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2007年12月08日(Sat)
西洋文化の模倣とは何か:クリスマスはキリスト教徒の祝祭である:神仏文化復興へ向けて
クリスマスの起源は異教にあり、それをキリスト教がいわば横取りにして、キリスト教の祝祭に変えたという史実があるとは言え、今日では、やはりキリスト教の祭りである。
日本で祝うならば、異教としてクリスマスを祝うべきではないだろうか。クリスマス・ツリーは、榊であろう。それは、宇宙樹・世界樹である。そうすれば、神道が復興していくだろう。 とまれ、西洋文化の模倣とは何か。簡単に言えば、同一性化であるが、このメカニズムは何か。本来、自我という同一性がある。日本人ならば、本来、日本という差異に基づいて、同一性化となるはずである。 しかしながら、明治欧化路線によって、日本の差異が否定されて、欧米主義が中心化されたのである。これをどうみるのか。周知のように排仏毀釈が起り、神仏習合の日本伝統文化は破壊された。(問題は、江戸時代にある。浮世絵や春画や落語等から見ると、江戸時代は、文化的には、デカダンスであったように思える。世俗化が進行していたと考えられる。しかしながら、それは、都会文化である。とまれ、日本宗教文化も堕落していたと見ていいだろうが、根源の神仏習合の心性はそれなりに生きていただろう。とりわけ、地方においては。) これを解明すると、神仏習合文化を差異共振文化として、Media Pointが生動していたとすると、脱亜入欧の欧化主義とは、この日本的Media Pointを否定して、欧米文化への同一性的に志向するものと言えよう。この場合、否定される差異・他者は日本差異共振文化であり、肯定される同一性が欧米文化である。(漱石はこの相克を正攻法で悩み生きたと言えよう。そして、日本近代における誠実な作家はこの矛盾に苦悩して創造活動を行なったのである。だから、大江健三郎の問題点が、ここからわかるだろう。彼は自身の天才性を枯渇させたのである。また、村上春樹であるが、彼は、欧化路線の帰結である。そして、その排除したものの刺激を受けながら、それに正対しないで、斜に構えているのである。亡国作家である。つまり、日本伝統文化を否定した上で、その無の空間から、日本的なものを模索しようと虫のいいことをしている、二律背反に陥っているのである。それは、即非ではない。なぜなら、彼は、根本的に差異と他者を認めていないからである。差異・他者があって、即非様相が成立するのである。彼の場合、日本という差異・他者を認めていないのである。差異・他者がなければ、即非共振は生起しようがないといえる。ただ、近代主義の無が原点である。) いったい、この欧米文化への同一性化とは何なのだろう。自己否定して、欧米文化に同化するというのは、いったい何なのだろうか。崇拝である。偶像崇拝である。崇拝とは、二項対立から発するだろう。優位項と劣位項があり、後者が前者を認める様式が崇拝であろう。 とまれ、直感で言えば、明治維新を準備した思想、国学的思想は、同一性に傾斜した宗教性であると考えられる。つまり、一神教的志向性である。ユダヤ/キリスト教的志向と同質のように思えるのである。それは、超越的同一性志向性である。これは、絶対的二元論・二項対立になると考えられるのである。つまり、超越的優位項と超越的劣位項が生じるのである。そして、同一性自我は、前者に同一性化するのであり、後者を否定・排除するのである。 だから、問題は、超越的優位項へと同一性化することである。一神教的志向性、超越的同一性志向性とは、きわめて、ラディカルな、革命的な思想エネルギーである。さて、超越的優位項へと同一性化するとは、結局、Media Pointから、同一性志向性が発生するときに生じる事象と言えるのではないだろうか。だから、端的に、超越的優位項=同一性という事象が生起するということになるだろう。 ここで、本題にもどれば、明治維新において、国学的思想は、尊王攘夷であったが、この場合、超越的優位項が天皇であり、超越的劣位項が欧米である。しかるに、否定・排除される劣位項がアジア・東洋となり、欧米文化は、超越的優位項に移動したのである。 この転換の力学は、もっぱら超越的優位項の意志によると考えられるのである。つまり、権力の意志である。とまれ、以上から、なぜ、日本人が欧米文化に同一性化して、日本・アジア文化を否定している理由がわかったと言えよう。クリスマスは、正に、欧米文化の精華の一つであり、当然、欧米文化主義化した日本はそれを祝うことになるのである。 さて、そうならば、どうして、日本人はキリスト教も模倣しないのかという問題が当然起るだろう。これの答えは簡単である。それは、戦後唯物論文化によるのである。もし、宗教文化が継続していれば、戦後日本人は、今より、クリスチャンになった割合が多かったであろう。ただ、唯物論的に、クリスマスを模倣したのである。 結局、近代化によって、日本人は、超越的同一性化(父権的二元論)をもち、さらに、戦後、それに唯物論が加わり、唯物論的同一性化、近代的自我・近代合理主義を形成したと言えよう。Media Pointが完全に隠蔽埋没された事態を生んだのである。 とまれ、トランス・モダン化のためには、日本人は、同一性の壁をブレークスルーする必要があるのである。ここが、近代主義の土台なのである。そして、同一性解体の理論は、伝統的に、仏教が行なってきたのである。また、神道も本来、三相共振性をもっているので、同一性を解体するものなのである。 だから、日本人が、明治維新によって捨てた神仏文化を復興させることが、トランス・モダンに通じると言えるのである。 神仏への新たなる目覚めへ向けて。
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