試論:人類とは何か:自己と進化:イデアとしての自己と梵我一如






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2008年10月30日(Thu)
試論:人類とは何か:自己と進化:イデアとしての自己と梵我一如
先に、父権主義の「文明」史的意義を説いた。すなわち、知性、抽象知性の発達という意義である。
 では、自己とどう関係するのだろうか。母権文化においては、自己は、共振性に包摂されたままであり、自己は独立していない。超越性が主導的であり、同一性=自我=物質性は、それに従属したままである。もっとも、これは、進歩はないが、平和共存の時代と考えられる。(もっとも、生け贄の問題があるが。)
 それに対して、父権文化とは、同一性=自我=物質が、超越性、この場合は、差異共振的超越性を否定して、それから飛び出す様態をもつ。すなわち、同一性=自我=物質が、差異共振様態から独立・自立することを意味する。
 この父権的自我独立であるが、最初期においては、まだ、超越性のエネルギーがあった。つまり、Media Pointが開いていた。それは、旧約聖書を見ればわかるだろう。神は超越エネルギー的存在である。
 とまれ、父権的自我独立は結局、差異共振的超越性を否定して、同一性=自我=物質が「主義」ないしは「信用」になっていくのである。すなわち、人類の悪魔・病魔である同一性主義の誕生である。
 しかしながら、これによって、物質科学・技術が究められていくのである。
 私が解明したいのは、自己の問題である。確かに、同一性である自我形成が起る。そして、同一性主義化して、自我主義(エゴイズム)が形成される。この帰結が、近代合理主義/近代的自我である。
 では、人類の「文明」史的進化とは何だろうか。父権文明は自我を発達させた。しかしながら、根源においては、差異共振的超越性=神性があるのである。そうすると、自我において、神性を理論且つ実践的に取り戻していく進路が考えられるのである。
 しかしながら、自我主義(自己同一性主義)と神性は衝突する。この知的闘争が近代文化(近代主義ではない)に表現されている。たとえば、古いが、C. P. スノーの2つの文化というものに見られる。ユング心理学でいうと、自我と自己の統合が志向された。
 問題は、自我の同一性と自己の差異性ないしは超越性をどう「統合」するのか、という点である。これは、経済で言えば、貨幣/資本と精神/社会をどう結合するのか、という問題になるだろう。
 結局、PS理論が解明したのは、自我と自己との不連続性であり、差異の共振性である。だから、自我は他者となるのである。「わたし」は「わたし」であり、また、他者である、ということである。自我と他者の即非性が結論となる。そして、これを自己認識と呼ぶのである。つまり、自己とは、自我と他者との即非性のことである。
 そのように巨視的流れから見たとき、自我形成は大きな意味をもつ。(仏教が否定するのは、自我主義、自己同一性主義であり、自我ではない。もっとも、この問題は、ヴェーダーンタ哲学、梵我一如の問題に通じるが。)
 では、自我形成し、なおかつ、他者と共鳴する実践的な自己形成することが進化の意味とするならば、根源の差異、ないしは、超越性とは何だろうか、という問いが生じる。
 これはまた、輪廻転生の問題とも関係するのである。言い換えると、自我と超越性との関係はどうなるのか、である。今、作業仮説的に言えば、自我ないし自己とは、超越的差異、イデアの現実化である。だから、認識的には、自我ないし自己とは、現実的「記」(エクリチュール)を形成するのではないだろうか。
 この「記」は、同一性や差異におけるものであり、それは、根本的にはイデアに記されたものではないだろうか。
 そうすると、やはり、イデア=魂の存在がまた考えられてくるのである。結局、個イデア、自己イデアが永遠に存することになるのではないだろうか。アートマン即ブラフマンである。
 簡単に言えば、イデアとしての自己である。

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ヴェーダーンタ学派

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ヒンドゥー教

基本教義
輪廻 、解脱 、業 、梵我一如
神々
ブラフマー
シヴァ (パールヴァティー )
ヴィシュヌ (クリシュナ )
アスラ 、ヴァルナ 、
ヴィローチャナ 、ヴリトラ
ラーヴァナ 、インドラ
ナーガ 、ナーガラージャ
聖典
ヴェーダ
マハーバーラタ
(バガヴァッド・ギーター )
ウパニシャッド
ラーマーヤナ
法典・律法経
マヌ法典
ヤージュニャヴァルキヤ法典
人物
シャンカラ 、グル
修行法
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地域
インド 、ネパール
スリランカ 、バリ島
社会・生活
カースト 、ジャーティ
サティー 、アーシュラマ
文化・芸術
寺院一覧 、遺跡一覧
表示 ・ノート ・編集 ・履歴

ヴェーダーンタ学派(-がくは、デーヴァナーガリー :वेदान्त, Vedānta、英:Vedanta)はダルシャナ(インド哲学 )の学派。シャド・ダルシャナ(六派哲学 )の1つに数えられる。ヴェーダ とウパニシャッド の研究を行う。古代よりインド哲学の主流であった。語源は veda と anta (終わり)を掛け合わせたもので、ヴェーダの最終的な教説を意味する。

開祖はヴァーダラーヤナ で、彼の著作『ブラフマ・スートラ 』(別名・『ヴェーダーンタ・スートラ』)のほか、『ウパニシャッド 』と『バガヴァッド・ギーター 』を三大経典(プラスターナ・トラヤ)としている。

ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、8世紀インドで活躍したシャンカラ であり、彼の説くアドヴァイタ・ヴェーダーンタ 哲学(不二一元論)は最も影響力のある学説となっている。ほかに、ラーマーヌジャ らが提唱するヴィシシュタ・アドヴァイタ {制限(非限定的)・不二一元論}や、マドヴァ の説くドヴァイタ (二元論)などがある。

[編集 ] 思想

ブラフマン (宇宙の本質)とアートマン (自己の本質)の究極的同一性を説く。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E
3%83%B4%E3%82%A7%E3%
83%BC%E3%83%80%E3%83
%BC%E3%83%B3%E3%82%
BF%E5%AD%A6%E6%B4%BE " より作成
カテゴリ : インド哲学

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