精神の高次元化の必要に迫られているのではないか:同一性知性と差異感性:東洋的心身性とPS理論






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2008年08月27日(Wed)
精神の高次元化の必要に迫られているのではないか:同一性知性と差異感性:東洋的心身性とPS理論
私は近代合理主義/近代的自我そして唯物論は狂気であると言ってきたが、それは、言い換えれば、同一性主義狂気ということである。
 この狂気を乗り越えるには、高次元差異を認める必要があると思う。これは、PS理論では、Media Pointという基点の確認である。
 思うに、今日の世俗主義社会において、高次元を確認することは難しい。高次元は感性を介しているのであり、感性が近代合理主義によって、抑圧・排除されている。
 そう、言葉の問題がある。言葉は知性をもたらすものであるが、それは、同一性知性である。言葉から差異や感性を認識する方法はあるだろうか。端的に言って、差異や感性は言葉から逃れるものと考えられる。
 しかし、微妙な問題である。簡単に言えば、例えば、空という言葉の場合、概念・観念とは別に、感性を喚起し、想像的である。これは、特に、詩の場合であるが、詩ではなくても、空という言葉に、感性的内包性を強く与えることはできる。
 この感性的内包性であるが、ここにエネルギーがあると言えよう。しかし、近代合理主義はこのエネルギーを否定するという内的暴力をもち、このために、「他者」を排除することになっている。
 そう、近代合理主義という同一性主義は内的暴力であり、同時に、外的暴力である。精神的暴力であり、帰結的に、物理的暴力となる。
 とまれ、この「空」の場合を整理すると、「空」という言葉の感性的内包性=エネルギー=差異を否定するのは、同一性主義である。それは、同一性自己主義=自我主義であるし、物質主義である。
 同一性知性とは+iの志向であり、それが他者=差異-iを否定し、-1となる事態である。即ち、(+i)・[-(-i)]=-1である。そして、-(- i)という他者(差異)の否定が、暴力、内的暴力、精神的暴力である。これが、例えば、イジメや差別等を生むと考えられる。
 だから、近代主義は自己矛盾しているのである。同一性知性を目指すが、同時にそれが、他者否定である精神的暴力なのである。結局、この問題については、ポスト・モダンが鋭く異議を唱え、差異の視点を打ち出したわけである。しかしながら、これまで指摘してきた理由(ドゥルーズの場合は絶対的差異の否定、デリダの場合は超越性の否定)からポスト・モダン哲学には、重大な欠陥が生じて、差異を十分に進展できずに、停滞したと考えられるのである。(そう、資本主義の根本的欠陥もここにある。同一性主義であり、内在する差異性を否定してしまうのである。)
 この暴力、内在的暴力をもった近代主義が乗り越えることが、今日の喫緊の課題、最大の課題と言ってもいいだろうが、どうやって、感性・差異的エネルギーを解放するのかということになるのである。
 同一性主義知性には、感性は把握できないのである。その理由は端的に、感性は身体に存するからである。それも、精神的身体、内的身体にである。
 この内的身体を取り戻す必要があるのである。伝統的には、禅仏教や東洋的身体論は、この内的身体を陶冶する身体理論である。これが、今日、「知」の世界において、喪失しているのである。
 日本のアカデミズムの世界は、同一性主義文明である西洋文明崇拝によって、東洋的な内的身体論が喪失しているのである。そう、管見では、メルロ=ポンティの身体論は、東洋的身体論に接近したが、やはり、同一性知性の範囲に留まっている面があると思う。
 その点から見ると、過小評価されている故湯浅泰雄氏のパイオニア的研究をほとんど最高度に評価すべきではないか。

湯浅泰雄全集
http://nenji.smbs.gr.jp/No_12
/hakuabooks.html
身体論―東洋的心身論と現代 (講談社学術文庫) (-) 湯浅 泰雄 (著)

 氏は、東洋的心身論と言っているが、それは的確な命名である。この東洋的心身性にこそ、Media Pointが内在していると考えられるのである。
 そう、今日、現代こそ、東洋的心身論に回帰すべきである。もっとも、これは、トランス・モダン的回帰である。単に、先祖返りではない。つまり、近代主義=同一性主義を乗り越えるための、東洋的心身論であるからこそ、トランス・モダン論なのである。
 そして、そこにPS理論の視点を入れることで、再イデア論化が可能になるのである。つまり、東洋的心身性とはMedia Pointの様相であり、その心身性をイデア化することで、再イデア論が可能になり、東洋的心身性のインテリジェンス化が可能になるのである。
 ということで、近代主義=同一性主義の乗り越えは、先ず、東洋的心身性の形成し、さらには、その再イデア論化が必要であるということになる。この点から言うと、PS理論は東洋的イデア論である。
 最後に付け加えると、西洋人の作品ではあるが、東洋的心身論、あるいは宇宙的心身論をD. H. ロレンスの『無意識の幻想曲』は説いているのである。ロマン主義的性向を批判的に見さえすれば、この著は、驚くべき開眼をもたらすだろう。
 そう、身体的感性叡知の復権が求められているのである。


   




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カレンダ
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