邪馬台国問題:大和か九州か:又は両方を含んだ地域か、それとも沖縄か、台湾か、東南アジアか?






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2009年03月21日(Sat)
邪馬台国問題:大和か九州か:又は両方を含んだ地域か、それとも沖縄か、台湾か、東南アジアか?
邪馬台国問題:大和か九州か:又は両方を含んだ地域か、それとも沖縄か、台湾か、東南アジアか?

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教・民俗・芸術他

私は、日本でいちばん好きな場所は、奈良である。奈良盆地にいると円かな気持ちになるのである。山の辺の道は、何度も歩いた。
 なにか、ほっとする場所である。穏やか、平安な気持ちになるところである。もっとも、古代史は血なまぐさいが。
 卑弥呼とは、日本母権文化(原神道文化社会)を代表する存在であると思う。まったくの思いつきであるが、彼女は、沖縄から来たのではないだろうか。「竜宮城」(琉球城?)から来て、邪馬台国を治めたのである。
 だから、地理的には九州の可能性がある。しかし、別に、熊野から大和へと入ったという可能性もある。
 ここで、だいたんの仮説というか、全くの空想であるが、邪馬台国は、吸収と大和両方を含んだ国ではなかったか。

追記:Wikipediaの解説を読むと、沖縄が邪馬台国の可能性がある。大サイズの強調した箇所を参照。

追記2:否、台湾の可能性があるだろう。

追記3:琉球説は既にある。

追記4:フィリピンやインドネシア(ジャワ説がある)等の可能性、さらには、オーストラリアの可能性はないのか。

追記5:邪馬をジャバと読めば、ジャワ説になりうる。どうも、沖縄、台湾、フィリピン、ジャワ一帯の島嶼圏が邪馬台国ではないのか。

参照:
それ以外の説 [編集]
上記の二大説に加えて、吉備、出雲、四国、尾張、千葉県、甲信越、岩手県など、日本各地を邪馬台国の候補地とする説がある。畿内と九州の二ケ所に都があったとする説もある。他に琉球説、ジャワ説などもある。

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卑弥呼宮殿の一角か 纒向遺跡で柵など出土

 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が20日発表した。(産経新聞)
[記事全文]

・ 「卑弥呼の宮殿」邪馬台国論争が再燃 - 産経新聞(3月20日)
・ 纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群 王権の中枢か 奈良 - 毎日新聞(3月20日)
・ 卑弥呼時代の重要施設か 纒向遺跡、柵で囲み整然と配置 - 47NEWS(3月20日)

◇纒向遺跡とは
・ 纒向古墳群 - Don Panchoのホームページ
・ 纒向遺跡とは - 奈良県桜井市議会議員 あんまえ政光

◇大和説と九州説
・ 邪馬台国大和説 | 邪馬台国九州説 - 邪馬台国大研究
・ 邪馬台国 - 位置に関する論争 - フレッシュアイペディア

邪馬台国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
邪馬台国(やまたいこく)は、『魏志倭人伝 』などに出てくる国 である。

概要 [編集 ]

「やまとこく」、「やまだいこく」などとも呼ばれる。また、耶馬台国とも記述される。

弥生時代 の2 〜3世紀 に日本 にあったと推定されている。女王が治めていたことから魏志倭人伝では女王国とも記されている。

邪馬台国は元々男王が治めていたが、国家成立から70〜80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱 )。邪馬台国もその影響を逃れえず、卑弥呼 という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王 の封号 を得た。248年 頃、狗奴国 との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与 )が女王になることで収まったという。

邪馬台国と後のヤマト王権 の関係ははっきりしない。位置についても魏志倭人伝の記述が明確でなく、論争になっている。一般的な読みは「やまたいこく」だが、本来の読みについては諸説がある。

「魏志倭人伝」中の邪馬台国 [編集 ]

以下は「魏書」東夷伝の倭人の条(魏志倭人伝)に記述された邪馬台国の概要である。諸説あり、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らない。

邪馬台国までの道程 [編集 ]

魏志倭人伝には、魏 の領土で朝鮮半島 北部に当時あった郡[1] から邪馬台国に至る道程が記されている。

倭国に至るには、帯方郡が出発点だとすれば、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国 に到着する。そこから海を1,000余里渡り、対馬国 に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国(一支国 )に至る。また海を1,000余里渡ると末盧国 に至る。東南へ500里陸行すると伊都国 に到着する。東南へ100里進むと奴国 に至る。東へ100里行くと不弥国 に至る。南へ水行20日で投馬国 に至る。南に水行10日陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。

漢書で一般的な1里 = 約400メートルを用い、方角も正確だとの前提に立って直線距離で考えると、上陸地点から陸行500里の伊都国は、九州北岸から200km東南の宮崎県=日向としか読めない。(江戸時代以前の国学者は、そう考え、後の耶馬台国までの記事は誤記と考えた) そこから単純に100里+100里=200里が不弥国(大隅半島付近?)と考えると、さらに10日南に水行する邪馬台国なるものは日本列島 を飛び越えて太平洋 上になってしまう。このため、位置や道程の比定をめぐり論争が起きてきた(#邪馬台国に関する論争 を参照)。位置については畿内説と九州説が有力とされる(#位置に関する論争 を参照)。道程についても「連続説」と「放射説」がある(#道程に関する論争 を参照)。

http://ja.wikipedia.org
/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%A
C%E5%8F%B0%E5%9B%BD


   




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