、群衆をひとまわり眺めた後、右の手があげられるのと同時に、そのはりつくような声を再びはりあげた。

 * 「捨て子」の意味。=バリ公主。


http://homepage2.nifty.com/jiyudaigaku/kannkoku/bariteki.htm

シャーマニズム
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シャーマニズム(英 : Shamanism, シャマニズムとも)は、シャーマン (巫 師・祈祷師 )の能力 により成立している宗教 。シャーマンはツングース語 「šaman, シャマン」に由来し[1] 、トランス状態 に入って霊 (超自然的存在)と交信する現象を起こすとされる。この現象自体や現象に基づく思想 をシャーマニズムと呼ぶこともある(ミルチャ・エリアーデ など)。広義には地域 を問わず同様の宗教、現象、思想を総合してシャーマニズムと呼ぶ。アニミズム を伴うことが多く、実際の宗教形態においてはシャーマニズムのみが存在するということはほとんどない。
用語 [編集 ]

日本語における「シャーマニズム」「シャマニズム」の区別は、研究者の学問分野と密接な関係がある。北海道・樺太・シベリア・満州・モンゴル・朝鮮半島を中心とした北方文化圏の研究者の多くは「シャマン」「シャマニズム」という表記を用いてきた。ツングース語の発音は「シャマン」に近いとされる。一方、沖縄(琉球)・台湾・中国南部・東南アジア・インドを中心とした南方文化圏の研究者の多くは「シャーマン」「シャーマニズム」の表記を用いてきた。また欧米の民族学・人類学・宗教学の研究を紹介する際の翻訳語としては、「シャーマニズム」「シャマニズム」が任意に用いられている。堀一郎 の場合、「シャーマニズム」という表記にはこの対象を世界的視野で捉えようという意図が込められているという指摘がある。[2] 。
シャーマニズムの定義 [編集 ]

シャーマニズムの定義は学者によって様々である。まず地域であるが、北アジアに限られるとする説と、世界中の他の地域で見られる諸現象を含める説がある。また超自然的存在と交信する際、脱魂と憑依(憑霊)のどちらを基本と捉えるかについても意見が分かれている。エリアーデは脱魂(ecstasy)を本質的とするが、マッカロック(J. A. MacCullock)は憑依 (possession)を重視し、I. M. ルイスは一方を強調することを批判する。例えばシベリアなど北東アジア研究者は脱魂を重視し、東南アジアや南米の研究者は憑霊を重視し、日本や朝鮮半島の研究者は憑霊ないし折衷説をとる傾向がある[3] 。

佐々木宏幹によると、シャーマニズムには、次のような3つの要素があるとされる[4] 。

* トランスという特別の精神状態において脱魂(ecstasy)または憑依(憑霊)(possession)が行われる
* 神仏・精霊などの超自然的存在と直接接触・交流・交信
* 社会的に一定の役割を持つ信仰と行動の体系

トランスは、ある種の異常心理状態ではあるが、平常の社会人と半ば交流できる状態でもある。また演技的なものもあると考えられている。「脱魂」とは、ある人物の霊魂が身体を離脱することであり、「憑依(憑霊)」とは、神霊・精霊がある人物の身体に憑くことである。脱魂したシャーマンは、その間、超自然的存在と交流していて、その事情を報告する場合もあるが、憑依されたシャーマンは、その間のことを正気に返った時にまるで覚えていない場合が少なくない。また「憑霊(憑依)」はトランス状態になくても起こっていると考えられる場合がある[4] [5] 。 トランスパーソナル心理学 と変性意識状態 参照。


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アブラハムの宗教 における預言者 も一種のシャーマン(予言者型)と見ることもできるが、強い倫理観に基づき、神の意思として当時の社会を批判している点で特異である。
日本のシャーマン [編集 ]

『三国志 (歴史書) 』中魏志倭人伝 に記述されるいわゆる邪馬台国 の女王 の卑弥呼 が用いたという「鬼道」もシャーマニズムと言われている。

下北半島の恐山 におけるイタコ 、沖縄県周辺のユタ など、20世紀においても各所にシャーマンに当てはまる事例が報告されている。なおユタ(シャーマン)とノロ(祭司)とは役割が異なる。

ロト (聖書)
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洞窟の中のロトと娘たち

ロト(ヘブライ語 : לוֹט‎, Lot)は『旧約聖書 』の登場人物である。『創世記 』11章後半から14章、および19章に登場する。父はテラ の息子ハランであり、ロトはアブラハム の甥にあたる。また、『新約聖書 』では義人として紹介されている(『ペトロの手紙二 』2:7-8)。

アブラハムに伴って古代エジプト へ、そしてカナン へと旅をするが、アブラハムの牧夫とロトの牧夫との間に争いが起きたため、ロトは肥沃な土地である東方のヨルダン 地域へと移動し後にソドム へと移住する。エラムの王ケドルラオメルによってソドムが略奪されると、ロトの家族は家財もろとも捕虜として連れて行かれるが、そのことを伝え聞いたアブラハムによって救出される。

後に、天使がソドムに派遣され、ヤハヴェ がソドムとゴモラ を滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。そこでロトは夜が明ける前にロトの妻 (ヘブライ語 : אשת לוט ‎ エシェット・ロット)[1] と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない 」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」(ヘブライ語 : נציב מלח‎ ネツィヴ・メラー)となる。なお、『創世記』はロトの妻と娘たちの名を明らかにしていない。

その後、彼らは山中の洞窟に移住したが、ここで娘たちは父を酔わせ、父によって男子を1人ずつ生んだ。長女の息子は「モアブ (父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の息子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモン の人々の祖となった。

ロトがいた洞窟とされる場所はビザンチン時代はキリスト教徒の巡礼地となり、教会が建造された。この教会の遺跡(アラビア語 : دير عين 'أباطة‎ UNGEGN 式: Deir 'Ain 'Abata デイル・アイン・アバタ)が死海 東南岸に残されている。教会横には「ロトの洞窟」が存在する。教会は現代のヨルダン王国カラク県に位置するが、カラク地域は歴史的には「モアブ」と呼ばれていた。洞窟で生まれたというモアブ人は鉄器時代には同地域に王国を築いていた。


   




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